わたしは真悟 本作のタイトル。「ロボットが意識を持つ」というモチーフを最も的確に表現し得たタイトル。即物的でありながら詩的。意識とは、まず一般的にデカルト的なコギト(我思う故に我在り)であり、自分の(意識の)存在を世界の初源とする発想である。が、そこには必然的に「我」とは何か?という問題を内在していた。デカルトはこれを無視してないか?(ラテン語だから、このコギトには主格がない)。ともかく、本作ではその自我意識までも含んだこの文がそのままタイトルとなっている。かつ、「真悟」というネーミングには、その源である父母を内包する。そして加えて、物語中盤で(途中まで全然分からない)、本文中に出てくるセリフ「ワタシハシンゴ」でもある。
英語タイトルは、「My Name is SHINGO」である。これは、初出の段階から付けられており、各単行本でも表紙レイアウト等でどこかに附されている。英語はよく知らないが、たぶんこうとしか訳せないのだろう。が、しかしこれでは、What is your name? My name is Shingo. でしか無いのではないか? 中学一年でならったが、What are you? I am a teachr. Who are you? My name is Akihiko Takahashi. などと言う。やはり、訳し切れてないような気がする。My name を担う I の存在は自明である。しかし、原題の「わたしは」では、「わたし」の存在は決して自明なものではない。
◆ PROGRAM 1 誕生 APT1 ロボットは組み立てられた (第1話)
ロボット 「スピリッツ」の連載開始の1回前の「スピリッツ」1982年7(4/15)号に「楳図かずおのサイエンス・レポート/ロボットってなーに?」がある。
連載開始前のイベント的取材。全4頁で、最後のページに、楳図かずおの『わたしは真悟』を描くに当っての言葉が有ります。ちょっと長いけど、引用してみます。
「ロボット…この口では言えない熱い想いを、あなたに伝えたい!!」
ロボット このあまりにも聞き慣れた言葉が、今年にはいって、まるで全能の杖に触れでもしたように、現実となって目の前に姿を現わし始めました。私達は、物語の中や、日常の会話の中で、「ロボット」という言葉を幾度となく使ってはきましたが、それはあくまでもただの空想のお話でしかなく、私達のおかれている現実とは何ら関りのない、遠く遠く、限りなく離れた遥かな存在でしかなかったのです。それがたとえ、空想のものと比べて、いかほどに幼稚であろうとも、現実として、ここに存在するという、その存在の事実は、空想と現実の距離の数ほどに等しい重さがあるのではないだろうか。その現実のものを関係者は今、"産業ロボット"と呼んでいます。そしてある日、私は、今まで心の片隅に、小さくうずまっていた想いが、突然、産業ロボットの出現により、描くための実際性を持つことができたのです。私の頭の中に、もどかしかったものが、次第に形をとりはじめてきました。
こうして私は、まず、産業ロボットの取材に入りました。私が訪れた彼等・ロボット達は、どれも、ひたすら、黙々と、指令に沿って、寸分の狂いもなく働いていました。指令に忠実に働く彼等を見ていると、その忠実さ故に、冷い機械というよりもむしろ、親しみを感じるのは、そこに人間に似た動きを見たからでしょう。インタビューを受けていただいた皆様の返答の中で共通している言葉がありました。それは、日本で、なぜロボットが隆盛に成り得たか………という問いに対して、日本人は木や草にも情をかけることができるからだ、ということです。胸に染みる言葉でした。そして私は、いよいよ次号より、胸いっぱいにふくらんだ情念をぶつけることになります。言葉では言い現わせない、熱い想いと感動を伝えたい。あなたに!!そして、あなたは、何のために、私をつかわしたのでしょうか?わかりません。言える言葉はひとつ。「愛が流行ると……が近い!?」"漂流教室"をはるかにしのぐ、スケールと感動、そしてさらに計算された現実性と崇高な願いを込めて、この一作に全てを結集して描き切ります。
楳図かずお
奇跡は誰にでも一度おきる。だが、おきたことは誰も気がつかない 単行本の各扉にある印象的かつ象徴的な言葉。この「奇跡」とは何か?
この言葉は、単行本で付けられた言葉であり、初出の段階では存在しない(と思う)。
わたしはクマタ機械工作といところで生れたそうです 「わたしは」という一人称が、実際に何を指すか?文末の「そうです」という伝聞形式とともに、こうした「物語り」の形式に注目すべき。楳図における「物語=ナレーション」の効果については、『漂流教室』ほか楳図作品に多く出てくる。
伝聞形式については、楳図自身が次のように述べる。
『わたしは真悟』の、意識をもったコンピュータの子供のイメージは、いわゆるあたまが大きいというだけの話でほかはとくに特徴はない。頭の後ろに臍の緒みたいなのをつけた。コンピュータの真悟は人間と接続して、地球意識になる。地球意識になったあとは、よその惑星というか、よその地球につながっていく。結局それは宇宙全体が子供という形に結びつくんじゃないかと思ったんだよね。人類の未来の姿は子供なんじゃないか。
『わたしは真悟』をナレーション形式にしたのは、自分自身をまた自分自身が見ているという感じにしたかったから。だからその自分自身が、地球そのものの意識としてのナレーションなのか、もうちょっと別な意思なのかというところまでは考えなかったんだけど、ああいうふうなナレーションをつけないと、あらわしにくいところもあった。(『恐怖への招待』1986年、文庫版P61)
「クマタ機械工作」はメーカーの名であろう。製品名は「クマタ4.5」。また「クマタM4.5」だったり「クマタR4.5」だったりもする。「クマタ」のネーミングは、『スピリッツ』の楳図担当編集者であった熊田正史(くまた・まさふみ)氏から採られたものと思う。1947年2月生まれ。2001年7月現在、コミック編集局の企画開発室室長。『わたしは真悟』の最初から東京タワーのころまで担当し、さまざまな取材などにも同行した。小学館退職後は、京都精華大学教授。
部品は一つにあつめられ この、こまかい描写。セリフはなし。
一九八二年のことだったと 作品の初出年次(『スピリッツ』1982年4月15日号)と一致している。作品の時間は、一九八二年。では、何月か? 多分、これも初出と同じ四月〜五月頃と考えていいような気がする。後に「初夏の出来事」云々と出てくる。
萩小学校 主人公・近藤さとるの通っている学校。悟は「六年三組」(20頁)。
ダンプカー 子供っぽい、ということか。後の、クシ・鏡・ハンカチなどの小物と対照的。
コンマ 近藤さとるのあだな。近藤の語呂違いと同時に、「小さい」とか言う意味もあるんじゃないかな。
主人公のさとるは、近藤、コンマ、さとるという順でその呼び名が与えられている。漢字で「悟」と書くということは、真悟が誕生する時に初めて明かされる。
さとるは、スペースシャトルのジャンパーを着ている。
ヌー 同級生のあだな。沼田くん(後出)。
来年は中学だぞ
まったくなんというやっちゃ!! もうちょっと読んでいくと分かるが、この先生は、さとるのことを全然よく言わない。むしろ、かるく小馬鹿にした感じ。子どもたちは、その対象が自分でなければ気さくないい先生と思うかもしれないが、自分に対してだったら多分いやーな気分になるのではないか。しかし、この場合のさとるは、鈍感であまりそれを意識していない。『漂流教室』などにも出てくるが、だいたい学校の先生というのは、子どもの事を分からない、いやな存在として描かれることが多い。
ただいまっ!! さとるは、マンションのような団地のようなところに住んでいることが、ここで分る。
こんなにうまくはもう二度と書けないよ……
◆ PROGRAM 1 誕生 APT2 ロボットは着いた (第2話)
第2話には、ロボットによるナレーションは無い。
ロボットが入社…!! ここでさとるのイメージしているロボットは、ガンダム風なそれ。この直後に、さとるの「ガンダム」というセリフも出てくる。
巨大ロボットの歴史は、ドラムカン型の鉄人28号、装飾美を備えたマジンガーZ、戦闘性を具体化したガンダム以後、という風に分類できる(かな)。
アンドロイドみたいなやつ!? 一般にSFでは、ロボット、サイボーグ、アンドロイド、シュミラクラなどは、それぞれ区別する。
空を飛べるロボットが、パパの会社に入社していったい何をしようっていうのよ!? このママのつっこみは、なかなかツボをついているが、それはともかく、ママは、「ロボットの入社」という事態を、具体的に理解しているのだろうか。後にも、「銀座かどっかで働いている女ロボット」などと、ボケをかましている。もちろん、これはどちらもギャグなのは当然である。が、まるっきりのギャグとも思えない。
この当時、既に産業用ロボットは70年代のオートメ工場・ライン生産を脱して一般化しつつあり(だから中小企業の町工場にも導入された)、一般主婦が知っていても何も不思議はないが、ここでは、ママは理解して、ギャグを飛ばしているというよりは、その話題自体に対して、基本的に無関心なのではないか、と思う。
見ろ!!労働者の肉体!! さとるの父のセリフ。のちのち、このロボット導入により、労働者の肉体作業が侵食されてゆく。その伏線。
福永 一回しか出てこない、使い捨てのキャラ。あだなは「教授」らしい。命銘の由来は不明。
豊工業 さとるの父親の勤める会社の名前がここで初めてわかる。
ロボットリース会社の石田です
◆ PROGRAM 1 誕生 APT3 ロボットは動き始めた (第3話)
まだ、自分が何であるかさえ教わっていない、ずっと昔のことでした……
今日、コンマのおやじの会社にロボットが入社するんだっていってたぞ! ここで、本作冒頭のロボット出荷の時間と近藤の家の時間とが一致する。
ナポレオン ブランデーの銘柄。下町の団地に住み、一戸建をたてることが一家の漠然とした目標になっていることあわかる
ロボットが入社するって、やっぱりほんとうのことだったのね…… 無関心だったママは、この時になって初めて、事の意味を理解したと考えたほうがいいと思う。
モンロー
◆ PROGRAM 1 誕生 APT4 ロボットは、少年と出会った (第4話)
わたしのアームの上に取り付けられたということです…… ロボットの全体から見て、マジックハンド部だけでなく、紡錘形の回転部全体をアームというらしいことが分る。
リー ビビアン・リー。
おはらい これは取材の成果だろう。最先端の科学技術と、非合理の極み呪術的な祈祷が同居する、日本近代を、なかば戯画的なかばまじめに(たぶん)描いてある。
いまも柱にその時のお札が貼られているということです この「今も」も「今」とは何時か?たぶん、これはつじつまが合わない。
これがモンローの組み立てたものだ!(モーター) 後に出る「毒のオモチャ」とは形が違うように見えるが、多分同じ。ここでパパが持ってたのは、モーターの回転子の部分。毒のおもちゃは、完成品。
ロボットを見学に行くことになりました!! 妙な魚眼レンズ風の絵。教室の広さを表現しようとしたのか、教師(担任かな)のエキセントリックさを表わそうとしたのか、いずれにしても意味・効果とも不明。「先生のところへ視点が集中するように描かれている」との学生の指摘が有りました。なるほど。
ククク…… フフフ…… 無邪気に反応するさとるにたいする女子の笑い声。多分、女子は単純に見下しているのではなく、なにかしらさとるにも興味があり、つまりさとるも魅力があるんだろうと思う。男子や先生がコケにしてるほどには、女子はさとるをそうは思ってないと思う。
わたしはモンローという名前をつけてもらい…… ここで初めて、「わたし」=「モンロー」(=産業用ロボット)ということが、はっきりと明示される。
あれです… 次の最後の1頁1コマの絵で、初めて「モンロー」の全貌が描かれる。全貌とは言っても、コンピュータの入力部はまだ描かれないが。
◆ PROGRAM 1 誕生 APT5 工場にて (第5話)
冒頭の見開きの頁に注目。このベルトコンベアを挟んでならぶモンローとリー、そしてさとるの位置。工場内の全体のおおよそ状況がつかめるショットになっている。これを、再設立画像という。
すごいなあ……!! すばらしいですね…………あのように正確によく動きますね!! ガンダムのイメージが壊れて落胆するさとるの無邪気さと対照的な、クラスメイトや担任教師。彼らのものわかりの良さは、しかし、テレビニュースやNHKドキュメンタリーがもたらすもの以上の想像力を持たない人間たちである。たぶん、見学する以前と以後とでも、実際はなんの変化もないのだろう。すでに入力(インプット)されていた情報のみで、新しい事態に予め用意されていたセリフで対応しているだけの、まさにロボット的人間。
へーっ!! やってみて!! とは言いながら、産業用ロボットが仕事以外の事をやる、といった場合には、やっぱり子どもは素直に反応しちゃうんだろう。
今はやりのマンガの絵だった 『まことちゃん』ぽいが、たぶん無関係。「今流行っているマンガのキャラクター」であって、「今はやっているマンガというメディア、その絵」という意味ではないと思う。
一九八二年の初夏のある日のことだった この回は6/30日号(6/15日発売)。たぶん、それに合せてあるんだろうと思う。楳図作品で、年記も銘記してこのように同時代を描いてゆく作品というのは、珍しい。
プログラムの命令数は一〇六だってよ こちら、知識不足で意味不明。この時期のBASICでも、もうちょっと多くないかな。
なんだ、ちっともロボットらしくなんかないじゃないかっ!!なーんだがっくりだな、つまんない!! なんだ、やっぱりさとるは、落胆から立直れてない。そういえば、マンガの絵を見て喜んでいる児童たちの中にさとるは描かれていない。
このモンローの造型は、単純に(または勝手な)楳図の想像ではなく、取材の結果である。
産業ロボットを描こうということになると、これがなかなか大変で、産業ロボットなんてよくわからないし、調べるしかなくて、いろいろなところへ電話して問い合わせた。産業ロボット振興会とか、長野にロボットをつくっている人がいて、その人を紹介してもらって、ロボットについて話を聞いた。おまけに設計図までかいてもらって、動く部分がどう動くかという、メカの部分を教えてもらった。あとは実際にロボットを入れている町工場を見せてもらったり、下調べが大変だったんだが、そんな準備をして描き始めた。(『恐怖への招待』1986年 文庫版100P)
◆ PROGRAM 1 誕生 APT6 ロボットと少年と少女と… (第6話)
(こける、という出会い) さとるとまりんの出会いのシーン。すこしギャグめいたこの出会いは、恋愛モノ(ラブコメ)の常套なのか。あるいはパロディか。はたまた、ここまでの『まことちゃん』タッチの最後の1コマなのか。いずれにしても、この後、こういう無意味に無邪気なコメディタッチは少なくなる。
そのことを作文にしなくてはならないんだ!!
◆ PROGRAM 1 誕生 APT7 ロボットを見学して… (第7話)
ロボットを見学して 近藤さとる さとるの作文のタイトル。ここで、用心深く、まだ「さとる」と平仮名表記になっている点に注目。
作文の内容は、担任が茶化すように、概念的なものと言えるだろう。これは、モンローを見てのさとるの実感と、だいぶ齟齬している。この変化にあるものは何か。難しいけど、たぶん、まりんへの思い、まりんとモンローを共有したその時間への思い、そういったものが、ロボットの作文を書くことの原動力になったのかな、と思う。で、結局、内容は概念的なものになってしまう。
見学生徒の列の最後に……美しい人が……一人……いただろ…… さとるもまりんも、どちらも最後尾にいた。しかし、後光が差してるさとる。
パイポ 「明路学園」と言う子ども。あだなの由来は不明。使い捨てキャラ。「めだか/すくいようのない」というシャレは、ずいぶん前からある。
◆ PROGRAM 1 誕生 APT8 夜の工場 (第8話)
いつのまにか来てしまったの………… 長い「…………」の重みをかんがみて、この唐突なまりんの行動も理解してあげよう。すくなくとも、まりんは抑圧された家庭で生きているのだろうとは思われる。なにかに救われたい、という思いが有ったのだろう。たんなる御都合主義的なストーリー展開ではない、と見る。
ねえ、あのロボットをもう一回見てみたくない…!? このさとるのセリフのときのまりん、涙をふいている。
ほ、ほんとにトイレの中なのね…… なんとなく、とぼけた感じのまりんのセリフ。
ともかく、「ま…まっ暗」で、「ま、待って……」と言って、ふたりは手をつなぐ(二度目だが)。
ロボットだけが働いている!! ランプが動いているというシチュエーションがなかなか良い。
モンローの写真を少しはがしていこう!! 次の展開への伏線としても、こどもっぽい自然さとしても、いいセリフではないか。
縦五八八個……横一〇二四個の電気信号 ディスプレイやスキャナーの解像度としては、すこし破格なのか。あるいは82年当時はこうだったのか。
いずれも3:4の比率。
- 480×640
- 600×800
- 1024×768
(さとるとまりんの見開きの絵) 手描きです。白井編集長のコトバを掲げておきます。
「ロボットの目に意識された人間の絵というのがコミックで表現されるのは、おそらく初めてではないだろうか。それも、コンピューター・グラフィックにみまがうばかりの、精巧な手描きである。思わず、スゴイと、うなってしまった。コマやセリフがなくとも、一枚の絵として、語りかけてくる衝撃力…鬼才楳図かずお氏の『わたしは真悟』、いよいよ、地を這う取材の出はじめたようである(S)」(『スピリッツ』1982年8/15号・In High Sprits)
初めての出会いだというのに……何一つ……覚えていません…… 残念なことです…… このナレーションは、3コマに渡って描かれているが、この3コマが持つ時間はどの程度か。ほんの瞬間なのか、それともこのナレーション分の長さがあるのか、あるいはもっとゆっくり長い時間なのか。リアリティとして、さとりとまりんが、この姿勢でじーっとしてるとすると、すこし不自然かも。
◆ PROGRAM 1 誕生 APT9 位置ぎめ (第9話)
そこどいてくれないかしら!? そこ、一番の通り道なのよね! 問題。なぜさとるは、こんな邪魔なところに座っているのでしょうか。
さとるは、季節に合せて、服装もだんだん変っていってます。足下に「スピリッツ」がある。これ以前の室内風景も、ガラス棚、システムキッチン、カーテンなどきっちり設立されているけど、電話はないですね。
今、なにしているところ!? えっ!!電話かけてるところ!? 携帯電話の時代には、通用しなくなりました。
先日『ダーマ&グレッグ』で、ダーマ・パパが掛けてきた自宅への電話に対して、応対したくないグレッグが「あー、聞こえないですね。今、トンネルに入っちゃった」というギャグがあった。携帯電話時代の新しいギャグですね。
まだ、二回しか会ってない子なんだ! 見学の時と夜の工場の時。
009 0528 舞台は東京でしょうから、こういう局番は無い。架空の電話番号。この番号は、後にたいした意味は出てこない。
なお、襖の市松模様にも御注目。『まことちゃん』などでも多用される柄。正確には、「タイルもよう」というのかも知れない。
……君はヒールのつま先を タイルもように絡ませて まるで無邪気に叫びつつ ひとりあとから駆けてくる
(楳図かずお・詞、近田春夫・曲・歌「エレクトリック・ラブ・ストーリー」1979)
ゴールデン横丁 新宿のゴールデン街が命銘モデルだろう。旧赤線地帯で、小さい飲み屋が多い。
ねっ、しずか! 「しずか」、初登場。苗字は「佐々木」(文庫版2巻78頁)
位置ぎめ
◆ PROGRAM 1 誕生 APT10 入力(インプット) (第10話)
ロボット係の九鬼さん 前節から名が見えているが、もともと熟練工。ロボット導入後は、ロボット係となり、設定も行うが、ロボットでものを作る気がしないと言って、退職した。クキさんと訓む(ココノオニさん、ではない)。
パパ、ビールと日本酒をちゃんぽんしているのかな。
お父さん、繰り返しは黒いキーだけじゃだめだよ!! (中略)動きを教えこむのはマイコンとほとんどそっくりなんだよ!! ここで、初めてさとるが既にロボットに対して興味と知識を持っていることが暗示される。マイコンは、8bit 時代のコンピュータ。OSは持たず、BASICなどで動く。1978年くらいからうまれ、
それじゃ近藤さん……頑張ってください! 九鬼さんは、顔はスゴイが、グチを言いながらも言葉遣いは丁寧。現場の機械化によって、熟練工が排除されつつあった時代に、この熟練工に味方をした視点で描いてある。
ウウ……ウウウッ!! 何にうなされているのか。どんな夢を見たのか。
ROBOT FOR ASS'Y ASSEMBLING ROBOT KUMATA M4.5とある。ASS'Yのアポストロフィは、後出部分では無くなっている。
最後にこのRUNのキーをおせば……
◆ PROGRAM 2 学習 APT1 Name!? (第11話)
(さとるが文字を教えている) こういう部分を科学的に解釈するのはすこし不粋だが。クマタ4.5は、文字情報(文字コード)をアプリオリに持たないのか。input x 1"=ア、input x 2"=イ などと、いちいち文字を教えているのか。後に、平仮名や片仮名を全部教えた、とあるので、文字フォントも含め、直接に文字を書く、その位置ぎめも行っているのだろう。
明日から、夏休みです!! 初出の掲載は1982年9/30日号(9/15日発売)。すでに、現実の日とずれ始めています。
来たのッ!? 来たわッ!! もう、まりんもめそめそしてないし、いい感じ。パパに会った時も「どうぞよろしく」などと、礼儀正しくはつらつとしている。
この階段シーンも、夏目は「ヘンだ」と言っていた。おまえのほうがヘンだ>なつめ。
お、お母さんにはいわないほうがいいぞ!!黙っていてやるから!! えっ!!ぼく達別にそんな…… 「別にそんな」というのは、ふかーい関係だとか言うわけではなく、ヌーとむつみちゃんみたいなBF、GFの関係では無い、ということだろう。
デパートにおいてあるベーシックのプログラムよりはむずかしいけど… むかしはデパートにマイコンが置いてあって、子どもたちがちょろちょろいじっていた。僕もやったことがありますよ。(でも分からなかったけど)。ベーシックにも、メーカーによっていろいろ拡張などがされているのだろうと思う。後には、F-BASIC (富士通)、N-BASIC(日電)などがあった。
わたし達の顔を見わけることができるの!?
◆ PROGRAM 2 学習 APT2 解体 (第12話)
(蠅) 不明
サブナード JR新宿駅の地下街。
そういえば、うちの会社…以前はスプーンを作ってた 町工場は、もともとはメッキやプレス加工などをやっていて、時代に応じて、複雑な機械工作、基盤、半導体などへ生産を移行していったのだろう。
あおい バーのマッチ。おまえは水戸黄門か。
同じタイプのロボットですよ、先日払い下げではいったんです! これから主人公となるモンローが、唯一の存在でなく、相対的なものでしかない、という設定。ロボットは一点モノではなくて、大量生産なのである。これが、人間の主人公と違うところで、個別性(個人の尊厳)のようなものが予め保証はされていない。ただし、ロボット物では、たまにある設定でもある。たとえば、石森『サイボーグ009』などでも、00ナンバーのサイボーグのほかに、より性能の高いサイボーグが登場したりする。
これがLSIとかいうやつですよ…… トランジスタやダイオードといった半導体が発明され、それを集積した集積回路というものも発明されてゆく。100個まで集積したものをIC、1000までのものをLSI、そして現在コンピュータではそれ以上の集積と機能を持ったCPUというものが使われる。
コンピュータは、ハード的には、計算をするCPUと、計算内容やその他のデータを記憶しておく内部メモリ、外部メモリ、これらをつなぐ回路、そして入力・出力装置などから構成されている。
あなたも一発なぐってみませんか!?もっと中味がよくわかりますよ…… 九鬼の、ロボットへの憎しみの表現になっている。「中味」はいわゆる「キカイ」である、ということなのだろうが、楳図の描く回路や基盤は、ウェットで一般に人間の内臓みたいだ、などと言われている。
(産業ロボットを取材したあと、コンピュータが大切だと知った)……
コンピュータそのものが、もう一つまたわからない。それもいろいろな人に資料を見せてもらったり、東大のコンピュータ研究室へ行って見せてもらったり、いろいろやってかきはじめたわけ。コンピュータは機械の集合体なんだが、その中核部分は意外と生命体のような感じがする。コンピュータのそうした部分は性格に合っているみたいね。いままでは電話とかピストルとか車とかは(描くのが)嫌いだったんだが、たとえばコンピュータのコードのぐじゃぐじゃしたやつは、いくらでも平気でかけるわけ。大変は大変だったが、ああいう半分生き物っぽい感じのかき方が、すごく性に合っている。
(『恐怖への招待』1986年 文庫版101P)
◆ PROGRAM 2 学習 APT3 回路 (第13話)
(SHIFTキーを押す) 「BSマンガ夜話」で岡田が指摘しているが、たしかにたぶんBASIC時代でも、SHIFTキーは「実行」とかの意味はないだろう。しかし、この一点をもってして、作者はコンピュータを知らないなどと非難するのは、自身の無知を暴露してるようなもんだな。
(宇宙空間に漂うような絵) 「BSマンガ夜話」でいしかわじゅんが、「楳図さん、コンピュータって、コードで繋がってると思ってんじゃないの」みたいな発言をしている。「コード」はたぶん、「電気のコード(線)」のことだろう。これは、いしかわのほうが分かってない。
コンピュータは、内部的には0 と1 と二つの数値だけで処理されている(二進法)。半導体技術が可能にした、電圧が高いか低いか、の区別による。尤も、初期のコンピュータはリレー式と言って、電気のスイッチが入ってるか、入ってないか、だったが。さて、0 か1 か、それを1ビットと数える。しかし、二進法は、人間が利用するには難しいので、4ビットをまとめて、2の4乗で、16種類のそれぞれ別の文字とし、0〜Fまでの16進法で表記仕直している(表1)。
2進法 16進法 10進法 0000 0 0 0001 1 1 0010 2 2 0011 3 3 0100 4 4 0101 5 5 0110 6 6 0111 7 7 1000 8 8 1001 9 9 1010 A 10 1011 B 11 1100 C 12 1101 D 13 1110 E 14 1111 F 15 表1 4bit 16進法を二つあわせて8ビット(256個ある)として、かろうじて人間に分る数値単位を作っている。2の8乗で、256 種類(表2)。
2進法 16進法 10進法 0000,0000 00 0 0000,0001 01 1 (中略) 1111,0010 F2 242 1111,0011 F3 243 (中略) 1111,1111 FF 255 表2 8bit さて、コンピュータ(初期のパソコン)のCPUなどは、この8ビットごとに一括処理をするようになっている。現在のペンティアム・プロセッサは64ビットを一括処理している。1回の処理のスピードは、500Mhzとか1Ghzとか。また、メモリなどで使われるが、8bit を1byteと言い、1000byteを1キロbyte、1000キロbyteを1メガbyte、1000メガbyteを1ギガbyteという。今は、10ギガくらい内臓の外部メモリ(ハードディスク)のあるパソコンは普通ですね。
この絵は、8ビットから0 と1 の信号が送られ、同心円形の部分を通って、1列になって信号が送られ、それぞれメモリに「ペタッ」と記憶されている様子が描かれていて、実に合理的である。もちろん、楳図は分かって描いている。
自分で絵をかいていて気づいたんだけど、コンピュータの素子を入れる場所は、八つある。その八つのなかで入っているのと入っていないのがあって、そういうのが何種類もあって、そこから一つの言葉なり、記憶なりが出てくる。そうして合せて人間の遺伝子を見ていると、やはり四とか八の組み合わせが重要になってくる。そこまでくると機械も人間も共通点をもってくるなと思った。何個そろえば一つのものとして形成されていくもとになるんだろうということで、数が気になりだした。 (『恐怖への招待』1986年 文庫版105P)
(頭の長いアミの人) なんとなく、後頭が長いあたり、映画『エイリアン』に似ている。エイリアンは、スイスの画家・H・R・ギーガーがデザインしたが、ギーガーはダリと並んで楳図が好きな画家。
『エイリアン』を見たとき、僕のやりたいと思ってる絵柄だと思って、すごく喜んで。デザインした、そのデザインがギーガーだと聞いて、ギーガーの画集を買って喜んでいた。あのやり方は、僕がやろうとおもっているやり方だなと思ってね。半分機械なんだけれど、ぐにゃぐにゃした軟らかい感じは……。『おろち』をかきはじめたころは、ダリが一番好きだった。ダリはなんで知ったのかよくわからない。ずっとダリが好きだったんだけど、この頃ダリはあまりパワーがなくなってきたなと思ったら、ギーガーが出てきて、ああ、やったと思ったよ。
よく考えると、両方ともスペインの人だ。スペインって、マンガっぽいのと芸術っぽいのが一緒になったというところがあって、これはスペインの性格が出ているなという気がすごくしたね。 (『恐怖への招待』1986年 文庫版101P)
ひらがなはきみが教えたんだよ やっぱり、文字はさとるたちが教えたんですね。つまり、クマタM4.5には、文字(日本語)が無いんですね。クマタが制作しているが、コンピュータ部分は、外国製品のOEMだったのかも。
日本語(2byte文字)の漢字がJISで確立したのは1978年だが、初期のパソコン(たとえば1986年)で僕が最初に触ったSORD M324(?)では漢字処理が出来たが、その少しまえは1byteカナ文字しかなかった。
雨だった!! 小川公園は、さとるとまりんの原風景、失われたアルカディア、エデンの園のようなものです。このあたりから、ふたりの秘密の遊びがエスカレートしてゆく。
◆ PROGRAM 2 学習 APT4 キリンとサル (第14話)
(ガラス越しに見えるさとるとまりん)
◆ PROGRAM 2 学習 APT5 シアワセニナル (第15話)
100 ありがとう この二人の暗号みたいなののシステムがいまいちよくわらない。むかしのポケベルのメッセージみたいな、単純に数字と定型文が対応しているのだろうが、定型文だけでは文章は書けまい。
へーーっ!? あの子が…結婚してるッ!! 「結婚」の初出。
MAS RAIDERS/23 さとるのTシャツ。楳図は、「23」という数字の入ったカバンをもっている(『ウメカニズム』)。
(地下鉄の中の子沢山母と子ども) なんで、泣いてるんだ?
なお、地下鉄の入り口の看板だが、「地下鉄」ってことはないだろう。ただし、楳図は地下鉄の駅は、他作品でもいつも「地下鉄」と書くようである。
木を大切にしましょう/地主 楳図マンガは、こういう一見無意味なディテールが面白く可笑しい。
山本 まりんの家の表札。まりんの家へ行ったのは、これが最初だろう。「うわーっ!!ここだっ!!」と言っている。ハガキをもらっているし、確実に住所は知ってるはずである。ハガキがなくても、「どこにすんでるの?」「○○駅よ」くらいの会話は有って自然。
イギリス イギリスへ行くことになっている、というが、もちろん読者もここで初めて知るわけだが、この受け答えからして、まりんも初めて知ったようである。「いいことを教えましょうか」という言い方のいやらしさ。
チチオヤ ナマエ"コンドウイサム"ネンレイ!35サイ
◆ PROGRAM 2 学習 APT6 マ・リ・ン (第16話)
止めないで、まっすぐ有楽町へやってっ!!ビザを取る時間に
◆ PROGRAM 2 学習 APT7 パズル (第17話)
夏休みのうちにね 新学期がもう始まっている。
外交官の娘と激しくつきあってるってね!
(ヌーの、不自然なスクリーントーン) 楳図といえども、スクリーントーンはかなり昔から使っている。しかし、ここはなんだか、安易だね。いや、てより、普通はここに水玉は使わないよな。
まりんの父親の職業。
今じゃトランプも計算もできるぞ!! トランプするのは、かなりの能力。プログラミングをしたのか。しかし、ババ抜き程度なら出来るだろう。いずれにしても、ディスプレイ上のトランプゲームではなく、実際のカードを持ってトランプするわけである。
いちいちうるさいんだっ、このばけもの 「ばけもの」は、楳図マンガのキーワードです。ずばり「ばけもの」という作品があり、これは想像を超えた存在を言っている。また、おとなにならない「赤んぼ少女」タマミちゃんは、ばけものと呼ばれました。ヌーの場合は、すでに大人になりつつある存在、子どもを失いつつある存在という、象徴的な意味がある。「おや、近藤!?おまえだけ、前のまんまじゃないか!!」という担任の心無い発言も決定的でいい味を出しているが、「おまえがいちばん変わっちまったんじゃないの!」(ヌー)でもある。ヌーが変ったためにさとるを理解できなくなっている部分もあるが、さとるは最後の子どもの部分をいま生きているのだろう。
ほら、こっちを見てるだろ!
◆ PROGRAM 2 学習 APT8 ゴミ (第18話)
(ゴミの付着で回路が狂う) 最近はほとんど耳にしなくなったが、昔はよく言われた現象。オペレータのストッキングの静電気で、ICBMのコンピュータが狂う、などと言われてました。実際は、回路のつながり方が、それ相応のものでないと、誤動作はしないんじゃないかと思う。
(マリリン・モンローの表情) ここは、読者がぎょっとなるところ。
モンローに、ぼくと、まりんの名まえを漢字でおしえなきゃ、すべてを教えたことになんないじゃないかっ!! さとるとまりんの名前は、漢字表記できることを伏線として言っている。
ゴミってまさか……ぼくのこと……!?
◆ PROGRAM 2 学習 APT9 ワードプロセッサー (第19話)
アメリカンスクール まりんの通っている学校。
ラブレターなの!! モンローに解読させるべき、数字による文章。具体的には、なんと書いてあるのか。
そのためにまりんはこの学校で英語を学びました!! まりんは英語が話せるようですね。
むこうで、すばらしいレディーに成長することでしょうね 母親の表現にもあるが、「世界に通用する女性」などとも言われる。この抽象的な理想は、どういう具体性をもつのかね。
新東京国際空港 いわゆる成田空港。
あなたがまだひらがなを書けないこともちゃんと知ってるわ!! しずかは平仮名も書けない。
子供がほんとに恋愛なんかするわけないじゃないの!! その子供がほんとうの恋愛をする、というパラドックス。たぶん、楳図作品にとっての「ほんとうの恋愛」とは、たんなるプラトニズム(肉体拒否とイデア論)でもなくて、そういうものが無いなかでの関係を言うのではないかな。
(しずかの書いた数字) ヘタだね。
この頃、世の中どうなっちゃうんだろネ、産業ロボットだの、コンピューターだの、もの言わないキカイが工場のなかでえばり返っているんだから!! ライン生産などによる労働疎外ということは、20世紀初めから言われていました。
ぼくだちのことなら、ごっこじゃないんだ!! こういうさとるの素直さが好きだなあ。
今頃は、ケムリになって空の上だわよ 次の頁には、雲の上を飛ぶ飛行機の見開き絵。これは、すでにまりんが飛行機に乗ってしまったことを暗示している(じつは乗ってない)。次の頁、邪悪な煙突のケムリ。
◆ PROGRAM 2 学習 APT10 眼 (第20話)
(モンローの眼による認識パターン) ここもすごいですね。初出は4色カラー。
(「根性」の壁額) 『洗礼』(1976年作品)の良子の家にもあった。
(数字を見つめる、さとるの見開きの絵) いいなあ。
◆ PROGRAM 2 学習 APT11 無人工場 (第21話)
三ちゃん工場 むかし、兼業農家のありかたとして、三ちゃん農業というのがあった。じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんで、三ちゃん。80年代当時、通産省・ロボット普及会は、工場への産業用ロボット普及について、大企業には普及させず、中小企業に普及させるという方針をとっていた。大企業は多数の労働者を雇用させる意味がある。それに対して中小企業は、ロボット導入で経費節減の意味がある、という方針である。ただし、下請け会社でもあった中小企業は、ロボット導入によって親会社からコストダウンを迫られると損害である。『カムイ伝』ではないが、切角田地を開墾しても再び検地が行なわれ、年貢の量を増やされるのであっては、土地開墾の意味がないのである。
あいそもくそもつきちゃったわッ!! 「あいそもこそも」が、ほんとは正しい。
別れさせてもらいますッ!! 七〇年代の核家族化につづき、八〇年代は、本格的な「家族崩壊」の時代である。女の社会進出が多くなったことも手伝って、ちょっとしたことで離婚するような時代になってきた。離婚率?熟年離婚とかは九〇年代に入ってからだろう。
ええ、そうよ! 出ていく気よ、勤め先ももう決めてあるわ!! クビを聞いた直後。ママ、手回し良すぎ。
門番もだれもいない…… さとるには、両親の離婚問題よりも大きな問題がある。この態度は、さとるの無邪気さによるものか、あるいは、親に対しても一定の距離を持つ現代っ子的な感覚というべきか。
◆ PROGRAM 2 学習 APT12 メッセージ (第22話)
あとは……これを……押すことで……暗号が……解ける!! 暗号というよりは、Yes/Noで条件分岐するし、もはやじゅうぶんプログラムです。
ICのつながり方は……まるで人間の脳細胞のつながりに似ているといいます…… 以下の見開き頁の絶妙のシーケンス。
フロッピーディスク 8インチ・フロッピーみたいに見える。いまの子供は、5インチのフロッピーも知らないだろうなあ。
わたしはキカイ…… こうした自己認識のセリフの中に、後の「ワタシハシンゴ」の前哨を読む読者は、どのくらいいるのかな。ともあれ、ここで初めて、モンロー本人が「わたしは……」と言っている場面。
その頃わたしはなんにも知らなくて……思えば……しあわせだった!! 無知ほど幸せはない。
キーワードは……"サトル&マリン" キーワードは、パスワードでもなく、ログイン式のなんかなんだろうなあ。Basicの仕組みとか、よくわからん。
とびこんできたコンピューター・ワードの意味は……感情……という種類の記号…… 感情は、モンローが感じたものではなくて、まりんの文章が持っているものでしょう。
f5を……押したのです…!! f5は、通常、RUN の機能を割り当てる。
サトルクン ケッコンシナイ?
◆ PROGRAM 2 学習 APT13 プレイバック (第23話)
するなら、Y…! しないなら、N…! Yes/Noの選択。さとるの、それにたいする答えのセリフは無く、動作のみで示される。雷が鳴るが、これは直接には意味がない。その後の嵐と繋がってはいる。
コドモヲツクロウ ここでシンゴを想像出来る読者って、いるのかな。
オガワコウエン 小川公園が、さとるとまりんの原風景のような場所なのでしょうね。
警察にも頼んだと思うの!! 軽率には判断できないけど、楳図作品では「警察(=事件を解決する)」ってのはほとんど出てこないような気がする。警察は法に則っていて、一般民間人より上の存在と言えるだろう。同様に、正義は法によって実現され、その正義を信じている社会でもある。物語のドラマ性を、警察にゆだねるようなつくりは、楳図はほとんどしない。因みに、『洗礼』がVシネマになったとき、原作をかなりネジ曲げているが、警察が事件を解決する、という最悪のオチにしてしまっている。
とは言いながら、一旦楳図が警察を描けば、こうした情報戦略・組織的な警察をきっちりと描き出すところがエライと思う。
もう、子供の時のわたし達には会えないわ!! その前には、「もう……会えないわ!!おとなになるまで!!」とも言っている。おとなになってから会っても意味がない、ということである。
◆ PROGRAM 2 学習 APT14 可変シークエンス (第24話)
(警察署のビル) これ、いまの桜田門の警視庁ビルじゃないかな。
こういうのもなんですが、ほんとにまるで何もしらない娘ですので…… 知らないと思ってるのは、親ばかりじゃないか。しかし、実際、子供がどうして出来るのか、人体的なメカニズムについてはまりんはその後の発言で分かるように無知ではある。たしかに、そういう面は無邪気なのかもしれないが、好きと言う感情やそれを保証する(と思われている)結婚というものは、それらの性的なメカニズムを知らなくても実現できるんだろうね。
この頃の少年犯はきりなく凶悪化の一途をたどっていますのでね…… さとるは、すでに「少年犯」と決め付けられている。
結構しようッ!!そしてぼく達の……子供をつくろう!! この箇所は、ふつうは小さいな「恋のメロディ」みたいなのを読者は想像するんだろうねえ。
ここなら、ぼく達にピッタリだと思うんだ!! 受講生のなかにも無邪気な子がいると困るので、きっちり注釈しておくが、これはラブホテルではなく、つれこみ宿というやつだね。
ぼく、三百円持ってるけど、きみは!? おいおい、って感じだが。自分で出来るだけ出そうという、男子としては立派じゃない?
そうだ、ランドセルは…… まりんは空港でもランドセルをかついでいる。『漂流教室』でもそうであったが、小学生を象徴する小物であろう。
ぼく達……18歳です! 「18歳未満禁止」とかいうことは知っているのだろう。まあ、ここがどういうところかはわかってないようだが、たぶんさとるは「金さえ払えば入れる」と思っていたっぽい。それを、窓口で「あんた達、まさか……小学生では……」と言われたところで、「どうやら小学生ではまずい」と直感したという感じ。
いちおう二人連れだし…… こういうところは、男女二人でなければ入れないのだね。
クツは脱いで行ってよ! 料金後払いで、逃げられないようにクツを預かるのだろう。実際に、脱いで置いていってる。ゴチエイがかつて指摘したが、その後、ちゃんと二人はクツをはいている。
ここ、もしかしたら……大人の人がこっそり来る所では…… これが、あとでさとるの言う「まりんがさっきいいかけたやつ」である。連中、まったくの無知というわけでもないようである。いずれにしても後出の「333カラトビウツレ」の関係としても、「ふたりがそれらの実態を知らない」という設定が、本作のリアリティを支えている。この設定にはムリが有る、というようなケチを付けるやつがいるような気がしてくる。が、かなり不粋というか実体論的なやつですね。
じゃ、お母さん達まちがいなく日本にいるわ!! まあ、娘を置いて先に先にゆかないだろうが。
だめだっ!逃げるしかないっ!! さとるとまりんの二人が、罪を犯してるとすれば、このこの無銭宿泊だな。サイフを落して、金が払えない。同時に、警察への電話を察知する。さとるがなぜ部屋をドアを明けて廊下へ出たのかは、意図不明。
◆ PROGRAM 2 学習 APT15 数値制御 (第25話)
きみ、ターザンできる? 木登りやロープにぶら下がったりする軽業的な遊びを、むかしは「ターザンごっこ」などと言ったのです。
屋上から階下(4階)のベランダに降りるなんて、大人が見ると極めて危険だが、案外子供は身軽でやってしまうものです。ただし、まりんがやった部分の描写はない。
「わたしたち/けっこんします/さとる/まりん」 きれいな字である。まりんが書いた。すべて平仮名だが、「私」は6年生、「結」は4年生、「婚」は中学で習う漢字。
……すぐに先生に知らせるように!! さとるの席が空席になっているコマがある。以前から、ちゃんとさとるの席である。
きのうから、少年と少女が行方不明になっています!名前は…… これは、さとるとまりんのことを報道しているのであろう。通常は、この程度の事件はテレビ報道はないだろう。しかし、楳図にはテレビを通した告知やコミュニケーションを作品の中で多用する(『偶然を呼ぶ手紙』『漂流教室』『14歳』など)。テレビは過剰に出来事を事件として再生産するメディアであるという認識が、楳図にはあると思う。
ふーん!!わかんないけど下手くそな字ね !!字がよめないしずかゆえに、だれが書いたがわからないはずだが、奇麗に書かれたこのメモを、「下手くそな字」と言い、あたかも憎しみをもってグシャグシャと踏みつけるあたり、しずかの女の勘のようなものを、ここに感じる。
◆ PROGRAM 2 学習 APT16 回答 (第26話)
あんたは、近藤の息子じゃないの ドラマに障害はつきものだが、こういうズバリ見つかってしまうという設定が、楳図作品の展開の魅力だろう。そして、決して肩透かしでなく、リアルに正論を吐き、その上でズバリ彼らは障害を乗切ってしまう。その乗切りかたは、彼らの事態への真剣さの表われである。
333ノテッペンカラトビウツレ でました!
後出では、工場のおばさんやさとるが、「333のテッペンカラトビウツレ」と「の」だけ平仮名で書いてある。
(背景の東京タワー) 暗示というか明示してある。今の子供たちは東京タワーが333m だということをあまり知らないらしい。が、僕らのころは、世界一の高さの建物ということで、常識として、よく取り上げられていた。
東京タワー・クイズ
- Q1 東京タワーは経営母体は?
- Q2 東京タワーの基本的な事業は?
◆ PROGRAM 2 学習 APT17 333 (第27話)
(水族館) 東京タワービルの一階にある。
はい、東京タワーです! 舞台は、たぶん地下の管理室と思われる。
(エレベータ)
◆ PROGRAM 2 学習 APT18 どこへ… (第28話)
(特別展望台の床) 楳図好みの市松模様のように思えるかも知れないが、2年くらい前までは実際にこの通りのタイルだった。現在は、この上にカーペットが敷いてある。
(ドアがあく) 普通は、空きません。
(特別展望台の屋上からの風景) 桜田通りの飯倉の交差点や麻布台を望む、実景が描かれており、霊友会、麻布郵便局、ロシア大使館、など現在も当時のまま。
大人になっても、こんなふうに見えるのかしら!?
◆ PROGRAM 2 学習 APT19 333メートルの天国 (第29話)
333と聞いて単純に思いうかぶのは……あれです! コロンボみたいなよれよれ刑事。これは決して、御都合主義的な即決ストーリーではない。警察による情報収集力に加えて、その洞察力が描かれているのである。
しかし、この刑事の胸ポケットの手帳やペンまで描く、芸の細かさをみよ。なお、ショックのまりんの父がくずれ落ちるまでの間、刑事は東京タワーを指差したまま、というのは御愛敬である。
それどころか、ぜんぜん見えない! 「333ノテッペン」と言って、ほんとにテッペンだと思いましたか?
以下、東京タワーの構造や高さなど。
『まことちゃん』での東京タワー楳図は、『まことちゃん』でも既に東京タワーの全体像を描いている(『少年サンデー』1978年51号「人だすけはつらい」単行本13巻、文庫7巻)。また、大展望台の内部も描いており、だいたい正確。
台の部分が見えた! 次の縦長の「ハアハア」のコマ。タワーの鉄がグニャグニャしているが、これ、実際にこのあたりはでこぼこしてるのです。
「東京タワーのテッペンを描いたアーティストはまだだれもいない」とさわらぎのえ氏が言っていた(出典忘れ)。実際に、ここまで詳細なデータは、日本電波塔株式会社は公開してないはずである。業務の性格上、サイバーテロの対象になり安く、おいそれと内部機密を公表はしないのがすじである。
(2001-09-11 補記) 明日は2001年度最後の授業ですが、いまちょうどNYの国際貿易センターに飛行機が突っ込みました。どうやら、テロらしい。93年2月にも爆弾テロがあったらしい。このビルはアメリカ経済の象徴でもある。さて、東京タワーにひきくらべても、単にサイバーテロ(コンピュータ・ネットワークへのテロ)だけでなく、物理的なテロの対象にもなるだろう。それに、思えば、さとるらがこうして登っているという状態そのものが、一種のテロ的な行為と見做される可能性だってあるのではないか。ともかく、子供のイタズラでは済まされない行為。
途中に東京タワーが出てくるんだけど、東京タワーを調べるのが大変だった。あれも資料がない。東京タワーというのはそばによればよるほど、下から見上げるものなので、てっぺんがさらにわからなくなる。距離を於いて遠くから双眼鏡で見るんだけど、あまり遠くても見えない。双眼鏡で三分間のぞいていると、船酔いと同じになって酔ってしまう。とても続かないから、毎日ちょっとづつ双眼鏡を見てスケッチした。なかにも入って、階段のところは、入れなくて、展望台のところまでしか入れない。そうやって調べてかいたわけ。 (『恐怖への招待』1986年 文庫版102P)
ここから上は……ハシゴもなんにも……ないッ! この部分、スーパーターンスタイルアンテナというアンテナで出来ている(古河電工制作)。ハシゴが無くとも、ターザン経験者なら難無く登れるだろう。しかし、かなり疲れているはずである。
さ、さとるのクツですっ!! 地面まで落ちてくるのは、たぶん物理的には難しいと思う。よくて、タワービルの屋上に落ちる。しかし、このクツの落下という設定は、天上のさとる・まりんと地上の親たちとの限りなく遠い距離とが、しかし、それぞれ別世界・異次元ではなく、一方でしっかり繋がったひとつづきの空間であることのメタファーともなっている。つながっている空間であるからこそ、彼らの上った距離はいよいよ高い。
ともかく、連込み宿に預けてきたのでは?とつっこまないこと。
(70年代歌謡曲)
これは公表したくないのですが、タワーの高さは…… 地盤沈下による影響というのは、僕も『真悟』を読む前から聞いて知っていたような気がしたが、タワーの職員さんは現在も、これを否定した。
◆ PROGRAM 2 学習 APT20 マイナス30 (第30話)
(鉄バシゴのテッペン) 鉄バシゴの上で、まりんは恐怖の絶頂にある。動線は、雨ではなく、風。天地無用の構図。
なお、ふつうだと、ここからトビウツルのだと思うのではないか。
わたしの彼は左きき
わたしの彼は左きき 麻丘めぐみ 1973年 17歳 南沙織 1973年 若葉のささやき 天地真理 1973年
◆ PROGRAM 2 学習 APT21 予感 (第31話)
わたしはモンロー ここで、こんなにはっきり明言しているのに、この段階で、これが「わたしはシンゴ」になることを、どれだけの読者が気づいていたでしょうか。ともかく、ここでのさとるとまりんの行動が、モンローにとっての「予感」となる。
その後の、モンローによる「語り」の部分と、局面型のコマ割りは、多分楳図にしかできない。
さとるーっ!!聞こえたーっ!!
◆ PROGRAM 2 学習 APT22 どこへ!? (第32話)
30センチ…… さとるには、やっぱり聞こえているようである。
それはともかく、このあたりの天地無用の構図!!
ただいま家出中の少年と少女が東京タワーに…… 2学習-15ですでに二人はニュースになっていた。
333のてっぺんから飛び移らないと……子供が……つくれないのッ!! ランドセルを加えて30センチになり、物理的に333メートルを実現した、というストーリー。また、実際にはヘリコプターに救出され、飛び移りを失敗したようにも思える。しかし、そうではなかった……。
この手のストーリー展開、すなわち、当人(や読者)の予測や意図とは異なる方法で実現され、ふつうは失敗とか錯誤だと思わせておきながら、実際はそれこそが成功であった……、そういうストーリーを楳図自身は『地蔵の顔が赤くなる時』で既に使ったことがある。
◆ PROGRAM 3 意識 APT1 はじめとおわり (第33話)
ザーッ(コンピュータ・プログラム) BASIC言語。
わたしは、その時意識を持ってしまったのです…… (問題)このセリフのあるコマの、絵は、なーんだ?
ともあれ、この段階で、目は「四角」。つまりその後の、□→△→○→もっとすばらしいもの、への展開は用意されている。
ノストラダムスの大予言 ノストラダムスが日本で最初に最も流行ったのは、五島勉による1973年。ただし、その前から存在は知られてはいたようである。いま、にわかには探せないが、70年くらいの『少年サンデー』の記事にノストラダムスが出てくる。(調べたいが、新刊本屋でもいまノストラダムス関係の本って売ってないね。)
また、楳図自身も言っている。
不眠症だった頃(1960〜63ころ)、「ノストラダムス一九九九年」が黒沼健さんの本のなかにあって、すごく不思議な話だなとずっと思っていたんだね。黒沼さんの本以外には、あまり書いてなかった。『漂流教室』の破滅の設定をどこにしようかなと思いながら、できれば一九九九年あたりになるかなと思いながら考えていたわけ。 (『恐怖への招待』1986年 文庫版87P)
666は、映画『オーメン』から。
やっぱりみんなが言うように……
◆ PROGRAM 3 意識 APT2 メッセージ (第34話)
こわす!! シンゴが意識を持って初めて知ったことば。コワス=死。
『真悟』をかくにあたって、本はまったく読まなかったが、唯一、『熱力学第二法則』だけは読んだ。なぜかというと、まず機械と人間の違いというところから始めなければならなかったから。機械そのものが出てきた時点から、機会は人間とどう違うんだろうかと考えてしまった。でも、突き詰めて考えると両方おんなじなんだね。ただ、とりあえず人間というのは自分自身を再生することができるけど、機械はこわれていくだけという感じがすごくした。真悟が意識をもった瞬間からすでにこわれるという恐怖をまずもって、本当にこわされようとするところからマンガははじまるんだけど、機械はそういうものだという気はする。
だから、こわれていくこと自体が生きていることだという気がした。それはエントロピーの話になる。 (『恐怖への招待』1986年 文庫版112P)
アイガハヤルト……ガチカイ 本作の予告(『スピリッツ』82年7号)でも示されていたことば。「アイガハヤル」は、恋愛行為が流行するという意味だろう。ラブコメみたいな状況をいうのかな。
マリン ボクハイマモキミヲアイシテイマス シンゴがさとるを見た唯一が、このメッセージを入力するとき。
また、さとるにとっては、両親もクラスの級友ももはや他者であり、まりんも去り、たったひとり、孤独な存在である。また、そして自己の「子供」との決別も、ここからはじまってゆく。
◆ PROGRAM 3 意識 APT3 ネジ (第35話)
(電源コードを自分で入れる) この段階では、まだ「電気がないと動かない」という設定。内部バッテリーがある。後に、下水道の中で内部バッテリーがなくなる。その後、ニンゲンです、と自覚してからは、電気が無くても動けるようになる。
(エス(犬)をコワス) シンゴは、力の入れ加減を分からないキカイである。「おろかなキカイ」。
◆ PROGRAM 3 意識 APT4 盗難 (第36話)
(自力で移動するモンロー)
◆ PROGRAM 3 意識 APT5 電話 (第37話)
(タイトルの「電話」)
◆ PROGRAM 3 意識 APT6 夕焼け (第38話)
行ってしまえーっ!! 何事も無かったかのように別れたさとるとまりん。さとるは強い意志で意識的に忘れようとし、まりんは抑圧的な記憶喪失によって忘れようとする。
なお、まりんの品を捨てた団地のドブは、シンゴが上がってくるのと同じドブ(マンホール)。
ゴクン このコマだけ単体で取り上げると、奇妙に思えるかもしれないが、これは連載中では最後のコマで、次へのヒキである。
◆ PROGRAM 3 意識 APT7 破片 (第39話)
(ガラスが割れる場面) 美しい。中空に浮いているようなまりん。
(記憶喪失) 自分の「子供」(とその思い出)を忘れよう、抑圧しよう、として記憶喪失になってしまう。
(英文のフキダシ)
◆ PROGRAM 3 意識 APT8 記憶喪失 (第40話)
(英文のフキダシ) 医者とのからみの部分だけ、英文になっている。すこし唐突。
新潟市栄町 新潟市の繁華街。金沢で言う片町・香林坊といったところ。
部屋にだれかいたみたいだったよ
◆ PROGRAM 3 意識 APT9 ゴミ捨て場 (第41話)
(夢の島のモンロー) こげたマリリン・モンローを背負いながら、移動し、ゴミ捨て場にいるモンロー。半分、滑稽でもありまた恐怖でもある。この恐怖や滑稽さの感情の根源は、通常は感情移入しにくいはずの産業用(非−人間型)ロボットという面にある。読者は、半分感情移入しながらも、しきれないもどかしさを感じるはずであり、そこにアンビバレント(両義的)な感情を抱くのである。また、楳図の描く人間関係の多くは、単一でない感情から成り立つものであることが多い。ストレートには通じない、人間のコミュニケーション。
◆ PROGRAM 3 意識 APT10 新しい隣人 (第42話)
(地図を見るモンロー) 自分で学習してゆくモンロー。読んでいても、わくわくしてくる、希望がある、まだまだ最初の頃。なお、モンローは現在、さとるからの「マリン、ボクハイマモキミヲアイシテイマス」を入力されて以来、それが目的のすべてとなって、父と母を探しにゆく、その自覚までの途中である。
(入居者) 主人公だと思っていたさとるが引越してしまい、そのさとるの引越し先がすぐに舞台になるわけでもなく、さとるの団地には別の家族が越してくる。ある種のアンチ・クライマックス。その家族にも秘密がありそうで、興味をもたせるストーリーである。
◆ PROGRAM 3 意識 APT11 友だち (第43話)
(友だち)
◆ PROGRAM 3 意識 APT12 交信 (第44話)
(ネズミのドアップ)
◆ PROGRAM 3 意識 APT13 ワタシハシンゴ (第45話)
団地じゅうの電話がなっている このシチュエイション、ほかに有ったら、教えてください。ともかく、すごい。
また、楳図は電話、テレビなどのメディア(交信手段)を使うのが、なかなかうまい。
ワタシハシンゴ この回は、1982年4月30日号から『スピリッツ』の連載が始って、1984年2月28日号。ほぼ2年。
モンローの看板 ここで、モンローの看板を、みずから剥ぎ取ってるいる。
父の名前は悟。母の名前は真鈴。両方足して真悟。自分で自分にそう名づけました。わたしは真悟。
◆ PROGRAM 3 意識 APT14 人間デス (第46話)
(マンホール) さとるが、まりんのハンカチなどを捨てたマンホール(のはず)。
なお、シンゴが美紀ちゃんの家に電話を掛けた日と、来た日は同じ日だと思う。
あなたも人間ですね。 『わたしは真悟』では、逆説(パラドックス)的な設定が多い。子供が子供を産む、異形の者が人間である、異形の者同士が互いに人間と認める、等。
◆ PROGRAM 4 感情 APT1 神 (第47話)
(何もないベッド) 本作には「リアル性」と「非リアル性」の二重構造がある。まりんの幻想としての世界戦争勃発、さとるの佐渡が島体験。こうした二重描写の一例として、この「何もなかったベッド」という設定についても、たんなる設定ミスと片付けずに、再考すべきである。
この設定と似た箇所は既にある。「シンゴというものは、ゲームなんかじゃなくて何か……ものすごく恐ろしい、近代科学のブラックボックスを持った怪物なのでは」と思ったたけしには、シンゴは恐ろしい怪物に見える。読者には、ここはたけしの思い込みが見せた非現実のシーンだとすぐ分かるが、それはストーリーの前後を読むことで理解できるのであって、描写においてははっきりした差異が有るわけではない。
松浦美紀ちゃんのベッドにしても同様に考えるべきである。あまりにもグロテスクな子どもを受け入れられなかったか、周囲の人に知られることを恐れている両親は、子どもは死んだのだと思い込もうとしている。その両親(特に父親)の視点から、何もいないベッドは描かれたのでなかろうか。後に、両親はついにたんすの中に子どもを閉じこめてしまっている。こちらが現実である、先の何もいないベッドは、死んだと思い込もうとしている両親の非現実世界を描いたシーンである。ここでは、読者にはまえぶれもなく、現実から一瞬にして非現実世界へと放出され、またそれとは気づかないうちに現実へと連れ戻されているために、分かりにくくはなっている。
以上、2001年度のわたしの授業における女子学生の指摘]
んー、ちと無理矢理かな。でも、案外言えると思う。
(虹)
◆ PROGRAM 4 感情 APT2 発覚 (第48話)
「果心居士の幻術」 果心居士は戦国時代末期の幻術師。司馬遼太郎に同名の短編小説がある。
東京コンピューター研究所 ブラックボックス。これが、タイトルの「発覚」。メガネ君が、プログラムした。(名前は、オオタ・ナオヤ)。
(しずかがシーツで階下に降りる)
◆ PROGRAM 4 感情 APT3 仲間 (第49話)
(さとる・まりん・シンゴの絵)
◆ PROGRAM 4 感情 APT4 逃走 (第50話)
わかったらマル、わからなかったらバッテン
◆ PROGRAM 4 感情 APT5 運転 (第51話)
(トラックに引きずられるメガネ君) ふつー死ぬと思うだろうし、死んでもおかしくない程度の事故なのに、生きている。本作のみならず、このパターン、楳図に多い。
(海面)
◆ PROGRAM 4 感情 APT6 なぜ (第52話)
◆ PROGRAM 4 感情 APT7 追っ手 (第53話)
◆ PROGRAM 4 感情 APT8 陥穽 (第54話)
◆ PROGRAM 4 感情 APT9 ハッカー(コンピューターを極限まで使いこなせる人の意味) (第55話)
◆ PROGRAM 4 感情 APT10 タスケテ!! (第56話)
◆ PROGRAM 4 感情 APT11 交信不能 (第57話)
◆ PROGRAM 4 感情 APT12 怪物 (第58話)
◆ PROGRAM 4 感情 APT13 ブラックボックス (第59話)
◆ PROGRAM 4 感情 APT14 眼 (第60話)
◆ PROGRAM 4 感情 APT15 こっち (第61話)
◆ PROGRAM 4 感情 APT16 さとる (第62話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT1 何か (第63話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT2 前ぶれ (第64話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT3 つぶし (第65話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT4 モノ来たる (第66話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT5 偶像 (第67話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT6 脱皮(コントロール) (第68話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT7 見えない叫び (第69話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT8 デンキ語(キカイ語) (第70話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT9 異物 (第71話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT10 黄色いカラス (第72話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT11 黒い視線 (第73話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT12 同化 (第74話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT13 進化 (第75話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT14 遮断 (第76話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT15 轟音 (第77話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT16 地上へ (第78話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT17 孤立 (第79話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT18 汚れる (第80話)
◆ PROGRAM 5 まりん APT19 生命兵器 (第81話)
◆ PROGRAM 6 兆し APT1 悪意 (第82話)
◆ PROGRAM 6 兆し APT2 マル (第83話)
◆ PROGRAM 6 兆し APT3 独占 (第84話)
◆ PROGRAM 6 兆し APT4 キズ (第85話)
◆ PROGRAM 6 兆し APT5 声 (第86話)
◆ PROGRAM 6 兆し APT6 秒読み (第87話)
◆ PROGRAM 6 兆し APT7 痛み (第88話)
◆ PROGRAM 6 兆し APT8 タイム・リミット (第89話)
◆ PROGRAM 6 兆し APT9 神の空から降りたまう (第90話)
◆ PROGRAM 6 兆し APT10 永遠がうまれる (第91話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT1 ふるさとへ帰る (第92話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT2 老人ホーム (第93話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT3 奇跡が始まる(奇跡が生まれる) (第94話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT4 出会いの少年 (第95話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT5 友だちに会える (第96話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT6 蘇る友だち (第97話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT7 子どもたちの夜(子ども達の夜) (第98話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT8 とぎれた手がかり (第99話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT9 キカイが狙った (第100話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT10 夜の男たち (第101話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT11 光の中の子 (第102話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT12 コンドウサトル (第103話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT13 動いて行く… (第104話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT14 イヌ (第105話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT15 共鳴するモノたち (第106話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT16 微動 (第107話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT17 父よ (第108話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT18 街の声 (第109話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT19 追われる (第110話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT20 嵐のことば (第111話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT21 ヒト侵略 (第112話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT22 アイへ (第113話)
◆ PROGRAM 7 さとる APT23・final そしてアイだけが… (第114話)
高橋明彦
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