文学I
301教室……2024
福永武彦『忘却の河』を読む
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*内容は更新されています。授業開始前にリロード(↻再読み込み)してください。
グーグルクラスルームをつかいます(クラスコード n7ldd4v)
そして。まずは……、
あまりおめでたくない(!?)、この世界。パンデミックから世界?大戦へ。軍国化、テロリズム?民主主義の崩壊。ソレハサテオキ
▸ 置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子というひとの名言。本がある、amazonで900以上の評がついている、酷評も含め)
F・ニーチェの「運命愛」(与えられた条件を肯定して生きる。その条件しかないから我慢する、ではなく、他の条件がもし選べても私はこの条件を受け入れる、という考え方)に通ずる考え方だとおもうけど。搾取とか、毒親とかもか?
▸ 子曰。里仁爲美。擇不處仁。焉得知。(論語・里仁篇) (子曰わく、里(さと)は仁(じん)を美(よし)と為(なす)。択(えら)んで仁に処(をら)らずんば焉(いぞく)んぞ知(ち)を得(え)ん。 )
朱子の解釈:「孔子先生はおっしゃった。住む場所は、仁の行われている場所(よい風俗の場所)が良い。そこを選んで仁を拠点としなければ、どうして善悪・是非を判断する知を得ることができようか」cf. 孟母三遷の教え
荻生徂徠による、少し異なる解釈:「仁(まごころそのもの)に寄り添っていれば、美(よいこと)が自ずと付いて来る。」→場所でなく心構えの問題である。『論語』の読み・意味も、読みかえられる。が、いずれにしても、自ら選ぼうという考え。選べない人はどうするの?
古典の解釈も一定していない!
☞
つまり、「場所はどこでも良い」という説と「良い場所を選んで住め」という説と、相矛盾する二説がある。どちらが真実か? あるいは、いわゆる名言でもいつも両面があるのか。真理を言い当てた言葉があるのではなく、相矛盾する二つの命題から、中庸(ちゅうよう、メソテース)を取ることが、よく生きることである。じっさい!
☞ ちなみに、先の3年間(2020〜2022年)は「場所」自体がなかった。バーチャルな空間であった。遠隔授業!遠隔実技!入学休学!(こういう授業態勢!)。そして、パンデミックが明けたとたん、世界戦争?(ウクライナ/ロシア、パレスチナ/イスラエル、東アジア?)
欧州に留学してその伝統を目の当たりにしてショックを受けた。「それから私は日本に帰って来て考えた。伝統は私自身の内部に新しく築くほかはない、風土は私個人の周囲に見出だすほかはないとね。日本人にはエスプリ・ド・ジェオメトリイ(幾何学的精神。数学的・論理的に考える力)が伝統的に不足しているのだから、いきなりアブストラクト(抽象表現、抽象概念)を与えたって、描く方も見る方も、あっけにとられるだけです。」(『忘却の河』第5章、画家・秋田治作のセリフから)
☞ ともかく、金沢美大という「場所」に来て、おめでとう!
もう一点。正解は予めある(先生は答えを知っている)ということはない!ということ。試行錯誤(すぎるのもどうか、とはいえ)の連続。AIは正解を知っている?→文脈(場所)に依存した、状況に応じた、正解があるのみ(だろう)。それは全くの普遍的価値はありえない、という意味でもなく。
競争を(させられて)勝ち抜いて。受験戦争。
入試の試験監督:共通テストと2次試験。われわれ一般教育の教員は共通テストのみ中心的に担ってきたが、昨年のみ初めてたまたま専攻の2次も手伝った。お客さん(よそのこ)と我が子の違い。もちろん共感・愛情は拡大されなければならないけれど。「潜在性(可能性)の哲学」G・ドゥルーズ、実現しなかった可能性もふくめて、この現実世界なのだ!私たちの現実(アクチュアリティ)は、さまざまな実現しなかった潜在性(バーチャリティ)を含んでいる。パラレルワールド的?(ライプニッツ的) -->
次に、または、そのためにも。
自身の向上と他者との競争とは全く違うものです。(自己の絶対性/他者との相対性)いかに競争から足を洗うかが人生の意味です。「いやいや、人間は肩書きだ」「人は見た目で決まる」とか世俗の価値観からいかに脱却するか。
☞ 生まれて、生きていること。それを背後から指令する理由・原因・目的は無い。生きる目的は、(予め)与えられてはいない。自分で見つける、作るものだ。「神話」ではなく、「物語」を作るのである。
▸実存は本質に先立つ。(J・P・サルトルの言葉)『忘却の河』第3章で、関連して扱います。
▸文学研究は、ともすれば現実社会とコミットしていないと考えられがちだが、それは誤りである。私たちは、つねに「物語」のなかを生き、ときに、より「大きな物語」による抑圧を受ける。そのような抑圧にあらがうために、私たちは「物語」自身のみならず、その「物語」を発信・受容するシステムや、「物語」のコンテクストを読み解く力を持たなければならない。そのような広い意味でのリテラシーを得ることができるのは、文学研究の分野である。そもそも、現在の私たちをとりまき脅かす「大きな物語」の原型は、すべて過去にすでに語られたものなのだ。そのようなアクチュアルな学問の形として、文学研究はある。(菅聡子・お茶の水女子大教授の言葉)
☞
文学や芸術のような虚構(フィクション)の世界と、政治や経済、社会や生活、教育・医療といった現実世界と、二つの別個の世界があるのか。そうではなく、この現実世界自体がある種の物語として書かれ読まれているのではないか。偉人伝を読んで、その人を手本として生きたいと思うことがあるのはなぜか。フィクションであっても、偉大な芸術作品は、直接にわれわれの人生を変える力を持つのではないか。
ただし、良い方へばかりとは限らない。あるいは現実の出来事、地震や大量殺人、津波や原発事故とて、パンデミックも(?)、人によっては、それはTVの中の絵空事にすぎない。
現代は、どんな時代か。それを、文学作品の読解を通して、考えていく。考える力を付ける。
さて、本題です。
▸ 学内の売店・かゆう堂で売っています。本格的には、来週から使います。
今回は、あらかじめ音読したデータを、グーグル・クラスルームの「ドライブ・フォルダ」に置いておきますから、ダウンロードするなりして(なるべく小さなサイズになるようにしました。フォルダ毎一括してダウンロードできるはずです)、事前に聞いてみておいてください。テキストを見ながら聞くのが、理解のためには有効でしょう。
◎高橋個人サイトから(リンクを知っている人すべてアクセス可能)http://hangyo.sakura.ne.jp/lec/kawa_read_aloud.zipZIP形式でアーカイブ
△グーグルクラスルームから(リンクを知っている人すべてアクセス可能)https://drive.google.com/drive/folders/1002WTifjkMnV40A9mbxWq52-uGPn5UJR?usp=sharing
この授業じたい、そもそも「音読」してきました。文章が美しく細やかで、細部と全体と対応的な構成も素晴らしく、そうした素晴らしさを味わうためには、ともかく一緒に読むことが第一なので、授業で「音読」してしまうのですが、ただ「わざわざ授業で、先生が読んでくれなくても良い」という意見も、毎年多少ありました。多くは「読んでもらうので有り難い」という意見であり、実際、私もまずは読まないと、説明もしにくい。ちょうど、絵画作品を目の前で見せないと説明しにくいのと同じでした。
ただし、本作は、そのまま朗読されるべき、ラジオドラマのようなものとして書かれた作品ではなく、やはり黙読(目で文字を読むこと)を前提としていることは、読んでみて、あらためて分かります。ちなみにコロナ初年の2020年は、テキストが入手しづらく、最初は音読データだけで授業を開始しました。まあ、そうした悪条件において享受してみるのも、今回(昨年)のような悪条件下には似つかわしい趣向(おもしろみ)ではないだろうか、となぐさめて。
なお朗読しているのは、森本レオさんではなくて、まあ私自身ですが、思った程上手じゃないですね(がっくし)。それも一つの、与えられた(悪)条件として、置かれた場所で、咲いてみてください。
▸ 朗読データは、次の通りです。2020年に初めて作ってみて、面白い経験でもありました。通読に必要な時間も、判明しました。
一章 忘却の河 | (全18ファイル) | 207分 |
二章 煙塵 | (全9ファイル) | 85分 |
三章 舞台 | (全8ファイル) | 53分 |
四章 夢の通い路 | (全9ファイル) | 99分 |
五章 硝子の城 | (全6ファイル) | 67分 |
六章 喪中の人 | (全5ファイル) | 40分 |
七章 賽の河原 | (全11ファイル) | 116分 |
この作品は、堂々と言いますけど、最初の一章は読み始めさっぱり面白くないだろうなと思います。ぐだぐだ心境が書かれているが、小難しく、ぜんぜん面白くない!とか言うのではないでしょうか。少なくとも、青春の若者向けの楽しさは、そこには無さそうです。しかし、勉強だと思って、最初は我慢してください。途中から、主人公の若かった時代を振り返る部分に入り、そこからは、ストーリー的にも非常に面白くなります。ただし、苛酷です(今日風に言えば、ゲス野郎というのですか)。
二章、三章、四章と、堂々と言いますけど、文句なく面白いはずです。今日の洒脱な小説(80年代以降、または00年代以降?よしもとばなな以後?あるいは、村上春樹以後?二人とももちろん良い小説家です)も悪くはないでしょうが、六〇年代の圧倒的な構築力と表現力をそなえた傑作のすごさを、ぜひ味わってほしいです。
予備知識なんか、まったく不要です。作品にじかに入っていってください。
特に、視覚的描写のものすごさ(描写のうまさと、その構成)を味わってほしいのです。(つまらないであろう)一章にも顕著ですが、場面の入れ方が、転換のしかたが、たぶん映像的、映画的なのでしょう、突然切り替わるのだが、それが決して不自然ではない。
☞ 授業で使うもの、やり方。再説。
▸ 授業は対面。音声アーカイブなどは残しません。
▸ 話す内容は、このページに予め書いておきます。親切?私が話す台本でもあります。
▸ 授業後に、何か質問などあれば受け付けます。なんでも聞いて下さい。
▸ 出席は、終了後に授業に関する内容を含んだメールを送ってもらうことで、証明してもらいます。授業を聞いていることが分かるような内容を含んでいないと出席扱いとしません。(とても興味深い授業でした。主人公はひどいやつだと思いました、など漠然とした、聞いてなくなって書けるような感想ですからね。まあ、みなさんも工夫してみてください)。
グーグルクラスルームの「提出物」というシステムがあります。点数設定などもできるようです。これを使って、工夫したいと思います。適宜指示しますので、掲示を確認して下さい。今日の1回目に関しては、授業で話された内容に関して、簡単にまとめ、自分の意見などを書いて、締切り(3〜4日)までに提出してください。
字数制限などは、特にさだめませんが(多く書ける人もいれば、少ない人もいるから、一概に決められない)、4年間をとおして、文章を書くことを嫌がらずにできるようになってほしいと思います。苦手意識は、人と比べることで生まれます。そうでなく、自分の好きなようにかけばよいのです、楽しく書けばよいのです。上手でなくても、ぜんぜんかまいません。(上手になりたくて、教えて欲しい人には、いくらでも、上手になり方を教えますけど)。
あと、メモをとるくせをつけるとよいです。スケジュール手帳(スマホで?)、スケッチ帳、などと同じように、言葉でスケッチする。そのシステム、スタイルを自分で考え、作っていくのです。
ChatGPTなど生成系AIの使用は認めません。簡単に短時間で課題をこなすのは良いことかも知れませんが、文章力はつきませんし、機械があなたの代わりに文章を書いたり、絵を描き、作品を作り、あなたの代わりに(華々しく)生きてくれて、それが幸せですか。
はい、質問ありますか。廊下でも、お気軽にお声をおかけ下さい。小さい大学ですし、教員とも学生同士とも、話をしたほうが良いです。(メールでの、あんまり細かい質問には、すべてはお答えしませんが)。ゆっくり雑談でもしながら、話を進め、深めていきたいですね。
▸ あらためて、入学おめでとう!
「文学」とは?。私の担当する教養科目、文学1は現代文学を1作品、文学2は古典文学を連続・文学史的に、文学3は言語以外のメディアも含め(まんが。ちな他の先生だが文学4は映画)。
本授業では、一作品を扱うが、「二〇世紀小説」の全体を講義します。心理と出来事を描く19世紀小説に対して、二〇世紀小説は意識と時間を描いた。という福永武彦の定義がある。M・プルースト、J・ジョイスに始まる二〇世紀小説。知覚と記憶の二重性を描いた、とも言える。現働性(現在)と潜在性(過去=未来)。
ややこしい話になりましたが、純粋に、作品が面白い(筋立て、解き明かし)。のみならず、美しい描写(心理と風景〜情景)。構成!
福永武彦(1918 〜1978)。他の代表作『草の花』、『死の島』。
朗読データ。今日は、ファイルの bo064_1_11.mp3 くらいまで進む予定です。 (ファイル名は、bo064は共通、真ん中の一桁は章、最後の二桁は章ごとに振られた連番です。フォルダ、ダウンロードの仕方、各ファイルの容量時間などに関しては、第1回を見てください。)
授業概要:『忘却の河』は、とある戦後の中流家庭の諸肖像を描きながら、人間の生死、愛憎を扱った、極めて優れた典型的現代小説です。テーマ的には重々しいが、読者を引込む巧みな構成と美しい表現力を持っています。本授業では、戦後文学を題材にして、描かれたテーマを味わい、同時に文学を研究するための基礎的方法を学びます。
到達目標:大学生の一般教養として、文学作品を読む力を養うために、次の3点を心掛けます。1、2、3の順に難度が上がるので、是非挑戦してください。☞ 虚構(文学作品)を通して、現実世界を読むリテラシー(言語活用能力)を身につける。
1. 複雑な構成の作品を、前後関係などに注意して、丹念にたどって読む。☞ 意識の流れとしての二〇世紀小説
2. 作品の背景となっている哲学や芸術思想などを理解しつつ、作品を読む。☞ 抽象主義、実存主義、それらの限界
3. 作品から見出だされるテーマを読み取り、自分の生き方と関係づけて読む。☞ 自己の物語として。小説の愉悦
授業計画:講義・講読形式で授業を行います。作品は全七章から成っていて、週割りと章・各主題との対応は次の通りです。(少し変えました。また、今後変わる可能性もあります。変ります)
作者・福永武彦(1918 〜1978)については追々。作品は1964年(昭和39年)5月刊行。「初版後記」(朗読ファイルbo064_7_14.mp3)参照。1963年の後半期に、7つの各章それぞれが異なる文芸雑誌に掲載された。「私には各々の章が独立した作品であるかのような印象を与えたいという意図があった。それゆえ雑誌発表の際には、あるいはそれらが長編小説の一部であることに気がつかれなかった読者もあるかもしれない。
1963年くらいの作品、その時代が舞台……、だけでじゅうぶん(予備知識)
「一章(の前半)は面白くない」と先週言いました。「途中から面白くなる」「二章からはたぶん面白くなる」「三章からは絶対面白い」とか、これ自体がほんと余計な知識です。 ☞ というわけで、実際に読んで行きましょう。
朗読データを授業で流したりはしません。教室でやっているときは、朗読していましたが、今のこの形式のほうが、授業の内容としては良いでしょう。
冒頭文「私がこれを書くのは私がこの部屋にいるからであり、ここにいて私が何かを発見したからである。」と始まっている。みなさん、どうですか?外国語翻訳調、理屈臭い? 書くことは、未規定な状態・対象にたいして行われる規定作用である。(よく「おれ、こいつが犯人だと最初から思ってたよ」と言って自慢する人がいるが、複数の容疑者への疑いの気持ちのうち、犯人が確定した段階で、その犯人たる人物に対する疑いの記憶だけが回想されているのである。未規定状態での確定は間違いか当てずっぽでしかない)
作者は、かなりのインテリ(知識階級)であるが、「私」=「作者」ではもちろん無い。読者は、与えられたことを受取るだけである。以下、しばらく心境の告白(しかもかなり理屈くさい)、あるいは眼に映るものの描写のようなもの(アパートの部屋の描写)が続くが、実際、全体を一度読んだ後、再び読むと、上手に書いてあることは分かる。情景が目に浮かぶようです。「あの女は洗いざらい自分のものを持って行ったわけではなかったから、」(p.10)などともある。また、先の冒頭文につづく二文目は「その発見したものが何であるか、私の過去であるか、私の生き方であるが、私の運命であるか、それは私には分からない。」とある。分からないんだったら書くな!と突っ込みたいが、過去:生き方:運命は、たぶん過去:現在:未来に対応しているのである。言葉は、てきとーに選ばれてはないのです。
さらに三文目「ひょっとしたら私は物語を発見したのかもしれないが、物語というものは人がそれを書くことによってのみ完成するのだろう。」とある。「物語」は「書か」れなければ、完成しない……とはどういう意味なのか?これは必ずしも、本作中では明示されないが、すくなくとも「私」は、実際に「書い」ている。また、福永武彦は本作の前の長編『草の花』で「書くことは定着させることだ!」とも作中序盤で主要登場人物(詩人)に言わせている。漠然とした感覚を浮遊させているだけではだめだ、という思いなのだろう。本作においては、「私」が自分を、第三者のように見つめている。「この部屋の内部に閉じこもっていると、ふと私が私ではなくなり、まったく別の第三者のように見え始めるのだ。そうすると私は「彼」の中に私の知らなかった別の人間を発見したような気になる。」
「この部屋」には、具体性がある。(キューブに閉じこめられている、など)SFやおとぎ話ではなさそう。「私の部屋と言えるような言えないような、貧しいアパートの一室」、詳しい描写がつづくが、これはお手本のような的確な描写。そして、窓の下には「掘り割りのよどんだ水」があって、ツンといやな臭いがする。ドブ(以上の)臭い。日本の河川は、高度成長期には大いに汚れたが、70年代の公害訴訟以来、環境改善がされて今はずいぶん奇麗になっている(時代的な変化、しかし今や再び重大な公害をまき散らした!2011年に)。
さらに、ここへ来る途中の文房具屋で買ってきた原稿用紙にこれを書いている。「私は何かを書こうと決心し、ここへ来る途中の文房具店でありあわせの原稿用紙を三帖ばかり買って来た。万年筆はパーカーで、これは私が社長室のマホガニイのテーブルの上で書類にチェックしたり小切手に署名したりする時に使うのと同じ万年筆だ。」(p.10)(具体性がある。架空の寓話ではない)。唐突な始まりにも拘わらず、じつはさりげなく、状況をわかりやすく、順序よく、過不足無く、説明してくれている。パーカーはアメリカ製高級万年筆である。「私」は社長室に、良い机に座っている。小切手に署名するのだから、社長本人である……。うまい……。なお、同じ万年筆、は a pen made by parkerでなく、the pen made by parkerであろう。同じ種類のでなく、同じそのもの(個物)。僕もきみと同じ三菱のハイユニを使っている(これは種類)。
さて、この「私」の回想、執筆内容。話しはあちこちに飛んでいきます。
[補足]『忘却の河』は、一見、糸が複雑に絡まり合ってこんがらがっているように見えるが、実際は、ほどけない結び目はひとつもなく、すべてつじつまが合っています。夢見がちな回想ののち気付くと不思議の国にいた!なんて展開には全くなっていない。もとの場にきちっと戻っています。先週、上手い!といったのは、まずこのことです。ただし、このへんは、上手に作りすぎてあるかもしれない。上手すぎるのは時に欠点となる。ほどけない結び目、つじつまの合わない部分は、推理小説でなら欠陥だが、現代文学においては肯定されもする。破綻はすこし在っても良いと私は思う。なぜなら、この現実世界じたいが、実は破綻しているから=つじつまが合っていないから(!?)。ちなみに福永武彦の最後の完成作になった『死の島』(1976年作品)では、こうしたほどけない結び目が、いくつかある。現実が1つに収まらない)
なお、小説は、唐突に始まるのがよい。唐突でなく、丁寧な説明があるほうが良いのでは? ぜんぶあらかじめ説明しておくのは難しい。たとえば政治には丁寧な説明が必要(丁寧に議論していくと言う大臣は、実際はおよそ丁寧ではない)。しかし、小説は……。そして授業も、唐突に始まって良い(なかなかできない、丁寧に説明したくなる、してます)。5W1Hなどといって、明示的に分かりやすく書く方法が「国語」では推奨されているが、そして小中学生にはそういうのを教える必要はあるが、芸術においても、効率よいコミュニケーションにおいても、それは虚妄の説である。(When,Where,Who,What,Why,How → そんなうまく説明できるかっつーの)
だた、過不足無く説明の要素をちりばめてはいます。 「私はここで一人きりだ。誰も私がここにいることを知らないし、妻や娘たちが知ったら、とんでもないパパだと一層信用をなくしてしまうだろう。会社の者たちが知ったら、無理もないことだ、それ位は当然だ、とかえって私に同情してくるかもしれない。」(p.11)家族関係など。
突然の場面転換の最初(p.11)。社長室での秘書との会話が入る(現在―場面転換なのか、回想―過去なのか)。判別が難しいのは、耳で聞いているからという理由も、(半分だけ)ある。本文は次の様にあります。
「私は一人きりで、たまにここに来て誰もそのことを知らないとおもうだけで、気持ちがほぐれて来るのだ。それは私の秘密といったものだろう。(改行)あら社長さん何かいいことでもあるんですか、と秘書が茶を運びながら私に言った。どうして。だって一人でわらっていらしたもの。」(p.11)会話文にカギカッコをつけていないが、読める。(ちなみに朗読では、わたしはそれっぽく朗読してしまっている)。
ここには、「意識のアトランダム」がある。回想は、アトランダムに行われる。アトランダム(順不同)=非・シーケンシャル。"不意に思い出す" M・プルースト的なメソッド&テーマ。
なお。耳で聞かせるのは、メディア的限界がある。実際、黙読を前提として書かれていることが、読み、聞いてみると、感じられると思う。 文字(さんしつとか)、句読点や改行、会話のカギ括弧がない。このテキスト(作品)にとって、黙読は対象をきわめてプレーンに浮かびあがらせるが、音読にはすでに解釈が入っている。抑揚、句読点の休止など。
ここまでのまとめ:唐突に始まり、場面転換するにしても、じつは(1)要素をじょうずにちりばめてあり=作者の上手さ、(2)読み方でも解釈して、分かりやすく読んで居り=朗読と黙読の違い、(3)最終的には、バラバラなもの(未規定なもの)は繋がっていく(規定作用)=二〇世紀小説の本質的特徴。バラバラなものとは、意識(知覚と記憶との混淆)である。
このことを、具体的に詳しく述べていきます。
小説とは、そもそも何を描くものか。西洋では、小説(ROMANCE、ロマンス)。中国では、論説という意味。日本では坪内逍遙『小説神髄』(明治20年)。いずれも、「詩」(韻文)に対する散文・俗語だが、おなじ散文でも「物語」が物語り・叙事という古代からの形式であるに対して、小説は基本的に近代以後の文学形式である。近代とは人間の時代である。「我思う故に我在り」(デカルト)に始まり「神は死んだ」(ニーチェ)で完成する、美術で言えば、線遠近法の成立(ものの大きさは、見る位置によって変わる。世界・対象の形を、私の目にどう見えたか描く)に始まり、印象派(光、色もつねに変化し続けており、私に見えた光、色を変化のままに描くのみ)で完成する。世界は、私に与えられている(世界とは、私に感じられた世界である)。
ただ起こった出来事、ストーリーを書くだけなら、叙事(詩のパターン、叙事・叙情・叙景のうち)でなされてきた。小説の特質ではない。叙情はもっぱら詩の役割であり、物語ではなかった。日本の場合、江戸時代から小説が認められている。
「私」の位置は、「人称」によって示される。「人称」に対する自覚を持つのが小説。対して、物語は無自覚のうちに三人称が選ばれている。「むかしむかし、おじいさんとおばあさんが、いました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました」。しかしこれが小説であれば、「私が宝車をひいているのは、鬼退治に行ったからであり、鬼退治で何かを発見したからである。その発見したものが、何かであるか、私の家来(犬猿キジ)、私の家族(爺と婆)であるか、私の胞衣(えな=桃)であるか。ひょっとしたら私は生まれるべき桃を発見したのかもしれないが……」などと。一人称で語りはじめれば『桃太郎』はもはや小説である。
本作でも、人称は厳密に使い分けられている。一人称の「私」(父)と「わたし」(母)、三人称の「彼女」(二章、三章とでの使い分け)。
近代は、世界を私に与えられた対象として捉えた時代である。ただし、現代はその近代の解体時期でもある。(いつからが現代かは議論が可能だが、少なくとも近代が完成したからはもうその解体は始まっていった。世界は、私に明確に与えられず、再び渾沌としていくプロセスが現代の諸相である。20世紀はほぼその現代だし、21世紀もテクノロジーはさらに進むが、まあその解体・展開のバリエーションではないか)
伝統的な小説は、物語と同じく、出来事が描かれている。ストーリーとも言う。ストーリー(語り、歴史)とプロット(企て、構成)の区別。 ☞ 実際に起こった時間順と、それが語られる順番とは、同じでなくとも全く構わない。同じ一つの試合でも、見方、語り方によってこんなにも違う。
▸ 例1)前半始まってすぐに先制されたが、30分にCKから同点に追いつき、後半選手を積極的に入れ替え、システムやポジションも変えた結果、2点連取。終了間際に1点返されたが、勝利。
▸例2)大変な試合だったが、後半はわれわれのペースが上手く作れた。立ち上がりは選手の距離感がまずく苦しかったし、終了間際の失点も不要だが、勝てたのは何にもましてよかった。3対2。(ほめている)
▸例3)結果的に勝ったことになっているが、内容的にはまったく我々のチームのサッカーではない。チームワークもなってなくて、まったく試合に入れていない。終了間際の失点もひどい。後半冒頭で連続得点できたのは、たまたまにすぎない。(けなしている)
☞ しかし『忘却の河』の構成の上手さは、たんに出来事の語る順序を変えた、というものではない。「意識」はそもそもアトランダム(連想)に流れる、というだけでさえない。おそらく世界の存在がランダムなのだ!この小説が持つ構成の巧みさは、その洞察によって実現されたものである。
このことは、人に教えてもらうのでなく、自分で気付くのが楽しい、ベストであるが。(cf. 小学3年の時、お盆に遊びに来ていた親戚の叔父さんが、お盆の小遣いで買ったプラモデルを、親切心から作ってくれたときの悲しさ。ネタバレを否定する1つの根拠)
☞ このことを踏まえた上で、ストーリー、出来事を追ってみよう。
【梗概・一章前半】
「私」はストーリーを語り出す。「それはまずこういうふうに始まったのである。夏の終りというよりも秋の初めで、今年はあまり大物の台風は来なかったが、それでも一晩大いに吹き荒れたことがある。朝になって風もやや収まり、この分なら学校もあるだろうと下の香代子を連れて、美佐子と女中とに見送られて表へ出た。」(p.16)
会社の前に着き、車から降りたとき転びそうになり、向かいのビルの台風の雨に濡れた窓ガラスに「眼」を、無数の眼を見る。(p.17)
社長室に着くまでの間に、戦時中のジャングルの軍隊の描写が入る。(p.18 徐々にこれは無関係の人物ではなく(パラレルワールドものSFでも、人格解離サイコサスペンスでもない、たんなる実験小説でもない)、社長である「私」の過去の出来事・体験であり、その回想であろう事がわかる。回想であることを明確に記しづけるために、会社のビルのエレベーターに乗り、(回想部分が語られ)、エレベーターを出る、と続ける。じつに上手い。窓ガラスの眼、戦友の眼のイメージ(図像・映像)の交差!罪はあがなえるのか(身代金を払えば…… p.24)。そして、また原稿用紙に書いている「私」に戻る。寝たきりの妻のことを思い返したりしている。
書かれている時間は、出社後、社長室に入った時にきちんと戻る。そして、「昨晩の女」のことを思いだし、会社が終わって、病院に行く。ただし、さらに次の様につづく。
「しかし私はこうしたものを書くのに不馴れだから、どうも途中から始めてしまった。やはり一番初めから書くのが自然だろう。前の晩、つまり台風が大いに吹き荒れていたその晩にこの偶然が起こった。それが本当の始まりだった。」(p.26)
☞ 初めて書いたにしては、すでに見たようにこの社長は上手すぎる、しゃあしゃあといまさら「やはり一番初めから」とか抜かしています。このストーリー(語られた順)を、プロット(本来の出来事の時間順)にもう一度まとめ直すと、次の様になる。
台風の夜、帰宅途中の「私」は、道ばたに倒れている若い女を見つけ、タクシーを拾いアパートに送り届けるが、さらには一人住まいであり容態も悪そうで、公衆電話から救急車を呼んで病院に運んであげる。(自分は病院からハイヤーで帰宅する。また、タクシーに渡した「千円札を一枚」「つりはいらない」は今で言えば、五千円か一万円札くらいだろう。)
道ばたで見つけたとき、女の顔を見て「鈍痛」(p.27 l.2)を感じる。アパートに送り届け、「帰らないで」と言われ、そこでも回想が始まる(p.31 l.8 農家の蚕室での看護婦との逢引きシーン。「わたし、あなたが行ってしまったら、きっと死ぬわ、と彼女は言った。きっと死ぬわ。」(p.32 l.7)。この挿入も美しい……、というか官能的。
因みに、この繰り返された「きっと死ぬわ」の部分、この書き方を自由間接話法と言います。直接話法(カギ括弧でくくられて、会話内容がそのまま示される)、間接話法(カギ括弧を使わず、会話内容を三人称に直して書かれる)に対して、会話内容がカギ括弧でくくられず、そのまま地の文に示される。
▸直接話法:「お願いです、私を信じて下さい」と彼は人々に涙ながらに訴えた。
自由間接話法は、『忘却の河』では、そもそもカギ括弧が全く無いせいもあって、全編に多用されています。が、わかりにくさはほとんど無い(ですよね?バラバラにならず、繋がって読める)
自由間接話法は、世界が明確に私に与えられているわけではない、重層的な状態を表わしているであろう。視点が、一人称と三人称との間で浮動する。アトランダムな回想と合わせて、現代小説の形式である。
アパートから救急車を呼びに、公衆電話をかけにいく(p.34〜)。この間にも、引き続き、回想が挿入されている。妻のことを回想し、女(看護師)のことを回想する。救急車が来て、入院させる。
翌日の晴天、出社時に、向かいのビルの濡れた窓ガラスに「眼」を見出だす。
(p.39 l.7)女の入院先をたずね、戦後に死んだ戦友の実家を山陰地方にたずねた「友達」の話をしてやる(p.40 l.9)。
女は寝てしまったので、部屋を出て、事務室で容態を聞くと事務員は「ああこの人は流産しました。若いから直に癒ります」と言う(p.46 l.9 個人情報 😣)。「私」は煙草を何本か吸って病院を去る(p.49 l.13)。(自分の生きている罪の感覚)
(p.49 l.1f)三日後、女の入院先で、女に友達の話とは叔父さんのことだよねと言われる。叔父さんはさびしい人だから、優しくしてくれる、とも言われる。みやげのマスカットを食べ、自分も若い頃、病室でミカンを食べたことを回想している。退院にむけて、病院代も渡す。
数日後、退院した女のアパートを訪ねる。アパートには川が流れており、幼少期に恐怖を感じた「胞衣(えな)の流れてくる川」を思いだす。……生まれなかったかもしれない自分。「間引きぞこない」。また、女は、日本海を望む自分の田舎が嫌いで、ある映画のロケにきていた俳優(スター)に誘われ、そのまま家出してきた、と言う。ただし俳優は最近自分に会ってくれない、とこぼす。「私」は同時に、若い頃、学生時代に左翼運動に身を投じ、検挙されかけたが、結核となり、釈放されて療養所に入る。投げやりな気持ちでいたところに、看護婦と知り合って生き生きと回復していく、その頃の楽しい記憶を思い出している。今の若い女と、昔の看護婦と、そっくりではないが、すこしばかり似ているのである。イメージが重なっている。女は私はあなたが好きだ、と言う。
☞ このへんも、一章のまとめとして、来週へつづきます。
【梗概・一章後半】へ
▸ 導入について。唐突な始まりから、どのようにして徐々に開けていくのか。
▸ 場面転換について。バラバラ(?)な要素(対象、視点)について(それはどう構成されているか、読むことで構成するのか。映像的な書き方。現在の知覚と過去の記憶との交差・交配、視点の交錯)。
▸ その他、あなたが感じたこと。それと、参考までに、どこまで読んだか、聞いたか、教えて下さい。
なお、 美しい表現力、描かれたテーマ、人物像については、来週のお話とします。来週は一章の終りまでを対象とします。読んで(聞いて)おいてください。はい、質問はありますか?
提出は、グーグルクラスルームから。「ドキュメント」で提出して下さい。皆さんの感想は、読んで楽しいです。私の返事も、ちょっとだけですが書いてあります。
クラスコード「n7ldd4v」。事務局からの招待はすこし時間が掛かります。みなさん自分で入ってきて下さい。
▸間接話法:お願いですから自分を信じてほしいと彼は人々に涙ながらに訴えた。
▸自由間接話法:お願いです、私を信じて下さい。彼は人々に涙ながらに訴えた。
……って、前回はそもそも二〇世紀小説は「あらすじ」ではないという話をしたのです。「あらすじ」とはふつう、「起こった客観的な出来事」を意味しますが、二〇世紀小説は「現在の知覚(対象は現在起こっている出来事の、主観的な提示)」と「過去の記憶(対象は、内面化された過去の出来事、または未来の想像)」との混淆(まざりあい)であると前回言いました。ビルの窓が「眼」に見え、同時に戦時中に死んだ戦友の眼を思いだす。また、助けた女の顔を見て、無理に忘れてきた若い頃の看護婦との悲恋(?)を思いだす。知覚と想起の混淆という、意識の記述が小説の本体であり、すじは二次的な派生物である。
しかも本作『忘却の河』の場合、この一章では、ほんとうの現在はいま原稿用紙を前にこれを書いている現在であって、知覚すなわち書かれた現在は既に起こった過去の出来事(記憶)ですから、もはや順番・構成は自由自在です。つまり、台風の翌日向かいのビルに「眼」を見た話を先に書き、ついで前日の台風の晩に若い病気の女を助け病院に運んだ話を後に書くことができた。つまり「起こった客観的な出来事」(プロット)は「物語上の展開順序」(ストーリー)として組み立て直される、これが意識を描き時間を自由にあやつる二〇世紀小説の形式的特徴です。
なお、『忘却の河』は、現在と過去とでいりくんだ時間が描かれつつも完全につじつまはあっており、対象たる客観は一つに収束します。この点では、あり得ない現実に収束するタイムパラドクスもの、現実が一つに収束しない福永の最高傑作『死の島』パラレルワールドもの、近年流行のリープもの、などとは違う。『忘却の河』は不明瞭なスタートから、徐々に霧が晴れるように、闇が明けるように、明瞭なぜんたいが判明していくが、その開ける順序は一見混乱しているようでいて、じっさいは計算しつくされている。……というような話(形式の話)を前回しました。今回は、内容の話をしましょう。この「私」(社長、父)の話です。
【梗概・一章前半】(第2回講義で語りました)
「私はそのあと幾回かその女のアパートへ通ったが、振り返ってみるとそれが夢であったのか現であったのか定かではないような気がする」。(p.64 l.7 以下、引用ではすこし漢字を減らしています)。窓の下の「その川は澱んだまま流れず、次第に水の腐っていく掘割であることが私には分った。」また、その女は映画スターである彼のこともすきだが、やさしい小父さんも好きよ、という。「私」は同時に若い頃の、療養所での看護婦との逢引きを思い出している。看護婦もまた、私を好きになって、ほんとうに、ほんとうに、と言っていた(p.67 l.5)。
☞ 看護婦と逢引きをかさねる「農家のはなれ」の「蚕室(さんしつ)」の「天窓をもれてくる光線」の比喩的展開が素晴らしい(テクニック弄しすぎかも p.67 l.1f)。「彼もまたその時真実彼女を愛していて、この瞬間に死ぬことができたならどんなにか幸福だろうと考えていたのだ。ただ、彼女を抱いていることが、自分が今もなお生きていることの証拠ではあるまいか、その生き残っていることの後ろめたさが欲望にまじっている故にこの経験がたとえようもない快楽として感じられているのではないか、という自覚が、徐々に、官能がまだ全身をけだるく包んでいるにも拘らず、極めて徐々に、彼の頭脳の中に忍び入って、この夢のようなうつつのような境界に、天窓から細かい塵の浮遊しているのを照らし出しながら漏れてくる一筋の光線のように、射し込んだ。」快楽を思考が破る比喩として。
備考:「蚕室」/生糸は戦前の日本の重要な輸出品であった。いわゆる軽工業だが、産業革命が繊維産業から始まったように、繊維産業は工業の中心であった。また、蚕の改良は江戸時代から行われており、幕末に開国した際、すぐに世界最高品質であると認定された。ただし、その背後には女工等の搾取がある。『ああ野麦峠』参照。
☞ 以下、原文は現在と記憶とが絶妙に交差して書かれています。絶妙・神妙です!
「彼」は、大学時代に左翼運動に関わり逮捕された。治安維持法により、自由な思想・政治活動が出来ない時代である。転向(マルクス主義を捨てる)すれば釈放されるが、それは仲間と自分への裏切りである。「私」は結核になったために釈放され、また養父がそうとうの官吏(公務員・政府の役人)であったことも恐らくは幸いして、療養所へ入れられたのである。
「彼」は療養所で、看護婦の熱心な看病や彼女との愛情によって生きる希望を再び見出だす、結核も治る。
或る日、アパートにいくと、映画スターの彼と一緒に住むことになった、と女の書き置きがある(p.70 l.7)。水盤にいけた花が枯れている。そこに「眼」を見る。「私」は、その後、このアパートを借り続けることにした。(そして今、この部屋でこうして原稿用紙に書いているわけだ)。
p.70 l.4f「部屋の片隅に楕円形の水盤があり、しおれた菊がいけたなりになっていた。それは私が、この部屋があまりに殺風景なので花と水盤とを買ってきて、自分の手でいけたものだ。女はそばで見ながら、小父さんて器用なのね、と言った。私は水盤ごとかかえあげて入り口の流しへ捨てに行った。そしてしおれた花を剣山からはずした。水盤の中にはすこし蒼味を帯びた水がゆらゆらと揺れていた。私はその暗い入り口の流しの上に、真っ白い楕円形の水盤が、水を湛えて、眼のように、私を見つめているのを見ていた。それは涙を含んだ眼のように私を見た。そして私はその時、夏の終りの台風の来た翌朝、私が舗道で見た濡れたビルの窓々の眼を思い出した。それがこの物語の初めだった。そしてそれが初めであるように、この水盤の眼が私に語りかけるものが終りであるに違いない、と。……お前は忘れているのか、忘れたままで生きていることが出来るのか、とビルの窓々の眼は私に語った。この水盤の眼は何を語っていただろうか。死者がそれによって語りかけるもの、そして生者がそれによって思い出すものは。私が思い出していたのは、去っていった女のことではない。もっと遠くの、もっと昔の、もっと実体もない陰となった愛する者たちの面影だった。」(p.70 l.4f〜 p.71 l.4f)
☞ この文章的な美しさを、映像的な美しさとして作り替えることは可能だろうと思う。水を美しい映像にするのは、案外しやすいし。
だれにも話した事のない、看護婦との思い出を、「彼」は、ジャングルの洞窟で戦友に語る。p.72 l.9
「彼」は看護婦と愛し合い、逢引きを重ね、結婚の約束をして、東京に帰った。しかし、(養父母である)両親に話しそびれているうちに、縁談話を決められて、慌てて看護婦のことを言うが、両親とも納得してくれない。はては結婚を受入れることにし、看護婦の彼女におわびの手紙を書くが、返事はこない。「彼」は思いあまって結婚式の一週間前に療養所に行くと、彼女はもう退職しているという。その足で彼女の実家のある「日本海」の町へ行き、家を訪ねると、母親らしき人から、「娘は身ごもったことを恥じて、断崖から海へ身を投げて自殺した」と言われた(p.75 l.7)。本文は次のとおりである。
「己は療養所から見違えるほどの丈夫な身体になって東京の家へ帰った。しかしいざ親たちに受け明ける段になると、なかなか決心がつかないものだ。すぐにというわけにはいかなかった。そのうちに父親のほうからいい縁談があると言って己に持ちかけた。己はびっくりし、そこで言い交わした娘のことを話した。もし己にもっと勇気があり、もっと早くその話をしていたなら、親父だって考えてみてくれたかもしれない。しかしそれは遅すぎた。父親はこの縁談は断るわけにはいかないし、そんな看護婦なんかをうちの嫁にもらうことは出来ないと言った。己たちは親子げんかをし、おふくろが仲裁にはいったが己の味方というわけではなかった。」(p.73 l.5f〜 p.74 l.3)
「己の訪ねて行った家に、その娘はいなかった。母親らしい婦人がきっと己をにらんで、娘は身ごもったのを恥じて、身を投げて死んだと言った。
彼はそして黙った。それ以上言うべきこともなかった。洞窟の奥から見ると、狭い入り口の外には眩しいほどの太陽の光線が充ちあふれて、二人のいる場所の地獄のような暗さを一際濃くしていた。彼はそのとき思い出していた。あの農家の離れの天窓から漏れてくる塵の舞っていた一筋の光を。
可哀そうに、と戦友がつぶやいた。
その一言が彼の意識をふと現実に戻した。可愛そうに、と、それは娘を指して言われたのだろうか。それとも彼を指して言われたのだろうか。眼が暗闇に馴れると、彼は戦友の落ちくぼんだ眼に涙が浮かんでいるのを認めた。それは外界の光明をかすかに反射してきらりと光った。それなのに彼の眼は乾いていた。彼のながすべき涙の泉はすでにかれて、この昔話がひとしずくの涙を彼によみがえらせることもなかった。そして彼は驚いたように、この友達の眼に浮かんだ尊いしずくを見つめていたのだ。
今も私の眼は乾いていた。私は水盤の水を流しへ捨て、また六畳間のほうへ戻り、ちゃぶ台の前の赤い座布団にどっかりとすわった。部屋の中はうそ寒く、隣のラジオが薄い壁を通して甲高く響いていた。」(p.75 l.8〜p.76 l.6)
看護婦の彼女が、彼に、自分の田舎の貧しい風景を語ってくれたことがあった。日本海に面した狭い土地で、段々畑があり、断崖があり、浜辺に洞窟がある。賽の河原と呼ばれ、地蔵がまつってある、等々。
一人になったアパートで、こんなことを考えている「私」。そして、こうとも言う。「清純なままに死んでいくのがいいのか、汚辱にまみれても生きていくのがいいのか、わたしは道学先生ではないから答えることができない。」道学=朱子学のこと、戦前の儒教道徳のことをバカにした言い方。
ある冬を間近にひかえた日曜日(p.81 l.8)、「私」はこの部屋に来て、家から持ってきた石を、掘割りに投げる。それは、彼女が死んだ断崖、賽の河原から形見として拾ってきた石であった。(一章 終り)
「私は立ち上がり、着てきたオーバーのポケットを探って小さな石を一つ取り出した。それは私が賽の河原から拾ってきて、今まで大切に保存してきたものだ。妻はおそらく気がついたこともなかっただろうが、それは私にとって、彼女と彼女の生むべきはずだった子供との唯一の形見だった。その小さな石には、私が忘れようと思い、忘れてならないと思い、しかも私がもう何年も、いや何十年も、忘れたままになっていた無量の想いが籠められていた。その石は私の罪であり、私の恥であり、失われた私の誠意であり、みじめな私の生のしるしだった。石は冷たく、日本海の潮の響きを、返らない後悔のようにその中に隠していた。
私は再び窓へ行き、その石をじっと掌の中であたためてから、下の掘割の中へ投げた。ゆるやかな波紋が、そこに浮かんでいるがらくたを、近いものは大きく、遠いものはかすかに揺るがせながら、しかし、いつのまにかその輪を広げて、頓て消えていった。」(p.85 l.1〜l.2)
自由主義(リベラリズム、民主主義、資本主義)、マルクス主義(社会主義・共産主義、革命、国際主義)、国粋主義(ナショナリズム・民族主義)の三つどもえ。自由主義は大正デモクラシーの主体だが、思想信条の自由と経済活動の自由(格差の拡大、不景気や恐慌)とがセットになっている。マルクス主義(左翼思想)は、社会主義革命をへて平等や平和を実現する二〇世紀の希望であったが、その分、激しく弾圧された。戦前はナチズムと共存し(独ソ不可侵条約)、戦後は権威主義的国家となった。国粋主義(右翼思想)は天皇主義・軍国主義・帝国主義を背景にファシズム(全体主義、国家社会主義)に進む。なお一般に第二次世界大戦は、連合国=デモクラシーVS枢軸国=ファシズムの戦いと言われたが、本質的には、先進帝国主義VS後進帝国主義の(つまり資本主義国家同士の)戦いとも考えられている。
ちなみに、戦後は東西冷戦が続き、西側の資本主義VS東側の社会主義。しかし、1989〜91のベルリンの壁崩壊、ソ連邦解体など西側の勝利、歴史の終焉。しかし、1970年代以降の新自由主義の蔓延。先進国内での格差の拡大。他方、南北問題からグローバル・サウスの台頭。
結核は当時、不治の病である。戦後、特効薬ペニシリン=抗生物質が発明され治癒が容易になったが、それ以前は危険な外科手術をするか、あるいはともかく安静にして自然治癒力にゆだねるかしかなかった。最も恐ろしい病気であった。癌(ガン)などは?もちろんあったが、平均寿命が短いということは、癌をわずらうまえに人は死んでいったということである。
http://cgi.tky.3web.ne.jp/~toyokura/cgi-bin/vote3.cgi ※選択肢は平成5年のセンター試験の追試問題そのままです。 『忘却の河』第一章の終わりで「私」が堀割の中へ石を投げたのはどうしてだったと思いますか?
(1)かつて自分の子を宿した女性を死に追いやったことに激しい悔恨を覚えている「私」は、生まれるはずであった子どもの唯一の形見である「小さな石」を掌で暖めてから堀割に投げ込むことで、そこに深い鎮魂の思いを託しているのである。
(2)自身の過去を振り返る時、犯してきた様々の罪のみが思い返される「私」は、それら幾つもの罪の証である「小さな石」を堀割に投げ入れることによって、そうした過去の一切から目をそむけ、新たな心で生き直そうと決心しているのである。
(3)これまで数々の死に立ち会ってきた「私」にとり、「小さな石」とはそれら死んでいった人々への自己の不実さを常に突き付けるものであったが、それを堀割の底に沈めることで、「私」は自責の念を心の深部に抱き続けようと決意しているのである。
(4)「私」にとって過去とは多くの人々との死別や生別を意味するものであり、「小さな石」はそうした惨めな生のしるしに外ならなかったが、それを堀割に投げ放つことのうちに、「私」は幸福な人生の新たな始まりを予感しているのである。
(5)深い罪の意識の中で過去につきまとわれている「私」にとって、「小さな石」とはそのような過去を象徴するものであり、それを堀割に投げ捨てることに、「私」はそうした過去に対する拘泥から解き放たれることへの願いをこめているのである。
☞ 正答が作れないのなら、出題するな!どれもみんな、帯に短し襷に長し。出題委員的には(3)だろうが、浅い。単純な倫理的正しさに依拠した浅い読みである。まず「私」に、新たな決心みたいな主体的な意志はないと思いますよ。また、沈んでいくことは忘却の本質であるのだから、忘却が「深部に抱き続ける」ことになる理由は、不明である。(5)は、三分の一くらい正しい。「過去に対する拘泥から解き放たれたい」とは、もともとの願望である。それが無理であることも、もう重々知っている(かといって、3「深部に抱き続けようと決意」はポジティブすぎるアホ)。それと、「過去につきまとわれている」「象徴」もウソ(似た言葉は使っている)。なぜなら、これまで忘れていたのだから。この点はで、(3)のほうが正しい。
文学に「正答」はありませんが、有効な読み・読解はあり得ます。有効な読みは、一章だけでは完結しません。
2019年から、センター試験が共通テストに変りました。高校の国語も変更が予定されている(古文の縮小や、論理国語と文学国語を分けるなど。2025年度からの「実用文」)が、この国は大丈夫か? 高校生を終えたみなさんも、そのつもりで生きて行ってほしい。文学主義=主情主義は私も実は嫌いだが、論理国語はマニュアルや法律、定款を読む能力ではない。あと、詰め込むべき知識も教えないといけない、と思います。知識無き思考力など無力です。
第一章の内容的な面に関して、メモを残すべく、感想を書いて下さい。未来の自分への手紙として。あるいは、過去の自己を「彼」として描き出す「私」について。その形式を選ばざるを得なかった出来事=内容について。自己を客観視しているというよりはむしろ解離している自己。
[NEXT][TOP][LAST](2024-05-13)
河のイメージ
水(湿)のイメージ、光(乾)のイメージ、共通する「眼」。あざやか!
生まれる前に断たれた命
「私」が助けた女のイメージ
眼(台風の後のビルのガラス、若い女の眼、戦友の眼、水盤の眼)
罪の意識・後悔の原因、状態
生きることの失敗、しかし、生まれてこなかったことへの根源的な恐怖(死ぬことも出来ない)。あらかじめ断たれた、生および死
現実における罪・後悔。しかし、別の可能性をも否定されている。
いわゆる「ゲス」、非人道的、反倫理的。ひどいやつ。炎上?ネット叩き?の対象。人間の原罪か、個人の資質か。あるいは、個人の資質の問題を、原罪にすり替えていないか。ともかくひどいやつ。看護婦も可愛そうすぎ(これではヒットしない)。
許してくれる人がいない。私秘性。この一連の事件の真相は自分しか知らない。世間に知れれば反省するしかないが、そうではないからしらばっくれることもできる。近代的自我。
テクノロジーの進化によって、人間の身体的機能じたいが、進化する。
映画には、「モンタージュ」というのがある(フランス語で構成・組み立ての意味。英語だとカッティング)。ベラ・バラージュ『視覚的人間』(岩波文庫、原著1924年)は映画の黎明期に書かれた映画理論書・基本的名著だが、映画によって、それまでになかった視覚体験が人間の新たな能力になっていく、という著書で、映画の手法「クロースアップ」や「モンタージュ」などの効果が説かれている。
(新たなテクノロジーが、それまでの人間の身体的限界を超えて、人間を新たな生物に変容させる。石器、鉄器、紙、印刷、上記機関、自動車、電気、電信電話、写真、コンピュータ、youtube、など。)
そもそも、人は常に、現在の知覚と、過去の想起とを、同時に意識に置いて/流れて、生きている。これを小説にしているのが『忘却の河』であった(二〇世紀小説)。知覚と想起とは、さほど無理なく、われわれの中で、区別され、繋げられている。唐突でややこしそうだが、さほど無理なく、場面は繋がっていた。
知覚は物質のハタラキに還元しうるが(知覚は単に精神作用だけでなく、物質の作用反作用、酸化還元、有機合成、生命の代謝なども知覚と見なすことができるが)、記憶は物質のハタラキに還元(説明)できない(物質の持続で説明できるかな。物質の記憶とか言う作家もけっこういますね)。一応出来ないとして、ベルクソンは知覚に物質(身)を、記憶に精神(心)を対応させた。近代の心身二元論(物質と精神)を、どう調停するかが、哲学的問題だが、これに対するその文学からの回答が、本作である。
繋げるとは、ただ接着させ、混淆させることではない。むしろ、区別して並べることである。
お わ れ て み た の は い つ の ひ か じ ゅ う ご で ね え や は よ め に ゆ き お さ と の た よ り も た へ は て た と ま っ て い る よ さ お の さ き
なお、三木露風「赤とんぼ」も、現在の知覚と過去の想起との同時性によって実現された詩である。
夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か
下手に組み立てると、わやくちゃな作品になってしまう。どう並べるかは、やはり腕の見せ所である。
唐突な始まり、場面転換があっても、案外繋がる、分かるのは、なぜか?読み手・聞き手が、想像力で補うからか。一般にはそう考えられるが、意識(精神)はもとより、世界(物質)までもが、そもそも、そういうもの・そういう関係(アトランダムな連想関係)にあるからである。
メディア的救済―小説として
回想シーンには、間接性の和らぎがある(中継録画)。直接描写にはそれがない(引き返せない事実、LIVE感覚)、じつはすべて回想(原稿用紙に書いている)なのだが。
メディア的救済―映画またはTVドラマとして
小石を投げる
第二章の最後で、美佐子が初ちゃんにお礼に手渡すものがある。これと小石とはパラレル、あるいは反復である。
些細な問い
これがクリアーされていれば「罪」は生じなかっただろうが、逆にこのようなストーリーを作ることで、作者は何を言いたかったのだろうか。そして、このようなストーリーを読むことで、われわれはどう変わるのだろうか(報告・連絡・相談が大事、とかでなく。不可避な食いちがいを生きることとして)。
根源的な問い
そこまででなくとも、正直に、正々堂々と、たいして「偉い人」でなくてよいから、生きることが大事。うそをつかない。(つかないで済むように、生きていく)。人のウソを見抜く(リテラシー)。あるいはすぐに言い出せなかった弱さを見抜く。
このひどいやつの話、しかしまだほんの一面が示されたにすぎません。引き続き次章をお楽しみに。今回の課題は、「私」のやったことについて、掘り下げてみて下さい。ストーリーをしっかり読んで、全体を把握しておいてください。
▸ 時間が余れば、二章に入っておきましょう。
▸ 一章はどうでしたか。
一番最初に「一章は面白くない」と言い過ぎたかな。「さっぱりわかりません。」「ぜんぜんおもしろくありません」「小説は読み慣れていません」などと書いてきた人は、ほぼいなかったですね。
緊密な構成でできている点については、みなさん理解してくれたようです。二章以降、さらに驚きは増えていきますよ(今日もお話していきます)。登場人物の言動の倫理的な面に関して、一つは、まず自分のこと、自分の友達のことのように、実在の人物のように本気で考えるというのが小説の楽しみの一つですから、「彼」はゲス野郎だ!と考えるのは、きわめて妥当だと思います。私もまったく同感です。逆に、「人間らしい」という意見の人もいます。他方で、フィクションは、現実を読み解き見破るリテラシー(言語活用能力)を養うものであり(菅聡子さん)、またじっさいこれまでの人間の行動パターンは、それほど多くはなく、世界というものはすでに誰かが言い行った事柄からしかできていない。だから、登場人物がゲスであることは、自分の代わりであり、有り難いことでもある(感謝?)。
もう一つ、メディア的救済と言いました。つまり真面目に考えるとあまりに悲劇で、酷い話で、救いようがないが、小説として考えると明らかにこれは森鴎外『舞姫』の酷さが意識されていますよね。パクリ? 盗作・剽窃は基本やってはイケナイ。でも日本には本歌取りという伝統もある。
春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるゝ横雲の空(新古今和歌集38 藤原定家)
言語使用は伝統のうちにある(権威・オーソリティ、正統性・レジティマシー)、これを誇るありかたが本歌取りで、個人の創意(オジリナリティ)を誇るのではない。個人の自由=孤独に基礎を置く近代以降(我思う故に我在り以来、神は死んだ以来)は、オリジナリティが重視されます。オマージュ、パスティーシュ、パロディなどという外国語での、伝統に連なろうとするあり方もあります。日本語文脈では、「もじり」とか「やつし」とか言います
。一章を『舞姫』を意識したものとして、近代小説の伝統において考えると、近代の立身出世、残酷性、孤独などの「物語」を一つのパターンとして考えることができるかと思います。
▸ また、「清純なままに死んでいくのがいいのか、汚辱にまみれても生きていくのがいいのか、わたしは道学先生ではないから答えることができない。」ともありましたが、夏目漱石の『こころ』などは、状況がこの一章とは別、逆ですが、ある種の清純さを生きようとした悲劇、死による清純性の回復、とも考えられますね。同じ問題を共有しているのでしょう。
「彼女」は伊能(いのう)とわかれて、バスに乗る。「病気の母と閉じこもっていることが多い彼女」は、「空が青かった」と思いながら、「どこかへ行きたい」と思っている(p.89 l.3)。そして、幼い頃の田舎道の春ののどかな懐かしい風景を思い出してもいる。しかし、この思い出は、その母親に言わせれば、そんなはずはない、田舎へ疎開したときもうお前は小学校に上がる頃だったろう、と言われるのであった(p.90 l.1)。母親は、彼女の記憶を強く打ち消す。
土曜日の夕方のバスは、だんだん込んできた(p.90 l.2f)。伊能と見た映画も特に見たいものでなかったし、伊能のことじたい興味はなかった。そして、これから食事かというタイミングで、「彼女」は伊能に、お母さんが一人で可哀想だから帰る、と言った。伊能は、「美佐子さんはいつでもお母さんだな。それじゃ、お嫁に行けませんよ」と言う。彼女は「ええ」と答えた。伊能は、「美佐子さんは他に好きな人でもいるのですか」と言うが、彼女は「いいえ」と打ち消した(p.92 l.8)。
彼女は、バスの中で老婆に席を譲るさい、周りの視線を強く感じていた。(老婆に対しては、「ここにおかけなさい」などと案外えらそうな口を利いている)。
☞ 二章は、これが一章とどうつながっているのかまったく説明も前置きも無く、始まる。この始まりもまた、うまい。繋がるということは、接触していることを意味しない。離れて繋がるという関係もある。ただし、この段階で、「彼女」を美佐子だ!社長の長女だ!と決めつけるのは即断、早合点というものでしょう。現段階では、全く別の話、あるいはパラレルワールド的な関係、など様々な余地を残している。しかし、果たして、一章と完全に一致する世界が、二章で展開されていきます。(ひかくてき常識的な世界か。徹底的な三人称世界=唯一の「彼女」)
家の者(お手伝いさん、母親)は、彼女の早い帰宅に驚く。「この次はと聞かれて、「ええ、この次は」と答えただけよ。」「わたし、あんな人と一緒にごはんをたべるのは、いやだわ」(p.95 l.1)
お父さんは出張だし、香代子は土曜日といえばいつも遅いし、私がはやく帰ってあげなければ、と彼女は言う。いつもならすぐほだされる母親も、しかし、けげんそう。彼女と伊能との付き合いは、お見合いとして始まったもので、父親も母親も、「彼女」の将来(結婚)のことを心配してくれている。しかし、寝たきりの母親の面倒をみているのは、「彼女」であり、母親もまた「彼女」の世話しか受け付けないのだから、結婚してお嫁にいけるはずもない。母親も父親も、私のことなどほんとうは気に掛けていないのだ、と彼女は考え、いらいらする。家族などというものはこうした「欺瞞(ぎまん)」の上になりたっているのだ、と思う。
ひがみっぽく愚痴を言う母親を見て、私はこの母親の娘なのだ、と思い、ぼんやり自分のことしか考えていない父親を見ては、私はこの父親の娘なのだ、と思う。そして、家族なんて欺瞞だ!みんな欺瞞の上になりたっているんだ!と考えている。伊能との見合い話が進み、結婚したりすれば、一番こまるのは母親なのに、進めるふりをする。父親もまた、世間体しか考えていない。
美佐子は、一人で遅い夕食を食べながら、一日を振り返り、そして、(予約ドタキャンされて)伊能さんは怒っているだろう、と思うと「少しおかしかった。」(p.97 l.9)☞ (えーっ!嗜虐的?)
そして美佐子は、別の人のことを、三木先生のことを思い出していた。美術評論家で、高校の美術部で講演会に呼んだことがあった(p.97 l.6f)。
美佐子は展覧会の人混みやがらんとした画廊で絵を見るのが好きだった。画廊の署名簿に、三木の名前を発見する喜び。三木から展覧会の案内葉書などを送ってもらうようになり、そこには小さく日付と時間とが書いてあった。美佐子にはその時間にいける時と、行けない時とがあった。
実は数日前、そういう風にして会い、展覧会後、三木と喫茶店でお茶を飲んでおり、見合いをしているという話をしていた。「君はその人に気があるの」という三木に、「いやな先生!お見合いなんて娘たるものの義務ですわ。」と言っていたのである。話はそれていき、三木はぼくたちはみな不可能なことで埋まっているんだ、と言う。
☞
二章も一章と同じように、現在進行形の物語と、過去の時間とが、交じって構成されている。が、全体が一人称でまとめられている一章では、それが現在の知覚と過去の想起との混淆であるのに対して、 三人称で書かれた二章は、時間の上手い構成というに、とどまっている(か)。美佐子にとっては、一章の「私=彼」ほどの、対立(現在と過去の対立)は存在していない(か)。
鈴が鳴っていた(p.100 l.2 現実に戻る)。寝たきりの母親はテレビを見ている。テレビは、子供の童歌を流していた。「蝙蝠こっこ、えんしょうこ。おらがの屋敷へ巣つくれ」という童歌、子守唄を思い出す(p.101 l.5)。疎開の時か、別の時か、小さい頃に見たはずの風景とともに、思い出された。母親は、この歌を知らない。「赤いまんまにととかけて」という歌の節も。この記憶は……?(p.102 l.10)
☞失われた、はっきりしない記憶。一章での、意志的に忘れられた、しかし忘れようとしても忘れられない、付きまとって離れない記憶、とは性格の異なるもの(か)。
お母さんが寝たきりになったので、私は大学にも行かず、結婚もせずにいる。三木先生は私をなぐさめるために、不可能な状況に苦しむんだ、と言ってくれたのであろうと思う。
そう語る三木の顔や手、爪を見て、美佐子は、小さな爪切りを先生にあげよう、と思う。(p.104 l.9)
☞こういう、ぜんぜん本筋と関係の無い意識が記される。これは現在の知覚と過去の記憶の対比ではない、現在の複数の知覚が描かれている。千々に乱れ、分岐していく、一つに定まらない、意識。そのありかた。
美佐子は思い出して母親に聞く「うちにねえやがいたわねえ」(p.107 l.2)。母親は、忘れたと取り合わず、美佐子たちが生まれる前、さきに死んだ「ぼうや」のことを思い出す。それは、「母親につきまとって離れない妄想」(p.107 l.4f)である。☞(一章でも語られていた。母親の存在と常にセットで語られる、母親の持つ記憶である)
母親は父親と気の染まない結婚をし、子供が生まれれば夫婦仲もよくなるかと思っていたのに、生まれて4、5日で、名前を付ける前に死んでしまった「ぼうや」。その子さえ生きていれば、と母親が語るとき、美佐子にはそれがあたかも、その子さえ生きていれば、美佐子も香代子もいらなかったといわんばかりに聞こえる。勝手な人だ、と思い、可哀想な人だ、とも思う。しかしそれにしても、「人は取り返しのつかない過去のことばかり、こんなにも考えて、生きているものだろうか。」
☞母親の身勝手さに想いをはせるべきだろうか。それもいいが、このくらーい姉娘も、十分にやばいのではないか……。さらには、父親を主人公して描いた一章も、そういうテーマであった。
妹・香代子が帰ってきた。朗らか、楽しそうである。(p.108 l.4f)
「こんどの公演の、配役が決まったけど、私はイネスの役が決まったの。」サルトルの『出口無し』をやるって言ってたでしょ。遠慮したんだけど、演出の3年生下山さんが是非にっていうじゃない。そねまれちゃうなあ。大学生の香代子は演劇部で、まだ2年生だが、重要な役に抜擢され、自分でも驚き、興奮しているのである。母親もその話を楽しそうに聞いている。「明日も早いから私もう寝る」といって自分の部屋にひっこむ香代子に、美佐子は、「香代ちゃん、その言い方はすこし棒読みね。」(p.110 l.5)。香代子は「やられた!」と言うが、楽しそうである。母親も香代子をかばう。美佐子は思う、お母さんにとって私は看護婦にすぎないのだ。
☞
看護婦、この何気ない一言。父親はこの場にもちろんいないけれど。ある普通の言葉が、別の文脈では毒のように作用する。
少しして、美佐子は二階にあがった香代子の部屋に行き、話をする。香代子は「祝杯」としてビールを二人で飲む。
雑然とした部屋の描写、「この部屋の壁には、まだ小さかった香代子が何かのことでひどくあばれ出して、端から物をぶつけた時の傷がまだ残っていた。もっとも香代子はその痕を、じょうずに写真などを貼って隠してはいたが。小学生の頃の香代子は、甘えっ子で、わがままで、怒り出すと手が付けられなかった。そして彼女の方は部屋の片隅に座って、白い画用紙の上にクレヨンでせっせと絵を描いていたのものだ。」(p.112 l.3)
演目のサルトルの『出口無し』の話。大学後のことも、あまり考えていない香代子。
他方、香代子も、元気がない美佐子のことにようやく気付いて、今日デートだったのではないか、「振られたの?」と聞く。「そんなんじゃない」と否定する美佐子に、「姉さん、さては他に誰か好きな人がいるな。誰なのよ?」とも言う。否定する美佐子。「もしいても、お母さんがいるかぎり、私はどうともなれない」とも言う。「ママは関係無いでしょう!」と香代子は言う。
☞
カン、するどいよね。それはさておき…
姉妹で、親の呼び方が違う、なんてことがあるのだろうか。一つのグループで呼び名はふつう一定していくものだ。学生同士のあだななど、最初は複数の候補があっても、しばらくするうちに一つになる。姉妹で違うのは、二人がそれぞれ別の共同体に属しているから、としか考えられない。 「ビール美味しいわ」と彼女が言った。(p.114 l.7f)
☞人称代名詞もまた、自覚的に使われている。二章で使われる「彼女」は、すべて美佐子である。ならば、三章は?
子守唄のことを、香代子にも聞いてみる。香代子も、その歌を知らない。あたしひとりがこの歌を聞かされて育った。
「ママに聞いてみれば?」「お母さんはしらないって。」☞(姉妹の別がやっぱり分かりやすい)
美佐子は、香代子と、顔も性格も何一つ似ていなかった。わたしはもらい子ではないか、と考えてみた。(p.116 l.3)
突然、香代子は「何を言うの!」とみるみるうちに青くなり、泣きわめきはじめた。「そんなのうそよ、うそよ」
その夜の夢。時計の針が逆に回る。☞(困惑、混乱。ちょっとベタなイメージ)
翌日は日曜日である。母親は、窓の外を見たがる。ガラス戸を明けてあげると、今にも雨が降りそうな天気である。「はや夏秋もいつしかに過ぎて時雨の冬近く」と言う。清元の一節だと言うが、美佐子は「そんな風流なものではなくてよ」と言う。「霧と煤煙がいっしょになったもので、スモッグだ」。☞(晴れれば光化学スモッグ、降れば酸性雨)
☞1960年代の公害の社会が描かれている。一章でも、どんよりした、臭く腐敗した、汚れきった川が描かれていた。二章は、空、空気である。モチーフのこの対比的構成!
おじいさんは(父の父、養父)は、政府の役人だったが、戦後も闇のものは買わずに栄養失調で死んだ。
☞戦中、戦後直後の物不足(悪性インフレ)で、すべてが配給制になったとき、それを遁れた闇市(やみいち)が建った。闇で成金になった人もいる。しかし、餓死したのはほんのひとにぎりであったろう。たとえば、当時の裁判官が有名である wiki 山口良忠。法律で人を裁く立場の人間としての思慮、苦悩。賭け麻雀の検事長(2020年5月#検察庁法改正案に抗議します)とは大違い。インフレ、デフレ。貨幣量と生産力の相関関係。2024年朝ドラ『寅に翼』佐賀県の判事に。
「その日曜日は単調に過ぎて行った。」(p.120 l.5f)父親が外出から帰ってくる。
☞父親は、どこへ行っていたのでしょうね?
その夜。(p.121 l.2f)美佐子は夕刊を見ている父親に、伊能との付き合いを断ってほしいと言い、ちょっと言い合いにもなる。涙声になった美佐子を父親は慰める。 「こうした親密な気分が二人の間に訪れたのは久しぶりのことだった」(p.123 l.5f)。美佐子は、父親に「ねえや」のことを尋ねる。父親は、「初ちゃんか」と言う。美佐子も思い出す。甲府の田舎の出身で、行儀見習いで来ていた明るいよくしゃべる娘だったという。生家のある場所も教えてもらう。
数日後(p.124 l.8)、美佐子は個展に出かけ、三木と会い、今度、甲府に旅行に行ってみるという。旅行と言っても日帰りだが。三木はしきりに、いいなあ、旅はいいなあ、と言っていたが、美佐子は、たとえ日帰りでも、三木先生と旅に出ることなど許されるはずもない、と思う。コーヒーを飲み終わって席を立とうとした時、美佐子は「先生にこれをさしあげたいんですけど」といって、小さな包みを出した。「明けても良いですか」と言いながら、三木はもう包みを広げた。それは小さな爪切りだった。「気を悪くするんじゃないかしら」。まさかと言い、「君はよく気の付く人ですね」と言ってくれる。その足で、デパートに付き合わないかと誘い、化粧品売り場で店員に何か告げ香水を買った後、リボンに包ませ、そのまま「これを君にあげます」と三木は言う。驚く美佐子「まあ先生、そんなの困ります」。売り子たちも好奇心をあらわにして、こちらを見ている。「じつは僕も何か君にあげたかったのだが、ものを上げたりするといやなやつだと思われるかと、今まで遠慮してたんだ。でも君が優しい心遣いをしてくれて、そのお蔭で助かった」。「君はいいお嫁さんになるでしょうね」と言って、すたすた帰っていた。
☞「たとえ日帰りでも」この感覚、わかりますか?
翌日(p.127 l.5)、美佐子は、新宿駅に向かった。 「あたしは何を探しているのだろう。何のためにこうして初ちゃんを尋ねようとしているのだろう。答えは返ってこなかった。その代わりに細かな塵のようなものが、彼女の心に降り積もった。」(p.127 l.4f)☞(よどんだ水の中に沈んでいく一章、空気の中に降り積もる二章)「汽車が動き出すと、それでも久しぶりに旅へ出る喜びが心の中ににじんで来た。」☞(こういうところは、可愛らしいね)。そして、「あたしたちはみんな宙ぶらりんだ、宙ぶらりんのまま生きているのだ、と彼女は考えた。生きることもできず、死ぬこともできず、惰性のように毎日を送っているのだ。いつかは何とかなるだろうと、それだけを信じて。時計の針が反対の方向に動いていることにも気がつかずに。そして彼女はかすかに身ぶるいした。」(p.128 l.3)
☞このあたりでだんだんハッキリしてくると思いませんか。つまり、もうこれ以上どうにもならない、と思う人が、死ぬことができるのである。そうやって死んでいった人が、いたのだ、ということが分かってくる。生きることがいいのか、死ぬことがいいのか。しかし、ともかくそれぞれ生きるひとと死ぬ人とがいるのである。生は分岐していくのである。
父親から教えられた駅で汽車を降り、駅前の店で食事をし、その店で教えられたバスに乗った。雨が降り出していた。バスをおりてしばらく歩き、ある旧家の百姓家にたどり着いた。記憶の中とくらべても、風景も、家も、何一つ思い出すものは無かった。そうなると、初ちゃんに聞いて確かめるしかない。用意してきた手土産を渡した、その家には、おばあさんや兄嫁という人はいたが、初江さんは駅前のバスに乗ったその町の雑貨店の奥さんになっているのだそうだ。
バスで駅前に戻る(p.130 l.4)。雑貨店というよりはマーケット(スーパー)で、客が立て込んでいた。「彼女は売り子の一人に訊こうとして、あたりを見回し、それから店の奥のレジのところにいる中年の女のそばへ歩み寄った。あなたは初江さんじゃありませんか、と彼女は訊いた。
☞福永武彦は理知的な仕掛けや理屈臭い小ネタが得意なだけのテクニック作家なのではない。こうした人間のストレートなまごころ、庶民的な人情も描けるのである。「見栄も外聞もない心の暖まるような大声」、なんと素敵な表現だろうと思う。
そして美佐子は、「マーケットじゅうの人がみなこちらを向いたらしかったが、彼女は全身を固くして、背中でその視線を食いとめた。」☞(やっぱテクニカル^^;。目立ちたがり屋とは到底思えない美佐子、人の視線を集めた三回目。「眼、眼、眼」と根本的に異なる態度)
初ちゃんは、「お宅に奉公していたお蔭で、こうして町の人のところへ片づくことができましてね。あたしは田舎は大嫌いでしてね」とも。
(p.131 l.7f)「女は長々としゃべり、彼女は安らかな気持ちでそれを聞いていた。それは確かに初ちゃんだった。昔よりは肥り、いかにも商家のお内儀さん然としていたが、その話しぶり、その表情の動きを彼女は次第によみがえってくる過去の記憶と一々照らし合わせた。二十年も経っていながら、その間の時間を飛び越してこうして心が通うというのはなぜだろうか、と彼女は考えた。すると心がまた揺らぎ始めた。彼女は相手を遮って訪ねた。初ちゃんがうちにいてくれたのは、あたしがいくつ位のときのこと。そうですねえ、と女は小首をかしげた。たしかお嬢さまが三つ位の時から、六つか七つ位の時まででしょうね。おとなしくて、それはお可愛かった。
初江はこの辺で歌う童歌であり、私がお嬢さまに歌ってあげたのだ、という。しかし、もう一つ、「赤まんまにととかけて」は「しりませんねえ、聞いたこともない」と言う。
初江は帰りがけに美佐子に缶詰を袋一杯にくれ、駅まで送ってくれた。美佐子は、土産がなにもないことに気付き、プラットホームで、昨日三木先生からもらった香水が鞄に入ったままになっているのに気付き、それを初江にあげた。
彼女はその家に小一時間も引きとめられ、もうじき主人が帰ってくるから、と言うのを、これ以上遅い汽車だと困るから、とやっと承知させて、そこを出た。女はどうしても駅まで見送ると言ってきかなかった。お土産にと、彼女が遠慮するのを無理に、缶詰のたくさんはいった大きな紙袋をくれて、停車場まで車で送ってくれた。切符を買うときに、彼女はハンドバックの中に、昨日三木先生からもらった外国製の香水が、リボンに包んだまま入れてあったのに気がついた。プラットホームに上がってから、彼女はそれを出して初ちゃんに渡した。あたし何もお土産を持って来なかったでしょう。だからせめてこれを取って頂戴。そんなもの頂けませんよ、初ちゃんは断ったが、彼女は相手の掌にそれを押し込んだ。先生はきっと怒らないだろう、と彼女は考えていた。先生にならあたしのこの気持ちが分かってもらえるだろう。初ちゃんはその手をおしいただいて、丁寧に礼を言った。汽車の窓から、彼女は初ちゃんが涙を浮かべているのを見た。
☞恐ろしいまでの爽快感!
そして、彼女は、「みんな宙ぶらりんなのだ」と思いながら、帰途についた。終着駅で網棚から重たい紙袋の缶詰をおろした。小さな爪切りがこれに化けたのかと思うとおかしかった。彼女はその紙袋を片手で抱え、時々ハンドバックと手を替えながら、駅の改札を出た。
「明るいネオンが相変わらずスモッグのかかった都会の空ににじむように明滅し、眼に見えぬ煙塵(えんじん)が彼女の心にしずかに降りそそいだ。」(二章終わり)
☞しかしラストは、もうすこし陰鬱である。煙塵=エアロゾル。
▸ 二章の主人公/美佐子の性格、その描写について。
ここからはわたし(高橋)の好き嫌いが入ってしまいますが。美佐子の性格はしょうじきひがみっぽいと言っても的外れではないでしょう。魅力的な暗さ?病んでる感じ? プロデューサーとしての私(仮)は、本作『忘却の河』を、映画(二時間でケリを付けなければいけない)でなく、テレビドラマにしたいと思っています。全8回。一章だけは2週連続、他の章は1回づつでいけると思う。あるいは7章も2回にして全9回か。さて、美佐子役は完全な美人女優。テレビドラマはだいたい、美男美女ばっかし出しますが、特に美佐子は分かりやすい美人女優で、しかし性格はぜんぜんさっぱりしていない、くらーい感じにする。美人台無し、みたいなくらーい感じ。香代子の話は来週ですけど、はつらつとした新人女優(カタチだけのビジンではだめ)
母親の世話は私でないとと思っているにも拘わらず、母親は私より妹を可愛がっていないか。よりということはないにせよ、私としては、自分たち姉妹が親から平等に扱われていることさえ不満に思う、というような感覚。
▸ 「プレゼントを、封も開けずに他の人にあげるなんて、マナー違反です」か?
美佐子は、はっきり言いますが、三木先生が好きですよね。この「好き」の意味は曖昧で、多義的だろうとは思いますがともかく、広い意味で好きですよね。好きな人から何かもらって、嬉しいよねたぶん。それなのに、かばんに入れっぱなしだったというのは、どう思います。美佐子は、実際、自分に関する過敏性とは別に、他に対しては案外排他的、上からで、残酷。ほんとはけっこう鈍感な女……なのか。三木先生からのプレゼントを、明け忘れていた、のか。
あるいは、話をおもしろくするために、入れっぱなしになっていただけで、美佐子の人物造形・性格設定とつなげて解釈すべきではない、という立場もあるかもしれません。でも福永武彦のようなテクニシャンが、そんなへまをするでしょうか。二章は、はしからはしまで、美佐子の複雑かつ単純な精神のあり方ばかりを追っているのではないでしょうか。
「先生はきっと怒らないだろう、と彼女は考えていた。先生にならあたしのこの気持ちが分かってもらえるだろう。」
三木先生に対する、この信頼感!これこそが三木に対する「好き」「愛」ではないだろうか。それは、軽い、ほのかなものであるにせよ、安心して、相手にゆだねる気持ちである。
そして、じっさい、三木はどう思うと思いますか。顔では笑うけど、心では、「えっ!僕がわざわざ買ってあげた(シャネルの)けっこう高かったのに。人にあげちゃってって。なんてヤツ……」などと思うでしょうか。「彼女は、僕のこと、あんまり気にしてないんだな」とか思うでしょうか。三木先生は、美佐子が心から嬉しく思った人へのプレゼントとして、自分のあげたプレゼントを(同等と見て)あげたのだから、美佐子にとって自分もまた大事なひとだと思っている証明だと思って良い。
もう一つ、個人所有ということを考えてほしいと思います。美佐子にとって、三木からもらった小さなプレゼント包みは、自分のものではあるが、かならずしも自分が持っていなければその価値が保証されないようなものなのであろうか。繋がっているということは、自分がそれを所有しているということだけを意味するのだろうか。そして、これと同じ構造が、第一章のラストで、すでに描かれていたのではないだろうか。
提出課題:✎ 描かれた美佐子の性格について、一章との対比的・反復的関係について。この2点について、考えるところを記してください。
予告:毎回の章ごとの感想をまとめて、6月中頃に(4章が終わるころ)、1から4章の感想を提出し(10点満点)これを公開することにします。いわゆる「合評」形式です。これまで提出したものを適宜手直しして提出してもらいます。間近になったら案内しますが、まずは毎回の感想の精度をあげておいてください。
▸ 今週と来週で三章を読みます。今日はどこまで進めるか、やってみないとわかりません。「全体のストーリー」はまず終わらせます。来週は、四章に入ります。半分以上は読んでおいて下さい(呉さんが出てくる前くらいまでは)。
一章の対比については、小石・香水を手放すこと、看護婦・初江に会いにいくこと、などみなさんそれぞれで発見してくれました。私の説明は、まだ足りないものでしたが、共感というものが人と人との間のみならず、人と場所との間にも成り立つ、というような考えで一章ラストを読みたい、読めるか、と思っています。まだこれから展開していくあり方です。
▸ 三章は(も?)、こんな風に始まっていきます。「 」や太字は引用(原文のとおり)、てきぎ赤字で強調しています。他はわたしの説明の言葉です。
授業が早く終わったので、「彼女」は新館の廊下を通って、旧校舎の奥にある「演劇部」の「部室」に向かった。「校舎」内の秋の気配のきれいな描写とあいまって、「彼女」のすこし沈んだ気分が記されている。「数日前に、姉の美佐子から聞かされた話を思い出したことにあるのは明らかだった。それは十二月に行われるはずの演劇部の自主公演の、キャスチングの決定した日の晩のことだった。」姉と二人でビールで祝杯をあげていたとき、姉は彼女に深刻な顔をして言った。
☞なんだか、意外に香代子が暗いですね。一章では、「ボーイフレンドをとっかえひっかえ」「小遣いを惜しみなく与えている限り文句は言わなかった」、二章では「まだ小さかった頃、何かのことでひどくあばれ出して、端から物をぶつけた時の壁の傷」、「甘えっ子で、わがままで、怒り出すと手が付けられなかった」とあったこれまでの香代子の印象が、すこし意外な展開を見せているように感じられます。そうそう、三章の「彼女」は香代子である。
三章の、まず形式に関して。一章、二章と続いてきた唐突さに読者もそろそろ慣れてきたところではないだろうか。むしろ、三章では、このように別の人が「彼女」であることは、快感に変わっていくのではないだろうか。一章、二章と繋がってきた一つの世界は、三章も同様に、同じ一つの世界を描き出していることが分かり、むしろその「一致」こそが、興味の中心に移っていくのではないだろうか。つまり、作品は極めて綿密な設計のもとに書かれている。具体的には、読んで行く中でたしかめてほしいが、しかし……、ある秋の日曜日は、一つの同じ日なのか(究極の一致の快感)、あるいは単にそれぞれの日曜日なのか(常識の一致の快感)。あるいは、実は三つのパラレルワールドが発生しているのか(不条理の快感)。
☞そして内容に関して。「わたしたちの家庭は、みんなが別々に生きるようにできている」(=パラレルワールドの可能性)は、まださておこう。ちょっと暗い感じがしますが、親子や兄弟・姉妹でも、案外すれ違いや競争などあるものなのですよ。そして、それを知ることは、ちょっとした救済(救い)でもあります。立派な人ばかりだと自分にプレッシャーになりますから。
香代子にしてみれば、姉・美佐子の心配は杞憂にすぎなかった。「彼女は姉が心配している貰い子ではないかという疑いを、歯牙(しが)にもかけていなかった。」姉は自分は父にも母にも似ていないと言ったが、確かに母には似ていないが(香代子は母親似である)、父親に似ているのだ。父親を嫌いだと公言しているから、似ていない気になっているに過ぎないのだ。「父親は陰気な性質で、姉もまた内気だった。病気の母親の看病をさせられてそろそろ婚期を逸しかけているために、少々神経衰弱の気味があるのかもしれなかった。それに反して、彼女自身の疑いのほうは、もっと深刻だった。」しかし香代子は、それを「あたしはおセンチなのはいやだ」とつぶやき打ち消す。快活な自分にもどって、部室へ入っていく。
☞「杞憂にすぎない」「歯牙にもかけない」……美佐子なりに悩んでいるわけだが、それを一蹴している!香代子。一章から順に、前の章を巻き込み、雪だるまのように(記憶のように)、たんなる積み重ねとは違う、成長していく小説形式。質的変化としての。これが形式的特徴の二つ目である。
さて、部室です。下山譲治は三年生で、四年が引退して、彼が「演出」。下山の強い推薦によって香代子がイネス役に抜擢された。下山は一般に女子学生に人気があったが、エステル役の安田教子と仲がよいとの噂でもあった。香代子は安田教子のことを「その微笑は魅惑的で、ああいうふうなのを宛然(えんぜん)とでも形容するのかと、かねがね彼女はうらやましくおもっていた。」
下山は不機嫌そうで、すこし遅刻気味の安田教子をにらんだりしている。下山は言う。 「読みは大事なんだからね、みんなで気を入れてやらなくちゃ駄目なんだ。だいたい今度我々が取り上げたサルトルの「出口なし」というのは、登場人物だってわずか四人なんだし、お互いの気があってないと舞台がちっとも盛り上がらない。一人一人が主役なんだ。特に安田君のエステルと藤代(ふじしろ)君のイネスとが、うまく噛み合うかどうか、そこが大事なんだからね。安田君が舞台経験があるからと言って、読み合わせを真面目にやってくれなきゃ、困るよ。」安田教子は、彼女に向かって、下山に見えないところで、舌をぺろりと出して笑っている。下山はなおも演説している。「何しろ実存主義ってのは、このまえ黒川先生の講義を聴いたから君たちにも分かっていると思うが、こういう演劇形式において、最も明瞭にあらわれている。しかし、それを実際に演じる君たちにちんぷんかんぷんだったら、お客にだって何が何だか分からないんだ。だから読みの間によく理解して、よく研究を積んで、この自主公演を成功させなくちゃならん。みんな頑張ろうぜ。」
対して、「あたしには実存主義なんてとても分からない、と彼女は考えた。」香代子は、役への不安も感じている。「下山さんのいうようにうまく成功するだろうか。もしもあたしがとちりでもしたら。」しかし、読みの練習のなかで、安田教子がセリフを言い直すのを「彼女は神経を緊張させて聴いていた。足のふるえはとまり、一種の陶酔感が彼女を包んだ。」
☞じつにさりげなく、「藤代君のイネスと……」などと出してくるのが、にくいですね。
☞ところで、実存主義はこういう演劇形式に最も明瞭にあらわれている。下山くんは、結構難しいことを言っとりますなあ。
詳しくは、来週ぜひやりましょう。今日は、『広辞苑』(岩波書店)を引いておきます。〔 〕は高橋補足。
▸実存(現実存在)の短縮表現。九鬼周造が訳したと言われている。本質存在(たとえばイヌ一般。普遍者とも)に対する、現実存在、個物の存在(一匹づつのイヌ)。人間も、人間一般のあり方が大事ではなく、個人個人のあり方を基本にしようとする。個人個人は、自由の刑に処せられており、孤独であり、故に責任を伴う云々。
稽古が終わって、香代子は安田教子と帰る。安田教子は、下山が機嫌が悪かったのは、昨日安田教子が約束をわざとすっぽかしたからだと言い、「演出家ににらまれると具合が悪いんじゃない。」という香代子に、「まだ下山さんは演出家なんてものじゃないわよ。あの人は癖が悪いんだから、藤代さんも用心したほうがいいわよ。そのうちきっと誘われるから。あなたみたいな可愛いひとは。」と言われる。香代子は、「安田教子から可愛い人だなぞとおだてられると、自分もひとかどの女優になれるような気持ちになったし、下山譲治が素敵な男性のようにも思われた。」そして、下山に誘われたとき、喫茶店ならイエスと言い、バアならノオと言う、と思った。「彼女は自分が断固としてノオと言っている場面を空想した。」
帰宅する。(七時を廻っていた)。「なんと陰気なうちなんだろう。」
ママに顔を見せ、「珍しいわねえ、ママ、テレビを見てないなんて、と彼女は言い、姉がそっと眼で合図をしたので、そのまま黙ってしまった。」美佐子は、わたしたちもお夕飯をと言って香代子を部屋のそとへ出した。姉は、母の状態が良くないし、父もあてにならない、香代ちゃんももうすこし早く帰ってきてほしいと言うが、香代子は「あたしはだめよ。毎日これくらいよ。これでもまだ早いほうなのよ」と言う。医者もあてにならない、と「姉はややぞんざいに言った」。母親の病気は7、8年前から脊髄の病気で、倒れて、「仰向けに寝たきりで身動き一つできなかった。……目立って悪くなるということもない代わりに、少しづつ衰弱している様子は眼に見えていた。」姉は、へんなうわごとばかり言うと言う。「呉(くれ)さん、呉さん、なんて言っているのよ。」(☞呉さんは、ここが初出ですね!二章になんか出てきませんね)「姉さんはその人のことを何か知っているの。いいえ、あたしは知らないって言ったでしょう、と姉は答えた。パパには話したことある、と彼女は訊き、それから急いで付け足した。その名前をママは時々昏睡状態になった時に言うんじゃないかしら。あたしも聴いたことがあるから。あたしは覚えがないな、と姉は言い、お父さんには話さないわよ、もしもその人がお母さんの昔の恋人だったりしたら困るもの、でしょう。そう言って姉は珍しく少し笑った。」
☞二章では描かれなかった、美佐子のお茶目な感じ、あるいは闇?それとも、主役を降りるとすぐにコメディタッチで描かれるのか?逆に美佐子がかわいく見えるかも。
「姉さんは知らないが、あたしは知っている、と彼女は、机に向かってつぶやいた。パパも知らない。ただママとあたしだけが知っている。」☞これが、香代子を苦しめていることがらであろう。
その後、母親の容態も大事には至らず、香代子も芝居の稽古が続けられた。「彼女もいやな記憶を忘れて、芝居のほうに熱中した。熱中すればするほど、彼女に与えられたイネスの役は大役だったし、このサルトルの脚本そのものが至極難解に思われた。彼女はときどきため息を吐いたが、そのため息は楽しかった。」☞いいですねえ。
或る日、芝居の稽古の帰りに、彼女が安田教子と連れだって歩いていると、後から下山譲治が追いかけてきて、「腹が減ったからギョウザを食いにいかないか、と誘った。安田教子はすぐに、いいわねと賛成し、ためらっている彼女に、行こうよとすすめた。」 家でのひっそりと終わる食事と違って、三人で大いにしゃべり、大いに食べた。食後、安田教子はさっといなくなり、下山は香代子をさらに誘った。喫茶店だったので、ついていった。下山は、「出口なし」にかこつけて、安田教子より君の方が深いものを持っているなどとおだてている。下山はさらに別に店を誘ったが、香代子はもう遅いからと断る。
さらに別の日。「台本を手にして荒立ちが始まった。」セリフを暗記することが課せられた。彼女は安田教子のように早くは覚えられなかったが、しかし一度覚えてしまうと決して間違えることはなかった。☞ウサギとカメではないが、二つのタイプがあるだろう。「荒立ちが済んで、もう本立ちが始まるところだった。彼女は下山からできるだけ演劇的な知識を吸収したいと思っていた。そして、下山譲治という青年に若々しい好奇心をも覚えていた。そこには安田教子に対する一種の競争心がないわけではなかった。」
ある日曜日、父親は出張で前日からいなかったし、姉の美佐子は午後から外出して、彼女が留守番がてら母親のそばについていた。
☞それぞれべつの日曜日だな。晴れた青空で、天候なんかも違いますしね。たんに、東芝日曜劇場のドラマ化でも狙っていたか。
香代子は、きくならいまだ、とおもっていた。「ごく単純に、何げないように、呉さんというのはお母さんの何だったの、と訊いてみればいい。ボーイフレンドだったの、と訊いてみてもいい。でも、ママは、その人の名をうわごとでしか言ったことがないのだから、あたしがその名を口にしたらきっとびっくりなさるだろう。ひょっとしたら怒るかもしれない。彼女はためらっていた。……訊くのが怖かった。怒られるのなら、それは構わない。しかしもし、決定的な返事が母親の口から出てきたら。」
☞「決定的な返事」とは?
母親のほうから口をきいた、お前のお芝居はいつあるんだね。彼女は、元気よく、来月よ、もうすぐよ、と答えた。「わたしも見に行きたいけどね。むつかしいお芝居なんだから、ママは来たって分からないな。歌舞妓とは違うんだから。わたしだって新劇ぐらい知っていますよ。テレビでも中継するし。でも香代子のお芝居はテレビではやらないだろうね。やるもんですか、と彼女は笑った。大学生の芝居までいちいち中継してたら大変だわ。待っていらっしゃい、そのうちあたしが大学を出て、一人前の女優になったら、テレビにも出てみせるから。お前は女優さんになる気なのかい、と母親は訊いた。まだきめてない、先のことは分からない、と彼女は答えた。……わたしはそんなに長くは生きられないよ、と母親は言った。馬鹿なこと言わないでよ、と彼女はたしなめた。」
彼女は台本の中にある彼女(イネス)のセリフを思い出した。「人間の死ぬのは、いつでも早すぎるか遅すぎるかのどっちかよ。でも人の一生は、ちゃんとけりがついてそこにあるのよ。」。母親の場合は、ちゃんとけりがつくのだろうか。問題は中途半端なままに終わるのではないか。「呉さんという人はとうに死んでいるし、パパは決してあたしに教えようとはしないだろうし、だいたいパパがそのことを御存知のはずもない。そのことは母親だけの秘密なのだ。」
結局、訊くならば今だとは思っていたが、とうとう訊けなかった。☞じれったい。ぐずぐず言ってないで、さっさときけばいいじゃん!ですか?(参考。2020年の朝ドラ『エール』で、ちょうどこんな話があった。なんでも事態を積極的に自ら切り拓いてきた音大生の小山音(二階堂ふみ)が、人生を切り拓かず諦める友人(入山法子)の生き方をしみじみ感じ、そこへの理解・共感により、オペラ『椿姫』の主役ヴィオレッタ(彼女もまた愛を諦める)を射止める、という話。共感とはそういうことだ。もうひとつ参考。小津安二郎『東京物語』1953年・松竹という有名な映画がある。広島に住む老夫婦が東京の子供らの家に遊びにいくが、実子(長男・長女・三男)らは気軽に邪魔者扱いするなか、戦死した次男の妻(紀子)だけは優しい。ラストで紀子は自分のことを、優しいなんてウソだ、自分はずるい。もう昌二さんのことも思い出さない日もあると言う。老父はそれでええんじゃと慰める。この場面について、貞淑な戦争未亡人を演じている自分がずるいという欺瞞を指摘する読みがある。なるほどとも思う。私が思うに、紀子は実子らと違い、人が必ず死ぬことを知っている/知ってしまったから、義理の父母に優しいのではないか。当事者性という言葉があって、あまり振りかざさないほうがよいとおもうが、つまり想像力や共感の否定でしかないから、でも当事者でしか気づけないことはある。)
その日の夕方、姉の帰るのと入れ違いに彼女は外出した。訊いても結局母親を苦しめるだけではないか、と思ったからだが、このチャンスを駄目にしたと思うと、やはり後悔した。そして、もう二度と母と二人きりになれる機会は来ないかもしれない、と思い、母の死ぬことを想像している自分に驚き、いらいらした。☞人が死ぬことを知っている、香代子
外出は、下山譲治との食事のためである。(食前酒・アペリチフを飲んでいる、その後はバアにも行った)。☞食事をしなかった美佐子との対比。「わたし、あんな人と一緒にごはんをたべるのは、いやだわ」。香代子は、「家庭なんかどうなっても構わない、という気持ちと、そうはいかない、自分は要するに親から学資を出してもらっている大学生にすぎない、という気持ちとが戦っていた。そして一度気持ちが覚め始めると、今の自分がひどく軽はずみなような気がした。」「いいえ、これ以上遅くなったら大変、姉さんにどやされる」☞どやす。打つ、叩く。どなる。姉さん…。下山はまだ別の店に行きたがったが、「不承不承にあきらめ、お固いお嬢さんだ、と言った。今夜のことは教子ちゃんには内緒だよ、とも言った。暗い横通りを下山は彼女の手を握りしめて歩き、ふと立ち止まって素早く接吻した。」
終バスにやっと間に合い、彼女は、これが愛だろうか、と思っていた。そこには、心の通い合うものはなかった。しかし、愛になるかもしれない、と考えることはできた。そうでなければ、自分が惨めだった。家に帰って、姉の顔もまともに見ず、挨拶だけして自分の部屋にもどった。父親はまだ帰っていなかった。
冬になり、母親は衰弱の度をましていった。父親も出張を取りやめるようになった。芝居の稽古は大詰めを迎えていた。公演が間近になると、割り当ての切符を売り捌く仕事が課せられた。父親も姉も、相当の枚数を引き受けてくれた。「お義理で買ってもらうだけじゃ駄目よ。ちゃんと来てもらえなくちゃ。空席が多いと困るんだから」
稽古を通して下山は「香代ちゃん、僕は真剣なんだ」などとも言っていたが、香代子のほうは真剣ではなかった。舞台にかける情熱に比べれば、情熱でさえなかった。下山は彼女に接吻したが、彼女は、「こんなものが愛だろうか」と考えていた。「すると、母親のことが思い出された。ママはパパを愛したことがあったのだろうか。呉さんを愛したように。そして呉さんという未知の(すでに死んでいる)人は、おそらくは、下山譲治とは比較にならぬほど素敵な人だったに違いない、と考えた。」
☞本当の真実の愛という、ここまで《流産》してきた、テーマ。そのゆくえ。
公演の前日、舞台となる会場でリハーサルが行われた。彼女は自分で心配していたよりじょうずに役を演じることができた。存外人間なんて、落ち着いていられるものだ、と思った。しかし、やはりどきどきしはじめ、その興奮は、翌日になって幕が下りるまで覚めないような気がした。
「明日の公演には姉さん来てくれるわね。」母親の寝床を囲んで、ひさしぶりに家族が四人顔を合せていた。「それは香代ちゃんの初舞台だもの、お母さんさえよければ見に行くわよ、と姉は言った。わたしはいいとも、香代子の舞台姿をわたしも見たいものだけど。」「パパはどう、来て下さるの、と彼女は続いて尋ねた。私は分からないな、どうせ学芸会みたいなものだろう。父親ははぐらかすように言い、それから付け足した。私は芝居というのはあまり関心がなくてね。お父さん、関心の問題じゃないでしょう、と姉が言った。香代ちゃんが出るんですもの、お芝居の好き嫌いとは別よ。香代子が出るんじゃなおさら見るのがつらいようだよ。そんな冷淡なおっしゃりかたってないと思うわ、と姉がむきになった。いいのよ、と彼女は言い、二人の問答を聞きながら、どうせパパはあたしの舞台を見に来る気なんかないのだろう、と考えた。あなた、明日の晩はなにかお約束でもあるんですか、と母親が訊いた。ううん、と父親は言葉を濁らせた、もしお暇ならぜひ行って見てやってください、わたしからもお願いします、と母親は強い口調で頼んだ。そうさねえ、と父親は答えた。」
☞小石は、もう少し以前にすでに、投げているだろうと思います。
芝居の当日。下山は、香代子に肩越しに「お客なんてみんなでくの坊だと思いやいいのさ、と事もなげに下山は言い、忙しそうにむこうに歩いて行った。」彼女は、脚本にある主要なテーマである「地獄とは他人のことだ」というガルサンのセリフを思い出していた。
☞ガルサン(ジャーナリスト、銃殺刑)、イネス(同性愛者で気が強い、ガス心中)、エステル(金持ちの愛人だが浮気し出産、自殺)、それにホテルのボーイ。死後三人はホテルの同室に閉じこめられ、互いの罪に触れ始め、それぞれの2対1や1対1対1の共闘や対立を続ける、死ぬことなく、永遠に。舞台は、壁とドア(出入り可能な、ボーイ以外はただし出ることのできない)、あとはソファーくらい。なお、原題 huis clos ユイクロは閉ざされた扉。非公開の審査。外からは見えない。伊吹武彦訳で「出口なし」だが、英語版もNo exit である。なお、「黒川先生」というのはサルトル流行の立役者白井浩司慶応大学教授だろう。福永と白井は大学は違うが同学年で、戦時中は同じくNHKに勤務している。
開演のベル。ガルサンの声が聞こえてきた。エステルとイネスの出番は、そのすこし後からである。舞台裏で椅子に座って待っている。ボーイが戻ってきたら、イネスの出番になる。「そして不意に、何の関係も無く、その時の光景を彼女は思い出していた。」☞もう現在の知覚と過去の記憶とのオーバーラップには完全になれてきましたね。もはやデフォルト(初期値、初期設定)ですね。母親は、「呉さん、呉さん」とうわごとを繰り返している。香代子は、それは今ではない時間、戦時中のことであろうことが分かり、誰も知らない母親の秘密があったことに気付いた。
「安田教子が話しかけた。どう厭な気持ち、それとも平気。……あたし落ち着かないの、と答えた。そうよ、初めての時は誰でもそうよ、そんなものよ。でも舞台に出てしまえば嘘みたいに平気になるものよ。ありがとう、と彼女は言った。もうじき私の番だわ。」☞先輩たちのアドバイス。ひとつは「ひとなんてみんなでくの坊だ」、もうひとつは「でも舞台に出てしまえば嘘みたいに平気になるものよ」。客観性と主観性とのそれぞれの極限である。
「本当の打撃は、その時の母親のうわごとにあったわけではなかった。」それからしばらくたって、いつものくせで本屋さんにゆきたまたま戦没学生の手紙を集めた一冊の本を手に取りぱらぱらめくるなかで、「一つの名前の上に目が落ちた。呉伸之 くれのぶゆき 昭和十六年十二月**大学法学部卒業 昭和十七年二月入隊 昭和十九年八月マリアナ方面にて戦死 陸軍中尉 二十五歳。その後に両親に当てた短い遺書が載っていた。……末尾に一つの固有名詞に行き当たった。「万一の時には藤代さんの奥さんにも宜しくお伝えください。東京で入隊するまで大層お世話になった人です。やさしい奥さんでした」その日は暑い日で、汗が額から瞼のほうへと伝わって流れた。
☞家庭では末っ子としてふるまう香代子の、内面に由来する、この圧倒的な存在感!モヤモヤは決して晴れないが、それでもモヤモヤしたままそれは存在(実存)する。 自分は何者デアルか。それを、アイデンティティ identity(自己同一性)と言います。それは実存か、本質か。それにしても、美佐子の悩みは、三章を引き立たせるためのダミーだったのか!なお、この終わり方、三章でも主人公は、何かを手放しているのでしょうか(と感想を書いた学生がいました)。 ▸ 香代子のアイデンティティの物語。母の生き方を通して、愛に触れていく香代子。それは、おそらく実存などという(いまや)軽い思想では語り尽くせない価値があるだろう。実存主義が悪い、古い(面はあるにせよ)、思想や哲学はいつも一般論であって、まさに実存に価値の下にある。これまでは上で君臨してきたが。
なお、感想を書くときは、講義をぜひ踏まえてはほしいですが、教員の考察・解釈をそのまま正答のように書くのは、ずれた書き方です。教員の考察・解釈も、その教員のものであり、正答ではない。みなさんも、なるほどと思えばそのように書けば良いが、自分が思いついたように書くのは、ずれたやり方です。(例:芥川『羅生門』を習い、エゴイズムが云々と教わる。そうすると、自分の感想文に「恐ろしいまでのエゴイズムが感じられた」などと、習った事柄なのに、自分で感じたように書くのは、間違った方法。考察・解釈は、だれか具体的な見解であり、その人のものとして扱うべき。例:授業で先生はエゴイズムが云々と説明してくれたが、納得した。←まあこれでじゅうぶんに感想文です)
提出課題 ✎ 三章で描かれた香代子について、一章、二章で与えられていた印象との違いを中心に記してください。また、そうした違いが生じる原因、理由について、さらにそうした違いがもたらす効果について記してください。その他、三章で興味を持ったこと、気づいたことについても記してください。
▸ 実存主義
しょうじき、たいした哲学とは思えない……(笑い)、今日ではそれはもう常識化している。道徳の教科書とか、ハリウッド映画のポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)とか。でも大事なことです。
古代ギリシア以来「○○とは何か?」と問う、あらゆる学問の基本。(これを大成したのがソクラテス、プラトン、アリストテレス)、近代以降、学問が完全に分化する。
これらはいずれも「存在論的な問い」である。
日本語で「存在」というと、(2)だけを想像しがちだが、欧米語では、(1)(2)ともに「存在」を意味している。「存在」とは「有」ということであれば、日本語でも(1)も「存在」である。
すなわち、「存在」には二のあり方がある。
(1)本質存在(である存在)、本質 essence(存在するもの、本質的に不可欠なもの)
(2)現実存在(がある存在)、実存 existance(存在すること、実在すること)
「○○とは何か?」と問う哲学は、(1)を重要と考え、(2)は(1)に回収されるものに過ぎないと思ってきた。本質存在の優位
(例)ペンとは何か?様々なペン「がある」(羽ペン、つけペン、万年筆、ボールペン、シャープペン、鉛筆?、筆?)。しかし、どれもが完全な意味でのペンではないだろう。完全なペン、ペンの本質、(1)が何か分かりさえすれば、(2)は必然的に付いてくるはずだ!
「山」とは何か?
「美」とは何か?
そして、「人間」とは?人間はどう生きるべきか?→○○に従って生きるべきだ。(神、愛、倫理、社会的契約、お金)人間の自由はなくなる。
あるいは、「呉さんとは何者か?」(呉さんを表現している様々な属性のうち―帝大生であった、習字の師匠さんの家に下宿していた、戦争に行った、昭和18年マリアナ方面で戦死した、生前藤代の奥(ゆき)さんと交友があった、、、、それらの中で、香代子にとって決定的な意味を持つ性質があるはず。
主著『存在と無』(1942年刊。wiki さっぱりわからん、黒川―下山レベル)→ハイデガー『存在と時間』(ドイツ、1927年刊)に、ヘーゲル用語と弁証法(
正・反・合、即自・対自・即自かつ対自)を加味したもの。
即自存在(本質存在)(being by itself, それ自体で存在するもの。それ自体でそれとしてアルもの。モノの存在。本質存在)
対自存在(現実存在)(being for itself, 人間の存在。実存。本質的規定が出来ないもの。根源的に自由である)
これだとさっぱり意味不明だろうが、「ある」を「本質存在(○○である)」で言い換えてみれば、すっきり分る。
(1)「鉛筆であるものこそが鉛筆であって、鉛筆でないものは鉛筆ではない。」
なぜなら、人間は、現実に存在しているが(実存)、本質存在ではないから。
「実存は本質に先立つ」(本質ではなく、実存こそが優先されるべきである)
→自由。人間の自由とは、義務などと対比されるような自由ではなく、本質的・根源的に自由なのだ。
この脱自を、弁証法的にとらえれば、ヘーゲル的。
未来を「投企」、「死への覚悟」と言い換えれば、ハイデガー。
新カント派:ドイツ哲学はカント(認識論)〜ヘーゲル(弁証法)、ショーペンハウワー(意志と表象)、新カント派(心理学)、その反対(生の哲学)、などと揺り返し・繰り返しの歴史。新カント派は認識論的で、当時台頭しはじめた心理学と連繋して、人間の知覚を客観的に記述した。
反―新カント派:生の哲学「生は根本的事実であり、その背後はない。」生(生きること)、その背後(なぜ生きるかという理由)。*哲学(のみならずあらゆる学問)は、ある現象の理由(背後)を問い続けてきた。背後を問うのではなく、現象自体を受け入れ、そこから出発することが大切だ。
「私は何者でもない。(しかし)未来へ自分を投げ出していく」という点では、主体主義的。
しかし、世界は、主体によって変革できない。たとえば、主体(私)は言語によって作られていて、そんな自由なものではない。世界はすでに構造化されている。
→自由はどこにも存在しなくなってしまう。
決まった構造があるわけでなく、構造自体が作られる(ただし、人格=主体によってではない)
主体性(自由)を回復する必要はある。が、実存主義のような、意識の自明性・実体化を前提とするのは間違い。
デカルト以来フッサールなどの哲学が依拠してきた「意識」(こころ)は虚妄である。「意識」は、それを作りだす何か実体があるわけではない。「意識を保証する場、臓器・器官」などは無い(想定しないこと)。かつ、「意識」という実体(私が死んでも実在する意識)もない。イギリス経験論、アメリカのプラグマティズム。
ただし、「意識」の自明性・実体化だけを捨てれば、サルトルも全然まずくない。もっとも、サルトルはハイデガーの焼き直しに過ぎないようにも思えるが。
香代子の印象、一、二章と三章とでの違い。→明るさ/暗さよりは、浅さ/深さ。人間は誰も、深く見ればいろんな顔を持っているのである。その焦点(ピント)のあて方に差があるにすぎない。本質存在的な人間などいない(実存主義と自由の刑)。
三章末部において、主人公は何かを手放しているのか?唐突さ、偏倚性が常態化した後の問い。歩み出すことが手放すことなのだろうか。
それはともかく、章の末尾の「わたしはあなたを愛した藤代ゆきの娘です」に触れてほしいところです。母を手本として生きること。
以下、カギ括弧または太字が、本文のままの原文です。
4-01(p.165) 和歌がある。はかなしや枕さだめぬうたたねにほのかにまよふ夢の通い路 式子内親王
(p.166)わたしは今まで長いあいだ影のなかにいたような気がするし、今でも影のなかをふわふわとただよっているような気がする。それは暗くて陰気でじめじめして日の射すことのない場所にいるような気持なのだが、じっさいにわたしが歩けなくなり、もう立ち上がることもできなくなって、こうして寝たきりになってしまってから幾年が過ぎたことだろうか。わたしの記憶はところどころあやふやになっていて、ものごとを正確に思い出すこともできない。わたしがこの部屋のなかにじっとあおむけに寝ているようになってからの歳月のほうがそれ以前の歳月よりも長いというはずはないのに、わたしにはかぞえるだけの根気もなくむしろどっちにしても同じことだと思う。というのはわたしにとって時間というものはもうないのだし、この影のなかにいるような気持は死んでしまった人たちがあの世で感じている気持とどれほども違ってはいないだろう。わたしもまたとうに死んでいて、ただ魂だけが残っていて美佐子や香代子の顔を見ているのだとときどき考えることがある。しかしあの子たちにはわたしのからだはあっても魂はないにひとしいのだからおかしい。わたしのからだは決してよくなることはないのだろうし、あの人がわたしを死人を見るような目で見ているとしても無理ではないのだ。人は死人を憐れみの眼で見るから、たとえ生前にその人をどんなに憎んでいたとしても、その相手が死んでしまえばいままでの憎しみをわすれてお気の毒にとかお可哀そうにとか言うが、わたしもあの人にとってはもう死んだもどうぜんだから、それでああいうふうに私を見るのだろう。
☞さあ、だれでしょう。「影」はキーワードになっていくのでしょう。河(水)・眼、空=煙塵、森(?)光(?)、そして「影」、因みに五章は「ガラス」です。この物質的想像力(モノが人を触発する力)。「あおむけに寝ている」、「美佐子や香代子」、もう死んだのか?と一瞬思うが、まだ死んではない。そして「あの人」、それは夫であろう。「お母さん」「ママ」の独白一人称形式。「わたし」。
いったいいつからあの人はわたしをああいう眼で見るようになったのだろうか。ここから、「わたし」の回想は、まず最も頻繁に回想される「はじめて生まれた坊やが生まれるとまもなく死んでしまったことがあったが、」と始まる。「あの人」は、あのころからわたしをああいう眼で見ていた。あの人は「泣いているわたしを憐れみの眼で見つめながら、子供なんてまた生まれる、そんなに歎くものじゃない、とまるでひとごとのように冷淡に言ったものだ。」そして、「なぜわたしがそんなに悲しむのかあの人はわかろうとしなかったし、わからないというそのことで私を苦しめていることがわからなかった。」 ☞母「藤代ゆき」もけっこう理屈っぽいね!
わたしは、「はじめての、名前さえつけないうちに死んでしまった坊やと一緒に、わたしのからだもまた死んでいて、ただ魂だけがふわふわと生き残っていたのだろう。しかしじっさいにはそうではなく、わたしのからだだけが生き残り」、とあり、「ママはどういう気なのよ、とじれったそうに香代子が言い、お母さんはいつも何を考えていらっしゃるの、と美佐子がわたしにたずねたところで、わたしにどんな気があろう。はかなくてすぎにしかたをかぞふれば花にものおもふ春ぞへにける。しかしわたしにはもうかぞえることもない。ただ影のなかにいて、その影の中に朦朧とあらわれるものの姿を眺めているばかりだ。」
☞思えば、このひらかながやけに多い文体もまた特徴的だが、もっとも最初に驚くのは、この途中で和歌が入る表現である。自由間接話法に似た自由さと、反対の散文のなかに韻文(和歌)が挿入・混入・闖入している。二点指摘できる。,海譴楼貍呂埜た、「私」の現在の知覚に対する、過去の記憶の挿入に近いものであること。だとすれば、∀族里過去か現在かは、決定不能であるにせよ、それは分断的=接続的な「映像」(イメージ)であるということである。
4-02(p.168 l.5f) ひとはどういうふうにして死というものに馴れていくのだろうか。わたしにとって最初の経験はただ長い不在というにすぎなかった。
☞最初の経験である、弟「清(きよし)」ちゃんの死。二つか、三つの頃、おそらく急性肺炎かなにかで死んだ。
「このちいさな弟はそれまでも一家の愛情をひとりじめしていたから、それがわたしにときどき異常な嫉妬心をおこさせることもあったが、わたしはいつか父や母が弟を愛する以上にわたしもまた愛していることに気がついたのだった。」ともある。「わたし」は結婚して、あんなにも男の子をほしがったのは、この清ちゃんの「その時の傷がまだ癒されずに残っていたためではなかったろうか。それが坊やの死とともに、今度はもう取り返しのつかない傷となってわたしの心を蝕み、一切を影のなかにつつみこんでしまったような気がする。」
☞傷、癒やし(治癒)と救い(救済)というテーマ。9.11、3.11以降、われわれもそれを共通体験として持っているものである。傷、癒やし、罪が四章のモチーフである。
それはもう昔のことだ。わたしの坊やが死んでからもう三十年にもなろうとしているのだし、清ちゃんが死んだのはそれよりもはるか以前のわたしがまだ子供の頃のことだ。それはまるで河の水にうつしている自分の影は変わらないのに流れていく水はもうもとも水ではないようなものだ。でもわたしはときどき、わたしのいちばんはじめの死の経験を思い出し、それがわたしにとってただあるひとの不在というにすぎなかったことを一種の羨望に似た気持で考えている。そういうふうに死がおだやかな消滅であり、この世からあの世への移住にすぎないとすれば、わたしは今さらひとの死によって傷つけられることもない。わたし自身の死を待ちながらじたばたして苦しむこともない。わたしは今ではもうものを読むのもおっくうでテレビを見ているばかりだが、テレビのドラマのなかではどんなにたくさんの人が生きたり死んだり歎いたり笑ったりしていることか。じつにたくさんの人がその状況に応じて死んで行く。しかしそれを見ていると死はただの幻に、影に、すぎないことがわかり、わたしにはむしろそらぞらしい気持さえおこってくる。どうしてああも嘘のように死んで行くのだろうね、とわたしが言うと、香代子は、それはママ、ドラマなんですものしかたがないじゃないの、もしほんとうに死んでしまったらそれこそ大変よ、と笑うが、それがドラマであることぐらいわたしだって承知しているし、そのドラマが終われば死んだ筈の役者がのこのこと起き上がって、ああくたびれたとか何とか言うだろうことも想像できる。しかしその死はひとつの約束にすぎないことを当の役者があまりにも心得ていて、そこに死んで行く者のくるしみが察せられないかぎり、その死は嘘のようだと言わなければならない。清ちゃんの死はわたしには嘘のようだったし、もしすべての死がそういうふうに感じられるならば、それは何と幸福だろうか。わたしは子供の頃のその経験をのぞいては、死をいつものっぴきならぬ運命として受入れてきた。それは棘のあるもの、ひとの心を突き刺すものだった。それは刃のあるもの、人の心から血を流させるものだった。香代子のように単純にお芝居だからと笑ってすませる子とちがって、姉の美佐子はわたしといっしょのテレビを見物しながら、可哀想にと言って涙ぐむことがある。その死がテレビの画面のうえに写し出される偽りの像にすぎないことがわかっていても、美佐子にはその死が耐えられないほど哀れに思われるのだろう。でも美佐子、お前はどれだけ死というものを知っているだろうか。お前は優しい娘だからそれまでいたひとがいなくなったあとの心のむなしさを想像することはできるだろうが、しかしからだから手や足をもぎ取られたように心からその一部分をうばい取られたその痛みを感じることができるだろうか。わたしは今のお前の年になるまでに母をうしない父をうしない結婚してはじめて生まれた子供をもうしなっていた。そのことはわたしを不幸にしたが、死は死んで行くその本人にとって不幸なばかりではなく、そのかたわらにいるひとたちをも同時に不幸にしてしまうものだ。いや死んだひとはそれかぎりあの世へ行ってしまうから残された者がどのような苦しみに耐えているのか、もう知ることもないだろう、それとも、呉さん、あなたは今も遠い世界からわたしがこうしてあなたのことを思いつづけ、寝たきりの病人となって自分の残された日々をかぞえながら一日また一日と朽ちはてて行くのを眺めていらっしゃるのだろうか。わたしはそれをしらない。あなたがわたしを呼んでもその声はわたしの耳にとどくことはなく、またわたしがあなたを呼んでもそれがあなたに聞こえるかどうか。わたしは昔の日のことを思い、夢のなかであなたに、昔の若いあなたとともに、しばらくの時をすごすばかり。しかしあなたはもう思い出すということもなく、あの世で蓮のうてなのうえに暮らしておいでなのか、この世に生まれ変わって新しいいもちをいきておいでなのか、それとも暗いところで暗い風に吹かれておいでなのか、わたしは知ることもできない。しかしわたしはまだ生きていて、あなたのことを思い出している。生きているから思い出すのか、思い出すから生きているのか。わすれてはうちなげかるるゆうべかなわれのみ知りて過ぐる月日を。それを知っているのはわたしばかりだ。わたしがこうして生きているかぎり、あなたはわたしといっしょに生きている。
☞呼びかけている。同じ一人称独白形式であっても、一章とは異なっている。
☞どのように、映像にできるだろうか。わたしがここまでで何度も本作をTVドラマにしたいと言ってきたのは、単なる冗談ではない。それは映画でなく、連続TVドラマであるが、作中でこのようにTVドラマが意識されているから、というだけでもない。一章は、映像にしやすいだろう。それはもはやかなり斬新な絵コンテである。二章、三章も、普通に映像にできる。しかし、四章はどうか。内省の映像化、それはナレーションを使えば良いのか。ナレーションにどんな映像を当てれば良いのか。素人が無断で既存の歌謡曲CDに映像を付けてyoutubeにあげた曲は、笑ってしまうほど歌詞にべったり貼り付いたものである。「汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしている」などとあれば、汽車と時計を映し出してしまう。こんなんじゃダメである。私は、内省の映像化で成功した例を知らないが、市川崑のインサートショットの多用が、けっこういけるかも知れないと思う。
4-03(p.175 l.3) つづいて、忘れることが死の恐ろしい力である、と語っている。「たしかにわたしは呉さんのことを思い出しはするが、正直なところそれはときどきのこと、折にふれてのことにすぎない。わたしが昔おぼえた歌のかずかずを、それもわたしが特に好んでいた式子内親王の御歌などを折々に思い出すのとどれほどの相違があろう。おそらく誰でも、ひとは忘れている時間のほうが長く、ときたま思いだせばそれまで忘れていたことを忘れるのだ。いつもいつも思いだしつづけていたようにつごうよく考えるものだ。」
「しるべせよあとなき浪にこぐ船のゆくへも知らぬ八重の潮風。ただその一日にわたしは少しづつ忘れて行く。忘れることが死の与える力だとすれば、わたしのように生きながら忘れられた人間はすでに死の手にとらえられているだろう。忘れるとともに忘れられる。わたしは父や母のことをもうほとんど思いだすこともない。昔はそのために心に深い傷を受けて歎き悲しんだのに、その傷はいつのまにか癒されたのだろうか。いやそれはむしろわたしの心の奥底で、わたしの眼に見えぬものとして、その傷を大きくしていたにちがいない。もう思い出す必要もないほど心が傷そのものになってしまったにちがいない。あるいはその傷は別の傷をまねくもとになっていたのかもしれない。」
☞これが「忘却の河」よどんだもののあり方、そのものではないだろうか。投げることで、よどんだ河もまた、「私」と同質で地続きの空間=共感空間をなす、それが「心が傷そのものになってしまった」ということ。
母は震災で死んだ。
☞関東大震災である。1923年(大正12年)9月1日。昼時であり、多くの火事を起こした。
「わたし」はその時、友達の家で遊んでおり、そこは火事になったので、友達の父親に連れられて小学校の「雨天体操場」(体育館)に避難した。父は、「ゆき」を探し回り、ようやくここまで見つけにきてくれた。母は、父がゆきを探しにでた後、避難所にいず同じく探しにでておそらく火に巻かれたのであろう。祖父母の代から大きな洋品店を営んでいた家は、最初の一揺れで半壊した。なにひとつ持ち出すことはできなかった。
4-04(p.181 l.4)「若い娘が結婚というものに夢をいだくとすれば、それは愛が結婚という形で申し分なく実現するはずだと考えられるからではないだろうか。美佐子や香代子の場合には、結婚というものがはたして夢であるのかないのかさえもわたしはほとんど知らない。香代子はまだ大学生だからそんな問題は先のことだとしているかもしれないが、美佐子なんかもっと真剣に考えてみてもよさそうだと思う。あの子はお見合いというとばかにし、そうかといって恋愛をするほどのはきはきした気性も持っていない。あたしはこのままでいいのよ、と美佐子が言うのを聞くと、わたしはじれったいような気持になる。わたしには夢があった。夢をそだてたのは父の母に対する深い愛情をこの目で見たことだった。母が震災で死んだ後も、父は後添いをもらわず、わたしを連れて毎月一日になるとお墓参りに出かけた。父はほとんど口をきかなかったが、その日を忘れることは決してなかったし、わたしが女学校から帰ってくるのを待ちかねるようにしてわたしを連れて行った。」父親は独酌をかさねていたが、もうすこしつきあってやればよかったと今は思う。身体をこわして、わたしが結婚した後に、死んだ。
☞出来事の回想はランダムで、反復的で、ネタバレ的である。知り尽くした自分の記憶だからである。
洋品店はさびれ、「わたし」は女学校を出て、官庁のお役人をしている遠縁の親戚のうちに行儀見習いに出た。「叔母のしつけはきびしかった。」「わたしは叔母の家でくるしい目にあうたびに、早く結婚したい、そしてたのしい家庭をつくりたいとねがっていた。結婚というものは、父と母との場合のように、かならず幸福なものと夢みていた。もし運命が、たとえば震災のようなかたちで、ひとを襲うことさえなければ。」
「わたしはお見合いをして藤代の家へと嫁いだ。夫はやさしかったし、舅も姑もやさしかった。」新婚旅行の間も、せっせと父に絵はがきを出した。叔母が親代わりであったから、おおっぴらに見舞いにいくのはためらわれた。私は苦しみ、有るとき「とうとう夫に相談することにした。」夫は、「君にお父さんがあるのか、とおどろいたように叫んだ。わたしはそのとき、目の前がくらくなるような気がした。」
「いったいこの人はどこまでわたしのことを本気で嫁にもらったのだろうと考えた。もちろん父はいます、母は死にましたけど。どうしてそれをごぞんじないんですの、とわたしは訊いた。そうかい、僕は知らなかった。君のご両親は二人とももうなくなっているのだと思っていたよ。それがあの人の返事だった。それはまるで、そんなことには関心がなかったと言わんばかりだった。自分にとってはどうでもいいことだというようだった。ひとの父親が生きているか死んでいるかということが、どうしてどうでもいいなんて考えられるだろうか。あなたは木の股からでも生まれたんですか、となぜその時わたしはいってやらなかったのだろう。」
☞そんなこと言っても、ケンカになるだけですよね。むしろケンカしたほうがよかったのですかね。
見舞いに行くと、父は「なんだ見舞いに来たのか、とぽつりと言った。しかし父が心のそこでどんなにか喜んでいることはわたしにもすぐ察せられた。」しばらく見舞いにいくうちに、父に夫を会わせたいとおもい、夫に再び相談したが、「あの人はむつかしい顔をして聞いていたが、君が行ってあげればそれでいいじゃないか、と言った。わたしは茫然とした。」夫を病院に連れて行くことに成功せず、言い合いをしながら寝てしまった。父はその晩のうちに死に、死に目にあえなかった。
4-05(p.187 l.3)「それはもう三十年も前のことだ。そしてわたしはそれ以来、あの晩夫がなぜなぜあんなにも嫌がったのだろうと考えることがあった。お前は自由にするがいい、決して干渉はしない、しかし自分のことは放っといてもらいたい、それが夫の主義だということが徐々にわたしにもわかった。しかしあの時のもっとも大きな原因は、あの人の心の奥にある何かえたいのしれない恐怖感に基くものだったろう。そのことをわたしは長い時間をかけてすこしずつわかってきたような気がする。それは病院へ行くのがこわいというよりも、死んで行く人間を見るのがこわいのだ。あるいは死人を見るのがこわいのだ。それはわたしとも、わたしの父とも、まったく関係のない恐怖心がそうさせていたのだろうと思う。その後やがてわたしたちのはじめての坊やが生まれ、生まれてすぐに死んだ時にも、あの人はなんとも言えないおっかない表情を浮べて、ろくろく坊やの死顔を見ようとさえしなかった。わたしはその時も何という心のつめたい人だろうかと憤ったが、しかし今から思えば、あの人には何かしらそれに触れると疼(うず)くような深い傷痕が心にあったにちがいない。ただわたしはそれをたずねようとしなかったし、あの人はわたしに教えようとはしなかった。」
☞教えればよかったのかね。たしかに、それは不可能ではないだろう。ただし、われわれは(不思議なことに!)「彼」がそうなった理由・事情を知っている。「わたし(ゆき)」はもちろん知らず、ただこうして正確に観察し、推測しているばかりである。
別に「不思議」ではないか。当たり前か。いや、話されたことのない秘密を他人が知っているのは、やはり不思議でしょう。しかし、物語りというのは、そもそも話す形式ですから、知っていて当たり前だと思うわけです。ここには、語ることを前提としていながら、逆に、語られないと領域(知られることのない領域、私秘性)が成立する秘密がある。世界は実は、語りで開かれており、私秘性のほうが後から成立するのである。(近代的自我、内面の発見)
「可哀そうなわたしの坊や、まるで死ぬためにうまれてきたようなわたしの坊や、お前は名前さえつけられずに、ふたたびお前の生まれてくる前の暗い闇のなかへとかえって行ってしまった。」しかし、夫は坊やが生まれてもとくだん嬉しそうな顔もしなかった。「姑は、お前は変わっていると、ととりなしたが、わたしにしてみれば変わっているどころではなかった。坊やができさえすればわたしたちの仲もしっくり行くだろうと考えていたのだから。……坊やはじきに死んだ。わたしたちのあいだをつなぐべき糸はそこでぷつりと切れてしまった。暮るる間も待つべき世かはあだし野の末葉(うらば)の露にあらしたつなり。」
4-06(p.191 l.1) 「わたしは幾年となくこうして寝床のなかで暮らしているがもう泣くこともない。わたしの涙の泉はいつのまにか涸れてしまった。ひとは若ければ泣くこともできるが、年をとるにつれて泣くことよりももっとつらいこともあるものだ。美佐子は何かといってはすぐに涙ぐむ。それはあの子の性質がやさしいからだろう。わたしが死ねばあの子もきがねなく嫁にいけるだろうし、そうすれば母親のそばで泣いていた昔のことをなつかしく思い出すこともあるだろう。ちいさい時から泣虫の子だった。おれは泣虫な子供はきらいだ、と夫はじきに言った。美佐子ができたからといってわたしたち夫婦のあいだはすこしもよくはならなかった。さいしょの坊やが死んでからの五年間のあいだに、わたしたちは子供によって愛情をたしかめあうにはあまりにもよそよそしくなりすぎていた。」
「いったいあの人は何がおもしろくて生きてきたのだろう。いつでも気ぶっせいな顔をして、勤めから帰ると黙って食事をし、黙って自分の部屋へ行き、黙って寝る。」美佐子がなつくはずもないし、今でもかわらない。
「あの人は昔話とか思い出話とかをしたことがない。戦争へ行った時のこともほんのすこししかわたしは知らない。あの人の子供の頃のこともまるで知らない。だからわたしは、あの人の性質がどういう原因でああも陰気になったのかわかることもできない。」
美佐子が生まれ、大きくなってかわいくなっていっても、わたしたちの仲はさめたままだった。夫は大きな軍需会社に勤めていたが、戦争がその暮れに始まった年には以前よりもいっそう忙しくなって、しばしば出張で家をあけた。「美佐子も手がかからなくなり、わたしは心のなかのむさしさを何かで埋めようと思って近くのお習字の先生のところへ手習いなどにかよった。お師匠さんは未亡人で、私に手習いだけでなく和歌なども教えてくださった。」
☞「戦争がその暮れに始まった年」1941年の真珠湾攻撃・太平洋戦争。それ以前にも、日本は中国と戦争状態にあった。満州事変(1931年)から終戦(1945年)までを「十五年戦争」と呼びます。第二次世界大戦は1939年9月1日のナチス・ドイツのポーランド侵攻から。太平洋戦争は1941年12月9日の真珠湾攻撃から。
提出課題 ✎ 四章の、母(ゆき)の性格や経歴などの内容面(具体的にどんなことがあったか)、観察、推測などの形式面(具体的にどう感じていたか)、そして章としての構成(反復的な回想、呼びかけ形式、平仮名、和歌の挿入)などについて記してください。
▸ 不倫について
これは次回、じっくりやります。
▸ひらがなの多用について。
漢字を男手(おとこで)というのに対して、仮名文字のことを女手(おんなで)と言います。「手」は筆跡・文字のことです。で、(たぶん)縄文時代のむかしから日本列島に住む人は、日本語(?)を話していました。弥生時代もそうでしょう(たぶん)。文字はありませんでした。中国の「漢字」を使って、日本語を表記するようになります。奈良時代の『万葉集』は漢字で日本語の和歌を表記しています(万葉仮名・まんようがな)。訓仮名と音仮名とがある。
若浦尓 塩満来者 潟乎無美 葦辺乎指天 多頭鳴渡(山部赤人、万葉・919)訓仮名の例
東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡 (柿本人麻呂、万葉・48)同例
銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母(山上憶良、万葉・803)音仮名の例
そして、平安時代初期に平仮名、片仮名が出来ました。楷書・行書・草書のうち草書が平仮名となり、楷書の一部を残して片仮名になったのです。平仮名が女手、片仮名は漢字と並んで男手です。
『源氏物語』を頂点とする平安女流文学は、かな文字の文学です。ただし、清少納言や紫式部がそうであるように、彼女らは教養にあふれ、非常に知識的、理知的です。さかのぼる藤原道綱母『蜻蛉日記』などもそうでしょう。せつせつと妻や母の情念を書き綴りながらも、男たちに対して案外と冷静なところがあります。それは実は「ゆき」の姿でもある。平仮名の多用は、病床にあるゆきが衰弱し意識が低下しているからではなく、むしろ女手に由来する伝統であり、ゆえに女の知性のあり方だと考えるべきであろう。身体はどれほど衰弱し不活発になっても、精神と意識はおそらくそれに反比例して怜悧明晰なのだ。
▸引歌(ひきうた)表現について。名言やことわざを文中で引用するのと同じように、和歌を引用する修辞法(レトリック、文章術)があります。この四章も、広い意味では「引歌」表現でしょう。引かれた和歌はゆきの気持を的確に表わしている、でしょうか。歌の意味とゆきの気持・意図は一致しているでしょうか。ゆきは、式子内親王の和歌を、本来の意味とすこし違うものとして使っていますよ。
わすれてはうちなげかるるゆうべかなわれのみ知りてすぐる月日を(新古今集・恋一・一〇三五)
(忘れて、嘆き悲しんでいる、この夕暮れ時。私ひとりだけが知る、あなたを慕い思ってきた月日を)
詞書き(和歌の説明)に「忍ぶ恋」とある、つまり片思いの恋であり、自分が恋していることを相手は知らないということで、片思いであることをふと忘れて〔訪れの無いのを、あなたのことを思い出して〕歎かれる、という歌である。それに対して、ゆきは、呉さんのことを「しかしあなたは〔もう死んでいるのだから〕思い出すということもなく」として、この歌を引用している。「忘れていたことを忘れる」。和歌の誤用でしょうか。むしろ異なる意味・文脈で引用することで、オリジナルの意味が改変されていく、そんな創造性あふれる使い方がされている、とも考えられる。(cf. 2011年に私は母親が死に、めちゃ悲しくて、子供のころ(母と)聞いてた失恋を歌う普通の歌謡曲、たとえばゴールデンハーフ『チョットマッテクダサイ』、大橋純子『たそがれマイラブ』がすべて母の死を歌うもののように感じられた時期がありました。)
▸ゆきの半生。弟の死、震災での母の死。結婚して直後の父の死、そして最初の「坊や」の死。不幸ではあるが、波瀾万丈というほどではない。ありふれた不幸にすぎないだろう。(むかしは今より、よく人は死んだ)。事態そのことよりも、それを受け止めているゆきのあり方自体が、貴く、感動を呼んでいるのでないか。
4-07(p.194 l.5) 「もう戦争なんか遠い昔のことになってしまったし、香代子なんかにはまるで理解することができないらしい。わたしも戦時中は夫が応召した留守に子供たちをかかえてずいぶん苦労をなめた。疎開した先でもさんざん泣かされた。しかし今から思うと、わたしは戦争のはじまる頃のしばらくの時期だけを生き生きとたのしく暮らしていたような気がする。たのしかったといってはいけないのかもしれない。しかしわたしが女らしく愛するということを知ったのはその時期だったし、それは近づいた戦争のおかげだった。もしも戦争がなかったなら、そういうたのしいことも知らず、わたしの人生はただむなしく朽ちていっただけだったろう。戦争はおそろしいし、わたしは結局はその戦争のために愛するひとをうしなってくるしんだのだから、たのしいというのはただ一面というだけのことかもしれない。しかし人は愛する時に、くるしむことさえも心のよりどころになっているのだ。わたしがこうして何の希望もなく寝たきりで暮らすようになれば、それはわたしにとっては戦争よりももっとくるしくてもっとみじめな状態だと言えるだろう。なぜならば今のわたしにはもうよりどころもない、きたるべき平和もない、死のほかに終わりということもないからだ。」
手習いのお師匠さんに教わった和歌の中で、特に式子内親王(1149〜1201)の歌にこころをひかされていた。
花はちりその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる(新古今和歌集、149)
(桜はもう散って無いのだから、その色彩をと思ってというわけではないが、それでもその思いをもってぼんやり眺めると、やはり何も見えない空、そこに春雨が降っている)
「新古今時代になると、従来の美意識に加え、何もないものに関心があつまり、否定的な美を好むようになっていく。「花はちりて」この歌にもその傾向がはっきり現われている。散っている花を詠むのでもなく、散り敷いた花を詠むのでもない。散って跡形もなくなった状態を、虚空に見つめてうたうのである。花をうたって花はなく、花の残像〔記憶〕が残る空に美を見出だす。あくまでも花の歌でありながら、花はない。」(平井啓子『式子内親王』コレクション日本歌人選010、笠間書院)
☞ 否定的な美。ネガティブな、不在であることの美。知覚でなく、記憶を対象として、歌を詠む、とも言える。 (見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ、藤原定家 1162〜1241)。 後白河天皇(1127〜1192)の第三皇女、一一年の賀茂斎院、不犯にして清浄な御生涯に、ゆきは「わたしに似たところは何ひとつない」と言う。「それでも女らしい恋ごころをうたわれたその御歌のなかに、わたしがわたしのみたされない気持を読みとろうとしたのは決して読みすぎといわけではなかっただろう。」
わが恋は知るひともなしせく床の涙もらすな黄楊(告げ)の小枕(新古今、1036)
(私の恋心は、だれも知る人はいないのです。ただひとりぬらす涙をせき止めて、人に告げることがないようにね、黄楊の小枕さん)
玉の緒よ絶えなば絶えね長らえば忍ぶることの弱りもぞする(新古今、1034)
(命の紐よ、切れるというのなら、切れてしまってもいいのよ。このまま命を長らえれば、隠すことができなくなってしまって、それは困りますからね。二首とも、笑った感じで訳してみました。なおさら怖いでしょ)
……そのかたは心のそこにどうにもならない恋ごころをもち、ひそかにそれに耐え、そして歳月のむなしく過ぎ行くのにやさしい涙をこぼしていられたのだ。そこにわたしは女というもののあこがれを見てとったのだろう。わたしには恋もなかった、愛するひともなかった。それでも愛したいという気持、玉の緒よ絶えなば絶えねという強い気持をわたしがもたないわけでなかった。」
☞「玉の緒」は魂(命)を繋ぐ紐。それが絶えればもちろん死ぬ。忍ぶることが弱っては大変だ(もぞ・もこぞ―係り結び、〜しては大変だ)、だから死んでも良い、という意味である。しかしゆきの「死んでもいい」は、もっと積極的であろう。また、「わたし死んでもいいの」は既に本作で何度も聞いた言葉である。だとすれば、一章の「看護婦」もそうしたものへのあこがれがあったと考えることもできる。cf. 儀同三司の母「忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな」(決して忘れないと将来にわたって約束して下さるのは難しいでしょうから、このまま今日で終わる命がほしいものです)死んでもいいの、の伝統。
さらに、だとすれば、「私」(父)と「わたし」(母)とは、おなじものを求め、求められていた人どうしではなかったのか。
「わたしが呉さんを愛したのは、その頃のわたしのむなしい気持と式子内親王の御歌によって掻きたてられたわたしのなかのあこがれとが、ひたすらに愛をもとめていた結果なのだろう。……わたしはその頃、二十代と三十代との通い路にいて、心ぼそい思いに身をふるわせていた。鏡台の前にすわって、もともとあまり美しくもない自分の顔をぼんやりと眺めていた。」
☞「もともとあまり美しくもない」……、女優だれにするかねえ!(どこまで真に受けるか)
呉さんは、お師匠さんの遠縁にあたる大学生で、二階に下宿していた。ゆきが、お師匠さんに代わって、二階にお茶を入れて運んであげた。「わたしの弟がもし生きていたら、ちょうどあなたくらいになるんだけど、とわたしはつぶやいた。そうですか、でも僕たちの年頃じゃみんな戦争に取られるだけだからなあ、と呉さんはふとい眉をひそめていた。」
☞俳優だれにするかねえ!(すこし昔なら田中裕子、岸本加世子あたりだったでしょうか。ギャラ高くつきそう。
☞戦争、世界情勢。
もっと親しくなってからは、珍しく呉さんは強く訴えるように言ったことがある。「僕たちは学問をするために大学に入ったんだじゃなくて、兵隊に行く時期をすこしでものばすために大学生になったようなものです。人生の目的は、学問をしたり仕事をしたりすることにあるというよりも、お国のために死ぬことにあるんです。どんなに勉強したって結局はめでたく戦死というので終わりですよ。」それはけっして自暴自棄ではなかった。呉さんはまじめで誠実な青年だった。「ただどんなにまじめで誠実でもどうしようもない、死を待つよりほかにはないと心にきめて、その心をわたしにうち明けてくれたようだった。僕は死ぬのがそんなにこわいわけじゃない、と呉さんはいった。どうせ死ぬと決めてしまえば、一日一日がうつくしく見えるし、死ぬことそれ自体もきっと美しく見えると思うんです。僕はりっぱに死にたい、男らしく勇敢に死にたい。わたしはそれに反対した。だって戦争に行ったからってかならず死ぬとはかぎりませんわよ。呉さんはかすかに笑った。おくさんは政治のことなんかあまりごぞんじないだろうけれど、アメリカとの関係はだんだんに悪くなる一方ですよ。シナ事変もここまできてしまえば、今度はアメリカやイギリスと戦争になることは目に見えています。そうなればもっともっと悲惨なことになるかもしれません。アメリカは物量でくるんだから、日本は若さと精神力と神風ぐらいで対抗するほかはない。しかし神風はそうそううまいぐあいに吹いてくれるとはかぎらないんだから、残るものはわれわれのいのちがあるだけです。生きてかえれるなんて考えちゃ、お国のためには働けませんよ。でもあなただって死にたいとは思わないでしょう、と私は訊いた。そんなことを訊いても何にもなりはしないのに、わたしはそれをたしかめたかったのだ。呉さんは笑って、あたりまえですよ、と言った。」
☞神風は、鎌倉時代の元寇の際にふいたものだが、1892年に軍歌『元寇』にもなった。黒澤明の監督第二作『一番美しく』(1944年4月公開)では、レンズを磨く軍需工場で働く勤労動員の女学生達が、工場と女子寮との行き来の間に歌いながら行進しています。ひたむきな彼女たちは確かに美しいが、その分あふれる程に表現されるディストピア感!
それまではなくなった弟を思うような「淡々しいものだったのに」、「呉さんを尊敬し、同時にそれまで感じたことの無かったあたらしい感情を知った。それが愛であることにわたしはやがて気がついた。」しかし「気がついたとて何になろう。わたしは毎日のようにくるしい想いとたたかい、家事にいそしみ、時間をさいては机に向かって法帖をなぞったり美佐子といっしょに遊んだりしてそのことを忘れようとつとめた。」呉さんに会えば苦しいと思い、お稽古にいってもなるべく二階に上がらないようにし、「しかし顔を見なければいっそう心はかきたれられた。
夢にても見ゆらむものを歎きつつうちぬる宵の袖のけしきは。(新古今、1124)
(夢ででも会えたらと思うのに。歎き悲しみながら眠る夜の袖の様子こそ)
わたしはその頃、どのような夢を見ていたのだろうか。」「逢おうとおもえば容易に逢うことができ、ケータイを使えば相手の心に自由に入っていける現代の男女は、せめて夢の中だけでも逢いたいと願う人たちの思いを、どうみているのであろうか。」(前掲、平井啓子)いや、どんなテクノロジーの時代になっても、会えることと会えないこととの二つの状態の間に、恋は成り立つでしょう。
夏、暑中休暇のすこし前、二階で呉さんと会い、突然の雷鳴と篠つく雨に驚く。「こわいという気持と、いっそここへ落ちてくれたらわたしは呉さんといっしょに死ぬことができるという矛盾した気持とが心の中でたたかっていた。」「そしてわたしはとうとう口にしてしまった。わたしはこうして死ねたらそのほうがいいの。」呉さんもまた「おくさん、僕はあなたがすきだ 」と言った。☞(よかったですね。か?)が、「わたしは不意にこわくなり身をしりぞけた。」「わたしはいざとなると臆病で呉さんの手をふりはらってしまったのだ。」
夏休みで呉さんのいない間、わたしは呉さんの言葉を思い出し、この意味を考えていた。秋の初め、呉さんがまたお師匠さんの二階に帰って来たが、その「わたしは呉さんのさりげない眼つきから、このひとはずっとわたしのことを忘れないでいてくれた、想っていてくれたという印象を受けた。」その次に二人きりで二階で会う機会が出来たとき、「わたしは大胆になって、おあいしたかったわ、と言った。僕もです、と呉さんはこたえた。夏休みのあいだ顔を見ないでいた時間をひととびに飛びこして、わたしたちはまたあの雷のとどろいていた夕暮れ時とおなじ気持のなかにひたされた。呉さんはわたしの肩をそっと抱き、わたしたちはどちらともなく唇をあわせた。」
ふたりのあいびきは、「そこにはいつも罪の影が落ちていた。わたしには夫があり娘がありお師匠さんの信頼にたいしても裏切っているという気持は抜けなかった。おなじ心持は呉さんのほうにもあっただろう。わたしはそのためにいっそう狂おしくなり、呉さんはそのためにいっそうとまどい、おそれ、くるしんでいた。積極的なのはわたしのほうだった。わたしは死んだっていいのよ、と言った。わたしはわるい女ね、とも言った。しかしわたしはわたしの愛をとどめることはできなかった。わたしのいのちはこの刻まれた時間のなかにあますことなくそそぎこまれなければならなかった。」
☞まずはじっくり考えてほしいのですが、この二人の男女は、おそらくそのまま第一章の「彼」と「看護婦」の関係であろう。そして「看護婦」は、その言葉通り死んだのだろう。では、藤代ゆきは? 彼女は「看護婦」とは違う選択肢を選んでいるのであろう(原因不明の病気に臥せる)。別の死に方をしているのであろう。
呉さんは、十二月に卒業し、翌年の二月には入隊することにきまっていた。「わたしがあなたにゆっくりあえるのは夢の中だけね、とわたしは言った。夢の通い路というんですか、と呉さんは言った。」
☞(夢の通い路っていうやつですねの意か、または夢の通い路だとおっしゃりたいのですねの意か)
その秋から冬へ。次の年の秋には、田舎に疎開しており、香代子が生まれていた。呉さんには、危険な道があったら、必ず危険じゃない方を選ぶって約束して、などと言い、ゆびきりげんまんまでしたが、そんな約束が何になろう。二人だけの時には、「わたしは気も狂わんばかりに、わたしを抱いて、わたしをどうにでもして、と叫んだ。呉さんは臆病でいつもすこしふるえていたし、その手はわたしが誘わないかぎり敢えてわたしのからだに触れようとはしなかった。しかしわたしたちにはもうためらっているだけの時間がなかった。どうか今は二人とも生きていることを教えて、とわたしはつぶやいた。」
☞生きていることの実感は、いかにして感じうるのか。「背後無き生」、その実感は如何にして可能か?
その冬、とうとう米英との開戦が宣せられ(1941年12月8日)、呉さんは翌年2月に入隊した。3月には夫も応召が来、南方へ。日本軍のシンガポール占領(1942年2月)、アメリカの飛行機による東京空襲(1942年4月18日、B27ドゥーリットル飛行隊)。田舎へ疎開し、姑はついてきてくれたが、仕事の関係で在京していた舅のところへすぐに戻った。翌年とその翌年(1944年)、冬のはじめ、毛筆書きの一通の封書が東京から回送されてきた。「わたしはその裏書きを見た瞬間にすべてをさとった。
☞呼びかけたのは、香代子もでしたね。それにしても、なぜ連絡が来たのか。と、読者は三章を読んでいるから、知っている。あとまあ、この候文が入ることで、平仮名はいよいよ映える。
疎開先で終戦を迎える(1945年8月15日)。二人の子供をつれて東京へ戻ってくる。舅は栄養失調で死んだ。姑も病気になりついで亡くなった。姑は病床で、ゆきに「お前はほんとうに可哀そうなひとだねえ、とつぶやいた。……お前の好きだったひとはどうしたの、と姑は訊いた。わたしはぎくっとなり、お母さん何をおっしゃるの、と戯談にしようとしたが姑は軽く眼をつぶったままで言い続けた。わたしは知っていたんですよ、でもだれにも言ったことはない。お前のように夫からうとんじられていれば、別のひとが好きになるのも無理のないことだと思っていました。世の中にはどうにもならないということがあるもんだからねえ。あの大学生はどうしました、と姑はゆっくりと訊いた。戦死しました、とわたしは答え、それとともに涙がまぶたにあふれてくるのを感じていた。そうだったの、と姑はかすれた声で言い、わたしの手をそっと撫でていた。だれにも言わないようにね、と姑は付けたした。」
☞姑、これは重要な役、すごい老女優にやっていただかないと。新旧大女優対決。若手・新人女優対決は、かってに盛り上がるでしょうが、プロが注目するのはこちらでしょう。因みにわたしならば、前半にいそいそとお習字に通うゆきの姿に対して、姑がまったく気付いていないような雰囲気を見せる場面を入れておきますね。
あとは、今日に至る……。明け方はやくに目を覚ますと、「そばで美佐子がすやすやと眠っている寝息を聞きながら、それまでに見ていた夢のことなどを思い出している。」
「冬の朝のさむざむとした光が硝子窓から部屋のなかに射しこんでくる。わたしは眼をひらき、今日の一日がまたはじまったことを知る。今日の一日も昨日の一日とかくべつの変りもないだろう。明日の一日も似たようなものだろう。しかしいつか、そのうちに、わたしのからだもわたしの魂もすっかり影のなかにつつまれてしまうだろう。今日がその日でないとはたして誰が言えよう。そしてわたしは硝子窓を見つめながら、もうすぐよ、と誰にともなくつぶやいてそっと微笑するのだ。」
☞カメラのように、すべてを写し出している福永武彦の文章。美佐子を見守る母がいる。
▸ 香代子の父親が誰であるかは、特に明示されてはいませんね。サンペンス(宙吊り)状態は、まだしばらく続きます。
▸ 独白の映像化。全体にナレーションをかぶせ、そこに市川崑ふうのインサートショット(1,2秒の挿入ショット、しかも時間はあちこちに行き来する)をごちゃごちゃに組み合わせる。こういう手法は、今日では朝ドラレベルでも一般化してきたが、もともとかなり高度な技である。朝ドラ(2020年)でいえば、主人公の音楽好きの少年が、ハーモニカ部の最後の演奏会のシーンと養子縁組みのために音楽を捨てると語るシーンとは、時間の前後が明示されない。養子先の意図を知り雨の中で地面を叩いて泣くシーンで、養子先の家に行く前から、すこしづつインサートされている、など。けっこうこしゃくな技を使っています。
▸ 不倫について
「不倫は文化だ」(石田純一)、正確には「不倫から生まれる文化もある」と言ったのだが、これは本居宣長のもののあはれ論をふまえているのであろう。
本居宣長『排蘆小船(あしわけおぶね)』(岩波文庫 54頁、一七五〇年代・20歳代のデビュー作)
又問ひて曰はく、好色は人情のふかきところ、されば『詩』三百篇の首(はじめ)に関雎(かんしよ)あり、『礼記』にも人の大欲といへり。これもとより人々あるべきは勿論のこと也。しかれども、夫婦の中らひこそずいぶんむつまじく、かたみに思ひかはし、心ふかく契りむつぶべけれ、父母の許さぬ処女(おとめ)に心をかけ、ひそかにこれをあざむき出だし、あるは人の室女(しつじよ)に私通しなどすること、大淫乱、吾邦ことに古(いにしへ)多かりしや。伊勢、源氏そのほかの物語、みなさやうのこと也。歌道にこれをいみじき物におもひ、賞玩するはいかに。
答へて曰はく。これ又さきに云ふ僧の色このむと同日の論也。まことに道ならぬ好色は、はなはだ無状〔無法〕なること、いましむべきのいたり也。されば聖人の教誡、人倫のおさめかた、のこる所なく経伝にしるして、人のよくわきまへ知るところ、愚人も自づから、不義のわけはよくしれり。これ世間一統の通誡也。されども此歌の道には、このいましめ又あづかる所にあらず。すべて人情、これはよきこと、これはあしきこと、すまじきことと言ふことは、大方たれもわきまへ知ること也。ことに人の妻(め)を犯すなど云ふことは。竹馬の童もあしきこととはしること也。しかるにこの色欲は、すまじきこととはあくまで心得ながらも、やむに忍びぬふかき情欲のあるものなれば、ことにさやうのわざには、ふかく思ひ入ることある也。あるを克己(おのれにかちて)忍びつゝしむと、え忍びおほせずしてみだるゝとのちがひ也。それを忍びつゝしむは良きは勿論也、え忍びあへずして、色に出で、あるいはみだりがはしき道ならぬわざをもするは、いよいよ人情の深切なること、感情ふかき歌のよつて起る所也。源氏、狭衣のあはれなる所以(ゆゑん)也。しかれば歌の道ならびに伊勢、源氏等の物語、みな世界の人情をありのまゝに書き出だして、その優美なることを賞すべき也。人みな聖人にあらざれば、あしきことはすまじき、思ふまじきとはいはれぬこと也。よきことをもあしきことをも思ひ、あるいは行ふ。人々の情より出づる歌なれば、道ならぬこともあるべきことはり也。
現代語訳:再び質問する。恋愛は感情の本源である。だから『詩経』三百篇の冒頭には関雎(かんしよ)があり、『礼記』にも人の大欲と言っている。これが元来の人間としての姿であることは当然である。しかしながら、夫婦であればこそ、仲むつまじく、互いに思ひかわし、心ふかく契り結ぶべきだが、父母の許可を得ていない生娘(きむすめ)に恋愛感情を抱きこっそり騙して連れ出したり、あるいは他人の妻と関係を持つなど、大いなる淫乱。わが国では特に古代に多かったのではないか。『伊勢物語』、『源氏物語』、そのほかの物語もみな、そんなものばかりである。和歌でも恋愛を大切なことと思って、褒め味わうのは、どうしてですか。
回答。これもまた、先ほど述べた、僧侶が恋愛を好むのと同じ議論である。まさに、人倫にはずれた恋愛は、はなはだ無法であること、固く謹むべきことの極致である。だから聖人の教えと誡めにも、人倫の修めかたとして、総て残らず経典に記して、人間がハッキリ弁え知るところとなって、愚人であっても自然と不義を犯してはならない理屈を理解している。これ世間共通の一般的な戒めである。とはいえしかし、和歌の道においては、この戒めもあるいは理解していない。万事、感情について、これは良いこと、これは悪いこと、やってはいけないこと、ということはおおよそ誰もがわきまえ知ることである。特に、他人の妻と関係を持つなどいうことは、竹馬で遊ぶ児童もそれが悪いことだと知っている。にも拘わらず、この恋愛の欲望は、やってはいけないことだとあくまで心得ながらも、止むにやまれず隠すに隠せぬ深い情欲というものであるから、特にそんな行為については、深く思い沈むこともある。ある者は欲望に打ち勝って隠し押さえ通すが、押さえ通すことができずに思いを表わしてしまい乱れた行為に走る者もあり、そこに違いがある。こうして押さえ隠すのが良い事であるのは言うまでもないが、隠すことができず、表情に出てしまったり、あるいはみだらで人倫にもとる行為を行う者は、ますます人情が深いということ、感情深く、和歌はここから起きる源なのである。『源氏物語』、『狭衣物語』などがあはれ〔情緒を解す〕だと言われる理由がここにある。だから、和歌の道、あるいは『伊勢物語』、『源氏物語』などの物語は、みなこの世の人情をあるがままに書き出だして、その優美なることを賞ずることができるのである。人間はみんながみんな聖人というわけではないから、悪いことはしてはいけない、考えてもいけない、とは言えないのである。良い事も悪い事も考え、あるいは行う。人間の感情から発せられるのが若菜のだから、そこには人倫〔道〕にはずれたものがあるのは至極最もな理由のあることなのだ。
▸「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花」、大和魂とか言った本居宣長(1730〜1801)、あんがい柔らかいですね。
▸不倫を良いものだと肯定しているだけでは、大学の文学の授業とは言え(悪徳もまた教材である)、少々具合が悪いでしょう。二十歳前後の若者たちも、不倫大いに人間らしくて宜しい、などと思っているようも困ります。非常に面白い次の本がある。
橋爪真吾『はじめての不倫学―「社会問題」として考える』(光文社新書、2015年)
カバー袖の紹介文「子供や若者世代の貧困、一人親家庭や生活保護、高齢者の孤独死などの社会問題の背景には、「不倫」がもたらず家庭破綻、それにともなう経済状況や健康状態の悪化が潜んでいる。にもかかわらず、「不倫」は個人の色恋沙汰、モラルの問題としてのみ捉えられている。」社会問題として「不倫」を考えた本、研究。タイトルは『不倫の社会学』のほうが良いとわたしは思う。社会生活を安定させる単位として家庭を破壊する不倫ということですね。
また、不倫には、それまでの恋愛がすべて色あせるような衝撃があるが、それは麻薬と同じ中毒症状なのだ、という(47頁)。麻薬は、個人の嗜好性の問題のように見えて、まさに社会問題である。不倫はやめといたほうが良い、第5の理由としてあげられるものである。ちなみに他は、1、ばれる、2、不倫相手との結婚はうまく行かない(75%が結局別かれる)3、子供に感染する、4、不倫未遂でも十分に家庭や人生を破壊する、5、麻薬的な中毒性。不倫は感染症であり、社会全体でが取り組むべき問題である、という。
なーんだ、麻薬の快楽でしかないのか、と思えば、「もののあはれ」論も、第四章も、すっかり色あせる。 そして、「お国のために死ぬ」も、ある種の麻薬ではないか?ちなみに麻薬についても個人の意見を申し述べます。大麻など合法化せよという動きもありますが、嗜好品としても、それに自ら主体的に選んでいるのか、その奴隷になってしまっているのか、区別が付きますか。ヒッピー文化などで薬物は自由の象徴のように思われてもきましたが、概ね歴史上、麻薬は権力者が人民を(廃人にしてまで)支配するために使われてきた、という経緯があります。軍隊も、兵士に覚醒剤を使ったりしています。だから、現在のスポーツ界ではドーピングを禁止しているのです。ドーピングは平等な競争を損ねるからイケナイ、でも健康を損ねるからイケナイでもなく、国家が兵士や運動選手を私物化するのがそもそもいけないわけです。
不倫も同じく、快楽に溺れることを、いましめているわけです。
提出課題 ✎ 今週は、簡単な四章の感想で結構です。「不倫の社会学」で、二人の愛もすっかり色あせてしまったから(笑)。しかし、再び真実の愛をよみがえらせても良いし、あるいは一章の看護婦と四章のゆきとを対比させても良い。一章の「彼」と四章の「呉さん」を対比させることも可能ではないか。そして、次の課題に向けて、すこし準備をしておいてください。
予告:来週は、五章を読みます。通常の感想も出してもらいますが、6月15日締切りで、これまでに一章から四章まで書いた感想を、再び一つの文章にまとめて提出し(書き足しなど、もちろんOKです)、公開しあいましょう。広い意味での「合評」「プレゼン」です。他の人が、どんな感想を持っているかは、非常に自分のためになるはずです。分量などの制限は特に設けませんから、好きに書けば良いです。点数は通常の10点満点にしましょう(点数は公開されません)。単純に全員満点とはしませんよ。
中間レポート、採点・公開しました。
▸不倫に関しては、絶対否定派と、ゆきさん呉さんに関してはあまり非道い感じはしなかったという意見とがありました。(アンケートや多数決をとっているわけではありません)。不倫と浮気は同じか、という質問がありました。同じでしょう。
「まだ結婚していないので分からない」などという意見がありました。当然です。男は18歳、女は16歳から結婚できますが、ぜひ皆さんは、不倫なんかのことを考える以前に、男女付き合い、友人関係、さまざまな経験をしてほしいと願います。『不倫の社会学』の本なんか読まなくて良いです。むかし夏目雅子という女優さんがいて、20歳そこそこの頃か、テレビのクイズ番組(ぴったしカンカンというのですが)にゲスト出演して、「夏目さんはどんな恋がしたいか?「ホニャララした恋」というかたちでお答え下さい」という問題で、「激しい恋」とか「むずむずした恋」とか結局だれも当てられなかったのですが、答えは「のんびりした恋」でした。すきなのかどうなのか分からないような、言いたいような言いたくないような、のんびりした恋がしたい、と言っていました。高校生だったか私は見ていて、意味があまり分からなかったのですが、その後はよくわかります。夏目雅子はその後、作家の伊集院静(一九五〇〜二〇二三)との不倫ののち結婚しますが、白血病で27歳で死んでしまいます。
『不倫の社会学』の「不倫は麻薬的な魅力がある」という説を紹介しましたが、「麻薬的な魅力があるなら、抗しきれないだろう」と書いた人がいます。麻薬は「ダメ絶対!」ですよ。なぜ麻薬がダメなのか。社会的な理由(快楽による人民支配の維持、その歴史や展開 cf.ドーピング)については先週言いました。純粋に「快楽」について考えてみましょう。個人の嗜好の問題として、人に迷惑を掛けていない、云々? 法律で禁止されているからという理由はさておき、根源的な根拠はあるのか。脳を破壊する?煙草や酒よりも派手に?(ほんと?乱用がダメというみたいですよ。乱用しなきゃいいってか)。私は、麻薬=物理的な快楽の製造、あるいは快楽と努力の釣り合いが取れていないからだ、と思いましたが、スピノザはもっと明快に次の様に言っています。「2,快楽は、健康を保つのに必要な程度において享受すること。」(『知性改善論』正しく知性を使って生きるための、若干の生活規則、因みに、1、民衆の知能レベルに適応して語ること。3、生命と健康をささえ国の諸風俗を営むに必要なだけの金銭その他を求めること。知的快楽、感覚的快楽、社会的快楽の3つを戒めているのでしょう)
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愛はもともと仏教用語で、モノに対する執着を意味していました。近代になって、キリスト教のアガペーの意味が加味されます。恋は、和歌に「恋の部」があるように、いわゆる恋愛を意味していますが、乞ふ・恋ふ(恋しい/再現前 representation、不在の対象をもとめる)の名詞化であり、愛(いと)しい・愛(め)づる(愛しい/現前 presentation 、手中の対象への愛情)と、対比的です。色は、恋愛感情の社会的な表れとして、ルールや作法まで含みます。色道といって、歌道・茶道・歌道・剣道・柔道などと同じ求道的なものとみなされた。
「子供が部屋のそとの庭の中ではしゃいでいる声を、彼はうつらうつらしながら聞いていた。」
☞「彼」……だれか? 「うつらうつら」前章の寝たきりのゆきからの切断的な連続性。
「葉っぱがくっついたまま凍ってしまってらあ。びっくりしたようなその声が彼の頭の中を突き抜けた。それに重なり合って、大きな声を出しては駄目よ、パパはまだおやすみなんだから、とたしなめる妻の声と、そんなこと言ったってお前、子供だものしかたがないよ、と取りなしている妻の母の声とがからまり合った。今朝も冷えたらしいな、と彼は考え、うとうととまた眠ってしまった。」
眼を覚まして煙草をとり一本に火をつけ、ゆっくりとくゆらせた。彼は、「無数にいる都会人の一人」であり、「無数にいる文化人の一人」であり、「無数にいる知識人の一人」であり、……
「あなたなんか革命になったら一番先に銃殺されるわよと妻はひやかしたが、もしも人生に変化というものがあるのなら、革命でも戦争でも何でもいいからそれが欲しいと思わないわけではなかった。この日常のなまぬるさから抜け出せるならば、その報いが死であっても我慢してよいような気がした。」
☞この直後に出て来る「血のメーデー」も含め、戦後の民主化・革命運動・安保闘争の高揚。平穏な生活を送っており、それがために、戦争を欲する我がままさ、のんきさ。しかし尺度(ものさし)はしょせん個人単位でしかないのだ!逆に言えば、「不倫は麻薬」などという迄もなく、前章が非日常と引換えに与えられた愛のにすぎないと、ここに暗示されている。
「己(おれ)は葉だ、己は呪文によって氷の中に捉えられた一枚の葉だ、と彼は考えた。……葉は氷の外に広がった世界を見るだろう。そこにはもっと自由にもっと人間らしく生きられる世界があるだろう。そこには風が吹き、常緑の葉が風にふるえ、冷たい空気が思惟を喚び覚ますような世界があるだろう。しかし枯葉にとっては、厚い氷がその透明な壁によって外界から彼を遮断しているのだ。彼は外へは出られない。遠い空間を疾駆している雲を、己がここにいて硝子ごしに眺めながら、決して手に取ることが出来ないように。」
☞閉塞、閉鎖。季節もまた、もう冬なんですね。
「しかし、ここは暖かく、彼はこうして怠けている自分自身に満足だった。寒風の中に出ていきたい自分と、硝子戸の内側で惰眠をむさぼっていたい自分とがいた。妻と子供と妻の母とからなる家族を、もうどうにもならない現実として受け入れている老け込んだ自分と、美佐子のことをしょっちゅう考え、その恋愛の可能性を夢みている若々しい自分とがいた。三十五歳という自分の年が、矛盾をはらんだ不思議な現在を形づくった。……」
☞うんぬんかんぬん、こまごまと、いろいろ書いてあります。因みに妻は「或る進歩的団体の機関誌の編集をしていた。」その母は「家事的才能がゼロだと自称する妻とは反対に、きびきびと炊事や洗濯を片付けてくれた。」そして、ここに変化は望めない、「死以外には。」とあるのに続いて、次の様にあります。
「母が亡くなりましたの、と美佐子が言った。彼はその時の美佐子の沈んだ顔つきを思い出し、自分もまた心臓の締めつけられるような印象を覚えたことを、その印象が今も鮮明に残っていることを、なまなましく感じていた。」
美佐子は、母が亡くなったことは、母のためにも、父のためにも、よかったのだ、という意味のことを言う。彼はその時、一度だけ見たことのある、美佐子の父のことを思い出した。そして、母親の死によって、美佐子が自由になり、結婚もできることに改めて気付き、彼自身もまたやきもきする。彼はある展覧会で「先生、三木先生」と呼びかけられ、藤代美佐子と名乗る彼女が、以前ある高等学校の美術部の講演に呼ばれた時の連絡係の活発な女子学生だとは、すぐに結びつかなかった。個展の案内状を送ってあげる約束をして、日付と時間をこっそり書き入れ、三度に一度くらい展覧会で会うことができた。
☞ 三木は、大学の非常勤講師である。奥さんが働いているから、生活も楽だろうが、本人の収入はそんなに多くないはず。次の様につづきます。
大学の講師控え室。先生達ががやがや話をしている。今日は、展覧会に行く日で、美佐子も来てくれると良いなと考えている。美佐子への思いは、いささか「ロマンチックな」「プラトニックな」ものであった。「彼女のような若い娘にはそれもいいだろうが、彼はもっと大人のはずだった。」彼は美佐子に自分の思いをうち明けたしたら、三通りの反応があるだろうと想像した。「第一の場合に、彼女はびっくりして顔を起こし、まあ先生、わたし先生がそんなお気持だなんてちっとも知りませんでしたわ、と言うだろう。」(異性と認められておらず、この後関係は気まずくなるだろう)。「第二の場合に、彼女は顔を赧らめて、わたしも先生が好きですわ、でも先生はわたしをからかっていらっしゃるのでしょう、と言うだろう。」(彼は熱心に誠意を示し、さらに親密になるだろう。が、それも彼女がお嫁に行くまでのことだ)。「第三の場合に、彼女は顔を輝かせて、先生のためならわたしは何でもします、と言ってくれるだろう。」(家を出て自活し、彼との関係はもっと踏み込んだものになるだろう。しかし、ならば彼にも自分の家庭を破壊する勇気はあるのか。自分はただのドンジュアン(ドンファン)ではないのか。あれこれ考えてみても結局、「己は結局臆病で、センチメンタルで、エゴイストで、惨めなインテリの見本なのだ、と彼はいつも考えた。」
☞ もう典型的な「父母の許さぬ処女(おとめ)に心をかけ、ひそかにこれをあざむき出だし」(本居宣長『排蘆小舟』)ですね。
授業を終えて変えろうとしたとき、事務局から三木先生へお電話ですと連絡がある。美佐子である。今日の展覧会は、作家が父の古い友人らしく、父に誘われたが、行く気は無いとの断わりの連絡であった。「もしもし、よく分からないな、美佐子さんのお父さんが秋田治作の個展に来るってわけですか。そうですの。何でも秋田さんて画家とお友達なのですって。ゆうべわたしにお前も絵が好きなんだから一緒に行かないか、なんて。どきっとしました。来ればいいじゃないですか。いや、先生がいらっしゃるのに。それにあたし、父と出掛けることなんかまるでないんです。そんなことはどうだっていいでしょう、お父さんだってきっとお寂しいから美佐子さんにお相手してもらいたいんですよ。いらっしゃい、僕だって会いたいし。君のお父さんは何時頃見えるんだろう。午後とは言ってましたけど、あたしは知りませんの。それじゃまたね。……それにお父さんの方はもう行ったあとかもしれないし。僕だって会いたいんですよ。ええそれは分かっていますの。ではさようなら。彼が急いで何か付け足そうとしているうちに、電話は切れてしまった。」
彼は、香代子の『出口なし』公演で、父の藤代氏を見ていたのだ。その人は、開幕後に入ってきて、通路に立つ男性客で、終演間近の肝心なところで振り向きもせず帰っていった。公演は熱演で惜しみない拍手が湧いた。終演後、廊下に出て美佐子と会い、面白かった、妹さん上手ですね、と言い、美佐子は丁寧にあいさつを述べた。「君のお父さんも見えていたようでしたね、と彼は教えたが、美佐子は頭から打消した。そんなはずはありませんわ、父は来てなんかくれませんわ。その声はこういう場所には不似合いなほど悲しげに響いた。」彼はこのエピソードを思い出しつつ、校門を出てタクシーを拾った。「深々とクッションに凭れながら、己たちはみんな寂しいのに、どうして心を通わせることが出来ないのだろうか、と考えた。」タクシーの中で、「血のメーデー」の時のことを思い出している。
☞これは、台風の日に助けた女も、同じようなことを言っていたはず。
秋田治作の個展会場。「職業的な敏捷な眼を光らせながら、彼は壁面に掛かっている油絵を一点ずつ、じっくりと、しかし素早く、見て歩いた。……鋭い直線的なフォルムによって包容された豊かな深い色彩。四十年の(三十年か)画歴に裏打ちされた物質の存在感。感想の一つ一つが一種の決まり文句によって表現されるのを、彼は我ながら苦々しいものに感じていた。」美佐子には決して難しい術語(専門用語)は使わないし、彼女が描いている絵の参考になるような技術的な注意を話すばかりだった。「美佐子はどんな絵を描いているか決して言わなかったが、ごく初歩の、具象的な写生の域を出ないだろうことはた易く想像できた。アンフォルメルの展覧会などでは、どこがいいんでしょう、と真面目な顔をして彼に訊いた。」
☞アンフォルメル(不定形、あるいは無形)。表現主義の伝統にあるが、ナチスの支配下に置かれたフランス(いわば敗戦国)独特の美術的立場。代表的な作家にフォートリエ、デュビュフェ、ヴォルス。フォルム(形相)すなわち哲学・論理の基本の崩壊状態。戦中戦後の理性崩壊、無力感に由来する。アメリカの抽象表現主義と拮抗したが、現代美術のヘゲモニー(マーケット)はアメリカに遷っていく。
三木先生と秋田治作との会話。「藤代さんはお見えですか。」大学時代の友人であること、秋田治作の美術論。藤代氏が来て、美術論の続き。
「画家がまた戻ってくると、彼の横のソファにどっかと掛け、平然と先ほどの話の続きを始めた。芸術は時代と共にも動くでしょうが、個人の内部においても動いているでしょう。時代と共に歩むことも大事だが、自分に納得の行くように、それがエヴォリュエすることも大事だ。……あれは私がヨーロッパに滞在していて、伝統の力と風土の力というものを痛感していた時代のものです。それから私は日本へ帰って来て考えた。伝統は私個人の内部に新しく築くほかはない、風土は私個人の周囲に見出だすほかはないとね。日本人にはエスプリ・ド・ジェオメトリイが伝統的に不足しているのだから、いきなりアブストラクト(抽象)を与えたって、描く方も見る方も、あっけにとられるだけです。その訓練がまだ出来ていない。これはあなたみたいな批評家や、若い画家諸君は別ですよ。これは私自身の内部的伝統の問題なのだ。だから私は、私自身の必然性に従って、具象から抽象へと自分のエヴォリューションに従うんです。目下のところは半具象半抽象だ。しかしこれが私の精一杯ですからね。」
☞置かれた場所で咲きなさい。幾何学的精神(合理精神)は如何にして可能か。あるいは「生の実感」もまた。
藤代氏が絵を見終わって、やってきた。三人で喫茶店にいくことになる。喫茶店では画家は藤代氏に奥さんの悔やみを言う。また、画家は三木に「こいつは僕の絵に生命力があるというのだが、批評家としてあなたはどう思いますね。生命力ですか、それは適切な批評ですね、と彼は答えた。僕も実は何と言えばいいかと考えていたんですが、生命力か、秋田さんは御自分の中心部をつかまえて離さない、その中心部に向かってまっしぐらにのめり込んで行ってる、という感じです。なるほど、と画家は頷き、私は何も批評したわけじゃない、と藤代氏は憮然とした顔で答えた。君はそう謙遜するが僕にはありがたいんだ、生命力さえあればまだまだ枯渇することはないからな。三木さん、藤代みたいな友達の批評というのは、批評家の言うのとはまた違ったよさがあるものですよ。そこには何と言っても僕という人間を知っている強みがある、その人間の表現として作品をみてくれる、しかるに批評家は。……」
実作者と批評家との違いという話になる。批評家は、肉を買ってきてまぜもののソーセージを作っている。あるいは、子供と大人、青年と中年の差だと。「実作者というのは、つまり子供がそのまま持ち越されて大人になった人間です。子供というか青年というかそのよさですね、つまり好奇心とか、情熱とか、生命力とか、無鉄砲とか、野心とか、そういったものをいつまでも保ちながら年を取る。批評家のほうは初めから大人です。分別もあれば知識もある。穿鑿好きで、おせっかいで、偉そうな顔はしているが、肝心の若さを見失っている、心のなか、魂のなかにある純粋さを理解できないで、言葉の綾でつくろうだけです。」
画廊の主人が画家を呼びに来て、三木は藤代と二人になってしまう。「立派な芸術家ですね、秋田さんは、と言った。相手はかすかにうなづいたが、口から出てきたのは彼をびっくりさせるような質問だった。ときにあなたは独身ですか。彼はぽかんとし、それから答えた。いや、僕は結婚しています。」
藤代は、さきほどの実作者と批評家の話が面白かったと言い、図らずも娘の話になってしまう。「私には年頃の娘がいるんですがね、私の妻が長い間煩っていたものだから看病にかかりきりで、ろくな花嫁修業もしていない。妻は亡くなりましたから、何とかしてやりたい、いいお婿さんを見つけてやりたい、と考えています。そこで批評家の眼で娘を見る。もう少しお化粧でもしたらどうだろうとか、お花かお茶でも習ったらどうだろうとか、誰々さんは気に入らないかとか、まあうるさいことは言わないが娘の気を引いてみる。ところが言ってみれば私は批評家、娘は実作者という立場なんですね。秋田みたいな頑固な絵かきは批評家が何と言おうと平気ですが、それと同じだ、娘はてんで私の気持なんか分かろうとはしない。つまり肝心のあの子の生命力というものを私はつかんでいないんですな。
彼は身体を固くし、冷汗の出るのをこらえていた。美佐子の話をこんなふうに聞かされるとは思ってもいなかった。
……下の娘はアプレ〔après‐guerre 戦後世代 フランス語、after war age〕ですが、この子のほうはどっちかといえば昔風に出来ているんですよ。それでも若い者の気持はわかりませんなあ。あれも厭だ、これも厭だ、私のことは私でする、放っといてくれ、こうですからね。今日も秋田の個展に一緒に行かないかと誘ったのですが、来ようとしない。わけを言うのでもない。母親が死んで寂しいんでしょうが、寂しいからって父親に当たることもないでしょう。彼は心の中で呟いた。あなたも寂しいんでしょうね。そして僕も寂しいんですがね。そのうちよくなりますよ、と彼は平凡なことを口にした。あなたみたいな若い人を見ると、ついお婿さんの候補者みたいに思って見る、これは父親という批評家の眼ですね、と藤代氏は言って微笑した。彼は首をうなだれた。
☞真実の愛というテーマが、置かれた状況(戦中か戦後か)の問題へ展開していき、さらには、見る立ち位置(批評家・実作者)の対比へとスライドしていく。理論的な考察の深まりが、ここにある。つまり真実性は、そのものの性質でなく、状況や文脈に依存し、さらには見る見方に掛かっている、というある種の遠近法(パースペクティブ)である。立ち位置によって見え姿は変わるのである。
▸「寂しい」が繰り返され、一章などとも関連を結び直しますね。
▸三木が、この画廊で藤代氏と会い、『出口無し』の劇場で見た人物と同一だと認めた。p.240〜241にかけて、「そこにいつぞや隠れるように娘の舞台姿を見物していたその同じ人物を発見した。」実際に、藤代お父さんが、香代子の舞台を見に行ったのは、客観的事実として認定されている。
▸戦後の社会運動、四章との関係は、来週まとめてやりましょう。
▸ところで、「生命力」って何でしょうね。こんなてきとうな(あいまいな)術語で作品を批評して良いのですかね。生きる力、生き抜く力、でしょうかね。生命そのものとは、少し違いそうですね。生命の定義は?ベルクソンの定義があります。「不確実性 indetermination」。生命も非生命も、所詮は物質の作用と反作用に過ぎず、作用と反作用とは、物質の必然に過ぎない。ゆえに未来予測も可能である。たとえば、日蝕や月蝕はいつ起きるかすべて予見可能である。では、天気は?地震は?人間には分からないだけで、定まっているのか。あるいは、本質的に決まっていないのか。自然現象であっても、ベルクソンは未来とは未確定であると考えています。さて、生命とは、物質の必然に、偶然や遅延を挿入することだ、と定義しました。『物質と記憶』第一章。その偶然や遅延は、生命体の組織が複雑になればなるほど、不確実性を増す。また、「意識」や「感情」も、そうした作用と反作用の中の躊躇として現われる、と定義(予測)しました。さて、その生命に力があるとは、どういうことか。必然性に抗して、偶然や不確実性を呼び寄せる力が、生命力ではないでしょうか。絵画に於ける生命力もまた、物質の必然に抗する生命の力です。人間の生命力もまた、物質や感情や道徳や社会や運命の必然に抗する力でしょう。
夜、帰り道。「よく晴れた夜空に星をぶちまけたようにネオンの広告塔が燦いていた。」
「あの人が彼女の父親だった、と彼は考えた。善良な父親は己がその娘を識っていることに気がつかずに、心の中につもっている悩みを打明けた。しかし己の方は何も言わなかった。……ただの第三者として、合槌を打っていただけだ。向うは己のことを、娘のお婿さんの候補として初めのうちは見ていたのだ。もし己がその娘を愛している、死ぬほど愛しているのだと言ったなら、あの人はどんなに驚いただろう。……しかし己は決して不真面目な気持で彼女に近づいたわけじゃない。己が三十五歳で、妻子があって、インテリだということが、なぜ己の真実の愛をさまたげるのか。なぜ己は愛してはいけないのか。
愛してはいけなかった。今、そのことが不意に彼の思考の中で閃いた。彼は自分の妻に対して、子供に対して、それがいけないことだとは考えなかった。家庭を破壊するだけの勇気はないとしても、しかしこの愛が罪だとは考えなかった。しかし彼女の父親に対しては、なぜだかそれを罪だと感じたのだ。それはなぜだろうか。それはこの父親にとっては明らかに娘への愛が絶対のものなのに、彼の美佐子への愛が絶対とは違ったもののように感じられるからだろうか。この父親は絶対を奪われることでどんなにか苦しみ歎くだろうが、彼は、彼の世代は、もう絶対なぞというものを決して持つことができず、理想にしても愛にしても、もっと曖昧な別のものとして感じるようになってしまったせいだろうか。たとえこの愛が真実の愛であるとしても。」
☞不倫に対して、一般論(麻薬かどうか、もののあはれかどうか)でなく、自分の生として考える必要がある。他人の不倫もそうでしょう。それが許されたり、許されなかったりする、確実な根拠が存在する。脱構築(デコンストラクション、価値・善悪正邪美醜は相対的、どっちもどっち論)全盛のこの時代に応じて、確実な根拠を見出だすことこそが「生」である。
そして、この父は、本人の意識の中はともかくとして、他の人からはそれなりに父親として、絶対として、見られているのである。それは勘違い、見当違いというものでしょうか。
銀座のショーウィンドーの宝石を見て、硝子の城というモチーフを思う。「もし今日、己が偶然彼女の父親に会うことさえなかったなら、己は今まで通り彼女を愛し、その愛をもっと推し進めて行っただろう。しかし今は己のなかの愛が生命を失って、この硝子の城のように、ただ光を反射するだけになってしまった。己は硝子の城に住んで、他人が愛したり生きたりするのを、批評家として眺めるだけの、つまらない人間になるだろう。」
☞
光のモチーフ。一章の天井からの一筋の光、四章の雷。ただし、ラストの意味は、よく分からない。「批評家」の道を選んだはずの彼は、自宅へ帰る地下鉄の入り口へは入らず、その前をすたすた向うへ歩き去るのである。
三木先生に関しては、その後どう描かれるか、最後まで読んでから、また考えて見ましょう。そのまま帰宅したほうが5章の趣旨(戦後、革命、不可能性)に合致している気がします。おそらく5章では、三木先生自身が、小石(1章)なのでしょう。あるいは香水(2章)。
提出課題 ✎ 五章は、四章と極めて対比的です。このふたつを考察してみて下さい。また、その他、五章に対する感想を書いて下さい。
お知らせ:一章から四章までの感想、提出していただいています。合評がわりに公開します。締切りは6月15(土)でした。点数は公開しないつもですが、ともかく10点満点で、けっこう厳しめにつけています。
▸戦前・戦後の社会(wikiなどから)
▸4章と5章の対比
また、5章が美佐子の解決編だとすれば、6章は香代子の解決編でもある。
☞20世紀小説の特徴として、世界を完全な統一と見ず、断片(個人の主観)の集積にすぎないと見る根本的な見方がある。それを小説として構築する際も、章を追って人物像が明らかになるというよりは、章ごとの異なる像を(つまり在る章の像は、その前の章の人物像を否定しかねない)矛盾した像の集まりであることを示す。それが世界像なのである。ただし、人(鑑賞者・読者)はその(自分が向き合う)世界を、単にバラバラな無秩序として生きてはいけず、何かしら一定した論理を見出だそうとする(19世紀的世紀末思想、あるいは18世紀的ロマン主義思想)。
「彼女は自分が酔っていることを感じながら、いつのまにか骨が溶けてぐにゃぐにゃになった身体をクッションに凭れさせていた。タクシイは夜の通りをやけみたいに早く走り、その震動で彼女の首は下山譲治の方へ傾いたり窓硝子の方へ傾いたりした。香代ちゃん大丈夫かい、だいぶ廻っているようだぜ、と下山は長い腕を伸ばして彼女の肩を抱き寄せようとし、彼女はうるさそうにその手を払いのけて、へいちゃらよ、この位は、と答えた。そして眼を見張り、車の走っている位置を見さだめ、もう少し行くと交番があるからそこの先を左に曲がって頂戴、と運転手に呼びかけた。運転手はむっつりしていて返事をしなかった。
☞「彼女」は誰か?もはやいつもの問いだが、新潮文庫の巻末にある「初版後記」を御覧下さい。各章は、同じ年の中で別々の雑誌に発表されていて、発表当初は同じ一つの家族をめぐる話であることに気付かない読者もいたはずだ、と記しています。各章毎に、短編小説のような、或る程度の独立性は必要なわけです。加えて、短編小説であればそれが「彼女は」で始まることも全く不思議はないわけです。
「へいちゃら」が、すこし古い言い方か。いまは「へっちゃら」と促音便である。
今日は面白かったなあ、と下山は言った。下山はさっきから同じことばかり繰り返していた。しかしその本心が、彼女を誘ってもっと他のところへ行きたがっていたのだということは彼女にも察しがついていた。わたしこんな夜遅くなったのは初めてよ、と彼女は言い、下山は、ちっとも遅くなんかない、と言い張った。パパに叱られるから、という理由はなぜだか子供っぽい気がして口にしなかったが、車が自宅に近づくにつれて次第に父親のことを思い出していた。」車からおりて、一人ですたすた家に向かって歩き始める。「春らしいやわらかな味のする空気が息をするたびに感じられ、涼しい風が頬を撫でた。足がふらふらして思いのほか酔っていることが歩いてみるとよく分かった。」酔いをさますためにもゆっくりあるいた。飲んだ量はさほどでもないはずだが、その後、踊ったのがいけなかったのだ、と考えた。玄関のドアを開けると、お手伝いさんではなく、姉が出て「香代ちゃん、おそかったわねえ、お父さんちょっとこれよ。姉は指で角のような形を耳もとでしてみせた。彼女は、ふん、そう、と言い、戸閉りをして茶の間へ通った。……よく父親のほうは見ずに、ただいま、といって座った。
香代子、と父親は呼び、彼女が顔を起こすと手の先で仏壇のほうを指していた。そうだった、と彼女は思い出し」、箪笥の上の厨子の中の祖父母の写真の間にある、母親の写真と「新しい位牌が何の親しみもない漢字を並べた戒名」に手をあわせた。父親は、しずかな調子で、どうして酔っているのか、と聞いた。香代子は、演劇部の追い出しコンパだったのだ、という。ダンスまでした、という。「ダンスったって易しいのよ、ツイストってちゃかちゃか動いていればいいの。パパは踊れて。己が踊るもんか、と父親は吐き捨てるように言った。」社長さんてよく遊ぶのだから、パパが踊れないなんてへんだな、と香代子は言い、黒川先生は上手だ、と言う。何者だ、という父に、「あら黒川先生を知らないの。」(例のサルトルを講義した教授である)「近頃の大学の教師は踊りまで踊るのか、と父親は情けなさそうに言った。よくそれだけの暇があるものだ。姉の美佐子ははらはらしたような顔で二人の話を聞いていたが、お父さん、そんなにおっしゃるものじゃないわ、と言った。香代ちゃんがダンスをしたからって何もその先生まで悪くおっしゃらなくても。そうよ、いい先生なのよ、と彼女も力説した。人気もあるし、あたしたちみんな先生のファンなの。お講義は難かしすぎて歯が立たないけど。そして彼女は小さな声で笑った。」
☞父親がこうして積極的に娘に対して意見を言っている状態である。
☞それにしても、主役でないときの美佐子は、面白い。
「父親は何か考えているようにしばらく黙ったままでいた。それからおもむろに訊いた。香代子はお母さんが亡くなってから何日経ったか知ってるかい。彼女は首を上げ、もう三ヶ月になるわねえ、と答えた。それでお前、何ともないか。酒を飲んだりダンスをしたりして。美佐子が急いで口をいれた。お父さん、そんなの可哀そうよ、香代ちゃんは若いんだもの。試験も済んだんだし、大事なコンパなんだし、大目にみてあげて。香代子に訊いているんだ、と父親は言った。」父親は、「まだ百カ日も済んでいない。いわば喪中といったものじゃないか。」と言う。
「パパ、言われなくたってお母さんが大事なひとだったぐらいのことは分かってます。わたしはママが好きだったんです。パパよりも姉さんよりも、誰よりも、あたしぐらいママを好きだった人はいやしない。だからあたしぐらい、ママが死んで悲しがっている人はいやしません。パパなんかにわかるもんですか。そうかい、と父親は皮肉そうに答えた。それで哀悼の意を表してダンスをするのか。じゃどうすればいいんです。偽善者ぶって、毎日お仏壇にお線香を上げて、泣いてばかりいればいいのですの。何を言うの、香代ちゃんは、と姉が言った。あしただって泣いてばかしいやしないわよ。姉さんのことじゃない、と半分涙声になって彼女は言い続けた。」あたしはママの子なんだから、とも言い、それでも「ママの子で、パパの子じゃないだから」とは言わない理性は残っていた。「彼女はわっと泣き出し、分からないのよ、誰にも分からないのよ、と口の中で呟いた。
☞「あたしはママの子」は、ママの秘蔵っ子だという意味にしか取られないはずだと香代子は思っている。
「喪中だから謹慎するぐらいの気持はあってもいいだろう、と父親はおだやかに言った。何もお前が泣くほどのことはない、ひと言あやまれば済むことさ。ただ私はね、いつでも喪中だというふうに考えるんだ。人間というのは、次々に誰かを、誰か身近な存在を、喪っているものさ、他人が死ぬから自分は生きている、つまり大げさに言えば、人生というのは自分が死ぬまで他人の喪に服しているのだと考えることもある。それはまあ考えすぎだろうがね。何もおまえを泣かせるつもりで言ったわけじゃない。泣きやんで早く寝なさい。」父がいなくなり、香代子はダンスを踊っていた間、母親のことを思い出さなかったことを思い出していた。
☞「いつでも喪中だ」と言う父親。だとすればそれは、小石を投げる前も、投げた後も、であろう。小石は、ある場所を代えただけで、他の決意の表われなどではない、と私(高橋)は考えています。現在(知覚)と過去(想起)とが同居するように、異なる場所の小石もまた、いつでも同居しているのである。死者とともに生きる、とはそういうことである。愛(愛づ)と恋(恋ふ)の共存。
美佐子が、「香代ちゃんも割りに泣き虫ねえ、と慰めるように、からかい半分の声でいった。きっとあなたは泣き上戸なのね。」香代子は父親がいないことに気付き、「姉さんみたいな無き虫じゃないわよ、と答えた。あたしは理由があって泣いているだから。で、あたしは、と姉が訊いた。姉さんは何となく涙ぐむんでしょう。ママはよく言ってた、美佐子はまだねんねえなんだからって。意地悪ねえ、厭なことばかり覚えていて。
☞「ねんねえ」。寝ること。ねんね。転じて、「赤ん坊。または人形。特に、年頃になっても子供っぽくて世間知らずの娘に言う」(広辞苑・第三版)。今の辞書だと、「娘」といった性的限定は無くなっていると思います。
香代子は、水をかぶかぶ飲んで自分の部屋へ入った。暗い部屋の中で、大きく眼を見開いたままでいた。そして、冬の寒い朝、彼女がまだ寝床の中にいた時に、姉が階段の下から呼ぶけたたましい声で目を覚まさせられた。」母親はまだ息はしていたが、意識はなかった。香代子は、寒さをこらえながら、事態を茫然と見ていた。数日前、香代子は都内の大ホールを借り切って盛大な公演の大役を演じたばかりだった。母親は前々から、その公演を見たがっていて、見物できないことを残念がり、筋を根掘り葉掘り訊いてきた。まだ大学生の娘が脚光を浴びるその日まで、消えそうな命の炎をかろうじて保っていた。あの時から1週間も経っていなかった。母親は3時間ほどして死んだ。そして、秘密もまた母親とともに死んでしまった、と香代子は思った。
☞5章つまり美佐子の完結編ではほとんど語られなかった母ゆきの最期の様子がここに記されています。ところで、人の病死や衰弱死は、こうしてはかったように逝く時機を決めることができるものでしょうか。それとも単なる偶然でしょうか。妹娘の晴れ姿を待って母は逝った、というのはこじつけにすぎないのでしょうか。
香代子は、母親が昏睡状態に呼んだ「呉さん」という名前を、母のロマンスの思い出として、ほほえましく感じてさえいた。しかし、去年の夏、ある本屋で戦没学生の手紙を集めた本に、その呉伸之という若い法学士が母と面識のあるその人であり、昭和17年3月に父が応召して、自分が疎開先の親戚の離れで夏に産まれたことを考え合わせ、自分は母親と呉さんの子供かもしれないと初めはロマンチックに考えたが、次第に重くなってきた。母親に訊いてみることは、結局はできなかった。もし、「そうよ、今のお父さんはお前の本当のお父さんじゃないんだよ、ともし言われたならば。もしそれが真実なら、それは受け入れるほかはないだろう。そしてそう考える時に、彼女は父親を、この無口で、そっけなくて、心からうちとけたことのない父親を、やはり他人として見ることはできなかった。」
☞ここは決定的だと思います。「生みの親より、育ての親」と言いませんか。エクトル・マロ『家なき子』などの孤児ものなど私は大好きなのだが、生みの親にこだわる心情は、正直分からない。この決定的な個所で、香代子が良い子であること(愛を知っていること)が分かると言うものである。
自分が父親の本当の子であるかなど、どれほどの大問題だというのか。どうでもいいじゃないか。そして、母親の死とともに、その秘密も死んでしまったのだ。じたばたしても始まらない、と強いてそう考え、そのことを忘れようと努め、学年末の試験も済み、日が一日一日と過ぎるに従って、母親がもういないという事実を、わすれて生きつつあった。しかし、「例えば今晩のような寝つかれない晩にふと過去が甦ると、幾つもの映像が彼女の意識の上に浮かんだり消えたりした。まだ元気でまめまめしくお勝手をしていた頃の母親と、ちょこかまと側にくっついて何かと母親におしゃべりをしながらおやつをねだっていた自分、小学校にはいっても必ず送り迎えをしてくれた母親、姉に好き嫌いはいけないと言いながら彼女には言いなりに好きなものを作ってくれた母親、そして彼女の手を握りしめて呉さんと呼びかけていたその細い声、その痩せた小さな手、その閉じられた目蓋、そして骨壺の中の小さな骨、厨子の中の昔の写真。それはもうどうにもならなかった。懐かしいと思い出すと、いいんだよ香代子、と言っている母親の声が聞こえるようだった。あたしはもう考えない、あたしは眠る、と彼女は暗闇の中で宣言した。そして、別のことを、4月からの新学期のことを、演劇部の次の公演のことを、そして下山譲治のことを、考え出した。しかしいつもと違って、眠りは彼女の意志のままに訪れては来なかった。」
☞「映像が……浮かんだり消えたり」とある。まさにここは、映像を上手に文字にした場面であると思う。これも難しい作業。逆に、文字・言葉を映像にするのも難しい。すぐれた映像作家であれば、文字を超えた映像を作るでしょう。
テキスト(文字)とイメージ(映像)という対比があります。この対比、対立の本質は何か。
ぜひ来年「文学3」を履修して下さい。
次の朝、遅くに起きると、父親はもういなかった。朝食をすませると、彼女は、姉の部屋へ行って「そのあまり上手とは言えない油絵を見ていた。姉は、ちょっとここをしあげるまで待っててね、と言い、彼女は、いいのよ、ごゆっくり、と答えた。」一段落して、二人で話をしている。(いつもながら、二人の会話は読んでいて楽しい)
☞どんな絵なのか(ごく初歩の写生画の域を出ないものであろう)一切記していない。われわれは美大だからわかると思いますが、いわゆる「上手な絵」などにはほぼ価値はないですよね。でももしや超絶技法、スーパーリアリズムだったりしてw。あるいは素人(香代子)には上手に見えなくとも、実はアンフォルメルを密かに習得してたりw。いや才能の有無はさておき、美佐子の実直さが表われているのでしょう。
冗談はさておき、六章では、美佐子のあり方もまた話題になっている。次の「いないわ、そんなひと」。「肉体関係が無くても愛だ」など(三木との関係をどう意味付けるものか)。
ママが亡くなったのはお姉さんのためには本当によかった、だいいちこうして絵を描く暇だってあるんだし、と言うと、こんな暇つぶしの絵は何の意味も無い、あたしはちっとも明るくなんかなったっておもっていない、と言う。姉の「おセンチの本領が出た」。お見合いはどうなったかと聞けば、どうもなりはしない、あのままよ、と答える。「どうもあたしの見たところじゃ、姉さんは誰か好きな人がいるんでしょう。どうも怪しいな。いないわ、そんな人、と姉は寂しそうに呟いた。そして気を取り直したように訊き返した。香代ちゃんはどうなのよ、あんまりいすぎて困るくらい。そんなでもない。目下は下山さんに傾斜している。」どんな人かと聞く姉に対して、「社交的で、そつがなくて、実力があって、親切で。いいことずくめね、と姉は少し笑った。」しかし、真剣なのかどうか分からない。安田教子さんだとか、次々にいろんな人を好きになっていて、そんなことあるものかしら。「経験がないから分かりません。」と姉。「どうも教子さんとは肉体関係があったに違いないの。いつか問い詰めたら、なにただの肉体関係にすぎないよっていう調子、もっともじきに言いそくなったと思ったらしくて、現代において恋愛なんてものは肉体関係を除いては成立しない。プラトニックということはありえない、なんて大演説を始めたわ。姉の美佐子は急に心配そうな顔つきになり、香代ちゃん、まさかあなたは大丈夫でしょうね、と言った。そんなの不潔よ。不潔ってことはないわ。姉さんの頭は古いのよ。でもね、本当の恋愛なんて現代にあるのかしら。」香代子は、「地獄とは他人のことだ」という『出口無し』のセリフでごまかした。
☞「プラトニックということはありえない」と下山がいうからには、三木の結果的なプラトニックは、逆にここでは称賛されているのではないでしょうか。
また、あれ以後、三木から展覧会の案内(日付けメモ入り)は届いているのでしょうか。妹がこの姉宛の画廊からの(美術評論家経由の)ダイレクトメール(案内葉書)を見かけている可能性は十分にあるでしょうね。
香代子は、ほんとうはもっと姉に相談したかったのだが、姉は保護者ぶってくるし、姉にも意中の人がいるはずなのに一切漏らそうとしないのも癪だった。父親には相談する積りはなかったし、言下にとんでもないと言われるに決まっていた。その問題とは、下山譲治から結婚しないかと言われていることだった。「彼女はそれを言い出された時に、頭から断った。相手がどこまで本気なのか分からなかったし、あまりに意外で人をばかにしていると思った。学生結婚なんてちっともおかしなことじゃない、と下山は言い張った。愛してさえいたら、年が若いなんてことは何でもないんだ。そうよ、愛してさえいたらね、と彼女は言った。だって香代ちゃんは僕を愛しているのだろう、と下山は追いかけてきた。彼女は正直に答えた。分からないわ。」
☞愛に溺れる、みたいな言い方があるが、正直に「分からない」と言うことは、非常に良い、正しい。
数日後、香代子は下山譲治のアパートを訪ねた。香代子はやはりどういうことが愛なのか、分からなかった。母親に対する感情は、まぎれもなく愛だった。父親に対しては、どっちつかずの感情だった。姉に対しては、それが愛かどうか分からなかった。「このつつましやかな、お上品な、いつも清潔な姉に対して、ときどき謂われのない憎しみのようなものさえ覚えていた。家族は結局他人なのだ。」それにくらべれば、下山譲治への感情が愛に変わる可能性はある。
二人は、親たちのことを話す。「理解がない」「旧弊」。下山はぼく達は「実績によって親たちの目を覚まさせなければならない」と言う。下山は、恋愛と結婚が同時に行われれば良いんだ、などと言う。が、香代子は「要するに下山さんは肉体関係というのが欲しいだけだろう、と考えた。彼女もまたそのことに、好奇心と不安との入り交じった感情を持たないわけではなかった。」しかし「愛がないのに肉体関係だけあるのなら娼婦と同じことだ。肉体関係がなくても愛さえあれば、それは確かに愛の筈だった。それは姉の美佐子の意見だったが、彼女は姉の意見を半ば肯定し半ば否定した。肉体を知らないのにどうして肉体関係が分かるだろう、愛を知らないのにどうして愛が分かるだろう、と彼女は考えた。それとも姉さんは愛というものを知っているのだろうか。ひょっとしたら知っているのかもしれない。もしあたしが姉さんに勝つためには、姉さんよりも大人であることを証明するためには、この肉体関係という未知のことを経験するよりほかにはない。下山に烈しく執拗に接吻されながら、彼女はそういうことを考えていた。……いいだろう、僕は君が好きなんだから。魔法のように彼女は呪縛され、全身の感覚が酒に酔った時のように溶けていった。もうどうでもよかった、どうなっても同じだった。しかし最後の理性が、ぐったりと虚脱して長椅子に横ざまに倒れながら、彼女に一つの質問を呟かせた。でも赤ちゃんができたらどうするの。 下山は無造作に答えた。赤んぼなんかおろせばいいさ。 その時不意に彼女は死んだ母親のことを思い出した。このアパートに来てから、今まですっかり忘れていた母親のことを。もしあたしが呉さんという戦没学生とママとの間に出来た子供だったら、どうしてママはそんな子供をおろさなかったのだろう。なぜパパの眼を欺き、すべての人の眼を欺き、このあたしをまで欺きながら、あたしを育てたのだろう。それは、あたしを愛していたからだ。生まれた子供を愛していたからだ。なによりも呉さんを愛していたからだ。それなのに、今、もし下山さんとの間に子供が出来たとしても、この人はその子をちっとも愛そうとはしないのだ。彼女は相手の手を振り払い、必死の力をこめて起き上がった。……下山はその剣幕に驚いて身をすさった。どうしたんだ、香代ちゃん、と叫んだ。
☞人工妊娠中絶(堕胎)は是か非かといった問題ではなく、男としての責任感だとかよりも、子どもを愛しているかどうか、という点にひらめいたのでしょう。
ママはあたしを愛していた、と彼女はひらめきのように考えた。ママは名前もつけないうちに死んだという最初に生まれた赤んぼを愛していた。姉さんを愛していた。あたしを愛していた。子供たちを愛していた。それはパパを愛し、呉さんを愛していたからだ。たとえママが不貞なことをしたとしても、それはママにとって十分に言い訳の立つことだったに違いない。きっとパパのほうが悪かったに違いない。それなのにあたしは、愛もないのに、愛もない人と、こういうことをしようとしたのだ。」
☞喪に服す。母の生を手本として生きる。(よい手本は必要だと思う)
「どうしたんだよう、一体、とまだびっくり顔で下山が訊いていた。 ☞不倫よりも、不貞のほうが、通常の言葉でしたね。ただし、不貞は戦前の姦通罪と連動する概念であり、つまり女性の行為のみを罪と見なす言葉であり、それにかわって不倫と呼ぶのであれば、それもまた良いことでしょう。ステレオタイプによる差別への抗議として。
☞香代子はよく泣くが、これは能動的な感情表現なのだろう。美佐子が、なんとなく泣く、受動的な感情であるのに対して。
▸ 本当の恋愛とは?
少し例は違うのですが……。共感って可能だと思いますか。人の心って、分かりますか?R・デカルトの「我思う。故に、我在り」の大陸合理論の立場からは、絶対分からないという思考が結論づけられがちです。共感は不可能だ、勘違いにすぎない、と。理解・共感の原理も説明出来ない。実存主義=現象学も、この系譜にあります。他方、イギリス経験論などは違っており、驚かれます。たとえば、D・ヒューム(1711〜1779)は、共感について、人はむしろ共感する動物であり、弦が共鳴するように、共感するのだ、と言います。かつ、社会の害毒は、共感しないエゴイズムにあるのではなく、狭い共感で終わってしまう人間関係に有る、とも言いました。
▸ 本当の恋愛とは?(2)
母親ゆきと呉さんの関係についても、四章、五章(その対比的な関係)、この六章(四章の解決編でもある)、問い掛け(問いの内容が明示されているわけでは決して無い、かなり漠然としている。本当の恋愛とは?現代において可能か?不倫は是か非か?)に対する、それなりの回答が示されてきている。回答に相当するような、具体的な要素、解釈、行動が示されている。五章は認識論的であった(つまり、本当かどうかな見方、置かれた状況に拠る)。他方、六章は再び存在論的であり(本当とニセモノとの区別を認める立場)、しかしそれを保証する客観的な論拠(神的な)は無く、ただ自らの生き方(母親を見習う)にある、とする。
▸ 下山の性格
それにしても。どうでしょうか。私は、卒業を控えた高校三年生の時、担任の教員(体育、野球部の監督だった)が男子だけ集めて、話があると言って、自分は有給休暇があるが飲み過ぎた日なんかには絶対使わない、という話と、これからお前等も社会に出ることになるだろうが、男として責任を取るべきものがあるんだ、いい加減なことはするな、という話をしたことがありました。具体的な話は一切無く。
▸ 配役:
2020年度版:
香代子は二階堂ふみ(デビュー当時)で決定ですね。姉美佐子は、仲りいささんでもよいが、柴咲コウがベスト。父親は唐沢としあき、母親はなら薬師丸ひろ子か、小泉今日子でもいいですね。朝ドラめいていますが、夜の連続ドラマで。
2021年度版:
女優:20歳から35歳くらいまでの女優が、4人は必要(藤代ゆき、美佐子、香代子、看護婦=嵐の女)。病臥の藤代ゆきは若い女優に更けたメイクとする。ナレーションができること、完全な実力派でないと務まらない。四章まではほぼ寝たきりで台詞もないが、四章でははつらつと活動的である。
若い男性俳優は、「彼」、下山、呉さん、伊能くん、三木先生、彼らも20歳から35歳。呉さんは、『草の花』だと藤木忍という男の子がいるがその雰囲気。藤代父は50代ですが、その分身のような存在として、戦友や秋田治作を配置する。安田教子、社長秘書、戦友の奥さんも、事務所がいま売り出したい女優をてきとうに配する。
音楽は吉田美奈子:私が大学4年、福永を読んでいたころに、ずっと聴いていた曲。(youtube は著作権侵害を含み、リンクは切れています)
2022年度版:
2023年度版:
2024年度版:
あんまり浮かばない。だれでも良い、わけではないが。
提出課題:2024-07-01(Mon) ✎ 今回は、簡単な感想でけっこうです。ただし、伏線の回収がかなり行われていますから、そこを是非ひろってください。たとえば美佐子について、母の死について、など。来週の七章は3回くらいに分けて、読んでいきます。
10回 第7章へ
▸「ママ、あたしは何処か遠くへ行ってしまいたい、と彼女は心のなかで叫んでいた。窓からの明るい日射しの中に、真っ直ぐに立ったまま、まるでそれが一種の演技ででもあるかのように、どうにもならない涙をこぼしていた。」
本心・真実・本体に対立する演技・芝居・仮象としての演技というものではないのだろう。自らをヒロイン化している、芝居がかった、というものでもないだろう。スポットライトを浴びている、表現している、生きることが表現である、というような意味かとは思うのだが。五章の末尾に加えて、分かりませんね。しかし、思えば、一、二章の末尾だって、むかしは関連づけることも無く、分からなかったのです。
▸「でも赤ちゃんが出来たらどうするの。下山は無造作に答えた。赤んぼなんかおろせばいいさ。」
ひどいやつですね。
どっちがひどいとか比較しても始まりませんが(ひどさは質的なもので、質的なものって比較できないのです。ベルクソンによれば、痛いとか悲しいとか、感覚は質であり、量ではなく、比較できない)。それでも言いたいのは、看護婦を妊娠させ、(その行為が妊娠を伴うという自覚はとうぜん有る)そのことを知らずに、彼女(看護婦)は自殺してしまう。自殺の直接の原因は、判然とはしないが、優柔不断だった彼に罪がないはずはない。少なくとも罪の意識は、確かにあった。それは忘れたいと願い、意志し、事実忘れてきたものではあったが、やはり決して忘れることの出来なかった事柄でもあった。そうした「惨めな私の生のしるし」の小石を、掘割に投げ入れた「私」と較べて、この下山譲治の単純素朴な残酷さ!
男女も、普通の友人も、似たもの同士(同じ程度)が集まるもので、香代子も(これまで)下山と似たようなものだ、と親的に怒っておくことも出来ます。
物語的(メディア的)救済としては、堕胎は、間引き損ない(父)、流産(助けた女)、早世(ゆきの弟、長男)、身ごもったままの自殺(看護婦)、などと並んで複数のバリエーションをなしている。そして、生まれた子生きている子(美佐子、香代子)がいる!
社会的知識として。リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(生殖に関する健康と権利)。日本における「堕胎罪」と「母体保護法」(中絶は認められている。また、優生手術は憲法違反であると最高裁判決が出た2024年)、アメリカにおけるプロライフ(中絶反対派)とプロチョイス(中絶賛成派)についてなど(1973年のロー対ウェード判決。2022年に見直し?)。次の資料はネット上で手軽に読める情報として。桃山学院大学の学生の論文、七野綾音「女性の権利としての中絶」は分かりやすく、また良質である(中絶を法律で規制することに反対する立場)。
冒頭文「私がこれを書くのは私がこの部屋にいるからであり、ここにいて私が何かを発見したからである。私はこれと同じような文句で始まる手記らしいものを、一年ほど前に書いた。」
☞やられましたね!
「しかし今は部屋も違うし、また私の発見したもの、或いは発見したと信じているものもまた違う。一年ほど前には、私は澱んだ水の臭いのする掘割に面した安アパートの二階にときどき通って、そこで脚のぎしぎしする卓袱台に向かい、生まれて初めて、原稿用紙の上に無用の文字を書き連ねた。私がそれを何かを発見するために書き、また何かを発見したと思い、しかし結局はそれが何であるか分からず、その手記を自分の家の鍵の掛かる箪笥の抽出しの中に投げ込んだまま、二度と見ることもなく忘れてしまった。今、私はその手記のことを思い出している。 」
☞ここまでは、状況説明ここまでのあらすじ、みたいなものですね。藤代お父さん、初めて書いたにしては1回で確実に上手になっている(冗談)。
「そして私は再び何かを発見したように感じ、それを自分一人のために書きとどめておこうと思う。」「しかし人はとにかく生きて行くほかはないし、その間に、生きていることは死ぬことよりも意味があると発見することもしばしばあるだろう。そういう時にのみ、言い換えれば他人は死んだが自分は生きていると考える時にのみ、生きる意味があるのではないかと思う。意識していない生は、ほとんど死と等価物のような気が私にはする。」
☞6章で「ただ私はね、いつでも喪中だというふうに考えるんだ。人間というのは、次々に誰かを、誰か身近な存在を、喪っているものさ、他人が死ぬから自分は生きている、つまり大げさに言えば、人生というのは自分が死ぬまで他人の喪に服しているのだと考えることもある。」と言っていましたね。ただ少し言い方は違うかもしれない。
生きる意味(生は根本事実であり、その背後はない)。生きていることは死ぬことよりも意味がある。なぜ生きるのかに、事前に直接答えられなくとも、世界は誕生しなかったかも知れない(原始偶然)にも拘わらず、世界はあったほうが良かった、と言いたくないですか。
文章の上手さ。対応関係、言い換えの関係が明確。「○○の時にのみ、言い換えれば、△△の時にのみ、生きる意味があるのでは……」
「しかし私はこんな感想を書き付けるために、馴れない仕事を始めたわけではない。私がこれを書く気になったのは、ひとつには部屋のせいである。この前の時も、部屋は私を誘惑した。それは偶然に台風の晩に出会った女が借りていた安アパートの一室であり、私はその女が逃げて行ってしまったあともその部屋を借り受けて、そこで何となく自由を満喫し、あるいは孤独を満喫して、ペンを走らせた。
今も私は自由であり孤独である。しかし部屋は違う。これは相当にみすぼらしくはあるがとにかくれっきとした旅館の一室で、……町の文房具屋で買ってきた粗末な原稿用紙をひろげて、これを書いている。」「要するに小さな町の小さな旅館の、その最上等の客として私はもう十日ばかりここに滞在し、ここがすっかり気に入っているのだ。」病気をした疲労感がたまっているが、「お父さん、それじゃ大事にしてね、すっかりよくなってから帰って来て頂戴、と娘の美佐子は別れ際に言った。」どうせ長い休みになってしまったからと更なる滞在を決めたのである。「それに美佐子もあとひと月たらずでI君と結婚するのだから、」しばらくまだここに滞在して、「彼」の言葉を書いてみよう。
☞ここも、これまでのあらすじ的な。
「部屋が誘惑する」というモチーフ(テーマ?)。触発(affection、感情)、物質が人を触発すること。→ 「ふるさと」
p.281「私の妻は昨年の冬の初めの頃、遂に亡くなった。……しかしどんなに予想されたものであっても、また私と妻との間にどうしても心の通わない一種の壁のようなものがあったとしても、予想と現実とは異なり、死は心の空白とは関係がなかった。私はやはり妻を愛していたのだということを、妻が昏睡状態に陥り、次第に呼吸が緩慢になり、脈搏が微弱になって行くのを見守りながら、痛切に感じていた。」「しかし死んで行く妻を見守りながら、私はこの罪の感じこそ即ち愛ではないだろうかと考えた。」
☞罪=愛。
ずいぶん勝手な言い草、最終回で安易にまとめに走っている、であろうか。もう一つ論点がある。《一緒にいる》ということの意味を再認識したい、と思う。ここまで《一緒にいた》ということ。ただ場所や時間を共有すること。そこに心の繋がりがあるとか、理解があるとか、関係無く、ただ空間や時間を共有してきたということ。もちろん逆は、よく言われるでしょう。離れていても、心が通じ合っていれば……。この場合は、そのまた逆なのであるが。
この罪=愛の意味、感覚が分からない?愛がプラスの感情だけで成り立っていれば、世の中に悪人は皆無になるでしょうね。世界中の道には、上り坂と下り坂、どちらが多いでしょうか?みたいななぞなぞがあるとして、愛と憎とは、或いは、善意と悪意とは、この上り坂と下り坂の関係だろうとも思います。
p.283 妻が亡くなる数日前、妻は「ねえあなた、ふるさとってどういうものなんでしょうねえ。」と訊いた。妻は東京生まれである。「お前はちゃきちゃきの江戸っ子じゃないか」あなたのふるさとは?と訊かれ、「ふるさとなんてものはないんだ、私たちにはみんなそんなものはないんだ、とはぐらかすように答えた。」妻は彼に、彼がこの藤代家の本当の子どもでないことはうすうす知っていた、と告げた。「お前が気がついていたとは知らなかったよ、と私は答えた。」妻は、彼女のふるさとは海にあると思うと答えた。彼は、二人の新婚旅行が海が見える伊豆だったことを思い出し、語った。二人は似合いに新婚夫婦だったし、その間、彼は妻にも優しかった。p.285「あなたはやさしかったわ、と妻は言った」。ただし、妻が父にせっせと絵はがきを書いていた時も、彼のせいで死んだ彼女(看護婦)のことをずっと考え、答えのない問い掛けをしていたのだ。「もう芝居をする必要は無い」と思ったが、結局、「私がどういう生まれで、どういう恋愛を過去に持っていたか、今でなら告白することも出来るし、妻だってきっと分かってくれるだろう。私は一瞬そう考えたが、出生のことはとにかく、死んだ彼女のことを口に出す勇気は容易に出て来なかった。こんな病人をおどろかすことはない、というもっともらしい口実がすぐに浮かんだ。」しかし、私はそういう卑怯で下賤な生まれなのだ。
☞家族はもっとコミュニケーションを取るべき、という意見の学生がいますが、こういう場合もそうでしょうか。
それにしても、自由な回想小説は、死んだ人間でもいつでも召喚可能である。夫婦は、妻の生前にこんな会話をしていたのだ。取り使えしがつかない、秘密はママとともに死んでしまった、のだろうか。もちろん、それまでの事実と相反する過去を捏造することは出来ないにせよ。(不共可能性は許可されていないにせよ、パラレルワールドやタイムマシンものなどSFでもそうだ)。
「そして、私は遂に言わなかった。私が東北の片田舎で間引きぞこないの子どもとして生を享け、幼いうちに東京のこの家に貰われてきたことを。一人の女を愛し、その女が自殺したことで私の魂もまた死んだということを。もし言うとすれば、私はそれを三十年前に言うべきだったのだ。これでも出来る限り妻を愛そうとした。たとえ妻が認めてくれないとしても、少なくとも私は誠実でありたいと願っていた。しかし私はどうしても、妻ではない別の女を、それももう既に死んでしまった別の女を過去に愛したために、新しく愛を育てるべき心の場所を持たなかった。」
☞言ってれば、ちがっていたかもね。しかし、言うのも甘えだ、ということもありうる。(迷うね)
p.287「妻が死に、私は人前では一雫の涙をも零さなかったが、深く歎いた。済まないことをした、お前という女の一生を、私のような男と夫婦になったばかりに、何のしあわせなこともなくてこうして死なしてしまった。そう私は心のなかでわびたが、そんなものが何になろう。私は泣き崩れている美佐子や香代子を励まし、事務的に葬儀を営み、その葬儀の間にも、しきりに心の中で繰り返した。ふしあわせな女だった、お前はほんとに可哀想な女だった、しかし己にはどうにも出来なかったのだ。己をゆるしてくれ、おれはそういう男なのだ。いつでも、どうにも出来ないでいる男なのだ、と。そして私の心の呟きは、それが今死んだばかりの妻に向けられているものか、それとも遠い昔に、私の子どもを身ごもったまま淵から身を投げて死んだ女に向けられているものか、もう区別することが出来なかった。」
☞看護婦と妻ゆきとが、区別なくなって、同一人化している。一般に、人は似たタイプを好きになるわけです。好きなタイプは?と訊かれますから。男の場合、相手(女)に「君は僕の昔の彼女に似ている」みたいな言い方は、絶対に言わないほうが良い。相手(女)はふつう、いやがります。自分は自分であり、誰それに似ているということ自体を、嫌うのである。
p.287f1納骨は、戦時中の疎開先でもあった信州の城下町の親戚の土地にした。香代子の冬休みを利用して、3人での初めて旅行だった。予想に反して親類縁者が大勢集まり、もう1泊することになり、縁者は宴席を設けてくれた。美佐子は厭そうだったが、香代子は土地の言葉を真似たりして楽しそうであり、酒も飲んだりしていて私は驚いた。
☞対比的に描かれる姉妹。
p.290 こうして私たちの家から、妻の姿が消えた。妻は箪笥の上の厨子の写真と位牌になった。妻の不在に馴れることは難しかったが、馴れることに努めなければならなかった。そして、私は例のアパートへ行くことはきっぱり止めた。あの女は、とうとうそこへは帰ってこなかった。
☞不倫、でさえない、と思っていますが……。なんか未練(気掛かり)があるとしても、それは「彼女(看護婦)」の生まれ変わり的な存在として、だと思いますが……。むしろ、「看護婦そのもの」ではないかとさえ、思いますが……。そして、その「彼女」はもはや「とうとうそこへは帰ってこなかった」、投げ入れた小石とともに、と思いますが……。
p.290f1「私たちは、次第に妻のいない生活に馴れていった。」美佐子は目に見えて明るくなり、香代子も勉強に精を出していた。新たな現実をうけいれつつあった。「しかし私は依然として妻のことを考え、それに関連して昔死んだ彼女のことを思い出した。なぜ人は、相手が生きている時に考えなければならないことを、その人が死んでから無益に振り返ってみるのだろうか。私は澱んだ水の上にがらくたを浮べていた堀割の中に、アパートの窓から、忘却の願いを籠めて大事に保存してきた小さな石を投げ捨てた。それは私の人生の一つの区切りであることを望んで、それから一日一日を生きたいと願った。しかし石は沈んでも記憶はやはり意識の閾(しきみ)の上で、浮くともなく沈むともなくただよっているのだ。」
☞センター試験の答えに相当する部分が、ここにも書いてある。ただし、この7章と1章とは、完全に一致しているのか?(不共可能性≒矛盾. 織田信長が本能寺の変で死んだ世界Aと天下統一を果たした世界Bとは不共可能である。パラレルワールド化している。)
妻は、彼女の父を亡くした後、彼に「わたしを離さないで、わたしはもうどこにも行くところがないんです、」と言った。彼は、「お前をお父さんの死目に会わすことが出来なかったのは僕が悪かったんだ、いまさら悔やんでも始まらない、これからは二人で仲良くやって行こう、つまらない喧嘩なんかするのはよそうね。」そう優しく言い、妻は彼にしがみつき、「ああ大丈夫だ、どこへもお前をいかせやしない、辛い想いなんか決してさせない、と彼は妻の背中を撫でながら慰めた。しかし、その時彼は心の中でこう思っていたのだ。己は同じ文句を別の女から聞き、同じ文句を別の女にも言ったことがあったじゃないか。」
☞別の相手(女)を、同じ、似た存在と捉える理由が、自分の態度の一貫性に存すること。自分が同じ態度を取るから、相手は似てくるのである!
さらに、こちらのほうが重要である。この感覚。生き直すことが出来ない感覚。「深淵感覚」と呼ぼう。深淵を一度見てしまったものが、再びそこから離れることが出来ない、もう生き直すことができないほど、その深淵に《魅了されてしまっている》感覚。『死の島』の萌木素子もまたこの感覚を持っている。
余談。沢田研二歌唱「サムライ」という歌謡曲を知っていますか(ナチス礼讃!として大いに批判された)。1979年かヒット曲で、youtubeなどでも見られます。阿久悠作詞、大野克夫作曲。「おれは行かなくちゃいけないのだよ」と言って、好きな女と別れて、旅立つ男の話である。君と一緒に幸せでいたいけど、「それが男には、できないのだよ」とも。参考作品としてバカリスムに「勇者の憂鬱」という素晴らしい曲がある。あるいはこちら→作曲の奥村愛子が先に歌う作詞・升野英知 作曲・奥村愛子 歌・遠藤舞。男女の別れを歌ったものではないが、勇者は使命を帯びて、世界のために旅立たなくちゃイケナイ。どう素晴らしいか説明しきれないが、素晴らしい歌だと思う。特攻隊礼讃のようにも見えるが、2並びをもらえる(日当22222円、1割源泉して2万円)フリー・非正規の勇者であり、遺族が軍人恩給をもらえる特攻以上の問題を抱えている(余談)。
さて、「サムライ」は、歌詞を聞いていると、「寝顔にキスでもしてやりたいけど、そうしたら一日旅立ちが延びるだろう」とある。つまり、この男はどうやら、絶対今日旅立たなくてはいけないわけではないらしいのである。何か集まりや戦いがあるわけではないのだ。いつ旅だってもいいわけだ。旅立ちは、プライベートな理由なのだ。じゃあ、なんで旅立つの?
これが深淵感覚である。
補足すると、「そしたら一日旅立ちが延びるだろう」は、字義通りの「今日でなく、明日旅立ってもよい」という意味ではまったくなく、寓意的・比喩的で「もう予定には間に合わなくなってしまう、男としての約束を果たせなくなってしまう。だからできない」という意味だと解釈すべきだと、私の奥さんに言われました。ああなるほど。でもその可能性もなくはないけど、ずっと「お前はいい女だった……」と(未練がましく、ではなくサービスで、愛情表現として)言ってきたうえでの「一日延びるだろう」ですから、やはり字義的だとおもうのですけどね。
で、バカリズムの歌は、行きたくなんかないけれど、「僕しかいくひとがいない」という「勇者」の運命として、それを受け入れて、パブリックな立場で旅立つのに対して、『サムライ』のほうは、プライベートな理由(つまり本人にしか分からない理由、精神状態、あるいは精神異常)によって、旅立ってしまうのである。これが、「遷善」を果たせない個人的理由、精神状態、あるいは精神異常、すなわち深淵感覚である。だから名作である。
いずれにしても、この感覚はヤバイです。ぜひ抜け出しましょう。(人間としてのアドバイス)
「ふるさと」というモチーフも、まだ熟し切っていません。他の人の、感想もぜひ読んでみて下さい。
P.292 「私は娘たちにとってよい父親でありたいとつとめた。」しかし、ぎごちなかった。美佐子も、香代子も、それぞれに秘密を持っているようだった。
p.293 香代子の新学期が始まろうという頃、遅くに帰って来た香代子に、つい癇癪玉を破裂させるようなことが起こった。「パパには関係がない」とヒステリックに叫ぶ香代子。「あたしが誰と付き合おうと、誰と結婚しようと、パパとは関係がないわよ、と言い切った。」大学を辞めて働く、ラジオでもテレビでも、仕事はなんでも有る、と言う。美佐子も蒼い顔をして心配し出す。彼はこの子の母親もまたむかし発作のように叫び出すことがあった、と思い出していた。パパは私のことも芸術のことも理解しないし、私の劇も見に来てくれなかったと言った。お前の舞台は見に行ったと言ったが、香代子はそんなの嘘よと叫び、姉も疑わしそうに私を見た。私に芸術は分からないが、お前達のことを分かろうと努めてはいるのだ、と言ったが、香代子は、パパが好きなのは姉さんだけよ、と叫んだ。香代子は泣き出し、二階へ行った。「私」はあっけにとられてしまう。
☞これは、6章で示されたあの一件ですか。結末が違いますね。6章は父親がその場からいなくなるし、この7章は香代子が二階へ上がっていく。不共可能が成立しており(パラレルワールド化しており、辻褄が合わなくなり、面白いですね)。でも、6章は追い出しコンパの日。7章は、新学期が間もなく始まる頃でもあるから、四月であって、追い出しコンパ(三月でしょうね)ではないでしょうね。別ですね。もちろん、6章のほうが先で、7章があとでしょう。別の日なんですね。しかし、6章の一件の数日後、下山の部屋に行って「赤んぼなんかおろせばいいさ」と言われたわけです。その後の出来事でしょうね。なんかヘンではないですか。ヘンではないか。ずっと悩んでいたのか。すくなくとも、下山のアパートにはもう行ってないでしょうね。
翌日、夜になっても香代子は戻らなかった。美佐子は心配し、遅くなって帰ってくるさと言ってはみたが、熟睡もできず、翌朝になっても帰っていなかった。私は美佐子に友人関係に電話で当たってみるよう言い、出勤した。自宅へ二度ほど電話したが、一度は美佐子が出、二度目はお手伝いさんが出たが、香代子はまだ帰っていなかった。早めに帰宅し、美佐子と二人で話をした。美佐子は友人のうち、Yという女子学生に会ってきて、香代子はどこにも姿をみせていないこと、また親しいSという男子学生に電話してもらって香代子の不在を確認したという。美佐子は、香代子はそのSに「傾斜している」と言ったそうだ。「傾斜、と私は聞き直した。ええ、好きだって意味でしょう、と説明しながら美佐子はかすかに顔を赧らめた。」私は、気まぐれの旅にでもでたのだろうと言ったが、美佐子は香代子が自殺したのではないかと心配している。が、私が心の底でおそれていたのもそれであった。「人は確かな原因があるから自殺するとは限らない。人はときどき、自分で自分を殺したくなるような気味の悪い誘惑にかられることがある。」(これが深淵感覚である)。彼の昔の恋人、看護婦が、彼にとってまさしくそうだった。彼が、看護婦に再び会いに、病院を辞めたと聞いて実家のある日本海の漁村に汽車で行った時、彼は全く彼女が自殺するなどと考えていなかったのだ。
美佐子がぽつりと、お父さんは冷たい人ね、と言った。彼は、そんなつもりはないということを語り、「もしも香代子の代わりに私が死ねばいいのなら、私はいつでも死んでみせるよ。」と言った。美佐子は、涙声で御免なさいと呟いた。彼は、美佐子であれば自殺も心配するが、香代子は思い詰めるたちじゃないと言うと、美佐子はそんな言い方をするから、香代子がひがむのだとも言った。そして、「あたしのことですけど、あたしまたIさんとお付き合いしてみようかと思っていますの。」とも言った。
☞美佐子が、Iさんと付き合い直そうが、そんなの今どうでもいい!香代子が心配だ!ってなっていませんか。それを感情移入といいます。(例)吸血鬼が窓から美女の寝ている部屋に侵入しました。美女はディナーでニンニク料理を食べていたので、吸血鬼は逃げ帰りました……。この話で、良かったと思った人は、美女に感情移入しています。残念と思った人は、吸血鬼に感情移入しています。もうちょっとまともな話をすると。ヴォーリンゲル『抽象と感情移入』は、芸術の二つの源泉、衝動を述べたもので、感情移入は対象との合一を求めるもの。抽象は、対象との分離を果たすもの、と見なしました。
あくる朝、私は会社に顔を出して仕事の段取りを着けてから、一番親しいというSの下宿を訪ねた。Sの態度はまったくひどかった。「こんな男に娘を取られる位なら、いっそ死んでくれたほうがましだとまで私はその時考えた。」
☞下山最悪決定!みたいな。じっさいはあまり違わないレベルの「彼」にそう言われているわけではないか。
家に電話を掛けると、香代子が呑気な声で出た。そのまま待っていなさい、と言って急いで家に帰った。
☞よかったね、と思った人は、誰に感情移入しているのかな。なんだそれ!と父親は思ったわけです。
香代子は、美佐子と入れ違いに、帰宅したようである。香代子の顔を見るなり、その頬を力任せに殴りつけ、どこへ行っていたのだ、と怒鳴った。香代子は、母親の墓参りに信州まで行っていたのだった。それは当然考えられることだったのに、思いつきもしなかった。ひどく心配したのだ、と言って聞かせると、自分の子でもないのに心配するのか、などと言う。私には、香代子が何を言っているのか分からなかったが、香代子はあそこは私のふるさとよとわめいていた。私は香代子に、お前はれっきとした私の娘で、美佐子と区別したこともないと言って聞かせた。
☞父は当然、姉妹での扱いの差を言われたと早合点していたはずである。事後的には、呉さんのことを知っており、その地点からこの文章は書かれているわけだが、渦中の心理を正確に描写できている。
香代子は、泣きやみ、ふるさとに帰りたくなった、と言い、パパは東京の生まれなのか、と訊いた。「香代子は芝居がかっているところがあった」。私は、自分の出生地の秘密を語って聞かせ、その代わり、香代子は、パパの子じゃないという話を、話してくれた。
☞意識的な因果関係がなく、香代子もまた「ふるさと」を口にする。ある種のシンクロニシティー。私は、御都合主義とは思わない。
「分かったわ、パパ、と香代子は言った。じゃあたしも話すわね。パパびっくりしないで。わたしはパパの子じゃなくて、ママと呉さんという人の子かも知れないのよ。私は確かにびっくりした。」
話を聞いた上で、「馬鹿だなあお前は、と言って私は笑い出した。」おでこやあごのしゃくれたところは、パパにそっくりだろう、と言った。
☞香代子の父は藤代氏であり、呉さんではない、という客観的な描写・証言は作中に無い。これをもって香代子の父が呉さんである可能性はゼロではないとか、すくなくとも父親は決定不能であると考える解釈がある。どっちが良い(良い解釈)であろうか。香代子自身がもう答えを出している。この父親は決して他人ではない、と。
「私と香代子との間は、このようなやりとりがあってから眼に見えて親しくなった。香代子が姉さんには言わないでと頼むので、私も私自身の出生のことを美佐子に教えないという約束で、このことを二人だけの秘密にした。香代子は憑物(つきもの)が落ちたように快活な大学生に戻った。美佐子のほうはまたI君と交際を始め、やがて仲人を頼み、結納を交わし、十一月の末に式をあげることにきまった。」
☞美佐子が結婚する情報なんかどうでもいい!三木先生がどうなったか心配だ!ってなっていませんか。世の中にはしっかり美佐子ファンもいるんですよ(びっくりしましたか)。
▸ 本講座で最初に話題にした、連続性ということを思い出して下さい。バラバラなものが、繋がる。
感情移入は、連続性を作り出す働きの一つでしょう。抽象もまた、この複雑な世界を三角や丸や四角に抽象する。(たとえばピラミッド)ギリシャ・ローマ的な感情移入に対して、エジプト、中東、アジア、北ヨーロッパ的な抽象の対比を、ヴォーリンゲルは考えました。
で、お話は、もうだいぶ繋がってしまいましたね。
あと数回で、この授業も完結です。福永武彦の他の作品も含めて、話題をすこし広げておきたいとも思っています。
▸ 配役:
お知らせ:いまはとくになし。集中してお聴き下さい。\(-_-)/
▸香代子は憑物(つきもの)が落ちたように快活な大学生に戻った。
▸下山譲治がサイテー男決定!みたいになったのは良かったの声が多かったです。藤代お父さんは、「こんな男に娘を取られる位なら、いっそ死んでくれたほうがましだとまで私はその時考えた。」とまで書いていました。皮肉なことに、30年前、看護婦は、そんな男に取られることなく死んでしまった、のではないでしょうか。今回はその解決編です。(いや、解決なんてものはないんだ、と藤代お父さんなら言うかな)
p.309 去年から一年が経っている。あらためて次の様に記される。「私は今、波の音のかすかに聞こえる旅館の一室でこれを書いている。なぜ私がこれを書く気になったのか、それは私が何かを発見したと思うからである。なぜこんな辺鄙なところに滞在するようになったのか、それは私が私のふるさとを発見したいと思ったことの結果である。」しかし私は自分の生まれ故郷(東北の深い山の中の)を訪ねたわけではない。「私が行こうと思ったのは、昔私の恋人がふるさとと呼んだ日本海に面した寂しい海岸である。賽の河原のある荒れ果てた村である。私が書きたいのは、そこへ行った私の気持である。」
☞女も看護婦も、自分のふるさとを「日本海のほう」と言っていた。実際は地名も具体的に述べていただろうが(でなければ、彼はそこへ行けない。いや病院で聞けば行けるか)、テクスト上には、「日本海のほう」と記されるだけである。私(高橋)は、日本海は場所かつ広くであって、方角を示すものではないだろう!と思っていた。が、日本海をふるさと、と捉える時、それは方角になるのだろう。(かな?)
香代子の告白を聞き、驚き、笑いもしたが、念のためにその本を買って読んで見た。「香代子が私と妻との間に生まれた子ではないなどと疑うのは馬鹿げているが、妻とその大学生との間に何かがあったことは、恐らく事実に違いないと思う。私は妻が死ぬ数日前に私に言った、自分のふるさとが海にあるような気がしますという言葉を思い出した。その大学生は出征してマリアナ方面で戦死していた。最後まで妻が心のなかで思い続けていたのは、その呉伸之という私の一面識もない青年であっただろう。」
☞あるいは、ここをもって《香代子の実父は、藤代お父さんである》という客観的記述になっている、と読むべきでしょうか(そうかな、どうかな)。いずれにしても、愛が血を超えている、それが先週の結論でした。そして、「憑物が落ちたように快活な」が、唯一の(正しい)解答であった。
☞呉さんは、8月12日に「マリアナ方面」で戦死していますね(p.209)。実際の史実上のどの戦闘でしょうか。調べてみませんか。
(つづけて)「私はいささかの嫉妬心をも覚えなかった。これは誇張でも負け惜しみでもない。」(そして愛情の欠落でもない)「もし妻にそれだけのことがあったのなら、それでよかった、それも亦よかった、なぜならば私も亦ゆるされると感じたからだ。私は妻を愛したとは言わない。しかし少なくとも愛そうとはした、愛することにつとめた。にも拘わらず私の愛は妻には通じなかった。それは結局、私が間違った、無責任な、誠意のない結婚をしたためだったろう。愛の燃え尽きた私と一緒になったばかりに、妻もまた一生愛というものを知らずに過ぎたとすれば、私は妻が可哀想でならない。せめてその青年を愛したことで妻は救われたと思うし、また彼女が救われたと思うことで、私もまた救われるのだ。そのような実りのない愛を持った女として、今、私は妻をいとおしみ、妻を愛することが出来るように思う。」
☞ここまでくると、最も凡庸なはずの(作品を壊しかねない)、この家族はコミュニケーション不足!という感想が、実際にリアリティを持ってくる。人に話せないことは確実に存在すると思って、彼らこの家族を肯定してきたが、この夫婦でさえ、お互いの秘密を告白すべきだったのではないか。
そして、私もまた救われる、という救済のテーマ。
他方、先週述べた「深淵感覚」について。夜の三部作と題さされた「冥府」「深淵」「夜の時間」(中短編)、あまり面白かった記憶が無かったが、ほんと久しぶりに「深淵」を開いてみましたが、これはヤバイ!です。20歳で結核を患い十五年間療養所で闘病しようやく今年退院を果たせたキリスト教系女学校出の女性(あだなは聖女)が、殺人を犯して脱獄し身分を隠して賄い夫をしている男、飢えしか知らないような男(50歳くらい)に、無理矢理に恋愛関係に入らせられ、男を教化し改心させようとしつつ、男を好きになってしまい、そしてこの生をこそ生きたいと願い……、「遷善」をなし得ず(間違いを正せず、同じ失敗を繰り返す)。かつ、愛を知ることの危険性。作品の意味や色合いは、他の作品との対比によって、ずいぶんと変わってしまうものです。
一般には、うつ病的な「死への衝動」「希死念慮」のようなものを福永文学における「深淵」として捉えるようであるが、そうした漠然としたものでなく、この「遷善」の不可能性つまり具体的な生のあり方のひとつを深淵として位置づけ、また「死」はその生きることの一つの結果としてを位置づけてみたいと私(高橋)は思います。死は目標や原因ではなく、つまり死は願うものではなく、生を願いつつそれを実現または維持(つまり遷善)できない結果としての「死」なのである。
妻のふるさとの話から、自分の話に向いていく。日本の神話は人びとのふるさとを「常世の国」「妣の国」などとし、妻はこの「妣の国」を海に見たのだろう。しかし、「私は、この脚で踏めるところに私のふるさとを見出だしたかった。ふるさととは自分が生まれ育った場所をのみ言うのではあるまい。人はいつも、どこかに、彼にのみ固有のふるさとがあるように感じ、その彼方に憧れる心を持っているに違いない。古来多くの人が諸国行脚の旅に出た。それこそ生れ故郷をあとにして、見も知らぬ国を旅し、見も知らぬ土地で病んで死んだ。死んだ場所が即ち旅人のふるさとだったと言えるのではないだろうか。」
「しかしまた生れ故郷に憧れるという心もある。」香代子、戦友、そして「私の恋人は、日本海に面した小さな村に帰り、その断崖から身を投げて死んだ。しかし、私には、そこに帰って死にたいと思うようなふるさとはなかった。」
「私に決心させて、賽の河原のあるこの海辺の村をもう一度訪ねてみたいと思わせたものは、たまたま私の眼に触れた新聞の囲み記事である。」つまり、ある新進女優***子の生れ故郷でロケがあり云々、その女優とは、台風の日に助けた例の女であった。「その写真の中でにっこりほほえんでいるのは、まぎれもなく昨年の秋、あの堀割に面した安アパートに住んでいた若い女だった。私は微笑し、彼女の幸運を祝福した。とうとうあの女もこれでスターダムへの昇り口に達したわけだ。私を寂しい人だと呼んでくれた、気のいい、子供っぽい娘だった。」
☞解決編ですね(解決しすぎ、かも)。
『忘却の河』を執筆する際に作った、最初のメモというものが公開されている(全集)。それによれば、第一章はもともとかなりファンタジックで、台風の日に助けた若い女は、じっさいに、看護婦の生まれ変わりだ、といったものであったようだ。他章との関連付け、計画の練り直し中で、現在のように、漠然と顔が似ている(という鈍痛)にまでカモフラージュ・偽装されたわけである。私は、そんな記事は全然知らず、在る頃から女優に二役で演じさせるというアイディアを思いついたのである。
「生まれ変わり」の代わりに、「口寄せ」というガジェット(道具・仕掛け)を用いている(後述)。
藤代父は浮気=不倫をしていると解釈している人がいます。看護婦との関係のことではない。台風の日に助けた若い女との間のことであり、見た目はたしかに会社社長が若い女性を安アパートに囲っているのであり、しかもじっさいどうやら肉体関係もあったらしいから、それは浮気・不倫であるだろう。ただし、それは積極的、情熱的あるいは好奇心旺盛な不倫などではないだろう。藤代がこの若い女性を出会ったのは、物語を始めるために桃太郎の桃が流れてきたのと同じ原理ではあるが、そこにいささかの必然があるとすれば、物語を始めるためだけではなく、人として最終的な手遅れ(妻の死)になる前に思い出さねばならないことがらを思いだすためだったであろう。看護婦のことを思い出すためには、その若い女との肉体的な関係も必要なことであった、と考えておく。
私は、その記事を見て、どうしても「そこへ」(つまりロケ地になっている、看護婦が身を投げて死んだ、その場所へ)行かなくてはならない、と感じたのである。「もしもふるさとというものがあるのなら、私にとって、それはまさにそこにしかないだろうと私は思った。なぜならそこに於て、私の魂とも言うべきだった彼女が死んだことによって、私の魂そのものも死んだからである。」
☞ふるさとの明快な定義!
p.312 三十年の月日は、交通をすっかり便利にさせた。「北陸のある大きな都会」(当然金沢でしょう!)への出張を良い機会に、私はそこへ行った。汽車の中で、私は彼女に、「君はもうそこへは帰っちゃいけないよ」と言ったことを思いだしている(p.79、p.313f8)。「佐比(さひ)」という村の名前を頼り支線に乗り換え、まずこの旅館に入った。佐比について旅館の主人に訪ねると、主人は、私を民俗学者だと思い込んだらしい。そんな辺鄙なところへ行く観光客はいないからである。翌日、ハイヤーを使い、また紹介状を書いてもらっていたお蔭で漁船も手配でき、彼女が飛び降りた断崖(西が浦)へ行った。高い崖に立って、「しかし彼女は死ぬことによって彼女の愛を証明した。」と書かれている。
愛の証明!死ぬこと。cf.「もしも香代子の代わりに私が死ねばいいのなら、私はいつでも死んでみせるよ。」やば!
漁船で佐比の浜辺に着き、まず巫女の家に入った。口寄せをする家で、今日の宿である。ついで、村に出て、生家を訪ねることは無かったが(母親はとうに死んでいるはずだ)、海を「無限に遠く連なる虚無」と感じた。村の墓地には、場違いなほど立派な戦没者の墓もあった。彼女の同姓が多くて、彼女の墓は分からなかった。
☞調べれば分かるだろう。生家も墓も!墓参したり、線香を上げたりしても、いまさらになんになるだろう、、、か?そもそも、それは百も承知でここに来たのでしょう!
島根県太田市「波根(はね)」が舞台だという(初版後記 p.337)。また、能登国には輪島市に佐比野山という山がある。そして志賀町に「ヤセの断崖」がある。
宿に帰ったが、疲れていてすぐ床に入ってしまって、口寄せは見物しなかった。「一種の耐えがたい気分に私を陥れた。私は強いてこういうことを考えていた。巫女は方言しか喋らないのだから、標準語しか知らない霊を呼び出したらどういうことになるか、などと。」(cf.英語を話す宇宙人。異世界の者との交感について)あくる朝、浜に出、そして賽の河原と呼ばれる洞窟へ入った。賽の河原についての、仏教的あるいは土着的な信仰の解説。しかし、仏教でもキリスト教でもない罪を、私は感じてきた。p.322f1「救済とか済度とかいうのではなく、この罪から逃れたいと悶えていた。この罪、それは神によっても仏によっても消すことの出来ないものであり、ただ彼女だけがそれをゆるすことができるように感じられる罪である。彼女と、そして生まれることもなくて彼女と共にその胎内で死んだ私の子供とが、この賽の河原において、私を許してくれるかもしれないような罪である。」(罪の人間化)
さらに、恐山などの有名な場所と、この佐比とはちがっていて、暗い。地獄の後に極楽が用意されているような場所ではなく、ここが地獄なのだと私は感じた。「ここが即ち地獄なのだ。ここが地の果て、生のどん詰まりなのだ。更に言えば、ここにあるものは決して済われることのない罪そのものの感じなのだ。」「さえのかみのさえは、境と共にまた罪障をも意味していた。この賽の河原は、あらゆる罪障の捨て場所としてあったのではないだろうか。私は今ここに私の過去の罪を捨てに来たように。」
☞汚れを祓い、罪を捨てる場所。小石は、そこへ捨てられたわけだ。堀割は、あらたな賽の河原なのだろう。
帰りがけに雨に降られ、また、みすぼらしい小さな無縁墓地を見た。「私の恋人が眠っているところも、まさにこの無縁墓地のほかになかった。どこの誰とも分からぬ男のために子を宿し、一家の恥として西が浦に身を投げた娘の葬られるべき場所は、名誉ある出征兵士の骨を埋めた山の墓地ではなく、この海沿いの、荒波の飛沫が散りかかる無縁墓地のほかにはなかった。」そして、雨の中で、あの賽の河原もまた、間引きした子供たちのための無縁墓地ではなかったか、と考えた。
☞村の口寄せ宿の人びと始め、しっかり訊いてみるしかないんじゃないか!看護婦の父親は、自分の娘を「死んでくれたほうがましだ」と思ったのだろうか。
p.325f1 療養所から退院する時の、駅の描写。両親に付き添われて上り列車を待っている間、五人の非番の看護婦が見送りにきてくれた、そのうちの一人であった彼女は、全くこちらを見ようとしなかった。この時、彼はタイミングを見計らうべきだと思って、両親に彼女のことは言わなかった。そして、この前日、彼はベッドの中で彼女の手を取り「彼女の冷たい手を取って自分の掌のなかで暖めた。」どうせまたすぐに迎えに来るよ、と約束していた。(本作では「掌」が3回出てきます)
P.327 「彼女は寂しげな表情で少し微笑し、何か言いたそうにしたまま長い間黙っていた。そして不意に、何の関係もなしに、彼にこう訊いたのだ。わたしたちはみんな死んだらどこに行くんでしょうね。」そうした質問には答えも持ち合わせず、またそれを打消し、「僕は決して君のことを忘れないよ」と言った。彼女は別の事を考えているようだった。列車は走り出し、彼女は口を開かなかった。
☞彼女は何か言いたかったのだろうか。言いたかったのでしょう。
ずぶぬれになって、巫女の宿へ帰った。午後には漁船が迎えに来て、沈むのではないかと思われるほど、ひどい雨と風で、しかしここで死ねば無縁墓地に葬られるのだと思いながら、また彼女の死んだ魂が私を呼んでいるような気がした。「その下ぶくれの寂しげな顔が眼に浮かんだ。彼女は言っていた。私は嬉しいわ、あなたがまだわたしのことを忘れないでいてくれるということ。みんな不幸なのね。みんな可哀想なのね。でもあなたはわたしのことを決して忘れないわね。
☞過去と現在とが、このように文字として、整序立てて、共存している。
しかし、この場面の映像化は、荒海または今や静かに凪いだ海を背景に、看護婦の顔が大きくオーバーラップして、画面上の彼女がこちらに向かって話し掛ける、といったものでいいのでしょうか!?60年代か!
彼女は、絶望して死んだのか、身ごもったのを恥じて死んだのか、それとも「愛を証明した」のか。
漁船を降り、ハイヤーをつかってこの旅館にもどったが、高熱で発しており、ここで死ぬのかと覚悟をしていたような気がする。正気に返った時、美佐子がいるような気がした。が、峠は越えていたので、美佐子は香代子に来るには及ばないと電報を打ったそうだ。
☞かなりやばかったのであろう。美佐子も父の死を覚悟し、死に際を看取るために妹まで呼ぼうと考えたのであろう。
数日経って、美佐子が歌を歌っているので、「私は眼を開き、お前は懐かしい唄を知っているねえ、と呟いた。美佐子はびっくりしたように眼を大きく見開き、まじまじと私を見た。お父さん、とほとばしるような声を出した。お父さん、この唄を御存じなの。」
「ああ勿論知っているとも。うたってみせようか。もっともお前みたいに上手にはうたえないがね。うたって頂戴、と美佐子は頼んだ。」それは、れいの子守唄だった「ほらねろねんねろほらねやあや……」「その唄の調べは、私を文字通り私のふるさとへと運んで行った。」美佐子が強く驚いてきくので、私の生まれた国で歌われた唄だ、と言った。東京生れでないことは、香代子には話したが、美佐子には秘密のままだった。が、美佐子の関心は私の生れにはなかった。「異様なほどの真剣さで私に訊いた。不思議だわ、どうしてわたしがその子守唄を知っているんでしょうね。」生れを隠していることもあり、そもそも男が人前で歌を歌い子供をあやすなどしない時代であった。
美佐子は、そういうお父さんが好きよ、と言った。お父さんは、私にも香代ちゃんにも大事な人だから、早く良くなってね、と言うので、光栄だよと言い、「もうじきお前の大事な人は私ではなくなるとしてもね。」と軽口をたたいた。「気力の衰えていた私にとって、私を好きだと言ってくれた美佐子の言葉ほど薬になるものはなかった。」
学生意見:一つまだ謎なことが、美佐子の「故郷」はどこだったんだろう、ということ。子守唄の謎は解けたが、美佐子が思い出していた景色はどこのことだったのか、考えてみたい。/そうですね。父親の歌に起因する、美佐子の妄想かもね。つまり父親の養子前の風景。
☞台風の日に助けた若い女の行く末まで明示しておく、この小説において、美佐子の子守唄のもう一つが未解決であったことを覚えていた読者は、何人いたでしょうか。七章前編が香代子の解決編、後半は意外にも(?)美佐子の解決編でした。
美佐子が東京に帰ったあと、毎日すこしづつ運動し体力を取り戻し、先刻は郵便局まで散歩がてら出掛けて、明日帰るという電報を打ってきた。透き通るように晴れた晩秋の、夕暮れに近い日が、影を長くしていた。いま旅館にもどってきた。(完)
☞p.280 の「要するに小さな町の小さな旅館の、その最上等の客として私はもう十日ばかりここに滞在し、ここがすっかり気に入っているのだ。」は現在なのか、それとも過去なのか。七章は、日にちを掛けて書いてあるのだろう。持続する現在である。
現在は、過去と未来に挟まれた点ではない。リンゴと言うとき、ンの段階で、リが過去、ゴが未来、ということはない。リンゴという現在が持続している、それと同じ事である。
▸ ハッピーエンドを越えて:家族の回復というテーマは、80年代のTVドラマでよく見られたテーマでした。70年代までは、家族は暖かいものとして描かれていたが、80年代では崩壊を前提として描くようになる。家族外の他者による、家族の回復(お手伝いさんの浅野温子による)。90年代はバブルの頃で、家族はテーマにならなくなった。3.11などを経て、今再び家族が描かれるが(朝ドラでも大河でも)、「絆」などをキーワードにはするが、基本はそれぞれの自立・自律を前提としている。
小津安二郎監督の映画作品は、しかし戦前から、家族の解体をおもなテーマとしてきた。『東京物語』(1953年)が有名だが、『一人息子』(1936年)、『父ありき』(1942年)、『麦秋』(1951年)、など。『晩春』(1949年)は父が娘を嫁に出す話だとしても、息子が自分の父母と暮らさない話ばかり描かれている。
▸ 深淵を《希死念慮》としてでなく:既に述べたが、リビドーに対するタナトス(レーテー、ヒュプノスと姉妹)として捉えるフロイト学説はさておき、希死念慮を前提とすると、細った議論になってしまうだろうし、だれもがぴんと来る話には決してならない。萌木素子のように、死が自分の内側にあると自覚している人は、ある種のうつ病者であろう。他方で、生きたい意欲(藤代ゆき)として、私は福永作品を読みたい、と強く感じます。
▸ 単位認定レポート(課題):出して頂く必要があります。出席点がおよそ70点(4点×15回、途中課題10点)、レポート30点。締切りは8月末ごろ。期限、内容ともまだ(案)ですが。
・グーグルクラスルーム経由のデータによる提出にします。
・引用等の作法、信頼度など、ネット情報の使い方には注意して下さい。いきおいネットに頼りがちですが、あまり頼りすぎないこと。
▸三木先生の自殺の可能性
「他人が死ぬから自分は生きている」福永武彦は、作中で自身の分身を殺すことで、自らの作品を完成させ、自らを生きのびさせているようなところがある。
『忘却の河』の看護婦と台風の日の女とも、同じ一人の恩の別の可能性だと言えないか。
つまり、死ぬのも役者の演技のうちなのです。
▸『忘却の河』創作ノオト:今日はこれを読んでみましょう。\(^よ^)/
PDFファイル、ダウンロードして読んで下さい。
この津田寛治みたいな人が福永武彦(1918.3.19〜1979.8.13)です。
実際の作品と案外違っている。まさしくこれが、ありえた(可能なる)もう一つの現実だ。
▸「雪国」他界説。「眼から鱗」の解釈について、福永の感想。作品の解釈は、作者自身でさえ、成長・変化するものである。福永はそれを(証拠によって論証しようとしている)。ましてや、読者がどう作品を読んでいくかなど……。
[LAST](2024-07-29)
▸ハッピーエンド過ぎないか、という意見があるでしょう。台風の日に助けた若い女と看護婦とは生まれ変わり・蘇りであるという当初の案があったことを紹介し、また、私自身、ドラマ化にさいしては一人二役で、と考えていました。同じように、若い頃の藤代「彼」と下山譲治とを一人二役してみます。藤代「私」は、「こんな男に娘を取られる位なら、いっそ死んでくれたほうがましだ」とまで書いていましたが、30年前、看護婦は、そんな男に取られることなく死んでしまったのではないでしょうか。けっこう毒を盛れると思います。この時、ハッピーエンド好きにはハッピーエンドに見え、ハッピーエンド嫌いにはハッピーエンドに見えない、絶妙なさじ加減が可能になるのではないでしょうか。(ただし、この自分の見たいようにしか見ない、という態度は、ネット時代、SNS時代特有のかなり危ういものですから、気を付けたほうが良いでしょう)。
▸ まとめ:このページをもう1回通覧してください。
彼女は、絶望して死んだのか、身ごもったのを恥じて死んだのか、それとも「愛を証明した」のか。「未婚の母」
「彼」と「私」との美しい対比(七章、)
これは、一章にもあった。
たまたまか、短歌のようになっている。「忘れないよ」は字足らずですが。
この、現在と過去とが不可識別的に混在している状態をジル・ドゥルーズ『シネマ』(フランス・1980年)は、「結晶イメージ」と名付けました。映画はまず「運動イメージ」を作り出した。それは、状況に応じて人々が行為を仕掛け、世界が、あるいは自己や人々が変わっていく、というイメージ(図像・映像・対象)である。しかし、絶対的な絶望をもたらした第二次世界大戦の後、映画は「時間イメージ」を作り出した。世界は人の力によって作り替えることはもはや出来ない、あるいは人の力の彼方で変化する。人はただその無変化や変化を見つめることしかできない。が、その時現われるのが、運動から切り離された「時間イメージ」である。この運動イメージと時間イメージの中間にあって、現在と過去の不可分離的なイメージが「結晶イメージ」である。
しかし、この映画の変容に先だって、小説の変容があった。それが20世紀小説である。
▸ 20世紀小説論:
意識の流れを描く:一人称、三人称の区別の廃棄。自由間接話法。内的独白。
時間(現在、過去、未来)を描く:現在・過去・未来三つの時間は、進行する一本の新旧ではなく、性質を異にする三本の平行線である。過去(記憶)、現在(感覚)、未来(思考)。忘却=想起という作用。
断片によって描く:連続あるいは非連続。意識も、時間も、根源的に断片である。 過去の想起(プラトン)に対する、未来の反復(キルケゴール)。「差異と反復」(G・ドゥルーズ)のテーマ。異なるものとして反復は行われる。むしろ同じものなど存在しない。
「今ではリアリズムなどという19世紀的概念はすっかり崩壊して、我々は主観的に構成された外界と、客観的に溶解した内部とを持つのみだ」(『書物の心』全集15巻、156頁)
物語的な時間(現在)、作家の時間(過去)、読者の時間(未来)
▸ 福永武彦『20世紀小説論』岩波書店(1984年刊):
学習院大学文学部フランス文学専攻の教員として赴任して、35歳の頃の講義ノート(1957〜1965年の間)。全集には未載。『草の花』を執筆し、『風土』を刊行してはいたが、特に目立った小説家としては認知されていないなかった時代。尤もその後もトップの人気作家だったわけでは決して無いのだが。(知名度.net 日本の小説家出275位)本物を知る人は少ない……
以下多少表記を変更しています。
▸ 「小説では、根本的に無時間的性格というものはない。小説および叙事詩において、時間が流れなければ物語としての内容はありえない。小説は二十世紀においてさまざまの試みを持つ、その間には純粋時間の試みもあったが、小説はあくまで小説であって、抒情詩になることも哲学論文になることも出来なかった。すなわち、それは時間を殺すことは出来なかった。もし時間が、本質的制約であるならば、如何にしてこの時間を征服することが出来るか。それが二十世紀小説の課題の一つとなった。」(p.105)
▸ 「二十世紀小説は、それまでの外面的時間に支配される文学に対して、内面的時間によって図られる意識の文学なのである。心理とか性格とか風俗とか、あるいは劇的構成とかいうことが問題なのではなく、扱われる時間の本質が十九世紀とは一変してしまっている。」(p.110)
▸ 外面的時間については、次のように分類・説明されています。
以上はすべて、外面的時間である。この他、書翰小説の流行と衰退とがあったが、これはその形式の限界によるものである。物語形式(ロマン派に多い、一人称に拠る)や客観小説(リアリズム小説に多い、三人称による)は、時間の性格が変ったわけではない。これらにおいて、時間は予め与えられたもの、所与 donneeであり、自然発生的であり、さらには神によって決定されたものであった。(p.111〜114)
▸ 二十世紀にいたり、マルセル・プルースト『失われた時を求めて』(1913〜1927年)、ジェームス・ジョイス『ユリシーズ』(1918〜1920)、ウィリアム・フォークナー『八月の光』(1932年)など、主題や創作方法が時間に結びついた作品が生まれる。それは内面的時間であり、十九世紀的心理小説が外側から人間心理を説明、記述したために、そこに描かれた時間が外面的・連続的であったのに対して、内側からの意識を描き出そうとする非連続的、非論理的な時間である。
そもそも時間には、魔術的な(非論理的な)要素があった。十九世紀小説が依拠したような暦的、時計的な客観性(現実性)は必ずしも時間の本性ではなく、操作可能な対象であった。たとえば、浦島伝説、リップ・ヴァアン・ヴィンクル。シャルル・ペローの『眠れる森の美女』、唐代伝記『枕中記』(盧生一炊の夢、邯鄲の夢とも)。さらにその典型は『アラビアン・ナイト』であろう。「それは説話という形式を有効に使って、時間の中にさらに時間が流れるという現代小説の手法を当然のこととしてしている。作中の人物が話をすると、その話の中の人物がまた話をする。さらにその中の人物が話をする。一定の短い時間の中に、より長い時間が現われて来る。時間はそこでは魔術的なメタモルフォーゼをとげる。」(p.121)
「このような例において、時間はすべて主観的〔操作可能な対象となる〕である。十九世紀小説の外面的・客観的時間に対して、二十世紀小説が選んだものは、この内面的・主観的な時間であり、固定した視点―座標ではなく、移動する、非連続的な個々の視点である。時間は一定の密度、一定の速度を持つものではなく、また宿命的な因果律を持つものではない。それは作者の意識において自由に構成されるので、人物や事件に従属してはいない。」(p.122)
▸ 心理と意識:「十九世紀の小説において、登場人物の内面の描写があるとすれば、それは心理の描写だった。しかし二十世紀においては、意識が心理にとって変った。」そこに橋をかけたのは、ドストエフスキー(1821〜1881年)であろう。(さらに、十九世紀小説たるスタンダール『赤と黒』(1830年)と二十世紀小説たるフォークナー『野生の棕櫚』(1939年)を対比させて)「ここには主人公の心理に対する直接的な説明は無い。ただ作者が、主人公の周囲を説明し、その感覚と生理と行動とを示すだけである。しかしそこには、人工的な、というより技巧的な、主人公の状態の描写がある。笑い声やベルの効果、海の香と風の音、呼吸と動作、それらはこの主人公の絶望的な放心状態を、いかなる心理描写よりも詳しく説明している。」これに対して前者十九世紀小説は、主人公の心理を作者が直接説明している。つまり、十九世紀の心理描写には、人物の独白する直接体と、作者が代わって説明する間接体とがある。作者はあくまで作者(解説者)である。これに対してフォークナーは、「それをこうだと言い切る心理的、分析的方法が、真実に思えないのである。」
▸ 方法化された時間:ウイリアム・フォークナー『エミリーに薔薇を』(1930年)を例に。「この物語で、語られる順序は記憶に従って語るという形をとっているが、必ずしも心理的な連想に基づいているわけではない。記憶がしばしはデタラメに飛躍するように、ここでは意外なほど話がちぎれちぎれになり、その順序は著しく作為的である。物語はすみずみまで作者の意識の中に統制され、故意に語れなかった部分さえある(エミリーの心理状態は一切語られていない)。時間もおよそ無造作に裁断されている。しかし、小説の効果として見ると、この話をこれだけの感動を持って示すには、ほとんどこれ以外の方法が考えられないくらいなのだ。この感動の基礎は、三十年を十頁に凝縮するその時間的処理の巧みさにかかっていると言えよう。このような形をとればこそ、この時間は、現実的な重みを持つのである。(p.137)
▸補足 外面的時間にもそもそも、自然的、歴史的、現実的の3タイプがある、って説じたいが、変ってて、その区別も分かりにくいと思います。
内面的時間は、絶対時間・絶対空間を否定する点で、すこし自然的時間、超自然的時間に近く見えます。自然的時間は、自らが作り出す時間であり、それは神や英雄の所為であるのと同時に、近代(神は死んだ。人間自身のうちにしか根拠がない、実存的な生)の人間の宿命でもあるからです。神から人間へ(近代)。さらには人間の絶対性が奪われる現代(20世紀)。
二十一世紀小説は、まだ無いと思います。そろそろ出てきても良いのでしょうが、まだ無いでしょう。ボブ・ディランがノーベル文学賞をもらっているわけですから。
▸ 視点の移動、人称の問題:
二十世紀小説は、人称の問題に一定の解答を与えているだろう。人称の問題は、古くから存在するが適当に隠蔽されてきた。
人称の発見は、個人(登場人物)の発見に対応しているでしょう。→視点の20世紀的変容については、考えがまとまりませんでしたw。ポイントは三つです。
▸ 実例
ヴィクトル・ユーゴー(フランス)『レ・ミゼラブル』一九六二年(新潮社;佐藤朔訳)を例に
(第一部第二章第十三節)より
十九世紀小説の心理
心理(心のうごきを、調子にのってすべて説明してしまう。心は、作者によって説明しうる対象だと信じられている。作者は、小説ですべてを描きうると信じられているのだ)。場面は、一九年間の徒刑場生活から解放され、あてなく町をさまよう。ミリエル司教に出会う前。 ジャン・ヴァルジャンは逃げるようにして町から出た。大急ぎで野原を歩き出し、絶えずあともどりしていることに気がつかずに、街道でも小道でも気にせずに進んで行った。こうして午前中、なにも食べず、空腹をおぼえずに、歩き回った。おびただしい新しい感情にとらわれていた。一種の憤りを感じていたが、それがだれにたいするものか、わからなかった。感動したのか、侮辱を受けたのか、どうとも言えなかっただろう。ときには妙に涙ぐましくなったが、その気持ちとたたかうように、過去二十年間の頑なさで対抗した。こうした状態はかれを疲れさせた。不当な不幸によって与えられた一種の恐るべき冷静さが、心のうちでぐらつくのを見て、不安にかられた。なにがそのかわりになるだろうか、と考えてみた。ときどき、憲兵につかまって監獄にはいったほうがよかった、そして事態がこんなふうにならなかったほうがほんとうによかった、という気にもなった。そのほうがこんなに不安な気持ちにならなかったろう。季節はかなり進んでいたが、生け垣のあちこちにまだ遅咲きの花があって、その匂いのなかを通り抜けるとき、こどものころの思い出がよみがえってきた。その思い出は、かれにはほとんど耐えられないものだった。それほど、長いあいだよみがえることがなかったのだ。
二十世紀小説の意識
すぐれた小説は、じつは時代意識を超える。『レ・ミゼラブル』にも、福永の言う20世紀的な「意識」(もはや心理ではない)が描かれることがある。それは、登場人物はもちろん、作者までもが把握も制御もできない心のうごきを、能動的な心理でなく、受動的な意識として、捉えるしかないような心の動きである。ミリエル司教の加護を得て、なお、道ばたで少年の小銭を盗み取った後のジャン・ヴァルジャンの描写である。
かれは立ったままだった。少年が逃げだしたときから、同じ姿勢だった。呼吸するごとに、胸は不規則に長いあいだをおいて、もち上がった。視線は十歩か十二歩ぐらい前のほうに注がれて、草のなかに落ちている青い陶器の古いかけらの形を、注意深く見きわめているみたいだった。突然、かれは身ぶるいした。夕方の寒さを感じたのである。
かれは鳥打ち帽を目深にかぶり直し、機械的に上着をかき合わせて、ボタンをはめようとし、一歩ふみ出して、杖をひろいあげようと、身をこごめた。
そのとき、自分の足が土のなかに半分めりこませた四十スーの貨幣が、小石のあいだに光っているのに気がついた。まるで感電したようだった。
「これはなんだ?」とかれは口のなかで言った。
かれは三歩さがり、それから立ち止まったが、さっきまで踏みつけていた点から目を離すことができなかった。まるでそこの闇のなかで光っているものは、かれをじっと見つめている目のようだった。
注釈的魔術(または魔術的注釈)19世紀文学の特徴
まず、描写がやけに細かい。ジャン・ヴァルジャン登場の場面
一八一五年十月のはじめのころ、日の落ちる一時間ほど前に、歩いて旅をしていたひとりの男が、小さな町ディーニュにはいってきた。そのとき、めいめいの家の窓べや戸口にいた、ほんの少しの住民たちが、この旅人をなんとなく不安そうにながめていた。これ以上みじめな様子の通行人に会うことは、困難だった。中背で、ずんぐりしていて、頑丈そうな、働きざかりの男だった。四十六から四十八ぐらいの歳だった。革のひさしの鳥打ち帽を目ぶかにかぶり、日光と熱風にやけた、汗の流れた顔をなかば隠すようにしていた。黄いろい粗布シャツは、銀いろの小さいホックで襟をとめていたが、毛むくじゃらの胸が見えた。紐みたいによれよれのネクタイをしていた。青いズックのズボンは、着古してすり切れ、片膝は白く、もう一方は穴があいていた。灰いろの古い上着はぼろぼろで、片方の肱は、みどりのラシャの布が太い紐でぬいつけてあった。背中には、はちきれそうな兵隊の背嚢をしっかりとくくりつけていたが、それはまだ新品だった。手にはふれくれだった大きな杖をもち、足は靴下なしで、鋲を打った靴をはいていた。頭は短く刈り、ひげぼうぼうだった。
汗、暑さ、徒歩の旅、埃が、このみじめな全体になんともいえぬ汚れを、つけ加えていた。
髪はみじかいが、逆立っていた。少しのびはじめていたのに、しばらく刈ったことがなかったらしいからである。
だれもこの男を知らなかった。明らかに、通りすがりの人間にすぎない。どこから来たのだろう? 南のほうから。おそらく海岸地方からだ。七ヶ月前に、ナポレオン皇帝がカンヌからパリへとのぼって行ったときと同じ道を通って、かれはディーニュにはいったからである。この男は、一日中歩いたのにちがいない。ひどく疲れているらしかった。町の下手にある旧市街の女たちは、かれがガッサンディ通りの並木の下で立ち止まって、散歩道のはずれにある泉で水を飲むのを見た。ずいぶんのどが乾いていたのにちがいない。というのは、かれのあとをつけていたこどもたちは、二百歩ばかりして、市場のある広場の泉のところで、かれがまたも立ち止まって、水を飲むのを見たからである。 喉が渇いているという人物の状態を描写するために、町の女や、後をつけ回す子どもまで用意する周到さ!
因みに、次のものは私が子どもの頃読んだもの(集英社、ジュニア版世界の文学『レ・ミゼラブル』手塚伸一訳)
一八一五年十月のはじめ、あと一時間ほどで日も暮れようとするころ、馬車にも乗らずに、歩きつづけて旅をしているひとりの男が、南フランスのディーニュという町の、ある通りにはいってきた。
四十七、八歳だろうか、背はふつうの高さだがやや太りぎみの、たくましいからだつきである。
だが、その着ているものときたら! これ以上みすぼらしい身なりの男には、めったにお目にかかれなかっただろう。
まず、灰色の、ひじに大きなつぎのあたった作業服。ズボンも作業ズボンだが、これは青で、片ひざに穴があき、もう片ひざも白くすり切れている。うすよごれて黄色っぽい厚地のシャツは、ボタンがみんな取れてしまって、えり元を魏色の小さなピンでとめているだけなので、毛深い胸毛がまる見えである。そのえりから、とにかくネクタイらしいものがぶらさがってはいるが、それはネクタイというよりむしろしわくちゃなひもだった。
そんな服装で、かれは兵隊のかつぐようなふくらんだ背嚢を背負い、手には太いつえを持ち、足はくつ下なしで、びょうを打った短ぐつをはいていた。日焼けした顔にはひげがのび、鳥打ち帽が坊主刈りの頭をかくしている。
だれもこの男を知っている者はいなかった。人びとは、こわいものを見たように不安そうにこの男を見送った。一日じゅう歩きつづけてきたにちがいない。ひどくのどがかわいていたのだろう。町角の泉で水を飲んだと思うと、それからすぐあとで、市場の広場でも水を飲んだからである。 なんかこちらのほうが穏当な感じがします。原文に忠実な訳のほうが、パラノイアック(偏執教的な)描写である。
レ・ミゼラブルは、通常、19年の懲役を経たジャン・バルジャンが、ミリエル司教の教会に泊まり、暖かい歓待を受けるも、そこの銀食器を盗んで逃げ、警察に訊問された際、ミリエル司教は、銀食器とともに銀の燭台もあげたのになぜ持っていかなかったのかとジャン・バルジャンをかばう、この話から始まるが、その前にさらに、このミリエル司教についておよそ一〇〇頁も説明が書かれている。1840年代の小説。
有名なのがメルヴィルの『白鯨』(米、1951年)で、あらすじでは捉えきれない、ストーリーとあまり関係無い論説・注釈が膨大に附される。
注釈の中でさらに注釈がなされ、これはもはや時間の中にさらに時間が、という時間の入れ子構造である。
論評(哲学論文)
ミリエル司教の加護を受けたにも拘わらず、悪事を繰り返してしまうのは(遷善をなし得ないのは)、なぜだろうか。子ども向け版で予定調和的にしか書かれていなかった説明が、きっちりなされています。
われわれはここでもう一度、前にもした問いを発しなければならない。これらのことが、かれの考えのなかに漠然とでも、なんらかの影を落としたのだろうか? なるほど、不幸は、前にも言ったように、知性をそだてる。しかし、ジャン・バルジャンが、ここに示したようなことを、すべて識別できたかどうか疑わしい。こうした考えが浮かんだとしても、それらをはっきり見たというより、かすかに見ただけであり、しかもそのために、かれは耐えがたい、苦しいほどの混乱におちいったにすぎない。徒刑場と呼ばれるみにくい暗いところから出てきたばかりで、司教はかれの魂に苦痛をあたえたのである。あまりに強い光が、闇から出てきたかれの目を痛くしたようなものである。いまかれにさしだされた未来の生活、可能の生活は、きよらかで、光り輝いていて、かれを戦慄と不安とでみたした。かれは自分がどうなっているのか、もわからなくなってしまった。ふくろうが急に日の出を見たように、この徒刑囚は、徳の光で目がくらみ、目が見えなくなってしまったのだ。
たしかであって、かれ自身、疑わなかったことは、かれはもう、前とおなじ人間ではない、内部ですべてが変化したこと、司教がかれに語り、かれの心を動かしたことは、もうどうにもできない、ということである。
こうした心境のときに、プチ・ジェルヴェと会い、その四十スーを盗んだのだ。なぜだろう? もちろんかれにはその説明ができなかっただろう。それは、かれが徒刑場からもっていた邪念の最後のはたらき、衝動の名残り、力学でいう「慣性」の結果であったろうか? そうだったのだ。おそらくそれよりもっとつまらないことだったのだ。簡単にいえば、盗んだのは、かれではなかった。人間ではなかった、けだものだった。そのけだものが、習慣と本能によって、うっかりとあの銀貨の上に足をおいたのだ。一方、知性のほうは奇妙な、新しい、多くの執念のただなかで、もがいていたのである。知性が目ざめて、このけだもののはたらきを見たとき、ジャン・ヴァルジャンは苦悩のあまりあとしざりし、恐ろしくて、叫んだのだ。
それは奇妙な現象で、かれのような立場でなければありえなかったことだが、かれがこどもからあの金を盗んだのは、かれにはもう不可能なことをやったことになるのだ。
それはともかく、この最後の悪事は、かれに決定的な影響を与えた。それは、かれが知性のなかにもっていた混沌を急につらぬいて、一方に濃い暗闇を、他方に光明をおき、その時の魂の状態にはたらきかけて、ある種の化学反応が、にごった混合物の、ある要素を沈殿させ、他の要素を透明にさせる、あの作用に似たことをした。(後略) 大げさな注釈的要素が無くなり、全体を見渡す作者が居なくなってしまう。ここから断片的な認識方法が生み出される。そして20世紀小説の誕生の条件は、さらに時間の操作、意識の発見、を要するでしょう。
[LAST](2024-07-29)
『草の花』が圧倒的にオススメですが、授業の関係上、すこし『死の島』を紹介しておきます。ネタバレを含むかもしれませんが、それほど重大ではないと思います。
『死の島』二九〇日前 春、二八五日前(つづき) 春、三一日前(つづき)冬、二七日前 冬
相馬鼎と萌木素子の会話から、作品の雰囲気を感じられると思います。会話がかっこよすぎる(笑)。70年代の若者はカッコイイ(80年代はださい、消費文化だからである。私の世代である)。
萌木素子は、広島の原爆の被爆者(15歳のとき)で背中に大きなケロイドがある。地獄を見た人間の話をするが、それはいわゆる深淵感覚である。相馬鼎はたじろがずに、萌木素子を抱き寄せてやればよかっただけだろう。相馬鼎にはそれが出来なかった(それゆえに小説家になれるのかもしれない)。これは福永武彦の作家的なリミッタ(限界ではなく基準)である。
(おまけ)因みに、楳図かずおには、それが出来た男の話がある。これも独白からなる、いわゆる二十世紀小説的なマンガ作品だと言えるだろう。この手法の話題は興味深いが今はおいといて、ともかく内容について言えば、これは本当の愛ではないだろうか。
楳図かずお「谷間のユリ」1972年作品
楳図かずおの女性像 pdf(『楳図かずお美少女コレクション』2019年)。主人公の女は自分が不美人であるがゆえにかえって男性の本当の良さを見抜ける女であると内心で自負している。向かいのビルで働く見た目はまるでさえないが優しく誠実な男性に密かに心を寄せているが、同時に、彼の誠実さを見抜ける聡明な女性が現われることを恐れてもいる。はたして、真木いずみという美人がその男の恋人になる。この時この不美人はどのような行動をとるか。「谷間のユリ」は、幽霊奇譚を装ったリアルな心理サスペンスという見事としか言いようのない完璧なストーリー的結構を備えているが、同時に、美醜とそれを超える精神の倫理を描いた絶品である。
(この男の本当の愛の前に、主人公の女は自身のおぞましい願望を最後の最後で完遂することができない。)
このシーンについて、過去には「ボクもこの傷痕を見るとひいてしまいます」とか書いていた男子学生もいました。私は授業で提起したかった問題は、「大きなケロイドや傷痕を持つ人を好きになれるか」という事ではなく、「好きだった人に、大きなケロイドや傷痕があったとき、どうするか」なのです。たとえば自分の家族がそうなったとき、愛すのをやめるのか、ってことです。後からの見た目で異性を判断する人に愛は無いでしょう。相馬鼎は、お感じのとおり、ダメダメ君です。「谷間のユリ」のさえない男は、しかしそれでも好きだ、おいで、と言うわけです。自分が見込んだ通りの本物の愛を持つ男であることを知らされて、それゆえにこそ、その男と真木いずみさんとの間に自分が入る余地がない、自分の愚かさだけが突きつけられる、という構造になっています。(単に倫理的な愛を描いただけの作品ではない)。
締切りは8月19日にします。締切り厳守。8月10日までに案内を出します。
・グーグルクラスルーム経由のデータによる提出にします。郵送等では受け付けません。(1)(2)それぞれで提出してもらう予定です。10日までに案内を出します(10日から受け付け開始という意味です)。
・点数は未公開ですが、レポート自体は相互公開(Gクラスルーム内)にしたいと思いますが、いかがですか。
・引用等の作法、信頼度など、ネット情報の使い方には注意して下さい。図書館が自在に使える状況ではないので、いきおいネットに頼りがちですが、あまり頼りすぎないこと。じっくり作品を読むだけもいい。
▸ 20世紀小説論:「意識の流れ」を描く、時間(現在、過去、未来)を描く、断片から描く、などの特徴は、他の芸術ジャンル、たとえば絵画・彫刻などの大芸術、デザイン・工芸などの小芸術、音楽、サブカルチャーの誕生などと密接に関わります。哲学・倫理・思想ともとうぜん深く関わります。社会形態(政治、経済)とも関わります。大変ですね。ぜひ勉強しましょう!制作と並んで、興味の有るところから、勉強していきましょう!
プロになるには、ある期間他の興味を遮断する必要がありますが、あるいはそのほうが合理的効率的ですが、いつかは再び広い興味を持たなければならない時期が来ます。「専門馬鹿」では、最終的には困りますし、高い山に登るには、両方が必要になります。
また後期に「文学2」と「人間と文化」で、お会いしましょう。
場面が繋がらない 未規定性 世界はバラバラで、区別がなされず、連続状態にある 物質(無時間) 現実界(物質・もの) 場面は繋がっている 規定性 現前(presentation、知覚像) 知覚(現在)
再現前(re-presantation、表象 image) 図像 記憶(過去) 想像界(精神・こころ) 想像(未来)
言語 概念(無時間) 象徴界(意味)=物語
山の小陰の桑の実を小籠に積んだは幻か
十五でねえやは嫁に行き お里の便りも絶え果てた
夕焼け小焼けの赤とんぼ 止まっているよ棹の先
風ふけば峰にわかるゝ白雲のたえてつれなき君が心か(古今和歌集601 壬生忠峯)
どなたさまでしたかね、とその女は言った。彼女が名前を言った瞬間、その女は大きな声で叫んだ。お嬢さま。それは見栄も外聞もない心の暖まるような大声だった。お嬢さま、とその女は繰り返した。」(p.130 l.8)
やっぱり違うのだ、と彼女は考え、多少の安堵を覚えた。あたしは、それが違うことを確かめにこうしてやってきたのだ。そして違うのが当たり前だ。初ちゃんがあたしのお母さんだという筈はないもの。しかし彼女はもう一つの質問をした。ねえ初ちゃんこういう歌知らないかしら。蝙蝠こっこ、えんしょうこ、って歌。昔きいたことがあるような気がするだけど。
ええ、知ってますよ、と女は答えた。それはぐさりと彼女の心に突き刺さった。こうでしょう、と言って女は小さな声で歌い出した。」
「ねえ香代ちゃんあたしひょっとしたらお父さんやお母さんの子じゃないのじゃないか、もらい子なんじゃないか、って考えてみたのよ。」香代子は、この時の自分の気持ちを反芻して、すこし暗くなっているのである。
「その時彼女はびっくりし、姉の顔をまじまじと見て、自分とあまり似ていない姉のほそおもての顔立ちの中にもしや自分をからかうような気配でもありはしないかとうかがった。そのような気配はまったくなかった。 」そして香代子は思わず泣き出してしまったのだが、「なぜ彼女が泣いたのか、姉の美佐子には決して分からなかったろう。姉が部屋を出て行ったあと、彼女はベッドの上に腹ばいになっていつまでもしゃくりあげていた。
あたしは泣くべきではなかった、と今彼女は考えていた。姉さんはあたしをからかったわけではなく、御自分が苦しんでいたからこそあたしにそれを打ち明けたのだ。そしてあたしは、たとえ自分で苦しむことがあっても、姉さんに相談したりなんかしないだろう。パパにもママにも言わないだろう。あたしたちの家庭は、そういうふうに、みんなが別々に生きるようにできているのだ。」
『広辞苑』
実存主義/existentialisme 人間の本質ではなく個的実存を哲学の中心におく哲学的立場の総称。ドイツでは実存哲学と呼ばれる。科学的な方法〔客観的、客体的に〕によらず、人間を主体的にとらえようとし、人間の自由と責任を強調し、カント的な悟性的認識〔科学的・論理的・思弁的認識〕には不信をもち、実存は孤独・不安・絶望につきまとわれていると考えるのがその一般的特色。その源はキルケゴール、後期シェリング、さらにパスカルにまでさかのぼるが、二○世紀、特に第二次大戦後、世界的に広がった。その代表者はドイツのヤスパース、ハイデッガー、フランスのサルトル、マルセル、レヴィナスら。サルトル、カミュ、ムージルらは実存を文学・芸術によってとらえようとする。
彼女は恐ろしそうにその本を本棚に戻し、追われるように本屋を立ち去った。見なければいいものを見てしまった。……今さっきの文句が、もう決して忘れることのできない鮮明さで、次々に浮かびあがった。拭っても拭っても、汗が顔や腋の下ににじみ出た。昭和十七年入隊。そして水に落ちた一つの石のように☞ここで?、疑いの波紋がそこからひろがり始めていた。☞作品の細密性として、呉さんが死んだ日に関して、歴史的事実と関係があるでしょうか?調べてみよう。
ボーイの役の青年が、ドアから舞台裏へ戻ってきた。さあ、しっかりおやんない、と安田教子が言った。大丈夫だよ、落ち着いていつものようにやればいいんだ、と下山譲治が言った。彼女は椅子から立ち上がった。よく客がはいっている、とボーイが自分の沈着ぶりを見せるかのように下山につぶやいた。みんなでくの坊だと思うんだよ、と下山がまた彼女に注意した。彼女はうなづいた。
パパはどうせ来てくれはしないだろう。でも呉さん、あなたは遠いところからあたしを見守っていてくれるでしょう、彼女は心の中でつぶやいた。どうかあたしをよく見ていて頂戴。ひょっとして、あなたがあたしの本当のパパでないとしても、でもあたしは、あなたを愛した藤代ゆきの娘です。
彼女は下山の合図とともに、薄暗い舞台裏を出て、今やイネスとして、ボーイをうしろに従えながら、証明に照らし出された舞台の上へしっかりした足取りで進んで行った。」(三章おわり)
be ビー 英語 zein ザイン ドイツ語 être エートル フランス語 Esse エッセ ラテン語
(1) This is a pen. これはペンです。(これはペンである) This pen is very good. このペンはとても良いです。 (2) There is a pen. ペンがあります。(ペンがある) Here is a pen. ここにペンがある。
(1)「存在とは、それがあるところのものであり、あらぬところのものであらぬような存在である。」
(2)「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるような存在。」
lêtre qui n'est pas ce qu'il est et qui est ce qu'il n'est pas.
The being who is not what he is and who is what he is not.
(2)「人間とは、○○だとは言えないようなものである。○○だと言えないようなものが人間なのだ。」
→「あるべき存在」。脱自的存在。未来から規定される実存。主体化していく存在。
若の浦に潮満ち来れば潟(かた)を無み葦辺(あしべ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る
ひむかしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ(賀茂真淵訓)
銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに勝(まさ)れる宝子に及(し)かめやも
拝啓秋冷之候加エテ時局モ愈々重大ヲ加エツツアルノ際ニ益々御健勝ノ段奉賀ニ候陳者(のぶれば)愚息伸之儀兼テ皇国ノ為ニ奮戦中ノ処去ル八月十二日マリアナ方面ニテ戦死仕リ候平素一方ナラヌ御好誼ニ与リ……
その一しずくの涙も見せようとしない昔かたぎの父親の手紙のなかに、わたしは無量の感慨を読んでいた。わたしの眼は涙にくもった。呉さんのお父さん、わたしも伸之さんを心から愛していたのです、とわたしは遠くから呼びかけた。……そしてあれほど約束したのに呉さんはやはりかえってこなかった。死ぬ間ぎわにせめてわたしのことを思い出してくれたのだろうか。それとも過去のことはすべて忘れてお国のために殉じたのだろうか。」
しかし、近代以後は、愛=アガペー、色=エロス=肉欲、とキリスト教的な理解が強まりました。
女(ゆき)・男(呉) 男(三木)・女(美佐子) 不倫 不倫せず 影(光の陰) 硝子(光の反射) 戦前 戦後 戦争 革命 不可抗力と焦燥 不可能性と退屈 和歌(思索的な映像) 絵画(視覚的な思考)
あたしは喪中なんだ、と彼女は相手に答えずに、口をとざしたまま自分の心に語りかけた。喪に服しているということは、亡くなったママが生きたようにあたしも生きるということだ。ママは夫がありながら呉さんとあやまちをおかした。しかし愛はあった。愛があったからこそ、そのあやまちあって許されるのだ。あたしには愛がない。あたしたちには愛がない。愛がないくせに、若さだとか、実験だとか、肉体関係だとか、学生結婚だとか、言っているだけだ。あたしたちはみあんな駄目なんだ。あたしたちのほうがよっぽど堕落しているのだ。
彼女は何かはきはきしたことが言いたかった。厭だ、とか、嫌いだ、とか。しかし言葉は出て来ず、その代わり涙がぽたぽたと垂れた。あたしは何処かへ行ってしまいたい、ママ、あたしは何処か遠くへ行ってしまいたい、と彼女は心の中で叫んでいた。窓からの明るい日射しの中に、まっすぐに立ったまま、まるでそれが一種の演技ででもあるかのように、どうにもならない涙をこぼしていた。」
僕は決してわすれないよ、と彼は言った。
僕は決してわすれないよ、と私は言った。」
僕は決してわすれないよ、と彼は言った。
僕は決してわすれないよ、と私は言った。
君はもうそこへ帰っちゃいけないよ、と彼は言った。
君はもうそこへ帰っちゃいけないよ、と私は言った。