ウメズのメ!ウメズのズ!.umezu.半魚文庫
2002楳図かずお講演会・全記録 

ウメズのメ! ウメズのズ!

文献と批評.半魚文庫


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2002年11月3日(美大祭の初日) 午後3:00〜5:00(開場 2:30)
金沢美術工芸大学 美大ホール(石川県金沢市小立野 5-11-1)
主催 金沢美術工芸大学 ビジュツDE部
内容 楳図先生が、自作について、世界の未来について、語ります。
形式 入場無料。
独演会形式でなく、インタビュー形式です。

楳図かずお

(略歴)
 1936年9月3日、和歌山県高野山生れ。奈良県五條市に育つ。血液型O型。小学校5年のとき手塚治虫『新宝島』でマンガに目覚め、初めてストーリーマンガ「まほうのつぼ」を描き、マンガ家になることを決意する。中学時代に手塚へ送ったカット作品は、手塚をして「天才が現れた」と言わしめた。が、その後は脱手塚を目指す。
 1955年、五條高校3年生の時、貸本向け単行本「森の兄妹」「別世界」でプロデビューを果す。初期の代表作には「底のない町」「口が耳までさける時」「猫面」「太郎さん羽奈子さん」「ガモラ」「恐怖の地震男」などがある。この時期すでに、恐怖マンガ、ラブコメディ、SF、時代物とジャンルは多岐に渉り、貸本マンガ界のトップ作家として活躍した。
 1965年、「ねこ目の少女」を皮切りに『少女フレンド』に連載された少女モノ恐怖マンガで全国的にブームを巻き起こし、恐怖マンガのスタイルを確立した。これ以後、日本マンガ世界の第一線の作家として活動することとなる。
 主な代表作として、60年代後半には「へび少女」「半魚人」「赤んぼう少女」「猫目小僧」「おろち」、70年代には「イアラ」「アゲイン」「漂流教室」「まことちゃん」「洗礼」、80年代には「わたしは真悟」「神の左手悪魔の右手」、90年代の「14歳」など多数。いずれも、恐怖ホラーに、ギャグ・コメディに、SFロマンにと、各ジャンルで時代を画期した傑作である。緻密な絵柄と刺激的でケタ外れの想像力、思弁的な洞察力によって、鬼才・異能として評価されることが多かったが、21世紀の今日に至って振り返ってみれば、戦後マンガにおいて最も重要な主流マンガ家であったことがわかる。
 1975年、「漂流教室」および「イアラ」等一連の作品により第20回小学館漫画賞を授賞する。1995年、作家生活40周年記念として「ウメカニズム 前人未踏の楳図かずお展」をラフォーレ原宿ほか全国主要都市で開催。
 マンガ以外でも多才ぶりも発揮してきた。音楽活動としては、1975年の自作自演のLP「闇のアルバム」発表をはじめ、各種のバンド活動、郷ひろみや近田春夫などへの作詩提供なども行なった。また、後楽園ゆうえんちの「楳図かずおのパノラマ怪奇館」「楳図かずおのおばけ屋敷―安土家の祟り」のプロデュースなどでも知られる。
 1995年以後、マンガは休筆中であるが、5ヶ国語の学習やTV出演、ライブ活動、金沢美大の講演会などに大忙しの日々を送っている。時代は彼にまだ追い付けない。

◆聞き手: 高橋半魚(金沢美術工芸大学助教授)

1964年生まれ。東京都立大学大学院博士課程満期退学。専門は近世国文学、出版史。金沢美大では「文学」を担当。北陸一の楳図通としての側面を持つ高橋氏の授業では、『漂流教室』『わたしは真悟』などの作品が講義されている。また自身が運営する個人サイトには楳図氏情報が満載。

◆司会: 小谷真輔(金沢美術工芸大学・ビジュツDE部部長)

1980年生まれ。金沢美術工芸大学油絵専攻2年。自身の表現活動を軸に、社会とのインターフェイスとしての役割を担うことを目的としたサークル「ビジュツDE部」4代目部長。


[はじめに]

以下は、講演会の中の「ことば」の、ほぼ総てです。

話し言葉と書き言葉の差異はさすがに調節しましたが、楳図先生のお言葉を一言ももらすまいと、話の流れは勿論、中味もほぼそのままの再現を心掛けました。僕(半魚)の発言は、「あれ」とか「これ」と「あのー」とかがやたら多くて、話がヘタなのでそれなりに調整しましたが、楳図先生の言葉はさすがスッキリしていて、あんまりいじらずに再現できました。ぜひ、楳図先生の口調でお読みください。講演会の趣旨は楳図作品や楳図理論のすごさであって、楳図先生のキャラ的な面白さではないのですが、でもギャグやジョークも、やっぱり、ぜひお楽しみください。ほんと、面白いです。

会場は、ほぼ終始なごやかな感じで、聞いていてくださって、随時、笑いやジワ、拍手や感嘆などが聞こえて来ましたが、これはいちいち記すとごちゃごちゃするんで、ほとんど省略しました。なお、会場の美大ホールは座数400席。これが総てうまり、立ち見も出ました。10分の休憩を挿んでもほとんど誰も帰らなかった。

(  )内は、僕(半魚)による補足や訂正、言い訳です。また、見出しなどは付けていません。要点とかはつかみにくいかも知れませんが、この分量でも十分最後まで楽しんで読めるはずです。

本ページは、他の半魚文庫の部分と異なり、著作権を強く主張します。(C)2002 楳図かずお、ビジュツDE部、高橋半魚。転載や商用等での利用はお断わりします。

関連サイト


[本編のはじまり、はじまり]

(場内には、スクリーンに『うろこの顔』の一部分が映されて、音楽は『へび少女』が流れている)

(3時ちょうど。小谷と半魚が壇上に登場する)

小谷  本日は、楳図かずお氏講演会にお越しいただきまして、まことにありがとうございます。本日、司会進行をさせていただきます、金沢美術工芸大学ビジュツDE部部長の小谷真輔です。よろしくお願いします。

楳図先生は3時10分ごろ御登場の予定なので、それまで諸注意等をさせていただきます。会場内での飲食喫煙は御遠慮ください。また、携帯電話・PHS等を御持ちのかたは、電源をお切りになるかマナーモードにしていただきますよう御協力お願いいたします。

次に、この講演会を企画しましたビジュツDE部の紹介をさせていただきます。わたしたちビジュツDE部は、自身の表現活動を軸に、社会との繋がりを目的としたサークルです。御手元の資料の一番後ろに活動略歴をはさませていただきました。是非ご覧ください。

次に、僕のとなりにいる高橋さんの紹介をさせていただきます。高橋さんは、うちの大学で文学を担当されています。北陸一の楳図通としての側面を持たれ、授業では『漂流活動』……まちがえました。

(場内爆笑)

半魚  完全にアガってます。

小谷  『漂流教室』『わたしは真悟』などで授業をされています。

半魚  がんばれ。

小谷  うるさい。それでは一言お願いします。

半魚  えーと、教員の高橋です。僕も、小谷君以上にアガってます。あのー、学生の活動に教員がしゃしゃり出るのは、非常にお恥ずかしいというか、心苦しいというか、恐縮してます。ただし、今回お迎えするのが楳図かずお先生だということで、ちょっと話は別だろうということで、ここにしゃしゃり出てきました。ただ、僕に与えられた「聞き手」という役は、楳図先生の横に座って、楳図先生のお話を、「ふんふんふん」と聞いている、という役なので、たぶん、たぶんあまりしゃべらないと思いますので、どうか御許しください。

えーと、ここで、僕が言わなきゃいけない話ということで、三つほど話をさせてください。

一つは、自分のことになりますが、「北陸一」というのは、すごいんだかすごくないんだ分からないというジョークでありまして。私としては、次の段階として、「日本海側一」の楳図通を目指しています。まあ、それはどうでもいいんですが。

二つ目。この、楳図先生をお呼びするということが決まってからの、小谷くんをはじめとするビジュツ部のがんばりようを、一緒に横にいて見てきました。スタッフは総勢20名、ていうか、厳選20名だね。わりと、なりたいとかいう人を断わったりとかもあったみたいですよね。

小谷  いや、そんなことはないですよ。

半魚  あ、そうですか。 ともかく、どれだけ頑張ったかということは、このセットを見ただけで、ある程度想像はつくだろうと思いますが、あのー、NHKでもここまで凝りはしないだろう、というぐらいになっているんじゃないでしょうか。ともかく、今のこの瞬間を迎えられるのは、小谷くんをはじめとするビジュツ部のかたがたの努力の賜だ、ということは強調させてください。

さて、三つ目が一番大事なんですけど。そのー、楳図先生をお呼びして講演会をすることの意義と言いますかね。まあ、楳図先生というのは有名人ですし、ネームバリューもありますから、それだけで人が呼べる方です。僕はあんまり記憶にありませんが、この美大ホールに立ち見が出たのは、あんまりないんじゃないか。

しかし、この講演会の本来の目的っていうのは、楳図作品を通してですね。 まあ、楳図先生のお人柄というか、TVなんかで見て、愉快というか、ちょっと言葉を選びますが、まあ楽しく愉快なキャラクターという感じで、それだけで十分楽しいんでしょうけどね、一方ですね、楳図作品というのは、熱烈なファンがいるにしても、まだ確実にはきっちり読まれていない、と思うんですね。ま、実際、読んだことの無い人も、結構多い。なお、本が外に売ってますので、読んだことない人はおかえりの際にぜひどうぞ。

で、実際に読んだとしても、まだまだ読み込まれてないし、その作品の現代的な意義だとかは、まだまだ語り合う余地があるだろう。で、この講演会を通して、そして楳図先生を通して、楳図作品を認識してみたいなあという事が有ります。勿論、「作品は読んだことないけど、楳図かずおって面白そうだ」というのでも、まあ導入としては、それでもいいと思いますけど、それに加えてですね、作品をちゃんと読んでゆくという、そのきっかけになれればいいなと、それがこの講演会の目的だろうと、確信しているのですけど。

小谷  はい。そのとおりです。

半魚  僕の話は、以上です。

小谷  はい。じゃあ、そろそろ準備が出来たようですので。

半魚  あ、楳図先生がごあいさつする時の……、あれ。グワシの話は。

小谷  是非、してください。

半魚  楳図先生には、「グワシをしてくれ!」なんてお願いは、こちらからはしていませんが、みなさんも、是非盛り上げていただきたいと思います。

小谷  それでは、楳図先生の御登場です。

(拍手。暗転から)

楳図  こんぬずばー!

吉祥寺からやってまいりました、楳図かずおなのらー! ここで、一発、きめたいのらー! せーの、

グワーシ!!

いやー、あの、僕はですね、晴れ男でして。いつもどこかに行くときはかならず天気なんですけども、今日は、なぜか、「あっ晴れたな」と思ったら、「わぁ雨だ」、「晴れたな」と思ったら「また降ってる」でね、僕のパワーと金沢の雨のパワーが戦っております。ですけど今日は、ぜひ僕のほうのパワーに御協力ねがいたいと思いまして。よろしくお願いいたしまーす。

さて、ここで、グワシ!を、僕だけじゃなくて、みなさんにもやっていただきますよ。

小谷・半魚 (よろこぶ。なお、グワシハンドは、そのまま、頂くこととなりました!激レア!)

楳図  ジャジャジャーン。はい

(グワシハンドが三つある。小谷・半魚にも渡す)。

では、三人そろって、3グワシ!で行きたいとおもいます。みなさんも、ぜひ合せて、大きな声でグワシ!とやっていただきたいとおもいます。いいですか、せーの。

会場全員 グワーシッ!!

楳図  ありがとうございました。

(ハンドマイクから、スタンドマイクへ)

マイク、とりあげられてしまいました。

(スタンドマイクの上に置かれていた、BGが落ちる)

いろいろ、怖いことがおきますですね〜。僕は、旅行に行くときはいつもだけど、金沢に泊って、「なにか出来事が無いかなー」とか楽しみにしてました。でも、ホテルに泊りましたけど何も出てくれませんでした。ちょっと残念ですね。今年こそは、絶対体験しよう、と。あのね、幽霊とか見たこと無いんですよ。はい、金縛りとか。カナ、カナシバリだから、カナザワだから、あの、カナシバリでね、多少有るかなって思ったんですけど、なんにもなくって、残念でした。また、来年がんばりたいと思いますので。では、よろしくおねがいいたします。

小谷  宜しくおねがいいたします。

半魚  楳図先生、あの、先生の略歴は、あらためて紹介するまでも有りませんけれど。簡単に。

小谷  紹介します。先生は、和歌山県高野山に生れ、

楳図  ああ、あのちょっとごめんなさい。本なんかにも、だいたい和歌山生れになっちゃうんですけど、ほんとに、生れただけで、本籍は奈良県なんです。そこのところをちょっと……。

小谷  あ、ちゃんと。……奈良県五条市にてすごされました。

楳図  はい、そうです。ありがとうございます。

小谷  高校三年生でプロデビューされ、『へび少女』等で、恐怖マンガの第一人者になられました。その後、代表作に『漂流教室』『わたしは真悟』『14歳』などがあります。ほか、『まことちゃん』など……

楳図  はい。ありましたですねー。これですねー。(まことちゃん顔プレート)

小谷  ……など、ギャグマンガも描いておられます。

半魚  1975年、『漂流教室』等で小学館漫画賞授賞、ですね。

楳図  ですねー。

半魚  もっと授賞しててもいいんですけどね。

楳図  ええ、あの、『漂流教室』の授賞だけでも。阿部進さんが(授賞)会場で、「推したのは私だけです」なんて言われてしまいまして。評判が悪いんですね、僕ってね。 賞を頂いて、会場に出かけました。そしたら、審査員の方々がいらっしゃる部屋に入って行きまして、「こんにちは」と言っても誰も返事してくれなくてー。

半魚  そうですか。

楳図  ありましたですねー。なかなかやっぱり。ですけど、このところ、最近になって、やっとこうチラホラと、理解していただけるようになったかなあと思って、喜んでおります。

小谷  今日のプログラムなんですけど、演題を「ウメズのメ!ウメズのズ!」ということで、お手元の資料にもあるんですけど。

楳図  はい。「ウメズのメ」はよく分るんですけど、「メー」ですけど。「ズー」はどうしましょ。

小谷  あぁ、はは。ちょっと待ってください。(困ってる)

楳図  ズー。ズズズズズズーッ!ですか。 (ハナが)

半魚  小谷くんがもうすこししゃべります。

楳図  はい、すいませーん。じゃあ、おねがいしまーす。

小谷  前半を「ズ」編としまして、マンガのコマ割りとか、マンガについて先生に語っていただこうと。で、3時55分くらいから休憩をはさみまして、後編は「メ」編としまして、楳図先生は今何を見ているんだろうということで、

楳図  (まわりを見回してみる)

小谷  ……話をしていきたいと思います。 「ズ」編はスライドを見ながら、進めていきますので。

楳図  ちょっと時間がかかって、みんなツライドーもありますけど。スライド。

小谷  ははは。(うろたえる)(会場拍手)

照明を暗くして下さい。

楳図  あっ、出た。なかなか。

半魚  ともかく、今日は、楳図先生のいろんな絵を見ていただこうということで。

楳図  僕も初めて……。

半魚  いちおう北陸一なので、いろいろなところから探してきました。

楳図  そうですか。

半魚  これはいつ頃の作品ですか。

楳図  いつごろなんでしょうか。

半魚  これは僕も年代が分からなくて。たぶん、中学生か高校生くらいか。

楳図  あのですね。高校になったら改漫クラブは……。これ、その改漫クラブというところの繋がりの作品だと思うんですが、中学三年生でたぶん会がなくなったような気がするので、中学三年生くらいかなー、と。

半魚  これ、1コマ1コマ、漫画のコマになってますよね。タイトルは「ユメ」。セリフはひとつもない。着色で。

楳図  このころ、着色にすごく凝ってまして。青森県の宮崎(晴吾)さんていう、すごい色遣いの上手い方がいらっしゃって。

材料は、青はインク、赤は赤インク、黄色は食紅、だったかな。紅色も食紅、あと毛糸を染める染料とか、けっこう材料に凝りました。

半魚  あーそうですか。セリフは一つも無いけれど、コマ割りになっていて、イメージだけでユメを表現している。

次は。これは全部じゃないんですけど、「ハッパ」というタイトルで、「KU」で、改漫クラブ。

楳図  「KU」は、かずおうめずです。

半魚  あー、はい。

肉筆のデビュー前の作品ですね。

楳図  そうですね、はい。自分たちで描いて、それを郵便で廻し読み。中学三年か高校一年くらいですかね。

半魚  これも、秋の景色を。猫の形とか。

楳図  ラッキョみたいな猫ですね。

半魚  次は。

楳図  これは『別世界』と言って、高校二年生の時に描きあげたものですね。

半魚  これが、まあ実質的な単独のデビュー作ということで。

楳図  そうですね。

半魚  実際に描いたのは、高校二年生くらいのころで。

楳図  はい。高校三年の時は、もうマンガに飽きてまして。

半魚  はー、そうですか。高校三年の初めくらいのころから、もう飽きてて?

楳図  マンガなんか、もう、ぜんぜん見向きもしないで。ピアノばっかり、学校に忍び込んで、弾いてました。

半魚  それで、三年生の終り頃に、これが出版されたことによって、またマンガに……。

楳図  そうですね。また、マンガに引き戻されてしまって、

半魚  もしも出版されなかったら、中学生までの才能が、そのまま埋もれていた可能性も?

楳図  どうなんでしょう。また、そのうち。ははは。

半魚  この絵なんかも。

楳図  「オノオノがた」って言ってますね。

半魚  そうですね。これは、原始社会を舞台にした、終末SF。SFですよね、これは。SFなんだけど、あんまりSF臭くない。

楳図  そうですね。一万年前の話ですから。火星人の末裔が住んでいるという、そういう話ですけど。

半魚  とにかく、このへんとかですね。森の風景ですが。

もうちょっと、こっちに行かない?こっちに。 (画面左端が切れている)

小谷  いかないです。

楳図  ひとりかつらをかぶっている人がいますね。「オノオノがた」って言ってる人。

半魚  ちょっと愉快なところもありますよね。このサルの「キー」とかも。

楳図  そうですね。

半魚  こちらにはトカゲがいたり。ここにはヘビがいたりとか。

楳図  ええ。

半魚  ごめんなさい。なんでこっち、切れてるの?いかないの?

小谷  ムリですよ。すいません。

半魚  次も同じ、『別世界』ですが。

楳図  砂漠ですね。

半魚  これは、主人公のリバー少年が、砂漠で倒れて、そしてお父さんおかあさんを思い出して、それでもう一回立ち上がる、という。

楳図  ええ。立ち上がって、それで、オアシスのようなものが見つかる、ということですね。

半魚  こういう、動作を細かいコマ割りで割ってゆく、というのは。コマ割りの細かい話は、あとでまとめてやろうと思いますが、やはりもう高校生くらいのデビュー前から?

楳図  そうですねえ。なんとかして、リアルな動きを出したいというのがあって。ですから、「絵はマンガ」なんですけど、「気持ちは映画」というのかも知れないですよね。

あと、ここには入っていませんけど、楽譜が入っていたりとかいうページがあったりしてたでしょ。恐竜が出てくるところに、ちょっと怖い伴奏が入っていて、楽譜で描いてあったりとか。

半魚  あれは有名なので、わざと載せなかったのですが。

楳図  おや。ズリッ。

半魚  そっか。音なんかに楽譜が有って、効果音みたいに。

楳図  そう。ダダダダーンみたいな。

半魚  なんか、やっぱり実験的な感じで。

小谷  はい。次です。

楳図  でました。こわいですね。

半魚  これはデビュー後の。怖いですけど。『お百度少女』という作品ですね。

楳図  『お百度少女』、ええ。

半魚  さっきもそうでしたけど、コマの角が丸かったりして。

楳図  そうですね。

半魚  こんどは、このコマだけが丸かったりして。なにか意味があるんでしょうか。

楳図  やっぱり、「この絵だけ見てくださいね」という、これが「一枚の絵ですよ」という、そういうシグナルだと思うんですけど。あ、でも、余計なことしなければ良かったですね。

半魚  なんでですか?

楳図  手間喰うだけで、なんの意味もない。

半魚  いや、そんなことはないと思うんですが。

これ、今の若い人たちに見せると、これらぜんぶひっくるめて、当時の手塚風な絵だとか思っちゃうような。区別が付かないから。でもやっぱり、当時の手塚離れというか。

楳図  そうですね。まず、コマの縁をまるくしてるってのは、他に無かったものですから。すこしでも他と違うようにしたいっていうことで。

半魚  サインがはいってますね。「図」の字が。やっぱりこの絵を見てくれっていう。

楳図  そうですね。やっぱり、これ、一枚絵というつもりなんですね。

半魚  この時期、これだけかわいい女の子が描けた人は、楳図先生以外、ほかにあんまりいなかったような。

(あとで、高橋真琴なども話題にだしてはいるが、いわゆる雑誌系のマンガ的な絵で、これだけモダンな女の子が描けたのは、多分、楳図と石森くらいだったんじゃないかな、と思ったもので。)

楳図  と、と、とんでもない、そんな。はずかしい。編集の人に、「コンブ被ってる」とか言われました。

あ、これは、「南海の少女」という。

半魚  これは、またすこし時代があとの。1961年くらいですけど。

楳図  東京に出てくる前かな。

半魚  直前くらいですか。 (上京は1963年8月だから、「直前」ってことはないですね)

楳図  はい。

半魚  あ、ここにもちゃんと「図」の字が入ってます。

楳図  「図」の字、入ってますもんね。

半魚  次も「南海の少女」。

楳図  南海の孤島に女の子が住んでいるんですけど、そこにこの青年が流れつくんですね。そういうロマンスがめばえるんですが、その後、ぜんぜん描かずにそれっきりになってしまっているんです。

半魚  前編後編、二回くらいの分載?

楳図  いや、もうちょっと長く描くつもりだった。はい、要するに、島が沈んじゃうんですけど、その島に伝説が有って、その島の上に椅子がひとつあって……、

半魚  椅子?

楳図  で、そこに座った人がどうのこうの、とかいう、そんなストーリーでしたね。

半魚  この時代、キスシーンはどうだったんでしょう?

楳図  キスシーンは、あんまり無かったと思います。

半魚  これ、順番ですけど。怒って、キスして、全体像、ですよね。これ、全体像でキスして怒ってだったら、当たり前ですけど。事件の記述ですけど。並べ方で、ドラマが生まれるわけですよね。

楳図  はい。例えば、怖い話なんかも、襲ってくる怖い怪物という怖さも有るけど、それを見て怯えてひきっつている顔の怖さっていう、両方あると思うんですよね。その両方を上手に描かないと。一方的な、襲ってくる怖さばっかりだったら、どのへんの怖さなのか分からないのとおんなじで。この「サラ!」って言ってるおかあさんの表情から、この状態がいいのかわるいのかを読み取った上で、「こんなことをして!」というふうに。

半魚  ちょうど同じ時期に描いている、カット作品ですけど。

楳図  はい、ぜんぜん違いますけどね。ほんと、遊びというか、サービスで描いた。「図」の字もはいって。

半魚  サービスというのは、出版社に対するサービスですね。

楳図  そうです。「ちょっと、これにカット描いてよ」とか言って、「あー、わかりました」とか言って。

半魚  「楳図かずお初期カット集」とか作れたらいいですけどね。でも、これがかなり貴重で。集めるだけでも大変ですよね。

楳図  そうですね、けっこうありますもんね。

半魚  次も同じ。

楳図  はい。かみなり様が避雷針に落ちたんですけど、頭のほうから。ずーんって感じで。

半魚  さっきもかみなり、鳴ってましたけど。

楳図  今日、かみなり鳴ってましたもんね。金沢のどこかに、落ちてるんじゃないでしょうか。

半魚  えー、いま、これぐらいが初期作品ということなんですけど。

「へび少女」とかで本格的にブレイクする前の絵をみていただいて、結構まあ、「楳図かずおはこんな絵を描いていたんだ」とびっくりしてもらおうと。

楳図  はい。ほかの人よりさき、自分がびっくりして。

半魚  ひゃはは。初期のころは、特に、絵柄が変わったりして。

楳図  変わりますね。「どうやれば、どんな風になるんだろう」って考えていて。まあ、「女の子はかわいく描きたいなぁ」というのがあって、なるたけ、かわいいというほうに近づけようという努力はあるんですけど。でもその他のところは、まあ女の子にしてもだけど、受け入れてもらいやすい絵柄と、そうでないのとかあったりして。試行錯誤でしたよね。

半魚  当時は、ほかにも女の子をかわいく描く漫画家さんとか、いましたよね。

楳図  はい。いました。

半魚  高橋真琴さんとか、谷悠紀子とか。

楳図  いましたですね。高橋真琴さんが典型的だったかも知れないですよね。だいたい、その流れからみんな来てると思うんですけど。

雑誌でね、キシダハルミさんといって、すごい、かわいらしい女の子を描く人がいたんですね。漫画家じゃなくて。そっちのほうの影響が、一番大きいみたいですね。 ちょっと御存じないでしょ。

半魚  あー、知りません。会場でもし御存知の人あれば、あとで質疑応答の時にでも。 (「岸田はるみ」でした。若木書房の『こだま』『ゆめ』『こけし』の表紙を描いていたのを見つけました。ハイセンス高橋真琴に比べて、キュートって感じ。)

 

小谷  あのー、さっき説明してなかったんですけど、この「ズ」編は、三つにテーマをしぼらせていただいてまして、まずは初期作品、つぎからコマ割り、そして絵の密度ということについて、お話していただこうということで。

楳図  はい、さーたいへんだぞー。どすこい!

半魚  では、コマ割り編ということで。

楳図  あの、『こまわり君』じゃないですからね、『まことちゃん』ですからね。

半魚  お手元のプリントにも、ズ編とメ編とあるんですけど。あ、先生のところにはないんだけど、あれかしら。

楳図  はい。

半魚  先生は、まあ、お配りするまでもないですか。

楳図  ええ、そうですね。ははは。横着なところがまるだしで、すいません。

半魚  楳図かずおというと、作品について語られることは多いんですけど。で、絵もすごいって言われるんですが、

楳図  ありがとうございます。

半魚  コマの割り方について、評論家がまともに言及したことって、ほとんど無いような気がするんですが、 (マンガ夜話での夏目房之介の解説などは、論じる価値ナシ、ってことです)

楳図  ああ、そうなんでしょうかね。

半魚  で、楳図先生本人が言っていることが少しあって、それをプリントの Log.1とLog.2 のところに、簡単に集めてみたんですけど。ただ、これは、楳図先生のいろんな絵の中の、『まことちゃん』での例で、では、『まことちゃん』以外でも、そうかどうかという事は、共通点と違うところと、またあらためて考えてみなければ、と。

楳図  どうぞ、どうぞ。

半魚  これは、『まことちゃん』の典型的なコマの割り方で、遠くの人は良く見えないかもしれませんが、まずは、これは見開きですが、コマ全体の形を分かっていただきたい。

楳図  はい、ロットのように。市松模様という感じですよね。市松模様のコマの割り方。

いち。ひとつにはですね。さっきもありましたが、角を丸くしたのとか、ありましたよね。僕は、あの、ああいうやり方は、角を丸くしたがために、そこに、大袈裟な言い方だけど、枠取りに生命を持っちゃうっていうふうに思ってるところがあるんですね。マンガの場合は、コマ割りの枠取りというのは、これが本題じゃなくて、中味を見せたい。そうすると、枠っていうのは、本来は「有って無いもの」でないと。これが主張しはじめたら、これはそのマンガの中味じゃなくなる。ですので、どこを見ても均等に、これは単なるテレビのフレーム、映画のうつってる画面のその枠、ていうふうに僕は受け取っているものですから、なるたけコマ割りには変化を付けたくないんです。はい、これがひとつ。

もうひとつは、何ページかのノルマのページの中に、「これだけの話を入れたいな」と思った瞬間に、「あー、このページはこんだけ割っておかないと、後でえらい目に遇うぞ」と。はい、もうそのへんは中味との相談で、最初からこういうふうにしとかないと。これだっても、最後に2コマくらいでこしょこしょこしょと、結末から来ちゃってる場合だってあるので。やっぱりねえ。

半魚  それは、経済的な理由。

楳図  経済的な理由で。まあ人間、生きるのも、最初はゆっくりやってるうちに、あとで煮詰っちゃって、というのがよく有るじゃないですか。それとおんなじ理由で、最初からコツコツと。えらいセコい話ですね、すいませんね。ちゃんと貯金をして、というのがこれなんです。

半魚  2は経済的な理由ですが、1は芸術的な理由。

楳図  そうなんですよね。

半魚  テレビの画面と言うのは、そこに枠があるってことを、見てる対象に対して意識させないわけで。

楳図  そうですね。

半魚  枠の外側にも世界が拡がっているんだ、ということを意識させているのが、テレビのフレームですよね。

楳図  そうなんですか?

半魚  あっ、テレビ。ごめんなさい。枠の外側にも世界が拡がってるんだろうなあってことを意識させているのが、テレビのフレームですよね。

楳図  ああ、たしかに。テレビの場合は、中の画面がずれて移動すると、「その行ったヤツどこゆくの?」でね、昔の人なんかは、そんなギャグがよくあるけど、そういう意味で、画面の中以外のところにも続きがあるよってことなんだと思います。が、マンガも多少それはあると思うけど、ただ、マンガは画面の中が動きませんので。だから、むしろ映画のフィルムのコマをひとつひとつピンセットで貼り付けた、というのに近いかもしれませんね。

半魚  そういうイメージですか。そうすると、楳図先生は、見開きの、全体がコマが構成されていて、一つの絵になっているというような、そういうような意識は。

楳図  はい、まるでないです。

半魚  まるでない!?

楳図  はい。

半魚  むしろ、やらないようにしているのでしょうか。

楳図  そうですね。

(ここは、ズ編コマ割り部のクライマックスです)

半魚  枠線に生命性を持たせないというか。

楳図  持たせちゃったら、それは一枚の「絵」になっちゃいますので。まあ一枚の絵にしようと思えば、それでいいのでしょうが、僕の場合は、中味を見てもらいたい。中味がきちんと伝わって、まことちゃんのギャグだったらギャグが100%、まわりに振り回されずに、説得できる。そんなふうなところから、コマ割りがこんな風に、すごくありふれた形になっています。

半魚  ひとつひとつのコマじゃなくて、全体がひとつの絵になっているようなコマ構成というと、70年代の石森章太郎とか。

楳図  石森さんはおおいですよね。

半魚  石森にしても、それが必ずしもそんなに評価されてないんですけどね。あれはあれで、すごいと思うんですけど。むしろ楳図先生は、それとは全く逆な。

楳図  そうですね。それに、まったく手は入れないで。ただ、あんまり狭く描いていては入りきれない場合もありますので、そういう時は、ちょっと歪めたりとか広げたりとかはあると思います。あと、全体的にぱっと見たとき、どこかにアクセントがないと、見てる目線がそこに来てくれませんから、そういう工夫はしてると思うんですけど。

半魚  そういう工夫の絵も、これから出てくると思うのですけど。

これなんかは、『イアラ』ですけど。今のマンガを読む人は、セリフのないところはパッと読み飛ばしたりしますが、こういうところを、じっくり読んでほしいですよね。

楳図  あのですね。ちょっと話が飛びますけど、この前、おろちの「まんがビデオ」が出たことがあるんですが(ArtPort APM-0002 1999)、その話を頂いた時に、まあ大変なんか傲慢な言い方ですけど、僕のは絶対大丈夫なんですけど、パッパって見てて、ああこの人のはダメって、すぐ分かりました。なぜかと言いますと、ビデオにまとめるときのまとめかたは、一枚で見開きを画面に映すんじゃなくて、一コマ一コマを追ってビデオのストーリーにしてるんですね。その時の繋がり方は、石森さんのように横に長くしてたりとか、一つの「絵」で描いている場合は、繋ぎがなかなかスムーズに行ってないんですけど、僕の場合は、このとおり真四角だし、中味の動きに重点を置いていますから、一つ一つ拾って行って、それで、ひとつひとつ連続で出してもらうとすごく、まあその、失礼ながら、僕のマンガの良さがわかる仕掛けに。まあ、そういう風にして見ていただくと良いと思うんですけど。

半魚  『おろち』の「まんがビデオ」は、あまり良くないと……。

(ここは、さすがに弁解の余地無し。マンガビデオ自体、僕は好きじゃなかったので、すごい思い違いをしていた)

楳図  はい。あ、いや。そんなことはない。『おろち』のビデオは、すごい良いんですよ。

半魚  あ、『おろち』は良いです。

楳図  『おろち』はいいんですけど、他の人のビデオは見てないけど、まんがの作品のほうを見せていただいた時に、「ああこれは、ちょっとそういう繋がりになんないな」と。要するに、「コマとコマの間になんかが有る」と言いはじめたら、この世界(マンガ)ではそれはまあ可能かもしれないけど、ビデオで一個一個繋げて追って行った場合、「コマとコマの間」は無いんですよ。完璧に、コマと次のコマと、この関連性だけで進んでいくだけだから。その繋がりがあるかどうかは、マンガの本のほうを見るだけですぐ分かりますよね。

(僕は、楳図先生のコマ割り理論を、だいぶ分かってた気になっていたが、まだまだでした。壇上で混乱してました)

半魚  まんがビデオというのは、ビデオでこのマンガの画面を追っていって、セリフを付けたりしたっていうものですけど。

楳図  そうですね。

半魚  マンガは、自分で読むスピードを決められるってところが。

(かくのごとく、楳図コマ割り理論を、フツーのマンガ論に持って行ってしまっている。すいません)

楳図  一番良いとことなのでねえ。むしろ、ビデオにしろDVDにしろ、そこ(ビデオ、DVD)のやりかたに入っちゃったら、これはもう全くマンガと違う世界なんで、やはり動いてくれないと。画面に出ちゃったら、絵は動かないと、見てる人は絶対に納得しないと思います。マンガは、やっぱり手に取って、紙で、多少曲げたりひっくり返したり、後に戻ったり。そういうのがあるからマンガだと思うので。

半魚  そうですね。

楳図  いや、結構これがね。実際間違ってるんですね、企業の方は、考え方が。何でもDVDに載っけてしまえば、こうやってぴらんと開けて、映って、また次が出てくれば、それで、って。ええ。それで何万円も、高い値段付けて。それで買うだろうとか思って。これはちょっとね。

(赤塚漫画大全集DVD7万円って、『洗礼』や『左手右手』の後表紙に広告出すかーっ!)

半魚  本として手に取って読むのとは。

楳図  ちがうだろうと。

半魚  次が『へび少女』ですけど。

楳図  はい。

半魚  このへんはコマが大きくなっていて。

楳図  そうですね。

半魚  こういう感じで。ここは細かいんですけど、結局、おかあさんが娘を抱いている、おかあさんが、だんだんへび女になってゆくんですよね。これ、今の漫画家だったら、3コマとかで描いちゃう。

楳図  あっ、それはいけません。だって、「おかさあんはなしてっ」の横のコマで、なんかおかあさんの顔は映ってなくて、へんな中途半端な頭だけある。ってことは、「あれっ、この頭の中になんかがおきてるぞ」というような暗示ですので。その暗示が有って、次に「おかあさん」ていうのは、おかあさんの顔を見たわけですよね。そしたら、何かになっている、ていう、その間の変化する繋ぎなので、3コマじゃあちょっと、どうでしょうか。どこを抜けますか、抜くとしたら。

半魚  いえ、基本的に楳図作品は抜けませんけども。

楳図  ええ、抜いても、話は分ると思うんですけど。

半魚  ここ、ゆっくり流す、時間が流れてゆくことによって、恐怖の表現が出来てくるというコマ割りになっているんですよ。

楳図  ええ。じわーっと、ですもんね。

あっ僕、最近お岩さんについて、テレビの仕事なんですけど、話をしなきゃいけないんだけど、お岩さんの、『四谷怪談』のビデオを見ました。そしたら、変化するところのシーンなんだけど、お岩さんが薬を飲まされて、はっと気がつくと、だしぬけにもうここ(目の上)が腫れてるんですよ。だからもう、だしぬけに腫れちゃったっていうのは、もう、「ちょっとーお」と思いますし。それで、だしぬけに櫛かなんか持ってきて、ときはじめるんですけど、これももうだしぬけにとくなんていう行為が、ちょっと説明不足でしょ。なんか、そんなふうに、間のAからBへ移る中間のクッションが無いと。そこでつなぎあわせる何かがあるわけですから、コマ数はないと。

半魚  これがちょうど、おなじようなことになりますが。 (初期作品の『ほくろの怪』1959年)

楳図  僕、けっこうお岩さんの影響は、こういうところに出てますよね。

みなさん、お岩の話は見たことありますでしょうか。

半魚  これは、そのお岩さんのだめな映画のほうとは違って。

楳図  ええ、すこしづつ。

半魚  だんだん、こういう風に。同じアングルからですけど、こういう風にじっくり描いてゆこうとする。

楳図  ただ、マンガでこのやり方は、無理がありますね。こうやって、コマ数をいっぱい使わないと出せないんですけど、コマ数を使ったからと言っても、あんまり効果が出てるとは思いませんので。

(急にプロジェクターが切れて、何も映っていない。)

やっぱり、お岩さまのたたりが。

お岩さんと言ったら、かならずどっかへお参りにいくんですよね。

小谷・半魚  (うろたえていて、楳図先生の話を聞いてない)

半魚  あのー、お岩さんの……。あの、お岩さんといえば「お岩がんばれ!」という、先生のお話もあるんですけど。 (ここは、半魚、くるしまぎれ)

楳図  そうなんですよ。僕ね、こわいマンガいっぱい描いてますけども、その契機として、お岩さんとか、鍋島の猫騒動とか、いろいろ見ました。だけど、お岩さんも黒猫も、さんざんしいたげられた挙げ句に殺されちゃって、それでばけて出てくるもんですから、僕は全然怖くなくて、で、みんなキャーッとか言うんですが、僕だけ「あー、お岩がんばれー」とか、「黒猫がんばれー、もっといけーいけー」とかいう感じで見てました。それで、結局じゃあ「怖いってなんなのだろう」という疑問を投げかけてもらったので、そういう意味で、お岩さんの映画って、大変参考になったと、思ってます。

小谷・半魚  (やっぱり、うろたえていて、楳図先生の話を聞いてない。定石では、比べてフランケンシュタインの話をしていただくべきだが、忘れている)

楳図 明るくなってきましたですね。 (復旧のため、会場も明るくなる)

小谷  不吉なことが起ってきました。

半魚  電源、入ってないとか? 電球、切れたとか?もう一台、プロジェクター、用意してあるんで。

楳図  僕ね、機械類と相性が悪いもんで。

半魚  あー、あのー。楳図先生の絵をコピー機に掛けるとコピー機がこわれたり、とか、よく言われるんですけど。

楳図  ラジカセがすぐダメになったりとか。「単純に、扱い方が乱暴ダーッ!」とか言われました。

半魚  ちょっとそっちでつけてみて。だって、パソコン、ついてるでしょ。

小谷  はい、ついてる。 (コタニは、パソコンのこと、全然分かってません、実は)。

半魚  ほかにもっと絵を用意してまして。いまコマ割りの話をしてますが。

楳図  はい。

半魚  あと、インパクトがあるようにということで、楳図先生登場の前に、みなさんの前にですね、アップの怖い顔が映ってたと思うんですよ。あれは、『うろこの顔』という作品の一部分を、

楳図  はい、そうだったですね。あれは僕も気がつかずに、「あれ、これどこの作品だろ?」と思って見てしまいましたけど。アップにすると、怖いものが有りますね。

半魚  あれは、ストーリー的に言うと、死んだ人の目を描いているところですよね。

楳図  はー? あ、すいません。僕は自分で描いているものも、ころっと忘れてるものですから。もういっぱい描いてるのでね、「描き流し」っていう感じで。

大丈夫ですか。

半魚  でしょうか。まいった、まいった、これは。

楳図  テレビなんか、生放送のね、ああいう時につかなくなっちゃったり。

あ、そうだ。僕ね、ルーマニアに行ったことがあるんです。コッポラの、ポッコラじゃないですよ。自分で言ってて、なんだー。はは。コッポラの吸血鬼の映画(『ドラキュラ』1992年)が有ったときに、映画会社からお金が出て、『スピリッツ』の編集で、ドラキュラを見に行ったんですよ。ドラキュラを見にって、写真とって。宣伝なんですけど。それで、ドラキュラ城に行きました。そしたら、すごい奇麗なウチで、「わあこんなお城だったら住んでみたいなあ」とか思うくらいの奇麗なウチだったんですね。で、その後、博物館に行って、そこにドラキュラ伯爵の絵があるから、そこで写真を撮ろうと言って、それでドラキュラ伯爵の絵の下に立って。そしたらね、「カメラのストロボがつかない」って言ってあせっているんですよ。それからまあ、どうやって撮ったのかは知らないんですけど、何枚か写真はあるんですけど、その写真の一枚が。おんなじアングルでいろいろ撮ってるけど、一枚ね、上にドラキュラ伯爵がいて、その下に僕で。顔をはさんで、黄色いのがどわーっと。こう上から下に、どわーっと、帯のようなものが入っていて。 あれって、なんなでしょうね。

そんな聞かれても、こまりますよね。

半魚  心霊写真というよりは、楳図パワーの写真ような感じも。

楳図  はあ。だけどね、みんなね、スタッフの人、下痢したりとか調子悪かったんですけど、僕だけすごい元気でした。

半魚  えーと、素晴らしい絵を見せて、楳図の絵がいかに素晴らしいってことをやろうと思ってるんですけど。

楳図  ええ、図が出てこないんですね。

半魚  絵が出てこないと話にならないんですけど。

楳図  ほら。だから、「メ」は分るけど、「ズ」が分からないって、言ったじゃないですかっ!!

半魚  えー、それ(プロジェクター)の調子が悪いので……、

楳図  ええ、手で持ってまわすそうです。ちがうか。

半魚  途中の休憩時間が10分ありますんで、その時間にスライドのほうは調整させていただくことにして。

楳図  じゃあ、別の話しましょ、別の話。

半魚  ちょっとここで。コマ割りの重要な話だったんですけど。

楳図  そうですね。

半魚  それができなくなったんで。今日は場内からも質疑応答は受け付けようと思ってますが、後半20分くらいですね。これ以前にですね、学内でも「楳図先生アンケート」みたいなものを、事前にやっています。それをちょっとやらせていただこうかと。その間、スタッフはがんばって、それを……

楳図  ……修理する。

マニュアル本、読んでるんじゃないですか、ちょっと。やばーっ!!

半魚  パソコン、ちゃんとわかるスタッフ、いるよねえ? 竹内くんかな。

楳図  でも最近はね、マニュアル本読まないと、ほんと。電話を買ったんですけど、コピーのついたね。あれ、電源先入れて、電話の線をつないだら、動かないんですよー。「故障してるうー」って思ったら、あれ、電話線を先に入れて電源入れないとダメなんですね。「そーんな。どっちが先だってもいい」と思うんだけど。そんな違いがあるなんてね。僕、「不便だなあーっ」と思いました。もっと簡単にね、「ついてください」って言ったら、「はい」って言って、パンってつくのが当たり前じゃないですか。そーれが、配線が先で電源が後なんて。こーんなこと。ふつう、マニュアル見なくたって、電源が先って思うじゃないですか。電気が入ってないと動くわけないので。

小谷・半魚  (パソコンをタケウチといじっていて、楳図先生の話を聞いてない)

楳図  はい、なんか用あります? (場内大拍手)

半魚  あ、いえ。

質問、ちょっとさせて頂きます。

キャラクターの表情とか、関係してると思うんですが。「まことちゃんを描こうとしても、難しくてなかなか描けないのは、なぜでしょうか。」 確実に似せるとか、模写するってのは、難しい。

楳図  あ、そうですか? 難しくはないと思うんですけど。

ああ、やっぱり、みなさん美術の関係の方ばっかりじゃ……、ないかもしれないけど、まず絵の基本て輪郭からのような気がするんですけどもね。ふつうどうしても、目にとまっちゃうところから、描きたくなるものじゃないですか。だから、目を先に描いて。あの、女の子のかわいらしい少女マンガのなんか、「絶対に目から描いてんじゃないかな」って。それで、顔から目がはみ出たりとかね、あるでしょ。だから、物事は、部分より、まわりの輪郭をさき捉えてしまえば、そんなに難しくないとは……、思うんです……、が! まことちゃんの場合は表情が極端ですので、だいたい口を、こーんな、大口あいてますと、どうしてもそこで、バランスが崩れてしまって、

半魚  ええ、バランスとりにくいと思うんですよね。

楳図  それで、僕なんかも、まことちゃんの口を閉じた所を描こうとした瞬間に、「あれっ、このへんがなんか空白だらけで、どうしよう!」って、一瞬あせっちゃいますね。

そんなことかな。 (楳図先生は、ほんとすごい。常にこちらの意図を見抜いて、回答をしてるのよ!)

半魚  あー、はい。まこと人形とかも、その前にもありますが、また売ってる以外にも、いろいろと。先生のお宅にも、こんなおっきい等身大のまことちゃんが、ありますよね。

楳図  はい。ありますね。

半魚  あまり似てませんよね。

楳図  はいはいはい。多少ね。

半魚  それはかなり似てるほうだと思うんですが。

楳図  思うんですが。えーと、『まことちゃん』の表紙って、打ち込みで写真のような感じの絵柄に作ってますけど、作ってる人が、「正面は良いんだけど、横から描くと全然違った顔になる」っていうんですが、いやそんなことはない。だって、こうやって人形にしちゃうと、横も正面もおんなじ。 (小学館文庫版の表紙、3DCGのまこと)

(外で雷鳴がする)

楳図 ああっ。

それでね、絵の話もだけど、こういう美大を出られて立体を作られるかたもいらっしゃると思うんですが、僕、いつも人形を見て気になるのは、正面はわりと良いんですよ。ところが、グリーッっと後ろ向いたりとか横から見ると、どーいうわけかね、頭の傾斜が、ここが、壁になる。これって、

半魚  絶壁の。

楳図  絶壁というのは……、あれでしょうか、自分たちの持っている基本的なものから、こうなっちゃうのかなー、とか思ったり。ですけど、それにしても。やっぱり、横から見て、後ろがちょっと張ってないと。後ろがカンナで削られたようになってると、ちょっと、淋しい感じが。これ、ちょっとみなさん、もし人形とか作るような方になられた場合、正面はじっくりまあ検討するんだけど、くるっと横向いたりとか、後側は、ちょっと多少、手抜くかなあって。はい、そういうところに気を付けていただければいいなあと思います。

この手、でかいんですよね。この手もバランスとして。このね、挙げてるといいんだけど、下げると、「わっ手がでか!」って。思うでしょ。思いません?挙げて、こうやってると、遠近法で、大きいのが前に出て、大きいのが当たり前で、意外とこればっちり決まってるんですけど、ドゥンドゥドゥンって下げちゃったら、おんなじ立場に立たすと、「わー手がでかー!子供のくせに。てぶくろー」って感じで。ねー。

この前なんか、お正月用の着物を着た人形を担当者が持ってきました。「手でかー!着物じみー!わーオジサーン!」そんなかんじで。

あれ、いま、バタって落ちませんでした?

半魚  手が落ちました。

楳図  そうなんですー。これ、手がもげるんですー。こわー!

今日は、かみなりゴロゴロ鳴って、楳図デーですよね。ぴったりですよね。

小谷  そしたら、ちょっと10分ほど。

楳図  小谷さんのしゃべりかた、こわいですね。

(場内、大拍手)

小谷  10分ほど休憩を。

楳図  急に声が高くなりませんでした?

小谷  ちょっと直したり。 (プロジェクターを)

楳図  もうちょっとあげたほうがいいですよ。

小谷  直したりとか。

楳図  直したりー、とか。あ、はい。

小谷  ちょ、ちょっと。

楳図  はい。

小谷  きゅ、きゅ休憩しましょう。

楳図  また下がってきました。

小谷  休憩しましょー。

楳図  しましょー。 じゃあ、後程。サバラ! またきますからね。


(10分休憩。この間にプロジェクターは復旧する)

楳図  あー、みなさん。トイレにいったりとか、されましたかー。大変だったですけども。

小谷  このプロジェクターが原因がわからなくて。壊れたのが。でもなんか、冷ましたらついたので。

(そうではなく。たぶん落雷による瞬電で、パソコンが切れてた。リセットしたらすぐ直った。チャンチャン)

楳図  それは、僕のパワーと小谷さんのパワーが戦って。ははは。どっち勝ったんでしょう?

小谷  まあ、それはいいとして。

楳図  なにを!(たちあがる)。

半魚  もちろん楳図先生のパワーに決まってます。

楳図  そうでーす!(たちあがる)。

小谷  また消えたら、

楳図  今度は小谷パワーが勝ったと。

小谷  また、おんなじようにしますので、御了承下さい。

楳図  わかりました。

小谷  進行は、このまま。こんな感じで進めていって、休憩もはさまずにメ編に入って、だいたい5時くらいから20分ほど質疑応答を考えていますので。

楳図  そういうふうにうまくいくかなー。ははは。

半魚  ともかく、何事も無かったように、ズ編をはじめさせていただきます。

楳図  もう、知らん顔してね。

半魚  これが「おそれ」なんですよね。

楳図  はい。イタリアにこういう歌、ありますよね。オーソレミオー。

半魚  はい。(もりあげて下さってる楳図先生に、このカルい受けはないだろう、と自分でも思う。場内の失笑をかう)

先程の話の続きで言うと、これなんかはいろんな形のコマがあったりしますけど、僕が思うに、楳図作品はセリフが多い所もありますが、ともかくフキダシの面積が一番多い見開きが、ここだと思うんですけど。まず、このすさまじさに、皆さんは「おおっ!」と思って欲しいんですが。この多さっていうのは、さっきの、経済的な理由とか、だけでしょうか。

楳図  いや、これはやっぱり、字が多いって事は、内面の、心の中がたくさん有るって事だと思うんですね。口に出してしゃべってるわけではないので、これは。相手がいてしゃべってるのはセリフだから、心の中の一部分で、心とは違うこともあるけれど、これは心の中をそのまま表わしてますから。だから、この女の子の心の中は、これだけいっぱい、いろんなことがありますよ、で。はい。で、多いんです。

半魚  しかも、これ。映っているのは、アップにすると分るんですが、目だけ。

楳図  そうですね。

半魚 これなんか目も隠れてる。ほんの、微妙な目の形でセリフと対応していって、

楳図  そうですね。やっぱり、「目は口ほどに物を言い」とか言葉が有るくらいで。特にこういう心の中の表現をしようと思うと、目でしょうね。これは、人間だけでなく動物も、会話するとき目を見て。

でも、目を見ちゃいけない動物っているんですよ。サル、サル。サル山に行ったら、言われました。「絶対に目を見ないでくださいね」って。「目みると飛び掛かってきますから」って。あれはね、ガン切ったとおんなじだ、と言われました。すいません、話がそれまして。

半魚  マンガは、記号的な「怒ってる目」「笑ってる目」くらいで終っちゃうところあると思うのですけど、これはそういう微妙なところを目で表現しているってのが、すごいと思うんですけど。

楳図  はい。「目で演技が出来るようになったら役者は一人前だ」とか、言いませんか。聞きませんか、分かんない?

半魚  それを表現している。

楳図  そうですね。

半魚  ありがとうございます。

小谷  次。

楳図  出た! ははは。

半魚  これがさっきのですが。これが、どこにあるコマかと言いますと、こっちなんですね。

楳図  そっちですね。

これやっぱり、髪の毛が手前にはみ出てる、というのがミソですね、きっと。しっかり全部、向こうの世界ではなくて、なんか気持ちは「そ〜っちに、い〜ってますよ〜」って感じで。

半魚  ちなみに、この女の子は楳図魔子ですね。

楳図  楳図魔子と言って、いちおう僕の妹ということになってますが、妹なんか、いないんですよ、それが、もう。

半魚  これが『洗礼』の一部。

楳図  『洗礼』。

半魚  しかし、こうして見ると、見開きでちゃんと構成が、されてるようにも思うんですけど。

楳図  あ、そうですか?

半魚  非常にきれいに。これ、縦ぶちぬき。

楳図  はい、ぶちぬき。

半魚  顔のアップ、全体。

楳図  そうですね。ほんと言って、ああいう細かいコマ割りばかり描いていると、ちょっとイライラ、精神的ストレスが溜まっちゃっうので、やはり大きく描きたいというのがあって、ほんとはこれくらいの大きさで話が続いていったほうが、さっき仰しゃったように、パッと全部見て、すぐめくられちゃって、というふうな現象は起きないと思うんです。これだったら、ちゃんとコマを追って見ますよね。だから出来れば、こんな感じで描きたいですよね。

半魚  これは、『わたしは真悟』ですね。コマは、細かいのと横長のとありますけど。

楳図  はい。

半魚  これはむしろ会場の皆さんにもお聞きしたいんですけど。東京タワーのエレベーターを上がってくシーンですよね。

楳図  そうです。

半魚  映画だったら、窓の見えるエレベーターで、そのまま回してれば、上がってくのわかりますけどね。

楳図  そうなんですよね。残念な。

半魚  マンガで、上がってるってのを、どう表現するか。

楳図  難しいですね。いちばん弱点ですよね。マンガの平面のコマのなかで、これが上下で、高いところから見下ろしていて、しかもそれが、「怖い!」って感覚を表現しようと思ったら、難しいです。みなさんだったら、どんな風にされると思いますか。画面の中で効果を出すとなったら、ね。

これ、しっかり下のビルの一つ一つ、描いてあるんですけど。すこしつぶれてますけど。

半魚  これ、すごいですよね。このビルが、これになって。だんだん小さくなっている。

楳図  小さくなってる。このビルになっていて。そのビルになっていて。

半魚  このリアリズムをちゃんと読むのが、『わたしは真悟』を読むところの一つだと思うのですけど。

楳図  まあ、それは、暇が出来たときで結構なんですけど。

(場内、爆笑)

全部読んで、そしてもう一回また目を通して。二度読みできる楽しさって、あると思いますから。

半魚  皆さんもきづきましたよね。擬音の「ゴー」ですよね。「ゴー」の角度は気付きましたね。

楳図  そうですね。左上から右下になって、だんだん。今度は逆に。

半魚  水平から下にさがってくっていう、この構図で、先生は高さを表現しようとしている。

楳図  角度も、この「ゴー」があるから、「ああ、これはひねったな」というのは分かり良いですけど、それはまあ、記号みたいなもんですよね。

半魚  記号……、でも僕なんかは、こういう「ゴー」の構成で高さを表現しているってところが、すごいなというか、非常にしびれるというか。

楳図  あー、ありがとうございますー。

半魚  次は、『わたしは真悟』からだけ採りましたが、先生の絵の密度を。

楳図  あー、密度。こまいんですよ、ぼくの場合。

半魚  これ、遠くの人は見づらいかもしれませんが。

楳図  これね、全部自分で描きました。

(会場、ジワーッと感嘆)

半魚  僕らは、わかりませんから。漫画家さんはアシスタントというのが居て、細かいところだとか、ひどい場合は、顔だけ本人が描いて。

楳図  そうですね。

半魚  あと、全部アシスタントが描いてとか。

楳図  ええ、ありますもんね。

半魚  漫画家いますよね。

楳図  はい。

半魚  これは、僕、読んでる時に、アシスタントさんはどの程度……。

楳図  はい、全く。アシスタントはノータッチですね。

半魚  アシスタントさんには、

楳図  伝わらない。

半魚  伝わらない、と言いますと?

楳図  「こんな風に描いて」と言ったって、「こんな風」がアシスタントの頭には、無いと思うので。だから、自分で描くしかしょうがないんですよね。

半魚  これ、すごいと思うのは。僕、『わたしは真悟』はもう何十回と読んでるつもりなんですけど、今回初めて気付きましたが、ここ、コンデンサーですか、コードのところ、123456って、番号が振ってあるんですよね。 (コンデンサーでなく、ケーブルソケットです)

楳図  はは。

半魚  ここまで読む読者がいるかどうか。効果のほどはともかく、このインパクトっていうのは。

楳図  僕、絵を描くときに嫌いな絵って言うのは、例えば、テーブルとか、くるま、ピストル、テレビとか、家とか、嫌いなんですけど。で、パソコンも嫌いなんだけど、パソコンの裏側が好きなんです。裏側の配線の、グチャグチャ、グニョグニョしてるのが、描いててすごく楽(ラク)なんですね。

半魚  楽なんですか、これが。

楳図  楽なんです、はい。こういうのだったら、描かせておけば。はい、これ、一日半で描いてますから。それだけ描かせていたら、もう十日もしたら、部屋中いっぱい端からはしまで、配線だらけになってると思うんですけど。配線は好きなんですよね。ですから、最初、『わたしは真悟』のロボット、産業ロボットで、四角ばってて、「あれはいやだなあ」と。で、「そのうち壊すから、壊れた時がこっちのもんだぞ」で。すこしづつ壊れて、配線だらけでグチョグチョなってくると、やっと自分のペースにもってこれたなあ、って感じで。

半魚  因みに、この見開きのページをめくると、

楳図  はい。

半魚  また、おなじく見開きで、別の部分が出てくるという、

楳図  はい。これも全く。この手の絵は全部自分で描いてますから。こういう絵とか、あとオバケが出てくると、そりゃもう、自分で描いてますしね。だから、ああいうオバケっていうのは、やっぱり、人に、「こういうふうに」って言えない部分があると思うんです。イメージの世界ですから。

半魚  その次の絵は……、

楳図  だけどね。僕、ラーメン、嫌いなんです。 ラーメンとか。

小谷  ラーメン?

楳図  ソーメンとか。あのグニョグニョが嫌いなんです。太さが、まず嫌なんですね。絶対、ラーメンとかソーメンとか食べなくて、スパゲッティでも、たまに細いスパゲッティの時が有ったら、わーきもちるい!と思いながら、食べてますけど。すいません、関係なかったかな。ははは。へんですね。

半魚  いや。

楳図  でも、こういう絵は好きなのに、ラーメンは嫌っていうのは、すごい矛盾してるんですが、矛盾してるのは、あのラーメンのグニョグニョに生命感を感じてるからだと思うし、この絵も、「機械の中に生命感が入ったな」と思うから、それで嫌だと思うので。僕が嫌だと思うのは、たぶん皆さんもおんなじだと思うんですが、人工的なものより自然界そのものが嫌いっていうところは、口に出して言うとなんかキャンペーンに背くような事だけど、人間はみんな自然が嫌いなんだなって、思いながら。

半魚  グニョグニョしたものの気持ち悪さ。

楳図  イコール自然。

半魚  そこにタテヨコのきっちり線が入ると、人間は安心する?

(ここも、半魚の読みが甘かったところ。グニョグニョの世界に数本直線が在ったからってダメなのである。)

楳図  いや、安心しないんじゃないですか。グチョグチョ、グニョグニョはなるたけ排除しようと。それで真っ直ぐを手に入れようというのが、人間の進む方向だから。それと、「自然を大切にしましよう」っていうのは、すごい矛盾してるんですよね。

半魚  グニョグニョを大切にしよう、って。

楳図  ええ、グニョグニョを大切には、したくない。僕だって、人間の身体の中なんか見たくないし、人間の身体の中なんか、グチョグチョ、グニョグニョだらけだし、だけどどこにもまっすぐなんてないし。真っ直ぐがあったなと思ったら、入れ忘れたモノサシだったりハサミだったり、とか。でも、そっちのほうが人間は安心できる。なんか、不思議な矛盾ですよね。

半魚  はい。

楳図  でも、否定は出来ないと思うんですけど。ですから僕は、このグチョグチョ、グニョグニョで、ここに自然が有りますということを描いていると、たぶん思います。

半魚  生命。

楳図  生命ですね。

(この曲線・直線理論を理論的に裏付けるとしたら、ヴォリンゲル『抽象と感情移入』でいう抽象衝動ですね。)

半魚  これは同じく。また、密度の濃い。

楳図  これは、よく出てくるマンガの中の構図の取り方で。僕なんか、よく言われますけど、構図の遠近が間違ってるって。

半魚  一点透視の遠近法ですけど。この絵だって、今の簡単な読者は、わりかし飛ばしちゃったりしますけども。これは電脳世界、コンピュータ内部の世界をイメージで描いた世界ですよね。

楳図  そうですね。

半魚  これは、それぞれ板みたいなものが、だんだん奥へ何層にも重なっている絵だというのは。アップにしてみて。真ん中へんから。ここを消失点にして何層にも重なっているんですけど。先程、先生の仰しゃった、マンガの描き方の集中線というか。

楳図  集中線、なんだけど。僕の場合、たぶん集中になってないんですね。

半魚  なってない?

楳図  ええ。もちろん、大まかにはなっているですけど、たぶんどっかでバランスが崩れているところがあるはずなんです。

僕は、マンガで必ず遠近を採るときに、こういう集中線でそこに載っけて行くのは、大まかには間違いないと思うんですが、それはやりたくなくて。大まかには間違いないんだけど、それをビシッとやっちゃったら、まるっきり嘘の世界になってしまって、現実を描いていない。それは、さっき言いましたように、自然界には、グチョグチョ、グニョグニョはあるけど、まっすぐというものはないと思っていますので、画面の中でまっすぐって思っているものを現実に再現してみたら、絶対これはまっすぐにはなるはずなくて。地球の円にあわせて曲がるとか。これは自分たちの住んでる球形を無視してのまっすぐだから。これまっすぐ行ったら、宇宙のほうへ出てしまいますよね。

半魚  水平線自体が、いわゆる水平じゃない。曲線ですしね。

楳図  水平線をまっすぐ描いちゃったら、逆に僕たち、見た目で反ってるように見えると、たぶん思うんですけど。そういう細かいところで、僕はなるたけホントらしく見えたいという考えから、モノサシも使ってるけど、けっこう手描きが多いんですよね。まっすぐ見えて、手描きで描いちゃったら、自然と歪んじゃって、自分の感覚の方向へ向かってしまいますので、けっこう手描きでやってます。

半魚  その次は。これも見開き。

楳図  これも描きましたー。

半魚  描きましたねー、これは。

楳図  これはですね、紙の上にマス目を描きまして、タテヨコ。

半魚  先生、ちょっと待ってください。その前に説明というか。一言先に言わせていただきたいんですけど。

楳図  はい、どうぞ。

半魚  『わたしは真悟』、もう20年前の作品なんですよね。20年も前なんですけど、全然古びてませんけど。今の人がこれを見たら、描いたやつをコンピュータでスキャンして、大きなドットにするフィルターを掛けると、あっという間に出来ますよね。

楳図  ええ、そうですね。

半魚  先生は、コンピュータをお使いには、いまもならないし、

楳図  いまもやってないし。

半魚  当時のコンピュータ技術でも、そんなことをするのは、すごーく難しかったし。いまは簡単になりましたけど。

楳図  ええ。

半魚  で、これはシンゴが、ていうかモンローですけど、ロボットが見ている世界を描いたんですよね。

楳図  そうですね。ええ。

半魚  ともかく、何も知らない読者がこれを見たときに、手描きなのか、コンピュータ処理したのか、アミ掛け処理したのか、とか。

楳図  手描きなんですよ〜。ええ、もう、しっかり手描き。

半魚  なんですね。

楳図  はい、一日半で。

(会場、ジワーッ。なお、勘違いしてる人(読売新聞)がいるようですが、「一日半もかけて」描いてるじゃなくて、「たった一日半で」描いてるんですよ。)

半魚  一日半で、これを手描き。

楳図  はい。

半魚  で、どうやってこれを。まず鉛筆で……、

楳図  鉛筆でまず下描き。タテタテヨコヨコ、画面中に描いちゃって、その上に顔の輪郭、目鼻の輪郭とか入れといて、その輪郭のところにテンテンを塗り潰して行くんですね。それでハイライトの白っぽくなったところはテンテンを小さくして、影に近づくほどロッドを太くしていく。あの、けっこう印刷の技術の、印刷されたものを拡大してみると、結構こんな感じなんじゃないかなと。

半魚  そりゃまあ、理屈は分かってるんですけどね。それを手描きで、

楳図  手描きでするっていうのは、

半魚  手描きで全部再現するっていうのはすばらしい。

楳図  なかなか大変なんですが、顔なので、わりと楽に描けたかなと。

半魚  楽にですか。 これも、さっきの、エレベーターの高さをどう表現するかと同じで、「ゴー」が角度を付けて描くことで高さを表現するってのと同じように、これは、コンピュータが見ている世界ってのは、どういうふうに見えるか。そして、それをどう表現するか。

楳図  はい。そうですね。

半魚  技術的に、これを出来るひとはいっぱいいると思うんですよ。楳図先生だけでは決してない。

楳図  はい。

半魚  コンピュータが人間社会をどう見ているか、と考えた時に、こういうドット絵で描こうとした。これ、いまではわりかし使われていますけど、これはむしろ『わたしは真悟』の影響ですよね。

楳図  はあ?そうでしょうか。

半魚  ドット絵で。ということなんですけど。

このパターンは何度か、シンゴが見てるってとこで、使っているんですけど。

楳図  左の。

半魚  これも非常にいいシーンで。

楳図  ええ、さっきより楽でしたね。

半魚  これはフキダシがあって。

楳図  だんだんすごくなりますよ。

半魚  このあと、これが6頁続くんですね。

楳図  これはまあ、ロボットが見てる現実の世界ですよね。

半魚  「ああ簡単さ」「いうだけならね」「カチャカチャ」「ギギギ」。ここにシンゴのアームがあるんですね。 (左側の3、4コマ目)

楳図  あ、そうですね。ほんとだ。はは、他人事のように。

楳図  これが大変だったですけど。

半魚  これはまた別の絵です。これは一部分だけ拡大して。色が着いていて、着色。

楳図  ええ。

半魚  これ、単行本だと全部白黒になっちゃってますが、初出の『スピリッツ』だと4色。

楳図  そうですね。マジックペンで描いたんですけど。赤いのなんかも、線が長いのとか、点のようになってるのとかで、濃淡を変化させてると思うんですね。

半魚  はい。

楳図  これ、どんな絵になるんでしょうね。

半魚  どんな絵なんですかね。これ、すごく拡大してますけど。

楳図  はい。すこし小さくしましたね。

で、こういう感じで。

おとうさんが、何かメモってるところなんですけど。これがねー、一歩間違えると全部ベタベタになってしまう、すごい怖い絵なんですけど。例えばね、緑の全部ベタってなってるところから、コマ順番に一つづつ置きながらとか、描いていくんですけど、そうすると向こうのベタのところにたどり着いた時に、向こうの緑じゃないところに到達しちゃったら、全部ベタにしなきゃなんなくなったり。危険性が。

半魚  たとえば、ここからここへ到達とか。

楳図  はい、はい。

半魚  この間を順番良く埋めるか。

楳図  順番良く埋めていかないと。緑、白、緑、白って順番を間違うと。そういう恐ろしさが有る絵でした。

半魚  これもすごいというか……。これが単行本になると白黒になって。

楳図  ちょっとつまんないですねー。

でも、これくらい大きく引き伸ばしていただくと、自分の絵じゃないような感じで、別の迫力が有りますよね。

(リキテンシュタインですね。)

半魚  われながらほれぼれするというか。

楳図  そー、ですねー。こんなに大きな絵だったら、描くのに2ヵ月かかるかな、って。

半魚  これは着色原稿ですから、1日半では?

楳図  みんな1日半でやらないと、間に合わないですからね。

半魚  ですか!

楳図  その回のページ数がありますから。

半魚  はーッ!

一応、密度ということで用意したのはこれくらいなのですが。

楳図  そうですか。

半魚  あと、今回はわざと通好みの絵ばっかりあげたのですが、『わたしは真悟』の扉絵だとか。

楳図  そうですね。

半魚  わざと掲げてないんですけど。 (なんか、嫌味な言い方……)

楳図  あれがけっこう時間かかりましてね。ほんとに一枚絵ですから、どんな絵を描こうかって、アイディアが思い浮かぶまでに時間がかかって。たった一枚なんだけど、二日かかったりとか。

半魚  以上で、ウメズのズの方の話は、ひととおり終りなんですけど。

楳図  はい。

半魚  今の絵のことについてとか、会場のほうからも聞きたい事とかあるかと思いますが、それはまた、最後にまとめて聞きたいとおもいます。

小谷  このまま、メ編のほうに。メ編は、スライドを見ながら、ですよね。

楳図  はあ。おすすめください。

小谷  あ、そうですね。メ編のほうは、『漂流教室』『わたしは真悟』『14歳』を取り上げて、楳図先生は何を考えているんだろうということを、お聞きしたくて。

楳図  そうですか。うわーっ、たいへんだ。やばー!

小谷  そんな。

半魚  小谷君、困ってますけど。

『漂流教室』はどんな作品か、ということで、楳図先生本人がどう考えておられるか、ということも勿論ありますが、また評論家だとかが語る際に、

楳図  どんな風に言ってますか?

半魚  まず、公害問題とか、地球の未来が、とか。社会問題とか。

楳図  そうですね。

半魚  これ、早い頃の、1972から74年にかけての作品で、公害問題とかも大きくクローズアップされますが、私なんかが思うに、まずはこれは、母と息子の話なんだ、ということを。

楳図  そうですか。はい。

『漂流教室』を描く前でも、おかあさんというのはかなり重要なポイントをしめてまして。僕なんかマンガを描き始めたころは、母モノというのが流行ってまして、おかあさんと娘が生き別れになって、最後に出会って、「ううーぅ」って抱き合って泣く、と。そういうハッピーエンドで終るというのが有ったんですが、『ママがこわい』っていう、へび女のシリーズの時に、「おかあさんだってそんなにいいおかあさんばっかりかなあ」っていう疑問もあって、怖いおかあさんを出したんですけど。でもやっぱり、おかあさんというのは、なんといっても子供にとっては一番大切な存在だし、そういうヘンな危ないおかあさんもいるかもしれないけど、一般的には、基本のところでおかあさんの母性愛、そういうところを描きたいな、と思って。

でも、このおかあさんの場合は、母性愛というよりは、むしろ、親別れ、子別れの話なんですよね。

半魚  親別れ、子別れ。

楳図  はい。いつかは、親子の絆であっても、どこかで旅立つような契機がきてしまうだろう、と。で、それをいっとう最初に、ちょっとした親子の言い合いで、「お前なんか出て行けー!」、「くそばばあ!戻るかっ!」って。それはわりと日常茶飯事の言葉なんですが、その言葉がそのまんま現実になってしまって、おしまいまでずっと続くという。ある意味じゃ、親と子の些細な葛藤が、仕舞いまで延々と続いてしまっているというのも、一つの話の見方かなとは思いますけど。

半魚  『漂流教室』については、ラストシーンで戻ったほうが、って言う読者もいますが。結局、現代に帰ることは出来ない、っていうラストシーンですよね。

楳図  そうです。だって、翔くんは一人殺しちゃったんです。自分でも、「これでもとへ戻れないんだ」というセリフもあったはずです。そこでまず、もう暗示がありますよね。

(現代に戻れない理由として、まず最初に翔による殺人をあげた、この論理展開に、文字どおり「舌を巻いた」(読売新聞)つうか、かなり感動して僕は絶句しました。翔の孤独を思って涙が出そうになったよ。 なお、このシーンに対しては、「若原先生も殺してるじゃんか」などと指摘するバカがいるが、それは全く『漂流教室』を読めてない。)

だから、へんなところへ子供たちが送り込まれてしまうんですが、一瞬、最初は、もうさんざん子供をひどい目に合わせてるとしか見えないんですけど、ですけど、その中で、子供たちが、「いや、本当はひどい目に僕たちは有っているんだろうか」、「もしかしたらひどい状態の中に一筋の希望として送り込まれたって事なんじゃないんだろうか」って、すこしづつ気持ちが別の方向に変っていくという、これがまあひとくちで言ったら、僕の『漂流教室』のストーリーなんですけど。

で、そこらへんで読み取り間違えると、へんな未来へ行った冒険物語のような解釈になってしまうから。そのへんはねえ、読んでらっしゃる方は、すごい直感力で見分けてますので。それは分かって見分けているわけじゃない。それは直感力で、「それは違う!」って。

半魚  親別れ子別れっていうこと、そして、帰らないで未来で生きてゆくっていうこと。

楳図  そうですね。

それでね。『漂流教室』の映画をアメリカ版でも作ったんですね。そしたら、あちらの方は、「なんで未来に行ったのか」って。「なんでのところが分かんない」って。「ここをきちんと出さないと進めない、みんな共通で分かり合えない」って言って、原因を探るところに方向が行っちゃうんですね。だけど、これは『漂流教室』の中でも、ドーンという音が有って、それでどこかに行っちゃってるってことしか描いてなくて、向こうに送り込んでしまったエネルギーの元というものは、まったく触れてないんです。結果みたいなものは触れてありますが。

ただ、ここで、一つ別の言い方で、その原因を言う方法はあるんですけど、これ、言っちゃうと。またそれがくっきりした原因のとらまえかたされるのが嫌なので、僕はちょっと差し控えさせていただきますが。自分たちの力で行ったんじゃない、っていう。それで、未来に僕たちは居るんだな、って。

半魚  そのへんは、『わたしは真悟』や『14歳』を読み直した上で考えると、また意味が分かってくる、変ってくる、ってことはありますよね。

楳図  はい、まあ。もしかしたら。たぶん。

半魚  講演会の前に、『漂流教室』でどんなキャラクターが人気あるかってお聞きしたら、大友くんファンはわりと少ないみたいですね。

楳図  あっ、そうなんですか。そのかわり、関谷のファンは多いですよ。

なんであんな関谷が、ってくらいで。いや、僕もけっこう関谷、好きなんですね。でも、「関谷が好き」って言ったら、現実で受け取られてしまうと、「あんなあぶない人のどこが!」、「君もあぶないの」って書かれることがあってね、言いにくいんだけど。これはお話の中として、ああいうキャラクターってすごい魅力的ですよね。

半魚  大友ファンは、この会場にどれだけいるか分かりませんけど、僕は大友くんファンで。

楳図  おや!

半魚  ただ、その、さっきの行っちゃった理由ですけど、ダイナマイト犯人は大友くんですけど、

楳図  そうですね。

半魚  大友くんのせいで未来に行った訳ではないですよね。

楳図  はい。でもまあ、表面上というか、まず1の案としてその部分も有って。

半魚  案として有って。

楳図  とりあえず、有って。

半魚  はい。その先はまた皆さん、それぞれ読み直したりして考えて。

楳図  ええ、そうですね。

これ、京王プラザって、御存じですよね。新宿にあるホテルなんですけど。今は、新宿って副都心と言って、都庁とかほかの高いビルいっぱい立ってますが、これ描いてた時は、高いビルって、これしかなかったんです。それで、この京王プラザホテルが、背丈の一番高いホテルだったんで、それでこれを出したんですけど、そのあとニョキニョキいっぱい。

半魚  その後はもっと高いビルも出ましたけどね。

楳図  そうですね。

半魚  次を。これは前半のクライマックスのひとつですけど。おかあさんのナイフによって、狂った若原先生を刺して、若原先生が落ちる、次のページ。

楳図  落ちて行きますね。

半魚  これが見開きのページで。

楳図  見開きの。これは、僕、描きませんでした。はは。

半魚  違うんですか。

楳図  これはアシスタントが。いや、ですからね。僕、こういうビルとか、嫌いなんですよー。

半魚  そーなんですかー。

楳図  はい。

(この見開きは、初出『少年サンデー』では、西あゆみを背負って逃げる翔が出口だと思って外を見た、その次の頁に置かれており、単行本にする際に現在の位置に入れ替えられた。)

半魚  これもでも、かなりグニョグニョ、グチョグチョしてますけどね。

楳図  はい、そうですね。穴あいたりとかね。

半魚  そう考えると、これ、かなり遠近法的な描き方にはなってますね。

楳図  ええ。これ、やっぱり、下に行くほどすぼまってないと、高さが出ませんので。スライドには入ってないと思いますけど、ときどき僕の絵柄って、むこうに行くほど拡がっているような画面が、あるんですね。それ、指摘されることって、よくあるんじゃないかって思うんですが。

半魚  逆遠近法とか。そっか、違ったんならしょうがないですけど。これ、落ちてゆくところ、ちゃんとあとがついてるんですよね。

楳図  あ、そうですか。 じゃあ、若原先生、必死で指で壁をこすったんですね。爪先ひっかけて、「どっかで助からなければー」とか。

この前ね、NHKのBSで、大峰山に登りました。僕、奈良県の出身なんですが、東京に出てくるときに、吉野川で泳ぎ納めもやって。それで、出来れば大峰山の「西の覗(にしののぞき)」というのもやって、それで東京に出てきたかったんですが、さすがに、大峰山ってのは山の奥のほうにあって、それでなくても車に乗ると酔うもんですから、行けなくて。とうとうそのまんま東京に来ちゃって、時間が過ぎてしまって。『おーいニッポン、とことん奈良県』で、大峰山の話をして、思わず「ぜひやりたいとおもいます」なんて言ったら、もうあとへはひけませんもので。それで、大峰山の300メートルの崖っぷちから、逆さ吊りにされるのですが、怖いですよ〜。

半魚  ぜんぜん怖くなさそうに聞こえます。

楳図  あー、はいはい。

それがね、どう怖いかと言いますと、高さも怖いけど、山伏の方が両方で逆さまになった僕の足首を、こちらの方はここをもって、こちらの方はここを持って、もう一人のかたはロープを、こう、蝶々の羽みたいに輪っかにして、それを腕に掛けて、で、その端を持ってらっしゃるんですね。それで、どこにも繋いでないんです。で、そのまま「自分の力で崖を下りてください」って。それで、ズリズリッと下りて行くんですね。下りて行ったら、「手をまっすぐ前に合せてください」って。まあ宗教的な意味もあるんだろうけど、宗教的意味もくそも、こうやってないと。あわてて手をこんな風に曲げて岩なんかつかんじゃったら、ロープがズリッとなっちゃうおそれが有って。それはもう、こうなったら信頼関係しかなくて。「ああ、あの人、くしゃみして手を放したら、どうしよう」とか、「あの人、ちゃんと足首持ってくれてるのかな」とか、そっちの怖さ。

それで、逆さまになりました。そして、カメラマンがこっちから撮ってまして。こんど、引き上げていただいて。したら、今度カメラマンは、今度こっちに行って「すいません。もう一回やってください」って。「はい、やります」。2回やりましたよ。みなさんも是非一度、とか言って。

そこは女人禁制で、男の方しか登れないんですけど、あなたなら、男に化ければ行けます、大丈夫、はい。

でもね、これは、ものはためしで。すごい緊張はしますけど、「やった!」という区切りにはなりますので。はい。

高さも怖いけど、放されてしまうんじゃないか、という怖さ。

半魚  信頼関係で言うと、『漂流教室』の地割れシーンも、同じかも知れませんね。

楳図  地割れのジャンプね。『漂流教室』ってね、学校の勉強ってのも、すごい大きいテーマの一つで、それまで学校でいろいろ勉強してるけど、そうじゃなくて、「実際に命を賭けて勉強するって、どうなんだろう」というのも大きな話の中味でして。だから、地割れのところなんか、あれは走り幅跳びなんですね。死に物狂い、真剣の走り幅跳び。ちゃんと何メートルか跳ばないと、落ちて死んじゃう。だいたい、他の出来事も、みんな命に関わる中で。言葉も、「試行錯誤」ってどういうことだろう、とか。結構、言葉が大事だったですね、この話の中ではね。

半魚  次は。『わたしは真悟』行ってみませんか。

あ、これ衝撃的だったんで、もう一度。

子供同士の殺し合いというシーンについては、あれなんで。

楳図  ですけどね。食料問題、政治問題も出てきますけど、当然そういう意味で戦争も出てくるんですよね。子供だけの世界なんですけど。

半魚  国なんですよね。子供だけの国で。

楳図  子供だけの国で、必死で生存を賭けて、生きようとする、助かろうとする。それで、こういう悲惨な出来事も起きるんですけど。

で、さっき仰しゃった大友くんが下の二段に。そうとう後半に来て、目の下にクマが出来てるんですけど、この話、最初からすこしづつ、目にクマとか頬に影とか入れたりして、すこしづつ健康状態が悲惨な風になってるというのも描いてるもんですから。

半魚  因みに、登場人物は、いつも服が同じですけど、これは「服もキャラクターのうち」的なお約束では、なくて。

楳図  ええ、もうそれしかないんです。

半魚  ないからですよね。

楳図  はい。

半魚  『わたしは真悟』ですが。これ、読んでないかたもいらっしゃって、ネタばれになるかも知れませんが、しょうがないですよね。 さっきも「試行錯誤」とか、言葉を見つけるというのもありましたが……、僕はこのシーンはしゃべると泣いてしまうので。

楳図  ああ、そうなんですか。

いやほんとに。僕は、自分で描いて、自分の作品に感激したり、感動したりって、無いもんですから。そこの感覚だけは、一度も味わえることが出来ませんで。みなさんからお聞きして、あーそうだったのかーとかね。

半魚  連載は4年続きましたけど、ここが出てくるまで、2年掛かってますよね。

楳図  あー、そうですー、か。

結局ね、機械が進化するっていうか、ああいう機械が物を覚えたりとか、歩くとか。歩くっていうこと自体が、非常に大変なんですよね。どうすれば歩く状態にまでなるか、ってことだけで話がいっぱい掛ってしまって。これは実際にロボットを作るときの苦労と同じで、人間がやってる単純動作というのがものすごく大変で。このことはマンガを描いていて、キャラクターと一緒になって考えてしまうと、ものすごく分かりますね。じれったいな、とは思いながらも。だって、話の展開で、階段を登って上のほうにいかなきゃいけないんだけど、まだ階段を登れる段階に来てないから登らせるわけにはいかなし、って言ったら、また話が戻っちゃう。

半魚  ここは「ワタシハシンゴ」って言うところで。言葉の中で一番特徴的なのが自分の名前だと思うんですよね。

楳図  そうですね。

半魚  自分自身を自覚するシーン。その前に言葉を教えられていて。

楳図  はい。「はじめに言葉ありき」っていうのは、どこの諺ですか。

半魚  ギリシャか、ラテン語だかの、あれですね。 (新約聖書。ヨハネの福音書のいっとう最初に出てくる言葉でした。)

楳図  ですかね。で、コンピュータの場合、まず初めに言葉が打ち込まれていて、という点で、初めに言葉があるんですよね。

半魚  人間は、初めから言葉を知って生きていて、というような錯覚に陥るけど。

楳図  錯覚に陥るけど、言葉が先ずあって、その言葉の組み替えで色んな理屈とか論理とか、その論理の元の真理とか、そういうことも表現できるとしたら、言葉っていう中には、全宇宙がもしかしたら入っているかも知れないね、というところからの発想ですので、そういう意味でも、『わたしは真悟』の場合、言葉というのはすごい大事なんですね。

(構造主義的というか、記号論・テクスト論的な、楳図哲学!)

半魚  次は、さきの続きですが。すこし話はずれますが、僕は3回目くらいに読んだときにやっと気づいたんですが、シンゴが自分をシンゴと自覚したときですが、上にあったマリリン・モンローのパネルを。

楳図  モンローの切り抜きを。

半魚  これ、自分で剥ぎとってるんですね。

楳図  ああ、そうですね。あ、ほんとに。

半魚  ここはセリフがないから、僕、最初1回目、2回目は読み飛ばしてましたけど。

楳図  モンローは、『わたしは真悟』にも出てますが、『漂流教室』でもモンローのロボットが出てまして。

半魚  出てきますね。

楳図  マリリン・モンローって、ある意味じゃ、生物……。生物って言ったら、なんかバカにしてるような言い方かも知れませんけど、要するに、機械じゃなくて、肉体的な生物ってことの一種の代表のイメージってあるような気がするんですよね。

半魚  マリリン・モンローは、映画女優として、お好きなんでしょうか。

楳図  あ、好きですよ。

半魚  でも、単純に、好きだから描いてるってわけではないんですね。

楳図  そうじゃなくて。ここは絶対、マリリン・モンローでなくてはいけないところだと、僕は思ってるもんですから。エリザベス・テーラーでも良いのか、って言ったら、やっぱりマリリン・モンローだ、と。

半魚  次。あんまり細かい事はいいませんけど。ネタばれになりますから。 最後に残った……

楳図  これが、恐ろしいことに、佐渡から戻ってきてるんですよね。

半魚  何が恐ろしいかといいますと。まあ、金沢もそうですが。まあ、20年前と今とは多少違いますけど。

楳図  違いますけども。

半魚  あ、でも実際の事件はこのころだったんですね。

(いわずもがなであるが、北朝鮮の日本人拉致事件)

楳図  そうですね、実際の事件は。で、海の底から、怪しいのが出てくるんですよね。 それで、ロボットに関わる出来事っていうのは、中東でも起きてるんですよね。

半魚  キプロスとかですね。

楳図  キプロスとか。

半魚  佐渡ヶ島とキプロスとが繋がってるって、どういう意味なんだ、って、ファンの間では議論になるところなんですが。

楳図  そうですね。これ、僕は、最終的に地球ってところに話を持って行きたいので。地球の上の、一番重要なポイントの場所ってあるだろう、と。ツボですよね。「ここでも起きることは多分こっちでも起きるかもしれない」という関連性を見つけ出したかったんですが、やっぱりそこまでは才能が行き届きませんで、くっきりはわかんなかったんですけど。

(前日の打ち合わせの時にお聞きしたのだが、「歴史は繰り返す」的な「時間の因果」に対応する、「空間の因果」ということを楳図先生は考えている。ある種、ガイア論的か、有機体としての地球観)

ただ、すごい不思議なのは、これイギリスも出てくるんですけど、イギリスに行ったときに、話の中で、ジャパニーズ・バッシング、日本叩きのセリフもあるんだけど、あれはその後に、一般世間でもその語は流行りましたが、関係無く、こっちのほうが先なんですよね。

半魚  そうですか、そうですね。82年、83年って、日本は不況の時代ですよね。

楳図  ええ。

半魚  僕が大学生のころで、就職無かったですから。その後、バブルとかになりましたが。楳図先生のほうが、未来の予測は早かった。

楳図  ええ、そうなんですね。

(バブル景気は1986年11月から1991年2月ころの間。まりんがイギリスに行くPROGRAM3-apt6「夕焼け」は1983年11/15日号、針の目などが出てくるPROGRAM5-Apt1「何か」は1984年12/30日号。欧州への日本製品輸出収支についてはもう少し調べてみます。)

半魚  さっきの「言葉」ですが。最後に残るのが、「アイ」で。人によっては「愛かよ〜!」みたいなことも言われるんですけど。

楳図  ははは。

半魚  単純に、「人間には愛が必要だ」みたいな話なんでしょうか、これは。

楳図  ええ。

言葉の順番ってのがあって、やはり最初に言う言葉は、「アー」とか「イー」とか、母音の、発音しやすい言葉から始まってると思うので、やっぱり、「ア」と「イ」というのは、基本的なんじゃないでしょうか。だから、アイって普通に言っているその愛も基本的なところから自然発生していて。英語だったらI love you. のI もそうだし、日本の愛もアイだし、キーポイントのところに「ア」とか「イ」が入ってるっていうのは、そういう意味で。

半魚  「初めに言葉ありき」というのは、まさに。

楳図  そうですね。

半魚  次に。あと、時間少しなくなりつつありますけど、『14歳』をすこしだけ。 『14歳』の目玉。

楳図  やっぱり、目玉が大事ですね。最初が目玉で。目玉って、気持ち悪いですよね。

半魚  これも、なぜそれが出来たのかってことに科学的な説明を入れると嬉しがる読者も居るんですが、それがないことによって嬉しがる楳図ファンていうか、ファンだけじゃなくて、読者が、いると思うんですよ。

楳図  ええ、そうですね。ま、でも、どこかで説明に繋がるところがないと、それはメチャクチャってことなんですが、いちいち説明が有ると、その説明によって想像するというファンタジーが一掃されてしまうという危険が有るので、やはり見えないもの、分からないもの、イコール好奇心。はい。そういうところは、こういう話の一番、こういう話じゃなくたってどういう話でもそうですけど、大切なポイントだと思いますよね。

半魚  次を、ちょっと。これがチキン・ジョージ博士ですけどね。

楳図  それで、宇宙、上のほうを指差してますけど。

(ここでは焦ってて話題に出来なかったが、前日の打ち合わせの際に、「ヤング大統領は物語前半でミニチュアのチキン・ジョージ博士に出会うが、それはラストの宇宙観と関係あるのか」と伺った。お答えは、「そうです。『14歳』は複数の宇宙をタテの関係として描いた作品である」であった。)

半魚  チキン・ジョージは、最初はヒーローに近いものかと思っていたら、

楳図  あ、そうですね。

半魚  やっぱり、決して、そんなことはなくて。

楳図  ええ。初め、虐げられてそうなのが、後半は虐げるほうにまわったりして。要するに、ポイントが一つの目線じゃなくて、この場合は、地球に住んでる生物全体。ある意味じゃ、これ、僕、動物マンガのつもりで描いてるんですけど。日本だけじゃなくて、他の国も出てきて、地球上全部がドタバタするってのが設定ですから。あまりひとつのポイントに収まらなくて。

言い方をかえれば、何通りかの話がごちゃまぜでひとつのところに寄せ集められているという見方でもいいかも知れませんよね。ですので、キチン・ジョージだったらチキン・ジョージの流れだけ話の中から抜き取って再構成すると、それはそれで成り立つかも知れないし、女の子が14歳で子供を産んじゃう、あの母子の話だけでまとめても、それはそれで成り立つかも知れない。

半魚  でも、それがまた一緒になっているというところで、読むほうは、一種の眩暈というか、楽しい、いい意味での目くるめく感覚ってのはあるんですけどね。

楳図  はい、そうですね。

あと、地球を襲う数々の危機。むかし、小松崎茂さんて方、いまも生きてらっしゃるけど、『地球SOS』っていうのを書きましたですね。そんなのとか。他に映画やTVかなんで、地球に災難が次々と襲ってくるというシリーズ、まあ『ウルトラマン』もそうかな。

半魚  『インディペンデンス・ディ』なんてのは、明らかにこっちより。

楳図  後ですからね。宇宙に向かって、「宇宙のみなさん!」とか叫んでる状態なんか、おんなじ。

半魚  これは、ラストのほうのシーンで。

楳図  はい。

半魚  これも最後の、宇宙観というか、地球と。

楳図  そうなんですよ。

半魚  出てきた先の。

楳図  はい。あのね、子供のとき絶対に質問することが、一つが「死んだらどうなるの?」というのと、「宇宙の果てはどうなってるの?」というの、だったんですね。

半魚  あっ、それは是非、先生のそれを。

楳図  で、これは「宇宙の果てはどうなってるの?」を描いてるんですけど。

半魚  先生は、小さい頃、宇宙の果てはどうなってると、考えられたのでしょうか。

楳図  ああ、小さいとき、そんなこと考えてましたよね、やっぱり。

半魚  で、どんなふうに。

楳図  父親に、「死んだらどうなるの?」って聞いたら、一瞬、顔ひきつらかして、「えっ!今からもうそんなこと考えているのか」って言われてしまった事がありましたけど。

(講演終了後、もういちどお伺いしたら、「無限だと思った。で、では無限とはどういうことか、を考えていた」と答えられた。余談だが、朱熹は子供のころ宇宙を有限と考え、陸象山は無限と考えていた。則ちそれは、朱子学と(先駆的)陽明学との基本理念の差異である。ホーキングとかの科学論とは全く無関係に、幼少時の宇宙観はその後の思想や人生観の射影なのら。)

半魚  えーと、『14歳』については、まだ全然喰い足りないところなんですけど。

楳図  ええ。

半魚  時間も来たので。

小谷  質問を。

半魚  会場の皆さんも、言いたくてウズウズしている人が。石川県はわりと手を挙げない土地柄ではありますけど。

楳図  じゃあ、足、挙げてください。

小谷  挙手をお願いしたいのですが。

会場 ハイ!(2名)

楳図  おっ、元気がいいー。

小谷  では、帽子の人。できれば、お名前も。

会場1(男性)  おつかれさまです。本日は、先生と同じ奈良県からきました。

楳図  じゃあ、大峰山も御存知で。逆さまになってませんね。

会場1(男性)  なってません。ただ、奈良市なんで。

楳図  奈良市ですか。逃げちゃいけません。

会場1(男性)  先生よりちょっと北のほうですけどね。という事で、質問を、どうしても2、3ほどさせて頂きたいのですが、宜しいでしょうか。

まず、先日、「MANGA サミット」へ行った時にも、望月あきらさんが、当時の少女マンガ黎明期の頃に、当時ちば先生にしても少女マンガを描いておられましたが、先生も類にもれずその手合いに入ろうかと思いますが。その時、望月先生が言って居られたことですが、男性なので、女性の下着姿とか描くとき非常に苦労したそうで。先生は、デパートの下着売り場に通って観察していて、「あなた。ちょっと来なさい!」とか言われていたというような事もあったそうですが、先生もそういうご苦労がおありなのかな、と。当時の少女マンガを描くという部分で。

2つ目ですが、当時、60年代には『少女フレンド』でホラー物を描いておられて、ときを同じくして『マーガレット』で古賀新一先生が描いておられ、こうしたパターンを今でも珍しいと思われますが、その時の確執というか、そういうものはおありだったでしょうか。

3つ目です。私は『おろち』が一番好きな作品ですが、「秀才」で立花優が、小学生なのに「やっていたのだ」とか、「これでいいのだ」ではありませんが、「だ」で終るセリフが多い。それは、主人公が作品の中で、目標と意志をしっかり持っていたので、普通の子供の言葉遣いでは、「だ」とか断定的セリフを使う漫画家さんは他にいなかったような気がするのですか。

楳図  質問していただいた話が、非常に古い話なので。

半魚  奈良県からわざわざ来ていただいて、いままでの流れと全く関係のない独自の質問を。たぶん、ほんとに楳図先生に聞きたかったのだと思いますが。

楳図  ええ。女の子のパンツ姿って、あんまり描いたような記憶が。美香ねえちゃんは描いたかもしれないけど、そんなには。望月さんは、たぶんそういうタイプのマンガの部分があったのかなと思うんですけどね。

半魚  望月さんは、絵柄的には、ちばてつやとか、あっちのほうに近いですよね。

楳図  そうですよね。

半魚  もっと、マンガ的でかわいい感じ。

楳図  そうですね。マンガ、っていうかんじなので。

半魚  当時は、仲良く一緒に。

楳図  望月さんは、中学からの文通仲間でしたので、その頃からお友達でね。

えーと、デパートは、あんまりじっくりは見ないけど、やっぱりデパートの上から下まで見る時は、ありますね。下着売り場は、吉祥寺の地下街を歩いていると、目の前にいっぱいどどーっと有りますので、じっくりは見ないけど、見なかったようなフリして目線には入れて見たりはしますけど。それよりも、家の中でテーブルクロスとか、家なんか立てたりしたときに、集めなきゃと思って、デパートでこうやっていっぱい持ってたら、「ちゃんとレジに持ってってくださいね」とか言われたことはありますけど。

あと、なんでしたっけ。あ、優の言葉。たぶんね、断定的な言い方で、意志が、仰しゃった通りに、自分の考えがはっきりしているから、それで「なのだ」という言い方だと思います。まことちゃんの場合「なのら」になってますので。ただ、セリフで、僕はあんまり曖昧なセリフは書きたくなくて、なるたけ明快、分かりやすい言葉にしたいな、と。話の内容もそうですけど、ちょっと矛盾してるように聞こえるかも知れないんですけど、分かり良いというところを前提にやってるんですけど。それでも分からない部分は、それは奥行きの問題ですから、分かっていただけないと思うんですけど、表面の流れとしては分かり易く書いてるつもりなんですね。

あともう一つ、なんでしたっけ。ああ。あれは、ほんとに。こちらが描くとあちらが描いて、というふうな、似たようなものが出てきて。やってるときは、あんまりいい気持ちはしませんでしたけど、まあ過ぎてみれば、結局、僕の描き方に似てるわけですから、ある意味じゃ、僕を2倍にしてくれてるような部分もあったりして。特別それで、仲良くしたいとかって言うものとは違うけど、それは全然。それはそれで。そういう時代だったんじゃないかなーと。

(言わずもがなだが、すべて古賀が後追い。エコエコも。「アジアMANGAサミット」は2002-10-12〜14 横浜で開催)

会場1(男性)  ありがとうございました。

小谷  次に、となりの女の子。

楳図  こんにちは。

会場2(女子高校生)  こんにちはー。わたしはー、先生の、マンガの大ファンなんですけど……、

楳図  ありがとうございます。なになに?

会場2(女子高校生)  先生は、結婚してないんですか。

楳図  はい、してません。

会場2(女子高校生)  ……若さを保つ秘訣はなんですか?

楳図  え、なになに?(聞こえなかった)

えー、宜しければ、申し込み用紙に書いておいていただければ、抽選で、とか。うそですよ。

会場2(女子高校生)  あと、これからマンガは……

楳図  えっ?

会場2(女子高校生)  えっ。

楳図  しゃっきり、しゃべらんかい!(立ち上がる)

(場内は大爆笑、大拍手)

会場2(女子高校生)  これからマンガを、出……

楳図  描くかどうかって?

ええ、今ほんとにいっぱい、さっきも見ていただいたように、細かい絵をたくさん描いたんで、手とか痛くって。ちょっと描ける状態じゃないんですね。ですけど、そういうのが、直ったら、自然に描いてみようかなーっ!と思うようになった時に、描くとしたら、描くこともあると思いますので。全くうっちゃらかしちゃったつもりでは、ないんです。

小谷  ネタをためてたりとか、されるんですか。

楳図  ネタ、ためたりとかですか?しません。

結構、僕、その場その場でやっちゃうんですけども、今はちょっと、ネタをためてるってのは。とりあえずマンガはおいといて、って生活をやってますので。その代り、うんと空いて、空いた空間が長くなった次のときは、怖いですよ〜っ!グファグファ!こんなもんですよ。いくぞーっ!とか言って。

半魚  それは、ほんと、非常に楽しみなんで。まあ、僕ら、ずっと待っておりますし、待ってる間、いままでの作品を2度でも3度でも読めると思いますね。

楳図  あー、ありがとうございます。

あの、作品の2度読みって、結構ね、最近、『洗礼』とかなんかでも、昔、読んでくださったかたが、女の子だったり、まあ男の方でもそうだけど、それで大人になって、親になって、もういっかい読んでみると、子供の時は、追っかけられたりひどい目にあったりする主人公に感情移入して、ただ怖いだけだったんだけど、大人になったら今度は、「へび女」でもそうだけど、大人側の立場が分るって言うんですよ。自分が、はっと大人になった時に、いままで単純に虐げられてて怖いってんじゃなくて、大人には大人の理屈が有るって思ったら、子供の時に気がつかなかった別のお話が分かってきて、2度読みできて良い、と仰しゃっていた方がいますので。

小谷  他にだれか?そちらのかた。

会場3(男性)  こんにちは。僕が聞きたいのは、まことちゃんに登場するとぐろ虫についてですが、糞便がとぐろを巻くというモチーフは、楳図先生の発想なのか、ということなんですが。

(これがうちの学生だったら、「まず勉強してから質問しろ!」って後で逆さはりつけにするところ。が、楳図ファン的には、ウンコの形までも楳図がパイオニアで有って欲しい気もしたし、お客さんなので黙ってました。)

楳図  はい、そうー。僕の田舎のほうでは、とぐろを巻くって、言いませんか? 奈良県の方?なんか、イメージの中で、あったんですけども。

会場3(男性)  いま、日本の子供たちにウンコを描いてくれって言ったら、多分100%近い子供がとぐろを巻いた形で描くと思うんですよ。

楳図  ああ、そう、です、ねえ。

会場3(男性)  ただ、実際に、そういう物体は目にしませんよね。

楳図  そういう状況は、目にしませんか。

会場3(男性)  少なくとも、僕は目にしません。

楳図  それは、トイレに問題があるんじゃないですか。

会場3(男性)  楳図先生は、実際、ああいうものをされるんですか。

楳図  あれはですね。きちんと座って、あんまり体をゆすらしたりしないで、きちんと出せば、重心の圧力の問題で、まわりに押しやられたのが円になっていって、最後は中心で上にピッと立つという形になるはずなんですけど、あなたの場合は、もしかして、お座りになったときに座り方に問題があって、一度病院へ行かれたらどうでしょうか。

会場3(男性)  ああ、すいません。僕は、手術で、人より腸が短いので、固形をあまり保てないという部分もあるんですけど。

楳図  じゃあ、えーと、散弾銃のように、プリプリプリプリ!と出るんですか。

会場3(男性)  まあ、そういう話はおいといてですね。

楳図  あっ、ははは。な、なにがおいといて!自分から言い出しといて! (立ち上がる)

会場3(男性)  あっ、失礼しました。すいません。そういう話、好きじゃない方もおられると思うんで。

楳図  はいはい。

会場3(男性)  ともかく、あれは先生のオリジナルの発想なのかということなんですが。

楳図  いやー、あれはだれもそう思ってるじゃないですか。口には出さないですけど。

会場3(男性)  そうですか。

楳図  もしご心配でしたら、これからは、ハサミを用意されておいて、そういう形になりそうだったら、ブツンと切ればいいと思いますので。悩み相談室でしたーっ!

会場3(男性)  トイレに常備したいと思います。ありがとうございました。

半魚  時間は、こちらの不手際もありましたので、5時20分までということで。所詮、あと10分くらいしかありませんけど。

小谷  つぎは。

楳図  さあ、どんな質問なんでしょうかね。ドキドキドキ。

会場4(男性)  こんにちは。先生のマンガは「恐怖」がテーマになっていて、先日のNHKのテレビ(『課外授業ようこそ先輩』9月8日放映)でも仰しゃっていたり。それで、先生がいままでに一番恐怖とか感じたのは、どんなことですか。

楳図  はい。僕は、意外と怖い体験って、ないんです。

半魚  心霊体験とかは全然ないですよね。

楳図  心霊体験は、ゼロですね。

会場4(男性)  そういう意味じゃなくて。先生が思う怖いってことはどういうことかなと。

半魚  白菜に髪の毛が入っていた話とか?

楳図  あの、そんな……。この前、テレビ見てたら、最近の傾向の話で、「良いことは覚えているけれど、悪いことは忘れる」と言ってたけど、僕は全く逆で、「良いことは覚えてない。だけど、怖いことは覚えてる」。

自分の事を思い返すと、一番最初の記憶は、谷川でカニを取ろうとしたら、そのカニにはさまれてびっくりして泣いた、という記憶が一番最初なんですね。それと、家の、木の粗削りのヘイを指ですりながら歩いていたらトゲが刺さっちゃった、というのと。最初の夢は、5〜6歳の頃の夢なんだけど、おもちゃの汽車に乗って、ドッドッドッドと坂を登って行くと、上からもおもちゃのような汽車が下りてきて、「わぁー、ぶつかる。こわい」と思ったのと。これが僕の怖い体験の最初なんですけど。ですから、人間は、怖いっていう感覚は危険信号としてどこかで記憶に留めるけど、楽しい事っていうのは、普通の平常の、そのまま流しちゃっても大丈夫な、ということで。やはり怖いという記憶は一番残りやすい大事な記憶なんだろうと思いますね。

だけど、それ以外で、怖いという記憶はあんまり無くて。そうですね。ほら最近、南海トラフって言って、南海大地震が言われてますけど、田舎にいたころあったんですよ、夜中に地震が。

(南海地震。1946年12月21日午前4時19分 M8.0。田辺市などでは津波の被害も大きかった)。

(ステージの裏でスタッフが机を移動してたかで、ズズッと音が響く)

ふははは。だしぬけに、あんなかんじでね。

ゴーーーッ!って言ったら、デデデデデって揺れて。それで、父親が僕を抱いて、母親が弟を抱いて、バーッ!と家を飛び出したんですよね。父親はそのまま縁側から飛び降りたのに、母親は弟を抱いて、いつも僕たちが縁側からおしっこしてるオマルに足を突っ込んじゃったって、すごいブーブーぼやいてた事が有りまして。あの時も怖かったですね。だから、怖いのって言うのは、折に触れ思い返すと、ありますよね。 なんか、怖い思い出ってありますですか。

会場4(男性)  怖いって、状況で怖いこともありますけど、自分で怖いと思って想像しちゃって怖いこともありますよね。

楳図  あります、あります。僕も、父親に、自転車に乗せられて、曽爾村って所にいたころ、「ここがへび女のおかめが池、こっちが屏風岩、小太郎岩」って、自転車に乗ってガイドしてくれるのは良いんだけど、茶店に着いたときに「はい、かず坊。ちょっと、ここで待っとりぃ」とか言って、自転車を立てかしたまんま座らせて、で、入ってって、なかなか出てこないんですよ。そしたら「いつコケるか、いつコケるか」で。あの時は、ほーんとに怖かったです。

怖いって感覚は持ってないと。危ないことを避けようという本能ですから。

会場4(男性)  ありがとうございました。

小谷  あと5分くらいですけど。それじゃ、そっちの帽子の女の人に。

会場5(女性)  はじめまして。おしゃべりできて、嬉しいです。

楳図  ありがとうございます。

会場5(女性)  楳図先生の、おろちにしても『洗礼』のさくらちゃんにしても、女の子が可愛らしいですよね。そして、みんなちょっと顔が似たようなところがありますが、モデルさんがいるんですか。

楳図  ああ、モデルはいないです。やっぱり、自分の頭の中で、「これが綺麗」という形を追究してゆくわけなんですけど。絵柄を見ると、すごい不思議で、どの人もモデルを。えーと、だれだっけ。『男組』を描いてる人、

半魚  池上遼一。

楳図  池上遼一さんの場合は、ぜんぜん作者と絵柄がつながらないんだけど。絵柄はカッコイイんだけど、で本人……。

半魚  (ふきだす)

楳図  いや、でも、本人が言ってましたもん。「なので、カッコよく描きたいんだ」って。正直に。で、あの方はつながらないんですが、どこかで自分の一部分を出しているんで、絵柄を見ればその人が分るところって、あると思うんですね。だから、おろちの場合は、僕の心の中のああいう造形がたぶんあるんでしょうね。それが出てきてるって事で。モデルとかはないです。

会場5(女性)  あと、よくその服、着てますよね。

楳図  これですか。はい。今日は床もシマシマにしていただいて、もうハッピーという感じで。

会場5(女性)  何枚か、同じの持ってるんですか。

楳図  いやあ、聞いてくださいよ。シマシマって、なかなか売ってないんですよ、もう。だから目に付いたら、買うんですけど。これが不思議なことに。通りをさっさっさと歩いてるでしょ。「んっ?」って振り向くと、店の奥のほうに赤いシマシマがあるのが、分るんですよー、それがー。ここまでくれば、もう凄いですよね、ほんとに。そんなぐらいで。

会場5(女性)  服に呼ばれてるんですか。

楳図  もう、服に呼ばれてるんだか、僕のほうでセンサーを張り巡らしてんだか、わかんないけど。このまえ、ロヂャースで安い赤のシマシマを売ってましたので、全部買い占めました。あんまりいいシマシマじゃなかったので、それはこうやって、下着にしてます。

(トレーナーをたくしあげると、その下もシマシマ。場内大拍手)

小谷  あと、もう一つだけ質問を受けたいと思うんですけど。一人で一つ。

会場6(本学女子学生)  映像とか画像メディアの表現に対する規制っていうのが、近年厳しくなってきていて、マンガに関してもそれは同じだと思いますが、どうお考えになりますか。

楳図  えーと、規制の問題ですが、規制枠に入ってるだけの内容で描いてるのは、やっぱりそれはちょっと、読んだってあんまり面白くないと思うんですよね。話の中でどうしても、さっきの『漂流教室』でもそうだけど、子供たちが生きてゆく上での闘いが無いと。闘いが無いまんまんで、こんな険しい現実で、お互いになだめあいながらだけで、どうやって生きて行けるのか。それはそれでウソになると思いますので。それはもう、ほんとに、お話の中味次第だと僕は思うんですよね。

小谷  そしたら、もう、そろそろ時間も時間なんで。

楳図  そうなんですか。それじゃ最後に。

小谷  サバラ、サバラを。

楳図  これは簡単です。みなさんもできると思うんですけど。

小谷  あら!

楳図  なんか、すごいものが。えーっ!

(タカモトが、大きなサバラを持って、出てくる。)

楳図  わっ!わっ!

半魚  じゃ先生、お立ちください。

楳図  腰が抜けて、立てなかったです。

小谷  ほんじゃ、今日はどうもありがとうございました。

(半魚、あつかましくながながと楳図先生に握手してもらってる)

(トミタが上原さくらのコスプレでお花を持って、出てくる)

小谷  それでは、もう一度、大きな拍手で、楳図先生をお送り下さい。

楳図  それでは、最後に「サバラ」で締めたいと思いますので、みなさんもよろしくお願いします。

せーの、サバラーッ!! (会場も、サバラーッ!!)

(楳図先生、御退場)

小谷  ありがとうございました。

本日は、雨の中、起こしいただきましてありがとうございました。お手数ですが、アンケートのほうも宜しくお願いします。それではどうも、ありがとうございました。

(終り。場内、『ただいま―漂流教室のテーマ』が流れる)


[僕(半魚)の反省と感想]

楳図先生には前泊していただき、小谷くんと3人で、こちらで用意した楳図図版の白黒プリントアウトを見ていただきながら、いろいろ楽しいお話をお聞きできました。 楳図先生は、講演会の中ではけっこうとぼけておられたが、全部、どれがどの作品の絵かを覚えていました。

で、それで、それなりに打ち合わせも出来たのですが、やはり当日の壇上となると、小谷くんも僕も、かなり緊張しました。当日の、僕の受け答えも、「はー」「あー」「そうですかー」とか、随分カルいというか、タルそうつうか。また楳図先生をさえぎって喋ってたりしたり。ビデオで見直すと、僕ですら「なんだ、こいつ!」と怒れました。しかし、書き言葉にすると、それらの悪印象のニュアンスは薄れ、楳図先生の豊富なお話と、頭の回転の早さはもちろんのこと、なんか絶妙な掛合いになってるような気も、しないでもないんだがなー。とにかく、中味は有る講演会には、なっています。それだけは自信を持って申し上げます。

それでまあ、僕自身は、反省点はともかくも、結果的にはすごーい幸せでした。


[会場に配布したプリント]

※本講演会の参考資料として、楳図かずお本人による言葉を集めてみました。

1. ズ編

[LOG. 1] コマ割りとスピード感

ぼくがまんがを描く上で影響を受けたのは、同世代のまんが家と同じように、手塚治虫氏でした。手塚まんがはぼくのテキストであり、必読書であったといってよいでしょう。

しかし、ぼくにはもう一人、影響をうけたまんが家がいました。東京ではあまり知られていませんが、大阪で一時期活躍した酒井七馬という人です。この酒井氏から、ぼくはコマのはこび方を学びました。

まんが家の中にも、コマからコマへと急に飛躍してしまって、流れがまるっきりわからなくなる場合がありますが、酒井七馬氏は、コマのはこびが映画的なのです。文字で説明するのではなく、絵をたどっていくと、話がスムーズに頭に入ってくるのです。コマをていねいに細かく描くから、テンポはスローですが、通してみるとよくわかって迫力があるのです。酒井まんがは絵の分解とスピードを勉強するうえで、非常に参考になりました。 ――(『まんが劇画ゼミ』6 集英社 1980)

[LOG. 2] 小さなコマで --- 動きと感情の表現

コマを小さく割るのは、毎週決められたページ数の中で、一つの話を完結しなければならないという制約から、自然に生れた傾向だともいえます。が、これは、ぼくがセリフで説明するのではなく、動きで読ませていきたいという気持ちがより強いからなんです。動きを見せたいときには、読者が連続した画面を見ているうちに、コマの積み重ねによって、動きがズンズン伝わってくるような処理を心がけています。手法的には、時には一ページ全面に渡る大きな画面を使って、全景で読ませることもできますが、ぼくは、ワンショットずつ動きを明確に出すことによって、見ている側に動きをどんどん伝えたいんです。

どちらといえば、アップやワンショットづつの積み重ねで、感情の起伏をていねいに描いていくのですから、テレビ的といえるかもしれませんね。テレビが最初から枠の中にある画面でリアリティーを出しているのと同じように、まんがは一枚の紙を細かく割って、その中で動きを追っていくのですから、どこかに共通点がありそうです。ワイドスクリーンで、どでかい画面で広がる映画とは、本質的に違うような気がします。

また、ぼくが大きなコマを使わない、もう一つの理由としては、あまりコマが大きいと、読者の視点は、必ずしもストレートにぼくがねらったポイントにいくとは限らないからなんです。むしろ、ぼくが最初から読者の視点を集めたいところを小さなコマにピックアップして、読者を引っぱっていく、ぼくの『まことちゃん』は、そんなやり方で進めているわけです。 ――(同上)

[LOG. 3]  直線と曲線、人工と自然

人間も含めて生物というものは、丸とか三角とか四角とか、そういう基本的なかたちが認識の基本にあると思うんですよ。マンガが、たとえば恐怖という感情を伝えやすいとすれば、そういう「線で描く」という部分は、けっこう大きいんじゃないかな。

文明社会が直線で構成されているとすれば、自然界は曲線でかたちづくられているわけでしょう? その曲線の世界に引きずり込まれる恐怖ですよね。タテとかヨコというのが便宜的につくりだされたものだとすれば、ぼくは、生命力を感じさせる、それこそウネウネ、グニャグニャしたものに惹かれるんです。生命力というものは、やっぱり原始的な部分と結び付いていて、恐怖は、そこにこそ宿っているんです。 ――『BT』1998.12 (対談・横尾忠則)

2. メ編

[LOG. 4]  恐怖 --- 自然界に対する謙虚な恐れ

多くの人の中には、恐怖・怪奇ストーリーをまったくわからないというパターンを持つ人がいる。だが、「怪談に属するこれらは、すべて自然界に対する人々の謙虚な恐れから出発する」と説明すれば、少なくとも今、何に対して恐れをいだかなければならないかを知ることができるのではないだろうか? ――『まだらの恐怖』秋田書店サンデーCOMICS 1972

[LOG. 5] 楳図が描いた「恐怖の対象」の変遷

そうですねー、自分が描いてきた恐怖の流れでいくと、最初は説明出来ない本能的な恐さ、暗闇とか蛇とかですね。そして、次に心理的な恐さ、そして社会性を持った『漂流教室』とかに移行していったと思うんですけど、恐怖というモノは外からやってきて自分に襲いかかってくるという怖さだったんだけれども、そのうちに恐怖というのは恐怖を感じる者の中に内在するということに移っていって『神の左手悪魔の右手』の頃はそういう恐怖を描くようになっていたんですね。体の中からハサミが出てきたりとかですよね。

それが進んでいって今一番怖いのは「私は誰なのか」という事だと思います。だから、人が怖いというのではなく自分が怖いというのは間違いないと思います。この自分は何処から来たのだろう、何をするか分からないという、今までは、確たる自分があって、信じられないのは外部の方だったはずなんだけども、自分自身が恐怖の対象であるって事が最近の自分の作品の特徴であることは確かですね。 ――『ユリイカ』1997.4 (聞き手・西野雄一)

[LOG. 6] 「恐怖」と「笑い」は紙一重

世の中の出来事は、それを見る立場で、怖いと感じるか、おかしいと感じるか、それだけのことだと思う。

恐怖の場合、追いかける者と、追われる者の、二通りがある。追われる側は、自分を傷つけるものに追われて、怖いと思うけど、追いかける方には、切迫した理由で追いかけてない限り、すごく楽しいんじゃないか。だから逃げてる人を見て、すべったりころんだりする様を笑うことができる。逃げながらぶつかったり、ころんだりするのを、おかしいと思うことができる。

だから、ギャグか恐怖かは、そこだけの違いだと思う。 ――『恐怖への招待』河出書房 1988

[LOG. 7] 人間の想像力が未来をつくる

マンガをかいていて思うけれど、H・G・ウェルズの月へ行く話でも、実際にアポロが行ったのと比べると、まったく同じようなことだったりとか、そういうふうに未来に起きることの先取りが行なわれている場合がある。それがすごく合っていた場合は、自分たちは過去からきただけじゃなくて、未来から、過去から受けた本能と同じような本能を授かっているような気がしてしまう。

偶然だけではなくて、みんなマンガを読んだりかいたりして、一生懸命そこらへんを探ろうとしているんじゃないかという気がする。

じゃ、どれが未来に起きる出来事なんだろうというと、どれが本当なのかというのはわからいよね。未来は現在から過去からと同じように積み重ねてたどり着くわけだから、未来の形は、すでに自分たちのなかにあるような気がするのね。 ――(同上)

[LOG. 8]  言葉とふたつの世界

機械に言葉を教えようと思ったらやっぱり「アイウエオ」なんですね、単純に。その中から組み合わせでできていくので、やっぱり「最初に言葉ありき」なんですよ。だから、もしかしたら言葉って、ある意味宇宙全部を語っているのかもしれない。言葉の組み合わせで物事が全部説明できるんだったら、言葉の中に宇宙に真理も全部入ってるはずだって思ったんです。

だから、世の中で一番崇高といわれている「愛」だって、言葉の中で表わせるかなって。なので最後に言葉を一個づつエネルギーにしていって、一番大切な部分だけ残したら「ア」と「イ」が残ったってことなんですけどね。

「ア」と「イ」は「愛」に繋がるんだけど、もっと単純に、言葉の一番原始的な部分が表わせるということなんです。「ア」と「イ」のどっちが原始的かっていうと僕はやっぱり「ア」だと思うんですけど。「イ」ってもうちょっと複雑ですよね。「ア」の反対っていうか。やっぱり僕はそこに反対がひとつないと、世界は生まれてこないと思うんですよね。 ―― 『QUICK JAPAN』vol.42 2002 (聞き手・吉田大助)

3. 映写予定の図版とその年代

1950年頃 「ユメ」
1950年頃 「ハッパ」
1955年 「別世界」
1958年 「お百度少女」
1962年 「南海の少女」
1962年 「虹」(カット作品)
1977年 「まことちゃん」
1970年 「イアラ」
1966年 「へび少女」
1959年 「ほくろの怪」
1969年 「おそれ」
1968年 「うろこの顔」
1974年 「洗礼」
1972年 「漂流教室」
1982年 「わたしは真悟」
1990年 「14歳」
※作品はいずれも、(C) 楳図かずお

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