dialogue.umezu.半魚文庫

ウメズ・ダイアローグ(3)

わたしは真悟
(その4)


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樫原かずみと高橋半魚の楳図対談です。この対談は、メールによって行なわれました。

対談期間: 2000-08-10〜09-03
2000(C)KASHIHARA Kazumi / TAKAHASHI hangyo
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● プログラム7[さとる]


◆ Apt :1 ふるさとへ帰る

半魚 ここから、最終章ですね。

 消えたと思ったまりんは消えておらず、真悟も変化したのはほんの一瞬で、奇跡のかけらを残して立ち去りますね。

樫原 ロビンはまっぷたつですね(笑)

半魚 つうか、胸にぽっかり……風通しがよくなってます。

樫原 そうでしたね(笑)裂けたような気がしてましたー(笑)

半魚 このカケラ、「口」の部分ですかね。

樫原 仮面のようでもありますね。確かに気味悪い(笑)

半魚 「ぞおーっ!」(船長)ですね。まりんまで、「ヒイッ」とか言ってますからね。この、まりんの「ヒイッ」と、あとのシンゴの記憶の中のまりんとの対面とは、実に大きな違いがありますね。

樫原 あ、ホントだ。かなり「美化」されてますね。真悟は想像力もたくましくなってしまったんだ。

半魚 なーるほどねえ。エルサレム以後は、シンゴはアクティブな動きよりも、精神的な活動に重点が置かれますねえ。

樫原 観念の世界にどっぷりと入った哲学者みたいです。

半魚 そして、まりんは総て思い出す。

樫原 日本に帰れるのかどうか、分からないままですね。お母さんはどうしたんでしょう?

半魚 まりんママ、もう終った人ですよ(笑)。

樫原 しかし、本当にまりんの「夢」だったんですね。核戦争も、死の灰も・・・。いや、これは真悟が神の領域になったときに全ての現実を元に戻しておいたという美紀ちゃんの方が真実性ありますね。

半魚 ちょっと待ってください。ここの核戦争と死の灰の解釈、まだ僕は判然としないんですよ。まりんの幻覚をシンゴが現実として認識してしまっているのは分るのですが、すべてがそうなのか、どうなのか。うーむ。

(そのほうが、いいのかな。シンゴにしてみると、まりんが大人になった段階で、核戦争の夢も消え、自分でもとにもどしておいたと理解している。それを美紀ちゃんに伝えた……と)

樫原 なるほど、空想と現実の間で判断がつかない状態・・・これは考えれば考えるほどのめり込む内容ですね。僕もじっくり考えてみよう。

半魚 難しい、ていうか、実に不可解ですね。

樫原 「まりん編」の最後の見開きのエルサレムの絵の遠景には砂漠ではなく、都市が残っていますよね。これが何かを示唆してはいないでしょうか?

半魚 ああ、そうだそうだ!ここを忘れてました。最初にエルサレムの神殿に着いたとき、ロビンが「神殿だけが壊されずに残っている!」と言ってますもんねえ。で、実際は、神殿の他の町並みは、全く破壊なんかされてない。

 そうなると、やはり、まりん&シンゴの不安と恐怖が共同で作り上げた幻覚世界だったのですね。あー、なっとく。

樫原 もしくは、元に戻したというべきか・・・。(しかし、エルサレム宮殿の屋根は穴が空いてるんですよね)

半魚 「元に戻した」ってのは、シンゴの「勘違い」(?)で、それを美紀ちゃんがそのまま受取ったってだけではないかな、と思います。ともあれ、宮殿の屋根に穴が空いて、ロビンが死んだのは現実でしょう。

樫原 しかし、シンゴは神の領域に踏み込み確かにまりんの想像どおりにやたらと世界各地で「奇蹟」を起こしてますよねえ。死者が甦り、核ミサイルがあちゃこちゃにブチこまれたり・・・。・・・これも「まりん」の想像からかな?

半魚 まあ、それら全体をどう考えるか、ですよねえ。

樫原 そう、ですね。「まりん編」あたりからは想像を絶する楳図ワールドが広がってます。

 「現実」と「空想」がごっちゃになってしまった作品にしたかったのでは?なんてことも思いました。「エルム街の悪夢」みたく・・・「神左悪魔右」では、これがそのまま参考になってましたもんね。

半魚 「エルム街」や「神の左手」は、まだ、ごっちゃになっても区切りってものがあって、キチンと階層が分れてましたよ。階層が、どこまで掘り下げられるのが分からなくて、「おいおい、そんなエンディングでいいのかよ」ってところが、恐い。でも、『真悟』は、そもそも階層の区切りが実にややこしいですよ。

樫原 うーん、確かに「夢」と「想像」の違いはありますね。どこかに「妄想」だとまたは「現実」だと思えるコマが落ちてないものかな?(笑)

半魚 裏庭のシェルターに入って、爆発があり、ロビンによってそれをまりんは核爆発を思ってしまう。まりんの驚いた顔の見開き頁がありますよね。これとほぼ同時に、さとるを思い出す。この部分は、『洗礼』のまつ子的な、「正気と思っている時が、一番の狂気」という発想がありませんか。つまり、ともかく現状から逃れたい。そのため、さとる即ち幸福だった頃を思い出すことと、現実が核投下後の世界であると錯覚することとが一緒になる。で、驚いた見開きの頁から、エルサレムで「わたし、さとる君と別れてから、ずっと夢を見ていたのだわ」までは、逃避幻想の「まりんワールド」である。たんぽぽを死の灰と思ったり、砂漠が拡がってると思ったり。砂漠の絵が出てきますが、現実にはそうではない。で、まりんが起きている間は、ロビンまでもその認識下で行動してしまう。シンゴは、まりんの認識と現実とが齟齬している事に気づくが、母であるまりんの認識に従って行動してします。そして、この段階ではマルになったとは言え未だ「愚かなキカイ」であり、まりんに群がる毒を排除するためになんでも傷付けてしまい、核兵器まで飛ばしてしまう。しかし、ここも、ほんとうに核兵器まで飛ばしたのか、「まりんワールド」の中でシンゴ自体の認識がおかしくなっているのか、ちょっとよく分かりませんが、ともかく、実際のところは揺らいでいるように思います。

 それと、「まりんワールド」の中で、まりんは砂漠上での機関銃の音をシンゴの声として聞いてる場面がありますね。これはあとで「子供が訪ねてくるはずがない」と言ってますから、実際にまりんの耳に届いているのですね。まりんは、その意味と実態をよく分かってませんが。

樫原 ふむー。ここまで聞いてふと思ったのはやはり、洗礼のそれと同様、どこかで「狂気の連鎖」が起きていたのかも?という疑念ですね。

半魚 ふむふむ、そうですね。「連鎖」ですね。

樫原 「シンゴ」の存在は「子供」の狂気が作り上げた「産物」であり、その狂気に触れた者は「シンゴ」を見た気になる。そもそもが「さとる」と「まりん」の子供(大人になることへの畏怖)の狂気が「シンゴ」というモノを作ってしまった。

半魚 はいはい。でも、「シンゴ」はあくまで実在してますよね。でもまあ、「狂気」は言い過ぎとしても、大人への漠然とした恐れが、奇異な結婚という形態を生み、ついでシンゴを生んだとは言えますね。

樫原 ふむ。

 子供同士ならその狂気の連鎖を素直に受け止めることができるからしずかちゃんや、美紀ちゃん、さんちゃんなどは「シンゴ」を認識できていた。大人たちは認識の外に置いている!それはすなわち「理解できないモノ」であり「恐怖をもたらす危険なモノ」としてしか映らない。

 ところが、ここで楳図は先に行き、その狂気の産物にまでも「意志」をもたせてしまった!

半魚 いやいや、それじゃあ、「シンゴ」が実在していることと齟齬しませんか。

樫原 存在はしているけど、子供にしか分からない、という「存在」でしょうか?大人は、未知の存在そのものを否定するようになっている、という・・・。

 うーん・・・確かに指摘の通りです。(難しいっスね〜)

半魚 難しくて、しかも微妙なとこですが、子供にしか分からない存在ってのは、当たってますよね。

樫原 意志が「まりん」や「さとる」の考えに反応してさまざまな奇蹟を起こす・・・。結局それは「悲劇」たりうるものであったり「感動」を呼ぶものであり・・・。

半魚 まあ、それは、仰しゃる通りですけどね。

樫原 で、ここで「狂気の衰退」が「まりん編」以後扱われているような気がします。「まりん」が大人になる、「さとる」も否が応でも子供との決別が来る。それに呼応するように「シンゴ」の「意志」も衰退してゆく・・・。

半魚 はあ、なるほど。

樫原 (と、まあ、ここまで書いてふと、「シンゴ」って仮想空間に生きている「ゲームソフト」に似てるかなあ、なんて個人的見解です)

半魚 やあ、まあ。ちょっと説得力ありますねえ(笑)。実在しているってことと、意識を持ってるってこととは、思えば、別なことですねえ。意識という独自なモノを持った段階で、それは実在ですね。

樫原 バーチャルが呼び起こす「さまざまな悲喜劇」を楳図かずおがこの時代に考えていたとしたら、今まさに大なり小なり、この「仮想空間の恐怖」は全世界を締め付けていますよねえ。「こんなにも子供を夢中にさせるものは何だろう?」というセリフ・・・。

 これは、今の「仮想空間」への畏れを表しているような気がします。

半魚 うーん(笑)。絶対納得はしないんだけど、でも、ちょっと説得力ありますなあ。そのオオタナオヤのセリフ……。

樫原 楳図の疑問だったのかもしれませんね。テレビゲームに明け暮れる当時の子供への・・・。

半魚 で、さとるやまりんの「子供から大人へ」という段階と、シンゴの成長と衰退とが、呼応しているってのも、たしかに、ちょっとありなのかな、と思いました。「シンゴ」が意識を持った段階で、もう別のものだと思い込んでましたから、いままで気づかなかったです。

 とは言え、やっぱり、シンゴはさとるやまりんや他の子供たちとは別に実在して、独自の意識を持った存在ですよ。それがやっぱ、大前提だと思うんですけどねえ。

樫原 はい。その存在を信じるか信じないかで、子供と大人の違いが分かるという・・・。(今日はアタマが回っていまへん〜、すみませえん)

半魚 たしかに、まあ、あの現実の中の登場人物として自分がいた場合、そんなキカイが自ら意識を持って動いてる、なんてラチも無いヨタを話を、僕も信じないでしょうねえ。それじゃまるっきり、口裂け女か人面犬ですからね。

樫原 ああ、そうか大人にはそういう感覚で子供には切実な悩み・・・。そういうことかもしれませんねえ。こういうトコでは子供はまだ純真な存在ですよねえ。

半魚 それとまあ、ここでの「大人になんか、なりたくなかった!」は、泣けますねえ。

樫原 これは、ある意味「子供の狂気」から解き放たれる瞬間の断末魔なのでしょうか?

半魚 うーむ。

 このまま、舞台は「新潟」になりますね。

 この雑踏の風景もすごいですね。ヤケにリアルで、これは「イアラ」以来の描写力ですね。

樫原 生活感、あるんですよね。ご本人は生活感あまりないようだけど(笑)

半魚 ぶははは(爆笑)。

樫原 楳図先生は「ウメカニズム」のインタビューでも「恋愛?眼中にない!」なんて言ってましたが・・・ホント飄々としていてつかみどころないですねえ。僕もそう言えるようにがんばろう!

半魚 あはは。

 ともかく、依怙地なほどにリアルな看板の風景とか、楳図作品の面白いところですよ。

樫原 そうですね。どの作品にも必ず看板にはなにがしかの名前がありますね。

半魚 こういう看板の文字まで拾った、『楳図かずお作品辞典』を作ろうと、ちょっと前に思ってたんですけどねえ。

樫原 ははは!それいいですね!みなさん、確認しながら読み直すこと請け合います。

半魚 なかなか根気がつづきません(笑)。

樫原 僕もお手伝いしますよ(笑)

半魚 大々的にやりますか?(笑)。

樫原 何年かかりますかねえ?(笑)やるのなら「分担作業」ですね。(にやり)

半魚 「家賃が3ヵ月溜まっている」ということは、引越してからすでに3ヵ月以上経っているということですよね。季節がいつか分かりませんが、常識的な判断で言えば、翌年の春、つまりさとるはもう中学生になってる感じだと思います。

樫原 ふむー、そうですね。まだ小学生みたいですね(笑)

半魚 そうなんですよ、まだ小学生じゃないとつまらない。でも、夏休みが明けて3ヵ月過ぎと言えば、もう12月か1月ですよ。新潟だったら普通もう雪が降ってるのです(笑)。

樫原 ははは!手きびしい〜。

半魚 あらら、よく読んだら、「台風が来る」って設定ですよね。だったら、秋ですよ(翌年の)。

『スピリッツ』連載時の「前号までのあらすじ」なんかでは、「萩小学校五年生のさとるは……」とか書いてあるのですが、いままでずっと誤植か勘違いかと思ってましたが、六年生じゃなくて五年生なのかもね。

樫原 おとうさん、よっぱらって寝小便してます。(かなり酩酊状態です)関係ないけど・・・。

半魚 そうですね、一升瓶もって。このキャラは、図像的にも、立派な男性像ではなくて、アタマわりー(笑)って感じのキャラクターですね。

樫原 (笑)楳図の最後のダメな男像・・・。

半魚 「ファミコンフェア」が笑えます。

樫原 今なら「プレステU」ですか?何気に「時代」が見えるのも醍醐味ですよね。

半魚 さとるが乗るのは、外見は新幹線みたいだけど、中は普通の特急列車みたいな感じですね。新潟から東京まで行くのは、1982年の開業以来、新幹線か急行(特急じゃなく)しかありませんが、新幹線だと1万円近くかかります。

樫原 けっこう鉄道マニヤですね?(笑)

半魚 いやいや、そういんじゃなくて(笑い)。新潟は僕の生れ育ったとこですから。

樫原 あーなるほど、なるほど。

◆ Apt :2 老人ホーム

半魚 シンゴ、帰りは飛行機なんですね。

 このおばあちゃん、名前がわかりませんね。

樫原 ここでは、楳図ならではのドキドキハラハラの見事なコマの流れが見られますね。おばあちゃんが機械にはさまってもうダメかぁ?と思いきや、という。

半魚 全体的にスローで進んでいるのに、コンセントを差す瞬間は、流れが早いのですね。

樫原 このテの「あああっ!」は僕が知っている限りでは「赤んぼう少女」でギロチンに手を切られそうになる葉子さんが最初のような気がします・・・が?

半魚 ああ、なるほど。あれに似てるのか。

樫原 この後、もう一度この流れが出てきますね。

半魚 (これ、すいません。意味わかりません)

樫原 (あは、すみません)

旧まりん邸で、扇風機(天井付きの)がしずかちゃんをめがけて落ちてくるという「あの流れ」が、まったく同じ感じで進められてます。

半魚 ほんの一瞬を、やたらコマ割りするのは、楳図先生ならではですね。

樫原 それでいて、おいしい場面で、見てる方はドキドキものなんですよね。

半魚 この細かいコマの割り方については、楳図自身がその由来を明確に述べてました。「マンガ夜話」で夏目房之介が「下手なレゲエ」とか「貸本マンガ」とか言って、なんだかみんなそんな説明で納得してしまったような気になってますが、楳図先生本人の説明をきちんと聴くべきです。で、細かい割り方は、

酒井七馬の影響で、

楳図はこれを「映画的」と認識しており、また、小さい四段割りは読者の視線を一定させるためだ、と言っていました(『まんが劇画ゼミ』(6)ギャグ編)。

樫原 なーるほど!これは初耳です。酒井七馬という方は知りませんが「映画的」ってのは当たってるなあ!と思いました。確かにフィルム的ですね。

半魚 ただまあ単純に、「細かく割ってるから映画的」と言えるものか、僕は疑問なんですけどねえ。手塚のが「映画的」って言われるのとは本質的に違いますよね。

樫原 4段割りというのは今のマンガ家さんは使ってる人の方が少なくなってきているんでしょうが、この特徴は短編でもこの割合で描いていけば中篇クラスのも描けるぞ〜みたいな(笑)1頁平均6コマとしてこの倍のコマが納まるんですからねえ。マンガってやっぱかけひきがあるようで面白い!

半魚 ふーむ、実作者ならではの御感想ですね。

樫原 子供と老人に対しての楳図かずおのコメントが、「ウメカニズム」(?)にありましたよね。テーマに添っての本領発揮、羨ましいです。

半魚 どんなコメントでしたっけ?

樫原 んーと、確か子供の顔は単純で描きやすいけど、老人はシワを描かなきゃならないから面白い!といった類のものでした。「Rojin」という作品はそれが如実で表れてましたねえ。

半魚 そんな発言がありましたか。

樫原 ええ、これって僕も面白い発想だなーって思えました。絵を描くときに人間で一番難しいのは、やはり子供と老人ですね。

半魚 なるほどねえ。

 ところで、このおばあちゃんは、シンゴの声が聞こえる人なのですね。

樫原 これは、理解者というべきなのか?美紀ちゃんと同じ超能力者というべきなのか?

半魚 超能力ってほどじゃないけど、老人であることは子供に近づいているという思想とも言えますね。理解者なんでしょうねえ。

樫原 そうでしょうね。きっと。それでも長い年月の経験から「もしや、あれは神?」と言ったおばあちゃんはやはり老人ならではの言動のような気がします。子供だったら、「?」で終わっているか、「奇蹟」だとか言いそうですよね。

半魚 なるほどね。「なむあみだぶつ」と言わなかっただけ、このおばあちゃんはエライです。

樫原 ははは!まだ若い証拠かな?

 ・・・あの船長は「ナミアムダブツ」でしたねえ(笑)

半魚 「なむあみだぶつ」を言う登場人物は、結構多いですね。

樫原 そうですか・・・そういえば「神の左手」もありましたねえ。

半魚 「猫目小僧」だかなんだか、もうちょっと古いところでも言ってますよね。

樫原 あ、そんなのありました?今寝る前に「ねこ目小僧」読んでます(笑)

半魚 キカイがキカイ(元)をいじめています。追う者から追われる者になってしまったという感じですかね。

樫原 このあたりの描写は、かわいそうな感じがしました。周囲と違うから迫害される。「いじめ」の構図を見ているようで。

半魚 たしかにかわいそうです。ただまあ、今日的な「いじめ」じゃなくて、「棄てられた王様」みたいな、凋落してしまった貴種といような感じですかね。

樫原 うーん、なかなか良い表現ですね。やっかみからくるイジメかあ・・・。

◆ Apt :3 奇跡が生まれる

半魚 この章は、初出だと「奇跡が始まる」という章題でした。

樫原 あ、これも変えているんですね。

半魚 ここから、受難と自己犠牲という救世主の物語ですかねえ。

樫原 んー、愛は盲目といった感じでしょうか(笑)

半魚 愛ですね。で、一対一の愛情というより、「シンゴそれ自体が愛の塊、もうふりまくしかない」みたない感じですよ。

樫原 ふりまきすぎて、パワーなくなっちゃったのね?みたいな(笑)

半魚 あはは。

◆ Apt :4 出会いの少年

半魚 サトル、ワタシハイマモアナタガスキデス。マリン

「許してください!わたしは聞くことのできなかった母の返事をあなたに届けます!!」

ですよ。もう、すごいです。

樫原 これは、真悟が「捏造」してしまったというコトなんですよね。「ウソも優しさの内」という感じなのでしょうか?

半魚 まあ、「ウソも優しさ」ですね。それでまあ、「ウソ」や「悪」の本質的な存在様態とも言えますなあ。そもそも、真実しか語らない人間は、自分の責任を自分で負うのではなく、真理(なるもの)に託しているともいえますよね。逆に、ウソをつくってことはその責任を自分でかぶることでもあるわけです。たんなるデマカセやその場しのぎのウソならなおのこと、罪を自分でかぶるしかない。そうではなく、相手のためだと思ってのウソであっても、その善意を保証してくれるものは何一つない。自分がかぶるしかないわけです。そういう存在としてシンゴは自分を屹立させているのですねえ。そして、このウソこそ、シンゴの最後に得た感情なわけですよね。

樫原 ふむー。善以前の「人間」としての本来の姿を学び取った、という感じでしょうか?(尤も今の時代は人間のあるべき姿ってのも意識変容してますけどねえ)

半魚 「神無き時代の人間」というか、神は善悪の基準と言ってもいい。で、シンゴ自身が神だったわけで、その頂点を過ぎてしまって、自ら神を失ってしまっているのですねえ。

樫原 「平家物語」の冒頭みたいですね。諸行無常みたいな・・・(笑)

半魚 あるいは、信じる事の楽園を追われたアダムとイブとでもいいますか(笑)。

樫原 おお!失楽園ですね!うーん、これが楳図の世界観かなぁ?

半魚 かなぁ?(自分で言っといて)。

樫原 ちょっと、ニュアンス的には違うかな?(笑)

半魚 すいません(笑)。

 いえ、アダムとイブは、自分の力で生きていかなくてはならない、それが人間だ、ってことが言いたかったのです。ウソをつくのは人間らしい、と。で、ヒトになって以来、シンゴは神から人間になったんじゃないかなあ(昨日と今日とで意見が違う。笑い)。まあ、奇蹟を起こしまくりますから、人間も兼ねた神というか。

樫原 ギリシャ神話時代みたいですね(笑)

半魚 んー(笑)。

 「たけし」ですね。「C・E(システム・エンジニア)」は、S・Eに直しても良いんじゃないですかね。

樫原 ははは!そうですね。

 もう、この頃から「イジメ」はかなり深刻な問題として扱われていたのでしょうか?

半魚 1980年代前半の学校問題は、校内暴力でしたね。後半くらいから、登校拒否(いまは不登校という)とイジメが顕在化してきましたね。

樫原 なるほど、じゃあ的確に時代をなぞられていたのですね。しかし、あの「クソを顔にぬりつける少年」手づかみでおまえの方が汚いぞ〜!みたいな(笑)

半魚 ぶははは。ほんと、その通りです。

 天使から野獣になってしまいますね。

樫原 「てめーら、どうなるか覚悟しとけよ」ですよね。

半魚 そうそう。

樫原 僕もこれが人間の本来あるべき姿だと思ったりしました(笑)(こういう言い方悪いのかなあ・・・)

半魚 あはは。でも、そうじゃないでしょう(笑)。やっぱりここは、いまだに「愚かなキカイ」の面があると考えるべきではないですかねえ。

 でも、そうでもないのかな。

樫原 難しいトコですよね(笑)

半魚 うん、ほんと難しいとこです。

 (「人間になったシンゴ」と考えると、「愚かなキカイ」では説明がつかんなあ。)

樫原 でも、ここでシンゴは「情動」というものを認識しているってことですよね。まあ、ハムラビ法典ではないけど「目には目を」の考えが息づいていますね。これは、どこから得たんだろう?

半魚 「目には目を」ですかねえ。もっと無自覚なような、気がしませんか。余計なお節介、に近いというか。

樫原 (爆笑)シンゴ単なるおせっかいやきだったのか〜?

半魚 ていうか、ギョーだってことですよ。

樫原 はははは!「心」しかもたない存在ですね?

◆ Apt :5 友だちに会える

半魚 やっぱり、さとるは「日本人の意識」に付けられてますね。

樫原 うふー、これで引越しの時にいた「謎の影」が明らかになりましたね。

◆ Apt :6 蘇る友だち

半魚 美紀ちゃんが登場しますね。

 先日、『スピリッツ』でしか「わたしは真悟」を読んでなかった友達と話をしたのですが、美紀ちゃんを「たんすの中の子」と呼んでいました。「真悟」は、じっくり読んで全体を理解してしまうと、美紀ちゃんなどとキチンとネーミングしてしまうけど、バラバラにしか読んでないと、やっぱり「たんすの中の子」ですよね。『少女フレンド』期以来の、狂気・恐怖の設定ですよ。

樫原 うーん、言いえて妙です。僕らは楳図作品に堪能しすぎているせいか、すんなりと受け入れてしまう内容なのでしょうが、初めて見る人には「怖い」イメージがつきまとうでしょうねえ・・・。

半魚 奇妙なイメージと(笑)。

樫原 はは、「?」の世界ですね。

半魚 この美紀ちゃんについては、プロット的に破綻してるのでしょうかね?

樫原 どうなんでしょう(笑)

 美少女として登場させること自体、本来は考慮してなかったような気がするんですが・・・。

半魚 なるほど。

ともかく、居るかと思った無菌テントには居ず、「もう死んでしまった」と言いながら、たんすに隠していたりと、あの松浦夫婦の行動はちとわかりませんよ。『おろち』の「鍵」の夫婦とどっちが残酷かなあ。

樫原 うはは!「鍵」が出ましたね!そういえばシチュエーションはまんま「鍵」ですよね、これ。

半魚 さしずめ、しずかちゃんが「うそつき」(わたなべひろゆき)ですね(笑)。

樫原 某有名人と同名だったんですねー(笑)

半魚 「ファイトー!」「いっぱーつ!」ですよ。

樫原 日常生活をはみ出した人間は、「陰」の場合はこれを隠しつづける、という日本人古来の意識の表れか〜?

半魚 ふーむ。日常生活の中でも、「陰」の場合には隠しつづけてませんか?

樫原 はは、確かに。楳図作品にはこのテの「陰」にせまる隠し事がやがて破綻へとつながるのですよねえ。

半魚 そうですね。加えて、秘め事が秘められたままおわる、って話も結構ありますよね。自分の秘密を、結局だれにも理解してもらえない、というような。ほんとは、暴かれたいんですよ。

樫原 ああっ、それも分かる!(笑) 凡人には理解できない事象ってコトですよね。「見解の相違」ってのが色濃く楳図ワールドを覆ってますねえ。そうして見れば・・・。

半魚 楳図世界の根本は「視点の変化」、これに尽きるでしょう!『愛の方程式』の世界ですね。

樫原 昨日、その作品もチラと読んでおりました(笑)。見事な展開と、30才の色気のあるおばさん(もはや僕からはおねえさんですが)いいです(笑)。しかし、30才のおばさんパンティを嗅ぐのはやめましょう(笑)。

半魚 あはは。

樫原 むしろ「神左悪魔右」(はしょりました)の

「ますみ」のようなグロテスクなもの

の方が受けたとも思えたりします(笑)。「同類相憐れむ」みたいな・・・・。

半魚 あはは、あの宇宙人ね。でもまあ、最初は「ますみ」級のゲテモノなわけですよね、美紀ちゃんも。だから十分「相憐れんだ」んじゃないですか(笑)。で、シンゴよりグロな形態だったら、主役を食っちゃうからいけませんよ。

樫原 わはは!真悟よりも少し落ちるという準主役ってことで活躍させれば、また別の展開があるのでしょうねえ。

半魚 いやあ、やっぱりここは、美少女に出てきて欲しいなあ(まりん、僕はイマイチだし)。

樫原 もう、この頃からは楳図に「美少女」は期待してなかったっけなあ。昔の絵柄なら、かなり期待してでしょうけどねえ・・・。

半魚 たぶん、もう少し若い読者なら、80年代の楳図美少女が好きなんだろうと思いますよ。ぼくや樫原さんは、やっぱり70年代の美少女ですかね(笑)。

樫原 80年代というと・・・ピョンコちゃん?

半魚 ピョンコちゃんは、70年代でしょう。80年代だと、小川リマとかじゃないですかね。

樫原 「どうだっ!きれいだろう?」

半魚 こういう無神経な事を言うオトナ、実に巧みに描きますね。

樫原 ブスな女子高生がしっかりそのことにコメントしてましたね(笑)

 ちなみにあの「小川りま」って目の光るとこが二つありましたでしょう?楳図のローマ紀行でそこの悪魔の石像に二つ瞳孔があるんだーって感心してたから、これそのときの影響なんだなーって思いましたね(笑)

半魚 瞳孔が二つある目は、重瞳と言って、中国なんかの故事では非凡な人を言うようですね。善でも悪でも。

樫原 へえ、初耳でした。そうなんだ。ローマから中国まで首尾一貫して、「恐怖」の源泉はこんなトコに眠っているんですねえ。

半魚 なーるほど。

樫原 突然、個人的な考えですが、「民俗学」からその地方地方の昔話や伝説をマンガにするってのもかなり面白いかなあって思ったりしてます。

半魚 そういえば、楳図作品で「寝たきりの子供」って、どのくらいいましたっけ?「おろち」「鍵」の子、「黒い絵本」の「ももちゃん」でしょう。「猫目小僧」の「ともだち」の子供でしょう。

樫原 「うろこの顔」のお姉ちゃんでしょ?「丘の上の少女」(笑)あと思い出せません。

半魚 「丘の上の少女」ときましたか。「よくない部屋」……これは反則かな。あと、「百本めの針」はどうだったかな。

樫原 んー、目が不自由とか、何らかの障害を持っている主人公が活躍っての、けっこうありますよね。

半魚 多いですよ、けっこう。

樫原 題材にしやすいんでしょうねえ。僕は車椅子とか、松葉杖の絵が描けないから・・・(笑)

半魚 ははは。

 シンゴの描いたドアの数字、すごくいいですね。

樫原 「自分史」を書いて確認してるんですよね。もう気分は「おじいさん」なんでしょうかねえ。

半魚 言われて気付きましたが、シンゴの場合、老化ということと無縁ですね。『アルジャーノンに花束を』や『14歳』のチキンジョージみたいな、急激に進化して急激に衰える。

樫原 そうそう。人間のような老い方ではないですよね。僕が今かなり興味を持っているのが「寿命」なんですよ。

半魚 なんすか、それ。

樫原 人間は80年、ところが猫や犬は長くて20年くらい、セミなんて7日だし、カゲロウはたった1日でしょ?

半魚 はいはい。

樫原 この「時」の観念を考えるときに、人間以外の感覚で見たときにどういうスピードなんだろうなあって・・・。瞬きの間が一生・・って感覚、僕は好きなんですね。

半魚 ああ、なるほどね。牽牛織女の七夕の逢瀬は、宇宙規模の時間で考えるとひっきりなしに逢ってることになる、とか、そういう時間の問題ね(ぜんぜん違う)。

樫原 (笑)チェーストーーッ!

半魚 すいません(へなへな)。ともかく、個体それぞれが持っている体感時間というか、持続時間というか。そういうものの差異から生じる軋轢のようなものは、ドラマになりそうですね。

樫原 その最たるドラマが「吸血鬼」モノなんでしょうねえ。

半魚 なるほど。

樫原 以前、楳図かずおも絶賛していた「ポーの一族」なんてのは今、アメリカで流行っているバンパイアものの原点ですよねえ。「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」なんてまんま「ポーの一族」ですよ(わはは)

半魚 そうですか(インタビュー……、見てないので)。そいで、ぼくは「ポーの一族」は、なんとなくイマイチなんですけどね。

樫原 あれが、「イマイチ」と言われるゆえんは「時代」がてんでバラバラで作品ごとの流れは分かるけど、大まかな「サーガ」部分が把握できないというトコでしょうねえ。(今の「コミックス」では流れに沿って掲載しているのもあると聞いてますが)

 何しろ、登場人物の相関関係が、じっくり読まないと把握できないと来てますから(笑)

半魚 いやあ、そんなゆえんではなくて、絵が好きでないのです(笑)。ストーリーも、なんか耽美的で(笑)。

樫原 どーも、すんまへん。そうかぁ、根っから「少女マンガ」傾倒者ではなかったんですね。僕はあの絵のイメージで「楳図」したいという野心があるもので・・・(笑)

半魚 あはー、どうもすいません。

 ともかく、この美紀ちゃんの奇跡が、一番好きな場面です、ぼくは。

樫原 美少女に変身!というのがミソでしたね。僕は「ますみ」のような・・・(笑)(しつこいっスね〜)

半魚 あはは(笑)。

 美少女に変身してしまうのは、もともと美紀ちゃんが美少女だったからですかね、それとも「せっかく変身するんだから、どうせなら美少女で」ってことなんですかね。『偶然を呼ぶ手紙』の山田すず子の整形手術のような気がします。

樫原 ぶはは!昨日久々に寝る前に「偶然を呼ぶ手紙」見ました(笑)。何度読んでも「そりゃあ、ねえべー」って程の変身で、笑ってしまいます。

半魚 整形してビジンになって、嬉しいか!って(笑)。まあ、「奇麗な顔は、奇麗な心が作る」とか、言ってましたけど。

樫原 これは・・・高也さん発言まんま逆ですね(笑)

半魚 高也ーっ!(笑)

◆ Apt :7 子どもたちの夜

半魚 美紀ちゃんは、シンゴと抱き合って、シンゴの意識や意図をそのまま理解しているのですね。

樫原 なんだか、真悟がホントに生きている動物(人間)であるかのような錯覚さえ覚えます。

半魚 まさにそうですね。しかし、あの管の中からアームが出てる姿をグロテスクと思うのなら、それは実は人間であること自体が充分グロテスクだ、ってことですよ。

樫原 はは、確かに。

 ふと、思ったんですけど楳図かずおの画力の魔術というのはこういうトコにあるんでしょうねえ・・・。「絵」で感情移入がすぐできる、ような・・・。

半魚 まあ、「絵」だけじゃないんだろうと思います。むしろ、お話のほうで感情移入させといて、「絵」では異化させている、なんて感じも、この場合はしました。先に見た、シンゴがマルから赤ちゃんに変化するエルサレムの件なんかは、まさに「絵」で感情移入されられますけどね。

樫原 うん、そうですね。「ストーリー」の巧みさに上手く引き込まれているのですね。絵そのものはリアルだけれど、他の「お絵かき」のマンガにはない「味と心」があるから、楳図作品ってのは評価に値するのでしょう。(笑)やはり、僕にとっては「お手本」ですね。

◆ Apt :8 とぎれた手がかり

半魚 この「まりん似のガキ」、よくわからないやつですね。

樫原 とにかく、いや〜な顔してますね。

半魚 関谷なんかよりも、よっぽど愛敬の無い、いやーな顔ですよ。

樫原 腹立つほど、生意気系ですね。

半魚 美紀ちゃんの説明は、現在のシンゴの意識をそのまま述べたものですね。だから、どこまで本当かいまいち確定できません。

樫原 そうですね。謎だらけです。

半魚 まあ、それを「だらけ」にしないようにしましょうよ(笑)。

樫原 はは、はい。

◆ Apt :9 キカイが狙った

半魚 「破壊があとからやってくる」「それは、この世にはないものよ」「それは、日本人の意識なの!!」、ここは今ひとつ理解しにくいところです。「それ」は「破壊」を指しているのか、「破壊があとからやってくる」を指しているのか?

樫原 ふむ、「意識」は最終的に「破壊」をもたらすということですかねえ?

半魚 ともかく、あの黒尽くめの連中が「日本人の意識」であるというのが、ここで漸くはっきりしました。ロビンがシェルターの中で毒のおもちゃを「黒い服を着た細い目の3人の男の呪いがまとわりついている」と言いましたが、「意識=生命」と考えると、「日本人の意識そのものが兵器となる」という意味での「生命兵器」だったのですかね。

 以下はメモみたいなもんですが。「日本人の意識」が「ブラックボックスを持ったクマタ4.5」を作り、クマタ4.5が「毒のおもちゃ=生命兵器」を作る。これが日本の原罪のようなもの。

樫原 ふむふむ。

半魚 これを贖うために、二つの途が在った。ひとつは、「日本人の意識」によるもの。自らの誤りに気づいて、「日本人の意識」がクマタ4.5と毒のおもちゃを回収し、かかわった人間を監視する。

樫原 はいはい。

半魚 今ひとつは、純粋無垢な子供の発想からくるもので、クマタ4.5を「シンゴ」に成長させてしまう。「シンゴ」は、「日本人の意識」に翻弄されつつも、愛という、それを超える可能性を示してくれる。

樫原 これは、読者の見かた、とも取れますよね。

半魚 前者「日本人の意識」は、後者「シンゴ」らの側の眼を通してしか認識されてないので、複雑に見える。加えて、後者が前者を陵駕しようとすればするほど、論理的な循環が起こる。ちと、まだまだですかね。

樫原 だいぶまとまりかけてますよね。僕もこのメモに賛同します。

半魚 それは、ありがとございます。まあ、樫原さんの案を繋げって行っただけですから。御賛同するのは当然というか(笑)。

樫原 あ、あはは・・・。

 この作品のテーマはこのあたりに凝縮されているのだと、僕は思います。壮大なテーマでの「恐怖の地震男」とか「ガモラ」に似た「破壊につながる文明」へのアイロニーを込めている!と思いますねえ。

半魚 やっぱり、「破壊につながる文明」というテーマですかね。

樫原 うーん、僕はそれと「愛」との闘いであるような・・・。

半魚 愛 / 文明(=破壊)ですかね。

樫原 そうですね。最終的にはこの「愛」がすべてのあらゆるジャンルを越えての作品の一貫した「テーマ」でしょうね。

半魚 その通りですね。でまあ、問題なのは、その「愛」のあり方、描かれ方ですね。『真悟』の、この残酷なまでの愛!

樫原 ここまで過激な愛を描く作家が他にいたでしょうか?

半魚 いませんよ。

樫原 これからは、不肖「樫原」がその責を・・・(笑)

半魚 おお、それは。期待しますよ。

樫原 でも、当の本人は「恋愛」苦手族(笑)

半魚 ま、それはともかく(笑)。

樫原 そう考えると、楳図のテーマってのは終始一貫してるってのが分かります。

半魚 ただ、この場合は、「日本」というあり方が問題になっていると思うんですよ。文明一般ではなくて。

樫原 「文明」=「今現在の日本の在り方」という形で捉えているのかも。読者もここで現実感ある漫画だと認識してくれそうですし・・・。未来の文明社会やローマ時代や江戸時代の文明を描いたトコでSFにすぎないですからね。

半魚 んー、まあ『わたしは真悟』もSFだけど(笑)。

樫原 いやいや〜、十分「現実味」を残した背景は、今の若いマンガ家さんには見習ってほしいものであります(笑)。ちょっと批判的な意見になってしまいますが、今の作風って「マンガ」=「テレビゲーム」につなげてる風潮があるでしょう?従って今のマンガ家志望の若い子はどうしても「ファンタジー系」とか「サイバー系」のが多いみたいです。足に地をつけた作品を描いてこそ、価値基準というものは上がると思うんですけどね。

半魚 ゲームの影響ですね。ファンタジー なんかも、ドラクエ的(=少年ジャンプ的)な発想しかないですね。

「いのち柱」は、「烈願鬼」ですね。

樫原 あ、「イアラ」・・・見たいなあ・・・。やはりそろそろネットで買うかなあ・・・(笑)(まだ虎視眈々と古本屋サンを巡っていたのです)

半魚 地方の古本屋より、東京等大都市のほうが、結局モノがありますね。

樫原 そうそう、余談ですが昨日古本屋(大分の)に行ったら「花」があったんですが、これ、なんと「非売品」だって!ブッこけました。「ミステリー漫画特集」なんて思いきり触手をそそられたのにー!中野書店ならちゃんと売ってるぞ〜みたいな。

半魚 第2集ですか?地方の本屋に限って高かったりもったい付けたりするもんですよ。

樫原 詳細は見てないんですが・・・もう悲しくなりました。

◆ Apt :10 夜の男たち

半魚 ところが、この3人は、ふつうの生身の日本人のようですね。

樫原 でも、こいつら手から怪しい光線を出そうとしてますよね・・・。実は精巧に造られた人造人間なのでは?

半魚 ガヒーン!そうか、これ、光線を出そうとしてるんだ! 僕はてっきり空手チョップ(にしちゃ、へんだな)と思ってました。「楳図先生、たまーに、みょうにぎこちない動作を描くもんなあ」と納得してました。いやあ、まいった、まいった。

樫原 でしょ?でしょ?きっとこいつら「人間もどき」ですよー!(マグマ大使になってどーする?)

半魚 マグマ大使、わからん。

樫原 (笑)詳しい人に聞いてみてくらさい。

半魚 樫原さんでしょう、それは。

樫原 わはは!僕は裏番組の「ウルトラマン」ですって!

半魚 「マグマ大使」って、フジ系でしたっけ?

樫原 そうです(笑)顔のない「人間もどき」という宇宙人は怖かった〜。すみません。本題に戻りましょう(笑)

半魚 はい(笑)。

 (編集、気にしてくださって、ありがとうございます。笑い)

樫原 (笑)

 実は「ある組織」というのは「マイ○ロソ○ト」でそこのビ○・ゲ○ツが黒幕でこっそりと人造コンピュータ人間を造っておいてブラックボックスの回収を命令してたとか(笑)

半魚 この当時は、DOSのVER2.1くらいの頃で、まだマイク□ソ□トがいまみたいにでかくなるなんて、だれも思ってなかったでしょう。

樫原 まだNECが主流かな?

半魚 もちろんでしょう。

樫原 じゃ、日本人の意識は「N○C」が張本人ということで(笑)

半魚 あはは。

樫原 で、あのまりん髪のクソガキも実は・・・というコトで、どうでしょう?

半魚 光線でつながってきますよ!

樫原 実は、某企業(オオタが勤めてる会社の親玉?)が密かに開発してた「日本人の意識ロボット」だったんですよー!!

半魚 んー(笑)。

◆ Apt :11 光の中の子

半魚 トビラ絵雑感。「山川塾」の電話番号、鉛筆の跡で「03」で始まってますね。

樫原 写植の段階で変えてますね(笑)

半魚 さすがに、はばかったのかな。

樫原 実際にある場所かもしれないですね・・・。ここ。

半魚 このパソコンが全部電源がズボーッ!と言って入るところ、壮観です。

樫原 実に良い「絵」です。アナロギーで、良いです(笑)

半魚 アナロギーって、アナロジー(類比)と同じですか?

樫原 樫原の造語デス(笑)アナログっぽいちゅうアナロギーです。

半魚 なるほど(笑)。アナログっぽいです。

樫原 この守衛のおじさんの死に方は「サスペリア2」です。(どうでもいいけど)

半魚 ああ、そうですか。あんまりよく知らないですが、それは重要な指摘ですね。

樫原 (笑)い、いえ・・・そんなに重要とは思えませんが・・(恥)。

半魚 さんちゃん、死んだけど、元気ですね。こういうの、反則だとおもうけど(笑)。

樫原 ははは!楳図先生のせめてもの「救い」でしょう。あれだけ残酷にやっちゃったから・・・。丸くなったんですよ〜(笑)。「漂流教室」ではとがっていたけど。

半魚 「漂流教室」での殺し方のほうが、好きです。死を美化してない。まあ、さんちゃんみたいな「救い」も、快くはあるんですが。

樫原 半魚さん、残酷!(笑)

半魚 あはは。

樫原 当時リアルタイムで見ていた僕ぁ、なんて殺伐としてて怖い作品だ!と思って見てましたよー。怪虫に殺されてぼろぼろのぞうきんのように・・・なんてトコはもう、無慈悲で、あちゃーと思いましたよー。

半魚 僕も床屋で読んでましたが、強烈でしたね。でも、「ブタの丸焼き」は、おれも喰いてえとか思いました。当時は、好んで読みたくはないけど、畏敬すべきマンガ家だと思ってました。

樫原 今、読むととても怖くて食えまっしぇん!

半魚 当時だって、モノホンの人間なら、食えませんよ。

樫原 「人食い」というのも僕の好きな題材ですねえ。映画「ひかりごけ」や「生きてこそ」(?)でしたっけ?極限状態での人間の本質を描く作品・・・おろちの「戦闘」はこれの際たる作品ですね・・・。

 そして、極限状態においてのパワーを見せたのが真悟の「奇蹟」なのでしょうねえ。こういった意味では、救いのかなりある作品ですよねえ。

半魚 「戦闘」も、それなりの希望はあるのでしょうけどね。

樫原 そうですね。ただ本誌掲載とコミックス版とでは随分と加筆してませんか?しかし、思い出すとあの作品は僕の中ではベスト5のうちにはいるかなあ。

半魚 ラストの回想あたりは、ほぼ補筆じゃなかったかな。ともあれ、「正義とは何か」「罪は償えるか」等、かなり重くてつらーい話ですね。

樫原 ・・・・。辛いっスね。

半魚 「キプロス島で起きたことは佐度でも起きるんだ」について、どうですか。ここが後半「さとる編」での一番難解な部分だと思いますけど。

 これもメモですが。

「キプロス島で起きたこと」って、キプロス島って、ロビンの故郷だろうけど、一度も出てきてないですよね。でまあ、大量虐殺なり核兵器使用なりがあったとして、で、やっぱりこれは、妄想ではなくて、現実に起ったんですかね。

樫原 うーん、冒頭にもチラと書いたのですが、これを分からせるコマかセリフがひとつでもあれば、納得できるのですがねえ・・・ヒントは、やはりあのエルサレムの街のラストページかなあ?

半魚 実際に起きていなかった(あるいは、元に戻した?)事件を、さんちゃんたちは、現実の事件のように認識しているのでしょうかねえ。

樫原 さんちゃんたちの世界はいわゆる「死後の世界」ですよね。でも、一言も「核爆発」に関しては触れてないような気がしましたが・・・。

半魚 「核爆発」とは言ってないけど、たぶん「C・E(システムエンジニア)」みたいな勘違いとして、キプロス=エルサレムを混同したんじゃないですかね。で、結局は要は「大量殺戮」で佐度とキプロスが繋がるってことでしょう?

樫原 位置的には同じトコにあるんですか?エルサレムとキプロス島って?(すいません、樫原は地理がウルトラ苦手)

半魚 いやあ、違う場所でしょう(笑)。

樫原 (赤っ恥〜)

 これってこじつけくさくありませんか?それとも何らかの根拠から導き出した事柄なんですかねえ?緯度が同じとか、火山帯がつながっているとか・・・。調査の必要がありますね!

半魚 んー。そうかも知れませんね。佐度が島には、狸の親玉が居て、越後側と佐度を繋ぐ穴(まみあな)がいくつもあると言われています。関係ないな(笑)。

樫原 (大爆笑!)その発想いいなあ!

半魚 まー、関係ないでしょうけど。ただ、妖怪が好きな島ではありました。

樫原 ふーむ・・・。

◆ Apt :12 コンドウサトル

半魚 「コンドウサトル」の上にある「イマイユウタロウ」って、知ってますか?

樫原 これは、もしかして・・・「漂流教室」の「ゆうちゃん」ですか?(笑)

半魚 おお、それは鋭い指摘です。が、考え過ぎです(笑)。

 これ、阪急ブレーブスに居た野球選手ですよ。今井雄太郎といって、ずっと芽の出ないピッチャーでしたが、一度完全試合をやって有名になりました。新潟県長岡市出身で、高校は中越高校。長岡にある私立高校で甲子園は新潟県勢の常連でベスト8くらいまで残ったことがあります。そこのOBなんです。データにも「ニイガタケンナガオカシ」と書いてあるから、この今井雄太郎のことですよ。

樫原 ほうほう・・・。これは、単に「世界を変えるかもしれない有能な人物」としてマークされてると考えていいのでしょうかねえ?ブラックリストか、はたまたレッドリスト、ホワイトリストかな?

半魚 「有能」ってことですかねえ。

樫原 なるほど・・・さとるも優秀の部類ですよね。シンゴに知恵をつけちゃったから。

半魚 ともかく、今井雄太郎は、その後も最後に阪急が優勝した際、日本シリーズで広島に負けましたが、唯一2勝を挙げた投手で、優秀の部類でした。

樫原 ほうほう・・・。

半魚 ところで、その次の「ミヤザキスミヤス」は、わかりませんね。「宮崎県は住みやすい」じゃあるまいし。

樫原 あの、例の事件の「ミヤザキ」は名前違いますよね?(笑)

半魚 例の事件は、90年代に入ってからじゃなかったでしたっけ?

樫原 じゃあ、違いますね。「スミヤス」って名前じゃないのは確かですね。「ツ○ム」でしたよね?

半魚 あいつ、牢屋でもあんまり反省してないらしいです。

樫原 やはり、神経系統がおかしいのかな?(と、いいつつも今の若い(?)世代はみんなおかしいですけどね(笑))

半魚 あの「ツ○ム」は、「今の若い世代」じゃないですよ。まさに、ぼくらの世代ですよ(笑)。

樫原 ドキッ!もはや僕らの世代からおかしいのか・・・うーんそうだよなあ・・・高度経済成長時代の落し子って言われる世代の頃から日本人総白痴時代と言われてますからねえ。

 そういうのが大人になって子供を産む。悪循環のキワミですね・・・。

半魚 まあ、そうですねえ。

樫原 楳図ならずとも「日本の破滅」はじきだと思ってしまいます(泣)

半魚 そんでもって、イマイユウタロウもミヤザキスミヤスも、「印」は付いてないのね。ついてるのは、さとるだけ。

樫原 あ、そうでしたっけ?ふーん・・・。選ばれた人間というのもちょっと変な感じがしますね。

半魚 「バッテリーがなくなり、メモリー板もなくなったというのに、わたしは動いた……」ですけど、これは美紀ちゃんの超能力でしょうか。

樫原 それと、真悟の強靭な意志の力が融合して・・・(笑)

半魚 いや、笑うところじゃないっすよ(笑)。

樫原 す、すみませんっス・・・。

半魚 あはは。[補記 2001-9-21 / シンゴと同じく、美紀ちゃんも自分の身体の一部を犠牲にして、シンゴにエネルギーを与えているのである。2001年度の授業における鈴木良平の指摘]

◆ Apt :13 動いて行く…

半魚 「こうして、わたしはみんなの前から永遠に消え去ったといいます」ですね。

樫原 これ、何となく悲しい場面です。泣けてきちゃいます。

半魚 そうですね。再び姿を現すのは、最後の最後、東京コンピューター研究所で再現されてからですが、この時はもはやシンゴではありませんからね。

 もうシンゴは、アームのみですね。

樫原 悲しいです。そこまでして何でがんばるんだ?って同情票がかなり来る場面ですね。

半魚 同情票のみならず、政策のみで当選できますよ(笑)。

樫原 何党でしょうかね?(笑)

半魚 ロボッ党かな。

樫原 オジサンギャグ!僕は好きですよ〜(笑)

半魚 美紀ちゃんの超能力(声が届く範囲)を超えて、あといろいろな生物の力によって、シンゴが動いてゆくわけですかね。

樫原 そうそう、美紀ちゃんて途中で力尽きるみたいですが、助かったのかなあ?そういうトコが心配だったりします。

半魚 ぼくは、ここは、美紀ちゃんは疲れて倒れただけだ、と解釈しますね。元気に回復していまごろ良い人生を送ってくれているはずです。そして、たまに「あの時のロボット=シンゴって、一体何だったのかしら」などと思ってくれている。作品中、唯一のシンゴの理解者ですから。

樫原 うーん・・・結局「真悟」と遭遇してその存在を認められるのは美紀ちゃんとしずかちゃんの二人ですか?

半魚 そうですよね。

樫原 男の子は、いないんですよね。

半魚 そうですね。

樫原 たけしもいたけど、記憶が消されちゃってるような気がしません?

半魚 たけしは、そもそも好意的にシンゴを見てませんね。大人的な、人間の常識を超えてしまうグロテスクなものとして見てませんか。

樫原 あとの遭遇した人は、「怪物」か「神」として見てますよね。

半魚 まあ、オオタナオヤは「子供」とも言ってますけどね。

樫原 彼も、遭遇はしてるけどチラとだけでしたよね。

半魚 自力でシンゴが動いてるところは、ちゃんと見てませんね。

樫原 結局、信憑性のない子供が真実を知ってるんですね。

半魚 そうですね。

樫原 このあたりの演出はホントにくいです(笑)

半魚 演出っていうか、人物関係の置き方ですね。ほんとすごいです。

樫原 今、ふと感じたんですけど、この人物関係の絡み方も、今問題となってる「疑問」に微妙にヒントを与えてるような気がしませんか?

半魚 「疑問」って、『真悟』の謎のことですか?

樫原 そうです。何ひとつ「シンゴ」が存在していたと「証明」すべきものも「証言」すべきものも希薄すぎる、というトコですね。

半魚 そうですね。人物関係やストーリーを登場人物のセリフで説明してゆくという、少年マンガのセオリーからすると、それらの人物たちの語りがどこまで正しいのか判然としない、という、恐ろしく複雑な構成になっているわけですよ。

樫原 ところが、ここでものすごい大暴言を発するならば、もともと楳図は「少女まんが」出身ですよね?根源的なマンガの創作にこの「少女マンガ」のセオリーが織り込まれているとしたら・・・!?

半魚 そうですね。少女マンガ的な、心情中心主義みたいなのは、楳図の根本にありますよね。

樫原 最初に培った基本的な創作の形ってのはあらゆる場所で残ってるものですよね。

半魚 初恋みたいなもんですか(笑)。

樫原 三つ子の魂百までも!って感じもあるかなあ?「そんなに単純な人間の脳の構造じゃない!」って怒られそうだけど。

半魚 でも、クセってのはありますよ。個性とも言えるし。

樫原 あれも無意識が具象化した・・・(笑)。僕のクセはボールペンなどがあるとついあのネジを回してるという・・・(^o^)。一度会議中にそれやってて怒られたことありますー(トホ)。

半魚 「バカいってんじゃないよ〜」と歌わなかっただけ、よかったですかね(笑)。

樫原 (笑)今ならやるかも・・・。

 「青年誌」で「愛」だの「恋」だのと男女間の関係がささやかれていますがそもそもの昔の「少女マンガ」のテーマは「人間愛」なのでしたっけ?「血のつながり」とか「親子間の無償の愛」とか「幸せ」とかいった形のないモノをテーマにしてあるのが主流でしたよね?(本編と全く関係ない内容になった・・・。すみません。)

半魚 愛とか、古い感覚で言えば保守的な制度の肯定意識とか(家族は大切とか)。そういうところから出てきてますよね。それを描きつつ、打ち壊すような。

樫原 そうそう、否定していながらも実はちゃんと肯定してるようなそんな作品が(少女漫画時代は)多かったですよね。

半魚 まあ、あんまり社会の倫理から外れたことは描きにくいでしょうからね。『漂流教室』だって、かなりブレークしてますが、きっちり倫理から外れてはいない。

樫原 そうですね。創作する側としては無理してでもこじつけなくては成立しませんもんね。でも、僕は今、この関係をブチ壊すのもありかなあ?なんて思っているのですよ。破綻が収拾つかなくてとんでもない方向へと行ってしまう。読者側にも理解できない顛末・・・。

半魚 まあ、たしかに、楳図作品の場合は、推理小説的な瑣末なつじつま合せが目的ではない、ってのはありますね。いかに鋭く場面を見せるか、という点がメインなわけで。だから、理解しにくいところはありますね。

樫原 また、それがミョーな余韻をもって静かな感動を呼ぶんですよね。

半魚 いや、激しい感動でしょう(笑)。

樫原 うは!

 「しずかちゃん」や「美紀ちゃん」の視点で見ていった場合はどうでしょうか?「女の子」は、理由も分からずに渦中に巻き込まれて何とか打開策を練ろうとしますね。

その行動の原点にあるのは「シンゴ」のデータのみで、それを「美紀ちゃん」と「しずかちゃん」が理解(?)して行動に移す。

 しかし、所詮女の子だからおのずと限界がある!しずかちゃんは寝ちまうし、美紀ちゃんは血を吐いて「もうダメ!」ともっと弱い立場である動物が今度はシンゴを守る・・・・。このシークエンスに何かの意味を感じたりしませんか?

半魚 なるほど。

樫原 大人の男(これは常識派だからシンゴの存在自体を許さない)
    ↓
    子供の男(暴挙に出て、みな破滅!)
    ↓
    子供の女(がんばるとこまでいくが、所詮は中途半端)
    ↓
    犬(こいつは、ホめてやろう!)
    ↓
    昆虫類(もはや、本能という「信号」だけで動かされている)

半魚 なるほど。これは、その通りですね。

樫原 だんだん弱い立場との関わり方を克明に順を追って描いてますねえ。

 ここでは、大人の女がおばあちゃんといっても間違いではないですがこれは子供の女同様の結果で終わりそうですよね。

半魚 おばあちゃんは、もう大人ではないでしょう。社会的にも肉体的にも弱者だし。

樫原 大体、この流れでシンゴは、回りの人間と関わってきてませんか?これも何かの参考になるのかなあ?

半魚 これは、まったく仰しゃる通りですね。

樫原 立場的にどんどん追い詰められて「堕落」というか、そういう「堕ちてゆく過程」を描きたいような・・・。

半魚 チキン・ジョージが白痴化してくのと、軌を一にしてますね。

樫原 で、先ほども言いましたがシンゴの「衰退」が「さとる編」では浮き彫りにされている。

 ここで、また先ほどに戻りますが、子供の「狂気の連鎖」から今度は現実的な問題としてこのロボット「シンゴ」は、オオタナオヤ、または日本政府(?)の陰謀より「ブラックボックス」を作ってしまった。これを巡る「日本人」の暗躍がいわゆる「日本人の意識」として認識されて、ブラックボックスの回収、果ては「シンゴ」の回収までになった。

半魚 ふむふむ。

樫原 しかし、狂気の産物となった「シンゴ」は「狂気」はふりまきながらも日本人の意識を振り払おうとしている。

この日本人の意識って「洗礼」に出てくるフリーのルポライターみたいな感じがしません?

半魚 波多あきみですか。波多は、解説者の役も引き受けつつ、根本は登場人物の一人だったと思うけど、「日本人の意識」はほんと「闇に光る目」でしかなくて、登場人物とは思えないようなところがありますねえ。

樫原 名前、思いだせんかったー(笑)。

半魚 楳図作品の中では、変った名前のほうですよね。

樫原 たしかに(笑)。楳図作品の特徴ですが男の子の名前「一文字漢字」の子が多いんですよね。「悟」「翔」「等」「貢」・・・「高也」(これは違うな)

半魚 「まこと」も一文字なのでしょうね。

樫原 で、全く別々の視点から物語りはひとつの形を作り上げている、という見解ですが、やはりまた堂々めぐりだなあ・・・(笑)

半魚 あはは……(笑)、そうなんですねえ。ちょっと堂々めぐりになるんですよ。

樫原 楳図作品は「ウロボロスの輪」的すぎるっ!!

半魚 あはは。

樫原 動物や虫が味方になるんですね。もう、このあたりから真悟は「鉄で作られた無機物質」ではなくて「有機体」として認められていたのでしょうね。読んでる僕らにも「真悟」の鼓動が伝わってくるようです。

半魚 伝わりますね。そう考えると、自ら機械であることを棄てて人間となって、そしてそれは「破壊」を呼ぶ「文明(=キカイ文明)」を拒否することでもあり、そのために「破壊」の主たるキカイにいじめられることになった、と考えられそうです。

樫原 世の中の縮図をかいま見るような「恐怖」です。

半魚 そして、機械であることを棄てて、人間をも超えて、アイの存在になるんですかねえ。人間は、キカイ(文明)とアイの中間的存在かもしれませんねえ。

樫原 うーん、名言かも(笑)。愛ゆえに苦悩をし、愛ゆえに神にも悪魔的にもなれるという・・・。

半魚 さとるは、また新潟にもどってきてしまいました(笑)。

樫原 綿密に組み込まれた「意識」に翻弄される「さとる」・・・。

半魚 そうですね。

 まりん似のガキと、もうひとりのガキは「松田」っていうのですね。

樫原 あの、「ガンつきの悪い」子供ですね(笑)。ああいうキャラクター、僕好きです。悪役っぽくて・・・。

半魚 まだ、感情移入する余地がありますね。それに比べて、まりん似のガキは、ほんと感情移入を許さない、いやらしさがあります。

樫原 はは、松田くんは生きてるのかな〜?ラストで一緒でないトコを見るといけなかったみたいですね(笑)。

半魚 たぶん、佐度が島で更正してんじゃないですかねえ。

樫原 いやー、あのテのヤツは更正しっこありませんよー。一生うだつのあがらぬ生活ですよー(笑)。(偏見入ってマス。すみません)

半魚 ああ、そう見ますか。じゃあまあ、どっちでもいいけど(笑)。

樫原 (笑)

◆ Apt :14 イヌ

半魚 シンゴが線路に落ちますが、この電車は、もろにむかしの「特急とき」です。新幹線が出来る前の。

樫原 ははは!やはり「鉄道マニヤ」だー。

半魚 だから、ちがうって(笑)。

樫原 (笑)まあまあ・・・。いい趣味ですよー。ご謙遜なさらないで(笑)

半魚 いやあ、あんまし鉄道、よくしらんのです。

樫原 (笑)

半魚 楳図作品で、犬は案外珍しいですよね。ネコだと、猫目小僧や猫面シリーズ、メチャにツインクルと多種多様だけど、犬は「ばけもの」くらいかな。

樫原 おや?僕は同等に出てるとか思ってましたが・・・。「ミイラ先生」のポーキーでしょ?「おろちー骨」の墓場から出たときに目をつぶされる犬でしょ?「犬神つき」(これはちょっと違うか)。「赤ん坊少女」でも犬が目をやられるし・・・。「影姫」でも金剛丸が出てるし、ちょっと反則なのが「恐怖の首なし男」にチラと出る「ぶたいぬ」・・・かわいいじゃろう?(笑)。

半魚 あらら、そういえば……。そんなにいたか。ポーキー、わすれてたよ(笑)。金剛丸ねえ、いましたねえ。

樫原 ここでまた、ハタと気付きましたが「犬」ってことごとくかわいそうな顛末を向かえてません?

半魚 すぐ殺されるための生き物みたいな、ね。

樫原 人間のために何かをやろうなんてすると、ケガするのがオチよっていう警告ですね(笑)。犬諸君!楳図漫画で人生を切り開け!って感じです。

半魚 あははは。

樫原 この作品でもかなり大役(?)を担ってまあ、最後に救われてるので僕はほっとしてますが。

半魚 ここは、主役級の扱いですからね。

樫原 もう、感動ですよ!しかも片足がないんですよー!それでも飼い主を探して奔走してあげる姿・・・泣きが入りました(ぅぅぅ)。子犬になったら、ちゃんと足もあってかわいくなってて、またここで泣きですよ(ぅぅぅ)。

半魚 そう、感動します。ただ、犬にとって飼い主を得る事が唯一の幸せだ、みたいに読めて、ちと疑問もあったりして……(笑)。

樫原 うーむ、そこまで深く考えてしまっていたか・・・。昔、おそらく中学の頃、石ノ森章太郎先生が作品の中で「飼われてる犬と、野良犬と果たしてどっちが幸せだろうか?」という文章を読んで、今だにこのことを考えると「う〜ん」となる、私。

半魚 まあ、そういう感じです。『銀牙』を思えば、野生万歳ですしね(笑)。

樫原 あ、それなんだか記憶がある。少年マンガですね?

◆ Apt :15 共鳴するモノたち

半魚 シンゴの自己犠牲とともに、おばあちゃん、美紀ちゃん、犬、それぞれが命を掛けてシンゴを助けようとしているのですね。この相互的な自己犠牲性は重要ですね。

樫原 現代の無機質な時代に対しての「示唆」と「皮肉」をこめているような気がしてなりません。やはり、楳図のマンガはヒューマンだな、と思います。

半魚 そのヒューマニズムも、手塚なんかの正義然としたものじゃなくて、つねにパラドキシカルですね。

樫原 そうですね。決して「こうだ!」という押し付けは絶対にありませんね。むしろ、自然の法則にしたがって「人」だったらこうするだろう、みたいな展開の仕方ですよね。良きにつけ、悪きにつけ「人間の性」が徐々に浮き彫りにされてくみたいな、ゾクゾク感がありますね。

半魚 そうですね。いくら素晴らしくても、『わたしは真悟』や『漂流教室』をPTAや文部省が推薦したりはしなさそうです。そこがやつらの限界です(笑)。たとえば、PTAや文部省推薦の『はだしのゲン』なんかも、実際はかなり「毒」にまみれた作品で、好きなんですが、連中はそうは読まずに誤読(笑)してますよね。でも、楳図の場合は、そういう誤読のしようがないほど、きっちりしてますよ。

樫原 「はだしのゲン」・・・(絶句)。子供心にあの「絵柄」が嫌いだったので拒否しつづけていました。しかし、リアルな描写には、ある意味、楳図以上の恐怖がありました・・・。

(どうも、この時期になるとこのテの話に弱くなるんです。いつも涙腺がゆるみっぱなしで・・・ 。)

半魚 (あの「絵柄」、こわいですよね。『少年ジャンプ』の中で、最も恐怖マンガでした。)

樫原 (個人的にガラスの破片が突き刺さってる図とか、皮膚が焼け爛れて地面を這いずりながら苦しんで歩いてるシーンとか・・・。)

半魚 (皮膚が、べろーんとさがりますね。)

樫原 (ああっいやだーっ!)

◆ Apt :16 微動

半魚 シンゴ、手首だけになっちゃいましたね。

 ベルトコンベアはキカイだから、シンゴを邪魔しようとしてるんですね。

樫原 セメントの袋で行く手を阻んでますね。

半魚 だれがコンベアに載っけたんだー、みたな(笑)。

樫原 (笑)ホントだー。

 アリが、最後に助けるんですよね。「笑い仮面」の名残りでしょうか?(笑)

半魚 ああ、ほんと。「笑い仮面」再登場ですね(笑)。それでまあ、ヘビも出てくるし。その点、今までの楳図マンガの異類たちの鎮魂劇でもありますね。

樫原 ああ、もうホント、オンパレードですね!ヘビも丁寧に描いてあるし。ネコは出ませんでしたね。クモも・・・(笑)。どうせなら全部出してほしかった。

半魚 あはは、ほんとです。

◆ Apt :17 父よ

半魚 「18文字の組合せ」って、意味解ってましたか?どう数えて18になるのか?

樫原 

サトルワタシハイマモアナタガスキデス

 が、18文字ですよね?これじゃないですか?

半魚 へっへっへ。違います!じゃあ、最後の「マリン」はどうなるのでしょうか?

これ、いままで僕も読み飛ばしてて、分かってませんでした。この対談をやり始めて、再読してて、初めて気付きましたよ。樫原さんでさえ間違ってるから、案外気づいてない人、多いんじゃないかなあ。

樫原 もしかしたら、

同じカナをzappingしたら18文字?

あああ、樫原は難しい暗号が苦手なのだーっ!!!

半魚 そうです、そうです。で、ゆえに、18個の仮名の中に「ブ」や「ク」や「コ」が無いために、「ア…ナイ」とか「アル……トガデキナイ」とかになるわけです。

樫原 ほっ。安心しましたー。なんだかテストみたいで、緊張しましたよー。

半魚 これで思ったんですけど、たしかに「まりんワールド」や「佐度島の悪夢」は難解にも思えるけど、こんな18文字みたいな感じで、読者が見過ごしてる「仕掛け」ってのがまだまだ有るじゃないかと思いました。

樫原 アナグラムならぬ、画像によるアナグラム・・・?(笑) どこかにヒントが隠されているような気がしますよねえ。

半魚 ああ、それ面白いですね。アナグラフっていうのかな(笑)。

◆ Apt :18 街の声

半魚 佐度に街があるのは、別に当たり前なんですけどねえ。

樫原 ははは!(爆)

半魚 佐度のこと、無人島か流刑地なんかなんかと思ってやいないでしょうねえ(笑)。

樫原 あーいやー「金山」があって灰色の着物をきた人がそこを毎日掘っているものと・・・(うそうそ)

半魚 まー、僕も行ったことないので、実際見たわけじゃないんですけどね(ぎゃふん)。

樫原 新潟にお住まいで、一度も「佐渡」へは行かれてないのですか?僕は6年前の夏に行きましたよー。「わたしは真悟」物証ツアーで(笑、ウソウソ)。どこにでもある港町みたいなイメージしかなかったけど・・・。

半魚 「真悟」物証ツアー、いいですねえ。 [補記 2001-9-21 / 東京タワーが忠実な現実の再現になっているのに対して、新潟港の描写は現実とはまったく異なるらしい。80年代は西港というのがあり、現在では東港といって、ちょっと違うらしいが、ともかく、本作に描かれた新潟港は現実のものと異なる。また、佐渡島についても、「島の反対側に逃げろ」という設定も、両津市から佐和田町までは車でも30分は掛る道程で、すこし無理がありそうである。 / 2001年度の私の授業において、新潟港を実見してきた富田倫代の指摘。 ]

樫原 その頃は「わたしは真悟」読破していなかってのです。友人に進められるまま佐渡へ行ったのです。(笑)

 で、つい最近佐渡の方とメールを始めたのですが、佐渡ってコンビニもファミレスも存在しないそうですよ〜(笑)。唯一、やっと最近「ほっかほか亭」が出来たので島中、大喜びですって(オーバー)メールが来てました・・・(笑)。謎は、大きいですよー、やはり佐渡って・・・。

半魚 へー、佐度って、そんなにいいところなんだ〜。

樫原 狸も、町をわがもの顔で歩いてるそうですよ(笑)。ほんとか〜?

半魚 ああ、やっぱり佐度には狸の大親分がいるんですね。

樫原 見てみたい・・・(笑)。坂上二郎サンみたいなのかなあ?

半魚 「よろちくね」って(笑)。

樫原 ガハハハ!

半魚 さーて、海の中には得体のしれないが連中が……。

樫原 このあたりからもうかなり「破綻」してます(笑)。

半魚 んー(笑)。

樫原 ここまで一生懸命見てた初読者は、「何だこれ?」って思うか「おおっ!これからが面白くなるのかー?」に2分されるとは思いましたね。

半魚 はいはい。

樫原 僕は「何だこれ?」のクチでした。でも、改めて読んで「う〜ん」と唸ってしまった(笑)

半魚 僕なんか単行本で読みましたから、「もうそろそろエンディング」ってのが分かってますから、「これ以上、大きな展開は無いだろう」と予測して読めちゃう訳です。ただし、『スピリッツ』のリアルタイムでの連載時には、いつが最後になるのか、まだまだ分からないわけですよ。

すこし前の「夜の男たち」の章で、連載100回目なんですよね(ほんとはその一つ前の「キカイが狙った」が100回目なんだが、編集部が数え間違えてる)。その100回記念で、『スピリッツ』誌上で浅田彰と対談してて、楳図先生は「まだ5年くらいかかる、とまわりは言ってる」みたいな発言してるのですよ。まあ、僕の感想としては、佐度が島の件は、ちと練り足りなかったんだろうなあ、という気はします。

 (↑こういう発言は、口が避けても言っちゃならんな。笑い)

樫原 (あと5年は・・ってくだりですね?半魚さんがってことではないですよね?)

半魚 いやいや、勿論、僕が、です。「練りが足りない」とか言っちゃ、いけません。

樫原 はは、そうだったんですか・・・。

半魚 で、要は、その事件は何であったかと言う点のみならず、さとるのイニシエーション的なものであり、シンゴはそれを幻覚の如く認識している、てな部分ではないですかね。

樫原 もっと長く描けた内容ですもんね。説明不足で終わっているのが残念ですが、楳図先生の頭の中ではもっと殺伐とした光景のオンパレードがあったのでしょうねえ。

半魚 「殺伐とした光景のオンパレード」かあ。なるほど、なるほど。

樫原 あと5年続くのであれば、このあたりからはすごいことになっていたのでしょうねえ。

◆ Apt :19 追われる

半魚 「攻め込まれた時のためにできた街」というのは、当時の軍事戦略上、ありそうな設定ではありますよね。あらゆる施設が、つねに軍用への転換を予想して作られている、という。

樫原 佐渡の市民の方、そうなんですか?って聞きたくなりました(笑)。

半魚 まあ、当時の仮想敵国はソ連でしたから、佐度より北海道のほうが軍事拠点だったとは思いますけどねえ。

樫原 その方が無難ですよねえ。確かに「ソ連」て言葉が出てますねえ(これも時代だ〜)。

半魚 アクアラングに、ロシア文字が書いてありますね。

◆ Apt :20 嵐のことば

半魚 嵐の中の、シンゴの意識。それはもう、シンゴの末期の走馬灯のごとき瞬間ですね。そして、願望にも装飾されてほとんど無意味な妄想にまでなってしまいつつある。こういう妄想というカタチでの幸福感!ほんとうに、ここは泣けますよ。

樫原 泣けます!泣けます!悲しいほど泣けます。これ見て感動しないヤツは人間ぢゃありませんよー。

半魚 あはは、ほんと。

 「妄想による幸福」という、楳図のよく使う手法でもあり、ふつうの作家がやると「たんなるアブナイやつ」にしかならないのを、これほど叙情的に美しく描けたのは、ほんとすごいですよ。

樫原 才能に改めて脱帽です。

◆ Apt :21 ヒト侵略

半魚 まりん似のガキ、それなりに計画の内容を知っているわけですよね。そう考えると、さとるのまりんとの関係を知った上でさとるに近づいたのですかね。

樫原 どうも、そうとしか思えませんね。僕は。髪型までも似せてるのからして怪しいじゃないですか〜!すべては日本人の意識の思惑通りに進めていたのでしょう!

半魚 ああ、そうか。それを見越して、髪型まで似せてたんですね。なーるほど。ものすごく納得しました。

樫原 綿密に計画しておきながら「真悟」の行動が予測できない。コンピューター(ここでは日本人の意識)の誤算を全面的に打ちだしてますよ。

半魚 「コンピューター(ここでは日本人の意識)」は、コンピューター=日本人の意識という意味ですか?ちょっと質問。

樫原 すいません。自分の中ではもう日本人の意識ってのがコンピューターで制御されたロボットとして君臨してるつもりで書いてしまいました。紛らわしい言い方ですね。

半魚 ともあれ一つの課題は、旧まりん邸でのあの三人の発言を、どのように解釈するかですね。この『真悟』ほど、言説のレベル(層)が複雑で、ナニが真実か分かりにくくなっている作品てのは、無いのではないですかね。一般の小説作法としても、かなり高度なテクニックですよ。この点は、再度よく考えるべきですね。

樫原 うん、そうですね。じっくりと考えなければ光明は見出せませんね。

半魚 なんか、みょーな図を書いてみましたが、


                                さんちゃんの認識
                                         |
                                 日本人の意識 ―?―三人の男
           シンゴの幻覚認識                     |
             /          |                      |
           /            |                   / |
 まりんの幻覚認識   さとるの幻覚認識       /   |
          |                             /     |
          |                      東コン研   ホロン
          |                             |      |
          |                              豊工業
           美紀ちゃんの認識

 まず、シンゴの認識は、まりんの不安が増幅された幻覚的な認識なわけです。これと佐度が島をアナロジカルに考えてみると、さとるの不安に起因するシンゴの幻覚認識が佐度が島の一件とも言えるかもしれませんねえ。つまり、佐度での潜水夫はすべて夢!という。

樫原 ふむ、これは納得できますね。

半魚 で、三人の男は、現実に存在する。で、それらに間接的に、東コン研やホロン、豊工業なんかが関係する。で、これらを「日本人の意識」としてさんちゃんらは認識している。さんちゃんの認識は、シンゴの認識とは独立したものであろう。

樫原 東コン研の連中が「あるスジから消される」という発言があるからこれも、背景的には「日本の大企業」もしくは「政府」というイメージにも捉えられますね。

半魚 そうですね。

樫原 東コン研の連中はそれを知っていたから、真悟を奪回しようといきまいていたが、もはや(第4の兵器)である死のモーターが出回っている!ということで、「政府」または「大企業」がこれを撤収すべく「日本人の意識」と称される3人組を(ここではスパイというか?)派遣して秘密裏のウチにモーターと、製造マシーン(シンゴですね)の処理を言い渡された。

半魚 はいはい。

樫原 そのモーターの出所を知っていた「あるスジ」は当然のようにそのプログラミングに携わったオオタナオヤと、その機械を動かしていたさとるの父親に対して疑惑を向けるのは必至ですよね。だから引越し後にナゾの男が痕跡を探していた!(というのはどうでしょう?)

半魚 そうですね。

樫原 それから、頻繁に出入りしていたさとるとまりんの行動も「あるスジ」には分かっていた。

半魚 はいはい。

樫原 まりんに関してはロビン(こいつは事情は知っていたが、シンゴが意志ある機械だとは知らなかったためと、まりんの色香に惑わされて自分を見失ってしまったのだ!)が、さとるに関してはナゾの人物に監視させていた。

まりん髪のヤツは、実は成長を止めた大人であり、「あかんぼう少女」クラスのタマミ!?こいつもさとるを監視する目的で「お金」をもらっていた。「大金がもらえんだよ」はさとるを監視することでの報酬ではなかったのか?

半魚 んー。ロビンは、反日的な存在ではないですかね。それと、まりん髪のガキが大人である必要はないでしょう(笑)。ただ、さとるの監視も目的に入ってたという説は、僕もくみします。

樫原 大人だったら、この物語は確立しませんもんね。しかし、こいつ子供のクセに目的意識がはっきりしてませんか?それが、疑問なんですよー。松田なんて「腰巾着」みたいなモンだし。

半魚 はい、たしかに、「子供」のセオリーから離反してるようなところもありますねえ。

樫原 でしょ?何か不気味な子供の顔をした大人みたいですよね?だからいちばんヤな、キャラクターとして僕らは思うのでは?

半魚 ふむ。

樫原 どちらにしても、こいつはある程度のことを知っていたのは確かですよねえ。

 ところで、シンゴは「何者」かによって運び出されたのではなく、さとるとまりんによって「命」を与えられた一個の意志あるロボットとなっていた。それを、彼ら日本人の意識は知るすべはない。「まだ生きているロボットは作られていないんだよ」と彼らは言っていますからね(笑)。「奇蹟」が起きたことをしらないがゆえの「発言」。

半魚 その「発言」の真意が難しいわけです。本気なのか、ウソなのか。でも、仰しゃるように、「奇蹟」が起きたことを知っているかどうか、これは鍵ですね。たぶん、「あるスジ」の諜報能力がすごかったとすれば、シンゴが意識を持ったということを知ることも可能だったろうと思います。でも、この「スジ」は、あくまでも「奇蹟」を知っているような者たちではないでしょうね。基本的に、子供にしか起らないのが「奇蹟」ですから。で、結論として、御意見は大筋賛成です。

樫原 ある程度の知恵がついて「○」になったシンゴは「ロビン」の話から日本人の意識に関してのデータを受け取った気がしないでもありませんね。

半魚 ロビンの反日感情を、シンゴが「日本人の意識」というものを実体的に考えて行ったということですかね。

樫原 しかし、シンゴとロビンの接点は何一つないのですよね。これは、軍事衛星その他のコンピューターから受けたさまざまな知識の集約と考えた方がいいのでしょうか?

半魚 シンゴは、ロビンをきっちり認識してるでしょう。母にくっついたムシで、排除すべき存在として。そして、まりんの認識を介して情報源としてもロビンを見てるのでしょうね。

樫原 まりんを介してと、世界各地のコンピューターのデータの吸出しですかね?それらのトータルで神シンゴは「こいつは毒だ」と判断した。「毒」って表現はまたすばらしいですね。

半魚 自己中心的っていうか(笑)。

樫原 ははは!

半魚 (やっぱり、人間とそれ以外の根本的な違いは、他人の気持ちが分るかどうか、ではないかと思います。自己意識を持ってるだけじゃ人間とは言えない、と。

樫原 (でも、子供ってみんなそうですよね?自己中心的かつ他人の傷みなんてどこふく風・・・)

半魚 (まあ、そうかも知れませんねえ。)

樫原 「シンゴ」の心の変化が「子供的△」→「大人的□」→「神的○」→「衰退的×」の道をたどることにキーを置けば対(凡人的な人間の感覚)から遠ざかるのかもしれませんねえ。

半魚 (あれっ。上の御発言、△と□が、逆ですか。直して置いてください。んー、でも、「神的○」のあとに、一瞬だけ「人」になるんでしょう?)

樫原 あの、赤ちゃんですね?あれが、シンゴに起きた奇蹟なのかも・・・。

半魚 あいや、そりゃあ、そうですよ。あの胎児のイメージは、連載前の予告でも大きく描かれてますし、最初から楳図先生の構想の中にあったものですね。

樫原 (これって僕何度も言ってますよね?ホント年は取りたくねーなーこのあたり削除してください(笑))

半魚 (あはは。ぼくもそうですよ。話をもどしましょう。)

樫原 何かを「守る」という意識は、ここでは「まりん」で、既にこのときは「神的○」レベルに達しているんですよね? にも関わらず、核ミサイルを打ち込んだり、罪のない(?)人々を虐殺したり「ブラックボックス」そのものを励行してるみたいです。これは「狂気の破綻」ともいうべき事柄ですね。

半魚 だから、「神的○」とは言っても、それは一般に思うような、全能の神ではなくて、やっぱり「愚かなキカイ」の面もあるんじゃないかなあ。

樫原 そして、奇蹟の後はまた放物線のごとくに落ちていく・・・というような流れが出てません? 「愚かなキカイ」というのは、やはりどこかで「人間」としての「何か」が足りないという感じですよね?

半魚 んー、なんとも言えないなあ。やっぱり、人間を人間たらしめているのは、「人の心がわかる」てことだとは思うけど、楳図はそういう安易な図式で人間を描きはしませんよね。かといって、「足りない」=「マイナス」ってことでもないのでしょうけどね。たぶん、「人間」もそれほど素晴らしいものだ、という発想でもないのでしょうねえ。「愚かなキカイ」は「人間」とは違うという、価値判断抜きの存在様態ではないですかねえ。

樫原 漠然とした「感情」というのが存在するのなら「犬」や「猫」の人間に対する「愛着」もしくは人間のそれに対する愛情の形態のような? 母性本能ってありますよね? 子供が親を慕う本能がそれに近いのかな? 庇護する側とされる側、両者のバランスが崩れたときに「愚かなキカイ」的行為は始まるのかなあ?

半魚 ふむふむ。

樫原 これを如実に描いたのは「漂流教室」のおかあさんですよね? 「愚かなキカイ」然とした行為でいながらその愛情は深すぎる、みたいな。「真悟」の場合は、これと全く逆。子供が親に対する愛情を深めることによって「愚かなキカイ」的行為を繰り返す。これを「危険な無償の愛の代償行為」と言うのは早計でしょうか?

半魚 ああ、そうかそうか。「ギョー」だけじゃないですね。高松恵美子も、おんなじですねえ。

樫原 内面的なドス黒い「愛と憎しみ」が溢れ出してきたような・・・。

 で、結局また脱線しそうなんですが、僕はここでの「神の領域」ってのは人間そのものが持つ根源的な「欲望」または「本能」であるような気がするのです。「子供」である以前の・・・。

半魚 ああ、なるほど。神は気まぐれですしね。

樫原 深い深い闇かもしれないし、光に満ちた場所かもしれんとこで、神は嬉々として人間の愚かさをあざ笑う・・・(笑)。いやですねー。

半魚 あはは、いやですね。単純に図式化すると、人間の理性で制御できない人間の部分を「神」と呼んでしまう、ってことになりかねませんけどね。

樫原 人間の「愚かなキカイ」的側面かもしれませんね(笑)

 ここで、冒頭の

 「奇蹟は誰にでも 一度おこるだが起きたことには誰も気がつかない」

 を、すべての登場人物にあてはめて考えてみたらどうでしょうか?これが、最大の鍵であるような気がします(今は)

半魚 はいはい。やはり、ここに戻る必要がありますかね。

樫原 明らかに「奇蹟」と言える事柄は僕が思い出すだけでは「美紀ちゃん」「中学生のたけし」「おばあちゃん「片足の犬」くらいです(笑)

半魚 はいはい(笑)。

樫原 そして「まりん」や「さとる」にとっての奇蹟ってのはここでは何でしょうね?

半魚 まあ、子供時代の最後に、結婚してシンゴを産んでしまうことでしょうねえ。

樫原 「ロビン」「しずかちゃん」にもどこかで起きているのでしょうか?

半魚 これは、無いかな。

樫原 作品を通じての「シンゴ」に関してはその存在そのものからして「奇蹟」なんでしょうけど・・・・。

半魚 まあ、これもそうでしょうねえ。あの、進化のプロセスは奇蹟のあり方の典型みたいなもんですかね。

 で、シンゴの場合は、「気づかない」のか、「忘れちゃった」のか。

 また、 「独立」とは言いながら、実際は、シンゴの幻覚認識の一部のようにも思える。

樫原 神たりえた「シンゴ」の幻覚そのものが現実には「奇蹟」だとしたら・・・。そして、神の座を下りた「シンゴ」の幻覚は「妄想」として片付けるとしたら・・・。

半魚 はいはい。まあ、「妄想」と「奇蹟」がハナっから同居しているような気もしますが……。

樫原 これは、楳図かずお得意の「ワールド」ですよね。

 それは、まりんに触れた瞬間に一度「ヒト」の形になり(これがシンゴが受けた奇蹟)「神」から「人間」への降臨を果たし、後は没落(=死)の一途をたどる知恵ある機械の「妄想」?

半魚 ああ、なるほど。

樫原 実は、あの「日本人の意識」はホントはフツウの人間なんだけど、「シンゴ」が妄想(というか、ここでは、そう思い込ませる奇蹟?)により彼らを「ロボット化」させてしまい、「さとる」や「しずか」「美紀ちゃん」の不安を取り除こうとしていたのでは? などとも考えたりもしました。

半魚 そうですね。あの三人のおとこは、基本的にオオタナオヤなんかと同様に、ふつうの人間なんじゃないですかねえ。

樫原 ここで、また後戻りしますが、「まりん編」のApt19−生命兵器の項目でロビンが毒のオモチャを手に装着して、ナゾの3人組とまりん髪と同じ光線を出してます!

半魚 あっ、そうそう。わすれてた。

樫原 このことから、ナゾの3人組とあのまりんもどきはあるスジからこの毒のオモチャを装着して(その構造が分からないから)手に融合してしまって、そこから自在に光線が出せるようになったのでは?

半魚 ふむふむ。

樫原 「憑かれた人間」とでもいうのでしょうか?(ヘビ少女にかまれた人間がヘビになるという「狂気の連鎖」ですね)ともかく「ロボット」ではない!ということですね。

半魚 「憑かれた人間」ってのは、どうかなあ。ともあれ、あの三人もまりん髪のガキも、シンゴが毒のおもちゃを作ったより以後の存在ですね。

樫原 いやいや〜、ここで毒のオモチャを装着したロビンの顔を1頁で描いてますが、この形相!!明らかに「憑かれた顔」ですよー(笑)

半魚 ああ、そうですね。でもまあ、それは愛に飢えたロビンの性格もあるでしょう。ともかく、レーザー光線、これは一つの鍵ですね。

樫原 愛に飢えた・・・というのはいいですね(笑)あそこまで変えるものなのかー!うーむ。恐るべし!

半魚 で、よく読んだら、ロビンがビデオドロームを着装して抜けなくなったとき、「手がキカイみたいになっている」とか言ってるんですよ。この毒のオモチャ、人間をキカイみたいにするんですかね。まあ、単に、手に、それの跡がついただけかもしれないけど。

樫原 おお、それは!!!ブラックボックスは、単に外側だけではなく、人間の内面までも作り変えることができるのでは?それに対応できない「普通人」は死に、対応できた人間は「日本人の意識」となってゆく・・・優秀な民族ですね?あのリストはこれを装着できる人物のリストだったのでは?

半魚 んー。

樫原 それは・・・否定の「んー」ですね?(笑)

半魚 んー(笑)。

樫原 んー。

半魚 あいや、僕もよく分からんのですよ。

樫原 なんか、ここまでくると日本民族間の問題にまで発展しそうな雰囲気です(笑)。自然淘汰はブラックボックスで、という感じですね。

半魚 世界中の自然淘汰思想ていうか操作っていうか、そういうのはありますね。終末思想ですね。

樫原 やはり、それをプログラミングしたのは・・・誰?

半魚 ただまあ、自然淘汰されるのは、日本人なんでしょう?キプロス(=エルサレム)と佐度島がその実験現場か。

樫原 ああ、今こういうこと考えてる自分が怖いのですが、僕も今の日本の若いヤツら見てるとそうなって欲しいという気がしなくもありません。芥川龍之介ではないけど「世を憂える」気持ち分かります。

半魚 あはは。まあ、そう毛嫌いしちゃいけませんよ。まともなやつらのほうが、断然多いですよ。

樫原 そいえば最初の方でシンゴの生産能力が著しく落ちたのは基盤についた「ゴミ」だったって件がありましたよねえ。

 さとるとまりんのせいかと思われていただけにちょっと見せ場で面白かったのですが、このあたりも伏線として捉えられそうな気がしませんか?

半魚 んー。ゴミの一件は、コンピュータの誤作動によくあるパターン、ってことじゃないのですかねえ。ただまあ、「全体が生み出した偶然」とも言えそうですけど。

樫原 あの、社員ちょっと怪しくありませんか?トッポイ顔してて・・・実は東コン研の参謀かも・・・(笑)

半魚 ははは。まあ、多分、この段階では、東コン研はまだ出てきてないのでしょうけどね。

うーん、むつかしい。要再考(笑)。

樫原 ふー、やはり、むずかしいですね(笑)。もっと時間をかけて考えてみますね。

半魚 さとるがこうした事件に巻込まれるのは、たんに主人公だからというお約束ではなくて、毒のおもちゃの主犯である「シンゴ」をめぐる一番近い部分に居た存在として、さとるが「何者か」に認知されていたってことですかね。

樫原 うーん・・・その辺の根拠は曖昧ですが、目をつけられていた(見張られていた)という事実から推理できますよね。ただ、問題はその渦中にある「真悟」は勝手に一人歩きしてる、ということだと思うんです。

 それとも、これとは別問題として把握すべきなんですかねえ?

半魚 いや、仰しゃる通りでしょう。「勝手に一人歩きしている」という事ですよ。

樫原 いかに「日本人の意識」が優秀であっても個々人レベルの「感情」や「思想」までは理解できない!ということでしょうかね。

◆ Apt :22 アイへ

半魚 ソ連の兵隊だとおもったら、日本人でしたね。もしかしたら、北☆鮮の兵隊だったかもしれませんけど(笑)。

樫原 おお!怖いデス!その発言!!

半魚 当時はあんまり北は、脅威と思われてませんでしたね。

樫原 あれだけニュースで報道してるから、今では納得できますね。

半魚 うんうん、世界の脅威ですからね、いまや。こまったもんです。

樫原 確か、パスポートって北朝鮮だけは無効とかいう記述ありませんでしたっけ?僕これ「へー、謎のありそうな・・・何で?」といつも思っていました。(笑)

半魚 まりん似のガキは、顔がへんになって、死んだみたいなのにも関わらず手から光線を出してますね。前からの話題ですが。

樫原 破綻しておいて、さらに破綻!(影亡者か〜?)理解の限界をここで感じましたよー、ホントに。解釈不能です。(笑)

半魚 潜水夫たちも、最後、顔が変になりますよね。これも改造人間。いやでも、死んで本性が現れただけですかね。

樫原 おっと!ここで例の「死後」観が出ましたか〜?ここは、いっぱつ「あいつらはどこぞの企業(マ○クロソ○ト社)の放った超精密な人間型ロボット!ということで、カタをつけません?(笑)

 僕はここ逆否定みたいな受け取り方をしてました。ほんとはあるんだけど、まだまだ秘密にしとかなきゃ、みたいな。

半魚 うん、たしかに。

     手レーザー 死後の顔
(ロビン)  
三人の男
まりん髪
潜水夫 ×

 ほかに、比較要素、ありますかね?

樫原 ないと思います。個々にレベルの違いのある人造人間かな?(殆どターミネーターですね)

半魚 でも、切角、シンゴみたいなすごい存在をメインにもってきてる作品なんですから、ここでターミネーターみたいな、やっぱりすごいものを出したら、ちとブチコワシではありますよ。

樫原 それを考えて、謎のまんまにしちゃったのかも(笑)。

半魚 あはは、なんかありえそう(笑)。

樫原 常識的にありえないこと(死体がロボットみたくなる、指からレーザー光線)を「シンゴ」の妄想。その他の暴動は事実だという風に受け止めるのはどうでしょうか?これが「さとる」にふりかかった「奇蹟」だというのは不自然かなあ?

半魚 「奇蹟」というものとは違うと僕は思うけど、しかし、ロボットみたいになること、指からレーザー出すこと、この2点は、シンゴの妄想という気もしてきました。

樫原 「毒のオモチャ」を作ったのはシンゴだけれど、そのばらまかれたオモチャを既に生命兵器として使っている「あるスジ」・・・すると、シンゴの妄想だけでは治まらないような気もしてきました。そう考えるとあながち、これも現実味を帯びてきましたねえ・・・(笑)

半魚 そうですね。ぼくもそう思ってきました。単純な妄想ではなくて、やはり「毒のおもちゃ」による存在ですよ。改造人間か、ロボットか、憑かれた人間か、たんに生身の人間か、それらは置いておくとしても。

樫原 もしくは「やとわれた殺し屋」?

半魚 あはは。(笑っていいのかな?)

樫原 何とか「父」である「さとる」に会いたいというエネルギーが、「あるスジ」(僕もこれが好きですネエ)から受ける危機を全て「妄想」という言葉の「奇蹟」に置き換えて「さとる」を守ったのではないでしょうか?

半魚 はいはい。シンゴの起す行為(奇蹟?)は、基本的に「危機の回避」ですね。

樫原 それで、そのためにシンゴはエネルギーを使い果たしてしまったのではないでしょうか?

半魚 そうですね。たんに認識(見てた)ためだけではなくて、ね。なるほど。

 佐度で起ったことを、シンゴは最後のエネルギーをふりしぼってきっちり「認識」「危機回避」しているのですね。

樫原 死せる前の、強大なパワーでしょうか?

 もう、一個の純粋な「意識体」ですよ、真悟は!

半魚 まさに、そうですね。

樫原 そんじょそこらのチャラチャラした「人間」よりも「人間」してます。

半魚 これ、P・K・ディックなんかも使った発想ですよ。「ほんとうの人間らしさ」、「人間以上に人間らしいロボット」など。でも、ディックは「神」を扱った際に結局「救済」に行ってしまいました。楳図のほうが思想的に優れてるし(笑)、僕は好きです。

樫原 なるほど。この発想は色々な形でこれからも表現できそうですね。

◆ Apt :23・final そしてアイだけが…

半魚 さて、とうとう最終回です。

 佐度での経験を経てただ一人帰ってくるさとるの顔は、もはや子供のそれではありませんね。

樫原 そうですね。セリフも排除してその表情が全てを物語っていますね。

半魚 厳しくて、いい顔してるんですが、実につらくて悲しいですね。

樫原 顔の全てにトーンを貼ってるんです。

半魚 樫原さんは、そういう部分が悲しかったりする?(笑)

樫原 あ、いえいえ。効果的に使う分には全く気にならないのです。ムダに、なくてもいいのに顔の影をやたらとつけるとか、背景にやたらと貼りまくるとか、いう暴挙がイヤ〜な感じなだけなんです。

半魚 はは、「暴挙」。

樫原 そういうのを見ると「てめーら、手で描けねえのか?」って「たけし」しちゃいます。(笑)

半魚 爆笑。

 「アイ」と書き終えた瞬間にシンゴはシンゴでなくなり、その後で、さとるは「アイ」という文字を読みますね。

樫原 さとるはこの「アイ」をどう受けとめたのか・・・それを想像すると僕は感動を超えたひとつの「魂が揺さぶられる」思いでいっぱいです。

半魚 「たんすの中の子」と言った僕の友達は、この「アイ」を、「シンゴのダイイング・メッセージね」と言ってました。ちがうだろう、おまえ!(笑)って。推理小説じゃないんだっつーに(笑)。

樫原 カマせてくれます〜。そのお友達。まあ、間違いではないですけど・・・(笑)

半魚 「そして、アイだけが残った。」というナレーションは、もはやシンゴのナレーションじゃないですね。

樫原 そうですね。作品全体の像と読者の思いが重なって響いてくるナレーションです。

半魚 最後に、オオタ・ナオヤらが再び出ますが、ここにはまりんもさとるもいませんね。

樫原 まりんもさとるも、日本人の意識が作った「妄想」だったのかもしれませんね。

半魚 いや、そこまで言ったら(笑)。

樫原 ここで語られるナレーターは、結局「シンゴ」なのですよね。

半魚 「ここ」は、どこまでですか?

樫原 最終回の全てのナレーターです。

半魚 いや、やっぱり最後の「そしてアイだけが残った」は、シンゴのナレーションじゃないと思ってますけど。

樫原 あ〜、やはりこのナレーターには何人もいるような気がしてきた・・・。

半魚 まあ、重層的な語りではありますね。でも、僕は一元的に「不在のシンゴ」として理解したいなあ。

樫原 なるほど・・・「不在のシンゴ」だから「・・・だったそうです」とかが生きてくるわけですね!ふむふむ。

 僕は東コン研で今はフツウのロボットとして動いている「クマタ4.5」はまだ「意識」を持っていて、あそこで第1巻からを回想しているのでは、などと考えたりもします。(そうすると、不思議なナレーターも意味が通じたりしません?)

半魚 これは、僕はそうは思いません。最後の東コン研での「クマタ4.5」は、もはやシンゴではなく、意識も無いと思います。『わたしは真悟』は、シンゴが居無くなって終る物語であり、ナレーションとはそもそも過去形であるべきものなのに、物語の途中で現在に追い付いてしまい、最後には語り手の居る時間が不在になるという、奇妙なテクニックで書かれている、という事でぼくは納得しますけど。

樫原 ふむー、確かに、考えたらシンゴが明らかに遭遇していないナレーターも最初はそこここにあるんですよねえ・・・。こういうことも含めて考えると、シンゴだけではなく種々様々な視点からナレーションが入ってると思いませんか?

 これは「シンゴ」、これは「作者」の補足説明、これは「誰」というようにナレーションのフォントを変えてれば・・・と思うのは不粋でしょうか?

半魚 んー。

樫原 その「んー。」は不粋だってことの肯定ですね(笑)

半魚 にゃはは。

樫原 シンゴは人間世界の「時」の観念からかけ離れて、目的を達成したという満足感から、「老人」の心境のようにただもくもくと与えられた作業をしている、そんな気がします。

半魚 僕なりの反対意見を書きましたが、たいへん示唆的刺激的な御意見です。

樫原 もともと、楳図本来のテーマ性が「老いへの恐怖や孤独」という観点から、上記のような想像をしてみたのです。

 オオタナオヤが「われわれも最後には、なぜかシンゴがどこかにいるような気がして・・・・」と言ってるときクマタ4・5は、いえ、シンゴは微笑んでいるように思えませんか?

半魚 んー、そう思わなくもないですが。ただ、ここの東コン研の場面は、「いわゆる後日譚」ではないですよね。シンゴはもはや居ないのです!

樫原 おお!言い切りましたね!しかし「物質的」には存在(というか4.5としてはあるけど)はしてないけれど、もし「魂」や「死後の世界」があるとしたら「シンゴ」の「魂」は神または地球となって存在しているとはいえないでしょうか?(さんちゃんや、テッちゃんのように←これ、譬えが卑怯ですね)

半魚 まあ、たしかに、ナレーションてのは、どこか未来(語られている内容を「現在」とすると)にナレーターが存在していることが大前提です。だから、シンゴが居なくなった後まで描かれてしまうと、つじつまが合わないような気がするし、あるいは、シンゴの魂が残っていてそれが語っているような効果も持つかもしれませんね。でも僕は、ここはナレーションの大原則を効果的にやぶっていると思うのです。「どこにも居ないシンゴが、徹頭徹尾、最初から最後まで語っている」とおもうんですけどねえ。

樫原 とにもかくにもこの作品が始まった頃は「まりん」と「さとる」の恋愛調で、先ゆく破綻など誰も分からずにここまで大きい作品になるとは思っていなかった自分がふがいないです。

半魚 そうですね。かなり、遠くまで来ました。

樫原 想像のレベルを超えてしまった〜という感じでしょうか?今にして思えば僕はさんちゃんの事件あたりから急に単行本を買わなくなったっていうのも、このレベルの次元についていけなかったのでは?などと思うようになってます。まだまだ未来に目を向けていない若造だったのかもしれないです。ははは。(自虐の笑)

半魚 二十歳過ぎで読んで感動し、三十過ぎてからは「ちと、うざいな」と正直思ってました。が、いま読み直すと、また新たな面が見えてくる。こちらのレベルによって、現れ方が違ってきますね。

樫原 いやいやー、ここまで掘り下げた作品ってのは僕も初めてです。それなりに自分が読み取って楳図ワールドを堪能している甘やかな感覚では、いけないことに気づきました。

 時に「息」を抜いて、時に「息」を殺して読む作品たりうるものですね。

半魚 うまい表現です。

樫原 ありがとうございます。(笑)

半魚 いえいえ。まあ、僕なんかは肩に力が入りすぎてますけどね。

樫原 そして「漂流教室」でも使われた子供達が笑いながら走ってゆくシーン・・・ホントに泣けます。

半魚 ほんと、ここは、なんて言っていいか、よく分からないシーンです。夜空を走ってはいませんが、『洗礼』なんかもラストシーンで主人公は姿(現実の)を見せませんよね。この余韻的な手法には、こちらの胸が締め付けられるような幸福感と緊張感を与えられますね。

樫原 最高な手法ですね。僕もこれからはこの手でいこう!

半魚 後日譚をきっちり描いちゃって安心させる、ってのの逆の手法ですよ。

樫原 うーん、完結にするのなら↑の方が無難だなあ。まだまだ先があるんでしょ?みたいな描き方は余韻は残るけど先のことをまた考えなくちゃいけない、みたいな負担がありますね。

半魚 ええ、それは分かりますけど。でも、『漂流教室』にしても『わたしは真悟』にしても『洗礼』にしても、きっちりもう完結してますよ。それ以上の後日譚を望むのは、不粋であると思います。

樫原 「続」というものは漫画世界にはのぞまない方が賢明なのかも。

半魚 僕が、大林宜彦って、案外ダメなやつだなと思ったのは、『さびしんぼう』で、尾美としのりの後日譚(坊さんになって家を継いでる)を最後に載っけた時でした。「こんな凡庸なことをしちゃうんだ!」と思って、びっくりしましたよ。もう、ここは絶対におれは譲りません(笑)。

樫原 ふーん。大林監督作品は心して見る作品ってないのであります(笑)。やはり僕は「市川崑」か「小津安二郎」派ですね。

半魚 そういう巨匠から較べれば、屁みたいなもんですよ。

樫原 (笑)そうですよ!楳図先生、描いてはいけません。決して!

 これも何かの対談でしょうが、「漂流教室」も今、翔は30歳ですから、どうたらこうたら、という記事を載せていましたねえ。

半魚 SVC版の『漂流教室』ですね。

樫原 あれは、いっきに作品が現実的になって悲しかったです。

半魚 ああ、僕はそれはキライじゃなかったです。「今でも翔たちは、苛酷な未来を生き続けているんでしょうね」と仰しゃってたはずで、でも、実際はどうなのかは分からない。むしろ、僕らの心の中で生きている、という感じでした。

樫原 描く側にしてみれば「悩む」ラストシーンであります(笑)。純粋な読者としては、これほど感銘を受けるラストはないですが。

半魚 悩んじゃいけませんて(笑)。『真悟』に戻りますが、これだけきっちり書/描いてあるのですから、もう充分ですよ。「最後の巻には、まりん、出てこないんだよ」(いしかわじゅん)も、馬鹿だなあと思います。

樫原 はは、まあまあ。きっといしかわじゅん氏は「まりん」ファンだったのですよ。

半魚 いや、ともかく、わかっとらんね(笑)。

樫原 おお、怒ってらっしゃる・・・。

半魚 怒ってもしょうがない相手だが(笑)。あいつのマンガ、ぜんぜん面白くないし。

樫原 ・・・怒ってる、怒ってる(笑)

半魚 じゃあ、まあ、それはさておいて(笑)。問題のラストシーンですが。

樫原 僕らは大人になっても無垢に笑いながら走り回る子供の姿をいつまでもいつまでも忘れてはいけないよ、といってる気がします。

半魚 いや、「おまえ、もう忘れちゃってるんだろ」と言われてるような気が、いまはシマス(笑)。ていうか、喪失感の中でしか語り得ない「子供性」のような気がします。

樫原 うー、確かに。寂しいけれどこれが「現実」の中で生きてる人間の性なのかもしれないですね。

 (しかし、モンローの絵までも復活させてますねえ・・・)

半魚 (あれ、焼けて、下水道の中で自分で取払ったはずだから、作り直したんでしょうねえ)

樫原 芸が細かいこと・・・(笑)

半魚  最後の、

地球を取り巻く虹

は、なんですかねえ。

樫原 地球人、または地球の意識では、ないかと僕は思ったりしてます。日本人の意識はそのまま地球の意識と変換されつづけ、これからも地球は人間達によって救いのない顛末を向かえるのではないかと、いう警鐘のような気がします。

半魚 決めましたね。これは、毒のおもちゃの虹の、それですよね。「あー、平和な大団円」なんてものじゃないですね。

樫原 改めてこの「虹」は、オオタナオヤの最後の言葉から日本人に意識がこの世にない「何」かを信じ始めようとしている希望の虹のようにも見えてきました。それは「愛」かも「奇蹟」かも、「子供のように残酷だけど無垢なシンゴの気持ちを持った」というような、抽象的な「意識」かもしれません。

 そして、これこそがシンゴが、いえ大作家たる楳図かずおが私達に与えた感動という「奇蹟」なのではないでしょうか?

半魚 んー、まあ、ぼく自身、最後の虹は、感覚的には、終りにふさわしく大団円的なものとして感じてはいました、実は。ただし、『漂流教室』の終りのような、愛のメッセージとしてはちと捉えらえられないような気もします。

 でも、虹自体が、愛と文明との両義的な存在物なのかもしれませんねえ(べつに、まとめに入ってるわけじゃないけど)。

樫原 うむむ・・・虹は7色だからあと5つ何かテーマが入るのかも(笑)

半魚 いやあ、そういう問題じゃないでしょう(笑)。大地と空との二元世界を繋ぐものかもしれませんよ(笑)。

樫原 うはは!虹ってやはり何かの暗示ですよねこの作品でも何かと何かを結ぶ架け橋って感じなのかなあ?

半魚 L'Arc~en~Ciel ――大地の架け橋ですね(笑)。

樫原 若いっス!半魚さん。(オレは知らんぞー)

半魚 ははは。

樫原 それゆえに、この作品は「何か」を忘れてる不毛の現代人にぜひ読んでほしい1冊だと心から思っています。(と、友人には勧めるんですが・・・なかなか(笑)語り合える身近な人物ってのはいません)

半魚 これほど素晴らしい作品なのにねえ。ただまあ、ゴチエイなんかが典型ですが、素晴らしいと言って置きながら、なにがどう素晴らしいのか全然言ってこなかった評論家たちの責任でもありますよ。ていうか、現代人みなが『わたしは真悟』に対して、明確な言葉を持ててないということですかね。

樫原 この対談を読んでくださった方が興味を持って「わたしは真悟」を読んでどんどん意見の輪が広がればいいですね。

半魚 この対談も、たぶん、一役かうでしょう(わはは)。

樫原 大期待しております。(笑)

半魚 (まだ、これでまとめにするつもりではありません/笑い)。

樫原 (はは、はい)

[その5へつづく]


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対談期間: 2000-08-10〜09-03
2000(C)KASHIHARA Kazumi / TAKAHASHI hangyo