dialogue.umezu.半魚文庫
ウメズ・ダイアローグ(3)
わたしは真悟
(その4)
樫原かずみと高橋半魚の楳図対談です。この対談は、メールによって行なわれました。対談期間: 2000-08-10〜09-03
2000(C)KASHIHARA Kazumi / TAKAHASHI hangyo
[その1へ][その2へ][その3へ][その4へ][その5へ]
● プログラム7[さとる]
◆ Apt :1 ふるさとへ帰る
半魚 ここから、最終章ですね。
消えたと思ったまりんは消えておらず、真悟も変化したのはほんの一瞬で、奇跡のかけらを残して立ち去りますね。
樫原 ロビンはまっぷたつですね(笑)
半魚 つうか、胸にぽっかり……風通しがよくなってます。
樫原 そうでしたね(笑)裂けたような気がしてましたー(笑)
半魚 このカケラ、「口」の部分ですかね。
樫原 仮面のようでもありますね。確かに気味悪い(笑)
半魚 「ぞおーっ!」(船長)ですね。まりんまで、「ヒイッ」とか言ってますからね。この、まりんの「ヒイッ」と、あとのシンゴの記憶の中のまりんとの対面とは、実に大きな違いがありますね。
樫原 あ、ホントだ。かなり「美化」されてますね。真悟は想像力もたくましくなってしまったんだ。
半魚 なーるほどねえ。エルサレム以後は、シンゴはアクティブな動きよりも、精神的な活動に重点が置かれますねえ。
樫原 観念の世界にどっぷりと入った哲学者みたいです。
半魚 そして、まりんは総て思い出す。
樫原 日本に帰れるのかどうか、分からないままですね。お母さんはどうしたんでしょう?
半魚 まりんママ、もう終った人ですよ(笑)。
樫原 しかし、本当にまりんの「夢」だったんですね。核戦争も、死の灰も・・・。いや、これは真悟が神の領域になったときに全ての現実を元に戻しておいたという美紀ちゃんの方が真実性ありますね。
半魚 ちょっと待ってください。ここの核戦争と死の灰の解釈、まだ僕は判然としないんですよ。まりんの幻覚をシンゴが現実として認識してしまっているのは分るのですが、すべてがそうなのか、どうなのか。うーむ。
(そのほうが、いいのかな。シンゴにしてみると、まりんが大人になった段階で、核戦争の夢も消え、自分でもとにもどしておいたと理解している。それを美紀ちゃんに伝えた……と)
樫原 なるほど、空想と現実の間で判断がつかない状態・・・これは考えれば考えるほどのめり込む内容ですね。僕もじっくり考えてみよう。
半魚 難しい、ていうか、実に不可解ですね。
樫原 「まりん編」の最後の見開きのエルサレムの絵の遠景には砂漠ではなく、都市が残っていますよね。これが何かを示唆してはいないでしょうか?
半魚 ああ、そうだそうだ!ここを忘れてました。最初にエルサレムの神殿に着いたとき、ロビンが「神殿だけが壊されずに残っている!」と言ってますもんねえ。で、実際は、神殿の他の町並みは、全く破壊なんかされてない。
そうなると、やはり、まりん&シンゴの不安と恐怖が共同で作り上げた幻覚世界だったのですね。あー、なっとく。
樫原 もしくは、元に戻したというべきか・・・。(しかし、エルサレム宮殿の屋根は穴が空いてるんですよね)
半魚 「元に戻した」ってのは、シンゴの「勘違い」(?)で、それを美紀ちゃんがそのまま受取ったってだけではないかな、と思います。ともあれ、宮殿の屋根に穴が空いて、ロビンが死んだのは現実でしょう。
樫原 しかし、シンゴは神の領域に踏み込み確かにまりんの想像どおりにやたらと世界各地で「奇蹟」を起こしてますよねえ。死者が甦り、核ミサイルがあちゃこちゃにブチこまれたり・・・。・・・これも「まりん」の想像からかな?
半魚 まあ、それら全体をどう考えるか、ですよねえ。
樫原 そう、ですね。「まりん編」あたりからは想像を絶する楳図ワールドが広がってます。
「現実」と「空想」がごっちゃになってしまった作品にしたかったのでは?なんてことも思いました。「エルム街の悪夢」みたく・・・「神左悪魔右」では、これがそのまま参考になってましたもんね。
半魚 「エルム街」や「神の左手」は、まだ、ごっちゃになっても区切りってものがあって、キチンと階層が分れてましたよ。階層が、どこまで掘り下げられるのが分からなくて、「おいおい、そんなエンディングでいいのかよ」ってところが、恐い。でも、『真悟』は、そもそも階層の区切りが実にややこしいですよ。
樫原 うーん、確かに「夢」と「想像」の違いはありますね。どこかに「妄想」だとまたは「現実」だと思えるコマが落ちてないものかな?(笑)
半魚 裏庭のシェルターに入って、爆発があり、ロビンによってそれをまりんは核爆発を思ってしまう。まりんの驚いた顔の見開き頁がありますよね。これとほぼ同時に、さとるを思い出す。この部分は、『洗礼』のまつ子的な、「正気と思っている時が、一番の狂気」という発想がありませんか。つまり、ともかく現状から逃れたい。そのため、さとる即ち幸福だった頃を思い出すことと、現実が核投下後の世界であると錯覚することとが一緒になる。で、驚いた見開きの頁から、エルサレムで「わたし、さとる君と別れてから、ずっと夢を見ていたのだわ」までは、逃避幻想の「まりんワールド」である。たんぽぽを死の灰と思ったり、砂漠が拡がってると思ったり。砂漠の絵が出てきますが、現実にはそうではない。で、まりんが起きている間は、ロビンまでもその認識下で行動してしまう。シンゴは、まりんの認識と現実とが齟齬している事に気づくが、母であるまりんの認識に従って行動してします。そして、この段階ではマルになったとは言え未だ「愚かなキカイ」であり、まりんに群がる毒を排除するためになんでも傷付けてしまい、核兵器まで飛ばしてしまう。しかし、ここも、ほんとうに核兵器まで飛ばしたのか、「まりんワールド」の中でシンゴ自体の認識がおかしくなっているのか、ちょっとよく分かりませんが、ともかく、実際のところは揺らいでいるように思います。
それと、「まりんワールド」の中で、まりんは砂漠上での機関銃の音をシンゴの声として聞いてる場面がありますね。これはあとで「子供が訪ねてくるはずがない」と言ってますから、実際にまりんの耳に届いているのですね。まりんは、その意味と実態をよく分かってませんが。
樫原 ふむー。ここまで聞いてふと思ったのはやはり、洗礼のそれと同様、どこかで「狂気の連鎖」が起きていたのかも?という疑念ですね。
半魚 ふむふむ、そうですね。「連鎖」ですね。
樫原 「シンゴ」の存在は「子供」の狂気が作り上げた「産物」であり、その狂気に触れた者は「シンゴ」を見た気になる。そもそもが「さとる」と「まりん」の子供(大人になることへの畏怖)の狂気が「シンゴ」というモノを作ってしまった。
半魚 はいはい。でも、「シンゴ」はあくまで実在してますよね。でもまあ、「狂気」は言い過ぎとしても、大人への漠然とした恐れが、奇異な結婚という形態を生み、ついでシンゴを生んだとは言えますね。
樫原 ふむ。
子供同士ならその狂気の連鎖を素直に受け止めることができるからしずかちゃんや、美紀ちゃん、さんちゃんなどは「シンゴ」を認識できていた。大人たちは認識の外に置いている!それはすなわち「理解できないモノ」であり「恐怖をもたらす危険なモノ」としてしか映らない。
ところが、ここで楳図は先に行き、その狂気の産物にまでも「意志」をもたせてしまった!
半魚 いやいや、それじゃあ、「シンゴ」が実在していることと齟齬しませんか。
樫原 存在はしているけど、子供にしか分からない、という「存在」でしょうか?大人は、未知の存在そのものを否定するようになっている、という・・・。
うーん・・・確かに指摘の通りです。(難しいっスね〜)
半魚 難しくて、しかも微妙なとこですが、子供にしか分からない存在ってのは、当たってますよね。
樫原 意志が「まりん」や「さとる」の考えに反応してさまざまな奇蹟を起こす・・・。結局それは「悲劇」たりうるものであったり「感動」を呼ぶものであり・・・。
半魚 まあ、それは、仰しゃる通りですけどね。
樫原 で、ここで「狂気の衰退」が「まりん編」以後扱われているような気がします。「まりん」が大人になる、「さとる」も否が応でも子供との決別が来る。それに呼応するように「シンゴ」の「意志」も衰退してゆく・・・。
半魚 はあ、なるほど。
樫原 (と、まあ、ここまで書いてふと、「シンゴ」って仮想空間に生きている「ゲームソフト」に似てるかなあ、なんて個人的見解です)
半魚 やあ、まあ。ちょっと説得力ありますねえ(笑)。実在しているってことと、意識を持ってるってこととは、思えば、別なことですねえ。意識という独自なモノを持った段階で、それは実在ですね。
樫原 バーチャルが呼び起こす「さまざまな悲喜劇」を楳図かずおがこの時代に考えていたとしたら、今まさに大なり小なり、この「仮想空間の恐怖」は全世界を締め付けていますよねえ。「こんなにも子供を夢中にさせるものは何だろう?」というセリフ・・・。
これは、今の「仮想空間」への畏れを表しているような気がします。
半魚 うーん(笑)。絶対納得はしないんだけど、でも、ちょっと説得力ありますなあ。そのオオタナオヤのセリフ……。
樫原 楳図の疑問だったのかもしれませんね。テレビゲームに明け暮れる当時の子供への・・・。
半魚 で、さとるやまりんの「子供から大人へ」という段階と、シンゴの成長と衰退とが、呼応しているってのも、たしかに、ちょっとありなのかな、と思いました。「シンゴ」が意識を持った段階で、もう別のものだと思い込んでましたから、いままで気づかなかったです。
とは言え、やっぱり、シンゴはさとるやまりんや他の子供たちとは別に実在して、独自の意識を持った存在ですよ。それがやっぱ、大前提だと思うんですけどねえ。
樫原 はい。その存在を信じるか信じないかで、子供と大人の違いが分かるという・・・。(今日はアタマが回っていまへん〜、すみませえん)
半魚 たしかに、まあ、あの現実の中の登場人物として自分がいた場合、そんなキカイが自ら意識を持って動いてる、なんてラチも無いヨタを話を、僕も信じないでしょうねえ。それじゃまるっきり、口裂け女か人面犬ですからね。
樫原 ああ、そうか大人にはそういう感覚で子供には切実な悩み・・・。そういうことかもしれませんねえ。こういうトコでは子供はまだ純真な存在ですよねえ。
半魚 それとまあ、ここでの「大人になんか、なりたくなかった!」は、泣けますねえ。
樫原 これは、ある意味「子供の狂気」から解き放たれる瞬間の断末魔なのでしょうか?
半魚 うーむ。
このまま、舞台は「新潟」になりますね。
この雑踏の風景もすごいですね。ヤケにリアルで、これは「イアラ」以来の描写力ですね。
樫原 生活感、あるんですよね。ご本人は生活感あまりないようだけど(笑)
半魚 ぶははは(爆笑)。
樫原 楳図先生は「ウメカニズム」のインタビューでも「恋愛?眼中にない!」なんて言ってましたが・・・ホント飄々としていてつかみどころないですねえ。僕もそう言えるようにがんばろう!
半魚 あはは。
ともかく、依怙地なほどにリアルな看板の風景とか、楳図作品の面白いところですよ。
樫原 そうですね。どの作品にも必ず看板にはなにがしかの名前がありますね。
半魚 こういう看板の文字まで拾った、『楳図かずお作品辞典』を作ろうと、ちょっと前に思ってたんですけどねえ。
樫原 ははは!それいいですね!みなさん、確認しながら読み直すこと請け合います。
半魚 なかなか根気がつづきません(笑)。
樫原 僕もお手伝いしますよ(笑)
半魚 大々的にやりますか?(笑)。
樫原 何年かかりますかねえ?(笑)やるのなら「分担作業」ですね。(にやり)
半魚 「家賃が3ヵ月溜まっている」ということは、引越してからすでに3ヵ月以上経っているということですよね。季節がいつか分かりませんが、常識的な判断で言えば、翌年の春、つまりさとるはもう中学生になってる感じだと思います。
樫原 ふむー、そうですね。まだ小学生みたいですね(笑)
半魚 そうなんですよ、まだ小学生じゃないとつまらない。でも、夏休みが明けて3ヵ月過ぎと言えば、もう12月か1月ですよ。新潟だったら普通もう雪が降ってるのです(笑)。
樫原 ははは!手きびしい〜。
半魚 あらら、よく読んだら、「台風が来る」って設定ですよね。だったら、秋ですよ(翌年の)。
『スピリッツ』連載時の「前号までのあらすじ」なんかでは、「萩小学校五年生のさとるは……」とか書いてあるのですが、いままでずっと誤植か勘違いかと思ってましたが、六年生じゃなくて五年生なのかもね。
樫原 おとうさん、よっぱらって寝小便してます。(かなり酩酊状態です)関係ないけど・・・。
半魚 そうですね、一升瓶もって。このキャラは、図像的にも、立派な男性像ではなくて、アタマわりー(笑)って感じのキャラクターですね。
樫原 (笑)楳図の最後のダメな男像・・・。
半魚 「ファミコンフェア」が笑えます。
樫原 今なら「プレステU」ですか?何気に「時代」が見えるのも醍醐味ですよね。
半魚 さとるが乗るのは、外見は新幹線みたいだけど、中は普通の特急列車みたいな感じですね。新潟から東京まで行くのは、1982年の開業以来、新幹線か急行(特急じゃなく)しかありませんが、新幹線だと1万円近くかかります。
樫原 けっこう鉄道マニヤですね?(笑)
半魚 いやいや、そういんじゃなくて(笑い)。新潟は僕の生れ育ったとこですから。
樫原 あーなるほど、なるほど。
◆ Apt :2 老人ホーム
半魚 シンゴ、帰りは飛行機なんですね。
このおばあちゃん、名前がわかりませんね。
樫原 ここでは、楳図ならではのドキドキハラハラの見事なコマの流れが見られますね。おばあちゃんが機械にはさまってもうダメかぁ?と思いきや、という。
半魚 全体的にスローで進んでいるのに、コンセントを差す瞬間は、流れが早いのですね。
樫原 このテの「あああっ!」は僕が知っている限りでは「赤んぼう少女」でギロチンに手を切られそうになる葉子さんが最初のような気がします・・・が?
半魚 ああ、なるほど。あれに似てるのか。
樫原 この後、もう一度この流れが出てきますね。
半魚 (これ、すいません。意味わかりません)
樫原 (あは、すみません)
旧まりん邸で、扇風機(天井付きの)がしずかちゃんをめがけて落ちてくるという「あの流れ」が、まったく同じ感じで進められてます。
半魚 ほんの一瞬を、やたらコマ割りするのは、楳図先生ならではですね。
樫原 それでいて、おいしい場面で、見てる方はドキドキものなんですよね。
半魚 この細かいコマの割り方については、楳図自身がその由来を明確に述べてました。「マンガ夜話」で夏目房之介が「下手なレゲエ」とか「貸本マンガ」とか言って、なんだかみんなそんな説明で納得してしまったような気になってますが、楳図先生本人の説明をきちんと聴くべきです。で、細かい割り方は、
酒井七馬の影響で、
楳図はこれを「映画的」と認識しており、また、小さい四段割りは読者の視線を一定させるためだ、と言っていました(『まんが劇画ゼミ』(6)ギャグ編)。樫原 なーるほど!これは初耳です。酒井七馬という方は知りませんが「映画的」ってのは当たってるなあ!と思いました。確かにフィルム的ですね。
半魚 ただまあ単純に、「細かく割ってるから映画的」と言えるものか、僕は疑問なんですけどねえ。手塚のが「映画的」って言われるのとは本質的に違いますよね。
樫原 4段割りというのは今のマンガ家さんは使ってる人の方が少なくなってきているんでしょうが、この特徴は短編でもこの割合で描いていけば中篇クラスのも描けるぞ〜みたいな(笑)1頁平均6コマとしてこの倍のコマが納まるんですからねえ。マンガってやっぱかけひきがあるようで面白い!
半魚 ふーむ、実作者ならではの御感想ですね。
樫原 子供と老人に対しての楳図かずおのコメントが、「ウメカニズム」(?)にありましたよね。テーマに添っての本領発揮、羨ましいです。
半魚 どんなコメントでしたっけ?
樫原 んーと、確か子供の顔は単純で描きやすいけど、老人はシワを描かなきゃならないから面白い!といった類のものでした。「Rojin」という作品はそれが如実で表れてましたねえ。
半魚 そんな発言がありましたか。
樫原 ええ、これって僕も面白い発想だなーって思えました。絵を描くときに人間で一番難しいのは、やはり子供と老人ですね。
半魚 なるほどねえ。
ところで、このおばあちゃんは、シンゴの声が聞こえる人なのですね。
樫原 これは、理解者というべきなのか?美紀ちゃんと同じ超能力者というべきなのか?
半魚 超能力ってほどじゃないけど、老人であることは子供に近づいているという思想とも言えますね。理解者なんでしょうねえ。
樫原 そうでしょうね。きっと。それでも長い年月の経験から「もしや、あれは神?」と言ったおばあちゃんはやはり老人ならではの言動のような気がします。子供だったら、「?」で終わっているか、「奇蹟」だとか言いそうですよね。
半魚 なるほどね。「なむあみだぶつ」と言わなかっただけ、このおばあちゃんはエライです。
樫原 ははは!まだ若い証拠かな?
・・・あの船長は「ナミアムダブツ」でしたねえ(笑)
半魚 「なむあみだぶつ」を言う登場人物は、結構多いですね。
樫原 そうですか・・・そういえば「神の左手」もありましたねえ。
半魚 「猫目小僧」だかなんだか、もうちょっと古いところでも言ってますよね。
樫原 あ、そんなのありました?今寝る前に「ねこ目小僧」読んでます(笑)
半魚 キカイがキカイ(元)をいじめています。追う者から追われる者になってしまったという感じですかね。
樫原 このあたりの描写は、かわいそうな感じがしました。周囲と違うから迫害される。「いじめ」の構図を見ているようで。
半魚 たしかにかわいそうです。ただまあ、今日的な「いじめ」じゃなくて、「棄てられた王様」みたいな、凋落してしまった貴種といような感じですかね。
樫原 うーん、なかなか良い表現ですね。やっかみからくるイジメかあ・・・。
◆ Apt :3 奇跡が生まれる
半魚 この章は、初出だと「奇跡が始まる」という章題でした。
樫原 あ、これも変えているんですね。
半魚 ここから、受難と自己犠牲という救世主の物語ですかねえ。
樫原 んー、愛は盲目といった感じでしょうか(笑)
半魚 愛ですね。で、一対一の愛情というより、「シンゴそれ自体が愛の塊、もうふりまくしかない」みたない感じですよ。
樫原 ふりまきすぎて、パワーなくなっちゃったのね?みたいな(笑)
半魚 あはは。
◆ Apt :4 出会いの少年
半魚 サトル、ワタシハイマモアナタガスキデス。マリン
「許してください!わたしは聞くことのできなかった母の返事をあなたに届けます!!」
ですよ。もう、すごいです。樫原 これは、真悟が「捏造」してしまったというコトなんですよね。「ウソも優しさの内」という感じなのでしょうか?
半魚 まあ、「ウソも優しさ」ですね。それでまあ、「ウソ」や「悪」の本質的な存在様態とも言えますなあ。そもそも、真実しか語らない人間は、自分の責任を自分で負うのではなく、真理(なるもの)に託しているともいえますよね。逆に、ウソをつくってことはその責任を自分でかぶることでもあるわけです。たんなるデマカセやその場しのぎのウソならなおのこと、罪を自分でかぶるしかない。そうではなく、相手のためだと思ってのウソであっても、その善意を保証してくれるものは何一つない。自分がかぶるしかないわけです。そういう存在としてシンゴは自分を屹立させているのですねえ。そして、このウソこそ、シンゴの最後に得た感情なわけですよね。
樫原 ふむー。善以前の「人間」としての本来の姿を学び取った、という感じでしょうか?(尤も今の時代は人間のあるべき姿ってのも意識変容してますけどねえ)
半魚 「神無き時代の人間」というか、神は善悪の基準と言ってもいい。で、シンゴ自身が神だったわけで、その頂点を過ぎてしまって、自ら神を失ってしまっているのですねえ。
樫原 「平家物語」の冒頭みたいですね。諸行無常みたいな・・・(笑)
半魚 あるいは、信じる事の楽園を追われたアダムとイブとでもいいますか(笑)。
樫原 おお!失楽園ですね!うーん、これが楳図の世界観かなぁ?