dialogue.umezu.半魚文庫

ウメズ・ダイアローグ(1)

怪獣ギョー


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樫原かずみと高橋半魚の楳図対談です。この対談は、メールによって行なわれました。

対談期間: 2000-01-15〜02-01
2000(C)KASHIHARA Kazumi / TAKAHASHI hangyo


[はじめに]

半魚 今回は、樫原かずみと高橋半魚の1回目の楳図対談として、『怪獣ギョー』を取り上げます。僕としては、この作品については、どんな破綻があろうとも、絶対に誉めきってみせます(笑い)。それから、資料的にもこれは意識的に収集しているので、だいたい完璧のはず、わはは。 既に樫原さんの方からも、次のような発言が有って、ほぼまんべんなく『ギョー』の注目点を語っておられます。

「怪獣ギョー」あたりを掘り下げて研究してみましょうか?
「ガモラ」「原始怪獣ドラゴン」を経て「コンドラの童話」「ウルトラマン」の「怪獣ヒドラ」にまで手を伸ばさなければならない作品ですね。この作品は「まことちゃん」時代の作品でもあり、そのカラーがところどころにでていますねえ。かと思えば友達のいない孤独な少年が怪獣を友達にするあたりは少年誌独特の匂いがあり、円谷みたく怪獣が街を破壊シーンありの、まさに楳図怪獣モノの集大成みたいな意気込みの感じられる作品ですねえ。
エンターテイメントといえば、ありきたりなカンジがしますが、楳図の場合はそこに怪獣と人間の絆のようなものを浮き彫りにしているあたり、泣かせます。人間にも「心」があるように、怪獣や獣にだって「心」はあるのだ、という視点は楳図ならではのヒューマニズムではないでしょうか?

なんかもう、先に全部言われちゃった感じですね(笑)。 それから、話は変わりますが、『マンガ地獄変3トラウマヒーロー総進撃』(水声社・1998年)って、持ってますか?

樫原 持っていません。とんでもないタイトルですねー(笑)

半魚 タイトルはともかく、ひどい本なんですよ〜(笑)

樫原 ははは。何となく分かるような・・・。

半魚 この本が『怪獣ギョー』も取り上げていて、僕の覚えてるかぎりで『ギョー』を論評してるのはこの本くらいなのですが、で、案外鋭い指摘もあるのですが(小松方正とか)、しっかしともかく、じつにケシカランのです(笑い)。せめて、このレベルの読みをキチンとクリアーしておきたいと思っとるのです、です。

樫原 読んでみたいですねー。

半魚 適宜、引用してみましょうか。

樫原 ぜひ、お願いします。

半魚 1頁程度なのですが、全文での引用はケチがつくとこまるので、適宜ということで。半分以上、あらすじを書いてるだけなのですが……。

静岡県の漁港に住む病弱な小学生・靖男は、その色白さゆえに「怪獣〜!」と呼ばれて苛められている腑抜け。そんな根性なしがある日途方に暮れて海岸を散策していると、奇妙な魚を見つける。オコゼと小松方正が合体したような 「ギョ〜」と鳴く怪魚を、靖男はギョーと名付けて秘密の洞窟で飼いはじめる。

とまあ、こんな具合いで始まります。的確な分析・批評以前に、面白いツッコミとか言い回しとか、ハスに構えた見方とか、楳図作品をそういう受け狙いのネタにしている態度が、実に気にいらないのですがね(笑)。

樫原 小松方正とオコゼの合体では、小松方正がかわいそうやんけー(笑)

半魚 あはは。小松方正のほうが、ですか。

樫原 小松方正は、どちらかといえば「関谷」の方があっているような・・・(笑)

半魚 んー。関谷は、もうちょっとギョロ目の人にやってほしい(笑)。でも、小松方正は楳図ドラマに出て来そうな気がしますね。

樫原 「イアラ」系のビッグコミックのオトナの悪役でぜひ!

[作品との出合い]

半魚 僕が最初に読んだのは、サンコミの「こわい本シリーズ」が出て、それを買ったときで、1984年。ぼくはもう20歳でした。随分遅い出合いでなさけないんですが、ほんとに感動しました。いまでも、楳図短編では、イアラ・シリーズとは別の魅力として、これに勝る完成度のものは、ない!と言い切りますね。

樫原 僕も、その頃だったと思います。A5サイズの「こわい本」ですよね?

半魚 いやあ、サンコミの新書判のほうです。

樫原 単行本の方ですか?豪華な装丁を施した・・・?

半魚 いやいや、だからあ〜。ここを見よ。[こわい本]。僕がキチンと新刊で買い始めたのは、サンコミ版からで、豪華本のほうは存在もしらなかったですよ。

樫原 す、すみません(笑)分かりました。

あの豪華本の方はなんと説明していいものか判断に困っていたんです(笑)。実は、この豪華本なんですが買い揃えたにも関わらず、家の姪(当時まだ小さかった)がぐっちゃぐっちゃにして消えてしまったという事実があります。(泣)その母親にいたっては存在していたという事実すら記憶にないという・・・。

半魚 うわあ、あの貴重な本を!!

樫原 もう、貸すんじゃなかった!なんて嘆いていました(笑)

半魚 本は貸すもんじゃないっす(笑)。借りっぱなしにしてる僕が言うんだから、ほんとです。

樫原 (爆笑)

そのとき読んだ感想は楳図かずおにしちゃ、線をわざと変えて描いてるなあ、でも、怪獣は楳図ばりの絵だなあ、と思っておりました。解説か何かで覆面何たらとして・・とあったので納得しましたが・・・。

半魚 やっぱり、線が違いますかねえ。

樫原 うん、わざとでしょうけどラフに描いてるなあと思いました。どことなくアメリカンコミック的な・・・。

半魚 アメコミ的ってのは、なんとなくわかります。バタ臭い絵柄ですよね。でも、いまになってみれば、もろに「楳図かずお」ですよねえ。

樫原 ははは!はい、そのとうりですね。どう見ても楳図ですね。

半魚 まあ、結果論かも知れないけど、「ここが楳図!」という点を挙げてみませんか。

  1. 冒頭の「靖男が怪獣と呼ばれるようになったのは」から、「だれだ?おまえ」までの5コマ、これなんかイアラ的では。

  2. トゲ付き、ヒゲ付きのオノマトペ。

  3. 手足を動かしてる際の動線。(「怪獣!死んじまえ!!」のコマなど)

  4. やたら多い、ピックリマーク。

樫原 (爆笑) そういわれて見ると確かに(笑)。

では、僕は「絵」的なとこから。まず、

  1. 海と空の描き方

    ですね。特徴のある雲の影や、海の波模様は楳図ならではの描き方だと思います。

    半魚 なーるほど。これは樫原さんならではなあ。

    樫原 それから、この「ギョー」ではあまり使われていませんが、

  2. 背景を円で囲んでベタで塗りこめる方法もよく見受けられますよねえ。

    半魚 それそれ(笑)。僕は、望遠鏡と命銘してます。児嶋都もたまに使ってます。

    樫原 望遠鏡!(笑)いいネーミングですねえ。しかしこれ何の効果があるんだ?と思いません?

    半魚 これ、背景を描かずにすむし、単行本化する際の切貼りで役に立ったんじゃないかと思てますが。

    樫原 あと、たまーに使う曲線によるコマ割り。これ僕はすごく好きなんですよねえ。曲線定規で描くんでしょうけど、他のまんが家も使っているのかな?

    半魚 そうそう、『アゲイン』なんかにもありますよね。これ、すごく奇妙ですよね。

    樫原 『ねこ目小僧』〜『アゲイン』あたりに多用してましたねえ。

     そして、何よりも特徴のあるのは、

  3. アップになったときのギョーの目の描き方
  4. は楳図ですねえ。これだけは誰が描いても描けない目でしょうねえ。人間の目は意識して変えてますが、さすがにギョーの目は「楳図」してました(笑)

半魚 ふーむ、なるほどお。そういうのは、僕は分からなかったなあ。今度から注意してみます。

[大怪獣ドラゴン]

半魚 これ以前、ぼくは『漂流教室』『おろち』『イアラ』と、あと買い始めてた「こわい本シリーズ」の諸作品を読んでた程度なのですが、それだけでもスゴイと思ってたのに、こんな作品がまだまだ残ってたのか!とびっくりしました。

樫原 (笑)

僕はこの前に「原子怪獣ドラゴン」を読んでいたので、ああ、あの亜流だな!というイメージしかありませんでした。

半魚 「ドラゴン」は、ぼくは「ギョー」の後によみました。

樫原 ああ、では感動しますよねー。

しかし、「原子怪獣・・・」よりは内容の濃い作品だなあ、と思います。

半魚 そうですね。中味がぎっしりつまってる感じですよ。  ところで、「ドラゴン」ですが、これ一般に「原子怪獣」と「大怪獣」と、2種類の呼び方が有りますが、その差はどこにあるんでしょうか。 僕は、初出が原子怪獣なんだとばっかり思ってましたが、初出は「大怪獣」ですよ。

樫原 そうそう、僕も「ウメカニズム」のリストを見ておや?と思いました。 ハリウッド映画「原子怪獣現る!」になぞらえてつけたのですかね?

半魚 ありゃりゃ、それ知りません。

樫原 しかし、これは「ゴジラ」以前の映画なんだけどなあ・・・。 何でこのネーミングなのだろう?

 そもそも、あのドラゴンは元々海に住んでいた恐竜という設定ですよね?

半魚 ウルトラシリーズ以前、ゴジラとかしか怪獣が居なかった時代ですよね。やっぱり、恐竜のイメージから脱却出来てない、という感じがします。でも、それを伝説的に組み替えて(ってのも、大映風ですかね)、現代とクロスさせるあたりは、いいと思います。

樫原 その、発想はすごいですよね。そういう壮大なストーリーを考えて描いてみたいものです(笑)

[アゲイン]

樫原 ああっ!すっかり忘れてました! 「怪獣ギョー」「アゲイン」「大怪獣ドラゴン」の貴重な資料をどうもありがとうございます。(「アゲイン」を真剣に読み過ぎてしまい続きが見たくてしょうがない・・・(笑))

半魚 「アゲイン」は、小学館のスーパーヴィジュアルコミックス(SVC)版だと、雑誌通りの、各編づつで読めるのですよね。改変してある秋田デーコミ版と、異本です。小学館も、なかなか味なマネをするなあと、少しだけ感心。まあ、版権の問題が絡んだのだろうし、実際の仕事は子会社だと思います けど。

樫原 結局、コメディなので買わなかったんですよねー、発売された当初に・・・。 僕は「アゲイン」のラストでおじいさんが夕焼けを見上げるシーンだけは鮮明に覚えていますねえ。あのページは見開き2ページで、カラーをモノクロコピーしたようなアミ目の絵でしたよねえ。あれは原本にもあるんでしょうか?

半魚 夕日を見てるシーンは、初出雑誌には無いみたいですね。

樫原 じゃあ、後筆なんですねえ・・・あのシーンは印象的でした。

半魚 言われて、昨日『アゲイン』読み直しましたよ。感動して泣きそうになりました(笑)。が、まあこの話題はまた別のところででも。

樫原 ・・・「アゲイン」やっぱ買っておけばよかった・・・。

半魚 それで、「ひびわれ人間」と「残酷の一夜」ほかも、ありがとうございました!これ、コピーする際に、ホチキスのところからベリって破ってコピーして下さってませんか。大変、すいません。

樫原 楳図のトコだけ切り離そうとしたんです。そしたら見事に破れてしまい、慌てましたが、えーいもういいやー!と思いカッターで切りました(笑)お気になさらないでください。自分の浅はかな行動の結果です。

半魚 雑誌は、切放しちゃいけませんよ!! (笑)。置く場所に困っても、そのまま残して置かねば。持っている人の、社会的義務です(笑)。

樫原 す、すみません・・・怒られちゃった。 高価だったので本そのものは本棚に祀っていますので・・・。 んで、楳図のだけは大事にファイリングしてます(笑)。

半魚 一応本棚に祀ってはあるけど、やっぱ大事なのは楳図って。まあ、そうですね。

樫原 いやあ(笑)決して他の漫画家の師匠に敬意を払ってないわけではありませんので・・・。

半魚 そうそう。『少年サンデー』なんかだと『ダメおやじ』を読み込んでしまいます(笑)。

樫原 僕は「平田弘治(?)」という方の時代劇マンガ(笑)。 この人、デッサンがしっかりしてて好きだなあ・・・。

半魚 平田弘史でしょう! 当然、うまいっすよ。「?」つけちゃ可哀相です(笑)。

[楳図作品の大人]

半魚 ハチャメチャなまでのスペクタクル性、失われた少年の日の孤独と哀感、しかし哀感べったりにならないクールな笑いの要素。少年を失いつつあった大人だったからこそ、理解できたんだとも言えますから、20歳で出会ったこと自体には、まあしょうがないというか、むしろ良かったと慰めておきますよ。初出時期は小学校1年生ですから、もし読んでたとしても全然分からなかったでしょうし、それに、ぼくは20歳になるまでは、実に愚かな子供でしたし、なはは。

樫原 んー、分かりますねえ。子供の頃に読んだなら、街の破壊シーンが面白くてたまらなかったと思いますし、20歳の頃なら少年に感情移入できて、なぜ大人はこんなにまで、子供の心を踏みにじるのだろうか、と怒りの気持ちが先走り、

半魚 そうそう、なぜ楳図作品に出てくる大人って、ああいう、蹂躙型が多いんですかねえ。

樫原 楳図的には「大人」ってのは裏切るものだとレッテルを貼ってるような気がしますねえ。理性とか理論ばかりが先にたって「心」を優先させないような・・・そんな風にとらえてるような気がします。

半魚 楳図の生命観ですねえ。

樫原 30歳越えた今なら怪獣ギョーの心情に感情移入できるという(笑)。

半魚 ギョーの心情に、ねえ(笑)。いやあ、わかりますわかります。でも、今まで僕はあんまりしませんでした。

樫原 「ためらいながら・・・海に帰って行った」なんて件はギョーの気持ちが分かりすぎてかわいそうでしたよ(笑)

半魚 あはは。そうですね。

[初出]

半魚 この作品は、1971年『少年サンデー』の36、37号に2回の連載として掲載されました。扉は両号とも4色カラーで各1頁、これは単行本では使われていませんが、なかなか良い。本文はモノクロ、31頁と41頁です。

樫原 おお!巻頭カラーだったのですか?すごい!見てみたい。

半魚 わっはっは。この日のために、HPの楳図リストに載っけてありますよ。ぜひ、見てくださいよ。

樫原 重ねがさねありがとうございます。(笑) しかし、あの表紙のすばらしいコト!もーう涙が出そうですよ! やはり、トビラ絵集とか出さないですかねー(笑)

半魚 「トビラ絵集」って言う人は、多いですね。僕も、楳図に絵にはしびれますが、一方で、ストリーテラーとしての楳図のほうに、より興味を持ってしまっている面もありますけど。まだまだですね(笑)。

樫原 僕は、ぜいたくながらその両方を堪能したい!というのが本音です。 絵柄を確認しながら、お話を読む・・・んーなんて僕的に優雅な時間でしょうか。

半魚 ずるいずるい!僕だって、両方を堪能したいですよ。

樫原 ははは、ぜひ一緒に官能の世界へ(ヤバいって、それ!)

半魚 だはは。

[単行本]

半魚 本作が読める単行本は、朝日ソノラマの「こわい本シリーズ」の諸本。愛蔵版、サンコミ、ハロウィン少女コミック館、楳図かずお恐怖文庫の各冊です。初出と完全に同版ですが、ページ起こしはまったく逆です。セリフも、ギョーの世話をしてきて帰って来た靖男が靴を脱ぎながら言う「どこでもないよ/ちょっと/…………」というところ、初出だと「フフフ」と付いているところだけ、すこし違います。

樫原 なるほど、なるほど。「フフフ」というのは覚えてます。フフフ。

半魚 おお、それはすごい。

 ともかく、「アゲイン」なんかが単行本化する際にはかなりかきかえがあるのと違って、古い(? 71年だけど)作品といえど、80年代になって単行本化されたものは、ほぼ初出通りに読めるかんじですね。

樫原 ありがたいことです。それにしても同時に描いたというのは、ホントにすごい!しかもタッチをあそこまで変えて・・・。 楳図=宇宙人説を立てた方がいいかも・・・(笑)

半魚 あはは、宇宙人ねえ。見た目はそうかも知れませんね。とか言って、茶化してしまいますが(笑)。

樫原 噂では、農薬のある野菜は食べないそうですよね、紅茶がお好きなようで、しかも外国語に堪能・・・これはX-ファイルばりの典型的宇宙人の姿では?

半魚 英語がしゃべれる宇宙人(笑)。スタートレックですね。

樫原 耳がとがってないか?楳図って?

[今夜もおみっちゃんに脱線]

半魚 これ、一般に「覆面作家として執筆」とか言われてますよね。初出で確認するまでは、あれこれミョーなことを想像してたのですが、これ、懸賞付きで誰が描いたか読者に当てさせる、って趣向なんですね。

樫原 みたいですねえ。わざとらしからぬ絵を描いてますが、僕も初出で見たら分からなかっただろうと思います。楳図に似せようとして、誰かが描いたのだろうと思うに違いありません。

半魚 そうなんですかねえ。線は、ラフなかんじで、青年誌風にちかい(イアラとか)けど違う、という感じですかね。その後、「ギョー」という作品に慣れてしまうと、すーぐわかる、わかんないやつはアホだ、とか言いたくなりそうですけど。たしかに、僕も、ちょっと異質な感じは受けました。

樫原 似てるからこそかえって疑いたくなるというのもありますよねー。僕は「おみっちゃんが・・・」とか「人形少女」のタッチも実は非常に違和感を感じるんですよね(笑)

半魚 あの、少女マンガ然とした絵柄ですか。やまびこ姉妹シリーズなんかのタッチとも違いますよね。たぶん、「なかよし」や「フレンド」など、メジャー誌だったってことも関係してるかも知れませんけど、詳しいところは僕も分かりません。貸本時代でも、ともかくころころ絵柄が変ってますから。

 で、僕も正直言って、いまいちですね。「おみつ」は、デーコミで描き変えられてる絵柄のほうが、ずっと恐いし(笑)。

樫原 怖すぎる!(笑)描きかえるのが流行だったのでしょうか?

ますますこの芸当は人間離れしている・・・。

半魚 「おみつ」なんかは、気に入らないのか、描き直したみたいですけど、絵柄にだけ言えば、あれは、やっぱり単純に、現在のタッチでしか描けない、ってことじゃないのですか(笑)。

樫原 しかし、あれは同じ個所を3度ほど使い回してますよねえ・・・。

半魚 初出の貸本『虹』があって、『なかよし』の附録ではトレイスして、デーコミで切貼り・後補筆、って感じですかね。

樫原 気が遠くなる作業だ〜(笑)思い切ってリメイクしちゃえばよかったのに・・・。

半魚 そうそう。それを思えば、やっぱりリメイクよりも切貼りのほうが、楽なんでしょうかね。

樫原 読むヒトが読むと実験的漫画にも見えますねえ・・・。

半魚 んー、そこまではホメないけど(笑)。

樫原 あらら、そうですか?僕は使いまわしの微妙な違いを見つけることに生きがいを感じてたりして・・・。誤植で「でていけ」が「ででいけ」になってたのには笑っちゃいましたが・・・。

半魚 あはは。こんど、ちゃんと探してみます。

樫原 んで、母親のモノローグの意味深なこと・・・。

半魚 手紙のモノローグ?

樫原 そうです。「不安がピンで貼りついたように取れないのでございます」なんて・・・。子供には不可解なモノローグですよねえ。

半魚 なーるほど。ともかく、あの「ございます」調だけで充分恐いですからねえ。

樫原 (笑)。ギャップに悩まされる読者が多いのでは、と思います(笑)。

[怪獣談義にもどる]

樫原 でも、くどいようですがあの怪獣は楳図しか 描けないキャラです(笑)。

半魚 あはっはっは。そうですねえ。ところで、でも、造形的に、僕としてはカッコワルイ怪獣、という印象が否めないのですけど。

樫原 いえいえいえ!(断固として)あの造形はかの「ウルトラシリーズ」の有名な怪獣どももおそれいるような抜群のキャラクターだと思います。

あれが、実写で作られたとしたら怪獣「ガマクジラ」や「ゲスラ」でさえもたちうちできない有名な海獣として、後生までも名を残すのではないかと・・・!(かなりオーバーかな)

半魚 そっか。たしかに、ガマクジラやゲスラと較べれば、特に遜色無いですね。ザザーンと較べても。でも、ペスターやタッコングと比べてしまうのだなあ。

 でも、「オコゼと小松方正の合体」とか言われると、むかつきますね(笑)。

樫原 小松方正がかわいそうだって!(笑)オコゼとか、らんちゅうの変形までは納得しますけどね。

半魚 ふーむ。たしかに、つらつら見ると、あの時代の怪獣にしては装飾的ではありますね。サイケっていうのなら、時代的かもしれませんが。

樫原 ああ、たしかに1970年代はそういうのが流行ってましたねえ。

 しかし、「ガマクジラ」は制作の段階で「世にも恐ろしい怪獣を作れ!」という命令があったという笑い話があるそうですよ。

半魚 そうですか。そう言われると、世にも愛らしいガマクジラも、特別な存在に見てくるから、不思議です。

樫原 愛嬌があって、しかも悪いヤツじゃなきゃいけない「怪獣」の存在ですね。

[その他の資料]

半魚 そのほか、初出を見ると、アオリやらにいろいろ面白いことが書いてあります。「担当記者より」も、わざとらしくいいです。記者名は無記名ですが、白井勝也ですよね。

樫原 これは、よく分かりません(笑)

半魚 ぜひ、資料をご覧ください。:-)

樫原 はい、早速(笑)

[「怪獣モノ」としてのギョー]

半魚 まずは、僕は哀感的な面でばっかり読んでたもので、あんまり認識無かったんですが、これ、怪獣モノですよね。このへんは特に、樫原さんに語って頂きたいところです。

樫原 待ってました!冒頭にも書いた通り、この作品は「原子怪獣ドラゴン」の焼き直し的な作品だと考えられます。それなりに尾ひれをつけ、肉をつけて面白く仕上げています。楳図の「怪獣」ものには決まって「怪獣」の「人間」に対する愛情がある、と言えます。

半魚 ふむふむ。

樫原 これはひいては「心」を持たない無機質なものが「意志」を持つという「わたしは真悟」にまで伸びてゆく楳図まんがの体系ではないでしょうか?

半魚 なーるほど。そうですね、たしかに鋭い指摘だ。

 半魚人やへび女、たまみ、等々のような、人間から異類へ変化するものと、また、どのような関係にあるか、という点としても、面白いですね。

樫原 うーん。これはある意味での通過儀礼ではないかと、僕は思っているのです。

たとえば、人間が「蛇」や「半魚人」や「アリ人間」に変貌してゆくのは、ひとつには子供から大人になる「第二次成長期」ってあるじゃないですか。それを極端なモノにすげ替えた結果のような気がするのです。

半魚 なるほど。「変化」という恐怖については、楳図も何度も語っていますね。

樫原 大人になりたくないピーターパン症候群の子供(=楳図の目)から見た大人というのは、「ヘビ」であったり「クモ」「ネコ」などの化け物として映るのでは、と思うのです。

半魚 うんうん。そして、結局、自分もそうなってしまう恐怖にさらされている。

樫原 楳図の「怪獣」モノはその意味で、

子供の心を理解できる唯一の「異形」だ

と思えるのです。それは子供の無意識の中で遊ぶ存在で、表面ではとてつもない大惨劇が起こっていても、子供の想像の中ではその「異形」は自分自身として映っているのかもしれませんね。それを全面に打ち出したのが「漂流教室」の怪虫事件だったのではないでしょうか・・・。

半魚 なーるほどねえ。子供の心を映し出す鏡のようなものとしての、怪獣、怪虫。自分自身でもありながら、自分では制御しえない部分でもありますね。

ついでにいえば、「映像<かげ>」でもあるし、神である「左手」と悪魔の「右手」だったりと……、ありゃりゃ、なーんか全部つながったちゃうなあ。

樫原 そう、そこに楳図の普遍的なテーマがあるのかもしれませんねえ。

 だけど、半魚さんの指摘はなかなかすごいですね。

半魚 いえいえ。全部先に樫原さんに説明されてしまいました(笑)。

樫原 僕もこの問いかけを少し、よく考えてからまた発表したいと思います。

[タイムパラドックスと萩尾望都]

樫原 「ガモラ」にはじまり「原子怪獣ドラゴン」「ウルトラマン」(これはちょっと楳図作品とは言えないようですが)「コンドラの童話」はウルトラマン「恐怖のルート87」のまんまパクリだし、これらを経て「怪獣ギョー」は誕生した!と言っても過言ではないと思います。おいしいとこどりのエッセンスをまんべんなくばらまいた怪獣作品ではないでしょうか?

半魚 「ガモラ」は、以前から話題にもしてきましたが、「ギョー」と比べて、どのような点が、おいしくなってますかねえ。

樫原 

タイムパラドックス。これですね。

半魚 なるほど。

樫原 「時」の観念を超越するのは楳図の気に入ってるテーマだというのは自明ですよね。

半魚 自明ときたか(笑)。

樫原 昔、楳図は萩尾望都の「ポーの一族」をえらくほめていたので、こういうものを描きたかったに違いないと、思いましたねー。

半魚 あれ、「ポーの一族」は、何年頃の作品でしたかね。

樫原 えーと、たしか1975年くらいからですよね。

半魚 楳図が人のものを誉めるのは、自分が先にやってた場合に限りませんか?

樫原 んー、確かにそうですね。僕はあの作品は「少女マンガ」にあのテーマを持ってきたことに感心していられたのでは、と思っているのですが・・・。結構、楳図かずおと萩尾望都って共通項があるのでは、と思ってます。

絵柄は違いますが(笑)半魚さまは「半神」という萩尾望都の作品を読まれたことがありますか?

半魚 いえ、ないです。萩尾望都は、すごいなとは思うけど、僕はいまいち好きになれない、ていう石森なんかと同様の印象を持っちゃうのです。

樫原 あー、それ分かります。竹宮恵子の「陽」的なのに比べて萩尾望都はどちらかといえば「陰」ですからね。僕はたまたま自分のシュミに「萩尾」が合っていただけかも知れませんねえ。

半魚 竹宮恵子もそうですが、少女マンガは、ちと苦手なんですよお(笑)。

樫原 おお、そおなんですか? それは知りませんでした・・・。てっきりすべからく読み漁っておられるのかと・・・。

 16頁の短編なのですが、僕はこれを読んだときに正直「やられたー」と思いました。僕の持つイメージそのものを描かれた気がしました。

半魚 それは残念!ともかく、手軽に読めますか。

樫原 「双頭の巨人」萩尾版あんどグレードアップバージョンって感じですか(笑)

半魚 ほほう。

樫原 確か、遊民社の野田秀樹(?)サンが舞台化してましたよねえ・・・。 あのヒトもこれをかなり気に入ったに違いないです。 とにかく、この短編で「16頁」でも名作が描けるんだーとつくづく思いました。

半魚 ふーむ。

樫原 これは、蛇足ですが、 あと、「エッグスタンド」というこれは100頁の長編ですが、これもショックでしたねえ。こういうのを描いてみたい!と思っていた矢先だったもので・・・。

半魚 じゃ、探してみます。

樫原 ははは!ぜひ読んでみてください。おススメです。

半魚 ともあれ、「ガモラ」の持ってた、SFとパニックドラマのタイムパラドックスが、より日常的な形で、何の装置も用具もなく、自然のストーリーとコマ構成の中だけで構築されている点に、「イアラ」や、「ローソク」や、「残酷の一夜」や、そして「ギョー」なんかのすごさがあると思います。

[楳図のスターシステム]

半魚 それから、「ドラゴン」の太郎は、思えば、猿飛博士ですねえ。

樫原 はははは!(爆笑)そおいえば「ひびわれ人間」の少年も・・・。あのキャラクター、楳図先生気に入ってますよね。

半魚 そうそう、「ひびわれ人間」にも出てますね。だから、厳密に言うと、 「ドラゴン」の太郎は、ちょっと違いますね。目が狂ってないもん。

樫原 (爆笑)

 あと忘れてはいけないのが「チュー子」でしたっけ? あれも、楳図の名バイプレーヤー(笑)ですよね?

半魚 いわゆるスターシステムについては、手塚のみが圧倒的に有名ですが、楳図もかなり初期から、この手法を使ってますよね。チュー子もそうだし、モン太くんもそうですよね。最新のものだと、岬首相ですしね。チキンジョージがろくちゃんだ、とまでは言いませんけど、イヤミなんかも、スターシステムですよ。

樫原 ろくちゃん・・・(爆笑)。

[ともだち]

半魚 次の話題ですが。ともだちのいない子供が異形の存在を友達にする、という基本設定がありますよね。「ねがい」なんかと、同趣向ですよね。

樫原 ある意味で残酷な発想ですが、弱い子がさらに弱い存在と出会えたとき、それは

支配する側とされる側になり、その境界線をどちらもよく理解していない

という悲劇とも喜劇ともつかないドラマが始まるのではないでしょうか?

楳図かずおはそういう子供の残酷さをよく見抜いていると思います。 「怪獣ギョー」にしても心理の奥底には、奇形な魚と見える弱い存在のギョーに、少年はある種の優越感からこいつを友達として支配する側に立ったのでしょう。それが、

あの「フフフ」という笑い

に込められていたのでは、と考えるのです。

もちろん、少年にそんな悪の心があるのでもなく、ただ守ってあげたいという気持ちからきているのでしょうが、裏を返せばそういう解釈もできますよね?

半魚 ともかく、さっきの「非-人間」が、人間へ愛情を持つ、という基本設定は共通ですね。「ねがい」と「ギョー」とは、ともだちという点で共通もしてますね。

 でもって、支配欲的な面でも解釈は、たしかに可能ですね。でもぼくは、視点を変える事でモノの見え方が変ってくる、という

楳図的認識論の見地からいえば(笑)、

どちらかの方面のみを強調して描く、という作法もあると思います。善とも悪とも解釈できる状況や心情を、今回は善として描いてみよう、とかいう作家の態度ってのはあると思うのです。その点で、基本的に「ギョー」は美しい話として描かれていると思うのですよね。「フフフ」の心情は(まあ、樫原さんも、そうおっしゃってるわけですが)、そうだと思うのですよ。

 ただ、悲劇とも喜劇ともつかない状況ってのは、仰しゃるとおりですね。

おたがいの関係性に対して、力の入れ加減を理解してない状況

ですね。

樫原 なるほど、なるほど。パラレル的にひとつの話を見据えてゆく、というカンジですね。それをあやふやな状態にしておいて読者に判断を任せるという楳図の手法は、奥が深すぎる・・・。

半魚 そのあやふやな状態ってのが、ほんとたまらなくしびれますよ。「A は Bだ」とか、断言するより、よっぽど説得力が有る。

樫原 この不確かなまま終わらせるということは駄作に受け取られがちですが、楳図はそれがまったくありませんよねえ。ある種の哲学を持ってストーリーをまとめあげている風が見えます。

[破壊的な愛]

半魚 基本的に、『ギョー』は、「愛は破壊的だ!」というコンセプトがありますよね。地球上のコンピュータに接続して最後に核兵器まで飛ばしてしまう『わたしは真悟』に結実してゆくと思うけど、愛のために東京以北の太平洋側を破壊してしまうのですからね。 でも、これ、愛かな?

樫原 無作為の作為・・・(笑)

半魚 ??(笑) 無作為で、町を破壊されたらタマラン(笑)。

樫原 「ガモラ」来の

都市破壊シーンを描きたかった

のでしょう(笑)

半魚 ギョーが東京に上陸して、近景に人々、中景にビル、遠景にギョーってコマがありますよね。これなんか、もろに、いわゆる映画の「合成」ですよね。

樫原 そのとおりですね。かなり意識して描かれたのではないでしょうか? しかし、今のマンガ家ならもっとリアルに描くに違いない・・・。

 でも、あのギョーの走りは「まことちゃん」みたいでかわいい!

半魚 ドドドッ、って? だいたい、

海の怪獣が、陸を走ってくって発想自体が、ほんとは可笑しいん

ですよ。海を泳いで、北海道沿岸で上陸するのが合理的でしょうよ。それこそ、無作為なんだか、作為なんだか。

樫原 作者の作為(笑) いや、あれは飼い犬や飼い猫が主人が呼んでるのを聞いてうれしくてかけてくるじゃないですかー。あれですよ!ギョーにとっては「時」の観念なんてものがないから30年(?)たった今でもうれしくて飛んできたんですよー(笑)。

半魚 その点は、同感ですよ(笑)。北海道での叫びが東京湾近くのギョーに届く、という、まさに一番のクライマックスシーン。もはや、ただただ感動するばかりですよ。シーンとしても最高だし、ストーリー的にもすごい。青木博士も、パニックに陥った段階で、ギョーに救いを求めてしまうという……、ああ、泣けてきます(笑)。

[海という舞台]

半魚 舞台が海だと言う点も、『半魚人』だとか、そのほかとなんか特徴的な気もするのですが。楳図の描く海ってのは、むこうに何がいるか分からない空間ってかんじですよね。ほんとに広い気がする。

樫原 楳図かずおはあくまでも海や山を神秘の対象としてとらえてる風がありますよね。奈良で育った先生はやはり「山」の方が思い入れが 強いみたいです。

「海」からは異質な「悪」の上陸する場で、「山」は神秘にまとわれた「善」に近い「魔」が降臨する

ような、そんな感じがします。

半魚 なるほど、なるほど。びっちり、決められてしました(笑)。納得。 いやあ、いい対談だなあ。

樫原 ここは、長考して書きました(笑)

半魚 さすが。

[伏線の張り方]

半魚 基本的に、かっちり書(描)けてる作品だなあと思うのが、伏線になってるセリフなんかの構成だと思います。ギョーが機械音が嫌いだ!ということなんか、きちんと最初のほうで靖男が言っている。

樫原 そうですね。しかしあの機械音を怖がらなければ、ギョーはマサル少年を海に連れていって殺してしまったのでしょうか?うーん、それも怖いなあ。

半魚 そうですね。力の入れ加減が分からないもの同士なんですねえ。

樫原 僕は一度でいいから破綻続きの作品を描いてみたいと思うんですよ。 主人公のはずがあっさり殺されたり、こんなはずじゃないだろー!みたいなストーリーまんが・・・。

半魚 単純に破綻だけの作品なら、いくらでも書けるのでしょうけど(笑)、「尋常な人には破綻に見えるけど、普通じゃない人には感動を与える」ってのが、やっぱり破綻(風)作品の醍醐味じゃないですかねえ。と無責任に言います(笑)。

樫原 これの境界が難しいんですよねえ・・・。 僕の作品を読んでも誰もが感動はおろか内部までの批評をされたことがないのが、ツライとこです。半魚さまは、ビシッと言ってくださる分、本当に励みになります。

半魚 そんなSM嬢みたいなことは言ってませんてば(笑)。

樫原 鋭い突っ込みが僕には必要なんです。(笑)

半魚 なら、おねいさんが、可愛がってあげよう。(笑)

樫原 おねいさんになるんですね?(笑) できれば、「宿」系の熟女にしてください(笑)

半魚 いえ既に僕は、おねいさんと「宿」系熟女が一致している年齢になっています(笑)。

[見せ場と破綻]

半魚 さきほどの「トラウマヒーロー総進撃」だと、ビルの原子炉ですが、これを「暴走する原子炉に体当たりかましたら、「機械がバラバラに」なって大ピンチは簡単に回避してしまいました。」と、多分遠慮がちながらも、ツッコミを入れてます。

 ぼく自身は、原子炉がどうなったか、なんてストーリー的な問題は、全然気になりませんもの(笑)。

樫原 うーん、確かにストーリーの展開上にそういうパニック事象が必要不可欠ですからねえ。僕も深くは掘り下げてもしょうがないことだと思いますねえ。

半魚 ていうか、作者の側の意識を勝手に推測するのですが、楳図本人としても「そんなことは問題ではない!」と言ってるスタンスだと思うのですよ。こういうスタンスから見えてくる作者の位相ってのがあると思うのですよ。一般的にも(多分楳図かずお本人も)核の問題は大きいと思ってるでしょうけど、しかし事この「ギョー」については、そちらより見るべきところが在るのだ!という決意表明というか。

樫原 うんうん、分かります。テーマに添って本編を読めーみたいな、楳図の作為ですね(笑)。

[いわゆる文明批判]

半魚 ぼく自身は、楳図のいわゆる「文明批判」的な文脈が、いまいちこなれずナマな感じがして、嫌いではないけど、その点のみを誉めるような論評にはくみしたくないのです。が、ともかく、自然破壊や公害、原子力エネルギーなど、そういうテイストは、本作にも色濃いですね。ほどよい味付け程度に留まっているとは思うのですが。

樫原 僕は、むしろ心ない大人のやり方がこういう悲劇を招くんだと、いう風に読みました。子供の心を理解しない大人たちへの批判だと受け止めています。はい。でもそれもやはり「文明批判」なんでしょうねえ。

半魚 「大人」ですね、そうそう。

 これは、屁理屈ですけど、あのまま靖男少年がたおれずにギョーを飼い続けていたら、どうなったんでしょうかねえ。怪獣王子ヤスオ君、かなあ。

樫原 大爆笑!「鼻」がぐんぐん高くなって・・・(笑)

半魚 あはは。

樫原 いじめた奴らに復讐を・・・(ああ、また破綻してしまった)

半魚 んー、ぼくもそういう未来しか、思い付かない(笑)。

[時間の表現]

半魚 ずっといじめられていた靖男が、年月を経て、立派な博士として成長しているわけですが、その月日がどのくらい経ったのかは、マサル君が出てきたところではまだわからない、「おとうさんが大学の先生」というあたりで、ちょっと「おやっ?」て思うけど、食事のシーンでやっとキッカリ分る、というような、そういう時間の表現の仕方、これ『イアラ』なんかでも使う手法だとおもうけど、じつにしびれますよ。

樫原 いやあ、僕は靖男が転校して元気ハツラツになってしまったのかと(笑)

半魚 やあ、やっぱり、そうおもっちゃいますよねえ。

樫原 そう、しかも髪の色なくなって・・・。

半魚 まことちゃん言葉になって……。

 おれだけでなくてよかった(笑)。そういえば、改名しちゃったのかなあ、なんてさえ、思ったはずですよ、あはは。しかし、親子で、似た名前にはしてませんよね。

樫原 ははは!まぎらわしい!!

[くどいコマ割り]

半魚 いちおう、技術的というか、図像論とか、そういうアプローチもしたいのですが。

楳図のコマ割りは一般に、くどいほど細かい、ベタなコマ構成だと言われますけど、『ギョー』でもそれがいかんなく発揮されてますよね。どうですか?

たとえば「レストラン・スズラン」で食事してるとき、「わあーけっさくだ!!」と「ハハハ」と笑うコマと、つながりがなーんかヘンですよ。

樫原 あのコマ割りは基本中の基本ですね。タチキリもなく、1ページに最大12コマもあれば短い作品でも中編に近いモノが描けます!

半魚 ただ、「ギョー」は、破壊シーンなんかは裁ち切りが結構多いですよねえ。

樫原 楳図先生の特長はすべてのコマをタチキリなしに描くということが絶対的だったのですよねえ・・・2ページぶち抜きはすべてをタチキらざるをえませんが、これは僕にもひとつの示唆を与えてくれました。「怪獣ギョー」を読んでから、僕も思いきりタチキリ始めました(笑)

半魚 断切りを始めたのは、いつごろからですかねえ。「漂流教室」では結構多用してますね。

樫原 カラー、または二色刷りの個所はよくタチキリにしてませんか?それ以外は極力、ベタベタなコマワリだと見受けられますが・・・。 タチキリは少年誌においては常套手段ですから、やはり「漂流教室」の頃からでしょうねえ・・・。

 僕も、よく使うのですが最後のページのコマから次のページに移るときは時間の経過を表す意味で、まったく関係のない流れになるときがあります。つまり、どのページから見てもお話がつながるようにしてしまうという手法を取られているようですね。

半魚 ページ移りでのテクニックですかね。

樫原 んー、どおなんでしょう?明らかに僕のは楳図の影響なんですが・・・。自分で読んでてもこのページ全然つながってねーぞ!と思うことしばしばです。この頃は、極力「時」の経過を表すシーンとして風景をポツンと挿入してます(笑)。

[時間の経過と「狂へる民」]

半魚 時間の経過をどうやって表すかって、結構難しいですよねえ。あんまり、記号的な使い方も、味もそっけもなくなるだろうし、あまり個性的でも、いまいち妙な感じになるでしょうし。

樫原 そうそう、半魚さまも指摘のとおり僕の拙作「狂へる民」ではモロに時間を書いていたことを批判されましたねえ・・・。実はあれは「X-ファイル」の影響です。もともとのラフスケッチにはそんなものは一切なかったのですが (それが1987年頃)。

半魚 ははあん、なるほど。

樫原 清書した段階(1994頃)は流行っていましたので、リアルな時間描写というのは、けっこうドキュメンタリー風でいいかな?と思ったのです。

半魚 仰しゃる通りで、それ相応の捨て難い効果も有るのですが、御作に関しては、無時間的な作品か、あるいは心理的な時間が流れる作品として出来てた方が良いのでは、などと思いました、などとエラソーに書いてみます(笑)。

樫原 ありがとうございます。(涙)

半魚 「漂流教室」なんかでは、一番のラストの「月日はおもむろにすぎていった」なんて、移り方は、説明調だけど、きちんと分かるし、いいと思いました。

樫原 僕が感心したのは、ラスト近く玄関で翔が帰るかも、とずっと待ってる母親の場面ですねえ。あそこのコマは何日も何日もほんとに待ってるような気がしました・・・。

半魚 なるほど。あのページは2頁くらいですか。寄ったり離れたり、後から見たり、とほんとにベタベタなコマ割りですけど、「此所を見よ!」てな嫌らしさ押し付けがましさは無いですよね。ファン故のひいき目かな(笑)。

樫原 あの、某大林監督の「漂流教室」ではこの場面をどう描くのか非常に興味深かったです。いわゆる泣かせのクライマックスシーンですからねえ。たしか三田佳子サンがお母さん役でしたよねえ。

半魚 テレビでしか見たことないのですけど、全然覚えてない。でも、三田佳子なら、立って泣いてるだけで迫真の演技になるでしょうね。たぶん、息子にはだいぶ苦労させられたから。

樫原 (大爆笑)

しかし、当時は問題も子供はもっと小さかったでしょうねえ。翔クンが15になってたのには戸惑いを隠せませんでしたが・・・。しかし、関谷が「尾見としのり」とは!?ちょっと違うゾみたいなー印象でしたね。

半魚 んー。全然覚えてない。尾美としのりが関谷でしたっけ。それはひどい。

[ピーターパンと大人]

半魚 他方、「ギョー」で言うと、ラストの親子で歩いてるシーン。多分、事件後の、翌日か、少なくとも数日が経っているんだと思いますが、なんで数日経ってから、「なぜギョーは私のことがわからなかったのだろうか」と思うのか、いまいち、時間的に、ぼくには説明不足な気がします。事件直後に思ってもいいはずです。 それを、すこし経ってから思っている。その間の日にちの中での、靖男の心理 の変化や進化は、すこしだけでも書いたほうが違和感が無い、と思うのです。

 なーんか、くだらない事にこだわっているようですけど(笑)、靖男が静岡を引越し、北海道で成長してた、というコマ移りから比べて、雑な気がします。

樫原 うーん、これは楳図先生に直接お聞きしたい内容ですよねえ。ほんとはもっと長く描きたかったのかもしれませんねえ・・・。

半魚 それでもって、僕は初めて読んだ際に、この最後の「なぜギョーは……」って問わせたこの作品のストーリーにしびれたのですよ。そして、当時はこの部分に最終的なテーマ性を読み取って感動してました。基本的に「何かを失うことによって大人になる」という問題だと思うのですが、それを、単純に懐古的で甘美なナルシシズムとしてではなくて、激しいコミュニケーションの軋轢、あるいは異形の存在との最終的にはディス-コミュニケーションでしかなかったかもしれないコミュニケーション、というかたちで提起してあるなあ、と思って感動したのです。当時は、こんなしち面倒な言い方ではなくて、

「ああ『仔鹿物語』だなあ」と思ったのですが(笑)。

ああいう成長ドラマが基本的に好きだったんですよ。

後に「わたしは真悟」も、僕は同じ様に読んできたし、その後、ヘビ少女なども、第二次性徴期などの不安と重ねあわさるという楳図の発言を聞いて、なーるほどなあ、失いつつあるその瞬間の恐怖なんだなあ、と思いました。

楳図センセイ本人は、大人にならないピーターパンなんでしょうけどね(笑)。

樫原 そう、大人になっちゃいけません。ロクなことがない。(笑)

半魚 ははは。やっぱ、樫原さんもピーターパンなんだ(笑)。

樫原 いやあ、ははは(笑ってごまかす)どうでしょう?

僕自身は子供の思考回路ってのは他人に迷惑をかけない限りは無限なパラレルワールドだと思っているのです。だから、子供の意見や想像力ってのは聞いててけっこう参考になります(笑)

 話はまた萩尾望都になるのですが、同じようなメルヘンものが彼女の作品にもあります。「塔のある家」という童話のようなお話ですが、幼い頃に見た妖精の存在を、大人になるに従って見なくなってしまうけど、都会の生活に疲れて、そこに戻った時、幼い頃信じてたものを思い出す、というような。それと同じような気がします。んで、またその子供にその思いは受け継がれてゆくという・・・世代の輪廻とでもいうのでしょうか?そういうところを半魚さまも感じていらっしゃったのでしょうね。

半魚 んー、どーかなー(笑)。女の場合は、大人になるってことは、なんか違うような気がするんですけど。

樫原 この場合は「女」ではなく「ヒト」として描いているみたいでした。

半魚 はーん、なるほど。

[楳図先生の生活として]

半魚 この時期、『サンデー』では『アゲイン』を連載中ですね。たしかに、『アゲイン』を休載したら懸賞としてモロバレですけど、それにしてもどちらも出来たのは、締切りを守る楳図先生だからですかね。

樫原 「アゲイン」の頃だったんですか?しかしよく違う絵柄を描き分けられますねえ。僕はこういうハードなことはできないですねえ・・・。くやしいけど。何度か同時に別の作品を描く!ということにチャレンジしましたが、かなり労力を要することが分かり断念した記憶があります。

半魚 まあ、思えば、「おろち」と「イアラ」同時連載時期ってのも、ありましたもんねえ。やっぱり難しいですか。

樫原 混同しないで描けるという事実には目をみはるものがあります。(しかも双方とも手を抜かずに!) 楳図先生の集中力というかそのマルチな頭脳を学びたいものです。 僕は描いてて主人公が似てきて自己嫌悪に陥ったり、話が集中して描けなくなってしまいます。かきわけっていうのはかなり難しいと思います。 やはり、楳図は宇宙人なのかもしれない。

半魚 空が割れて出現するかな。

樫原 しかも、巨大化してて・・・。(笑)

半魚 手をひさしにして、風景をながめてほしい。

樫原 ウルトラマンばりの宇宙服で(笑)

半魚 で、ビチグゾ・ロックを歌う、って?

樫原 (何度目かの大爆笑)

[おわり]


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対談期間: 2000-01-15〜02-01
2000(C)KASHIHARA Kazumi / TAKAHASHI hangyo