最終更新日:1998-7-30
[解説]
またまた、オリエントに書いたエッセイの続編です。今回も写真はありません。
エドナのアーティクルについては、完全に対話拒絶型、だれもレスポンスを付けてくれませんでしたが、さすがに今回のだけは反応が有りました(ありがとう、maniさん)。自分で言うのもなんですが、体験が体験だけに臨場感があったのでしょう。
文中に、大家さんのことが書いてあります。僕の大家さんは、とてもいい人でした。家賃も安かった。7年くらい住んでたと思いますが、値上げも殆どなかった。引越す時、ぼくはエドナをニンチする意味でも(笑い)、正直に猫を飼っていたことを告げました。勿論ルール違反だったわけですけど、でも、フスマを見て「ありゃー」とは仰っしゃいましたが、敷金はそのまま返して貰いました。
「京伝風ミクロ・アニミズム」というフレーズが出てきますが、これはこの体験をもとに、僕が実感した山東京伝のエッセンスのようなものです、あはは。当ってると思うんだけどな。
[本文]
#2883/3336 オアシス−談話室−
★タイトル (GDJ85261) 93/ 9/18 3:42 (112)
ネズミの腐ったようなヤツ 半魚
★内容
先週の水曜の夜に、またもやエドナが獲物を加えてきた。げ〜、ネズミ。けっこうデカい。例によって、畳の上で一旦逃がしては弄んでいる。おれはいいかげん眠いし、触りたくない、見たくない。いやだな。ちゃんと殺せよ。
甘かった。エドナのバカがうかうかしてるうちに、ネズ公は、スチール棚の下に逃げ込んで仕舞った。逃げたものはしかたない。エドナのばーか。そういって兎に角おれは寝た。
翌日に田舎の母親から電話があって、ついでに話題がそのことになった。いまや白猫チロリンの母たるおれの母上は、ネズミは猫の居る家にじっとしてるハズないから、外に逃げるのではないか、と言っていた。 甘かった。月曜くらいに、部屋の中に蝿が居るのである。それも、ぴかぴかひかってるやつが。あれれ。しかしその時なんにも考えなかったおれもバカだった。
一昨日であった。なんとなく、エドナのオシッコのにおいがするのである。いずれにしても、トイレを置いてある近くが臭っていたのであった。しかし、この辺の詳細は割愛するが、エドナの室内トイレは奇麗だし、そこらにひっかけたりもしない。だいたい、二川さんがうちに来た時だって、ペットがいるのに臭くないねえ、と言ってたおられたのだ。トイレの固まる砂も、取り忘れもないが、とにかく砂を総入れかえして おいた。
しかし、まだ臭い。うむむ。なんとなく、いや〜な予感はしたが、それほど強いにおいでもなかったし、加えて僕は、ネズミの生命力のたくましさを信じていた。ネズミはいきのびて、外に逃げたのだ、と。
昨日の朝、やはりにおいがする。うむむ。以前スズメが死んでたのにしばらく気付かなかった時、スズメは腐らずにミイラになっていた。しかし、スズメは鳥類だし、ネズミは哺乳類だ。哺乳類は腐りやすいのだろう、などとあまり理由にもならんことを考えながら、とにかくおれはバイトに出かけた。夜帰ってきたら、ネズミの死骸を発見しなきゃならんぞ、と思いつつ。
六畳の部屋の西南に奥行き60cm、幅150cmのスチール棚があると想像してみてくれたまえ。ネズミはその下の隙間で死んでいるはずなのだ。キモチワルイぞ、こりゃあ。とにかく道具を準備しよう。玄関先にあった塩ビのパイプを無理矢理折って、1メートル強で、先をL字に曲げてやつで、棚の底を探った。手答えあり。うげ〜。全身が緊張する。
引っ張りだすと、電気のコードだった、がくっ。スタンドを持ってきて、照らして見た。ありゃりゃ、居ないのである。
スチール棚の左側に木の本棚があると想像してくれ。家の上下をわきまえない輩だとお思いの方に、予め言っておくが、本棚の前にネコのトイレがあるのではなく、ネコのトイレを置いてた場所に本棚を置かざるを得なかったのだ。
さて、恐らくそ本棚の下だろう。構造上こちらは手前からかき出せない。おれは、廣文庫と(さりげなく自慢)岩波大系をみんな出して、そっと本棚をずらした。
今思出しても吐き気がするし、涙が出そうになる。キャンディーズが歌っていたように、そこだけ若い畳の上に、黒くて、頭だけ残ってて、濡れつつ渦をまいたようになってる毛がうじゃうじゃと、しかも動いているのである。蛆が涌いているからなのだ。まあ万事到底直視出来る代物じゃあないのだよ。頭だけ残ってるってシチュエーションにも、参った。お顔は拝見しないようにした。落着け、落着け、落着けよ〜。とか思っても、視覚と嗅覚は完全にやられて仕舞っている。音まで聞えそう。
まずは死骸を取り除かねばならない。感触が手に伝わらないように、いろいろ考えた挙げ句、プラスチックの布団叩きで取る事にした。布団叩きがネズミにふれんとする瞬間のおれの顔をみせてやりたいよ。覚悟を決めて、ネズミを持ちあげた。そしたら、死骸の下から、蛆の大軍。はるかに予想を超えたすごさで、「蛆」なんて字では表現出来ない。
もう、蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆
蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆蛆とやって
も、まだ足りない。だって、みんな動いているのだもの。今思出しても、寒気がする。兎に角頭の中を空っぽにして、新聞紙にのせて、折畳み、スーパーの袋に入れた。
残ってる蛆は、まだ生きて動いている。ゼンドウ運動とかいうやつ。油断してるとどんどん拡散してゆく。あ〜キモチワリい。拾い集めるのが大変そうなのだ。割箸で一つづつ掴んでやろうか、などと自分で想像して、なおさらキモチワルくなった。田鼠死して腐乱する事、附リ蛆大いにわく事、京伝風のミクロアニミズム。近くにあった八木書店の出版目録の表紙破いて、ちりとりにし、布団叩きでころころみんな集めた。それで兎に角ゴミ置き場に捨ててきた。
畳はシミになってて、まだ臭い。消毒しないといかんなと思って、キッチンハイターでふいて見たが、塩素臭さが交じるだけで、なんかだめ。まあ、ヤマ場は越えたし、三畳のほうで、寝た。
今日は、六畳はほうっておいて、資料館にいって神田にいって、夜に帰宅。なんとか片付けなきゃいかんが、まだ臭いので、近所の薬屋にいった。消毒消臭関係のを探してると、レジの方で大家殿の声が聞えるので、理由もないが、慌てていったん店を出た。頃合見計らって、もう一度入ると、いつもの旦那は江戸前いや場所がら江戸越しで、へいいらっしゃい、なんにいたしやしょうとか言って来るから、頼るのはあなただけ、おれは素直に、ネズミが死んでる、と告げた。消毒ならクレゾールだが、これは下手するとこっちのほうが臭くなる。蛋白質だろうから、これではどうか、とペット用の消臭スプレー八百円を買ってきた。こんなんで大丈夫かなあ、とか思いつつ、ぷしゅ〜っとやってみると、おやまあ、臭いが無くなってくる。薬屋に礼を言いにゆこうかと思ったほどである。
しかしである。数時間たつと、やはりまた臭うのである。だからまだ六畳は片付かないのである。
昨日の段階で思った事がある。ネズミの死骸は悪臭を発し、自身の悪の居場所を顕在化させていた。悪の根拠は実体として存在し、実体化しているからこそ、見つけ易いし、取り除くのも実は容易である、と。古典的かつ典型的な実体論である。
今日の段階で思った事がある。複雑に構造化されたようなものでないからといって、甘く見てはいけないのだ。実体論の持つ強力な魔力は、根源が不在であるからこそその機能をまっとうする。そこに在る事がいかに確実であろうと、決してたどりつけない空虚な中心。不条理の城、或いは森に囲まれたミカドの宮殿。あゝ、未だ積みあげられたままの本たちも、その重力に傾いているのである。
などと気休めを思いつつ、布団もひけないほどに狭くなってる三畳間で、座布団だけでまたおれは寝るのである。げ〜;-<。まあ、棄てる覚悟だったプラスチックの布団叩きを洗ってまた続けて使う事にした程度に は、おれの気分は回復しているであるが。