2012-07-10 (Tue)
形態書誌学、特に江戸時代の版本を扱う方法を、以下、超入門ながら記します。書誌学は、良く言えば奥が深く、悪く言えばトリビアルです。体系付けられることのない暗黙知であり、熟練の職人芸であるかのごとくです。「超入門」とは、その反対であり、版本書誌学のエッセンスを記しているという意味です。
えらそうで不穏当なタイトルは承知の上です。書誌学ってのは、だいたいえらそうなんですよ(笑)。
中野三敏『書誌学談義 江戸の版本』岩波書店・一九九五年刊
林望『書誌学の回廊』日本経済新聞社・一九九五・一九九五年刊(改題された文庫版がある)
この2冊をとりあえず用意する(読めばなおさら良いが、全部読んで理解する必要はいまのところ無い)。他の本は、必要ありません。他の本を悪く言うつもりではありませんが、最も重要なことはこの2著で尽きています。これ以前の日本書誌学の本は、版本よりも写本を中心にしています。これ以後の本は、この2著をより充実させたものです。また、この2著でさえ細部においてはかなり見解が異なりますから、初心者が他の本まで読んでもむしろ混乱するだけかもしれません。また、この2著でさえ読み切るのは難しいはずですから、以下、エッセンスを記す所以であります。
書誌学(形態書誌学)とは、本の物理的な状態を記述する学問です。物理的な状態とは、タテヨコの長さ、表紙の色、等のたしかに物理的だなと言えそうな事柄のほか、版式(印刷方法。活字板、整版、石版、活版など)、本文の組み方(1丁何行か等)、など本の形式に係わる事柄、あるいは制作年代や制作者など成立に関わる事柄、作者は誰かとか書名は何かとか、もはや内容に関わりそうな事柄まで含みます。これらはみな、まだ、本の外側・形式に関わる事柄なのです。これに対して、本の中に書かれた本文そのものや、本文の意味などが、形態書誌学の範囲を超えるものとなります(本文校訂、異本校合、注釈・考証、主題論など)。
挑発的な物言いで申し訳ないのですね。上記2著は、書誌学者のための専門書です。実際、図書館員や古書店員は、ここまで詳しい必要はじつはありません。しかし、実態は逆に、全く知らないというのが殆どでしょう。この間を埋める必要があります。
棒目録が作れれば良いのです。へんにマニアックである必要はありません。棒目録の勘所の例として、金沢美大付属図書館の絵手本目録のリストをあげておきます。(私が作ったものです)
絵手本DB(リンク先)
開くと、次のような感じで、簡単な書名リストが並びます。書名の次に書かれている事柄が、棒目録の項目です。簡単な記述でしょ。これが的確に書けるようになれば良いのです。以下の記事を読んだ後、このリストの項目が何を意味しているか、分るようになればOKです。
なお、この絵手本DBには、画像データとともに、より詳細な書誌もつけてあります。(それゆえ、刊記そのものや書肆連名などは、ここでは省略し、詳細な書誌に讓っています)為斎画式 初編 (いさいがしき しょへん) / 請求番号: 23
半紙本 一巻一冊
葛飾為斎・画
元治元(一八六四)年秋序一勇画譜 初編 (いちゆうがふ しょへん) / 請求番号: 21
半紙本 一冊
一勇斎国芳・画
弘化三年(一八四六)四月刊一蝶画譜 (いっちょうがふ) / 請求番号: 75
大本 上中下三巻三冊
英一蝶・画、鈴木鄰松・編
明和七(一七七〇)年正月刊
後修厳島絵馬鑑 初編 (いつくしまえまかがみ (1)しょへん) / 請求番号: 56
大本 五巻五冊
渡辺黄鵠・著、渡辺対岳ほか・縮図
天保三(一八三二)年刊
嘉永元(一八四八)年三月後印
手書きで書かれた本のことを写本(しゃほん)と言います。印刷されている本を版本(はんぽん)、あるいは刊本(かんぽん)と言います。写本と版本の区別が付きますか?
古今東西の知識に通じているTVでもよく見る某氏が、かつて平田篤胤の妖怪関係の写本を版本と見誤ったことがあります。また、TVのなんでも鑑定団では自己評価額50万円が3000円と鑑定され「これは印刷ですね」と言われることがあります。手書きか印刷かを見て区別できるようになるのが、まずは第一歩です。
版本において、書誌学的に最も重要な事柄は何でしょうか。書名の認定でしょうか、作者の認定でしょうか。違います。刊年がいつであるを認定することです。
これに関連して、刊(かん)・印(いん)・修(しゅう)の概念を理解しましょう。中野著のP267、林著のP197を読んでみてください。
難しいでしょうから改めて解説します。
まず、大前提として、版本の作られ方をかるく理解しておきます。版元は、筆耕(ひっこう)に本の版下を書かせます。そして、彫り師に頼んで本の全丁数分の版木を彫ってもらいます。版下を裏向きに貼った版木を彫るのです。次に、摺り師に頼んで紙に印刷してもらいます。最後に、表紙屋に頼んで帳合をとり綴じて表紙を付け本に仕立てて納品してもらいます。版木は基本的に保存しておきます。本がヒットしたら、また同じように本を増刷します。大ヒットして何回も印刷すれば、版木が摩耗してしまうかもしれません(だいたい1000部もすれば版木はかなり摩耗します)。版木を新たに作り直すには費用が掛かりますが、新たに版木を作り直してでも売れるような大ヒットのドル箱商品が開発できれば、お店は安泰です。版木は大事な財産なのです。近世、享保の改革以降は本屋同士が協定(株仲間)を作って、今で言う出版権が確立しています。他社が海賊版を作っているのを見付けたらすぐ町奉行所へ訴え出ることができるようになりました。出版権を板株(いたかぶ)と呼びます。本ごとに板株があるわけです(今日、著作物ごとに著作権があるのと同様です。ただし、「本ごとに」とは曖昧な表現です。板株は、正確に言えば、著作物ごとに存する権利ではなく、版木ごとに存する権利なのです)。そして、版木は版元同士で売買の対象ともなり、売買されれば板株も移動します。ただし、享保の改革以前は、海賊版も横行していますし、以後であっても様々な理由から、無くなるわけではありません。いずれにしても、版木は大切に保存されました。明治になれば株仲間も全くなくなりますし、著作権や出版権に関する法律も新しくなって、また明治二〇年を境に木版よりも活版が書籍印刷の主流になります。そのため、たきぎになってしまった版木も多かったでしょうが、でも、今日でも版木を見ることはできます。京都には多く、金沢でもけっこうあります。
なお、江戸時代、著作権(著者の権利)は、まるでありませんでした。著者は、潤筆料(原稿料)をもらうきりでした。
さて、本題に戻ります。
まず、刊・印を区別しましょう。最初に版木が作られることを「刊」と言います。本毎に、刊は原則一度しかありません。その版木から印刷されることを「印」と言います。これは何度もあり得ます。刊とほぼ時を同じくして最初に印刷され、その後必要におうじて増刷される、等です。
刊・印は、近代の書籍では、版(はん)・刷(さつ・すり)にほぼ対応しています。近代の本には初版初刷、初版第4刷、第2版第3刷、等々、奥付(おくづけ)に記してありますね。版は印刷原版を表し、初版以下原版に修正があれば順に数字を振っていきます。次に、それぞれの版に対して、印刷ロット(1回で印刷される1単位)を刷として、これまた順に番号を振っていきます。
江戸時代の版本は、刊年は、刊記や見返しに記してあることが多いです(刊記や見返しは、後述します)。それに比べて、印(刷)はどこにも明記されません。摺れば摺るほど版木が摩耗し版面は荒れるので、版本の版面の状態を見て、初印(刊とほぼ同時の最初の印)・早印(初印とは断定できないが、かなり状態の良い時期の印刷)・後印(だいぶあとの印刷、流布本)などと区別します。初印・早印・後刷の区別が出来るようになれば、初級は卒業です。
刊記(かんき)や見返し(みかえし)の話をしておきます。見返しとは、本の部位に関わる概念です。(本の耳とかノドとか、天地とか、部位に関わる概念・用語はほかにもありますね)。表紙の裏を見返しと言います。本には、前表紙の見返しと、後表紙の見返しとがありますが、東アジア(中国・朝鮮など)の版本の多くは、前表紙見返しに書名・作者名・版元名(時に刊年付きで)が記されることが多い。西洋の本が、扉(本文1頁目)に書名・作者名・版元名・刊年などを明記するのと対照的です。
日本の版本は、見返しにも版元名や刊年が記されることがありますが、むしろ、本の終わりのほうでこれが記されることが多いのです。本の終わりにあるので、これを「奥付」(おくづけ)と言います。奥付も、本来は本の部位に関わる概念でした。が、現代でもそうですが、奥付といえば「本のおしまいの方にある、刊年・刊行社などの情報」つまり形式に関わる概念になっています。
これに対して、刊記とは、本の刊行(刊年・刊行者)に関わる概念です。本の前にあろうが、後にあろうが、刊記は刊記でしょう。なお、本文と同じ丁にあるものを刊記と呼び、本文とは別に独立した丁にあるものを奥付と呼ぶ、という説は、由緒ある口伝か何かかとは思いますが、およそ論理的ではないし、また、近世の用語使用の実態に即したものでもない(はずで)、私は従うことができません。
刊記は、奥付とも言い、およそ本のおしまいのほうにある、刊年と刊行者(氏名と住所)の情報です。まず、本を手にしたら、これを見ます。それを全部メモするか、または記憶しておきます。
刊記が無い本は、無刊記(むかんき)、無刊記本といいます(なぜ無刊記なのか、理由はさまざまです)。刊記=奥付が無くとも、見返しに刊年が記してあれば、そのとおりに○○年刊とすれば良い。それらも無い場合でも、序文や跋文(ばつぶん。後書きのこと)に年記があることがあります。それを使って、○○年序(跋)刊とすることもできます。その年代よりは少なくとも後に出版されているわけですから。しかし、たとえば中国宋代の朱子が注を付けた『大学』を『大学章句』と言い、これは何種類も江戸時代に刊行されていますが、朱子の序文の年記をつかって淳煕己酉(1189)年刊などとしてはいけません。
「印」は、版面の状態から判断しますが、早い遅いの概念形成ができるまで経験を積む必要があり、初心者にはまず無理です。
「修」も同様に、初心者には無理です。そもそも、印も修も、同じ版木から作られた別の本を2つ以上見比べて初めて違いが分るものであって、一つの本をいくら見つめても分るはずはないのです。複数の同一本を見比べる経験を積んだ後にやっと、一つの本を見ただけで、初印・早印・後印や、修が分るようになるのです。修は、この1文字だけ後で入れ木(いれぎ。埋木・うめき、象嵌・木象嵌とも言う)をしたものだ、といったことです。入れ木をすると、文字の中心軸や印面の高さが微妙に違うので、プロは分るのです。
刊・印・修とくれば、実は「覆(ふく)」という概念も、理解しておいたほうが良い。すなわち、刊・印・修・覆と理解すべきです。覆とは覆刻(ふっこく)のことで、先述の版本の作られ方でいうところの、版木の彫り直しのことです。版木を彫り直す際、先にある版本をばらして版下とし、彫り直す方法を覆刻といいます。修があくまで同一の版木の一部を修正するのに対し、覆刻は、新たな版木セットを作るわけです。新たに作るのであれば、「刊」というべきなのですが、すでに存在している版から版木を作るので、そして見た目はそっくりなものとなるので、つまり同一物を再生するわけなので、これを特に覆刻と呼んでいます。かぶせぼり、とも言います。
以上、版本書誌学においては、版本の成立に関して、刊・印・修・覆という4つの階梯があります。これを概念的に理解しましょう。
そして、これを実践するにはどうするか。結論を言うと、刊記を見て、まずは刊年と刊行者を知る、ということです。印・修・覆は初心者にはすぐには分りませんから、しばらく経験を積みましょう。
刊行者について、すこし補足しておきます。刊記には、版元の名前と住所が記されていますが、これが複数並んでいる場合があります。それは、共同出版だと思ってください。つまり、出版費用を分担している関係だということです。しかし、実際は版元は連名のうちの一つで、ほかは販売しているだけだったりする場合もあります(これらは売り弘め書肆という)。この実態は、本それぞれに個別的であり、一概にどうだと即断はできません。
書誌として版元の連名を記す際の注意。版元の連名は、版元名を住所(国・土地名だけでも良い。著名な版元の細かい住所は既知の情報であるから)とともに全員明記するのが理想です。全員明記するのが無理なら、最後の書肆名だけ書き、「○○屋××兵衛ほか京阪四書肆」、「○○屋□□兵衛ほか全三都十書肆」などと書きます。三都といえば、京・江・坂、四都なら名古屋が加わります。これ以外の土地の場合は、逆に稀少で重要ですからはっきりと明記したほうが良い。
次に、刊記が二つ以上あることもあります。年記と刊行者とが二セットある。先に記したように、版木は版元間で売買されます(出版権も移動します)。新たな版元が出版する際、前に刊記も残したまま出版しているのですが、それも通例です。多くの場合、位置的に後にあるものが新しい、現在の版元です。
そして、刊記には入れ木があったり、削去(けずってしまう)があったりします。削去は、削去されていない別本を見て初めて分るものです。もちろん、プロは一本を見ただけでレイアウトの感じがおかしいと気付いたりしますが、それはあくまで推測にすぎず、削去されていない本を証拠に出さないかぎり、断定はできません。
最後に、版元の連名のある刊記があり、それしか無かったからと言って、即断はできません。他の別の版元が出している後刷である可能性もあります。細心の注意を払う必要はあります。が、しかし、ともかく、刊記があればそこに記された年記と版元名を書いておけばよいわけです。
刊・印・修にすっかり手間取ってしまいました。もっと簡単に解説するつもりだったのですが。(簡単に、刊・印・修は、近代の版・刷に対応する、と)。
次に重要なことは、やはり書名でしょうか。これは、比較的常識的な要求です。書名が分らない限り、その本の呼びようがありません。
版本の場合、書名は、あちこちに書かれていて、それがみな微妙に、あるいは大きく違ったりすることがあります。別名が多いのです。具体例は上掲二著に譲り、実践的な結論だけ言いましょう。本の中味の、序文や目次などを除き、本文が始まる前のところに書いてある書名を第一に優先すべきです。その位置には、下に著者名が書いてあることも多いはずです。ここが、書名として置かれる正式な位置です。これを巻首題(かんしゅだい)とか内題(ないだい)と呼びます。
この位置に書名が無い場合、次には、表紙にある外題(げだい)、見返しにある見返し題、目録(目次のこと)にあれば目録題、などから書名を取ります。
外題を第一に取るべきだ、という学者もいます。私は、内題を取るべきだと思います。
本に書名があるのは当然だ、と考えるのは間違いです。伊勢物語とか源氏物語とか呼び習わされている作品は、最初は書名はなかったのですから。書名は、本が商業的な対象、あるいは流通(売買のみならず貸借や交換)の対象となって初めて必要とされたのでしょう。しかし、江戸時代の版本は、もう書名があって当然と考えられた時代です。
著者名も同様で、いや、より一層無くてもかまわないものでした。作者未詳の著作も多い。だからこそ、内題(巻首題)に、書名と作者名がある時、それは独特の強い宣言なのだと理解すべきです。
作者の後に言葉が附く場合があります。山川太郎・著とか角村丸斎・編とかいうわけです。著(作者)、述(作者)、編(編者)、撰(編者)、校(校訂者。作者ではない)、補(補綴)、画(絵師)、など。これらの語も、著者名の一部として採録します。
これは、まさしく本の物理的な状態です。
紙は、江戸時代にすでに、半裁しても相似形になるように規格化されています。美濃紙(みのがみ)という系統と、半紙(はんし)という系統があります(半紙は全紙の半分です)。版本の多くは袋とじになっています。つまり、紙を半分に折るのです。美濃判半裁(現在のB5判以上くらい)を大本(おおほん)と言います(オオボンと濁る人もいます)。大本の半裁を中本(ちゅうほん。ちゅうぼん)といいます。半紙の半裁を半紙本(はんしぼん)と言います。半紙本の半裁を小本(こほん。こぼん)といいます。
では、美濃判・半紙判の大きさは?と言うと、現代のJISでA判、B判が決まっているようには、明確にきまっていません。紙の産地によって美濃判・半紙判の大きさは微妙にまちまちであり、本に仕立てる時でも、化粧断ちといって、本の天地を切りそろえますから、印(刷)によって、本の大きさがまちまちだったりします。
物差しで長さをはかり、それを表記するのが一番正確でしょう。しかし、それだとあまり意味がないのです。
本の大きさは、本のジャンルに対応しています。まず、大きい本ほど高価で立派です。仮名草子は大本が多いし、古い時代の物の本(もののほん。儒書、仏書、医書)も大本です。西鶴の浮世草子も大本です。しかし、西鶴没後により大衆化する浮世草子、たとえば八文字屋本は半紙本です。読本や談義本も半紙本です。師宣絵本は大本ですが、祐信絵本は半紙本です。中本や小本など小さい本は、安く安価でありますが、それは婦女子向けの場合と、ベストセラー化している場合と、2種類があります。婦女子向けというのは、草双紙(くさぞうし。具体的には、黒本・赤本・青本、黄表紙、合巻)や人情本がこれにあたります。江戸時代の中期以降は、儒書・仏書・医書などの物の本にも中本が続々と登場します。近代のレクラム文庫や岩波文庫などにも見られるように、名作こそが小さい本で販売されるのです。
書誌学というと、書名、作者名の次に、本を内容的に分類したがる人がいます。小説、物語、歴史書、歌書、儒書、仏書、等々のジャンル分けです。しかし、こうした分類は近代のものの見方にすぎず、確固たる分類根拠があるわけではありません。保元物語は物語でしょうか、歴史書でしょうか、軍記でしょうか。分類は読みと深く関わるものであり、書誌学のように読み(内容)を問題としない学問には主体的に分類を行う能力は無いと考えるべきです。それでも分類したいなら、江戸時代の人が分類したやりかたをそのまま踏襲するだけです。そして、本の大きさは、分類・ジャンルの反映の一形態なのです。
以上述べてきた本は、みな縦長の大きさです。横長の本もあります。横本と言います。半紙本を横に半裁した大きさの本や、半紙本三分の一、四分の一に裁断した横本などがあります。それぞれ、また、正方形の本もあります(枡形本・ますがたぼんといいます)。
実践的には、本を見て、大本・半紙本・中本・小本とに区別できるようになれば良いでしょう。横本は、ぱっとみてわかるはずです。それ以上、二つ切り横本、三つ切り横本とか、四つ切り横本などと言い方はありますが、特別には区別しません。
員数(いんずう)とは数のことです。
本は、一冊で完結しているものばかりではありません。村上春樹の小説は上下二冊セットが多いし、マンガ本でも『こち亀』二〇〇巻だとかありますね。最後の一冊が無いことに気付かず「揃い」などと書いて売ったら、非常に恥ずかしいわけです。あるいは詐欺です。近世の版本も同様で、全何巻で揃いなのか、見極めねばなりません。
まず、揃い本の場合、見返し題は一冊目にのみ、刊記は最後の冊にのみある、というのが普通です。これがまず指標になります。
もっと楽な調べ方は、岩波書店の『国書総目録』を引くことです(使い方は説明しませんが、実際に引いてみてください)。もっと楽なやり方は、国文学研究資料館のサイトにある『国書総目録』で検索してみることです。
本の数え方ですが、おおむね次のような法則があります。冊(物理的な冊数)、巻・編(内容的な分類)。巻や編は、そもそも本文や内題などに「巻の一」「巻の二」「上巻」とか、明記されています。巻でなく、編、集、輯などを使うこともあります。一つだけの場合には一巻・一編とことさら言わないと思われます。それに対して、冊は、あくまで、つづられた物理的な冊数です。
具体的には、一冊、上中下三巻一冊、五巻五冊などと記します。長編大作の『南総里見八犬伝』は全九輯一〇六冊で揃いです。全九輯という数にこだわりつつ、毎年五〜六冊くらいづつ出版し、完結までに二八年掛かってしまった結果、七輯と八輯はそれぞれ上下帙にわけて一〇冊くらいになり、九輯に至っては下帙下編之下とか、フラクタルな員数体系となっています(笑)。
版本とくに日本のそれ(和本)は、紙と木で作られた日本家屋がそうであるように、極めて軽微簡便です。西洋の家屋と書籍(接着剤、革装など)と比べてもよいでしょう。和本は、糊をほとんど使わず、紙縒(こより)と糸で綴じるだけです。誰でも補修が簡単にできます。糊をつかって裏打ちをすることもできますが、水に浸せば墨は流れず糊だけ流れ、元通りにもどります。何が言いたいかというと、和本は装丁しなおしが簡単なため、今手元にある状態が、作られた当時のままである保証はぜんぜん無い、ということです。員数の問題に関して言えば、五冊本を一冊に閉じ直す、等ということがあります。合綴(がってつ)する、といいます。即ち、五巻五冊合一冊です。
また、避けられず、欠本という事態はあります。端本(はほん)と言いますが、「五巻五冊のうち巻4のみ欠」とか「五巻五冊のうち二・三巻のみ存」などと書きます。
最初に述べたように、書誌学は極めてトリビアルであり、その意味ではきりがないのです。が、他方、なんのために書誌を取るのかを考えるときには、あまり細かくても意味がありません。
古本屋の目録に必要な、和本の情報は、まずは写真(書影)でしょうが、写真を全冊載せることはできません。よく、著者の詳しい解説などを載せている古書目録を見ますが、そんな情報は、書名が分ればこちらでも調べられます。よほどの特ダネでも無いかぎり、著者の解説なんてやめてほしいですね。本当に書くべき情報は、まずは、刊・印・修の情報であり、詳しい版元連名です。そのほか、虫食い(虫損・ちゅうそん)、書き入れの有無、などでしょう。これらを知らずに、美とか並とか言う人はいないでしょう。あとは、本の情報として、常識的に必要とされる、大きさ、員数、もちろん書名と著者名(とくに名の下の著・撰・編などの情報が重要)です。
これら今述べた項目は、古本目録に載せる云々の問題ではなく、どこまでも細かくなりがちな書誌に対して、むしろ最低限これをおさえておくことのほうがよっぽど重要、と言えることがらです。もちろん、概論ですから、細かい説明はかなり省いてあります。
書誌学というとトリビアルに、表紙の色やら文様やらが取沙汰されますが、一行の目録としては、そこまでは書きません。古本目録としては、表紙および題簽が後補である場合には、明記すべきでしょう。
本を売るさいには、欠丁の有無も調べるべきです。私は古本屋ではないが、それが商売の基本だそうです。誠心堂書店の古書目録は、店主・橋口先生のエッセイが載りますが、最新号(2012年4月、124号)に欠丁の話が載っていました。長沢規矩也氏は、一丁欠丁があると全丁数分の一の値引きを要求したそうです。一丁でも欠けていれば本としての価値はがた落ちのはずのところ、きわめて温情的ですね。
これらの、もっとも重要なエッセンスをまず是非理解してください。そうすれば、その後の書誌学の勉強も、理解しやすくなるはずです。そして、そのあとは、すきなだけトリビアルな世界に浸ればよいでしょう。
参考文献
上記二著のほか、次のものが今日では参考になり、また入手もしやすい。
古本屋の帳場の奥には、次の本がどんとおいてある。
版木や彫り・摺りに関して。
漢籍について
近世における本という現象を理解するために、または通常の書誌学を超えて、モノから現象を見出だすために。
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