供犠のナラトロジー |
このページは、1999年度授業「文学3」における授業を元に、構成しています。 [授業概要を見る]。
2000年度も続けて、この講義を行うことにしました。(2000-04-21)
本日が2000年の最終授業。このページ、一応「完成」ってことにします。
なお、2001年度には『わたしは真悟』を講義します。(2000-09-13)
2013年度、久しぶりに『漂流教室』を講義しています。 『14歳』完結にあたり、楳図先生の「漂流教室メモ」が発表されました。一読し感激し、それを加味して講義したいと思ったのです。(2013-07-02)
大学の一般教養としての「文学」の授業であることを忘れずに。基本的な目的は、文学研究の方法論を学ぶことです。文学研究のみならずあらゆる学問が基礎とする文献学は、マンガ研究においても重要であることを認識できると思います。以下、いくつか列挙していますが、基本は基礎研究です。
マンガが紙や冊子媒体として存在する以上、いや、表現というものが物理的媒体を必要としている以上、あらゆる意味で文献学は成立します。文献学とは媒体論です。
なお、文献学と「文学」とは、本来まったく独立した関係にあります。くわえて、私は「マンガを文学として語ること」には絶対反対です。マンガはマンガとして語らねばならない。で、二つめとして、マンガ独自のアプローチを考える。方法論は対象に内在する。
文学研究ではなしえないアプローチは何か。当然、絵画的な要素について。ただまあ、あんまりそっちのほうは僕は得意じゃないです。みなさんの意見も合せて、いろいろ考えてゆきます。いま、思ってることとしては、
「マンガ」という語は「下らないもの」「茶番」などと同義に使われてきた経緯が有る。下らないか上等か、その差異の根拠は、そのものそれ自体には内在せず、研究対象としての方法論の有無に依存する。
以上、とにかく、研究というのは、集めることから始ります。何を集めるのか、みなさんも一緒に考えてね。
[余談] なんでこんな授業を始めたのか、といえば、そりゃまあ楳図かずおが好きだから、というのはありますが、前から一度、マンガの研究つうものをしてみたかったのです。では、なぜ『漂流教室』を選んだのか。といえば、まあ名作だからなんですが。もっと単純な理由は、教科書が手に入りやすいから(いまは)、という理由です。
マンガ作品そのものの出版も多いが、マンガ作品について/をめぐるさまざまな言説が飛び交っている。
テキストが揃うまでのツナギです。
この他に、SF作家・風間潤によって小説化された本が有ります(角川書店)。
『漂流教室』の海外映画版があります。学生のレポートを、そのまま載せます。
大林宜彦監督『漂流教室』(1986年)映画版があります。感想を書いておきました。
フジテレビ『ロングラブレター漂流教室』(2002年)という連続テレビドラマがあります。感想を書いておきました。
単行本については、版・刷をわかる限りであげてみます。わかる限りというのは、半魚文庫架蔵本だけですが。まあ、雰囲気は掴めそうです。
版・刷について。古典書誌学の刊・印に近い。発行された時期を版(刊)、印刷された時期を刷(印)という。古典書誌学では、刊行を刊といい、内容に修訂があった場合(多くは、版木を削ったりする)、修(しゅう)という。近代の書誌学では、刊が初版、修が二版、三版……等と呼ぶ。それぞれの版に、印がある。
つまり、なんど増刷しても内容に変更のない限り、それは「初版」です。増刷は文字通り「刷」です。古本屋でもこの区別のつかない愚かなところが多い。とは言っても、版元でも区別してないところも多いけど。
巻 | 初版初刷の年記 | 後刷のうち確認した年記 |
第1巻 | 昭和49年6月1日初版第1刷発行 |
昭和56年10月20日第 8刷発行
昭和62年 9月20日第21刷発行 昭和62年10月20日第22刷発行 昭和62年12月20日第24刷発行 |
第2巻 | 昭和49年6月1日初版第1刷発行 |
昭和49年 7月 1日第 2刷発行
昭和55年 8月20日第 7刷発行 昭和56年10月20日第 8刷発行 昭和62年 5月20日第18刷発行 昭和62年12月20日第23刷発行 1988年12月20日第25刷発行 1990年 2月20日第26刷発行 |
第3巻 | 昭和49年8月1日初版第1刷発行 |
昭和56年10月20日第 6刷発行
昭和59年 1月20日第 9刷発行 昭和58年 8月20日第10刷発行 昭和62年 9月20日第18刷発行 昭和62年11月20日第20刷発行 1988年12月20日第23刷発行 |
第4巻 | 昭和49年8月1日初版第1刷発行 |
昭和56年10月20日第 6刷発行
昭和58年 8月20日第 8刷発行 昭和59年11月20日第10刷発行 昭和62年 9月20日第18刷発行 昭和62年10月20日第19刷発行 昭和62年12月20日第21刷発行 |
第5巻 | 昭和49年10月1日初版第1刷発行 |
昭和56年10月20日第 6刷発行
昭和59年12月20日第10刷発行 昭和62年 3月20日第15刷発行 昭和62年 7月20日第17刷発行 昭和62年11月20日第20刷発行 |
第6巻 | 昭和49年11月1日初版第1刷発行 |
昭和56年10月20日第 6刷発行
昭和58年 8月30日第 8刷発行 昭和59年12月20日第10刷発行 昭和62年 5月20日第16刷発行 昭和62年 9月20日第18刷発行 昭和62年11月20日第20刷発行 昭和62年12月20日第21刷発行 1988年12月20日第22刷発行 |
第7巻 | 昭和49年12月1日初版第1刷発行 |
昭和55年 8月20日第 5刷発行
昭和56年10月20日第 6刷発行 昭和61年 5月20日第13刷発行 昭和62年 9月20日第18刷発行 昭和62年10月20日第19刷発行 昭和62年12月20日第21刷発行 1990年 2月20日第23刷発行 |
第8巻 | 昭和50年1月1日初版第1刷発行 |
昭和56年10月20日第 6刷発行
昭和57年10月20日第 7刷発行 昭和62年 3月20日第15刷発行 昭和62年 9月20日第18刷発行 昭和62年12月20日第21刷発行 |
第9巻 | 昭和50年2月1日初版第1刷発行 |
昭和56年10月20日第 6刷発行
昭和58年 8月30日第 8刷発行 昭和62年 9月20日第18刷発行 昭和62年12月20日第21刷発行 |
第10巻 | 昭和50年4月1日初版第1刷発行 |
昭和56年10月20日第 5刷発行
昭和61年 7月20日第16刷発行 昭和62年10月20日第19刷発行 昭和62年12月20日第21刷発行? 1988年 5月20日第21刷発 |
第11巻 | 昭和50年5月1日初版第1刷発行 |
昭和62年 9月20日第18刷発行
昭和62年10月20日第19刷発行 昭和62年11月20日第20刷発行 昭和62年12月20日第21刷発行 1988年12月20日第23刷発行 |
初版は袖刊記(刊記が本体に無く、後表紙袖にしかない)。後刷は本体に印刷された奥付け刊記になる。 (袖刊記とは?写真)
「メルの本箱」さんの書誌データを追加しました。昭和62年(1987)あたりは怒濤の印刷ですね(1999-05-30)。
鈴木千惠子さん@大学の先輩から、データを提供して頂きました(1999-06-23)。
ストロング山下@漫画鳳凰殿のデータを参照させていただきました(2000-04-27)。
90年代の初めまでは売っていたのですかね。
巻 | 初版初刷の年記 | 後刷のうち確認した年記 |
第1巻 | 1993年12月15日初版第1刷発行 | 1998年 7月10日第13刷発行 |
第2巻 | 1993年12月15日初版第1刷発行 | 1996年 1月10日第 4刷発行 |
第3巻 | 1993年 1月15日初版第1刷発行 | 1996年 2月10日第 4刷発行 |
第4巻 | 1993年 2月15日初版第1刷発行 | 1995年10月10日第 4刷発行 |
第5巻 | 1994年 3月15日初版第1刷発行 | 1996年 2月10日第 5刷発行 |
これも現在では品切れ。SB版を売るために、こちらを絶版にしたという事でしょう。大きめでいい版なんですけどね。
巻 | 初版初刷の年記 | 後刷のうち確認した年記 |
第1巻 | 1998年 8月10日初版第1刷発行 | 1999年 3月 1日初版第2刷発行
1999年 5月 1日初版第3刷発行 2000年 1月 1日初版第5刷発行 2000年 6月 1日初版第6刷発行 2002年 8月 1日初版第13刷発行 |
第2巻 | 1998年 8月10日初版第1刷発行 | 1999年 3月 1日初版第2刷発行
1999年 5月 1日初版第3刷発行 2000年 3月 1日初版第5刷発行 2002年11月 1日初版第14刷発行 |
第3巻 | 1998年10月10日初版第1刷発行 | 1999年 5月 1日初版第2刷発行
2000年 1月 1日初版第4刷発行 2000年 6月 1日初版第5刷発行 2002年 8月 1日初版第12刷発行 |
第4巻 | 1998年10月10日初版第1刷発行 | 1999年 5月 1日初版第2刷発行
1999年10月 1日初版第3刷発行 2002年 4月 1日初版第11刷発行 |
第5巻 | 1998年12月10日初版第1刷発行 |
2000年 1月 1日初版第3刷発行 2002年 4月 1日初版第10刷発行 |
第6巻 | 1998年12月10日初版第1刷発行 |
2000年 3月 1日初版第4刷発行 2002年 4月 1日初版第11刷発行 |
受講生の持っているものを提示してもらいました。なるほど、やはり始めの巻のほうが先に無くなってゆくのですね。ともあれ、順調に刷を重ねているようで、結構なことです。
[参考]売れなかった本は、書店は返品(3ヶ月とか6ヶ月とか)します。版元は返品された本に、再びカバーを掛け直して在庫にしたりする。注文で再度販売する際には、本体(の刷)は同じなのにカバーが違う、というような形式的な異本を産むことがあります。
なぜ、諸本校合をする必要があるのか。原画、雑誌初出、単行本とこの三種の間に相違があることがあるからです。単行本でも、幾種類もある場合それぞれに微妙な相違があったりします。これらの比較作業を「校合(きょうごう)」とか「校異(こうい)を採る」とか言います。校異とは、校合の結果の事です。
諸本校合は、文献学の基本中の基本です。校合を経ずして作品を論じることは出来ません(どの版に拠って論じているのかを明らかにしない限り、立論しても意味がない)。
その前提的な知識として、初出の『少年サンデー』について、基本的な所を理解しておきましょう。
[コマ番号]
編集においては、原稿を正しくページ通りに印刷する必要があります。たまに「前号で、16ページと17ページの内容が入れ替わっておりました。お詫びします」のような記事がありますね。こんな事にならないような工夫がされています。
コマ番号は、編集の便宜とともに、読者へのサービスでもあったと思います。マンガに慣れて居ない人のために、読む順番を示すのです。これらの番号がいつから発生したのか(ポンチ絵や戦前のマンガには多い)、しかし戦後も貸本マンガなどでは全くコマ番号は見られません(移動を示す矢印なんかは、たまにあったりする)。
コマ番号はすぐにすたり、画中に原稿番号が付けられます。全16頁のマンガなら、1〜16まで各葉毎に付けられます。これは純然たる編集のためのものです。コミックス化の時には消され、消した部分が分る場合も多い。
これはいまのスタイル。画外(ワク線の外)に原稿番号が付きます。
[長編のコミックスス化の基本]
雑誌の連載をコミックスにする際にも、やりかたが変ってきています。段々手抜きに(ということもないか)、手際良くコミックス化出来るように、雑誌連載をしていると言えます。思い出せば、昔は、雑誌に載ってからコミックス版で出るまでに結構時間が掛っていました。
/コミックス版で読む時の参考にしてください。
以上で、ほぼ基礎研究は終りました。いよいよ、中味にはいります。しかし、中味の研究でもやっぱり基礎的な調査作業が必要です。
これらの作業を通して、作者・楳図かずおは、かなり綿密に作品を組立てていることが分ると思います。作品に対する「読み」も、作者の意図したものか、意図しないものか、区別する必要がありますが、多くの場合、作者の意図であることが分ると思います。
作品を一日毎に分割して梗概(あらすじ)を採ることを、「日次を採る」などと言います(言うかな)。あらすじの確認も含めて、日次を作って見ましょう。
さて、ここで問題です。この『漂流教室』は、未来に漂流してから感動のラストシーンまで、どのくらいの期間だと思いますか。次から選びなさい。
次に、群集劇でありながら綿密に作られている作品性を味合うため、これも問題です。単なるカルトクイズではありません。[テキスト参照可。ページ数は「(SB版/SCV版)」]こたえはこちら
ペスト騒ぎの時、ミイラを動かして騒ぎを静めようとしますが、先頭を走ってヤ男子(BS 3-289 /SVC 3-131)はだれか。名前で答えなさい。
最初に未来キノコを食べて、未来人になってしまう男子はだれか。名前で答えなさい。
関谷にサバクの井戸掘りを命じられ、その後、地下鉄を探検する子供は、高松翔、大友くん、咲っぺのほか、二人いる(4-370 / 4-120)。その二人の名前を答えなさい。
SB版の2巻268頁(SSC 4-27)の上段の三人の大臣の名前を答えなさい。
高松くんたちに、桃の実がなると知らせにいったばかりに、ペスト患者とされしてしまいヤリで突き殺される吉田くん(3-209 / 3-51)は、何年何組の子供か?
雨が降ったあと、東京湾が泥沼になります。翔は、倒れた自分を橋のかわりにして友達に渡るように言いますが、この時、渡り損ねる男子がいます(4-146 / 3-289)。この少年は、何年何組の子供か?
こういうの描くのは苦手です。これは課題にします。以下、ヒント。ページの形式は、(SB / SCV)
西洋の例は知りません。東アジアの例を言います。「注釈」は、学問の基本中の基本です。これも含めて、文献学といいます。原典にたいして「それを、どう読むか。どう解釈するか」という事が学問です。その為の作業として、「注釈」が存在します。
中国の文献学は、ある種人文系の総合的な学問で、次のように構造化される。即ち、形態書誌学、本文校訂、異本校合(校勘)など物理状態・文字などに関わる形態的文献学。対象の内容へのアプローチのうち具体的側面としてとしての注釈学(考証学)、抽象的な側面として内容の思想等を分析する義理学。
「故説詩者,不以文害辞,不以辞害志;以意逆志,是為得之。如以辞而已矣。」(『孟子』万章上)。宋代、朱熹は考証(考拠)学を重視したが、陸象山・王陽明は考証(考拠)学を排斥した(文献学的にはダメだが思想史的に意義がある)。清代に最も考証学が発展したが、他方、創造性を失い「訓古注釈主義」などと侮蔑的に呼ばれることもある。清代の考証学は、日本近世にも大きく影響を与え、朱子学(林家・昌平黌)、古学(伊藤仁斎・荻生徂徠)、折衷学(細井平洲・井上金峨など)、考証学(太田錦城など)などのモードを生む。
儒学では、周公や孔子など古代中国の先賢の書物が有り(四書五経)、それをどのように解釈するかということが漢学の基本でした。朝鮮、ベトナム、日本など、その影響下に学問が発展してきた。
仏教学では、シャカの書物(サンスクリット語)を中国語訳し、それが近隣諸国も中国語のまま伝わり、注釈がなされてきました。
注釈作業のうち、特に時代を画期するものは、新たな解釈を生み、それに対する注釈、などというものも出てくる。注の注を「箋(せん)」(孫注)と言い、箋の注を「疏(そ)」(曾孫注)と言います。
何のための注釈なのか。理解には、深いも浅いもないです。これはいつも僕が言っていることです。「AはBである」という言明の絶対的な根拠は どこにもない。「絶対の真実」なんて無いし、それが無い以上、理解に審級は付けられない。ただ有るのは、「AはBである。では、BとはCであり、CはDで……」という、果てしのない連鎖のみ。連鎖にお仕舞いはない。言わば、この連鎖それ自体が言明の楼閣(幻想の)を作り上げているに過ぎない。しかし、ぼくらは、そこでしか生きてゆけないのです。だから、これを「幻想だ、捨ててしまえ」とも言えない。だから、きちんと幻想してゆく能力を付けるべきです。まあ、簡単に言えば、モノを知らないよりは知ってるほうが良い、たとえ幻想でも。まあ、よく言えば、より広く知っていることは解釈の自由を保証するものです。狭い自分の感覚だけで解釈するよりは、他の知識も利用・選択できたほうがよい。そのための注釈であり、まさに読解に於ける創造性を保証する作業でありまする。
とは言え、こういうある種のテクスト論を誰にでも分るように簡単に説明するのは、結構難しい。一言で言うと、「テクストの外部はない」(J・デリダ)。世界は総てテクストであり、その外部に在って世界を基礎付けるようなモノは存在しない。または、「色即是空、空即是色」、即是也。
なんかうだうだ言っておりますが……。名言を引用しておきます。
翁が常に思ふは、古人書を著して人に教へ、又世を論じ、又歌をよみ詩を賦して心をやるは、その世の人に向かひよく通達して、この意、この詞章を聞き得ぬ者には、書読み為すべきにあらず。世隔たりて、法令たがひ、言語都鄙交じり入て、条理乱り、意旨通じがたき事ども有るには、注解と云ふものもやむ事得ぬ態なるを、又それに己が私意を加へて、あらぬ方にいざなひゆくから、学道と云ふも、末は多岐にわかれて、争ひとさへ云ふ事と成りぬ。儒士、釈徒の今云ふところ、聖仏再び出づれば、いかに眉顰むらんかし。詩歌さへそれの煩ひありて、後にはさまざまに解きなす、いと聞きにくし。(上田秋成『楢の杣』四下)
注釈には、いくつかの段階(レベル)があります。語注(ことばに対する注釈)を例にとりますが、絵画注釈でも同じことです。
以上は、実証的・客観的に計測可能な部分(とされる)。以下は、「主体的な解釈」となってゆく。ふつうは、もう「注釈」とは言わない。
「主体的な解釈」とは、単に「自分の身勝手な感想」とかではなくて、「なぜ、自分はそういう感想を持ち、そういう解釈をするのか?そういう自分自身を振り返ろうとする態度」をも含んだ注釈作業なのです。
上のリンクへ飛ぶ前に、【注釈に関する小テスト】次の文章は『ゴルゴ13の秘密』(世界ゴルゴ調査会東京本部著・データハウス刊・1993年)の一節である。これを読んで、その論旨の妥当性について論じなさい。
ゴルゴはいったい何歳か?
第1巻の第一話の最後のところを見ると、「1968年11月」と記されている。それが、『ゴルゴ13』が初めて描かれ、雑誌に掲載された日付である。まえがきにも書いたように、それ以来現在まで、『ゴルゴ13』の連載はすでに24年以上つづいている。
最初はリンドン・ジョンソンだったアメリカ大統領も、ニクソン、フォード、カーター、レーガン、ブッシュ、クリントンと変った。
ゴルゴもそれだけ歳をとったはずだが、あいかわらず若々しく、24年前と変らない活躍をつづけている。
ゴルゴはいったい何歳になったのだろうか。
じつは、ゴルゴは今年(93年)、還暦を迎える。つまり60歳だ。
若い者には負けない働きをしているが、じっさいにはもう赤いちゃんちゃんこを着る歳なのである。
ゴルゴは年齢不詳で、CIAやM15(ママ)やその他のどこの情報機関、組織も、正確な年齢をを把握することができなかったのに、どうして今年本卦がえりだとわかったのか。それをこれから説明しよう。そして、本当に60歳なのかどうかも。
ゴルゴの現在の年齢を考えるためには、まず「はたしてゴルゴは歳をとるのかどうか」から検討してみなければならない。主人公が歳をとらない場合もあるからだ。
『ちびまる子ちゃん』の世界は、作者のさくらももこが小学3年生のときの時代のまま止まっている。春から夏になって、秋がきて冬がきて、再び春を迎えて、1年たったから次の年になって、主人公のまる子も4年生になるかと思うと、「ふりだしに戻る」で、また同じ年がはじまって、まる子はまたしても3年生なのだ。同じ年を何度でもくり返す、針とびまんがである。
対照的に、野球まんが『あぶさん』は完全に現実とシンクロしている。現実にシーズンがはじまると、まんがの中でもシーズンがはじまるのだ。主人公のプロ野球選手、影浦安武は読者とともに歳をとりつづけている。だから、登場してきたときはまだ若かったのに、いまではもう40代半ばである。(ちなみに、代打専門だった影浦が、一昨年の91年に、44歳にして初めてレギュラーになったときには、同世代の読者から「よくやってくれた」という手紙が殺到したそうだ)
では、『ゴルゴ13』はどうだろうか。
ゴルゴの活躍の背景になっているのは、架空の世界ではなく、現実の世界だ。実際にあった事件にゴルゴがかかわっていくというストーリーである。だからこそ、まえがきにも書いたように、『ゴルゴ13』を読むことで国際情勢を知ることなどができるのだ。
つねに最新の国際情勢があつかわれるわけで、68年11月の初登場以来、『ゴルゴ13』の時代背景はずっと現実と同時進行している。少し前の回では湾岸戦争が登場したし、先に書いたように最近では米大統領もクリントンに変っている。
となれば、当然、ゴルゴもそれに合せて歳をとっているはずだ。
つまり、連載開始以来、24年半ぶん歳をとっているということだ。
だから、少なとも24歳以上ということはいえるわけだが、それだけでは仕方がない。
問題は、連載第一回のときに彼が何歳だったか。
それがわかれば、現在の年齢もわかる。初登場のときいくつだったのか?
最近のゴルゴになれている人が連載第一回目のゴルゴを見たら、チンピラっぽくて、びっくりするだろう。クールはクールなのだが、なんだか精力むんむんという感じで生ぐさいし、行動的にも荒っぽいところがあって、最近のゴルゴに比べると、まだまだ甘いという感じなのだ。
ゴルゴは、いきなりブリーフいっちょうで左手を腰をあて、右手で煙草を吸いながら登場する。見た目では、20歳を超えているのは間違いない。30代と思われるが、確証はない。見た目だけで判断するわけにはいかないだろう。
コミックスのどこを探しても、はっきりした年齢は書いてない。ゴルゴは国籍も本名も年齢も不明なのだ。各国の諜報機関が調べているが、どこもはっきりした年齢はつかめていない。CIAは推定25歳〜32歳とか、32歳〜40歳とかいっている。DIA(米国防情報局)は28〜32歳と推定している。アメリカの一流ジャーナリスト、マンディ・ワシントンの調べでは、推定30〜35歳。KGBやM15(ママ)は、まったくの不明としている。ゴルゴ自身は、28歳の人物に変装したこともあるし、パスポートに「Duke Togo 37歳」と書いてあったと、ホテルのフロントが証言している。どれも確かなものではない。
ところが、われわれはごく最近になって、ついにたしかな情報をつかんだ。93年1月12日の朝日新聞東京版の朝刊で、最初に描いたときの想定は「三十代半ば」だったと、作者のさいとう・たかをが明かしているのである。いったん生みだされたキャラクターは作者の手を離れていくとはいうものの、生み出すときにはやはり作者のものといえよう。
「三十代半ば」というだけではまだあいまいだが、その後の話の展開から、これが35歳だということがわかる。つまり、連載一回目のときゴルゴは35歳だったのである。
ちなみに、文藝春秋86年11月号の「ゴルゴ13六千万部の秘密」で、さいとう・たかをは、最初の設定では「年齢は三十歳前後」ということだったといっているが、さいとう・たかをの話しっぷりからして、35歳というのが本当のところだと思われる。
68年11月に35歳だったとすると、そこに24年半足して、今年(93年)60歳ということになる。もし12月生まれなら、もう去年(92年)のうちに還暦を迎えている。
【解説】あえて、解答例を示すまでもないだろうが、決定的な解答を示しておく。『ゴルゴ13』の初出『ビッグコミック』1969年1月号(発売は1968年11月29日)を見ると、冒頭の舞台設定として扉絵に「西ドイツ……ハンブルグ 1964年」とある。それから、「還暦」ってのは数え年でかぞえる、生れた月は関係ない、ということも付け加えておくか。
しかし、勿論、受講生のみなさんに期待する回答は、そういうレベルではない。
ともかく、『謎本』は、多くがこの程度のレベル。僕の授業は、こんなのと同じだと思われないようにしたい。受講生諸君も、この程度の「読み」を「面白い」などと思っているようなレベルでは、私の授業を受けてる意味がない。この『謎本』がガクモンに価しないのは、まーしかたない。が、「遊びなんだから適当でいいじゃない」などというのも許しません。遊びでも本気でも、ゲームはルールが有るから面白いのである。高度なルールや、あるいは無矛盾でシンプルなルール、そういうゲームが面白いのである。
「むりやり本を書かされたため、こうなった」とは言えるかも知れない。一応、正確を期しておけば、本書はこのあと「どんな時代を生きてきたのか?」「ゴルゴは吸血鬼か、磯野家の長男か?」という節が続き、「ゴルゴだけが『一人サザエさん状態』」という解釈も書かれている。が、実体論(世界は一つ、歳のとりかたも一つ)から抜け出せてない。
[さっきの人物小テストの解答と解説]
大月くん。
大月くん。
柴田くん。石田くん。柴田くんは随分まえから名前で呼ばれるが、石田くんは死んだときに初めて名前が分る。
上の大月くん、柴田くん、石田くんが三人とも大臣であり、組閣後、ミイラと一晩すごした時も、地下鉄探検するときも、ずっと一緒であったことを確認するための問題でした。
6年3組。
6年3組。この子は名前は無いが、しょっぱなから出ずっぱりで、セリフも多いです。1-54頁の6年3組の子供の顔ぶれの中に、このメガネくんも吉田くんもいることを確認してください。なお、メガネくんは、楳図スターシステムで「若殿ちゃん」と呼ばれているキャラです。
立論における能書き
一般にマンガの専門学校などでは、「ナレーションはやめ、登場人物にかたらせましょう」とか教えるらしい(樫原かずみ氏談)。実際、小説、演劇、映画などでも、同様だろう。ナレーション・独白・地の文などなく、発話・言動によってストーリーを進めることが、それらジャンルの進歩とさえ言われる。
ナレーションを避けるのは、ふつうの意味でのナレーションは「説明」なのである。ストーリーを誤解なく分かり易く進めるために、状況・事態や人物達の感情を「説明」するもの。たしかに芸術の目的は、表現であり、説明ではない。
しかし、楳図の「ナレーション」は決して「説明」ではない。「表現」として、以下でみてゆくように、方法論化され使われているのである。なお、芸術の目標は、分かり易さではない。
ともあれ、「ナラトロジーって、なんか流行っぽくてかっよこさそうだから使ってみよう」ではなく、楳図作品に不可欠なアプローチなのである。
(以下、うだうだ書いていますが、現在では高橋はもはや必ずしも記号学やテクスト理論が最高の学問だとは思っていません。単純な相対主義者ではなく、現在はもうちょっと複雑に屈折した相対主義者です。2013年7月)
人は、何かを見てその「意味」を探ろうとする。では、「意味」とは、どこに存在する(または、生成される)のか?
丸山圭三郎『文化のフェティシズム』(勁草書房)、『生命と過剰』(河出書房)より。例外的に、記号学および世界認識については世界のどれよりもこの日本人の著述が良い。
[シニフィアンの恣意性] ぱかぱか走る動物を「ウマ」と、にゃーと鳴く動物を「ネコ」と呼ぶのは恣意的である。表現(シニフィアン,Sa)と意味(シニフェ,Se)を結び付ける根拠はどこにもない。しかし、いったん決まってしまうと、変更は難しい。
[シーニュの恣意性] コトバ以前に、世界は秩序づけられてはいない。コトバ(語彙体系)とは、「あらかじめ秩序づけられた世界内の事物に付された名札」ではなく、「混沌(カオス)に秩序を与えるもの、世界を分節する装置(しくみ)である」。実際、諸言語(諸国語)体系に応じて、ものの分け方(分類)は異なる。この世界分節は、恣意的である。分節を根拠付ける何者も存在しない。
[シニフィアンの差異的同一性] シニフィアンは、それがそれであるという同一性を内在しない。(Sa「ネコ」という音声は、「メコ」「ニェキョ」などに対して差異を認められ区別できるという限りに於いてSe「ニャーと鳴くあれ」のシニフィアンたりうる。文字も同様「ネコ」、「示ユ」「祁」。
[シーニュの差異的同一性] シーニュ(記号)は、その意味(その示す範囲)を自分自身では決めることが出来ない。シーニュ「ネコ」という意味(その示す範囲、世界分節のしかた)は、似たような動物(山猫、トラ、イヌ)などに対して、差異を認められ区別出来るという限りにおいて、シーニュ「ネコ」の意味が決まる。
[シニフィアン、シーニュの恣意的必然性] 音と意味との結び付きも、世界分節の仕方も、恣意的ではある(すなわち「色即是空」)。しかし、いったんされてしまうと、それは容易に改変することは難しい。この必然性によって、言語以前に分類された世界をリアルなものとして実感し、それを利用して、人間は生きている。すなわち「空即是色」。
文、文章の意味は、その文、文章には内在しない。その同一性は差異的・ネガティブなものである。意味は相対的である。意味を絶対的に保証する外部は非在である。
[使用(用例)による意味決定] 語彙が実際に使われる際、他でどのように使われ、その使用法が有意義なものかどうか、によって、語彙の意味は決定される。または、語彙の意味は、その使用法が間違ってない限りにおいて、有意義なものとして決定される。ex.「やさしき女」(西鶴)
[コンテクストによる意味決定] センテンスは、それが置かれたコンテクスト(文脈)によって、意味が決定される。ex. 「君は頭がいいね」
「意味」を「価値」や「美」と言い換えると美学になる。
意味が与えられる場(コンテクスト)を、固定的に(たとえ暫定的であろうと)考えたのが、広義のパラダイム理論である。ex. パラダイム(Th. クーン)、ラング(ソシュール)、エピステーメーの台座(フーコー)、共同幻想(吉本隆明)。その場の無根拠性を暴く意味でも、有効な理論。
しかし、必然的・固定的に捉えると、結局は、それを根拠とした世界像が成り立ってしまう。あらゆる基礎付け、根拠付けを拒否するうちの一つが、たとえば、ウィトゲンシュタイン=クリプキの「言語ゲーム」理論。
記号学・テクスト論が20世紀の人類が到達し得た英知と世界認識の結晶だったのに比べ、そこから派生したナラトロジーや米式デコンストラクション、フェミニズム批評などは、それを文芸批評に矮小化して利用しようとした、志の低い方法論ではあるが。
その文の意味はコンテクストに依存する。コンテクストとは、その前後の文だったり、その文が「だれが、だれに、いつ、どこで、語ったか」等だったり。
物語論とは? 意味を与えている者(語る者)の位相が作品の中でどのように構造化されているかを解明することによって、その意味を決定してゆく作業である(あろう)。
ヘイドン・ホワイト『歴史における物語性の価値』(W.J.T.ミッチェル『物語について』平凡社・1987)より。
まず、人間には「物語りたい」という欲望が有る。また表現形式として「物語り」は「叙述」に対比され、叙述が外国語へ翻訳不可能なのに対して、物語は可能であること(これはバルトが言ったらしい)、物語りは事実報告と客観描写を目指しており、物語りにおいて語り手が不在(潜伏する)のは内容の事実性を保証するものであること、などが書いてあった。
日本文学で言っても、『源氏物語』は例外的存在で、作者がはっきり分る「物語」ってのは殆どない。比べて、創作性が重視される和歌は、作者名が付与されることが多い。
文学では一般に、物語と小説とを区別する。物語は、全知全能の神的視点に立って、登場人物達は三人称的に表現される。小説では、登場人物達は、それぞれが一人称の存在であって、自分と自分が関わった事柄しか認知しない(全知全能の存在はいない)。一人称による視点が基本となる。まさに、「神は死んだ」。ふつう、こういう風に、物語と小説とを分けている。ただし、厳密な意味では、この二つの表現形式は混在している場合が多い(というか、小説の中で、物語的な手法を使うものが多い)。
小説研究なんかで言われる「物語り論」とは、ホワイトが言ってたような、原初的な物語論ではなく、「叙述(小説)」のなかで利用される「物語り的な表現方法」の研究であることが殆どだと思う。
この物語り論に沿って考えると、原初的な物語と違う面が見えてくる。例えば、特定された語り手の顕在する物語というのが存在する。この場合、ほぼ同時に「特定された聞き手」が想定されていることが多い。いわば、「特定された語りの場所と時間と人々」が存在する語りです。一般の物語は元来持っていたこの特定性を捨象するかたちで表現を獲得してきていたが、それを逆手に採った手法である。
人物、場所、時が特定されるということは、そこでの発話にある種の意味的な制限を掛けるということを意味するだろう。たとえば、『枕草子』。これは(随筆であって、物語じゃないけど)、いつ書かれたものだかは知らないで読む場合、中宮定子のすばらしさ、藤原中関白家のすばらしさ、そして自分の才能の豊かさを延々書いてるばかばかしい(笑い)作品のように思うが、これは中関白家が没落し御堂関白家(道長)の時代になって懐古的に書かれたものだということが分ると、自ずとその意味も変ってくるでしょう。
尤も、実際の「物語の構造分析」は、作品に対して、既成の大きな物語(話型)を類型的にあてはめるだけのものが多かったので、あんまり効果がなかった。例えば、貴種流離譚・勧善懲悪・自然主義的絶望・メシア待望論・ハルマゲドン物語、……等々。そして、だいたいこういう「大きな物語」とは、人間の覚悟と思考の弱さの具現体である。
繰返すが、ここで問題にする物語論とは、「意味が与えられる場」の解明である。意味はアプリオリでには無い。いつ、どこで、だれが、だれに語ったのか? 言明それ自体には意味は内在せず、状況とその役割りにおいてしか意味は成立しない。(参考・S.A.クリプキ『ウィトゲンシュタインのパラドックス』産業図書)
さて、本題。『漂流教室』は、語りで始まる。
おかあさん……
この語り(ナレーション)は、 この後も、四頁にわたって語りが続き、フキダシの会話も交えながら、しばらくは100頁ちかく語り(ナレーション)が入る。このナレーションは、途中から多分「漂流した時間における現在」の語りになるのだろう。たとえば、まだ事態が全然分からない段階ので翔の心内語がある(1-175)。「おかあさん!!おかあさんは、ほんとうに死んじゃったんですかっ!?そんなのうそですよね!!」。これは、完全に漂流した時間における語りであろう。また、セスナのタイムスリップでの心内語(1-235)は、漂流時の語りか、それを後に再現したものか?
ともあれ、冒頭のナレーションが、翔から母親に向けての語りであることは、まあ、だれもが納得するだろう。では、何時の時点での語りなのか。
一般的な注意深い読者なら、作品後半に大友君と決別し、母親に向けて手紙を書き始めた、その手紙の文言がこの語りだ、と思うのではないか。翔のノートに綴られた母親への手紙は、現代に戻るユウちゃんを通じて母親の下に届けられ、母は翔の言葉を読むことが出来る。母親に届く言葉である。
しかし、冒頭の「おかあさん……」は、果してそのノートに書かれたものなのか。僕が思うに、多分そうではない。
ノートは、漂流途中から書き始められ、冒頭は、「おかあさん、」で始まる。しかし、続いて「ぼくはきょうからおかあさんにあてて手紙をかくことにします。でも、これはけっして届くことのない手紙です」で始まる。あくまで、ノートの冒頭は、これである。
また、ノートは、荒れた未来に留まる決心をする際、ユウちゃんだけを現代に帰す、その時に託されたものである。決心して以後、新たにノートに細々何かを書いている時間はないだろう(少なくとも、書いている描写は存在しない)。ただ、一言「おかあさん、空からの贈り物ありがとう」と走り書きするだけだ。
いや、こういう描写に依拠した考証は、「テクストの空白」とか称して、どうとでも解釈がついて仕舞う。サイアクの場合、ストーリー的な破綻とみなしてしまうことさえ可能である。
また、「信じられない一瞬」とは、確かに瞬間を言うのであり、漂流してきた今までの数日間を言うわけでも無い。だから、「一瞬とは、大地震(実は爆発)の瞬間の事であり、それを回想しているのだ。だからこの文言は、ノートの文言である」とも言えるかも知れない。
しかし、そうではないだろう。そんな風に読んでしまうのは、もうブチコワシですよ。
問題は冒頭の語りの持っている質に依存している。冒頭の「おかあさん……」の持つ気分(そう!まさに気分)は、漂流している時のものではなく、荒れた未来に新しく再生を覚悟した後のものではないか、と僕は思う。そこに流れるゆったりした言葉が持つ気分は、あの狂気の3週間のものでは、多分ないだろう。
こう考えるとき、一番重要なのはどんな事なのか。冒頭に見える語りは、 冒頭の母親への語りかけは、あらかじめ仕掛けられた、終末での翔ちゃんの覚悟の伏線である。決別、そしてそれは母親へ届かない言葉なのである。そして、高松恵美子と同様に僕たちも決して知ることは出来ないが、荒れ果てた未来に今も生きているのである。
(未定稿 1999-12-07)樫原かずみとの掲示板でのやり取りからも示唆を受けました。感謝します。
《補遺 2013-07-02 私のサイトを御覧下さったかたの感想に、母への届かない言葉と考えるのはあまりに悲しい読み方だ、という意見がありました。なるほどな、とも思いました。すこし意見を追加します。そもそも、母へ言葉が(あるいは、こころが)届く、とはどういうことでしょうか。私(高橋)はもう母親が死んでしまっています。文字通り、言葉はもう届きません。母は死にましたが、たまに私は(この年になってさえ)母を思い出しては何かしら呼びかけたりしています。この呼びかけは決して母へ届くものではありませんが、しかし私はそれが全く無意味なことだとは思っていません。届かない言葉であることは、それは無意味だということを意味するわけでは決してないのです。
もう一点、別の観点からです。上述の、届く言葉、届かない言葉、という観点は今思うにいささかきれい事すぎるように思います。しょうしょうえげつない観点から意見を書きます。冒頭の》「おかあさん……」には、あきらかに『わたしは真悟』と同じような、次元のすり替え(?)がある。『わたしは真悟』は、モンロー=真悟が語っていたはずなのに、最後は地球自体の会話のようになっている。『漂流教室』にもそういう次元のずれたようなニュアンスがある。それは特にいうなら、翔(たち)は母から隔絶している(からこそ呼びかける)にもかかわらず、もとの世界へ戻ったあとであるかのような安心感が感じられる、ということである。基本、「少年マンガ」的には彼らはもとの世界へ帰れて当然なのである。その可能性は、作者的にははなから無かったのだろうが(楳図による漂流教室メモ)、読者的には当然期待されており、楳図もそれは熟知していた(楳図による最終回の言葉)。楳図は、翔たちがもとの世界に帰れるという選択肢も(あるかのごとくに)残しておいたのである。冒頭の「おかあさん……」のしみじみ感は、もとの世界に戻れた後のような安心感が感じられるのである。
記号学・テクスト論等の思考が、固定された共同体理論へ還元されてしまいやすいのと同じく、物語の構造分析も固定された「大文字の物語」に還元されやすいし、されていった。それではいけない。
さて、本『漂流教室』コーナーの副タイトルはにもした『供犠』とは、いけにえであり、犠牲であり、サクリファイスであり……。僕が最も嫌悪する物語(ストーリー)に、「自己犠牲の物語」があります。これを僕がはっきり自覚したのが、『宇宙戦艦ヤマト』でした。太平洋戦争時のカミカゼ特攻隊を美化する際にも、使われる手法(まさに方法論)です。大っ嫌いです。
人の生きることと死ぬこととは、最大のドラマです。それを、直接に持ってきてそのままポイと投出すだけで、感動的な話はいくらでも作れます。そして、人間としてふつうの感情を持つならば、必ず感動するものなのです。それはたぶん、「人間」という(観念が成立するかぎりにおいて)、アキレス腱というか臍の緒というか、首根っこというか……、そこをつかまれて感動しないヤツはいませんよ。
人間が最も恐れるのは、多分、死そのものでなく、「無意味な死」でしょう。犬死に。
で、そういう物を、卑怯にも正々堂々を使う凡百の作家のあくどさが、実に嫌いなのです。右翼の(左翼もだが)戦争(革命)賛美も、感情に訴える際に、そういうやり方をします。マンガにおいても、『ヤマト』を始めとし、それなりに壮絶な『愛と誠』から、簡単に生き返ったりする『リングにかけろ』や『ブラックエンジェルス』等少年ジャンプの方法論まで、実に安易に再生産されてきた物語でした。手塚の戦争マンガにしても、その犬死をありのままに描きつつ、ちょっとしたポエジーを漂わせてしまっているではないか。
『漂流教室』、こうした感動的な死に方というのは、ほとんど描かれない。『漂流教室』での死は、無惨にもほとんど匿名性で死んでいく。多分、唯一の例外が怪虫と戦う池垣君の闘姿だが、しかしそれとて無駄な闘いであった(怪虫が幻想だったから)。仲田の自殺も、考え様によっては、自分で責任をとっただけであり、追込まれての死である(西さんを救ったという側面はわずかにあるが)。また、他の死に方で特記したいのは、未来人類に特攻を試みる第1〜4号である。関谷の支配下で数字で呼ばれ、しかし樸に従って死んでいく。戦後民主主義下の人間としては、こんな死に方だけはしたくないだろう。
こういう死に方、殺され方の意味を、そしてそのあり方を、よくかみしめるべきだろう。死をむやみに美化するのは危険である。
楳図作品全体を見渡してもみても、右翼的な死に方というのは、あんまり無いと思う。なお、断わっておくが、かなり酷いケガをしても結構生きている、というパターンも多い。楳図先生は、やたら殺してばっかりいるわけではない。
さて、では、『漂流教室』の持つドラマ性とは何か。それは、まずは生きること、生き続けていることそれ自体である。これは、少なくとも、死をドラマにするよりは難しいことです。そして僕は、内容的にも、手法としても、こちらのほうがずっと好きです。登場人物のひとり、杉山恵子よ。ああ、かつて僕はここで何度泣いた事か!!
こんなセリフに感動してしまう僕の事を、単純だと笑うなら、笑いなさい(がははは。自分で笑っておく)。
そして、『漂流教室』における「死」は、決して感動的には描かれない。前述の池垣くんや仲田以外にも、人間防波堤での野口さん、スズラン・リレーでのマリ子さん、……彼ら彼女らの死は、それなりの自己犠牲だし感動はする。が、ヤマトなんかの感動とは、かなりニュアンスが違うだろう。ましてや、ほかの人物たちの死については、もっと違う。彼らはバタバタとドラマも無く死んでいく。人は、自己の生と死を有意味なものにしたいと思っているが、しかし、全体の一人にすぎない一人の死なんてものは、所詮、浜辺の砂みたいなものですよ。そういう覚悟とおそるべきリアリティが『漂流教室』にはある。
しかし、では『漂流教室』の死は、全く救いが無いか。いや、そうではない。物語のクライマックスで、咲子は死んだ仲間の体から、緑が育ってきていることを知る。
今にきっとサバクが、みどりにつつまれる日が
ああ、僕はここでも泣いちゃうなあ。ただし、死んだ子供たちの死が有意味化された、というほど単純ではない。死んだ子供たちは、自身で自身の死の有意味性を自覚して満足することは出来ない(死んでるのだから)。咲子にしても、サバクが緑につつまれるのは、まだ予感に過ぎず、これからも幾多の試練は待っているだろう。つまり、死が有意味化されても、それは自他ともに共感しあえるような、平穏な関係の中には、まだ(決して未来にも)無いのである。だから、ここにはいまだ「救済」という超越的な絶対他者のテーマも存在しない。ましてや、80年代以後の安易で脆弱な「ハルマゲドン物語」とも決定的に違う。「私の存在価値を、私が自覚し、あなたも彼も(あるいは神が)認めてくれる時空間」は、誰でも欲しいし、そういう物語を読みたい。でも、それは現実には、実に難しいことであり、もしかしたら訪れないかも知れない。僕らは神が死んでから、そういう唯我論の中を強く生きてゆかなくてはならないのです。
そして、そういう至福の時空間においてでなくても(いえ、ないからこそ)人は、協力しあってゆかねばならないのでしょうよ。
人と人は、なぜコミュニケーションが可能であり、自分の気持ちが相手に届くのだろうか? 「私の考えていることは私しか分からない」という絶望の理論=唯我論をどのようにして超えて行くことが出来るのか?
古代の哲学者は、形而下の世界を離れ、イデアの世界へ飛翔せぬかぎり、コミュニケーションは不可能だと説いた。あるいは、神の存在によって、個々の人間は有意味化され、神の下で神の言葉によって、共通の道を歩んでゆけると説いた。近代に至って神は否定されたが、ラング(ソシュール)、共同主観性(現象学)、パラダイム(科学思想)等、何かしらの基盤を共有することによって人間のコミュニケーションは可能であると説いた。そして、ラングは絶対的なモノで無く、また複数の真理として成立しうるものであり、それぞれのラングには審級は存在しない(文化相対主義)と説いた。これは、20世紀の輝かしい到達点である。
しかし、ならばラングを共有しないもの同士(他者同士)はどのようにしてコミュニケーションするのか? これらのモデルからでは、他者とのコミュニケーションの可能性が否定されてしまう。他者とは分かりあえない。
今日、文化相対主義は批判的ディスクールとして認知されているらしい(いまは、多文化主義と言い直されるらしい)。「(絶対的)真理は存在しない」というディスクールは、結局、気分的に共有されて、新興宗教なんかにころりとだまされる脆弱な若者を生んだのかもしれない。しかし、それは、修行が足りんのじゃ!
たぶん人類の現在最後の思想としてあるのが、クリプケンシュタイン(ウィトゲンシュタイン=クリプキ)の言語像である。基盤がコミュニケーションを保証するのではなく、コミュニケーションがなされた瞬間に基盤(のようなもの)が見えるにすぎない。言明とは「暗闇の飛躍」である。コミュニケーションを保証するのは、言語が意味を内在するからではなく、それが(事後的に)適切と看做されうる場において使われるからにすぎない(場違いな場所で使われた言葉は意味を持たない)。
同様に、人の痛みが分るのは、「痛い!」と言いう言葉が、「人類に共通する普遍的な痛さ」を内在させているからでも、「痛み」を共有するなんらかの基盤が有るからでもない。また、「わたしの意識が持っている『痛み』」をモデルとして、それを相手の痛がっている姿を照らし合わせて判断しているのでもない。聞く者が自分がかつて受けた痛みにおいて相手のそれを想像的に重ねあわせるからに過ぎない。だから、痛さを味わったことの無い人間には人の痛みは想像出来ない。だから、「痛い!」と叫ぶことは、相手に届くかどうか分からない、「暗闇の飛躍」である。しかし、それが最も原初的なコミュニケーションのカタチである。相手が同じラングを共有しているかどうかは、分からないし、意味がない。
『漂流教室』に話題を戻そう。
決して、誰に対しても真っ直ぐには届かない、自己の存在価値。「むだじゃなかったねっ!」と咲子に言われた「みんなの死」……その生贄としての「死」は、個々にそれぞれの「我」を生きてゆくしかない者たちの、非超越的な協力の連鎖と言ってもいいだろう。安易で単純な犠牲の物語ではなく、個々人が個々人のままでしかないという、非超越的な存在のあり方。これは、人間が個人であることの限界ではなく、そこからはじめるしかないということ、つまり唯我論を超えてゆく地平なのだろうと思うのです。
本作が描いたのは死ぬことでなく、生きることだ、と先に書いた。これをもうすこし敷衍しておこう。
本作に対する批判がましい意見として、「高松君はあまりに理想的すぎる。人間味がない。」「小学生なのに、わがままでなく、立派すぎる」といったものがあるはずだ。わがままな子供や愚かな人間だけを描くという道もあっただろうが、楳図かずおの選択はそうではなかった。絶望的な極限状態において、それでも生きて行くことを選ぶ人間を描いたのが、『漂流教室』である。高松翔はその体現者である。人間らしくないとすれば、それはおそらく「超人」(F・ニーチェ)らしいのかもしれない。
まず、高松君以外の人間は、おおむね、いわゆる人間くさい。咲子の女の子性。西あゆみさんの神秘性。我猛君の学者っぽさ。先生たちの大人の常識。母親のあるしゅ狂気の母性。関谷のいやらしさ。わがままな児童たち。本作は、さまざまにじゅうぶんに「人間」を描いている。
大友君もまた、ある種、人間を超えているかもしれない。あるいは逆に徹底した「人間」の原理かもしれない。関谷のいやらしさ(強い時にはいばりちらす、弱くなると平気でへつらう、智恵もない)は、人間の不徹底さを体現しているが、大友君はその逆なのだ。いわば、子供において、こうした徹底は成就するといえるかもしれない。
大友君の原理は、算術的・合理的であり、現実主義的である。最大多数者による最大の幸福の原理である。助からないと判断した者に対しては、もはや救いの手をさしのべることはない。それを助けるために自らが遭難しては元も子もない、と考えるのだ。それは生き残るためであり、決して殺すためにやっているのではない。未来きのこ(結局食べなかったが)や人肉を食べようとするのも、生き残るためである。
この大友的原理と徹底して対立するのが、高松的な原理である。それは、理念的・理想主義的である。人間としてどうあるべきか。そういう理想的原理を確立している感じがする。人間主義的であるが、実際、高松君の判断が間違っていたことは最後までなかった(この点をもって、本作をアマイと評するものがいそうである。結局、主人公は間違えない、という安心感のもとで描かれているのだ、と。そして、主人公はたしかに最後まで死ぬことはない。しかし、ダイナマイト犯人が高松君かもしれないというラスト近くでのどんでん返しは、そうしたお約束を十分に裏切っているはずだ。そして、かれらはもとの世界へかえらず、この荒廃した未来で生きて行くことを選ぶという選択もまた、少年マンガのお約束を裏切って、新しい世界を切り開いているはずだ)。しかし、
このラストは、楳図自身も迷ったというような発言がある一方で、じつは最初から選択されていたものであった。その証拠は、いくつかある。
外的な証拠ではなく、作品内部の問題として、この結末は必然的だと思う。
二〇世紀の終わりに、なんらかの原因によって、人類は滅亡し地球は砂漠化したのだ。いまさら1972年にもどってみたところで、何になろう! 滅亡を防ぐべく、もとの世界にもどったあと、いろいろと努力するのか。それもよかろうし、小野田勇一はそうした道を歩んでくれるはずだ。また、勇ちゃんが消えた瞬間、荒廃した未来が緑にかわるかもしれない。
「楳図メモ」には、帰らない決断をするキッカケとして、「地球がぼくらにこたえてくれた」というフレーズがある。砂漠化した未来に漂流した翔たちは、ラスト近くになって地下水を見付け、地鳴りを聞き、「地球がぼくらにこたえてくれた」と感じるのである。このフレーズは、結局、本作には採用されなかった。本作では「ぼくたちは未来にまかれた種なんだ」になる。
本作は、高松翔たちの世界(荒廃した未来)と高松恵美子たちの世界(もとの世界)との間に繰り広げられる時間SFという側面がある。時間は、因果のセリー(連続性)に支配されている。壁からナイフが出てくるのは、その場所にあらかじめナイフを埋めていたからである。ミイラから薬が出てくるのは、それもあらかじめ仕込みえたからである。
因果のセリーという観点から見るならば、世界は一つの運命である。世界は、時間は、変更不可能な統一体である。タイムパラドクスとは、時間をさかのぼって、その因果を変えることを意味している。通常それは、タイムマシンのような装置が無ければなしえない。本作は、タイムマシン無しで、これを実現している。すなわち、二つの世界の同時性を仮構することによって。
○1999年度は、特別講師で博士課程二年(油画専攻)の久永くんがしゃべってくれました。ありがとう。
○2000年度用に、新たにページを作りました。久永君の特別講義も、援用しています。ありがとう。
何か(媒体)が何か(意味)を表現する(表す)構造
ぼくの一生のうちで、二度と忘れることのできない
あの信じられない一瞬を思う時、
どうしても、それまでの
ちょっとしたできごとの数々が
強い意味をもってうかびあがって
くるのです。
誰から誰に対する、何時の時点で語られたもの
なのであろうか。
母親に届かない言葉
なのである。母との唯一の連絡手段であった西あゆみの超能力も、多分、未来に生きる覚悟と同時に、もう涸渇してしまったのだろうと思う。母親との決別が、未来に生きる事の覚悟でもある。
いけにえの物語
わたし ほんとうに看護婦になったような 気持ちだったわ!!
わたし おとなになったら 看護婦になりたいと、いつも思っていたの……。
でも、こんな所へ来てしまって、もうだめだと思っていたの……。
でも、そうじゃなかったわ!ほんとうは逆だったのよ。
わたしは最後までがんばることに決めたわ!!
みんなの死は…………
むだじゃ…
むだじゃなかったねっ!
きっとくるわ!!
生きること、倫理としての。高松的原理と大友的原理
もとの世界へは帰らないという選択肢
同時性とタイムパラドクス