history.umezu.半魚文庫

初出と補筆の概説

うめず氏の生活

附 貸本マンガ概説

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  • 楳図氏の生活
  • 簡単な、楳図かずおの作家生活史。まだ、作成中。記述には特に根拠を示してないが、だいたいは[作品目録]に書いてあるはず。

    また、主要なインタビュー記事を掲げる。

    1. 『恐怖への招待』(高取英ほか編・河出書房 1988、文庫版 1996)
    2. 『ウメカニズム』小学館 1995
    3. 『まんだらけ』16号 1997
    4. 『ほう書月刊』弘隆社 5月号、6月号 1997

  • (附)貸本マンガ概説
  • (未定稿 2000-05-10)

    この印(※)は、「例外もある」という意味です。

    1. 定義として

      貸本屋用として作家が描き、それ専門の出版社が印刷・製本し、専用の流通が有り、され、貸本屋へ供給されたマンガ作品(※)。単純に、「貸本屋にあるマンガ」とは言えない。

    2. 貸本屋について

      江戸時代: 最も典型的な読書形態の一つ。荷い(配達)貸し中心。古書販売兼。新刊本と古書とで見料が違う。讀本・草双紙。明治に入って、翻訳物なども。代表に、池田屋清吉。江戸で50店舗くらいか。

      明治20年頃から: 東京の書生相手の商売になる。西洋の文明物中心で高度化。貸本目録も作成。閲覧・喫茶室、教習所まで備えるものもある。新本・古本とりまぜ、店貸し・配達の併用。保証金貸し制度。マンガなどは無い。代表的な店に東京のいろは屋貸本店(小林新造)。東京で200店舗くらいか。

      戦後: 「ネオ書房」(神戸の貸本屋)型の貸本屋の抬頭(1948年)。店貸し、新刊本の会員制信用貸し制度。1960年代中頃から衰退。最盛期で全国に30000〜20000軒あったという。大手出版社の書籍(小説)や雑誌もあり、貸本小説もあった。

      金沢の貸本屋。弘文堂。わかば書店。

    3. 貸本屋の出版と流通

      大手出版社・大手取次(トーハン・日販・日教販・中央社等)に対し、弱小(貸本用)出版社・同取次(特価本、ゾッキ本、新古本を扱う※)。

      大阪の松屋町、東京の御徒町・神田。

    4. 貸本マンガの同時代

      昭和20年代後半から始まり、30年代が全盛期(1955〜64年)。

      戦後直後、赤本マンガ、紙芝居。

      大手出版社の月刊誌。「少年クラブ」「少女クラブ」(講談社)、「漫画少年」(学童社)、「少年」(光文社)、「少年ブック」(集英社)、「少年画報」(少年画報社)。マンガより絵物語が中心。

      1959年、大手出版社の週刊誌「少年マガジン」「少年サンデー」

      1963年「少年キング」

      1967年 大手のコミックス単行本刊行へ参入。ダイヤモンドコミックス、サンコミ、コンパクトコミックス、キングコミックス、秋田サンデーコミックス等。

      1968年「少年ジャンプ」

    5. 形態的な特徴

      • 体裁

        B6丸背上製本(赤本以来)

        A5ソフトカバー(1960〜※)

        B6ソフトカバー(1965〜)

        新書版(1966?〜)

      • 本紙・印刷

        冒頭の4色カラー。薄墨。

        厚い紙で束をだす

        写植ネーム

      • 内容

        形式: 短編誌/単行本

        内容: 劇画(時代物含む)/陰々滅々怪談/継子もの/少女ファンション系/青春もの/学園もの(※)

      • その他

        ビニールカバー、紐の補強綴じ、店の判子。二番館、三番館制度があって、判子などを押さないところもあるらしい。

        版元からの販売もある。原画プレゼント。

    6. 貸本マンガと劇画

      辰巳ヨシヒロの命銘。『影』や『街』を中心に、リアルさ、現実の暗さなどを強調した。『少年マガジン』に路線が引き継がれたように見える(※)。現在は発展的に死語化。

      「劇画」は貸本マンガの代名詞のように見えるが、実際は、怪談系、お笑い系、少女系など、貸本マンガは多岐に渉る。

    7. 貸本屋の出版社と作家たち

      版元と作家は専属契約の関係にある(※)。いくつか出版社と作家を列記。

        日の丸文庫(阪) 影、 辰巳、さいとう、佐藤、水島、梅本、山上
        セントラル(名) 辰巳、さいとう、佐藤
        太平洋文庫(東)
        三洋社・第1期(東) 白土
        わかば書房(阪) 楳図
        三洋社・第2期(東) 楳図
        兎月書房(東) 水木、つげ、月宮美兎
        若木書房(東)
        金園社(東) 楳図
        東京トップ社(東) 楳図、さいとう
        東京漫画出版社(東)
        鶴書房(東) 藤子
        曙出版(東) 赤塚
        東考社 水木
        佐藤プロ
        ひばり書房(東) さが、
        立風書房(東)

      貸本マンガについて

      戦後の漫画は、赤本漫画、貸本漫画、月刊誌、週刊誌という風に推移してゆきます。貸本漫画と月刊誌の時代は、重なっています。この頃のが、その貸本漫画です。ながくみて、1950年くらいから1968年まで。最盛期は1955年から1965年の10年間。

      一般の小売書店と貸本屋とは、作家・版元・流通ともに別でした。貸本屋用の版元が有り、貸本屋用の流通組織(組織というほどでもないかも知れない)があったのです。作家も、大手に描けるマンガ家と貸本専門のマンガ家と立場が違う(マンガ家の版元専属制もあったため)。トキワ荘で青春を送ったひとたちは、だいぶ苦労したように見えますが、彼らは大手のマンガ家の超エリートです。

      まるで、書物問屋と草子屋ですよね。

      大手の作家は、月刊誌に描いていました。

      定義・分類としては、版元や作者によって厳然と区別出来るはずです。光伸書房(日の丸文庫とも。貸本から出てきた劇画の火付役の版元)などは貸本の版元。コダマプレスや朝日ソノラマは大手の出版社。白土三平、水木しげる、楳図かずおやさいとう・たかをなんかは貸本マンガ畑の出身。貸本マンガが壊滅したのち、かれらは大手に引抜かれてゆくが、転職してやめた作家が八割以上いるとか言われてます。

      貸本業界が壊滅したのち、昭和40年くらいに、日販・東販ら、日本の取次ぎ一元帝国主義が完成するようです。

      書型としても、B6ハードカバー、A5ハードカバー、A5ソフトカバーへと変ってゆきます。最初の8頁ほどが四色カラーで、あとはモノクロ。紙質は厚いぼったい。後期には新書判の貸本マンガも小数ながらなくもないです。

      内容的には、1作品のみを収めた「単行本」や、月刊誌の如く毎月出て三〜五人の作家の連載が読める「短編誌」とがあります。

    8. 参考文献


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