忘却の河.文学I.半魚文庫

文学I

301教室……2024

福永武彦『忘却の河』を読む

*内容は更新されています。授業開始前にリロード(↻再読み込み)してください。

  • 2024-04-15 :第1回 入学おめでとう、およびガイダンス
  • 2024-04-22 :第2回 一章 忘却の河[私]小説世界への唐突な導入、場面転換について
  • 2024-05-07 :第3回 一章 忘却の河[私]小石のこと―贖罪・救済について.
  • 2024-05-13 :第4回 一章 まとめ1(現在と過去の総合)、まとめ2(メディア的救済)
  • 2024-05-20 :第5回 二章 煙塵[美佐子]忘れられた記憶、香水について―共感を媒介する物質性
  • 2024-05-27 :第6回 三章 舞台[香代子]母の生を反復すること1、「出口なし」や実存主義
  • 2024-06-03 :第7回 四章 夢の通い路[わたし]恋愛小説における恋愛不可能性
  • 2024-06-10 :第8回 四章 夢の通い路[わたし]不倫ともののあはれ
  • 2024-06-17 :第9回 五章 硝子の城[先生]芸術における批評家と実作者、恋愛可能性と罪の回避
  • 2024-06-24 :第10回 六章 喪中の人[香代子]本当の恋愛―母の生を仮想的に反復することについて2...
  • 2024-07-01 :第11回 七章 賽の河原[私]ふるさと―贖罪と救済のあいだに見出だされた記憶【前編】...
  • 2024-07-08 :第12回 七章 賽の河原[私]ふるさと―贖罪と救済のあいだに見出だされた記憶【中編】
  • 2024-07-17 :第13回 七章 賽の河原[私]ふるさと―贖罪と救済のあいだに見出だされた記憶【後編】
  • 2024-07-22 :第14回 忘却の河、創作ノオト
  • 2024-07-29 :第15回 福永武彦と二〇世紀小説、『死の島』について

  • 第1回 入学おめでとう、およびガイダンス
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    グーグルクラスルームをつかいます(クラスコード n7ldd4v)

    そして。まずは……、

    1. * 金沢美大へ、入学おめでとう \(^お^)/ サクラサク

      あまりおめでたくない(!?)、この世界。パンデミックから世界?大戦へ。軍国化、テロリズム?民主主義の崩壊。ソレハサテオキ

      置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子というひとの名言。本がある、amazonで900以上の評がついている、酷評も含め)

      F・ニーチェの「運命愛」(与えられた条件を肯定して生きる。その条件しかないから我慢する、ではなく、他の条件がもし選べても私はこの条件を受け入れる、という考え方)に通ずる考え方だとおもうけど。搾取とか、毒親とかもか?

      子曰。里仁爲美。擇不處仁。焉得知。(論語・里仁篇) (子曰わく、里(さと)は仁(じん)を美(よし)と為(なす)。択(えら)んで仁に処(をら)らずんば焉(いぞく)んぞ知(ち)を得(え)ん。 )

      朱子の解釈:「孔子先生はおっしゃった。住む場所は、仁の行われている場所(よい風俗の場所)が良い。そこを選んで仁を拠点としなければ、どうして善悪・是非を判断する知を得ることができようか」cf. 孟母三遷の教え

      荻生徂徠による、少し異なる解釈:「仁(まごころそのもの)に寄り添っていれば、美(よいこと)が自ずと付いて来る。」→場所でなく心構えの問題である。『論語』の読み・意味も、読みかえられる。が、いずれにしても、自ら選ぼうという考え。選べない人はどうするの?

      古典の解釈も一定していない!

      ☞ つまり、「場所はどこでも良い」という説と「良い場所を選んで住め」という説と、相矛盾する二説がある。どちらが真実か? あるいは、いわゆる名言でもいつも両面があるのか。真理を言い当てた言葉があるのではなく、相矛盾する二つの命題から、中庸(ちゅうよう、メソテース)を取ることが、よく生きることである。じっさい!

      ちなみに、先の3年間(2020〜2022年)は「場所」自体がなかった。バーチャルな空間であった。遠隔授業!遠隔実技!入学休学!(こういう授業態勢!)。そして、パンデミックが明けたとたん、世界戦争?(ウクライナ/ロシア、パレスチナ/イスラエル、東アジア?)

      欧州に留学してその伝統を目の当たりにしてショックを受けた。「それから私は日本に帰って来て考えた。伝統は私自身の内部に新しく築くほかはない、風土は私個人の周囲に見出だすほかはないとね。日本人にはエスプリ・ド・ジェオメトリイ(幾何学的精神。数学的・論理的に考える力)が伝統的に不足しているのだから、いきなりアブストラクト(抽象表現、抽象概念)を与えたって、描く方も見る方も、あっけにとられるだけです。」(『忘却の河』第5章、画家・秋田治作のセリフから)

      ☞ ともかく、金沢美大という「場所」に来て、おめでとう!

      もう一点。正解は予めある(先生は答えを知っている)ということはない!ということ。試行錯誤(すぎるのもどうか、とはいえ)の連続。AIは正解を知っている?→文脈(場所)に依存した、状況に応じた、正解があるのみ(だろう)。それは全くの普遍的価値はありえない、という意味でもなく。

      競争を(させられて)勝ち抜いて。受験戦争。

      入試の試験監督:共通テストと2次試験。われわれ一般教育の教員は共通テストのみ中心的に担ってきたが、昨年のみ初めてたまたま専攻の2次も手伝った。お客さん(よそのこ)と我が子の違い。もちろん共感・愛情は拡大されなければならないけれど。「潜在性(可能性)の哲学」G・ドゥルーズ、実現しなかった可能性もふくめて、この現実世界なのだ!私たちの現実(アクチュアリティ)は、さまざまな実現しなかった潜在性(バーチャリティ)を含んでいる。パラレルワールド的?(ライプニッツ的) -->

      次に、または、そのためにも。

      自身の向上と他者との競争とは全く違うものです。(自己の絶対性/他者との相対性)いかに競争から足を洗うかが人生の意味です。「いやいや、人間は肩書きだ」「人は見た目で決まる」とか世俗の価値観からいかに脱却するか。

    2. 生は根本事実であり、その背後はない。(ウィルヘルム・ディルタイの言葉)

      ☞ 生まれて、生きていること。それを背後から指令する理由・原因・目的は無い。生きる目的は、(予め)与えられてはいない。自分で見つける、作るものだ。「神話」ではなく、「物語」を作るのである。

      実存は本質に先立つ。(J・P・サルトルの言葉)『忘却の河』第3章で、関連して扱います。

    3. 人は、物語を生きている、ということ。虚構と現実の関係。芸術のアクチュアルな価値。

      文学研究は、ともすれば現実社会とコミットしていないと考えられがちだが、それは誤りである。私たちは、つねに「物語」のなかを生き、ときに、より「大きな物語」による抑圧を受ける。そのような抑圧にあらがうために、私たちは「物語」自身のみならず、その「物語」を発信・受容するシステムや、「物語」のコンテクストを読み解く力を持たなければならない。そのような広い意味でのリテラシーを得ることができるのは、文学研究の分野である。そもそも、現在の私たちをとりまき脅かす「大きな物語」の原型は、すべて過去にすでに語られたものなのだ。そのようなアクチュアルな学問の形として、文学研究はある。(菅聡子・お茶の水女子大教授の言葉)

      ☞ 文学や芸術のような虚構(フィクション)の世界と、政治や経済、社会や生活、教育・医療といった現実世界と、二つの別個の世界があるのか。そうではなく、この現実世界自体がある種の物語として書かれ読まれているのではないか。偉人伝を読んで、その人を手本として生きたいと思うことがあるのはなぜか。フィクションであっても、偉大な芸術作品は、直接にわれわれの人生を変える力を持つのではないか。

      ただし、良い方へばかりとは限らない。あるいは現実の出来事、地震や大量殺人、津波や原発事故とて、パンデミックも(?)、人によっては、それはTVの中の絵空事にすぎない。

    4. 現在の世界情勢

    現代は、どんな時代か。それを、文学作品の読解を通して、考えていく。考える力を付ける。

    さて、本題です。

  • テキスト、福永武彦『忘却の河』(新潮文庫)ISBN 978-4-10-111502-3 C0193 \590(税別)

    ▸ 学内の売店・かゆう堂で売っています。本格的には、来週から使います。

    今回は、あらかじめ音読したデータを、グーグル・クラスルームの「ドライブ・フォルダ」に置いておきますから、ダウンロードするなりして(なるべく小さなサイズになるようにしました。フォルダ毎一括してダウンロードできるはずです)、事前に聞いてみておいてください。テキストを見ながら聞くのが、理解のためには有効でしょう。

    ◎高橋個人サイトから(リンクを知っている人すべてアクセス可能)http://hangyo.sakura.ne.jp/lec/kawa_read_aloud.zipZIP形式でアーカイブ
    △グーグルクラスルームから(リンクを知っている人すべてアクセス可能)https://drive.google.com/drive/folders/1002WTifjkMnV40A9mbxWq52-uGPn5UJR?usp=sharing

    この授業じたい、そもそも「音読」してきました。文章が美しく細やかで、細部と全体と対応的な構成も素晴らしく、そうした素晴らしさを味わうためには、ともかく一緒に読むことが第一なので、授業で「音読」してしまうのですが、ただ「わざわざ授業で、先生が読んでくれなくても良い」という意見も、毎年多少ありました。多くは「読んでもらうので有り難い」という意見であり、実際、私もまずは読まないと、説明もしにくい。ちょうど、絵画作品を目の前で見せないと説明しにくいのと同じでした。

    ただし、本作は、そのまま朗読されるべき、ラジオドラマのようなものとして書かれた作品ではなく、やはり黙読(目で文字を読むこと)を前提としていることは、読んでみて、あらためて分かります。ちなみにコロナ初年の2020年は、テキストが入手しづらく、最初は音読データだけで授業を開始しました。まあ、そうした悪条件において享受してみるのも、今回(昨年)のような悪条件下には似つかわしい趣向(おもしろみ)ではないだろうか、となぐさめて。

    なお朗読しているのは、森本レオさんではなくて、まあ私自身ですが、思った程上手じゃないですね(がっくし)。それも一つの、与えられた(悪)条件として、置かれた場所で、咲いてみてください。

    ▸ 朗読データは、次の通りです。2020年に初めて作ってみて、面白い経験でもありました。通読に必要な時間も、判明しました。

    一章 忘却の河(全18ファイル)207分
    二章 煙塵(全9ファイル)85分
    三章 舞台(全8ファイル)53分
    四章 夢の通い路(全9ファイル)99分
    五章 硝子の城(全6ファイル)67分
    六章 喪中の人(全5ファイル)40分
    七章 賽の河原(全11ファイル)116分
    全部で11時間ちょっとあります。しかし、これは11時間あれば全部読める、ということを意味するものではありません。計画的に聞いてほしいし、また二度以上聞き、読まないと、課題のレポート(8月末ころ提出)はできないはずです。

    この作品は、堂々と言いますけど、最初の一章は読み始めさっぱり面白くないだろうなと思います。ぐだぐだ心境が書かれているが、小難しく、ぜんぜん面白くない!とか言うのではないでしょうか。少なくとも、青春の若者向けの楽しさは、そこには無さそうです。しかし、勉強だと思って、最初は我慢してください。途中から、主人公の若かった時代を振り返る部分に入り、そこからは、ストーリー的にも非常に面白くなります。ただし、苛酷です(今日風に言えば、ゲス野郎というのですか)。

    二章、三章、四章と、堂々と言いますけど、文句なく面白いはずです。今日の洒脱な小説(80年代以降、または00年代以降?よしもとばなな以後?あるいは、村上春樹以後?二人とももちろん良い小説家です)も悪くはないでしょうが、六〇年代の圧倒的な構築力と表現力をそなえた傑作のすごさを、ぜひ味わってほしいです。

    予備知識なんか、まったく不要です。作品にじかに入っていってください。

    特に、視覚的描写のものすごさ(描写のうまさと、その構成)を味わってほしいのです。(つまらないであろう)一章にも顕著ですが、場面の入れ方が、転換のしかたが、たぶん映像的、映画的なのでしょう、突然切り替わるのだが、それが決して不自然ではない。

    ☞ 授業で使うもの、やり方。再説。

    シラバス 文学1

    ▸ 授業は対面。音声アーカイブなどは残しません。

    ▸ 話す内容は、このページに予め書いておきます。親切?私が話す台本でもあります。

    ▸ 授業後に、何か質問などあれば受け付けます。なんでも聞いて下さい。

    ▸ 出席は、終了後に授業に関する内容を含んだメールを送ってもらうことで、証明してもらいます。授業を聞いていることが分かるような内容を含んでいないと出席扱いとしません。(とても興味深い授業でした。主人公はひどいやつだと思いました、など漠然とした、聞いてなくなって書けるような感想ですからね。まあ、みなさんも工夫してみてください)。

    グーグルクラスルームの「提出物」というシステムがあります。点数設定などもできるようです。これを使って、工夫したいと思います。適宜指示しますので、掲示を確認して下さい。今日の1回目に関しては、授業で話された内容に関して、簡単にまとめ、自分の意見などを書いて、締切り(3〜4日)までに提出してください。

    字数制限などは、特にさだめませんが(多く書ける人もいれば、少ない人もいるから、一概に決められない)、4年間をとおして、文章を書くことを嫌がらずにできるようになってほしいと思います。苦手意識は、人と比べることで生まれます。そうでなく、自分の好きなようにかけばよいのです、楽しく書けばよいのです。上手でなくても、ぜんぜんかまいません。(上手になりたくて、教えて欲しい人には、いくらでも、上手になり方を教えますけど)。

    あと、メモをとるくせをつけるとよいです。スケジュール手帳(スマホで?)、スケッチ帳、などと同じように、言葉でスケッチする。そのシステム、スタイルを自分で考え、作っていくのです。

    ChatGPTなど生成系AIの使用は認めません。簡単に短時間で課題をこなすのは良いことかも知れませんが、文章力はつきませんし、機械があなたの代わりに文章を書いたり、絵を描き、作品を作り、あなたの代わりに(華々しく)生きてくれて、それが幸せですか。

    はい、質問ありますか。廊下でも、お気軽にお声をおかけ下さい。小さい大学ですし、教員とも学生同士とも、話をしたほうが良いです。(メールでの、あんまり細かい質問には、すべてはお答えしませんが)。ゆっくり雑談でもしながら、話を進め、深めていきたいですね。

    ▸ あらためて、入学おめでとう!

    「文学」とは?。私の担当する教養科目、文学1は現代文学を1作品、文学2は古典文学を連続・文学史的に、文学3は言語以外のメディアも含め(まんが。ちな他の先生だが文学4は映画)。

    本授業では、一作品を扱うが、「二〇世紀小説」の全体を講義します。心理と出来事を描く19世紀小説に対して、二〇世紀小説は意識と時間を描いた。という福永武彦の定義がある。M・プルースト、J・ジョイスに始まる二〇世紀小説。知覚と記憶の二重性を描いた、とも言える。現働性(現在)と潜在性(過去=未来)。

    ややこしい話になりましたが、純粋に、作品が面白い(筋立て、解き明かし)。のみならず、美しい描写(心理と風景〜情景)。構成!

    福永武彦(1918 〜1978)。他の代表作『草の花』、『死の島』。


  • 第2回 一章 忘却の河[私]小説世界への唐突な導入、場面転換について
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    朗読データ。今日は、ファイルの bo064_1_11.mp3 くらいまで進む予定です。 (ファイル名は、bo064は共通、真ん中の一桁は章、最後の二桁は章ごとに振られた連番です。フォルダ、ダウンロードの仕方、各ファイルの容量時間などに関しては、第1回を見てください。)

    1. シラバス(授業概要・計画)の記載 シラバス

      授業概要:『忘却の河』は、とある戦後の中流家庭の諸肖像を描きながら、人間の生死、愛憎を扱った、極めて優れた典型的現代小説です。テーマ的には重々しいが、読者を引込む巧みな構成と美しい表現力を持っています。本授業では、戦後文学を題材にして、描かれたテーマを味わい、同時に文学を研究するための基礎的方法を学びます。

      到達目標:大学生の一般教養として、文学作品を読む力を養うために、次の3点を心掛けます。1、2、3の順に難度が上がるので、是非挑戦してください。☞ 虚構(文学作品)を通して、現実世界を読むリテラシー(言語活用能力)を身につける。

      1. 複雑な構成の作品を、前後関係などに注意して、丹念にたどって読む。☞ 意識の流れとしての二〇世紀小説
      2. 作品の背景となっている哲学や芸術思想などを理解しつつ、作品を読む。☞ 抽象主義、実存主義、それらの限界
      3. 作品から見出だされるテーマを読み取り、自分の生き方と関係づけて読む。☞ 自己の物語として。小説の愉悦

      授業計画:講義・講読形式で授業を行います。作品は全七章から成っていて、週割りと章・各主題との対応は次の通りです。(少し変えました。また、今後変わる可能性もあります。変ります)

    2. 予備知識は不要!

      作者・福永武彦(1918 〜1978)については追々。作品は1964年(昭和39年)5月刊行。「初版後記」(朗読ファイルbo064_7_14.mp3)参照。1963年の後半期に、7つの各章それぞれが異なる文芸雑誌に掲載された。「私には各々の章が独立した作品であるかのような印象を与えたいという意図があった。それゆえ雑誌発表の際には、あるいはそれらが長編小説の一部であることに気がつかれなかった読者もあるかもしれない。

      1963年くらいの作品、その時代が舞台……、だけでじゅうぶん(予備知識)

      「一章(の前半)は面白くない」と先週言いました。「途中から面白くなる」「二章からはたぶん面白くなる」「三章からは絶対面白い」とか、これ自体がほんと余計な知識です。 ☞ というわけで、実際に読んで行きましょう。

    3. はじまり、はじまり

      朗読データを授業で流したりはしません。教室でやっているときは、朗読していましたが、今のこの形式のほうが、授業の内容としては良いでしょう。

      冒頭文「私がこれを書くのは私がこの部屋にいるからであり、ここにいて私が何かを発見したからである。」と始まっている。みなさん、どうですか?外国語翻訳調、理屈臭い? 書くことは、未規定な状態・対象にたいして行われる規定作用である。(よく「おれ、こいつが犯人だと最初から思ってたよ」と言って自慢する人がいるが、複数の容疑者への疑いの気持ちのうち、犯人が確定した段階で、その犯人たる人物に対する疑いの記憶だけが回想されているのである。未規定状態での確定は間違いか当てずっぽでしかない)

      作者は、かなりのインテリ(知識階級)であるが、「私」=「作者」ではもちろん無い。読者は、与えられたことを受取るだけである。以下、しばらく心境の告白(しかもかなり理屈くさい)、あるいは眼に映るものの描写のようなもの(アパートの部屋の描写)が続くが、実際、全体を一度読んだ後、再び読むと、上手に書いてあることは分かる。情景が目に浮かぶようです。「あの女は洗いざらい自分のものを持って行ったわけではなかったから、」(p.10)などともある。また、先の冒頭文につづく二文目は「その発見したものが何であるか、私の過去であるか、私の生き方であるが、私の運命であるか、それは私には分からない。」とある。分からないんだったら書くな!と突っ込みたいが、過去:生き方:運命は、たぶん過去:現在:未来に対応しているのである。言葉は、てきとーに選ばれてはないのです。

      さらに三文目「ひょっとしたら私は物語を発見したのかもしれないが、物語というものは人がそれを書くことによってのみ完成するのだろう。」とある。「物語」は「書か」れなければ、完成しない……とはどういう意味なのか?これは必ずしも、本作中では明示されないが、すくなくとも「私」は、実際に「書い」ている。また、福永武彦は本作の前の長編『草の花』「書くことは定着させることだ!」とも作中序盤で主要登場人物(詩人)に言わせている。漠然とした感覚を浮遊させているだけではだめだ、という思いなのだろう。本作においては、「私」が自分を、第三者のように見つめている。「この部屋の内部に閉じこもっていると、ふと私が私ではなくなり、まったく別の第三者のように見え始めるのだ。そうすると私は「彼」の中に私の知らなかった別の人間を発見したような気になる。」

      「この部屋」には、具体性がある。(キューブに閉じこめられている、など)SFやおとぎ話ではなさそう。「私の部屋と言えるような言えないような、貧しいアパートの一室」、詳しい描写がつづくが、これはお手本のような的確な描写。そして、窓の下には「掘り割りのよどんだ水」があって、ツンといやな臭いがする。ドブ(以上の)臭い。日本の河川は、高度成長期には大いに汚れたが、70年代の公害訴訟以来、環境改善がされて今はずいぶん奇麗になっている(時代的な変化、しかし今や再び重大な公害をまき散らした!2011年に)。

      さらに、ここへ来る途中の文房具屋で買ってきた原稿用紙にこれを書いている。「私は何かを書こうと決心し、ここへ来る途中の文房具店でありあわせの原稿用紙を三帖ばかり買って来た。万年筆はパーカーで、これは私が社長室のマホガニイのテーブルの上で書類にチェックしたり小切手に署名したりする時に使うのと同じ万年筆だ。」(p.10)(具体性がある。架空の寓話ではない)。唐突な始まりにも拘わらず、じつはさりげなく、状況をわかりやすく、順序よく、過不足無く、説明してくれている。パーカーはアメリカ製高級万年筆である。「私」は社長室に、良い机に座っている。小切手に署名するのだから、社長本人である……。うまい……。なお、同じ万年筆、は a pen made by parkerでなく、the pen made by parkerであろう。同じ種類のでなく、同じそのもの(個物)。僕もきみと同じ三菱のハイユニを使っている(これは種類)。

      さて、この「私」の回想、執筆内容。話しはあちこちに飛んでいきます。

      [補足]『忘却の河』は、一見、糸が複雑に絡まり合ってこんがらがっているように見えるが、実際は、ほどけない結び目はひとつもなく、すべてつじつまが合っています。夢見がちな回想ののち気付くと不思議の国にいた!なんて展開には全くなっていない。もとの場にきちっと戻っています。先週、上手い!といったのは、まずこのことです。ただし、このへんは、上手に作りすぎてあるかもしれない。上手すぎるのは時に欠点となる。ほどけない結び目、つじつまの合わない部分は、推理小説でなら欠陥だが、現代文学においては肯定されもする。破綻はすこし在っても良いと私は思う。なぜなら、この現実世界じたいが、実は破綻しているから=つじつまが合っていないから(!?)。ちなみに福永武彦の最後の完成作になった『死の島』(1976年作品)では、こうしたほどけない結び目が、いくつかある。現実が1つに収まらない)

      なお、小説は、唐突に始まるのがよい。唐突でなく、丁寧な説明があるほうが良いのでは? ぜんぶあらかじめ説明しておくのは難しい。たとえば政治には丁寧な説明が必要(丁寧に議論していくと言う大臣は、実際はおよそ丁寧ではない)。しかし、小説は……。そして授業も、唐突に始まって良い(なかなかできない、丁寧に説明したくなる、してます)。5W1Hなどといって、明示的に分かりやすく書く方法が「国語」では推奨されているが、そして小中学生にはそういうのを教える必要はあるが、芸術においても、効率よいコミュニケーションにおいても、それは虚妄の説である。(When,Where,Who,What,Why,How → そんなうまく説明できるかっつーの)

      だた、過不足無く説明の要素をちりばめてはいます。 「私はここで一人きりだ。誰も私がここにいることを知らないし、妻や娘たちが知ったら、とんでもないパパだと一層信用をなくしてしまうだろう。会社の者たちが知ったら、無理もないことだ、それ位は当然だ、とかえって私に同情してくるかもしれない。」(p.11)家族関係など。

      突然の場面転換の最初(p.11)。社長室での秘書との会話が入る(現在―場面転換なのか、回想―過去なのか)。判別が難しいのは、耳で聞いているからという理由も、(半分だけ)ある。本文は次の様にあります。

      「私は一人きりで、たまにここに来て誰もそのことを知らないとおもうだけで、気持ちがほぐれて来るのだ。それは私の秘密といったものだろう。(改行)あら社長さん何かいいことでもあるんですか、と秘書が茶を運びながら私に言った。どうして。だって一人でわらっていらしたもの。」(p.11)会話文にカギカッコをつけていないが、読める。(ちなみに朗読では、わたしはそれっぽく朗読してしまっている)。

      ここには、「意識のアトランダム」がある。回想は、アトランダムに行われる。アトランダム(順不同)=非・シーケンシャル。"不意に思い出す" M・プルースト的なメソッド&テーマ。

      なお。耳で聞かせるのは、メディア的限界がある。実際、黙読を前提として書かれていることが、読み、聞いてみると、感じられると思う。 文字(さんしつとか)、句読点や改行、会話のカギ括弧がない。このテキスト(作品)にとって、黙読は対象をきわめてプレーンに浮かびあがらせるが、音読にはすでに解釈が入っている。抑揚、句読点の休止など。

      「きみのところの秘書はなかなかのユウブツじゃないか」→「尤物。美人」。
      「びーじー」→「BG、ビジネスガール、OLの古い言い方」。
      「のうかのさんしつ」→「農家の蚕室」。
      これらは、黙読の際には漢字で示されているので、意味が分からないということはないし、もし分からなくても、余り気にならないだろう。しかし、耳でのみ聞く場合は、ずいぶん不利であろう。

      ここまでのまとめ:唐突に始まり、場面転換するにしても、じつは(1)要素をじょうずにちりばめてあり=作者の上手さ、(2)読み方でも解釈して、分かりやすく読んで居り=朗読と黙読の違い、(3)最終的には、バラバラなもの(未規定なもの)は繋がっていく(規定作用)=二〇世紀小説の本質的特徴。バラバラなものとは、意識(知覚と記憶との混淆)である。

      このことを、具体的に詳しく述べていきます。

    4. 場面転換について(今回のメイン・テーマ) ― 小説とは何か?何を描くのか?(サブテーマ)―人称、視点

      小説とは、そもそも何を描くものか。西洋では、小説(ROMANCE、ロマンス)。中国では、論説という意味。日本では坪内逍遙『小説神髄』(明治20年)。いずれも、「詩」(韻文)に対する散文・俗語だが、おなじ散文でも「物語」が物語り・叙事という古代からの形式であるに対して、小説は基本的に近代以後の文学形式である。近代とは人間の時代である。「我思う故に我在り」(デカルト)に始まり「神は死んだ」(ニーチェ)で完成する、美術で言えば、線遠近法の成立(ものの大きさは、見る位置によって変わる。世界・対象の形を、私の目にどう見えたか描く)に始まり、印象派(光、色もつねに変化し続けており、私に見えた光、色を変化のままに描くのみ)で完成する。世界は、私に与えられている(世界とは、私に感じられた世界である)。

      ただ起こった出来事、ストーリーを書くだけなら、叙事(詩のパターン、叙事・叙情・叙景のうち)でなされてきた。小説の特質ではない。叙情はもっぱら詩の役割であり、物語ではなかった。日本の場合、江戸時代から小説が認められている。

      「私」の位置は、「人称」によって示される。「人称」に対する自覚を持つのが小説。対して、物語は無自覚のうちに三人称が選ばれている。「むかしむかし、おじいさんとおばあさんが、いました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました」。しかしこれが小説であれば、「私が宝車をひいているのは、鬼退治に行ったからであり、鬼退治で何かを発見したからである。その発見したものが、何かであるか、私の家来(犬猿キジ)、私の家族(爺と婆)であるか、私の胞衣(えな=桃)であるか。ひょっとしたら私は生まれるべき桃を発見したのかもしれないが……」などと。一人称で語りはじめれば『桃太郎』はもはや小説である。

      本作でも、人称は厳密に使い分けられている。一人称の「私」(父)と「わたし」(母)、三人称の「彼女」(二章、三章とでの使い分け)。

      近代は、世界を私に与えられた対象として捉えた時代である。ただし、現代はその近代の解体時期でもある。(いつからが現代かは議論が可能だが、少なくとも近代が完成したからはもうその解体は始まっていった。世界は、私に明確に与えられず、再び渾沌としていくプロセスが現代の諸相である。20世紀はほぼその現代だし、21世紀もテクノロジーはさらに進むが、まあその解体・展開のバリエーションではないか)

    5. 作品に描かれた出来事について―叙述の順序、つまり構成

      伝統的な小説は、物語と同じく、出来事が描かれている。ストーリーとも言う。ストーリー(語り、歴史)とプロット(企て、構成)の区別。 ☞ 実際に起こった時間順と、それが語られる順番とは、同じでなくとも全く構わない。同じ一つの試合でも、見方、語り方によってこんなにも違う。

      ▸ 例1)前半始まってすぐに先制されたが、30分にCKから同点に追いつき、後半選手を積極的に入れ替え、システムやポジションも変えた結果、2点連取。終了間際に1点返されたが、勝利。

      ▸例2)大変な試合だったが、後半はわれわれのペースが上手く作れた。立ち上がりは選手の距離感がまずく苦しかったし、終了間際の失点も不要だが、勝てたのは何にもましてよかった。3対2。(ほめている)

      ▸例3)結果的に勝ったことになっているが、内容的にはまったく我々のチームのサッカーではない。チームワークもなってなくて、まったく試合に入れていない。終了間際の失点もひどい。後半冒頭で連続得点できたのは、たまたまにすぎない。(けなしている)

      ☞ しかし『忘却の河』の構成の上手さは、たんに出来事の語る順序を変えた、というものではない。「意識」はそもそもアトランダム(連想)に流れる、というだけでさえない。おそらく世界の存在がランダムなのだ!この小説が持つ構成の巧みさは、その洞察によって実現されたものである。

      このことは、人に教えてもらうのでなく、自分で気付くのが楽しい、ベストであるが。(cf. 小学3年の時、お盆に遊びに来ていた親戚の叔父さんが、お盆の小遣いで買ったプラモデルを、親切心から作ってくれたときの悲しさ。ネタバレを否定する1つの根拠)

      ☞ このことを踏まえた上で、ストーリー、出来事を追ってみよう。 【梗概・一章前半】

      「私」はストーリーを語り出す。「それはまずこういうふうに始まったのである。夏の終りというよりも秋の初めで、今年はあまり大物の台風は来なかったが、それでも一晩大いに吹き荒れたことがある。朝になって風もやや収まり、この分なら学校もあるだろうと下の香代子を連れて、美佐子と女中とに見送られて表へ出た。」(p.16)

      会社の前に着き、車から降りたとき転びそうになり、向かいのビルの台風の雨に濡れた窓ガラスに「眼」を、無数の眼を見る。(p.17)

      社長室に着くまでの間に、戦時中のジャングルの軍隊の描写が入る。(p.18 徐々にこれは無関係の人物ではなく(パラレルワールドものSFでも、人格解離サイコサスペンスでもない、たんなる実験小説でもない)、社長である「私」の過去の出来事・体験であり、その回想であろう事がわかる。回想であることを明確に記しづけるために、会社のビルのエレベーターに乗り、(回想部分が語られ)、エレベーターを出る、と続ける。じつに上手い。窓ガラスの眼、戦友の眼のイメージ(図像・映像)の交差!罪はあがなえるのか(身代金を払えば…… p.24)。そして、また原稿用紙に書いている「私」に戻る。寝たきりの妻のことを思い返したりしている。

      書かれている時間は、出社後、社長室に入った時にきちんと戻る。そして、「昨晩の女」のことを思いだし、会社が終わって、病院に行く。ただし、さらに次の様につづく。

      「しかし私はこうしたものを書くのに不馴れだから、どうも途中から始めてしまった。やはり一番初めから書くのが自然だろう。前の晩、つまり台風が大いに吹き荒れていたその晩にこの偶然が起こった。それが本当の始まりだった。」(p.26)

      ☞ 初めて書いたにしては、すでに見たようにこの社長は上手すぎる、しゃあしゃあといまさら「やはり一番初めから」とか抜かしています。このストーリー(語られた順)を、プロット(本来の出来事の時間順)にもう一度まとめ直すと、次の様になる。

      台風の夜、帰宅途中の「私」は、道ばたに倒れている若い女を見つけ、タクシーを拾いアパートに送り届けるが、さらには一人住まいであり容態も悪そうで、公衆電話から救急車を呼んで病院に運んであげる。(自分は病院からハイヤーで帰宅する。また、タクシーに渡した「千円札を一枚」「つりはいらない」は今で言えば、五千円か一万円札くらいだろう。)

      道ばたで見つけたとき、女の顔を見て「鈍痛」(p.27 l.2)を感じる。アパートに送り届け、「帰らないで」と言われ、そこでも回想が始まる(p.31 l.8 農家の蚕室での看護婦との逢引きシーン。「わたし、あなたが行ってしまったら、きっと死ぬわ、と彼女は言った。きっと死ぬわ。」(p.32 l.7)。この挿入も美しい……、というか官能的。

      因みに、この繰り返された「きっと死ぬわ」の部分、この書き方を自由間接話法と言います。直接話法(カギ括弧でくくられて、会話内容がそのまま示される)、間接話法(カギ括弧を使わず、会話内容を三人称に直して書かれる)に対して、会話内容がカギ括弧でくくられず、そのまま地の文に示される。

      直接話法:「お願いです、私を信じて下さい」と彼は人々に涙ながらに訴えた。
      間接話法:お願いですから自分を信じてほしいと彼は人々に涙ながらに訴えた。
      自由間接話法:お願いです、私を信じて下さい。彼は人々に涙ながらに訴えた。

      自由間接話法は、『忘却の河』では、そもそもカギ括弧が全く無いせいもあって、全編に多用されています。が、わかりにくさはほとんど無い(ですよね?バラバラにならず、繋がって読める)

      自由間接話法は、世界が明確に私に与えられているわけではない、重層的な状態を表わしているであろう。視点が、一人称と三人称との間で浮動する。アトランダムな回想と合わせて、現代小説の形式である。

      アパートから救急車を呼びに、公衆電話をかけにいく(p.34〜)。この間にも、引き続き、回想が挿入されている。妻のことを回想し、女(看護師)のことを回想する。救急車が来て、入院させる。

      翌日の晴天、出社時に、向かいのビルの濡れた窓ガラスに「眼」を見出だす。

      (p.39 l.7)女の入院先をたずね、戦後に死んだ戦友の実家を山陰地方にたずねた「友達」の話をしてやる(p.40 l.9)。 女は寝てしまったので、部屋を出て、事務室で容態を聞くと事務員は「ああこの人は流産しました。若いから直に癒ります」と言う(p.46 l.9 個人情報 😣)。「私」は煙草を何本か吸って病院を去る(p.49 l.13)。(自分の生きている罪の感覚)

      (p.49 l.1f)三日後、女の入院先で、女に友達の話とは叔父さんのことだよねと言われる。叔父さんはさびしい人だから、優しくしてくれる、とも言われる。みやげのマスカットを食べ、自分も若い頃、病室でミカンを食べたことを回想している。退院にむけて、病院代も渡す。

      数日後、退院した女のアパートを訪ねる。アパートには川が流れており、幼少期に恐怖を感じた「胞衣(えな)の流れてくる川」を思いだす。……生まれなかったかもしれない自分。「間引きぞこない」。また、女は、日本海を望む自分の田舎が嫌いで、ある映画のロケにきていた俳優(スター)に誘われ、そのまま家出してきた、と言う。ただし俳優は最近自分に会ってくれない、とこぼす。「私」は同時に、若い頃、学生時代に左翼運動に身を投じ、検挙されかけたが、結核となり、釈放されて療養所に入る。投げやりな気持ちでいたところに、看護婦と知り合って生き生きと回復していく、その頃の楽しい記憶を思い出している。今の若い女と、昔の看護婦と、そっくりではないが、すこしばかり似ているのである。イメージが重なっている。女は私はあなたが好きだ、と言う。

      ☞ このへんも、一章のまとめとして、来週へつづきます。 【梗概・一章後半】へ

    6. 課題(提出物)のポイント(3つ)

      ▸ 導入について。唐突な始まりから、どのようにして徐々に開けていくのか。

      ▸ 場面転換について。バラバラ(?)な要素(対象、視点)について(それはどう構成されているか、読むことで構成するのか。映像的な書き方。現在の知覚と過去の記憶との交差・交配、視点の交錯)。

      ▸ その他、あなたが感じたこと。それと、参考までに、どこまで読んだか、聞いたか、教えて下さい。

      なお、 美しい表現力、描かれたテーマ、人物像については、来週のお話とします。来週は一章の終りまでを対象とします。読んで(聞いて)おいてください。はい、質問はありますか?

      提出は、グーグルクラスルームから。「ドキュメント」で提出して下さい。皆さんの感想は、読んで楽しいです。私の返事も、ちょっとだけですが書いてあります。 クラスコード「n7ldd4v」。事務局からの招待はすこし時間が掛かります。みなさん自分で入ってきて下さい。


  • 第3回 一章 忘却の河[私]小石のこと―贖罪・救済について
  • [NEXT][TOP][LAST](2024-05-07)

    1. 先週のと、今回のと、あらすじ

      ……って、前回はそもそも二〇世紀小説は「あらすじ」ではないという話をしたのです。「あらすじ」とはふつう、「起こった客観的な出来事」を意味しますが、二〇世紀小説は「現在の知覚(対象は現在起こっている出来事の、主観的な提示)」と「過去の記憶(対象は、内面化された過去の出来事、または未来の想像)」との混淆(まざりあい)であると前回言いました。ビルの窓が「眼」に見え、同時に戦時中に死んだ戦友の眼を思いだす。また、助けた女の顔を見て、無理に忘れてきた若い頃の看護婦との悲恋(?)を思いだす。知覚と想起の混淆という、意識の記述が小説の本体であり、すじは二次的な派生物である。

      しかも本作『忘却の河』の場合、この一章では、ほんとうの現在はいま原稿用紙を前にこれを書いている現在であって、知覚すなわち書かれた現在は既に起こった過去の出来事(記憶)ですから、もはや順番・構成は自由自在です。つまり、台風の翌日向かいのビルに「眼」を見た話を先に書き、ついで前日の台風の晩に若い病気の女を助け病院に運んだ話を後に書くことができた。つまり「起こった客観的な出来事」(プロット)は「物語上の展開順序」(ストーリー)として組み立て直される、これが意識を描き時間を自由にあやつる二〇世紀小説の形式的特徴です。

      なお、『忘却の河』は、現在と過去とでいりくんだ時間が描かれつつも完全につじつまはあっており、対象たる客観は一つに収束します。この点では、あり得ない現実に収束するタイムパラドクスもの、現実が一つに収束しない福永の最高傑作『死の島』パラレルワールドもの、近年流行のリープもの、などとは違う。『忘却の河』は不明瞭なスタートから、徐々に霧が晴れるように、闇が明けるように、明瞭なぜんたいが判明していくが、その開ける順序は一見混乱しているようでいて、じっさいは計算しつくされている。……というような話(形式の話)を前回しました。今回は、内容の話をしましょう。この「私」(社長、父)の話です。

    2. あらすじ(梗概)

      【梗概・一章前半】(第2回講義で語りました)

      【梗概・一章後半】

      「私はそのあと幾回かその女のアパートへ通ったが、振り返ってみるとそれが夢であったのか現であったのか定かではないような気がする」。(p.64 l.7 以下、引用ではすこし漢字を減らしています)。窓の下の「その川は澱んだまま流れず、次第に水の腐っていく掘割であることが私には分った。」また、その女は映画スターである彼のこともすきだが、やさしい小父さんも好きよ、という。「私」は同時に若い頃の、療養所での看護婦との逢引きを思い出している。看護婦もまた、私を好きになって、ほんとうに、ほんとうに、と言っていた(p.67 l.5)。

      ☞ 看護婦と逢引きをかさねる「農家のはなれ」の「蚕室(さんしつ)」の「天窓をもれてくる光線」の比喩的展開が素晴らしい(テクニック弄しすぎかも p.67 l.1f)。「彼もまたその時真実彼女を愛していて、この瞬間に死ぬことができたならどんなにか幸福だろうと考えていたのだ。ただ、彼女を抱いていることが、自分が今もなお生きていることの証拠ではあるまいか、その生き残っていることの後ろめたさが欲望にまじっている故にこの経験がたとえようもない快楽として感じられているのではないか、という自覚が、徐々に、官能がまだ全身をけだるく包んでいるにも拘らず、極めて徐々に、彼の頭脳の中に忍び入って、この夢のようなうつつのような境界に、天窓から細かい塵の浮遊しているのを照らし出しながら漏れてくる一筋の光線のように、射し込んだ。」快楽を思考が破る比喩として。

      備考:「蚕室」/生糸は戦前の日本の重要な輸出品であった。いわゆる軽工業だが、産業革命が繊維産業から始まったように、繊維産業は工業の中心であった。また、蚕の改良は江戸時代から行われており、幕末に開国した際、すぐに世界最高品質であると認定された。ただし、その背後には女工等の搾取がある。『ああ野麦峠』参照。

      ☞ 以下、原文は現在と記憶とが絶妙に交差して書かれています。絶妙・神妙です!

      「彼」は、大学時代に左翼運動に関わり逮捕された。治安維持法により、自由な思想・政治活動が出来ない時代である。転向(マルクス主義を捨てる)すれば釈放されるが、それは仲間と自分への裏切りである。「私」は結核になったために釈放され、また養父がそうとうの官吏(公務員・政府の役人)であったことも恐らくは幸いして、療養所へ入れられたのである。

      「彼」は療養所で、看護婦の熱心な看病や彼女との愛情によって生きる希望を再び見出だす、結核も治る。

      或る日、アパートにいくと、映画スターの彼と一緒に住むことになった、と女の書き置きがある(p.70 l.7)。水盤にいけた花が枯れている。そこに「眼」を見る。「私」は、その後、このアパートを借り続けることにした。(そして今、この部屋でこうして原稿用紙に書いているわけだ)。

      p.70 l.4f「部屋の片隅に楕円形の水盤があり、しおれた菊がいけたなりになっていた。それは私が、この部屋があまりに殺風景なので花と水盤とを買ってきて、自分の手でいけたものだ。女はそばで見ながら、小父さんて器用なのね、と言った。私は水盤ごとかかえあげて入り口の流しへ捨てに行った。そしてしおれた花を剣山からはずした。水盤の中にはすこし蒼味を帯びた水がゆらゆらと揺れていた。私はその暗い入り口の流しの上に、真っ白い楕円形の水盤が、水を湛えて、眼のように、私を見つめているのを見ていた。それは涙を含んだ眼のように私を見た。そして私はその時、夏の終りの台風の来た翌朝、私が舗道で見た濡れたビルの窓々の眼を思い出した。それがこの物語の初めだった。そしてそれが初めであるように、この水盤の眼が私に語りかけるものが終りであるに違いない、と。……お前は忘れているのか、忘れたままで生きていることが出来るのか、とビルの窓々の眼は私に語った。この水盤の眼は何を語っていただろうか。死者がそれによって語りかけるもの、そして生者がそれによって思い出すものは。私が思い出していたのは、去っていった女のことではない。もっと遠くの、もっと昔の、もっと実体もない陰となった愛する者たちの面影だった。」(p.70 l.4f〜 p.71 l.4f)

      ☞ この文章的な美しさを、映像的な美しさとして作り替えることは可能だろうと思う。水を美しい映像にするのは、案外しやすいし。

      だれにも話した事のない、看護婦との思い出を、「彼」は、ジャングルの洞窟で戦友に語る。p.72 l.9

      「彼」は看護婦と愛し合い、逢引きを重ね、結婚の約束をして、東京に帰った。しかし、(養父母である)両親に話しそびれているうちに、縁談話を決められて、慌てて看護婦のことを言うが、両親とも納得してくれない。はては結婚を受入れることにし、看護婦の彼女におわびの手紙を書くが、返事はこない。「彼」は思いあまって結婚式の一週間前に療養所に行くと、彼女はもう退職しているという。その足で彼女の実家のある「日本海」の町へ行き、家を訪ねると、母親らしき人から、「娘は身ごもったことを恥じて、断崖から海へ身を投げて自殺した」と言われた(p.75 l.7)。本文は次のとおりである。

      「己は療養所から見違えるほどの丈夫な身体になって東京の家へ帰った。しかしいざ親たちに受け明ける段になると、なかなか決心がつかないものだ。すぐにというわけにはいかなかった。そのうちに父親のほうからいい縁談があると言って己に持ちかけた。己はびっくりし、そこで言い交わした娘のことを話した。もし己にもっと勇気があり、もっと早くその話をしていたなら、親父だって考えてみてくれたかもしれない。しかしそれは遅すぎた。父親はこの縁談は断るわけにはいかないし、そんな看護婦なんかをうちの嫁にもらうことは出来ないと言った。己たちは親子げんかをし、おふくろが仲裁にはいったが己の味方というわけではなかった。」(p.73 l.5f〜 p.74 l.3)

      「己の訪ねて行った家に、その娘はいなかった。母親らしい婦人がきっと己をにらんで、娘は身ごもったのを恥じて、身を投げて死んだと言った。
      彼はそして黙った。それ以上言うべきこともなかった。洞窟の奥から見ると、狭い入り口の外には眩しいほどの太陽の光線が充ちあふれて、二人のいる場所の地獄のような暗さを一際濃くしていた。彼はそのとき思い出していた。あの農家の離れの天窓から漏れてくる塵の舞っていた一筋の光を。
      可哀そうに、と戦友がつぶやいた。
      その一言が彼の意識をふと現実に戻した。可愛そうに、と、それは娘を指して言われたのだろうか。それとも彼を指して言われたのだろうか。眼が暗闇に馴れると、彼は戦友の落ちくぼんだ眼に涙が浮かんでいるのを認めた。それは外界の光明をかすかに反射してきらりと光った。それなのに彼の眼は乾いていた。彼のながすべき涙の泉はすでにかれて、この昔話がひとしずくの涙を彼によみがえらせることもなかった。そして彼は驚いたように、この友達の眼に浮かんだ尊いしずくを見つめていたのだ。
      今も私の眼は乾いていた。私は水盤の水を流しへ捨て、また六畳間のほうへ戻り、ちゃぶ台の前の赤い座布団にどっかりとすわった。部屋の中はうそ寒く、隣のラジオが薄い壁を通して甲高く響いていた。」(p.75 l.8〜p.76 l.6)

      看護婦の彼女が、彼に、自分の田舎の貧しい風景を語ってくれたことがあった。日本海に面した狭い土地で、段々畑があり、断崖があり、浜辺に洞窟がある。賽の河原と呼ばれ、地蔵がまつってある、等々。

      一人になったアパートで、こんなことを考えている「私」。そして、こうとも言う。「清純なままに死んでいくのがいいのか、汚辱にまみれても生きていくのがいいのか、わたしは道学先生ではないから答えることができない。」道学=朱子学のこと、戦前の儒教道徳のことをバカにした言い方。

      ある冬を間近にひかえた日曜日(p.81 l.8)、「私」はこの部屋に来て、家から持ってきた石を、掘割りに投げる。それは、彼女が死んだ断崖、賽の河原から形見として拾ってきた石であった。(一章 終り)

      「私は立ち上がり、着てきたオーバーのポケットを探って小さな石を一つ取り出した。それは私が賽の河原から拾ってきて、今まで大切に保存してきたものだ。妻はおそらく気がついたこともなかっただろうが、それは私にとって、彼女と彼女の生むべきはずだった子供との唯一の形見だった。その小さな石には、私が忘れようと思い、忘れてならないと思い、しかも私がもう何年も、いや何十年も、忘れたままになっていた無量の想いが籠められていた。その石は私の罪であり、私の恥であり、失われた私の誠意であり、みじめな私の生のしるしだった。石は冷たく、日本海の潮の響きを、返らない後悔のようにその中に隠していた。
      私は再び窓へ行き、その石をじっと掌の中であたためてから、下の掘割の中へ投げた。ゆるやかな波紋が、そこに浮かんでいるがらくたを、近いものは大きく、遠いものはかすかに揺るがせながら、しかし、いつのまにかその輪を広げて、頓て消えていった。」
      (p.85 l.1〜l.2)

    3. 学生運動、戦前の政治思想について

      自由主義(リベラリズム、民主主義、資本主義)、マルクス主義(社会主義・共産主義、革命、国際主義)、国粋主義(ナショナリズム・民族主義)の三つどもえ。自由主義は大正デモクラシーの主体だが、思想信条の自由と経済活動の自由(格差の拡大、不景気や恐慌)とがセットになっている。マルクス主義(左翼思想)は、社会主義革命をへて平等や平和を実現する二〇世紀の希望であったが、その分、激しく弾圧された。戦前はナチズムと共存し(独ソ不可侵条約)、戦後は権威主義的国家となった。国粋主義(右翼思想)は天皇主義・軍国主義・帝国主義を背景にファシズム(全体主義、国家社会主義)に進む。なお一般に第二次世界大戦は、連合国=デモクラシーVS枢軸国=ファシズムの戦いと言われたが、本質的には、先進帝国主義VS後進帝国主義の(つまり資本主義国家同士の)戦いとも考えられている。

      ちなみに、戦後は東西冷戦が続き、西側の資本主義VS東側の社会主義。しかし、1989〜91のベルリンの壁崩壊、ソ連邦解体など西側の勝利、歴史の終焉。しかし、1970年代以降の新自由主義の蔓延。先進国内での格差の拡大。他方、南北問題からグローバル・サウスの台頭。

    4. 病気について

      結核は当時、不治の病である。戦後、特効薬ペニシリン=抗生物質が発明され治癒が容易になったが、それ以前は危険な外科手術をするか、あるいはともかく安静にして自然治癒力にゆだねるかしかなかった。最も恐ろしい病気であった。癌(ガン)などは?もちろんあったが、平均寿命が短いということは、癌をわずらうまえに人は死んでいったということである。

    5. かつてセンター試験に出題されたことがある。

      http://cgi.tky.3web.ne.jp/~toyokura/cgi-bin/vote3.cgi ※選択肢は平成5年のセンター試験の追試問題そのままです。 『忘却の河』第一章の終わりで「私」が堀割の中へ石を投げたのはどうしてだったと思いますか?

      (1)かつて自分の子を宿した女性を死に追いやったことに激しい悔恨を覚えている「私」は、生まれるはずであった子どもの唯一の形見である「小さな石」を掌で暖めてから堀割に投げ込むことで、そこに深い鎮魂の思いを託しているのである。

      (2)自身の過去を振り返る時、犯してきた様々の罪のみが思い返される「私」は、それら幾つもの罪の証である「小さな石」を堀割に投げ入れることによって、そうした過去の一切から目をそむけ、新たな心で生き直そうと決心しているのである。

      (3)これまで数々の死に立ち会ってきた「私」にとり、「小さな石」とはそれら死んでいった人々への自己の不実さを常に突き付けるものであったが、それを堀割の底に沈めることで、「私」は自責の念を心の深部に抱き続けようと決意しているのである。

      (4)「私」にとって過去とは多くの人々との死別や生別を意味するものであり、「小さな石」はそうした惨めな生のしるしに外ならなかったが、それを堀割に投げ放つことのうちに、「私」は幸福な人生の新たな始まりを予感しているのである。

      (5)深い罪の意識の中で過去につきまとわれている「私」にとって、「小さな石」とはそのような過去を象徴するものであり、それを堀割に投げ捨てることに、「私」はそうした過去に対する拘泥から解き放たれることへの願いをこめているのである。

      ☞ 正答が作れないのなら、出題するな!どれもみんな、帯に短し襷に長し。出題委員的には(3)だろうが、浅い。単純な倫理的正しさに依拠した浅い読みである。まず「私」に、新たな決心みたいな主体的な意志はないと思いますよ。また、沈んでいくことは忘却の本質であるのだから、忘却が「深部に抱き続ける」ことになる理由は、不明である。(5)は、三分の一くらい正しい。「過去に対する拘泥から解き放たれたい」とは、もともとの願望である。それが無理であることも、もう重々知っている(かといって、3「深部に抱き続けようと決意」はポジティブすぎるアホ)。それと、「過去につきまとわれている」「象徴」もウソ(似た言葉は使っている)。なぜなら、これまで忘れていたのだから。この点はで、(3)のほうが正しい。

      文学に「正答」はありませんが、有効な読み・読解はあり得ます。有効な読みは、一章だけでは完結しません。

      2019年から、センター試験が共通テストに変りました。高校の国語も変更が予定されている(古文の縮小や、論理国語と文学国語を分けるなど。2025年度からの「実用文」)が、この国は大丈夫か? 高校生を終えたみなさんも、そのつもりで生きて行ってほしい。文学主義=主情主義は私も実は嫌いだが、論理国語はマニュアルや法律、定款を読む能力ではない。あと、詰め込むべき知識も教えないといけない、と思います。知識無き思考力など無力です。

      第一章の内容的な面に関して、メモを残すべく、感想を書いて下さい。未来の自分への手紙として。あるいは、過去の自己を「彼」として描き出す「私」について。その形式を選ばざるを得なかった出来事=内容について。自己を客観視しているというよりはむしろ解離している自己。


  • 第4回 一章 まとめ1(現在と過去の総合)、まとめ2(メディア的救済)
  • [NEXT][TOP][LAST](2024-05-13)

  • 一章に描かれたモチーフ(まとめ)

    河のイメージ

    • ◎「私」が幼少期に恐れた、えな(胞衣。胎盤、プラセンタ)の、そして新しい生命の、流れてくる河
    • ・「私」が助けた女のアパートの前の、濁った掘割。

      水(湿)のイメージ、光(乾)のイメージ、共通する「眼」。あざやか!

    生まれる前に断たれた命

    • ◎「私」が愛し、約束を守れず、身ごもったまま自殺した看護婦。
    • ○「私」と妻との、最初の子ども(清ちゃん、抱影童子)。
    • ○「私」が助けた女の流産した赤子
    • △生まれなかったかも知れない、間引きぞこないの「私」

    「私」が助けた女のイメージ

    • 私が愛した看護婦に似ていた。特に目。果物。寂しい日本海。「死んでもいい」。
    • 流産していた
    • アパートの前に、掘割(河)がある。

    眼(台風の後のビルのガラス、若い女の眼、戦友の眼、水盤の眼)

    • 想起のきっかけ。忘れようと努めていたこと、しかし忘れられないこと。お前を見ているよ。
    • 二つの告白(「私」が病気の若い女へ、「彼」が戦友へ)
    • イメージを複層化するもの(繋げるもの)。反復的なイメージ(心象=図像)。

    罪の意識・後悔の原因、状態

    • ◎胞衣の流れてくる河への恐れ→ 生まれないことへの恐れ(死への断絶)
    • 大学時代の、左翼運動の挫折。仲間への裏切り。
    • 看護婦との出合い(もう一度生きよう)。しかし、自身の優柔不断と看護婦の死。
    • 結婚(再婚)、最初の死。

      生きることの失敗、しかし、生まれてこなかったことへの根源的な恐怖(死ぬことも出来ない)。あらかじめ断たれた、生および死

      現実における罪・後悔。しかし、別の可能性をも否定されている。

      いわゆる「ゲス」、非人道的、反倫理的。ひどいやつ。炎上?ネット叩き?の対象。人間の原罪か、個人の資質か。あるいは、個人の資質の問題を、原罪にすり替えていないか。ともかくひどいやつ。看護婦も可愛そうすぎ(これではヒットしない)。

      許してくれる人がいない。私秘性。この一連の事件の真相は自分しか知らない。世間に知れれば反省するしかないが、そうではないからしらばっくれることもできる。近代的自我。

  • まとめ……唐突な導入、場面転換について

    テクノロジーの進化によって、人間の身体的機能じたいが、進化する。

    映画には、「モンタージュ」というのがある(フランス語で構成・組み立ての意味。英語だとカッティング)。ベラ・バラージュ『視覚的人間』(岩波文庫、原著1924年)は映画の黎明期に書かれた映画理論書・基本的名著だが、映画によって、それまでになかった視覚体験が人間の新たな能力になっていく、という著書で、映画の手法「クロースアップ」や「モンタージュ」などの効果が説かれている。

    (新たなテクノロジーが、それまでの人間の身体的限界を超えて、人間を新たな生物に変容させる。石器、鉄器、紙、印刷、上記機関、自動車、電気、電信電話、写真、コンピュータ、youtube、など。)

    そもそも、人は常に、現在の知覚と、過去の想起とを、同時に意識に置いて/流れて、生きている。これを小説にしているのが『忘却の河』であった(二〇世紀小説)。知覚と想起とは、さほど無理なく、われわれの中で、区別され、繋げられている。唐突でややこしそうだが、さほど無理なく、場面は繋がっていた。

    場面が繋がらない未規定性世界はバラバラで、区別がなされず、連続状態にある物質(無時間)現実界(物質・もの)
    場面は繋がっている規定性現前(presentation、知覚像)知覚(現在)
    再現前(re-presantation、表象 image)図像記憶(過去)想像界(精神・こころ)
    想像(未来)
    言語概念(無時間)象徴界(意味)=物語

    知覚は物質のハタラキに還元しうるが(知覚は単に精神作用だけでなく、物質の作用反作用、酸化還元、有機合成、生命の代謝なども知覚と見なすことができるが)、記憶は物質のハタラキに還元(説明)できない(物質の持続で説明できるかな。物質の記憶とか言う作家もけっこういますね)。一応出来ないとして、ベルクソンは知覚に物質(身)を、記憶に精神(心)を対応させた。近代の心身二元論(物質精神)を、どう調停するかが、哲学的問題だが、これに対するその文学からの回答が、本作である。

    繋げるとは、ただ接着させ、混淆させることではない。むしろ、区別して並べることである。

    お わ れ て み た の は い つ の ひ か じ ゅ う ご で ね え や は よ め に ゆ き お さ と の た よ り も た へ は て た と ま っ て い る よ さ お の さ き

    なお、三木露風「赤とんぼ」も、現在の知覚過去の想起との同時性によって実現された詩である。

    夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か
    山の小陰の桑の実を小籠に積んだは幻か
    十五でねえやは嫁に行き お里の便りも絶え果てた
    夕焼け小焼けの赤とんぼ 止まっているよ棹の先

    下手に組み立てると、わやくちゃな作品になってしまう。どう並べるかは、やはり腕の見せ所である。

    唐突な始まり、場面転換があっても、案外繋がる、分かるのは、なぜか?読み手・聞き手が、想像力で補うからか。一般にはそう考えられるが、意識(精神)はもとより、世界(物質)までもが、そもそも、そういうもの・そういう関係(アトランダムな連想関係)にあるからである。

    メディア的救済―小説として

    メディア的救済―映画またはTVドラマとして

    小石を投げる

    些細な問い

    根源的な問い

    このひどいやつの話、しかしまだほんの一面が示されたにすぎません。引き続き次章をお楽しみに。今回の課題は、「私」のやったことについて、掘り下げてみて下さい。ストーリーをしっかり読んで、全体を把握しておいてください。


  • 第5回 二章 煙塵[美佐子]忘れられた記憶、香水について―共感を媒介する物質性
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    ▸ 時間が余れば、二章に入っておきましょう。

    1. 復習

      ▸ 一章はどうでしたか。 一番最初に「一章は面白くない」と言い過ぎたかな。「さっぱりわかりません。」「ぜんぜんおもしろくありません」「小説は読み慣れていません」などと書いてきた人は、ほぼいなかったですね。

      緊密な構成でできている点については、みなさん理解してくれたようです。二章以降、さらに驚きは増えていきますよ(今日もお話していきます)。登場人物の言動の倫理的な面に関して、一つは、まず自分のこと、自分の友達のことのように、実在の人物のように本気で考えるというのが小説の楽しみの一つですから、「彼」はゲス野郎だ!と考えるのは、きわめて妥当だと思います。私もまったく同感です。逆に、「人間らしい」という意見の人もいます。他方で、フィクションは、現実を読み解き見破るリテラシー(言語活用能力)を養うものであり(菅聡子さん)、またじっさいこれまでの人間の行動パターンは、それほど多くはなく、世界というものはすでに誰かが言い行った事柄からしかできていない。だから、登場人物がゲスであることは、自分の代わりであり、有り難いことでもある(感謝?)。

      もう一つ、メディア的救済と言いました。つまり真面目に考えるとあまりに悲劇で、酷い話で、救いようがないが、小説として考えると明らかにこれは森鴎外『舞姫』の酷さが意識されていますよね。パクリ? 盗作・剽窃は基本やってはイケナイ。でも日本には本歌取りという伝統もある。

      春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるゝ横雲の空(新古今和歌集38 藤原定家)
      風ふけば峰にわかるゝ白雲のたえてつれなき君が心か(古今和歌集601 壬生忠峯)

      言語使用は伝統のうちにある(権威・オーソリティ、正統性・レジティマシー)、これを誇るありかたが本歌取りで、個人の創意(オジリナリティ)を誇るのではない。個人の自由=孤独に基礎を置く近代以降(我思う故に我在り以来、神は死んだ以来)は、オリジナリティが重視されます。オマージュ、パスティーシュ、パロディなどという外国語での、伝統に連なろうとするあり方もあります。日本語文脈では、「もじり」とか「やつし」とか言います 。一章を『舞姫』を意識したものとして、近代小説の伝統において考えると、近代の立身出世、残酷性、孤独などの「物語」を一つのパターンとして考えることができるかと思います。

      ▸ また、「清純なままに死んでいくのがいいのか、汚辱にまみれても生きていくのがいいのか、わたしは道学先生ではないから答えることができない。」ともありましたが、夏目漱石の『こころ』などは、状況がこの一章とは別、逆ですが、ある種の清純さを生きようとした悲劇、死による清純性の回復、とも考えられますね。同じ問題を共有しているのでしょう。

    2. 二章 煙塵(えんじん)全体のストーリー

      「彼女」は伊能(いのう)とわかれて、バスに乗る。「病気の母と閉じこもっていることが多い彼女」は、「空が青かった」と思いながら、「どこかへ行きたい」と思っている(p.89 l.3)。そして、幼い頃の田舎道の春ののどかな懐かしい風景を思い出してもいる。しかし、この思い出は、その母親に言わせれば、そんなはずはない、田舎へ疎開したときもうお前は小学校に上がる頃だったろう、と言われるのであった(p.90 l.1)。母親は、彼女の記憶を強く打ち消す。

      土曜日の夕方のバスは、だんだん込んできた(p.90 l.2f)。伊能と見た映画も特に見たいものでなかったし、伊能のことじたい興味はなかった。そして、これから食事かというタイミングで、「彼女」は伊能に、お母さんが一人で可哀想だから帰る、と言った。伊能は、「美佐子さんはいつでもお母さんだな。それじゃ、お嫁に行けませんよ」と言う。彼女は「ええ」と答えた。伊能は、「美佐子さんは他に好きな人でもいるのですか」と言うが、彼女は「いいえ」と打ち消した(p.92 l.8)。

      彼女は、バスの中で老婆に席を譲るさい、周りの視線を強く感じていた。(老婆に対しては、「ここにおかけなさい」などと案外えらそうな口を利いている)。

      ☞ 二章は、これが一章とどうつながっているのかまったく説明も前置きも無く、始まる。この始まりもまた、うまい。繋がるということは、接触していることを意味しない。離れて繋がるという関係もある。ただし、この段階で、「彼女」を美佐子だ!社長の長女だ!と決めつけるのは即断、早合点というものでしょう。現段階では、全く別の話、あるいはパラレルワールド的な関係、など様々な余地を残している。しかし、果たして、一章と完全に一致する世界が、二章で展開されていきます。(ひかくてき常識的な世界か。徹底的な三人称世界=唯一の「彼女」)

      家の者(お手伝いさん、母親)は、彼女の早い帰宅に驚く。「この次はと聞かれて、「ええ、この次は」と答えただけよ。」「わたし、あんな人と一緒にごはんをたべるのは、いやだわ」(p.95 l.1)

      お父さんは出張だし、香代子は土曜日といえばいつも遅いし、私がはやく帰ってあげなければ、と彼女は言う。いつもならすぐほだされる母親も、しかし、けげんそう。彼女と伊能との付き合いは、お見合いとして始まったもので、父親も母親も、「彼女」の将来(結婚)のことを心配してくれている。しかし、寝たきりの母親の面倒をみているのは、「彼女」であり、母親もまた「彼女」の世話しか受け付けないのだから、結婚してお嫁にいけるはずもない。母親も父親も、私のことなどほんとうは気に掛けていないのだ、と彼女は考え、いらいらする。家族などというものはこうした「欺瞞(ぎまん)」の上になりたっているのだ、と思う。

      ひがみっぽく愚痴を言う母親を見て、私はこの母親の娘なのだ、と思い、ぼんやり自分のことしか考えていない父親を見ては、私はこの父親の娘なのだ、と思う。そして、家族なんて欺瞞だ!みんな欺瞞の上になりたっているんだ!と考えている。伊能との見合い話が進み、結婚したりすれば、一番こまるのは母親なのに、進めるふりをする。父親もまた、世間体しか考えていない。

      美佐子は、一人で遅い夕食を食べながら、一日を振り返り、そして、(予約ドタキャンされて)伊能さんは怒っているだろう、と思うと「少しおかしかった。」(p.97 l.9)☞ (えーっ!嗜虐的?)

      そして美佐子は、別の人のことを、三木先生のことを思い出していた。美術評論家で、高校の美術部で講演会に呼んだことがあった(p.97 l.6f)。 美佐子は展覧会の人混みやがらんとした画廊で絵を見るのが好きだった。画廊の署名簿に、三木の名前を発見する喜び。三木から展覧会の案内葉書などを送ってもらうようになり、そこには小さく日付と時間とが書いてあった。美佐子にはその時間にいける時と、行けない時とがあった。

      実は数日前、そういう風にして会い、展覧会後、三木と喫茶店でお茶を飲んでおり、見合いをしているという話をしていた。「君はその人に気があるの」という三木に、「いやな先生!お見合いなんて娘たるものの義務ですわ。」と言っていたのである。話はそれていき、三木はぼくたちはみな不可能なことで埋まっているんだ、と言う。

      ☞ 二章も一章と同じように、現在進行形の物語と、過去の時間とが、交じって構成されている。が、全体が一人称でまとめられている一章では、それが現在の知覚と過去の想起との混淆であるのに対して、

      三人称で書かれた二章は、時間の上手い構成というに、とどまっている(か)。美佐子にとっては、一章の「私=彼」ほどの、対立(現在と過去の対立)は存在していない(か)。

      鈴が鳴っていた(p.100 l.2 現実に戻る)。寝たきりの母親はテレビを見ている。テレビは、子供の童歌を流していた。「蝙蝠こっこ、えんしょうこ。おらがの屋敷へ巣つくれ」という童歌、子守唄を思い出す(p.101 l.5)。疎開の時か、別の時か、小さい頃に見たはずの風景とともに、思い出された。母親は、この歌を知らない。「赤いまんまにととかけて」という歌の節も。この記憶は……?(p.102 l.10)

      ☞失われた、はっきりしない記憶。一章での、意志的に忘れられた、しかし忘れようとしても忘れられない、付きまとって離れない記憶、とは性格の異なるもの(か)。

      お母さんが寝たきりになったので、私は大学にも行かず、結婚もせずにいる。三木先生は私をなぐさめるために、不可能な状況に苦しむんだ、と言ってくれたのであろうと思う。 そう語る三木の顔や手、爪を見て、美佐子は、小さな爪切りを先生にあげよう、と思う。(p.104 l.9)

      ☞こういう、ぜんぜん本筋と関係の無い意識が記される。これは現在の知覚と過去の記憶の対比ではない、現在の複数の知覚が描かれている。千々に乱れ、分岐していく、一つに定まらない、意識。そのありかた。

      美佐子は思い出して母親に聞く「うちにねえやがいたわねえ」(p.107 l.2)。母親は、忘れたと取り合わず、美佐子たちが生まれる前、さきに死んだ「ぼうや」のことを思い出す。それは、「母親につきまとって離れない妄想」(p.107 l.4f)である。☞(一章でも語られていた。母親の存在と常にセットで語られる、母親の持つ記憶である) 母親は父親と気の染まない結婚をし、子供が生まれれば夫婦仲もよくなるかと思っていたのに、生まれて4、5日で、名前を付ける前に死んでしまった「ぼうや」。その子さえ生きていれば、と母親が語るとき、美佐子にはそれがあたかも、その子さえ生きていれば、美佐子も香代子もいらなかったといわんばかりに聞こえる。勝手な人だ、と思い、可哀想な人だ、とも思う。しかしそれにしても、「人は取り返しのつかない過去のことばかり、こんなにも考えて、生きているものだろうか。」

      ☞母親の身勝手さに想いをはせるべきだろうか。それもいいが、このくらーい姉娘も、十分にやばいのではないか……。さらには、父親を主人公して描いた一章も、そういうテーマであった。

      妹・香代子が帰ってきた。朗らか、楽しそうである。(p.108 l.4f)

      「こんどの公演の、配役が決まったけど、私はイネスの役が決まったの。」サルトルの『出口無し』をやるって言ってたでしょ。遠慮したんだけど、演出の3年生下山さんが是非にっていうじゃない。そねまれちゃうなあ。大学生の香代子は演劇部で、まだ2年生だが、重要な役に抜擢され、自分でも驚き、興奮しているのである。母親もその話を楽しそうに聞いている。「明日も早いから私もう寝る」といって自分の部屋にひっこむ香代子に、美佐子は、「香代ちゃん、その言い方はすこし棒読みね。」(p.110 l.5)。香代子は「やられた!」と言うが、楽しそうである。母親も香代子をかばう。美佐子は思う、お母さんにとって私は看護婦にすぎないのだ。

      ☞ 看護婦、この何気ない一言。父親はこの場にもちろんいないけれど。ある普通の言葉が、別の文脈では毒のように作用する。

      少しして、美佐子は二階にあがった香代子の部屋に行き、話をする。香代子は「祝杯」としてビールを二人で飲む。 雑然とした部屋の描写、「この部屋の壁には、まだ小さかった香代子が何かのことでひどくあばれ出して、端から物をぶつけた時の傷がまだ残っていた。もっとも香代子はその痕を、じょうずに写真などを貼って隠してはいたが。小学生の頃の香代子は、甘えっ子で、わがままで、怒り出すと手が付けられなかった。そして彼女の方は部屋の片隅に座って、白い画用紙の上にクレヨンでせっせと絵を描いていたのものだ。」(p.112 l.3)

      演目のサルトルの『出口無し』の話。大学後のことも、あまり考えていない香代子。

      他方、香代子も、元気がない美佐子のことにようやく気付いて、今日デートだったのではないか、「振られたの?」と聞く。「そんなんじゃない」と否定する美佐子に、「姉さん、さては他に誰か好きな人がいるな。誰なのよ?」とも言う。否定する美佐子。「もしいても、お母さんがいるかぎり、私はどうともなれない」とも言う。「ママは関係無いでしょう!」と香代子は言う。

      カン、するどいよね。それはさておき…

      姉妹で、親の呼び方が違う、なんてことがあるのだろうか。一つのグループで呼び名はふつう一定していくものだ。学生同士のあだななど、最初は複数の候補があっても、しばらくするうちに一つになる。姉妹で違うのは、二人がそれぞれ別の共同体に属しているから、としか考えられない。

      「ビール美味しいわ」と彼女が言った。(p.114 l.7f)

      ☞人称代名詞もまた、自覚的に使われている。二章で使われる「彼女」は、すべて美佐子である。ならば、三章は?

      子守唄のことを、香代子にも聞いてみる。香代子も、その歌を知らない。あたしひとりがこの歌を聞かされて育った。 「ママに聞いてみれば?」「お母さんはしらないって。」☞(姉妹の別がやっぱり分かりやすい) 美佐子は、香代子と、顔も性格も何一つ似ていなかった。わたしはもらい子ではないか、と考えてみた。(p.116 l.3) 突然、香代子は「何を言うの!」とみるみるうちに青くなり、泣きわめきはじめた。「そんなのうそよ、うそよ」

      その夜の夢。時計の針が逆に回る。☞(困惑、混乱。ちょっとベタなイメージ)

      翌日は日曜日である。母親は、窓の外を見たがる。ガラス戸を明けてあげると、今にも雨が降りそうな天気である。「はや夏秋もいつしかに過ぎて時雨の冬近く」と言う。清元の一節だと言うが、美佐子は「そんな風流なものではなくてよ」と言う。「霧と煤煙がいっしょになったもので、スモッグだ」。☞(晴れれば光化学スモッグ、降れば酸性雨)

      ☞1960年代の公害の社会が描かれている。一章でも、どんよりした、臭く腐敗した、汚れきった川が描かれていた。二章は、空、空気である。モチーフのこの対比的構成!

      おじいさんは(父の父、養父)は、政府の役人だったが、戦後も闇のものは買わずに栄養失調で死んだ。

      ☞戦中、戦後直後の物不足(悪性インフレ)で、すべてが配給制になったとき、それを遁れた闇市(やみいち)が建った。闇で成金になった人もいる。しかし、餓死したのはほんのひとにぎりであったろう。たとえば、当時の裁判官が有名である wiki 山口良忠。法律で人を裁く立場の人間としての思慮、苦悩。賭け麻雀の検事長(2020年5月#検察庁法改正案に抗議します)とは大違い。インフレ、デフレ。貨幣量と生産力の相関関係。2024年朝ドラ『寅に翼』佐賀県の判事に。

      「その日曜日は単調に過ぎて行った。」(p.120 l.5f)父親が外出から帰ってくる。 ☞父親は、どこへ行っていたのでしょうね?

      その夜。(p.121 l.2f)美佐子は夕刊を見ている父親に、伊能との付き合いを断ってほしいと言い、ちょっと言い合いにもなる。涙声になった美佐子を父親は慰める。

      「こうした親密な気分が二人の間に訪れたのは久しぶりのことだった」(p.123 l.5f)。美佐子は、父親に「ねえや」のことを尋ねる。父親は、「初ちゃんか」と言う。美佐子も思い出す。甲府の田舎の出身で、行儀見習いで来ていた明るいよくしゃべる娘だったという。生家のある場所も教えてもらう。

      数日後(p.124 l.8)、美佐子は個展に出かけ、三木と会い、今度、甲府に旅行に行ってみるという。旅行と言っても日帰りだが。三木はしきりに、いいなあ、旅はいいなあ、と言っていたが、美佐子は、たとえ日帰りでも、三木先生と旅に出ることなど許されるはずもない、と思う。コーヒーを飲み終わって席を立とうとした時、美佐子は「先生にこれをさしあげたいんですけど」といって、小さな包みを出した。「明けても良いですか」と言いながら、三木はもう包みを広げた。それは小さな爪切りだった。「気を悪くするんじゃないかしら」。まさかと言い、「君はよく気の付く人ですね」と言ってくれる。その足で、デパートに付き合わないかと誘い、化粧品売り場で店員に何か告げ香水を買った後、リボンに包ませ、そのまま「これを君にあげます」と三木は言う。驚く美佐子「まあ先生、そんなの困ります」。売り子たちも好奇心をあらわにして、こちらを見ている。「じつは僕も何か君にあげたかったのだが、ものを上げたりするといやなやつだと思われるかと、今まで遠慮してたんだ。でも君が優しい心遣いをしてくれて、そのお蔭で助かった」。「君はいいお嫁さんになるでしょうね」と言って、すたすた帰っていた。

      ☞「たとえ日帰りでも」この感覚、わかりますか?

      翌日(p.127 l.5)、美佐子は、新宿駅に向かった。 「あたしは何を探しているのだろう。何のためにこうして初ちゃんを尋ねようとしているのだろう。答えは返ってこなかった。その代わりに細かな塵のようなものが、彼女の心に降り積もった。」(p.127 l.4f)☞(よどんだ水の中に沈んでいく一章、空気の中に降り積もる二章)「汽車が動き出すと、それでも久しぶりに旅へ出る喜びが心の中ににじんで来た。」☞(こういうところは、可愛らしいね)。そして、「あたしたちはみんな宙ぶらりんだ、宙ぶらりんのまま生きているのだ、と彼女は考えた。生きることもできず、死ぬこともできず、惰性のように毎日を送っているのだ。いつかは何とかなるだろうと、それだけを信じて。時計の針が反対の方向に動いていることにも気がつかずに。そして彼女はかすかに身ぶるいした。」(p.128 l.3)

      ☞このあたりでだんだんハッキリしてくると思いませんか。つまり、もうこれ以上どうにもならない、と思う人が、死ぬことができるのである。そうやって死んでいった人が、いたのだ、ということが分かってくる。生きることがいいのか、死ぬことがいいのか。しかし、ともかくそれぞれ生きるひとと死ぬ人とがいるのである。生は分岐していくのである。

      父親から教えられた駅で汽車を降り、駅前の店で食事をし、その店で教えられたバスに乗った。雨が降り出していた。バスをおりてしばらく歩き、ある旧家の百姓家にたどり着いた。記憶の中とくらべても、風景も、家も、何一つ思い出すものは無かった。そうなると、初ちゃんに聞いて確かめるしかない。用意してきた手土産を渡した、その家には、おばあさんや兄嫁という人はいたが、初江さんは駅前のバスに乗ったその町の雑貨店の奥さんになっているのだそうだ。

      バスで駅前に戻る(p.130 l.4)。雑貨店というよりはマーケット(スーパー)で、客が立て込んでいた。「彼女は売り子の一人に訊こうとして、あたりを見回し、それから店の奥のレジのところにいる中年の女のそばへ歩み寄った。あなたは初江さんじゃありませんか、と彼女は訊いた。
      どなたさまでしたかね、とその女は言った。彼女が名前を言った瞬間、その女は大きな声で叫んだ。お嬢さま。それは見栄も外聞もない心の暖まるような大声だった。お嬢さま、とその女は繰り返した。」
      (p.130 l.8)

      ☞福永武彦は理知的な仕掛けや理屈臭い小ネタが得意なだけのテクニック作家なのではない。こうした人間のストレートなまごころ、庶民的な人情も描けるのである。「見栄も外聞もない心の暖まるような大声」、なんと素敵な表現だろうと思う。

      そして美佐子は、「マーケットじゅうの人がみなこちらを向いたらしかったが、彼女は全身を固くして、背中でその視線を食いとめた。」☞(やっぱテクニカル^^;。目立ちたがり屋とは到底思えない美佐子、人の視線を集めた三回目。「眼、眼、眼」と根本的に異なる態度)

      初ちゃんは、「お宅に奉公していたお蔭で、こうして町の人のところへ片づくことができましてね。あたしは田舎は大嫌いでしてね」とも。

      (p.131 l.7f)「女は長々としゃべり、彼女は安らかな気持ちでそれを聞いていた。それは確かに初ちゃんだった。昔よりは肥り、いかにも商家のお内儀さん然としていたが、その話しぶり、その表情の動きを彼女は次第によみがえってくる過去の記憶と一々照らし合わせた。二十年も経っていながら、その間の時間を飛び越してこうして心が通うというのはなぜだろうか、と彼女は考えた。すると心がまた揺らぎ始めた。彼女は相手を遮って訪ねた。初ちゃんがうちにいてくれたのは、あたしがいくつ位のときのこと。そうですねえ、と女は小首をかしげた。たしかお嬢さまが三つ位の時から、六つか七つ位の時まででしょうね。おとなしくて、それはお可愛かった。
      やっぱり違うのだ、と彼女は考え、多少の安堵を覚えた。あたしは、それが違うことを確かめにこうしてやってきたのだ。そして違うのが当たり前だ。初ちゃんがあたしのお母さんだという筈はないもの。しかし彼女はもう一つの質問をした。ねえ初ちゃんこういう歌知らないかしら。蝙蝠こっこ、えんしょうこ、って歌。昔きいたことがあるような気がするだけど。
      ええ、知ってますよ、と女は答えた。それはぐさりと彼女の心に突き刺さった。こうでしょう、と言って女は小さな声で歌い出した。」

      初江はこの辺で歌う童歌であり、私がお嬢さまに歌ってあげたのだ、という。しかし、もう一つ、「赤まんまにととかけて」は「しりませんねえ、聞いたこともない」と言う。

      初江は帰りがけに美佐子に缶詰を袋一杯にくれ、駅まで送ってくれた。美佐子は、土産がなにもないことに気付き、プラットホームで、昨日三木先生からもらった香水が鞄に入ったままになっているのに気付き、それを初江にあげた。

      彼女はその家に小一時間も引きとめられ、もうじき主人が帰ってくるから、と言うのを、これ以上遅い汽車だと困るから、とやっと承知させて、そこを出た。女はどうしても駅まで見送ると言ってきかなかった。お土産にと、彼女が遠慮するのを無理に、缶詰のたくさんはいった大きな紙袋をくれて、停車場まで車で送ってくれた。切符を買うときに、彼女はハンドバックの中に、昨日三木先生からもらった外国製の香水が、リボンに包んだまま入れてあったのに気がついた。プラットホームに上がってから、彼女はそれを出して初ちゃんに渡した。あたし何もお土産を持って来なかったでしょう。だからせめてこれを取って頂戴。そんなもの頂けませんよ、初ちゃんは断ったが、彼女は相手の掌にそれを押し込んだ。先生はきっと怒らないだろう、と彼女は考えていた。先生にならあたしのこの気持ちが分かってもらえるだろう。初ちゃんはその手をおしいただいて、丁寧に礼を言った。汽車の窓から、彼女は初ちゃんが涙を浮かべているのを見た。

      ☞恐ろしいまでの爽快感!

      そして、彼女は、「みんな宙ぶらりんなのだ」と思いながら、帰途についた。終着駅で網棚から重たい紙袋の缶詰をおろした。小さな爪切りがこれに化けたのかと思うとおかしかった。彼女はその紙袋を片手で抱え、時々ハンドバックと手を替えながら、駅の改札を出た。

      「明るいネオンが相変わらずスモッグのかかった都会の空ににじむように明滅し、眼に見えぬ煙塵(えんじん)が彼女の心にしずかに降りそそいだ。」(二章終わり)

      ☞しかしラストは、もうすこし陰鬱である。煙塵=エアロゾル。

    3. 考察

      二章の主人公/美佐子の性格、その描写について。

      ここからはわたし(高橋)の好き嫌いが入ってしまいますが。美佐子の性格はしょうじきひがみっぽいと言っても的外れではないでしょう。魅力的な暗さ?病んでる感じ?

      プロデューサーとしての私(仮)は、本作『忘却の河』を、映画(二時間でケリを付けなければいけない)でなく、テレビドラマにしたいと思っています。全8回。一章だけは2週連続、他の章は1回づつでいけると思う。あるいは7章も2回にして全9回か。さて、美佐子役は完全な美人女優。テレビドラマはだいたい、美男美女ばっかし出しますが、特に美佐子は分かりやすい美人女優で、しかし性格はぜんぜんさっぱりしていない、くらーい感じにする。美人台無し、みたいなくらーい感じ。香代子の話は来週ですけど、はつらつとした新人女優(カタチだけのビジンではだめ)

      母親の世話は私でないとと思っているにも拘わらず、母親は私より妹を可愛がっていないか。よりということはないにせよ、私としては、自分たち姉妹が親から平等に扱われていることさえ不満に思う、というような感覚。

      「プレゼントを、封も開けずに他の人にあげるなんて、マナー違反です」か?

      美佐子は、はっきり言いますが、三木先生が好きですよね。この「好き」の意味は曖昧で、多義的だろうとは思いますがともかく、広い意味で好きですよね。好きな人から何かもらって、嬉しいよねたぶん。それなのに、かばんに入れっぱなしだったというのは、どう思います。美佐子は、実際、自分に関する過敏性とは別に、他に対しては案外排他的、上からで、残酷。ほんとはけっこう鈍感な女……なのか。三木先生からのプレゼントを、明け忘れていた、のか。

      あるいは、話をおもしろくするために、入れっぱなしになっていただけで、美佐子の人物造形・性格設定とつなげて解釈すべきではない、という立場もあるかもしれません。でも福永武彦のようなテクニシャンが、そんなへまをするでしょうか。二章は、はしからはしまで、美佐子の複雑かつ単純な精神のあり方ばかりを追っているのではないでしょうか。

      「先生はきっと怒らないだろう、と彼女は考えていた。先生にならあたしのこの気持ちが分かってもらえるだろう。」

      三木先生に対する、この信頼感!これこそが三木に対する「好き」「愛」ではないだろうか。それは、軽い、ほのかなものであるにせよ、安心して、相手にゆだねる気持ちである。

      そして、じっさい、三木はどう思うと思いますか。顔では笑うけど、心では、「えっ!僕がわざわざ買ってあげた(シャネルの)けっこう高かったのに。人にあげちゃってって。なんてヤツ……」などと思うでしょうか。「彼女は、僕のこと、あんまり気にしてないんだな」とか思うでしょうか。三木先生は、美佐子が心から嬉しく思った人へのプレゼントとして、自分のあげたプレゼントを(同等と見て)あげたのだから、美佐子にとって自分もまた大事なひとだと思っている証明だと思って良い。

      もう一つ、個人所有ということを考えてほしいと思います。美佐子にとって、三木からもらった小さなプレゼント包みは、自分のものではあるが、かならずしも自分が持っていなければその価値が保証されないようなものなのであろうか。繋がっているということは、自分がそれを所有しているということだけを意味するのだろうか。そして、これと同じ構造が、第一章のラストで、すでに描かれていたのではないだろうか。

    提出課題:✎ 描かれた美佐子の性格について、一章との対比的・反復的関係について。この2点について、考えるところを記してください。

    予告:毎回の章ごとの感想をまとめて、6月中頃に(4章が終わるころ)、1から4章の感想を提出し(10点満点)これを公開することにします。いわゆる「合評」形式です。これまで提出したものを適宜手直しして提出してもらいます。間近になったら案内しますが、まずは毎回の感想の精度をあげておいてください。


  • 第6回 三章 舞台[香代子]母の生を反復すること1、「出口なし」や実存主義、
  • [NEXT][TOP][LAST](2024-05-27)

    ▸ 今週と来週で三章を読みます。今日はどこまで進めるか、やってみないとわかりません。「全体のストーリー」はまず終わらせます。来週は、四章に入ります。半分以上は読んでおいて下さい(呉さんが出てくる前くらいまでは)。

  • 復習

    一章の対比については、小石・香水を手放すこと、看護婦・初江に会いにいくこと、などみなさんそれぞれで発見してくれました。私の説明は、まだ足りないものでしたが、共感というものが人と人との間のみならず、人と場所との間にも成り立つ、というような考えで一章ラストを読みたい、読めるか、と思っています。まだこれから展開していくあり方です。

    ▸ 三章は(も?)、こんな風に始まっていきます。「 」や太字は引用(原文のとおり)、てきぎ赤字で強調しています。他はわたしの説明の言葉です。

  • 三章 舞台 全体のストーリー

    授業が早く終わったので、「彼女」は新館の廊下を通って、旧校舎の奥にある「演劇部」「部室」に向かった。「校舎」内の秋の気配のきれいな描写とあいまって、「彼女」のすこし沈んだ気分が記されている。「数日前に、姉の美佐子から聞かされた話を思い出したことにあるのは明らかだった。それは十二月に行われるはずの演劇部の自主公演の、キャスチングの決定した日の晩のことだった。」姉と二人でビールで祝杯をあげていたとき、姉は彼女に深刻な顔をして言った。
    ねえ香代ちゃんあたしひょっとしたらお父さんやお母さんの子じゃないのじゃないか、もらい子なんじゃないか、って考えてみたのよ。」香代子は、この時の自分の気持ちを反芻して、すこし暗くなっているのである。
    「その時彼女はびっくりし、姉の顔をまじまじと見て、自分とあまり似ていない姉のほそおもての顔立ちの中にもしや自分をからかうような気配でもありはしないかとうかがった。そのような気配はまったくなかった。 」そして香代子は思わず泣き出してしまったのだが、「なぜ彼女が泣いたのか、姉の美佐子には決して分からなかったろう。姉が部屋を出て行ったあと、彼女はベッドの上に腹ばいになっていつまでもしゃくりあげていた。
    あたしは泣くべきではなかった、と今彼女は考えていた。姉さんはあたしをからかったわけではなく、御自分が苦しんでいたからこそあたしにそれを打ち明けたのだ。そしてあたしは、たとえ自分で苦しむことがあっても、姉さんに相談したりなんかしないだろう。パパにもママにも言わないだろう。あたしたちの家庭は、そういうふうに、みんなが別々に生きるようにできているのだ。」

    ☞なんだか、意外に香代子が暗いですね。一章では、「ボーイフレンドをとっかえひっかえ」「小遣いを惜しみなく与えている限り文句は言わなかった」、二章では「まだ小さかった頃、何かのことでひどくあばれ出して、端から物をぶつけた時の壁の傷」、「甘えっ子で、わがままで、怒り出すと手が付けられなかった」とあったこれまでの香代子の印象が、すこし意外な展開を見せているように感じられます。そうそう、三章の「彼女」は香代子である。

    三章の、まず形式に関して。一章、二章と続いてきた唐突さに読者もそろそろ慣れてきたところではないだろうか。むしろ、三章では、このように別の人が「彼女」であることは、快感に変わっていくのではないだろうか。一章、二章と繋がってきた一つの世界は、三章も同様に、同じ一つの世界を描き出していることが分かり、むしろその「一致」こそが、興味の中心に移っていくのではないだろうか。つまり、作品は極めて綿密な設計のもとに書かれている。具体的には、読んで行く中でたしかめてほしいが、しかし……、ある秋の日曜日は、一つの同じ日なのか(究極の一致の快感)、あるいは単にそれぞれの日曜日なのか(常識の一致の快感)。あるいは、実は三つのパラレルワールドが発生しているのか(不条理の快感)。

    ☞そして内容に関して。「わたしたちの家庭は、みんなが別々に生きるようにできている」(=パラレルワールドの可能性)は、まださておこう。ちょっと暗い感じがしますが、親子や兄弟・姉妹でも、案外すれ違いや競争などあるものなのですよ。そして、それを知ることは、ちょっとした救済(救い)でもあります。立派な人ばかりだと自分にプレッシャーになりますから。

    香代子にしてみれば、姉・美佐子の心配は杞憂にすぎなかった。「彼女は姉が心配している貰い子ではないかという疑いを、歯牙(しが)にもかけていなかった。」姉は自分は父にも母にも似ていないと言ったが、確かに母には似ていないが(香代子は母親似である)、父親に似ているのだ。父親を嫌いだと公言しているから、似ていない気になっているに過ぎないのだ。「父親は陰気な性質で、姉もまた内気だった。病気の母親の看病をさせられてそろそろ婚期を逸しかけているために、少々神経衰弱の気味があるのかもしれなかった。それに反して、彼女自身の疑いのほうは、もっと深刻だった。」しかし香代子は、それを「あたしはおセンチなのはいやだ」とつぶやき打ち消す。快活な自分にもどって、部室へ入っていく。

    ☞「杞憂にすぎない」「歯牙にもかけない」……美佐子なりに悩んでいるわけだが、それを一蹴している!香代子。一章から順に、前の章を巻き込み、雪だるまのように(記憶のように)、たんなる積み重ねとは違う、成長していく小説形式。質的変化としての。これが形式的特徴の二つ目である。

    さて、部室です。下山譲治は三年生で、四年が引退して、彼が「演出」。下山の強い推薦によって香代子がイネス役に抜擢された。下山は一般に女子学生に人気があったが、エステル役の安田教子と仲がよいとの噂でもあった。香代子は安田教子のことを「その微笑は魅惑的で、ああいうふうなのを宛然(えんぜん)とでも形容するのかと、かねがね彼女はうらやましくおもっていた。」

    下山は不機嫌そうで、すこし遅刻気味の安田教子をにらんだりしている。下山は言う。

    「読みは大事なんだからね、みんなで気を入れてやらなくちゃ駄目なんだ。だいたい今度我々が取り上げたサルトルの「出口なし」というのは、登場人物だってわずか四人なんだし、お互いの気があってないと舞台がちっとも盛り上がらない。一人一人が主役なんだ。特に安田君のエステルと藤代(ふじしろ)君のイネスとが、うまく噛み合うかどうか、そこが大事なんだからね。安田君が舞台経験があるからと言って、読み合わせを真面目にやってくれなきゃ、困るよ。」安田教子は、彼女に向かって、下山に見えないところで、舌をぺろりと出して笑っている。下山はなおも演説している。「何しろ実存主義ってのは、このまえ黒川先生の講義を聴いたから君たちにも分かっていると思うが、こういう演劇形式において、最も明瞭にあらわれている。しかし、それを実際に演じる君たちにちんぷんかんぷんだったら、お客にだって何が何だか分からないんだ。だから読みの間によく理解して、よく研究を積んで、この自主公演を成功させなくちゃならん。みんな頑張ろうぜ。」

    対して、「あたしには実存主義なんてとても分からない、と彼女は考えた。」香代子は、役への不安も感じている。「下山さんのいうようにうまく成功するだろうか。もしもあたしがとちりでもしたら。」しかし、読みの練習のなかで、安田教子がセリフを言い直すのを「彼女は神経を緊張させて聴いていた。足のふるえはとまり、一種の陶酔感が彼女を包んだ。」

    ☞じつにさりげなく、「藤代君のイネスと……」などと出してくるのが、にくいですね。

    ☞ところで、実存主義はこういう演劇形式に最も明瞭にあらわれている。下山くんは、結構難しいことを言っとりますなあ。 詳しくは、来週ぜひやりましょう。今日は、『広辞苑』(岩波書店)を引いておきます。〔 〕は高橋補足。

    『広辞苑』
    実存主義/existentialisme 人間の本質ではなく個的実存を哲学の中心におく哲学的立場の総称。ドイツでは実存哲学と呼ばれる。科学的な方法〔客観的、客体的に〕によらず、人間を主体的にとらえようとし、人間の自由と責任を強調し、カント的な悟性的認識〔科学的・論理的・思弁的認識〕には不信をもち、実存は孤独・不安・絶望につきまとわれていると考えるのがその一般的特色。その源はキルケゴール、後期シェリング、さらにパスカルにまでさかのぼるが、二○世紀、特に第二次大戦後、世界的に広がった。その代表者はドイツのヤスパース、ハイデッガー、フランスのサルトル、マルセル、レヴィナスら。サルトル、カミュ、ムージルらは実存を文学・芸術によってとらえようとする。

    ▸実存(現実存在)の短縮表現。九鬼周造が訳したと言われている。本質存在(たとえばイヌ一般。普遍者とも)に対する、現実存在、個物の存在(一匹づつのイヌ)。人間も、人間一般のあり方が大事ではなく、個人個人のあり方を基本にしようとする。個人個人は、自由の刑に処せられており、孤独であり、故に責任を伴う云々。

    稽古が終わって、香代子は安田教子と帰る。安田教子は、下山が機嫌が悪かったのは、昨日安田教子が約束をわざとすっぽかしたからだと言い、「演出家ににらまれると具合が悪いんじゃない。」という香代子に、「まだ下山さんは演出家なんてものじゃないわよ。あの人は癖が悪いんだから、藤代さんも用心したほうがいいわよ。そのうちきっと誘われるから。あなたみたいな可愛いひとは。」と言われる。香代子は、「安田教子から可愛い人だなぞとおだてられると、自分もひとかどの女優になれるような気持ちになったし、下山譲治が素敵な男性のようにも思われた。」そして、下山に誘われたとき、喫茶店ならイエスと言い、バアならノオと言う、と思った。「彼女は自分が断固としてノオと言っている場面を空想した。」

    帰宅する。(七時を廻っていた)。「なんと陰気なうちなんだろう。」

    ママに顔を見せ、「珍しいわねえ、ママ、テレビを見てないなんて、と彼女は言い、姉がそっと眼で合図をしたので、そのまま黙ってしまった。」美佐子は、わたしたちもお夕飯をと言って香代子を部屋のそとへ出した。姉は、母の状態が良くないし、父もあてにならない、香代ちゃんももうすこし早く帰ってきてほしいと言うが、香代子は「あたしはだめよ。毎日これくらいよ。これでもまだ早いほうなのよ」と言う。医者もあてにならない、と「姉はややぞんざいに言った」。母親の病気は7、8年前から脊髄の病気で、倒れて、「仰向けに寝たきりで身動き一つできなかった。……目立って悪くなるということもない代わりに、少しづつ衰弱している様子は眼に見えていた。」姉は、へんなうわごとばかり言うと言う。「呉(くれ)さん、呉さん、なんて言っているのよ。」(☞呉さんは、ここが初出ですね!二章になんか出てきませんね)「姉さんはその人のことを何か知っているの。いいえ、あたしは知らないって言ったでしょう、と姉は答えた。パパには話したことある、と彼女は訊き、それから急いで付け足した。その名前をママは時々昏睡状態になった時に言うんじゃないかしら。あたしも聴いたことがあるから。あたしは覚えがないな、と姉は言い、お父さんには話さないわよ、もしもその人がお母さんの昔の恋人だったりしたら困るもの、でしょう。そう言って姉は珍しく少し笑った。」

    ☞二章では描かれなかった、美佐子のお茶目な感じ、あるいは闇?それとも、主役を降りるとすぐにコメディタッチで描かれるのか?逆に美佐子がかわいく見えるかも。

    「姉さんは知らないが、あたしは知っている、と彼女は、机に向かってつぶやいた。パパも知らない。ただママとあたしだけが知っている。」☞これが、香代子を苦しめていることがらであろう。 その後、母親の容態も大事には至らず、香代子も芝居の稽古が続けられた。「彼女もいやな記憶を忘れて、芝居のほうに熱中した。熱中すればするほど、彼女に与えられたイネスの役は大役だったし、このサルトルの脚本そのものが至極難解に思われた。彼女はときどきため息を吐いたが、そのため息は楽しかった。」☞いいですねえ。

    或る日、芝居の稽古の帰りに、彼女が安田教子と連れだって歩いていると、後から下山譲治が追いかけてきて、「腹が減ったからギョウザを食いにいかないか、と誘った。安田教子はすぐに、いいわねと賛成し、ためらっている彼女に、行こうよとすすめた。」

    家でのひっそりと終わる食事と違って、三人で大いにしゃべり、大いに食べた。食後、安田教子はさっといなくなり、下山は香代子をさらに誘った。喫茶店だったので、ついていった。下山は、「出口なし」にかこつけて、安田教子より君の方が深いものを持っているなどとおだてている。下山はさらに別に店を誘ったが、香代子はもう遅いからと断る。

    さらに別の日。「台本を手にして荒立ちが始まった。」セリフを暗記することが課せられた。彼女は安田教子のように早くは覚えられなかったが、しかし一度覚えてしまうと決して間違えることはなかった。☞ウサギとカメではないが、二つのタイプがあるだろう。「荒立ちが済んで、もう本立ちが始まるところだった。彼女は下山からできるだけ演劇的な知識を吸収したいと思っていた。そして、下山譲治という青年に若々しい好奇心をも覚えていた。そこには安田教子に対する一種の競争心がないわけではなかった。」

    ある日曜日、父親は出張で前日からいなかったし、姉の美佐子は午後から外出して、彼女が留守番がてら母親のそばについていた。 ☞それぞれべつの日曜日だな。晴れた青空で、天候なんかも違いますしね。たんに、東芝日曜劇場のドラマ化でも狙っていたか。

    香代子は、きくならいまだ、とおもっていた。「ごく単純に、何げないように、呉さんというのはお母さんの何だったの、と訊いてみればいい。ボーイフレンドだったの、と訊いてみてもいい。でも、ママは、その人の名をうわごとでしか言ったことがないのだから、あたしがその名を口にしたらきっとびっくりなさるだろう。ひょっとしたら怒るかもしれない。彼女はためらっていた。……訊くのが怖かった。怒られるのなら、それは構わない。しかしもし、決定的な返事が母親の口から出てきたら。」 ☞「決定的な返事」とは?

    母親のほうから口をきいた、お前のお芝居はいつあるんだね。彼女は、元気よく、来月よ、もうすぐよ、と答えた。「わたしも見に行きたいけどね。むつかしいお芝居なんだから、ママは来たって分からないな。歌舞妓とは違うんだから。わたしだって新劇ぐらい知っていますよ。テレビでも中継するし。でも香代子のお芝居はテレビではやらないだろうね。やるもんですか、と彼女は笑った。大学生の芝居までいちいち中継してたら大変だわ。待っていらっしゃい、そのうちあたしが大学を出て、一人前の女優になったら、テレビにも出てみせるから。お前は女優さんになる気なのかい、と母親は訊いた。まだきめてない、先のことは分からない、と彼女は答えた。……わたしはそんなに長くは生きられないよ、と母親は言った。馬鹿なこと言わないでよ、と彼女はたしなめた。」

    彼女は台本の中にある彼女(イネス)のセリフを思い出した。「人間の死ぬのは、いつでも早すぎるか遅すぎるかのどっちかよ。でも人の一生は、ちゃんとけりがついてそこにあるのよ。」。母親の場合は、ちゃんとけりがつくのだろうか。問題は中途半端なままに終わるのではないか。「呉さんという人はとうに死んでいるし、パパは決してあたしに教えようとはしないだろうし、だいたいパパがそのことを御存知のはずもない。そのことは母親だけの秘密なのだ。」

    結局、訊くならば今だとは思っていたが、とうとう訊けなかった。☞じれったい。ぐずぐず言ってないで、さっさときけばいいじゃん!ですか?(参考。2020年の朝ドラ『エール』で、ちょうどこんな話があった。なんでも事態を積極的に自ら切り拓いてきた音大生の小山音(二階堂ふみ)が、人生を切り拓かず諦める友人(入山法子)の生き方をしみじみ感じ、そこへの理解・共感により、オペラ『椿姫』の主役ヴィオレッタ(彼女もまた愛を諦める)を射止める、という話。共感とはそういうことだ。もうひとつ参考。小津安二郎『東京物語』1953年・松竹という有名な映画がある。広島に住む老夫婦が東京の子供らの家に遊びにいくが、実子(長男・長女・三男)らは気軽に邪魔者扱いするなか、戦死した次男の妻(紀子)だけは優しい。ラストで紀子は自分のことを、優しいなんてウソだ、自分はずるい。もう昌二さんのことも思い出さない日もあると言う。老父はそれでええんじゃと慰める。この場面について、貞淑な戦争未亡人を演じている自分がずるいという欺瞞を指摘する読みがある。なるほどとも思う。私が思うに、紀子は実子らと違い、人が必ず死ぬことを知っている/知ってしまったから、義理の父母に優しいのではないか。当事者性という言葉があって、あまり振りかざさないほうがよいとおもうが、つまり想像力や共感の否定でしかないから、でも当事者でしか気づけないことはある。)

    その日の夕方、姉の帰るのと入れ違いに彼女は外出した。訊いても結局母親を苦しめるだけではないか、と思ったからだが、このチャンスを駄目にしたと思うと、やはり後悔した。そして、もう二度と母と二人きりになれる機会は来ないかもしれない、と思い、母の死ぬことを想像している自分に驚き、いらいらした。☞人が死ぬことを知っている、香代子

    外出は、下山譲治との食事のためである。(食前酒・アペリチフを飲んでいる、その後はバアにも行った)。☞食事をしなかった美佐子との対比。「わたし、あんな人と一緒にごはんをたべるのは、いやだわ」。香代子は、「家庭なんかどうなっても構わない、という気持ちと、そうはいかない、自分は要するに親から学資を出してもらっている大学生にすぎない、という気持ちとが戦っていた。そして一度気持ちが覚め始めると、今の自分がひどく軽はずみなような気がした。」「いいえ、これ以上遅くなったら大変、姉さんにどやされる」☞どやす。打つ、叩く。どなる。姉さん…。下山はまだ別の店に行きたがったが、「不承不承にあきらめ、お固いお嬢さんだ、と言った。今夜のことは教子ちゃんには内緒だよ、とも言った。暗い横通りを下山は彼女の手を握りしめて歩き、ふと立ち止まって素早く接吻した。」

    終バスにやっと間に合い、彼女は、これが愛だろうか、と思っていた。そこには、心の通い合うものはなかった。しかし、愛になるかもしれない、と考えることはできた。そうでなければ、自分が惨めだった。家に帰って、姉の顔もまともに見ず、挨拶だけして自分の部屋にもどった。父親はまだ帰っていなかった。

    冬になり、母親は衰弱の度をましていった。父親も出張を取りやめるようになった。芝居の稽古は大詰めを迎えていた。公演が間近になると、割り当ての切符を売り捌く仕事が課せられた。父親も姉も、相当の枚数を引き受けてくれた。「お義理で買ってもらうだけじゃ駄目よ。ちゃんと来てもらえなくちゃ。空席が多いと困るんだから」

    稽古を通して下山は「香代ちゃん、僕は真剣なんだ」などとも言っていたが、香代子のほうは真剣ではなかった。舞台にかける情熱に比べれば、情熱でさえなかった。下山は彼女に接吻したが、彼女は、「こんなものが愛だろうか」と考えていた。「すると、母親のことが思い出された。ママはパパを愛したことがあったのだろうか。呉さんを愛したように。そして呉さんという未知の(すでに死んでいる)人は、おそらくは、下山譲治とは比較にならぬほど素敵な人だったに違いない、と考えた。」

    本当の真実の愛という、ここまで《流産》してきた、テーマ。そのゆくえ。

    公演の前日、舞台となる会場でリハーサルが行われた。彼女は自分で心配していたよりじょうずに役を演じることができた。存外人間なんて、落ち着いていられるものだ、と思った。しかし、やはりどきどきしはじめ、その興奮は、翌日になって幕が下りるまで覚めないような気がした。

    「明日の公演には姉さん来てくれるわね。」母親の寝床を囲んで、ひさしぶりに家族が四人顔を合せていた。「それは香代ちゃんの初舞台だもの、お母さんさえよければ見に行くわよ、と姉は言った。わたしはいいとも、香代子の舞台姿をわたしも見たいものだけど。」「パパはどう、来て下さるの、と彼女は続いて尋ねた。私は分からないな、どうせ学芸会みたいなものだろう。父親ははぐらかすように言い、それから付け足した。私は芝居というのはあまり関心がなくてね。お父さん、関心の問題じゃないでしょう、と姉が言った。香代ちゃんが出るんですもの、お芝居の好き嫌いとは別よ。香代子が出るんじゃなおさら見るのがつらいようだよ。そんな冷淡なおっしゃりかたってないと思うわ、と姉がむきになった。いいのよ、と彼女は言い、二人の問答を聞きながら、どうせパパはあたしの舞台を見に来る気なんかないのだろう、と考えた。あなた、明日の晩はなにかお約束でもあるんですか、と母親が訊いた。ううん、と父親は言葉を濁らせた、もしお暇ならぜひ行って見てやってください、わたしからもお願いします、と母親は強い口調で頼んだ。そうさねえ、と父親は答えた。」 ☞小石は、もう少し以前にすでに、投げているだろうと思います。

    芝居の当日。下山は、香代子に肩越しに「お客なんてみんなでくの坊だと思いやいいのさ、と事もなげに下山は言い、忙しそうにむこうに歩いて行った。」彼女は、脚本にある主要なテーマである「地獄とは他人のことだ」というガルサンのセリフを思い出していた。

    ☞ガルサン(ジャーナリスト、銃殺刑)、イネス(同性愛者で気が強い、ガス心中)、エステル(金持ちの愛人だが浮気し出産、自殺)、それにホテルのボーイ。死後三人はホテルの同室に閉じこめられ、互いの罪に触れ始め、それぞれの2対1や1対1対1の共闘や対立を続ける、死ぬことなく、永遠に。舞台は、壁とドア(出入り可能な、ボーイ以外はただし出ることのできない)、あとはソファーくらい。なお、原題 huis clos ユイクロは閉ざされた扉。非公開の審査。外からは見えない。伊吹武彦訳で「出口なし」だが、英語版もNo exit である。なお、「黒川先生」というのはサルトル流行の立役者白井浩司慶応大学教授だろう。福永と白井は大学は違うが同学年で、戦時中は同じくNHKに勤務している。

    開演のベル。ガルサンの声が聞こえてきた。エステルとイネスの出番は、そのすこし後からである。舞台裏で椅子に座って待っている。ボーイが戻ってきたら、イネスの出番になる。「そして不意に、何の関係も無く、その時の光景を彼女は思い出していた。」☞もう現在の知覚と過去の記憶とのオーバーラップには完全になれてきましたね。もはやデフォルト(初期値、初期設定)ですね。母親は、「呉さん、呉さん」とうわごとを繰り返している。香代子は、それは今ではない時間、戦時中のことであろうことが分かり、誰も知らない母親の秘密があったことに気付いた。

    「安田教子が話しかけた。どう厭な気持ち、それとも平気。……あたし落ち着かないの、と答えた。そうよ、初めての時は誰でもそうよ、そんなものよ。でも舞台に出てしまえば嘘みたいに平気になるものよ。ありがとう、と彼女は言った。もうじき私の番だわ。」☞先輩たちのアドバイス。ひとつは「ひとなんてみんなでくの坊だ」、もうひとつは「でも舞台に出てしまえば嘘みたいに平気になるものよ」。客観性主観性とのそれぞれの極限である。

    「本当の打撃は、その時の母親のうわごとにあったわけではなかった。」それからしばらくたって、いつものくせで本屋さんにゆきたまたま戦没学生の手紙を集めた一冊の本を手に取りぱらぱらめくるなかで、「一つの名前の上に目が落ちた。呉伸之 くれのぶゆき 昭和十六年十二月**大学法学部卒業 昭和十七年二月入隊 昭和十九年八月マリアナ方面にて戦死 陸軍中尉 二十五歳。その後に両親に当てた短い遺書が載っていた。……末尾に一つの固有名詞に行き当たった。「万一の時には藤代さんの奥さんにも宜しくお伝えください。東京で入隊するまで大層お世話になった人です。やさしい奥さんでした」その日は暑い日で、汗が額から瞼のほうへと伝わって流れた。
    彼女は恐ろしそうにその本を本棚に戻し、追われるように本屋を立ち去った。見なければいいものを見てしまった。……今さっきの文句が、もう決して忘れることのできない鮮明さで、次々に浮かびあがった。拭っても拭っても、汗が顔や腋の下ににじみ出た。昭和十七年入隊。そして水に落ちた一つの石のように☞ここで?、疑いの波紋がそこからひろがり始めていた。☞作品の細密性として、呉さんが死んだ日に関して、歴史的事実と関係があるでしょうか?調べてみよう。
    ボーイの役の青年が、ドアから舞台裏へ戻ってきた。さあ、しっかりおやんない、と安田教子が言った。大丈夫だよ、落ち着いていつものようにやればいいんだ、と下山譲治が言った。彼女は椅子から立ち上がった。よく客がはいっている、とボーイが自分の沈着ぶりを見せるかのように下山につぶやいた。みんなでくの坊だと思うんだよ、と下山がまた彼女に注意した。彼女はうなづいた。
    パパはどうせ来てくれはしないだろう。でも呉さん、あなたは遠いところからあたしを見守っていてくれるでしょう、彼女は心の中でつぶやいた。どうかあたしをよく見ていて頂戴。ひょっとして、あなたがあたしの本当のパパでないとしても、でもあたしは、あなたを愛した藤代ゆきの娘です。
    彼女は下山の合図とともに、薄暗い舞台裏を出て、今やイネスとして、ボーイをうしろに従えながら、証明に照らし出された舞台の上へしっかりした足取りで進んで行った。」(三章おわり)

    ☞家庭では末っ子としてふるまう香代子の、内面に由来する、この圧倒的な存在感!モヤモヤは決して晴れないが、それでもモヤモヤしたままそれは存在(実存)する。

    自分は何者デアルか。それを、アイデンティティ identity(自己同一性)と言います。それは実存か、本質か。それにしても、美佐子の悩みは、三章を引き立たせるためのダミーだったのか!なお、この終わり方、三章でも主人公は、何かを手放しているのでしょうか(と感想を書いた学生がいました)。

  • 考察

    香代子のアイデンティティの物語。母の生き方を通して、愛に触れていく香代子。それは、おそらく実存などという(いまや)軽い思想では語り尽くせない価値があるだろう。実存主義が悪い、古い(面はあるにせよ)、思想や哲学はいつも一般論であって、まさに実存に価値の下にある。これまでは上で君臨してきたが。

    なお、感想を書くときは、講義をぜひ踏まえてはほしいですが、教員の考察・解釈をそのまま正答のように書くのは、ずれた書き方です。教員の考察・解釈も、その教員のものであり、正答ではない。みなさんも、なるほどと思えばそのように書けば良いが、自分が思いついたように書くのは、ずれたやり方です。(例:芥川『羅生門』を習い、エゴイズムが云々と教わる。そうすると、自分の感想文に「恐ろしいまでのエゴイズムが感じられた」などと、習った事柄なのに、自分で感じたように書くのは、間違った方法。考察・解釈は、だれか具体的な見解であり、その人のものとして扱うべき。例:授業で先生はエゴイズムが云々と説明してくれたが、納得した。←まあこれでじゅうぶんに感想文です)

    提出課題 ✎ 三章で描かれた香代子について、一章、二章で与えられていた印象との違いを中心に記してください。また、そうした違いが生じる原因、理由について、さらにそうした違いがもたらす効果について記してください。その他、三章で興味を持ったこと、気づいたことについても記してください。


    実存主義

    しょうじき、たいした哲学とは思えない……(笑い)、今日ではそれはもう常識化している。道徳の教科書とか、ハリウッド映画のポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)とか。でも大事なことです。

    1. 哲学とは --- (哲学が問うてきたもの)

      古代ギリシア以来「○○とは何か?」と問う、あらゆる学問の基本。(これを大成したのがソクラテス、プラトン、アリストテレス)、近代以降、学問が完全に分化する。

      • 自然・物質とは何か? (自然科学へ)
      • 世界・社会とは何か? (社会科学へ)
      • 神・超-世界とは何か? (中世スコラ哲学)真理の追求
      • 人間・私とは何か? (近世・近代哲学)自由の追求 「我思う。故に、我有り」(デカルト)。世界の中心は人間の意識(理性)

        これらはいずれも「存在論的な問い」である。

      • (問い)「○○とは何か?」→(答え)「○○とは、××である」。見た目の問題(正しく見えているか?という認識論的な問い)ではなく、その本質を尋ね、答えている。What is this? It is a pencil. A pencil is a writting instrument made of wood and graphite. (これはなにですか? 鉛筆です。鉛筆は、木と黒鉛でできた筆記用具です)

        be ビー 英語
        zein ザイン ドイツ語
        être エートル フランス語
        Esse エッセ ラテン語

    2. 存在とは何か?(英語の例 - be動詞)
        (1) This is a pen. これはペンです。(これはペンである
        This pen is very good. このペンはとても良いです。
        (2) There is a pen. ペンがあります。(ペンがある
        Here is a pen. ここにペンがある

        日本語で「存在」というと、(2)だけを想像しがちだが、欧米語では、(1)(2)ともに「存在」を意味している。「存在」とは「有」ということであれば、日本語でも(1)も「存在」である。

        すなわち、「存在」には二のあり方がある。

        (1)本質存在である存在)、本質 essence(存在するもの、本質的に不可欠なもの)

        (2)現実存在(がある存在)、実存 existance(存在すること、実在すること)

        「○○とは何か?」と問う哲学は、(1)を重要と考え、(2)は(1)に回収されるものに過ぎないと思ってきた。本質存在の優位

        (例)ペンとは何か?様々なペン「がある」(羽ペン、つけペン、万年筆、ボールペン、シャープペン、鉛筆?、筆?)。しかし、どれもが完全な意味でのペンではないだろう。完全なペン、ペンの本質、(1)が何か分かりさえすれば、(2)は必然的に付いてくるはずだ! 「山」とは何か? 「美」とは何か? そして、「人間」とは?人間はどう生きるべきか?→○○に従って生きるべきだ。(神、愛、倫理、社会的契約、お金)人間の自由はなくなる。

        あるいは、「呉さんとは何者か?」(呉さんを表現している様々な属性のうち―帝大生であった、習字の師匠さんの家に下宿していた、戦争に行った、昭和18年マリアナ方面で戦死した、生前藤代の奥(ゆき)さんと交友があった、、、、それらの中で、香代子にとって決定的な意味を持つ性質があるはず。

    3. J・P・サルトル(1905 - 1980、フランス)の実存哲学

      主著『存在と無』(1942年刊。wiki さっぱりわからん、黒川―下山レベル)→ハイデガー『存在と時間』(ドイツ、1927年刊)に、ヘーゲル用語と弁証法( 正・反・合、即自・対自・即自かつ対自)を加味したもの。

      即自存在(本質存在)(being by itself, それ自体で存在するもの。それ自体でそれとしてアルもの。モノの存在。本質存在)
      (1)「存在とは、それがあるところのものであり、あらぬところのものであらぬような存在である。」

      対自存在(現実存在)(being for itself, 人間の存在。実存。本質的規定が出来ないもの。根源的に自由である)
      (2)「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるような存在。」
      lêtre qui n'est pas ce qu'il est et qui est ce qu'il n'est pas.
      The being who is not what he is and who is what he is not.

      これだとさっぱり意味不明だろうが、「ある」を「本質存在(○○である)」で言い換えてみれば、すっきり分る。

      (1)「鉛筆であるものこそが鉛筆であって、鉛筆でないものは鉛筆ではない。」
      (2)「人間とは、○○だとは言えないようなものである。○○だと言えないようなものが人間なのだ。」

      なぜなら、人間は、現実に存在しているが(実存)、本質存在ではないから。

      「実存は本質に先立つ」(本質ではなく、実存こそが優先されるべきである)

      →自由。人間の自由とは、義務などと対比されるような自由ではなく、本質的・根源的に自由なのだ。
      →「あるべき存在」。脱自的存在。未来から規定される実存。主体化していく存在。

      この脱自を、弁証法的にとらえれば、ヘーゲル的。

      未来を「投企」、「死への覚悟」と言い換えれば、ハイデガー。

    4. 実存主義の背景――生の哲学

      新カント派:ドイツ哲学はカント(認識論)〜ヘーゲル(弁証法)、ショーペンハウワー(意志と表象)、新カント派(心理学)、その反対(生の哲学)、などと揺り返し・繰り返しの歴史。新カント派は認識論的で、当時台頭しはじめた心理学と連繋して、人間の知覚を客観的に記述した。

      反―新カント派:生の哲学「生は根本的事実であり、その背後はない。」生(生きること)、その背後(なぜ生きるかという理由)。*哲学(のみならずあらゆる学問)は、ある現象の理由(背後)を問い続けてきた。背後を問うのではなく、現象自体を受け入れ、そこから出発することが大切だ。

      • F・ニーチェ、
      • G・ジンメル、
      • W・ディルタイ、
      • H・ベルクソン、
      • E・フッサール → M・ハイデガー →(E・レヴィナス)→J・P・サルトル

    5. 実存主義の限界(1)(構造主義からの批判)

      「私は何者でもない。(しかし)未来へ自分を投げ出していく」という点では、主体主義的。

      しかし、世界は、主体によって変革できない。たとえば、主体(私)は言語によって作られていて、そんな自由なものではない。世界はすでに構造化されている。

      • レヴィ=ストロース(人類学者)
      • J・ラカン(精神分析学)
      • M・フーコー(哲学)
      • R・バルト(文学)
      • L・アルテュセール(マルクス主義哲学)

        →自由はどこにも存在しなくなってしまう。

        決まった構造があるわけでなく、構造自体が作られる(ただし、人格=主体によってではない)

      • M・フーコー (権力構造によって)
      • G・ドゥルーズ(欲望=意志によって)

    6. 実存主義の限界(2)(根本的限界)

      主体性(自由)を回復する必要はある。が、実存主義のような、意識の自明性・実体化を前提とするのは間違い。

      デカルト以来フッサールなどの哲学が依拠してきた「意識」(こころ)は虚妄である。「意識」は、それを作りだす何か実体があるわけではない。「意識を保証する場、臓器・器官」などは無い(想定しないこと)。かつ、「意識」という実体(私が死んでも実在する意識)もない。イギリス経験論、アメリカのプラグマティズム。

      • ロック、ヒューム、
      • ジェームス、パース、デューイ
      • べルクソン、ドゥルーズ

        ただし、「意識」の自明性・実体化だけを捨てれば、サルトルも全然まずくない。もっとも、サルトルはハイデガーの焼き直しに過ぎないようにも思えるが。


  • 第7回 四章 夢の通い路[わたし]恋愛小説における恋愛不可能性
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    1. 三章のまとめ

      香代子の印象、一、二章と三章とでの違い。→明るさ/暗さよりは、浅さ/深さ。人間は誰も、深く見ればいろんな顔を持っているのである。その焦点(ピント)のあて方に差があるにすぎない。本質存在的な人間などいない(実存主義と自由の刑)。

      三章末部において、主人公は何かを手放しているのか?唐突さ、偏倚性が常態化した後の問い。歩み出すことが手放すことなのだろうか。

      それはともかく、章の末尾の「わたしはあなたを愛した藤代ゆきの娘です」に触れてほしいところです。母を手本として生きること。

      以下、カギ括弧または太字が、本文のままの原文です。

    2. 四章 夢の通い路 全体のストーリー

      4-01(p.165) 和歌がある。はかなしや枕さだめぬうたたねにほのかにまよふ夢の通い路 式子内親王

      (p.166)わたしは今まで長いあいだ影のなかにいたような気がするし、今でも影のなかをふわふわとただよっているような気がする。それは暗くて陰気でじめじめして日の射すことのない場所にいるような気持なのだが、じっさいにわたしが歩けなくなり、もう立ち上がることもできなくなって、こうして寝たきりになってしまってから幾年が過ぎたことだろうか。わたしの記憶はところどころあやふやになっていて、ものごとを正確に思い出すこともできない。わたしがこの部屋のなかにじっとあおむけに寝ているようになってからの歳月のほうがそれ以前の歳月よりも長いというはずはないのに、わたしにはかぞえるだけの根気もなくむしろどっちにしても同じことだと思う。というのはわたしにとって時間というものはもうないのだし、この影のなかにいるような気持は死んでしまった人たちがあの世で感じている気持とどれほども違ってはいないだろう。わたしもまたとうに死んでいて、ただ魂だけが残っていて美佐子や香代子の顔を見ているのだとときどき考えることがある。しかしあの子たちにはわたしのからだはあっても魂はないにひとしいのだからおかしい。わたしのからだは決してよくなることはないのだろうし、あの人がわたしを死人を見るような目で見ているとしても無理ではないのだ。人は死人を憐れみの眼で見るから、たとえ生前にその人をどんなに憎んでいたとしても、その相手が死んでしまえばいままでの憎しみをわすれてお気の毒にとかお可哀そうにとか言うが、わたしもあの人にとってはもう死んだもどうぜんだから、それでああいうふうに私を見るのだろう。

      ☞さあ、だれでしょう。「影」はキーワードになっていくのでしょう。河(水)・眼、空=煙塵、森(?)光(?)、そして「影」、因みに五章は「ガラス」です。この物質的想像力(モノが人を触発する力)。「あおむけに寝ている」、「美佐子や香代子」、もう死んだのか?と一瞬思うが、まだ死んではない。そして「あの人」、それは夫であろう。「お母さん」「ママ」の独白一人称形式。「わたし」。

      いったいいつからあの人はわたしをああいう眼で見るようになったのだろうか。ここから、「わたし」の回想は、まず最も頻繁に回想される「はじめて生まれた坊やが生まれるとまもなく死んでしまったことがあったが、」と始まる。「あの人」は、あのころからわたしをああいう眼で見ていた。あの人は「泣いているわたしを憐れみの眼で見つめながら、子供なんてまた生まれる、そんなに歎くものじゃない、とまるでひとごとのように冷淡に言ったものだ。」そして、「なぜわたしがそんなに悲しむのかあの人はわかろうとしなかったし、わからないというそのことで私を苦しめていることがわからなかった。」

      ☞母「藤代ゆき」もけっこう理屈っぽいね!

      わたしは、「はじめての、名前さえつけないうちに死んでしまった坊やと一緒に、わたしのからだもまた死んでいて、ただ魂だけがふわふわと生き残っていたのだろう。しかしじっさいにはそうではなく、わたしのからだだけが生き残り」、とあり、「ママはどういう気なのよ、とじれったそうに香代子が言い、お母さんはいつも何を考えていらっしゃるの、と美佐子がわたしにたずねたところで、わたしにどんな気があろう。はかなくてすぎにしかたをかぞふれば花にものおもふ春ぞへにける。しかしわたしにはもうかぞえることもない。ただ影のなかにいて、その影の中に朦朧とあらわれるものの姿を眺めているばかりだ。」

      ☞思えば、このひらかながやけに多い文体もまた特徴的だが、もっとも最初に驚くのは、この途中で和歌が入る表現である。自由間接話法に似た自由さと、反対の散文のなかに韻文(和歌)が挿入・混入・闖入している。二点指摘できる。,海譴楼貍呂埜た、「私」の現在の知覚に対する、過去の記憶の挿入に近いものであること。だとすれば、∀族里過去か現在かは、決定不能であるにせよ、それは分断的=接続的な「映像」(イメージ)であるということである。

      4-02(p.168 l.5f) ひとはどういうふうにして死というものに馴れていくのだろうか。わたしにとって最初の経験はただ長い不在というにすぎなかった。

      ☞最初の経験である、弟「清(きよし)」ちゃんの死。二つか、三つの頃、おそらく急性肺炎かなにかで死んだ。

      「このちいさな弟はそれまでも一家の愛情をひとりじめしていたから、それがわたしにときどき異常な嫉妬心をおこさせることもあったが、わたしはいつか父や母が弟を愛する以上にわたしもまた愛していることに気がついたのだった。」ともある。「わたし」は結婚して、あんなにも男の子をほしがったのは、この清ちゃんの「その時の傷がまだ癒されずに残っていたためではなかったろうか。それが坊やの死とともに、今度はもう取り返しのつかない傷となってわたしの心を蝕み、一切を影のなかにつつみこんでしまったような気がする。」

      ☞傷、癒やし(治癒)と救い(救済)というテーマ。9.11、3.11以降、われわれもそれを共通体験として持っているものである。傷、癒やし、罪が四章のモチーフである。

      それはもう昔のことだ。わたしの坊やが死んでからもう三十年にもなろうとしているのだし、清ちゃんが死んだのはそれよりもはるか以前のわたしがまだ子供の頃のことだ。それはまるで河の水にうつしている自分の影は変わらないのに流れていく水はもうもとも水ではないようなものだ。でもわたしはときどき、わたしのいちばんはじめの死の経験を思い出し、それがわたしにとってただあるひとの不在というにすぎなかったことを一種の羨望に似た気持で考えている。そういうふうに死がおだやかな消滅であり、この世からあの世への移住にすぎないとすれば、わたしは今さらひとの死によって傷つけられることもない。わたし自身の死を待ちながらじたばたして苦しむこともない。わたしは今ではもうものを読むのもおっくうでテレビを見ているばかりだが、テレビのドラマのなかではどんなにたくさんの人が生きたり死んだり歎いたり笑ったりしていることか。じつにたくさんの人がその状況に応じて死んで行く。しかしそれを見ていると死はただの幻に、影に、すぎないことがわかり、わたしにはむしろそらぞらしい気持さえおこってくる。どうしてああも嘘のように死んで行くのだろうね、とわたしが言うと、香代子は、それはママ、ドラマなんですものしかたがないじゃないの、もしほんとうに死んでしまったらそれこそ大変よ、と笑うが、それがドラマであることぐらいわたしだって承知しているし、そのドラマが終われば死んだ筈の役者がのこのこと起き上がって、ああくたびれたとか何とか言うだろうことも想像できる。しかしその死はひとつの約束にすぎないことを当の役者があまりにも心得ていて、そこに死んで行く者のくるしみが察せられないかぎり、その死は嘘のようだと言わなければならない。清ちゃんの死はわたしには嘘のようだったし、もしすべての死がそういうふうに感じられるならば、それは何と幸福だろうか。わたしは子供の頃のその経験をのぞいては、死をいつものっぴきならぬ運命として受入れてきた。それは棘のあるもの、ひとの心を突き刺すものだった。それは刃のあるもの、人の心から血を流させるものだった。香代子のように単純にお芝居だからと笑ってすませる子とちがって、姉の美佐子はわたしといっしょのテレビを見物しながら、可哀想にと言って涙ぐむことがある。その死がテレビの画面のうえに写し出される偽りの像にすぎないことがわかっていても、美佐子にはその死が耐えられないほど哀れに思われるのだろう。でも美佐子、お前はどれだけ死というものを知っているだろうか。お前は優しい娘だからそれまでいたひとがいなくなったあとの心のむなしさを想像することはできるだろうが、しかしからだから手や足をもぎ取られたように心からその一部分をうばい取られたその痛みを感じることができるだろうか。わたしは今のお前の年になるまでに母をうしない父をうしない結婚してはじめて生まれた子供をもうしなっていた。そのことはわたしを不幸にしたが、死は死んで行くその本人にとって不幸なばかりではなく、そのかたわらにいるひとたちをも同時に不幸にしてしまうものだ。いや死んだひとはそれかぎりあの世へ行ってしまうから残された者がどのような苦しみに耐えているのか、もう知ることもないだろう、それとも、呉さん、あなたは今も遠い世界からわたしがこうしてあなたのことを思いつづけ、寝たきりの病人となって自分の残された日々をかぞえながら一日また一日と朽ちはてて行くのを眺めていらっしゃるのだろうか。わたしはそれをしらない。あなたがわたしを呼んでもその声はわたしの耳にとどくことはなく、またわたしがあなたを呼んでもそれがあなたに聞こえるかどうか。わたしは昔の日のことを思い、夢のなかであなたに、昔の若いあなたとともに、しばらくの時をすごすばかり。しかしあなたはもう思い出すということもなく、あの世で蓮のうてなのうえに暮らしておいでなのか、この世に生まれ変わって新しいいもちをいきておいでなのか、それとも暗いところで暗い風に吹かれておいでなのか、わたしは知ることもできない。しかしわたしはまだ生きていて、あなたのことを思い出している。生きているから思い出すのか、思い出すから生きているのか。わすれてはうちなげかるるゆうべかなわれのみ知りて過ぐる月日を。それを知っているのはわたしばかりだ。わたしがこうして生きているかぎり、あなたはわたしといっしょに生きている。

      ☞呼びかけている。同じ一人称独白形式であっても、一章とは異なっている。

      ☞どのように、映像にできるだろうか。わたしがここまでで何度も本作をTVドラマにしたいと言ってきたのは、単なる冗談ではない。それは映画でなく、連続TVドラマであるが、作中でこのようにTVドラマが意識されているから、というだけでもない。一章は、映像にしやすいだろう。それはもはやかなり斬新な絵コンテである。二章、三章も、普通に映像にできる。しかし、四章はどうか。内省の映像化、それはナレーションを使えば良いのか。ナレーションにどんな映像を当てれば良いのか。素人が無断で既存の歌謡曲CDに映像を付けてyoutubeにあげた曲は、笑ってしまうほど歌詞にべったり貼り付いたものである。「汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしている」などとあれば、汽車と時計を映し出してしまう。こんなんじゃダメである。私は、内省の映像化で成功した例を知らないが、市川崑のインサートショットの多用が、けっこういけるかも知れないと思う。

      4-03(p.175 l.3) つづいて、忘れることが死の恐ろしい力である、と語っている。「たしかにわたしは呉さんのことを思い出しはするが、正直なところそれはときどきのこと、折にふれてのことにすぎない。わたしが昔おぼえた歌のかずかずを、それもわたしが特に好んでいた式子内親王の御歌などを折々に思い出すのとどれほどの相違があろう。おそらく誰でも、ひとは忘れている時間のほうが長く、ときたま思いだせばそれまで忘れていたことを忘れるのだ。いつもいつも思いだしつづけていたようにつごうよく考えるものだ。」

      「しるべせよあとなき浪にこぐ船のゆくへも知らぬ八重の潮風。ただその一日にわたしは少しづつ忘れて行く。忘れることが死の与える力だとすれば、わたしのように生きながら忘れられた人間はすでに死の手にとらえられているだろう。忘れるとともに忘れられる。わたしは父や母のことをもうほとんど思いだすこともない。昔はそのために心に深い傷を受けて歎き悲しんだのに、その傷はいつのまにか癒されたのだろうか。いやそれはむしろわたしの心の奥底で、わたしの眼に見えぬものとして、その傷を大きくしていたにちがいない。もう思い出す必要もないほど心が傷そのものになってしまったにちがいない。あるいはその傷は別の傷をまねくもとになっていたのかもしれない。」

      ☞これが「忘却の河」よどんだもののあり方、そのものではないだろうか。投げることで、よどんだ河もまた、「私」と同質で地続きの空間=共感空間をなす、それが「心が傷そのものになってしまった」ということ。

      母は震災で死んだ。

      ☞関東大震災である。1923年(大正12年)9月1日。昼時であり、多くの火事を起こした。

      「わたし」はその時、友達の家で遊んでおり、そこは火事になったので、友達の父親に連れられて小学校の「雨天体操場」(体育館)に避難した。父は、「ゆき」を探し回り、ようやくここまで見つけにきてくれた。母は、父がゆきを探しにでた後、避難所にいず同じく探しにでておそらく火に巻かれたのであろう。祖父母の代から大きな洋品店を営んでいた家は、最初の一揺れで半壊した。なにひとつ持ち出すことはできなかった。

      4-04(p.181 l.4)「若い娘が結婚というものに夢をいだくとすれば、それは愛が結婚という形で申し分なく実現するはずだと考えられるからではないだろうか。美佐子や香代子の場合には、結婚というものがはたして夢であるのかないのかさえもわたしはほとんど知らない。香代子はまだ大学生だからそんな問題は先のことだとしているかもしれないが、美佐子なんかもっと真剣に考えてみてもよさそうだと思う。あの子はお見合いというとばかにし、そうかといって恋愛をするほどのはきはきした気性も持っていない。あたしはこのままでいいのよ、と美佐子が言うのを聞くと、わたしはじれったいような気持になる。わたしには夢があった。夢をそだてたのは父の母に対する深い愛情をこの目で見たことだった。母が震災で死んだ後も、父は後添いをもらわず、わたしを連れて毎月一日になるとお墓参りに出かけた。父はほとんど口をきかなかったが、その日を忘れることは決してなかったし、わたしが女学校から帰ってくるのを待ちかねるようにしてわたしを連れて行った。」父親は独酌をかさねていたが、もうすこしつきあってやればよかったと今は思う。身体をこわして、わたしが結婚した後に、死んだ。

      ☞出来事の回想はランダムで、反復的で、ネタバレ的である。知り尽くした自分の記憶だからである。

      洋品店はさびれ、「わたし」は女学校を出て、官庁のお役人をしている遠縁の親戚のうちに行儀見習いに出た。「叔母のしつけはきびしかった。」「わたしは叔母の家でくるしい目にあうたびに、早く結婚したい、そしてたのしい家庭をつくりたいとねがっていた。結婚というものは、父と母との場合のように、かならず幸福なものと夢みていた。もし運命が、たとえば震災のようなかたちで、ひとを襲うことさえなければ。」

      「わたしはお見合いをして藤代の家へと嫁いだ。夫はやさしかったし、舅も姑もやさしかった。」新婚旅行の間も、せっせと父に絵はがきを出した。叔母が親代わりであったから、おおっぴらに見舞いにいくのはためらわれた。私は苦しみ、有るとき「とうとう夫に相談することにした。」夫は、「君にお父さんがあるのか、とおどろいたように叫んだ。わたしはそのとき、目の前がくらくなるような気がした。」 「いったいこの人はどこまでわたしのことを本気で嫁にもらったのだろうと考えた。もちろん父はいます、母は死にましたけど。どうしてそれをごぞんじないんですの、とわたしは訊いた。そうかい、僕は知らなかった。君のご両親は二人とももうなくなっているのだと思っていたよ。それがあの人の返事だった。それはまるで、そんなことには関心がなかったと言わんばかりだった。自分にとってはどうでもいいことだというようだった。ひとの父親が生きているか死んでいるかということが、どうしてどうでもいいなんて考えられるだろうか。あなたは木の股からでも生まれたんですか、となぜその時わたしはいってやらなかったのだろう。」

      ☞そんなこと言っても、ケンカになるだけですよね。むしろケンカしたほうがよかったのですかね。

      見舞いに行くと、父は「なんだ見舞いに来たのか、とぽつりと言った。しかし父が心のそこでどんなにか喜んでいることはわたしにもすぐ察せられた。」しばらく見舞いにいくうちに、父に夫を会わせたいとおもい、夫に再び相談したが、「あの人はむつかしい顔をして聞いていたが、君が行ってあげればそれでいいじゃないか、と言った。わたしは茫然とした。」夫を病院に連れて行くことに成功せず、言い合いをしながら寝てしまった。父はその晩のうちに死に、死に目にあえなかった。

      4-05(p.187 l.3)「それはもう三十年も前のことだ。そしてわたしはそれ以来、あの晩夫がなぜなぜあんなにも嫌がったのだろうと考えることがあった。お前は自由にするがいい、決して干渉はしない、しかし自分のことは放っといてもらいたい、それが夫の主義だということが徐々にわたしにもわかった。しかしあの時のもっとも大きな原因は、あの人の心の奥にある何かえたいのしれない恐怖感に基くものだったろう。そのことをわたしは長い時間をかけてすこしずつわかってきたような気がする。それは病院へ行くのがこわいというよりも、死んで行く人間を見るのがこわいのだ。あるいは死人を見るのがこわいのだ。それはわたしとも、わたしの父とも、まったく関係のない恐怖心がそうさせていたのだろうと思う。その後やがてわたしたちのはじめての坊やが生まれ、生まれてすぐに死んだ時にも、あの人はなんとも言えないおっかない表情を浮べて、ろくろく坊やの死顔を見ようとさえしなかった。わたしはその時も何という心のつめたい人だろうかと憤ったが、しかし今から思えば、あの人には何かしらそれに触れると疼(うず)くような深い傷痕が心にあったにちがいない。ただわたしはそれをたずねようとしなかったし、あの人はわたしに教えようとはしなかった。」

      ☞教えればよかったのかね。たしかに、それは不可能ではないだろう。ただし、われわれは(不思議なことに!)「彼」がそうなった理由・事情を知っている。「わたし(ゆき)」はもちろん知らず、ただこうして正確に観察し、推測しているばかりである。

      別に「不思議」ではないか。当たり前か。いや、話されたことのない秘密を他人が知っているのは、やはり不思議でしょう。しかし、物語りというのは、そもそも話す形式ですから、知っていて当たり前だと思うわけです。ここには、語ることを前提としていながら、逆に、語られないと領域(知られることのない領域、私秘性)が成立する秘密がある。世界は実は、語りで開かれており、私秘性のほうが後から成立するのである。(近代的自我、内面の発見)

      「可哀そうなわたしの坊や、まるで死ぬためにうまれてきたようなわたしの坊や、お前は名前さえつけられずに、ふたたびお前の生まれてくる前の暗い闇のなかへとかえって行ってしまった。」しかし、夫は坊やが生まれてもとくだん嬉しそうな顔もしなかった。「姑は、お前は変わっていると、ととりなしたが、わたしにしてみれば変わっているどころではなかった。坊やができさえすればわたしたちの仲もしっくり行くだろうと考えていたのだから。……坊やはじきに死んだ。わたしたちのあいだをつなぐべき糸はそこでぷつりと切れてしまった。暮るる間も待つべき世かはあだし野の末葉(うらば)の露にあらしたつなり。」

      4-06(p.191 l.1) 「わたしは幾年となくこうして寝床のなかで暮らしているがもう泣くこともない。わたしの涙の泉はいつのまにか涸れてしまった。ひとは若ければ泣くこともできるが、年をとるにつれて泣くことよりももっとつらいこともあるものだ。美佐子は何かといってはすぐに涙ぐむ。それはあの子の性質がやさしいからだろう。わたしが死ねばあの子もきがねなく嫁にいけるだろうし、そうすれば母親のそばで泣いていた昔のことをなつかしく思い出すこともあるだろう。ちいさい時から泣虫の子だった。おれは泣虫な子供はきらいだ、と夫はじきに言った。美佐子ができたからといってわたしたち夫婦のあいだはすこしもよくはならなかった。さいしょの坊やが死んでからの五年間のあいだに、わたしたちは子供によって愛情をたしかめあうにはあまりにもよそよそしくなりすぎていた。」

      「いったいあの人は何がおもしろくて生きてきたのだろう。いつでも気ぶっせいな顔をして、勤めから帰ると黙って食事をし、黙って自分の部屋へ行き、黙って寝る。」美佐子がなつくはずもないし、今でもかわらない。

      「あの人は昔話とか思い出話とかをしたことがない。戦争へ行った時のこともほんのすこししかわたしは知らない。あの人の子供の頃のこともまるで知らない。だからわたしは、あの人の性質がどういう原因でああも陰気になったのかわかることもできない。」

      美佐子が生まれ、大きくなってかわいくなっていっても、わたしたちの仲はさめたままだった。夫は大きな軍需会社に勤めていたが、戦争がその暮れに始まった年には以前よりもいっそう忙しくなって、しばしば出張で家をあけた。「美佐子も手がかからなくなり、わたしは心のなかのむさしさを何かで埋めようと思って近くのお習字の先生のところへ手習いなどにかよった。お師匠さんは未亡人で、私に手習いだけでなく和歌なども教えてくださった。」

      ☞「戦争がその暮れに始まった年」1941年の真珠湾攻撃・太平洋戦争。それ以前にも、日本は中国と戦争状態にあった。満州事変(1931年)から終戦(1945年)までを「十五年戦争」と呼びます。第二次世界大戦は1939年9月1日のナチス・ドイツのポーランド侵攻から。太平洋戦争は1941年12月9日の真珠湾攻撃から。

    3. 考察1

      提出課題 ✎ 四章の、母(ゆき)の性格や経歴などの内容面(具体的にどんなことがあったか)、観察、推測などの形式面(具体的にどう感じていたか)、そして章としての構成(反復的な回想、呼びかけ形式、平仮名、和歌の挿入)などについて記してください。

    4. 考察2

      不倫について これは次回、じっくりやります。


  • 第8回 四章 夢の通い路[わたし]不倫ともののあはれ
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    1. 承前(ここまでで)

      ▸ひらがなの多用について。

      漢字を男手(おとこで)というのに対して、仮名文字のことを女手(おんなで)と言います。「手」は筆跡・文字のことです。で、(たぶん)縄文時代のむかしから日本列島に住む人は、日本語(?)を話していました。弥生時代もそうでしょう(たぶん)。文字はありませんでした。中国の「漢字」を使って、日本語を表記するようになります。奈良時代の『万葉集』は漢字で日本語の和歌を表記しています(万葉仮名・まんようがな)。訓仮名と音仮名とがある。

      若浦尓 塩満来者 潟乎無美 葦辺乎指天 多頭鳴渡(山部赤人、万葉・919)訓仮名の例
      若の浦に潮満ち来れば潟(かた)を無み葦辺(あしべ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る

      東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡 (柿本人麻呂、万葉・48)同例
      ひむかしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ(賀茂真淵訓)

      銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母(山上憶良、万葉・803)音仮名の例
      銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに勝(まさ)れる宝子に及(し)かめやも

      そして、平安時代初期に平仮名、片仮名が出来ました。楷書・行書・草書のうち草書が平仮名となり、楷書の一部を残して片仮名になったのです。平仮名が女手、片仮名は漢字と並んで男手です。

      『源氏物語』を頂点とする平安女流文学は、かな文字の文学です。ただし、清少納言や紫式部がそうであるように、彼女らは教養にあふれ、非常に知識的、理知的です。さかのぼる藤原道綱母『蜻蛉日記』などもそうでしょう。せつせつと妻や母の情念を書き綴りながらも、男たちに対して案外と冷静なところがあります。それは実は「ゆき」の姿でもある。平仮名の多用は、病床にあるゆきが衰弱し意識が低下しているからではなく、むしろ女手に由来する伝統であり、ゆえに女の知性のあり方だと考えるべきであろう。身体はどれほど衰弱し不活発になっても、精神と意識はおそらくそれに反比例して怜悧明晰なのだ。

      引歌(ひきうた)表現について。名言やことわざを文中で引用するのと同じように、和歌を引用する修辞法(レトリック、文章術)があります。この四章も、広い意味では「引歌」表現でしょう。引かれた和歌はゆきの気持を的確に表わしている、でしょうか。歌の意味とゆきの気持・意図は一致しているでしょうか。ゆきは、式子内親王の和歌を、本来の意味とすこし違うものとして使っていますよ。

      わすれてはうちなげかるるゆうべかなわれのみ知りてすぐる月日を(新古今集・恋一・一〇三五)

      (忘れて、嘆き悲しんでいる、この夕暮れ時。私ひとりだけが知る、あなたを慕い思ってきた月日を)

      詞書き(和歌の説明)に「忍ぶ恋」とある、つまり片思いの恋であり、自分が恋していることを相手は知らないということで、片思いであることをふと忘れて〔訪れの無いのを、あなたのことを思い出して〕歎かれる、という歌である。それに対して、ゆきは、呉さんのことを「しかしあなたは〔もう死んでいるのだから〕思い出すということもなく」として、この歌を引用している。「忘れていたことを忘れる」。和歌の誤用でしょうか。むしろ異なる意味・文脈で引用することで、オリジナルの意味が改変されていく、そんな創造性あふれる使い方がされている、とも考えられる。(cf. 2011年に私は母親が死に、めちゃ悲しくて、子供のころ(母と)聞いてた失恋を歌う普通の歌謡曲、たとえばゴールデンハーフ『チョットマッテクダサイ』、大橋純子『たそがれマイラブ』がすべて母の死を歌うもののように感じられた時期がありました。)

      ゴールデンハーフ『チョットマッテクダサイ』

      ▸ゆきの半生。弟の死、震災での母の死。結婚して直後の父の死、そして最初の「坊や」の死。不幸ではあるが、波瀾万丈というほどではない。ありふれた不幸にすぎないだろう。(むかしは今より、よく人は死んだ)。事態そのことよりも、それを受け止めているゆきのあり方自体が、貴く、感動を呼んでいるのでないか。

    2. 四章 夢の通い路 全体のストーリー(後半)

      4-07(p.194 l.5) 「もう戦争なんか遠い昔のことになってしまったし、香代子なんかにはまるで理解することができないらしい。わたしも戦時中は夫が応召した留守に子供たちをかかえてずいぶん苦労をなめた。疎開した先でもさんざん泣かされた。しかし今から思うと、わたしは戦争のはじまる頃のしばらくの時期だけを生き生きとたのしく暮らしていたような気がする。たのしかったといってはいけないのかもしれない。しかしわたしが女らしく愛するということを知ったのはその時期だったし、それは近づいた戦争のおかげだった。もしも戦争がなかったなら、そういうたのしいことも知らず、わたしの人生はただむなしく朽ちていっただけだったろう。戦争はおそろしいし、わたしは結局はその戦争のために愛するひとをうしなってくるしんだのだから、たのしいというのはただ一面というだけのことかもしれない。しかし人は愛する時に、くるしむことさえも心のよりどころになっているのだ。わたしがこうして何の希望もなく寝たきりで暮らすようになれば、それはわたしにとっては戦争よりももっとくるしくてもっとみじめな状態だと言えるだろう。なぜならば今のわたしにはもうよりどころもない、きたるべき平和もない、死のほかに終わりということもないからだ。」

      手習いのお師匠さんに教わった和歌の中で、特に式子内親王(1149〜1201)の歌にこころをひかされていた。

      花はちりその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる(新古今和歌集、149)

      (桜はもう散って無いのだから、その色彩をと思ってというわけではないが、それでもその思いをもってぼんやり眺めると、やはり何も見えない空、そこに春雨が降っている)

      「新古今時代になると、従来の美意識に加え、何もないものに関心があつまり、否定的な美を好むようになっていく。「花はちりて」この歌にもその傾向がはっきり現われている。散っている花を詠むのでもなく、散り敷いた花を詠むのでもない。散って跡形もなくなった状態を、虚空に見つめてうたうのである。花をうたって花はなく、花の残像〔記憶〕が残る空に美を見出だす。あくまでも花の歌でありながら、花はない。」(平井啓子『式子内親王』コレクション日本歌人選010、笠間書院)

      ☞ 否定的な美。ネガティブな、不在であることの美。知覚でなく、記憶を対象として、歌を詠む、とも言える。

      (見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ、藤原定家 1162〜1241)。

      後白河天皇(1127〜1192)の第三皇女、一一年の賀茂斎院、不犯にして清浄な御生涯に、ゆきは「わたしに似たところは何ひとつない」と言う。「それでも女らしい恋ごころをうたわれたその御歌のなかに、わたしがわたしのみたされない気持を読みとろうとしたのは決して読みすぎといわけではなかっただろう。」

      わが恋は知るひともなしせく床の涙もらすな黄楊(告げ)の小枕(新古今、1036)

      (私の恋心は、だれも知る人はいないのです。ただひとりぬらす涙をせき止めて、人に告げることがないようにね、黄楊の小枕さん)

      玉の緒よ絶えなば絶えね長らえば忍ぶることの弱りもぞする(新古今、1034)

      (命の紐よ、切れるというのなら、切れてしまってもいいのよ。このまま命を長らえれば、隠すことができなくなってしまって、それは困りますからね。二首とも、笑った感じで訳してみました。なおさら怖いでしょ

      ……そのかたは心のそこにどうにもならない恋ごころをもち、ひそかにそれに耐え、そして歳月のむなしく過ぎ行くのにやさしい涙をこぼしていられたのだ。そこにわたしは女というもののあこがれを見てとったのだろう。わたしには恋もなかった、愛するひともなかった。それでも愛したいという気持、玉の緒よ絶えなば絶えねという強い気持をわたしがもたないわけでなかった。」

      ☞「玉の緒」は魂(命)を繋ぐ紐。それが絶えればもちろん死ぬ。忍ぶることが弱っては大変だ(もぞ・もこぞ―係り結び、〜しては大変だ)、だから死んでも良い、という意味である。しかしゆきの「死んでもいい」は、もっと積極的であろう。また、「わたし死んでもいいの」は既に本作で何度も聞いた言葉である。だとすれば、一章の「看護婦」もそうしたものへのあこがれがあったと考えることもできる。cf. 儀同三司の母「忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな」(決して忘れないと将来にわたって約束して下さるのは難しいでしょうから、このまま今日で終わる命がほしいものです)死んでもいいの、の伝統。

      さらに、だとすれば、「私」(父)と「わたし」(母)とは、おなじものを求め、求められていた人どうしではなかったのか。

      「わたしが呉さんを愛したのは、その頃のわたしのむなしい気持と式子内親王の御歌によって掻きたてられたわたしのなかのあこがれとが、ひたすらに愛をもとめていた結果なのだろう。……わたしはその頃、二十代と三十代との通い路にいて、心ぼそい思いに身をふるわせていた。鏡台の前にすわって、もともとあまり美しくもない自分の顔をぼんやりと眺めていた。」

      ☞「もともとあまり美しくもない」……、女優だれにするかねえ!(どこまで真に受けるか)

      呉さんは、お師匠さんの遠縁にあたる大学生で、二階に下宿していた。ゆきが、お師匠さんに代わって、二階にお茶を入れて運んであげた。「わたしの弟がもし生きていたら、ちょうどあなたくらいになるんだけど、とわたしはつぶやいた。そうですか、でも僕たちの年頃じゃみんな戦争に取られるだけだからなあ、と呉さんはふとい眉をひそめていた。」

      ☞俳優だれにするかねえ!(すこし昔なら田中裕子、岸本加世子あたりだったでしょうか。ギャラ高くつきそう。

      ☞戦争、世界情勢。

      もっと親しくなってからは、珍しく呉さんは強く訴えるように言ったことがある。「僕たちは学問をするために大学に入ったんだじゃなくて、兵隊に行く時期をすこしでものばすために大学生になったようなものです。人生の目的は、学問をしたり仕事をしたりすることにあるというよりも、お国のために死ぬことにあるんです。どんなに勉強したって結局はめでたく戦死というので終わりですよ。」それはけっして自暴自棄ではなかった。呉さんはまじめで誠実な青年だった。「ただどんなにまじめで誠実でもどうしようもない、死を待つよりほかにはないと心にきめて、その心をわたしにうち明けてくれたようだった。僕は死ぬのがそんなにこわいわけじゃない、と呉さんはいった。どうせ死ぬと決めてしまえば、一日一日がうつくしく見えるし、死ぬことそれ自体もきっと美しく見えると思うんです。僕はりっぱに死にたい、男らしく勇敢に死にたい。わたしはそれに反対した。だって戦争に行ったからってかならず死ぬとはかぎりませんわよ。呉さんはかすかに笑った。おくさんは政治のことなんかあまりごぞんじないだろうけれど、アメリカとの関係はだんだんに悪くなる一方ですよ。シナ事変もここまできてしまえば、今度はアメリカやイギリスと戦争になることは目に見えています。そうなればもっともっと悲惨なことになるかもしれません。アメリカは物量でくるんだから、日本は若さと精神力と神風ぐらいで対抗するほかはない。しかし神風はそうそううまいぐあいに吹いてくれるとはかぎらないんだから、残るものはわれわれのいのちがあるだけです。生きてかえれるなんて考えちゃ、お国のためには働けませんよ。でもあなただって死にたいとは思わないでしょう、と私は訊いた。そんなことを訊いても何にもなりはしないのに、わたしはそれをたしかめたかったのだ。呉さんは笑って、あたりまえですよ、と言った。」

      ☞神風は、鎌倉時代の元寇の際にふいたものだが、1892年に軍歌『元寇』にもなった。黒澤明の監督第二作『一番美しく』(1944年4月公開)では、レンズを磨く軍需工場で働く勤労動員の女学生達が、工場と女子寮との行き来の間に歌いながら行進しています。ひたむきな彼女たちは確かに美しいが、その分あふれる程に表現されるディストピア感!

      それまではなくなった弟を思うような「淡々しいものだったのに」、「呉さんを尊敬し、同時にそれまで感じたことの無かったあたらしい感情を知った。それが愛であることにわたしはやがて気がついた。」しかし「気がついたとて何になろう。わたしは毎日のようにくるしい想いとたたかい、家事にいそしみ、時間をさいては机に向かって法帖をなぞったり美佐子といっしょに遊んだりしてそのことを忘れようとつとめた。」呉さんに会えば苦しいと思い、お稽古にいってもなるべく二階に上がらないようにし、「しかし顔を見なければいっそう心はかきたれられた。

      夢にても見ゆらむものを歎きつつうちぬる宵の袖のけしきは。(新古今、1124)

      (夢ででも会えたらと思うのに。歎き悲しみながら眠る夜の袖の様子こそ)

      わたしはその頃、どのような夢を見ていたのだろうか。」「逢おうとおもえば容易に逢うことができ、ケータイを使えば相手の心に自由に入っていける現代の男女は、せめて夢の中だけでも逢いたいと願う人たちの思いを、どうみているのであろうか。」(前掲、平井啓子)いや、どんなテクノロジーの時代になっても、会えることと会えないこととの二つの状態の間に、恋は成り立つでしょう。

      夏、暑中休暇のすこし前、二階で呉さんと会い、突然の雷鳴と篠つく雨に驚く。「こわいという気持と、いっそここへ落ちてくれたらわたしは呉さんといっしょに死ぬことができるという矛盾した気持とが心の中でたたかっていた。」「そしてわたしはとうとう口にしてしまった。わたしはこうして死ねたらそのほうがいいの。」呉さんもまた「おくさん、僕はあなたがすきだ 」と言った。☞(よかったですね。か?)が、「わたしは不意にこわくなり身をしりぞけた。」「わたしはいざとなると臆病で呉さんの手をふりはらってしまったのだ。」

      夏休みで呉さんのいない間、わたしは呉さんの言葉を思い出し、この意味を考えていた。秋の初め、呉さんがまたお師匠さんの二階に帰って来たが、その「わたしは呉さんのさりげない眼つきから、このひとはずっとわたしのことを忘れないでいてくれた、想っていてくれたという印象を受けた。」その次に二人きりで二階で会う機会が出来たとき、「わたしは大胆になって、おあいしたかったわ、と言った。僕もです、と呉さんはこたえた。夏休みのあいだ顔を見ないでいた時間をひととびに飛びこして、わたしたちはまたあの雷のとどろいていた夕暮れ時とおなじ気持のなかにひたされた。呉さんはわたしの肩をそっと抱き、わたしたちはどちらともなく唇をあわせた。」

      ふたりのあいびきは、「そこにはいつも罪の影が落ちていた。わたしには夫があり娘がありお師匠さんの信頼にたいしても裏切っているという気持は抜けなかった。おなじ心持は呉さんのほうにもあっただろう。わたしはそのためにいっそう狂おしくなり、呉さんはそのためにいっそうとまどい、おそれ、くるしんでいた。積極的なのはわたしのほうだった。わたしは死んだっていいのよ、と言った。わたしはわるい女ね、とも言った。しかしわたしはわたしの愛をとどめることはできなかった。わたしのいのちはこの刻まれた時間のなかにあますことなくそそぎこまれなければならなかった。」

      ☞まずはじっくり考えてほしいのですが、この二人の男女は、おそらくそのまま第一章の「彼」と「看護婦」の関係であろう。そして「看護婦」は、その言葉通り死んだのだろう。では、藤代ゆきは? 彼女は「看護婦」とは違う選択肢を選んでいるのであろう(原因不明の病気に臥せる)。別の死に方をしているのであろう。

      呉さんは、十二月に卒業し、翌年の二月には入隊することにきまっていた。「わたしがあなたにゆっくりあえるのは夢の中だけね、とわたしは言った。夢の通い路というんですか、と呉さんは言った。」

      ☞(夢の通い路っていうやつですねの意か、または夢の通い路だとおっしゃりたいのですねの意か)

      その秋から冬へ。次の年の秋には、田舎に疎開しており、香代子が生まれていた。呉さんには、危険な道があったら、必ず危険じゃない方を選ぶって約束して、などと言い、ゆびきりげんまんまでしたが、そんな約束が何になろう。二人だけの時には、「わたしは気も狂わんばかりに、わたしを抱いて、わたしをどうにでもして、と叫んだ。呉さんは臆病でいつもすこしふるえていたし、その手はわたしが誘わないかぎり敢えてわたしのからだに触れようとはしなかった。しかしわたしたちにはもうためらっているだけの時間がなかった。どうか今は二人とも生きていることを教えて、とわたしはつぶやいた。」

      ☞生きていることの実感は、いかにして感じうるのか。「背後無き生」、その実感は如何にして可能か?

      その冬、とうとう米英との開戦が宣せられ(1941年12月8日)、呉さんは翌年2月に入隊した。3月には夫も応召が来、南方へ。日本軍のシンガポール占領(1942年2月)、アメリカの飛行機による東京空襲(1942年4月18日、B27ドゥーリットル飛行隊)。田舎へ疎開し、姑はついてきてくれたが、仕事の関係で在京していた舅のところへすぐに戻った。翌年とその翌年(1944年)、冬のはじめ、毛筆書きの一通の封書が東京から回送されてきた。「わたしはその裏書きを見た瞬間にすべてをさとった。
      拝啓秋冷之候加エテ時局モ愈々重大ヲ加エツツアルノ際ニ益々御健勝ノ段奉賀ニ候陳者(のぶれば)愚息伸之儀兼テ皇国ノ為ニ奮戦中ノ処去ル八月十二日マリアナ方面ニテ戦死仕リ候平素一方ナラヌ御好誼ニ与リ……
      その一しずくの涙も見せようとしない昔かたぎの父親の手紙のなかに、わたしは無量の感慨を読んでいた。わたしの眼は涙にくもった。呉さんのお父さん、わたしも伸之さんを心から愛していたのです、とわたしは遠くから呼びかけた。……そしてあれほど約束したのに呉さんはやはりかえってこなかった。死ぬ間ぎわにせめてわたしのことを思い出してくれたのだろうか。それとも過去のことはすべて忘れてお国のために殉じたのだろうか。」

      ☞呼びかけたのは、香代子もでしたね。それにしても、なぜ連絡が来たのか。と、読者は三章を読んでいるから、知っている。あとまあ、この候文が入ることで、平仮名はいよいよ映える。

      疎開先で終戦を迎える(1945年8月15日)。二人の子供をつれて東京へ戻ってくる。舅は栄養失調で死んだ。姑も病気になりついで亡くなった。姑は病床で、ゆきに「お前はほんとうに可哀そうなひとだねえ、とつぶやいた。……お前の好きだったひとはどうしたの、と姑は訊いた。わたしはぎくっとなり、お母さん何をおっしゃるの、と戯談にしようとしたが姑は軽く眼をつぶったままで言い続けた。わたしは知っていたんですよ、でもだれにも言ったことはない。お前のように夫からうとんじられていれば、別のひとが好きになるのも無理のないことだと思っていました。世の中にはどうにもならないということがあるもんだからねえ。あの大学生はどうしました、と姑はゆっくりと訊いた。戦死しました、とわたしは答え、それとともに涙がまぶたにあふれてくるのを感じていた。そうだったの、と姑はかすれた声で言い、わたしの手をそっと撫でていた。だれにも言わないようにね、と姑は付けたした。」

      ☞姑、これは重要な役、すごい老女優にやっていただかないと。新旧大女優対決。若手・新人女優対決は、かってに盛り上がるでしょうが、プロが注目するのはこちらでしょう。因みにわたしならば、前半にいそいそとお習字に通うゆきの姿に対して、姑がまったく気付いていないような雰囲気を見せる場面を入れておきますね。

      あとは、今日に至る……。明け方はやくに目を覚ますと、「そばで美佐子がすやすやと眠っている寝息を聞きながら、それまでに見ていた夢のことなどを思い出している。」

      「冬の朝のさむざむとした光が硝子窓から部屋のなかに射しこんでくる。わたしは眼をひらき、今日の一日がまたはじまったことを知る。今日の一日も昨日の一日とかくべつの変りもないだろう。明日の一日も似たようなものだろう。しかしいつか、そのうちに、わたしのからだもわたしの魂もすっかり影のなかにつつまれてしまうだろう。今日がその日でないとはたして誰が言えよう。そしてわたしは硝子窓を見つめながら、もうすぐよ、と誰にともなくつぶやいてそっと微笑するのだ。」

      ☞カメラのように、すべてを写し出している福永武彦の文章。美佐子を見守る母がいる。

    3. 考察2

      香代子の父親が誰であるかは、特に明示されてはいませんね。サンペンス(宙吊り)状態は、まだしばらく続きます。

      独白の映像化。全体にナレーションをかぶせ、そこに市川崑ふうのインサートショット(1,2秒の挿入ショット、しかも時間はあちこちに行き来する)をごちゃごちゃに組み合わせる。こういう手法は、今日では朝ドラレベルでも一般化してきたが、もともとかなり高度な技である。朝ドラ(2020年)でいえば、主人公の音楽好きの少年が、ハーモニカ部の最後の演奏会のシーンと養子縁組みのために音楽を捨てると語るシーンとは、時間の前後が明示されない。養子先の意図を知り雨の中で地面を叩いて泣くシーンで、養子先の家に行く前から、すこしづつインサートされている、など。けっこうこしゃくな技を使っています。

      不倫について

      「不倫は文化だ」(石田純一)、正確には「不倫から生まれる文化もある」と言ったのだが、これは本居宣長のもののあはれ論をふまえているのであろう。

      本居宣長『排蘆小船(あしわけおぶね)』(岩波文庫 54頁、一七五〇年代・20歳代のデビュー作)

      又問ひて曰はく、好色は人情のふかきところ、されば『詩』三百篇の首(はじめ)に関雎(かんしよ)あり、『礼記』にも人の大欲といへり。これもとより人々あるべきは勿論のこと也。しかれども、夫婦の中らひこそずいぶんむつまじく、かたみに思ひかはし、心ふかく契りむつぶべけれ、父母の許さぬ処女(おとめ)に心をかけ、ひそかにこれをあざむき出だし、あるは人の室女(しつじよ)に私通しなどすること、大淫乱、吾邦ことに古(いにしへ)多かりしや。伊勢、源氏そのほかの物語、みなさやうのこと也。歌道にこれをいみじき物におもひ、賞玩するはいかに。

      答へて曰はく。これ又さきに云ふ僧の色このむと同日の論也。まことに道ならぬ好色は、はなはだ無状〔無法〕なること、いましむべきのいたり也。されば聖人の教誡、人倫のおさめかた、のこる所なく経伝にしるして、人のよくわきまへ知るところ、愚人も自づから、不義のわけはよくしれり。これ世間一統の通誡也。されども此歌の道には、このいましめ又あづかる所にあらず。すべて人情、これはよきこと、これはあしきこと、すまじきことと言ふことは、大方たれもわきまへ知ること也。ことに人の妻(め)を犯すなど云ふことは。竹馬の童もあしきこととはしること也。しかるにこの色欲は、すまじきこととはあくまで心得ながらも、やむに忍びぬふかき情欲のあるものなれば、ことにさやうのわざには、ふかく思ひ入ることある也。あるを克己(おのれにかちて)忍びつゝしむと、え忍びおほせずしてみだるゝとのちがひ也。それを忍びつゝしむは良きは勿論也、え忍びあへずして、色に出で、あるいはみだりがはしき道ならぬわざをもするは、いよいよ人情の深切なること、感情ふかき歌のよつて起る所也。源氏、狭衣のあはれなる所以(ゆゑん)也。しかれば歌の道ならびに伊勢、源氏等の物語、みな世界の人情をありのまゝに書き出だして、その優美なることを賞すべき也。人みな聖人にあらざれば、あしきことはすまじき、思ふまじきとはいはれぬこと也。よきことをもあしきことをも思ひ、あるいは行ふ。人々の情より出づる歌なれば、道ならぬこともあるべきことはり也。

      現代語訳:再び質問する。恋愛は感情の本源である。だから『詩経』三百篇の冒頭には関雎(かんしよ)があり、『礼記』にも人の大欲と言っている。これが元来の人間としての姿であることは当然である。しかしながら、夫婦であればこそ、仲むつまじく、互いに思ひかわし、心ふかく契り結ぶべきだが、父母の許可を得ていない生娘(きむすめ)に恋愛感情を抱きこっそり騙して連れ出したり、あるいは他人の妻と関係を持つなど、大いなる淫乱。わが国では特に古代に多かったのではないか。『伊勢物語』、『源氏物語』、そのほかの物語もみな、そんなものばかりである。和歌でも恋愛を大切なことと思って、褒め味わうのは、どうしてですか。

      回答。これもまた、先ほど述べた、僧侶が恋愛を好むのと同じ議論である。まさに、人倫にはずれた恋愛は、はなはだ無法であること、固く謹むべきことの極致である。だから聖人の教えと誡めにも、人倫の修めかたとして、総て残らず経典に記して、人間がハッキリ弁え知るところとなって、愚人であっても自然と不義を犯してはならない理屈を理解している。これ世間共通の一般的な戒めである。とはいえしかし、和歌の道においては、この戒めもあるいは理解していない。万事、感情について、これは良いこと、これは悪いこと、やってはいけないこと、ということはおおよそ誰もがわきまえ知ることである。特に、他人の妻と関係を持つなどいうことは、竹馬で遊ぶ児童もそれが悪いことだと知っている。にも拘わらず、この恋愛の欲望は、やってはいけないことだとあくまで心得ながらも、止むにやまれず隠すに隠せぬ深い情欲というものであるから、特にそんな行為については、深く思い沈むこともある。ある者は欲望に打ち勝って隠し押さえ通すが、押さえ通すことができずに思いを表わしてしまい乱れた行為に走る者もあり、そこに違いがある。こうして押さえ隠すのが良い事であるのは言うまでもないが、隠すことができず、表情に出てしまったり、あるいはみだらで人倫にもとる行為を行う者は、ますます人情が深いということ、感情深く、和歌はここから起きる源なのである。『源氏物語』、『狭衣物語』などがあはれ〔情緒を解す〕だと言われる理由がここにある。だから、和歌の道、あるいは『伊勢物語』、『源氏物語』などの物語は、みなこの世の人情をあるがままに書き出だして、その優美なることを賞ずることができるのである。人間はみんながみんな聖人というわけではないから、悪いことはしてはいけない、考えてもいけない、とは言えないのである。良い事も悪い事も考え、あるいは行う。人間の感情から発せられるのが若菜のだから、そこには人倫〔道〕にはずれたものがあるのは至極最もな理由のあることなのだ。

      ▸「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花」、大和魂とか言った本居宣長(1730〜1801)、あんがい柔らかいですね。

      ▸不倫を良いものだと肯定しているだけでは、大学の文学の授業とは言え(悪徳もまた教材である)、少々具合が悪いでしょう。二十歳前後の若者たちも、不倫大いに人間らしくて宜しい、などと思っているようも困ります。非常に面白い次の本がある。

      橋爪真吾『はじめての不倫学―「社会問題」として考える』(光文社新書、2015年)

      カバー袖の紹介文「子供や若者世代の貧困、一人親家庭や生活保護、高齢者の孤独死などの社会問題の背景には、「不倫」がもたらず家庭破綻、それにともなう経済状況や健康状態の悪化が潜んでいる。にもかかわらず、「不倫」は個人の色恋沙汰、モラルの問題としてのみ捉えられている。」社会問題として「不倫」を考えた本、研究。タイトルは『不倫の社会学』のほうが良いとわたしは思う。社会生活を安定させる単位として家庭を破壊する不倫ということですね。

      また、不倫には、それまでの恋愛がすべて色あせるような衝撃があるが、それは麻薬と同じ中毒症状なのだ、という(47頁)。麻薬は、個人の嗜好性の問題のように見えて、まさに社会問題である。不倫はやめといたほうが良い、第5の理由としてあげられるものである。ちなみに他は、1、ばれる、2、不倫相手との結婚はうまく行かない(75%が結局別かれる)3、子供に感染する、4、不倫未遂でも十分に家庭や人生を破壊する、5、麻薬的な中毒性。不倫は感染症であり、社会全体でが取り組むべき問題である、という。

      なーんだ、麻薬の快楽でしかないのか、と思えば、「もののあはれ」論も、第四章も、すっかり色あせる。 そして、「お国のために死ぬ」も、ある種の麻薬ではないか?ちなみに麻薬についても個人の意見を申し述べます。大麻など合法化せよという動きもありますが、嗜好品としても、それに自ら主体的に選んでいるのか、その奴隷になってしまっているのか、区別が付きますか。ヒッピー文化などで薬物は自由の象徴のように思われてもきましたが、概ね歴史上、麻薬は権力者が人民を(廃人にしてまで)支配するために使われてきた、という経緯があります。軍隊も、兵士に覚醒剤を使ったりしています。だから、現在のスポーツ界ではドーピングを禁止しているのです。ドーピングは平等な競争を損ねるからイケナイ、でも健康を損ねるからイケナイでもなく、国家が兵士や運動選手を私物化するのがそもそもいけないわけです。

      不倫も同じく、快楽に溺れることを、いましめているわけです。

      提出課題 ✎ 今週は、簡単な四章の感想で結構です。「不倫の社会学」で、二人の愛もすっかり色あせてしまったから(笑)。しかし、再び真実の愛をよみがえらせても良いし、あるいは一章の看護婦と四章のゆきとを対比させても良い。一章の「彼」と四章の「呉さん」を対比させることも可能ではないか。そして、次の課題に向けて、すこし準備をしておいてください。

      予告:来週は、五章を読みます。通常の感想も出してもらいますが、6月15日締切りで、これまでに一章から四章まで書いた感想を、再び一つの文章にまとめて提出し(書き足しなど、もちろんOKです)、公開しあいましょう。広い意味での「合評」「プレゼン」です。他の人が、どんな感想を持っているかは、非常に自分のためになるはずです。分量などの制限は特に設けませんから、好きに書けば良いです。点数は通常の10点満点にしましょう(点数は公開されません)。単純に全員満点とはしませんよ。