dialogue.umezu.半魚文庫
ウメズ・ダイアローグ(4)
はんぎょじん
半魚人
樫原かずみと高橋半魚の楳図対談です。この対談は、メールによって行なわれました。対談期間: 2001-01-06 〜 2001-03-06
2000(C)KASHIHARA Kazumi / TAKAHASHI hangyo
◆ はじめに
半魚 21世紀ですね。この対談、第4弾は名作『半魚人』です。作品選定は樫原さんのご推薦なんですけど、新世紀という新しい時代に人類は突入してゆくわけですが、この時にあたって、人類の終末を描いてきた楳図かずおの作品のなかでも特に前期の象徴的傑作たる『半魚人』を選んでくださったのは、まさに慧眼とでもいうべきでしょうかね。
樫原 (笑)いえいえ・・・。そんなことはありません。半魚さんがお名前にするほどですし、僕としてもこの作品には不思議な思い入れがあるのです。
半魚 その思い入れは、ぜひ、のちのちうかがいましょう。なお、僕の「半魚」という雅号に関しては、諸説あるのですが(笑)、やはり「半魚人」からの影響が大ですね(ってことにしておこう)。
樫原 ルビでは「はんぎょにん」なのですね。「はんぎょじん」ではなく。
半魚 ふつうなら「はんぎょじん」ですよね。僕は最初ハロウィン版で読んだので「はんぎょにん」が正しいのかと思い込んでた時期がありました。が、P-KCには初出の扉が掲載されてて、これには「はんぎょじん」とルビがあります。だから、たぶん、正しくは「はんぎょじん」なんですよ。
樫原 そうなんですか(笑)通常読む分にはやはり「はんぎょじん」ですもんね。ハロウィン版だけが「はんぎょにん」なのでしょうか?
半魚 ともかく、初出を確認してないもので。単行本では、講談社系とソノラマ系とありますが、どちらも「にん」になってる部分が有ります。詳しくは、後に表にします。
樫原 楽しみにしています。もしかしたら、ある時期までは「にん」が正しい読み方だったのかもしれませんね。
半魚 いや、それは無い。初出が「じん」ですから。それとも、「はんぎょじん」は登録商標かなんか何でしょうかねえ。
樫原 ユニバーサルの 「アマゾンの大半魚人(はんぎょじん)」が登録されてるのかな?
半魚 なるほど(笑)。
樫原 楳図先生にしては「中篇」作品になるのでしょうが、この作品は楳図マンガのエッセンスがちりばめられている、と思います。
半魚 そうですね。楳図には良い作品がいっぱい有りすぎて、たぶん楳図ファンの中でも「半魚人」を一番に推す人は少ないかと思うのですが、しかし、実に楳図らしい作品と言えますよね。
樫原 「残酷」「怪奇性」といったことで?
半魚 そうです、そうです。
樫原 ともあれベースが「海」というのも印象に残るのではないでしょうか・・・。
半魚 これもありますね。
樫原 以前、海からは悪い「魔」がやってくると描いた記憶がありますが、この作品は如実に表してくれてますよねえ。
半魚 そうです、そう。「魔の海」ですよ。「(C)樫原かずみ」ね(笑)。
樫原 うはは!
◆ 初出
半魚 初出は『少年マガジン』1965年の暮れ。48号〜53号で全6回の短期連載です。
樫原 そうですか・・・そんなに短期間だったんだ。
半魚 楳図先生、29歳の時の作品で、楳図のメジャー誌進出はこの半年くらい前の『少女フレンド』が最初なんですね。
樫原 そうですね、少女マンガからどんどん少年誌などに突出したマンガ家先生の方がこの時代は多かったような気がします。先ず、最初に「少女マンガ」ありき!って感じですか?
半魚 他の作家は、ちと分からないんですけど、ちばてつやとかもそうかな。
樫原 そうですね。つとに有名なのはこの人かなあ・・・。
半魚 楳図に関しては、実質的なメジャーデビューは講談社からで、こんな感じで連載、描きまくってますね。
樫原 しかし、この時期は超がつくほどの売れっ子でしたよね。身体壊したのもこの時期ではなかったでしょうか?
半魚 肝臓障害は、68年の暮れですね。この時期の過労がたたったのでしょうね。
樫原 とにかく、私もこの時期どことなくそれとなく楳図マンガを読んでいたのも事実ですねえ。
半魚 僕も、記憶が不確かなのですが、その後『アゲイン』を読んだ際に「これは恐いマンガになる」と思ってましたから、その時期にも接していたかなと思うのですが。
樫原 際立った「怖さ」が充満してました・・・。当時の「平凡」とかね・・・。
半魚 「平凡」は読んでなかったですね、ぼくは(笑)。
樫原 叔父と叔母がその頃、ティーンエイジだったものでそこに行けば必ず「平凡」「明星」があったんですよ。んで、そこの楳図作品だけを「うわー!こえー」と思いながら読んでた記憶があります。(記憶に残ってるのは「白い右手」)
半魚 羨ましい。ところで、押入れとか御蔵とかに、その頃の本が残ってませんか?
樫原 ところが、祖母のウチ、一昨年に建て替えたのですよ。なぜか「中二階」というのが、昔の家はあり、そこには蔵と同じような感じで、昔のつづらとか、古着をしまいこんでいたそうですが、マンガの類はなく、古い手紙やはがき、それに農事暦ってんですか?金目のないものばかり・・・(笑)
半魚 ははは……。残念。
樫原 ワタクシも、この当時3歳から8歳まで・・・。んー、三つ子の魂百までもってあれホントウですね。今だに楳図作品にハマってるのだから(笑)
半魚 ふうむ。ぼくは、2つ下ですから、1歳から6歳です。『マガジン』だと「パットマンX」なんかはよく覚えてるのですがね。『ウルトラマン』も見た記憶が有るのですが、ペスターだったので、一峰大二あたりのかもしれません。桑田次郎の『ウルトラセブン』は覚えてます。「アンノン」の巻でした。
樫原 (笑)復刻版が出ましたでしょ?「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」の。両方買っちゃいました。桑田次郎氏も不気味な雰囲気ありますよね。
◆ 所収
半魚 この作品の所収ですが、つぎの7種類があります。
- 『少年マガジン』増刊号 1968年10月27日
- サンコミックス154 『半魚人』朝日ソノラマ 1971
- サンワイドコミックス 『うろこの顔』朝日ソノラマ 1986
- ハロウィン少女コミック館 15『半魚人』朝日ソノラマ1991
- こわい本13『怪物』朝日ソノラマ 文庫判 1996
- 『復刻版少年マガジン大全集』第2巻
- 『半魚人』P-KC9 講談社 1997
で、これ、セリフなんかがすこしづつ違うんですよ。僕の「楳図かずお作品目録」でも示してますし、また詳しくは、あとでも触れますが。
樫原 なるほど、こんなに出回っているのですか・・・。感激です。僕はこの2.と4.を見たのかな。
半魚 僕は実は、4が出て初めて読みました。
樫原 2.の「サンコミックス版」に関しては、すごい奇妙な出会いがあるのですよ。まあ、聞いてください(楳図風)
半魚 私の悩み、だね。
樫原 (笑)あれは、私が14歳の頃のことです。当時、初夏にかけて私の町から少し離れた町で「万光寺の市」(字は定かではありませんがすごいネーミング!)というお祭りが開催されていたのです。
半魚 ははは。
樫原 私は何を思ったのかたった一人で自転車をすっ飛ばしその町まで(チャーリーくんで30分くらい)行ったのです。何をするあても、何を買うあてもなく・・・とある古本屋に本能の赴くままに入ったのです。
半魚 ふむふむ。
樫原 そこで、私はそれまで「デーコミ」でしか楳図作品の単行本しか知らなかったのですが、なんと!2冊も別の古本を見つけたのです。
半魚 ほう。
樫原 それが「半魚人」と「笑い仮面」なのでした。
半魚 「笑い仮面」はキングコミックスですね。
樫原 そうですそうです、装丁のカラーが「赤」だったかなあ?斬新で、今までの「くすんだ緑」のデーコミとは全く違う印象でした。
その異様な表紙の色合いに私はいちにもにもなくそれを、購入したのです・・・・この発見は、私に「古本屋通い」のクセをつけることになったのです。
半魚 好運な出合いでしたね。
樫原 それから、町の古本屋にフラリと入っては楳図作品を探すという行為に走っていました・・・。このときの記憶は今だに「夢」に出てきます。
決まって同じ古本屋さんで楳図作品を探すのです。けれど「おろち」や「漂流教室」といった見たものばかり。たま〜に見たことのない作品名があったりして、私は震える手で最初の1ページ目をめくるのです。
半魚 ふむ。
樫原 いつも夢はそこで覚めちゃうんですけどね・・・ははは。くっだらない話で失礼しました〜。
半魚 覚めるとしても、出会える夢は良いですねえ。僕は、気分のいい夢って、ぜんぜん見ないですよ。
樫原 この夢を見た日は、なぜか「がんばろう!」という気になるから不思議です。
半魚 ははあ、そんなもんですか(笑)。
樫原 霊的な力を楳図先生がくれてるようでしてねえ・・・。
半魚 ふーむ。まあ、たしかに、生きる力みたいなものは、ありますねえ。
樫原 あの独特の描線に触れただけでサイコーに幸せなんですよー。
半魚 そうですね、わかります。
絵自体は、これらは原稿が現存しているらしくて、みな同じものを使っているようです。ただ、『まんだらけ』16号のインタビューでは、『14歳』などとともに『半魚人』の原稿も、自宅に置いてあったのが無くなった(盗まれた?)と言っておいでですけど。
樫原 今、これを持ってるヤツ!速やかに返しなさーい!!!(怒)
半魚 これらのうちで、講談社コミック(P-KC9)版には、楳図のインタビューも付いていて、まあまあ、いい本です。
樫原さん、いま、どれで読んでますか。
樫原 僕は4.です。サンコミックスから初期に出した表紙は半魚人(ハンギョニン)の(兄さんの)ドアップでしたよね?
半魚 あの表紙の絵自体は、後から描いたものでしょうけどね。
樫原 そう、ですね。しかし、当時この表紙は僕にとっては印象深い「絵」として残りましたねえ・・・。
この表紙にも、ずいぶんと思い出があるものです・・・ぅぅぅ。
半魚 ちとロン毛で、おっさんくさいというか、ともかくブキミです。
樫原 色が、紫と緑っぽくて・・・これまでのデーコミの印象とも違ったいわゆる「少年」ものの表紙で、驚いたのです。
サンコミ(1971) ハロウィン少女コミック館(1991) 半魚 デーコミのほうは、『怪』や『恐怖』や、少女マンガ的な表紙ですもんね。でもぼくは、子供ころは、怖くてちらっとも見たくなかったけど(笑)。
樫原 (笑)僕らの小さい頃「デーコミ」はどこの本屋さんに行っても存在してたんですよねえ。だから他のモノは非常に珍しい感じがしましたね。
半魚 そうかも知れませんね。僕らが小さい頃って、新書判のコミックスって、種類がそんなになくて、そのなかでデーコミは種類が揃ってましたからね。
樫原 やっぱ、売れ行きよかったのでしょうね。「秋田書店」でしたよね。「チャンピオン」もそうでしたよね?
半魚 そうですね〜。秋田書店って、「冒険王」とかメジャー誌を出してたわけですけど、なんかマイナーな良さっていうか、妙に目先が利くような印象があります。
樫原 冒険王!なつかしい・・・これにも思い出があるのですよ。まあ、聞いてください!
半魚 はいはい(笑)。
樫原 幼い頃の僕は、雑誌など買うゆとりもない貧乏な少年でした(涙)それでも、「冒険王」に当時はやっていた「スペクトルマン」(一峰大二氏)と、カラーグラフの新作怪獣紹介のページがどうしても見たくて、本屋さんにて、きちんと紐でゆわえてある(新聞を結うように十字に梱包してある)
その「冒険王」をスキマから見てたわけです。
半魚 ほう。
樫原 でも肝心な部分が見えないのでどうしても力を入れて開きます。「ビリッ」と音がしてあらら、破れちゃった〜。大変だ〜!!ってことで店員さんに見つからないように逃げて帰ってました(笑)
半魚 ぎゃははー。まことちゃんの困った顔状態ですね、それは。
樫原 ガキんちょだった僕は怖くてとても買えない値段だったのでこっそりと帰ったのを覚えています・・・。
半魚 そーっと、そーっと、って。
樫原 かなり、恐怖におののきながら・・・・。「ちょっと、ボク!」とか言われたらショック死してたかも・・・。
半魚 あはは。
樫原 今だから告白します。店頭の売り物商品雑誌を破いたのは私です。ごめんなさい。
半魚 はは。
樫原 マンガも、貸し本で借りるとか、姉が友達から借りたものを盗み読みとか・・・。それで、生まれて初めて買ってもらったマンガ単行本は「紅グモ」だったという。
半魚 あはは、紅グモでしたか。
樫原 (笑)実は親から買っていいといわれて「天才バカボン」か「紅グモ」どっちにしようか迷ったあげくの葛藤の末に「紅グモ」を選んだのです・・・。これが「天才バカボン」だったら、今の樫原はいなかったに違いないです(笑)
半魚 マンガの力は偉大ですね。
樫原 ほんと、偉大です。何度、マンガで宗旨替えをしたことか・・・。
半魚 一夜にして、宗旨が変る……。
樫原 一日ごとに宗旨が変わる・・・(笑)
半魚 ははは。わかるわかる。でも、マンガにかぎらず、最近はそういう作品にはあまり出会えませんねえ。
樫原 いませんねえ。先制をする作家はもはやいないのでしょうねえ。今の小説やマンガ、果ては映画などみんな過去の踏襲物にすぎないような気がします。
◆ 樫原かずみ作『半魚人』は?
半魚 樫原さんも、オマージュとして『半魚人』を描いてるんですよね。
樫原 はい、拙いながらも、この名作の続編を描いてみたいという欲求に抗えずに・・・今から10年ほど前に落書き程度のスケッチをしておりました。
半魚 ほうほう。
樫原 そのきっかけというのが、某国営放送局で「海」というテーマのもとに「人工エラ」というものの開発が行われている!という放送だったのです。
半魚 「ウルトラアイ」みたいな番組ですか?
樫原 いや、もうちょっとマジメな・・・感じでした。
半魚 それは失礼しました。
樫原 魚と同じ機能を持つ機械を作り人間がそれを利用すれば海の中で呼吸出来るだろう・・・というような話だったのです。
半魚 多分、番組自体は、ノーテンキなものだったのでしょうねえ。
樫原 うーむ・・・ワリとマジメに研究をなさっているようでしたが・・・。
半魚 どうも失礼しました。
樫原 そのイメージから楳図かずおの「半魚人」がフツフツと頭をもたげてきたのです。
半魚 そういうノーテンキな番組を見て、楳図かずお「半魚人」を思い出すとは、樫原さんという人はやはり……(笑)。
樫原 わははは!とにもかくにも、この番組が契機となり、もし、人間が魚のように海で呼吸しながら生きることができたら?というコンセプトの元、「半魚人」の続編として成立させたら面白いちゃうか?と思ったのです。
半魚 科学技術によって再生される半魚人、ですか。
樫原 おのずと、健ちゃん半魚人は実験の対象となるのですよね(笑)サイエンティフィックな内容ではなく、あくまでも「ホラー」ですかねえ。僕の場合。この場面を描きたいがために尾ひれをこじつけるみたいな(笑)
半魚 ふーむ、なるほど。ホラーとSFって、似たような、違うようなって感じですよね。
樫原 密接なつながりはあるのでしょうけど・・・定義つけるのは難しいですねえ。
半魚 まあ、ホラーもSFも、あらゆる方法論が試されていて、いい意味で鵺的になってますからね。
樫原 ぬえ、ですか?ははは。
冒頭は、あれから20数年後・・・。から始まります(^o^)今、また思い出しながらラフスケッチに挑戦していますので、完成した暁には僕のサイトにラフのまま掲載してみようかな、と思っています・・・。
半魚 たのしみですね。でもラフで出すより、ペン入れしたあとのほうが、だんぜん見栄えはいいですよ〜。ハードコピーだと、もっと良い(笑)。
樫原 ははは、そうですか?清書するのもいいかもなあ・・・。でも版権とかでサイトに載せるとヤバイかなあ?なんてことも考える小心者・・・。です。
半魚 オマージュ作品ってのと、原作の利用ってのとは違うでしょうから、大丈夫ですよ。
樫原 それを聞いて安心しました。がんばろう。
◆ ストーリーに入ろう
樫原 さて、で、ストーリーにそって、この作品をいろいろと見てゆきましょう。冒頭は、
人類にも最後の日がいつかはくるそれはいつか?
もしかするとすでにじわじわとやってきているかもしれない………と始まりますね。
半魚 当時、1965年というと高度経済成長時代のまっただなか。「夢」や未来の「希望」でテレビやマンガは未来マンガでにぎわっていたのでしょうね。SFという言葉はこの頃から存在していたのでしょうか?
樫原 60年代初頭にはもう有ったんじゃないですかねえ。『SFマガジン』って、何時刊行されたのですかね。 アトムの頃は空想科学マンガとか銘打ってましたよね?
半魚 あ、そうですね。
樫原 でも、アメリカのB級SF映画が1950年後半だからもう存在していたのかなあ・・・。
半魚 早川の『SFマガジン』は1959年12月でした。
樫原 ずいぶんと早い頃からそういう言葉って君臨してたんですね。
半魚 1967年のひばり書房の最初の新書判コミックスが
『SF&怪談』でした。楳図も「ばけもの」
を載せてる。樫原 禁断の惑星という映画、がモチーフらしいですが、SFの原点もこの時代にほとんど確立されてたみたいですね。
半魚 『禁断の惑星』ですか。うむ、知らない。
樫原 金星が舞台だったかな?そこでは思ったことが形として現れるというお話でよこしまな人間が結局怪物の想念を実体化してしまう、というような・・・。
半魚 ほう。『惑星ソラリス』みたいなもんですかね。
樫原 ああ、あれもそんなお話でしたね、僕はまだその名作を見たことないのですよ。
半魚 60年代に入ってから、SFという言葉も、SF趣味も広く一般化したのですかね。
樫原 マニヤな方が大勢いらしたのでしょうね。僕にはちょっと難しいかなあ?SFって・・・。
半魚 ホラーとSF、ですね。
樫原 (笑)半魚さんはちなみに映画「エイリアン」はどちらだと思います?
半魚 んー、どっちも、かな。それじゃ、面白くないか。骨はSF、肉はホラーかな。
樫原 僕は完全ホラーだと・・・(笑)密室ホラーだと・・・・。
半魚 まあ、樫原さんにとってはそうでしょうかね。でも、SFの面もありますよ。鵺だから(笑)。
樫原 うむむ・・・宇宙船内は確かにSFしてましたね。これ以降の船内って皆、これを真似てませんか?
半魚 マネ出来ないながらも、圧倒的な影響力はありましたよね。
樫原 そうですね。「エイリアン」という言葉自体が定着しましたもんね。楳図先生までも使ってしまったときは驚きましたが(錆びたハサミ)
半魚 ああ、そうですね。エイリアンとかインベーダーとか、妙な形で日本語として定着しましたね。
樫原 インベーダー!!いいですねえ。「ミラーマン」では主役でしたねえ、インベーダー。黒いグラサン、黒い服。
半魚 ああ、インベーダーは「ミラーマン」ですか。うちのテレビ、映らなかった。
樫原 フジテレビでしたね。今CSで放映してるものだから録画して改めて見てます。「帰ってきたウルトラマン」と同じ時代だったんですかね?「ウルトラセブン」に近い内容が、僕的には好きでしたねえ。ただ、予算がないためか同じ怪獣がしょっちゅう登場するのが・・・。トホホでした。
半魚 そうなんですか。うちのほうじゃ、フジテレビ云々ってより、UHFというやつでしたね。
樫原 ははは!言う言う。地方ではそう言うんですよね。思い出した。ウチはUHFでも映ってなかったんです。だから雑誌で怪獣見てこれ、すんげえかっいい!と思ってました。
半魚 そう言われると、うちのほうでもUHFでもやってたのかどうか、覚えてないですね。友達と話をした記憶があまり無い。話題はやっぱりウルトラマンだったかな。
樫原 偉大なる円谷プロ、ですね。やはり。
半魚 ところで、今まで見たことがなかったんですが、去年の秋頃に
ギーガーの画集
を買いました。樫原 おお、いかがでした?なかなかエロっぽくてそれでいて曲線の美が際立ってましたよね?
半魚 いやほんと、エロでした。見ててはずかしくなるよ(笑)。
樫原 モロ・・・ですよね視点を変えて見れば(笑)
半魚 視点を変えなくても、モロがありました(笑)。
樫原 はははは。他人に見せられませんね。
半魚 そうそう。いけない本みたい(笑)。
樫原 そっと、夜中に見たりしましょう・・・。
半魚 あはは。
◆ SFのリアリティ
半魚 僕は、SFって、それほど詳しくないけど、でも、好きですね(ホラーより好きかも。笑い)。
樫原 僕はスペースオペラは、苦手な部類なんですよ。現実味を帯びたSF作品はすごく興味あるんですけどね。
半魚 僕は、SFでも、人間の意識や認識を問題にするような作品・作家がすきなんですよ。楳図もそういう作家でしょう。なお、スペーオペラとかは、なーにが面白いんだろ、と僕も思います(笑)。
樫原 ああ、同じだ。僕の場合は「心理的」なのもだけど、地に足をつけた作品でないとどうも安心して場面を想像できない、ってのありますね。
半魚 まあ、オチャラケのSF風味なのも、それはそれで面白いこともありますけどね。
樫原 僕も星新一のショートSFは好きだったなあ・・・。よく読んでいました。んで、また脱線しますが、寮に住んでいた頃友達と短い小説をマンガ化して競作しないか?ということで、僕は迷わず星新一氏の「狼そのほか」というのを描いたのです。ちょっと好きな作品だったのかもしれないですね。
半魚 日本のSFは、あんまり知らないのですが、ぼくは。眉村卓とかは読んでたけど。
樫原 何とか学園とか・・・ですか?結構、マンガ化もされたりしていません?
半魚 マンガ化されてますか。僕の場合は、NHK少年ドラマシリーズですねえ。そして、「わー、それが本になってるんだ!」って、とびついた。今も、リバイバルでNHKで「まぼろしのペンフレンド」をやってるんですよね。あれ、主人公が明彦っていうので、随分親近感が涌きました。
樫原 あー、僕は筒井康隆でしたねえ、それ。「タイムトラベラー」や「七瀬シリーズ」はこぞって読んでましたねえ。
半魚 「タイムトラベラー」は恐かった、なぜか。
樫原 当時、出演してた「浅野真弓」というヒロインが好きでした・・・オイラ。
半魚 あの辺りの俳優は、名古屋の子役が多かったのですかね、その後も芸能活動を続ける人はほとんどいませんね。
樫原 そうですねえ。あの俳優は今?ってなの見たいなあ。マニアック篇みたいなので。泉麻人、やってくんないかな?
半魚 高野浩二(字、ちがうかな)くんてのがいましたよね。セブンのペロリンガ星人の時に幼児でも出てた。
樫原 覚えてますよ〜。「帰ってきたウルトラマン」にも足の悪い少年役で出てたんです。「ウルトラマンティガ」にも出てたんです。
半魚 へー、もういい年でしょう。
樫原 僕らと変わらないハズですよね。確か。結果的にこいつがシリーズを通じて登場してるんじゃないかなあ?(ちょっと、うらやましいですね)
半魚 石井伊吉よりずっとキャリアがあるのかな。
樫原 「どくまむし」ですね。ははは。
半魚 アゲインのミス子が、ファンでしたね。
樫原 ・・・憶えてまへん・・・。そーいえば楳図のギャグ系ってじっくりと読んだ記憶がないなあ・・
半魚 マチャアキとか……とか言ってキーッってなるんですよ。
ま、話を、『半魚人』の冒頭に戻しましょう(笑)。
樫原 はい(笑)
そうした時代にあって「未来」や「夢」を打ち砕くこの冒頭の言葉!科学の進歩への警鐘をこの時代から楳図かずおはフツフツとかもしだしていたのですね・・・。
半魚 楳図の自然食生活とかは、20代前半くらいからだったと思うので、科学の進歩への警鐘という点では、はっきり有ったでしょうね。
樫原 その、感覚をこういう形にすげ替えるという手法はほんとにエンターテイメントの賜物だという感がします。
半魚 ただまあ、手塚以降の日本のストーリーマンガは、基本的にSFがメインストリームだったわけですよね。手塚の持ってた悲劇性と、楳図のそれとはだいぶ違うと思いますけど、ただ、「地球最後の日」的な終末的未来感ってのは、60年代当時には、すでに一方で普通に有ったとは思うのですけどね。
樫原 少年モノには「明るい未来」と「輝ける希望」が燦然としていたような印象があるのは僕だけ?
半魚 僕は、もう70年代にはいってましたが、小学生のころは、地球がいつ滅亡するか、不安がっていましたよ。
樫原 おやまあ・・・。(笑)
半魚 講談社の復刻版なんかを見ても、そのころ
「地球の滅亡」
みたいな特集がやっぱり多いですよ。
『少年マガジン』1968年50号(復刻版)。左は扉、右は内容の一部。小松崎茂による全15頁カラー。樫原 こわい雑誌社だ・・・。(笑)
半魚 あはは。
樫原 個人的に小学館の小学何年生とかありますでしょ?あれに、未来の人間のファッションなんて特集がありまして、かの里中満知子先生がとんでもないイラストを描いていたのですね。僕はそれを見て、マンガ家って、こんなとんでもないものでも描かなきゃいかんのか〜?って淋しくなった頃がありましたね。
半魚 わっはっは。まあ、遊びなんでしょうけどねえ(笑)。
樫原 あの!大御所がこんなくだらない絵を?なんて思いましたね。
半魚 閑話休題
なかなか本題に入りませんね、おたがい(笑)。
樫原 わははは!
◆ 兄さんの変化
樫原 式島運送店の若旦那、ですね?お父さんと、お母さんはきっと不慮の事故か何かでこの世を去ってしまったのでしょう・・・。若い式島の新旦那は、ひとりで運送店をまかなわなければならず、主人公である「次郎」くんも学校に出さなきゃいけない・・・。(これは、樫原の勝手な想像デス)
半魚 うん、お父さん、お母さんは居なさそうですね。「ばあや」がいるんですね。で、このお兄さんがいい人なのは、顔を見ても分かるし、弟思いなのも、感じられますね。
樫原 「ガモラ」以来の出演だから、張り切っていますよね(笑)ちなみに僕は「ガモラでも式島青年は、壮絶な死を迎えると思うのですが(^o^)
半魚 そうか、「ガモラ」の式島青年も、最後は死にますかね?
樫原 過去にタイムスリップしちゃうでしょ?みんな。そこできっとスネークも(彼はアダムとイブをかどわかす役を担うのだ!)式島青年も一郎兄も、非業な死をとげるのだ!
半魚 なるほど。
樫原 などという、考えからガモラの未完の部分を描いてみたいという欲求が・・・。
半魚 ガモラも、大きな作品ですからねえ。
樫原 あの時代に、確固たるテーマを持っていたということが僕にはとてもすごいことに思えます。
半魚 ヘタすれば、亜流臭いパッチもんみたいに見えちゃうところもあると思うのですが、手塚と違った楳図のSFの色ってのはありますね。
樫原 僕は
楳図かずおのSF色ってのは「地に足がついてる」系
なので抵抗なく入れるのですが手塚治虫(以降の彼を師とあがめる方々の作品)はスペース系が多いものだから何か、ついていけない部分があったりします。半魚 んー、分るような、分からないような(笑)。学校がタイムパラドックスに落ち込んで、破滅後の未来に行ってしまう……、このシチュエーションのどこが、「地に足がついてる」んだあ、みたいな(笑)。
樫原 (笑)しっかと足を地にすえた名作ですよー。「漂流教室」わ。少なくとも「火星」や「月」に行かないからいいんです。
半魚 なるほど!たしかに、地球という大地に足はついてますよ(笑)。
樫原 こう書くと「偏見」に思えるかもしれませんが、「宇宙」の概念ってのはまだまだ小さい人間が想定するには難しいような気がします。それこそ、「宇宙観」というのは「14歳」に見るような「毛虫」の内部世界!てな考えのほうが納得できたりします。
半魚 なるほどね。前にも話題にしましたっけ。子供の頃、宇宙は無限だと考えてました?それとも、どう考えてましたか?
子供の頃の宇宙観て、ほとんど性格占いですよ。朱子は十才くらいのとき宇宙を有限と考え、陸象山は宇宙を無限と考えた、というエピソードがあるんですよ。それがそのまま彼らの朱子学や陽明学の基本理念に投影されているんですよね。
樫原 その宇宙観ての、実は大分の佐賀関にある海星館という天体望遠鏡館にありました。面白い考えの人は昔は持っていたんだなあ、とつくづく思いましたねえ。その発想は、とても好きだったりします。
半魚 昔の人の宇宙観は、いろいろありますよね。まあ、それを占いに応用したのが、僕の偉いとこです(笑)。
僕は、何層にも膜のようなもので包まれていて、人間はそれを突き破って外に向かって進むんだ、と考えた前向きなよいこでした。
樫原 ふむふむ〜。
半魚 十年くらい前に知合った友達は、宇宙の果てを訪ねて人間は旅をするが、その徒労感や諦観を人は噛み締めてゆくのだと考えた、といいました。たしかにそういう、滅びの美学みたいな人間でした。
樫原 これは、ちょっと寂しいかなあ・・・。
僕はですねえ・・・見当つかないってのが本音なんです。夢で一度「宇宙を見せてあげる」と言われて丸い窓から見た宇宙はハリボテの紙のようなモノだったんです。
半魚 一度お伺いしましたかね。しかし、突飛な宇宙観だ。単純に見当が付かない、ってことじゃないですねえ。世界の秘密を見つけたいと思いながら、一方でその世界・宇宙の「現実」が虚構に過ぎないと思っているような。
樫原 江戸川乱歩が「うつし世は夢 夜の夢こそまこと」って言葉好んでいたそうなんです。僕もこの言葉結構、好きです(笑)
半魚 なるほどねえ。
樫原 目が覚めて、僕はテレビとか何かの知識で宇宙のイメージってのを持ってるけど、実は何も分かっていないのかもしれない、と思い始めたんです。
半魚 樫原さん、だいぶ変わり者ですよ(笑)。
樫原 ドキッ!そうかなあ?偏屈だってのは認めますけど・・・・。
半魚 ほめことばですよ。
樫原 ああ、安心しました。
確かに宇宙に行ってテレビ中継とかしてますけど・・・マスメディアもどこまで信じていいものか?などと疑いの目を向けてます。実はセットから中継じゃないの〜?なんて。
半魚 なるほどねえ。宇宙占いは当たってるなあ(笑)。
樫原 あははは。
半魚 でまあ、SFにもどしますか。
樫原 だから、僕は「宇宙戦艦ヤマト」に始まるあのテの「宇宙」がテーマの「戦闘アニメ」モノは
日本人気質を根底から崩してしまった「諸悪の根源」
であるような気がします。半魚 「諸悪の根源」とは、また挑発的な。でも、「宇宙戦艦ヤマト」は、結局は特攻隊の精神を宣揚する類のもので、べつに舞台が宇宙である必然性は無い。
樫原 ほーんと、そうですよね。あの当時の子供は古代ススムや、モリユキ(?)とか他のキャラクターが気に入って見てたにすぎないのに・・・。
半魚 『ヤマト』はUHFでした。
樫原 同じく(笑)。僕は裏番組の「猿の軍団」をいつも楽しみに見てたぞ。
半魚 「猿の軍団」は、僕もたいへん楽しみにみてました。レオ後の円谷作品でしたよね。テーマソングを縦笛で吹けるように練習してました(笑)。
樫原 猿の軍団〜猿の軍団 何するものぞ〜♪で、「なにするものぞ」って意味がわからなくて悩んでました。
半魚 僕も、「何を行う人たちだろうか」って意味だと思ってました。
樫原 ちょっと恥ずかしいんですよね。口ずさむの・・・。第二体操みたいで・・・。
ところでマンガの主人公に惚れたりするのってどう思います?
半魚 それはいいんじゃないですか。
樫原 ちょっと安心。僕だけかと思ってたもので・・・。でもいわゆるオタクではないので・・・。誤解しないでくださいね。
半魚 誤解どころか(笑)。ふつーですよ、そんなの。誰に恋してたんですか(笑)。
樫原 いや、それは死ぬまでの秘密にしといてください(笑)
半魚 そーっすか(笑)。
樫原 (笑)
半魚 まあ、戦争の話でした。
樫原 「宇宙」すら知りえていない人間が「戦争」の現実さえも体験してない「戦闘シーン」を美しいと感じさせるこのテの作品は、何を教えてくれるのでしょうか?
半魚 同感です。批評家はあの人を、武器を精密に描くことで、人間を武器と同じものとして見るアンチ・ヒューマニズムを告発している、とか詭弁をろうするのですよ。でも、あの人は結局、第2次世界大戦も含めて、所詮、武器を描くのが楽しいだけでしょう(笑)。
樫原 あ、ズバリ「松本零二(?)」のことですか?あはは。
半魚 ズバリ「松本零司(?)」のことです。
樫原 何で名前って自信ないくらい覚えてないんだろう・・・オレ。
半魚 こういう話題の場合、誤字にしてたほうが、ファンとかが検索しないから、いんですよ。
樫原 よく若い(20代くらい)方ともアニメなどの話でもりあがるのですが
「エバンゲリオン」とか「グァンダム」などをほめそやして一度、見てください!
なんていわれるのですが、僕は頭の中に上記のようなイメージでしか捉えられないので見る気がないのです。じゃ「人間の条件6部作」を全部見て
僕がうむ〜とうなるくらいの感想を聞かせてちょんまげ、と逃げてますけどね。(笑)半魚 「人間の条件」とか出すのは、反則じゃないですか?格が違いすぎるもん(笑)。
樫原 いやっ!「戦争」というテーマに添えばこれがいちばん妥当であります(笑)。君ら、
戦争の何たるかも知らずにちゃらちゃらコスチュームやメカに酔いしれていていいのかー?
みたいな。半魚 んー、まあ、でも、戦争アニメやロボットアニメなんかでも、「戦争」としてでなく楽しむ楽しみ方があってもいいとは思いますけどね。
樫原 そうですね。視点を変えるってことは大切かもしれない。
半魚 「コンバット」とか、アメリカの偽善を知るには適している、わけだし。
樫原 はは、偽善と正義は似てるのかも・・・。
半魚 エバンゲリオンとかは、まあ、それぞれの世代で、その青春時代にキーワードになる代表作がある、という点で、僕は、まあいいことだと思いますよ。いまのガキには、エバンゲリオンなんだろうし、僕よりすこし若いやつら(30代前半くらいまで)は、ガンダムなんでしょう。僕だって、『ボルテスV』のガルーダが、マザーの息子だと思ってたのに、実はマザーの作ったロボットだったと知った、なんて部分、それなりに衝撃を受けましたから(笑)。若者は、
樫原 (笑)僕にはワカラナイ話題です・・・それ。
半魚 まあ、一例ってことで、一例(笑)。所詮、最初に出会ったものに衝撃を受けるのですよ。それがオリジナルである必要はない。
樫原 つうか、お子様は、ですよね。
半魚 そういうことです。
エバンゲリオンとか言ってる若者(学生)の話を聞くと、「ぼくななぜ戦ってるんだろう?とか、主人公が疑問を持つんですよ!すごいでしょ」なんて言ってるわけです。
そんなの、『仮面ライダー』や『サイボーグ009』が昔からやってるって。
樫原 ぷぷっ。
半魚 精神分析や哲学的な話題が出てきて、謎が解決しないままどんどん進むとか言うけど、『イアラ』だって、まさにそれですよ。でも、彼らに「そんな昔からあるよ」と言っても、あんまり意味はないのですよ。世代の問題ですし、それが若者世代の特権ですよ。
樫原 そうですね、確かにそうです。僕がMS-DOSのMEMCHKをやったら問題が解決するかもしれませんよ、と言ったらWINDOWS以外のことはわからないので怖いから出来ません!というのが若い子ですよね。
半魚 MEMCHKってなんですか?メインメモリのフリーの量をみるやつですか?
樫原 ええ、最適化もしてくれるコマンドなんですが、DOSバージョン6のツワモノでした。今はないみたいですね。
半魚 手作業で最適化してました。
樫原 そ、それは・・・すごい。
半魚 その結果が最適だったかどうかは、わかりませんが。
樫原 わは。
今の若者はストレートな言葉や態度でないと分かってくれないのでしょうね。曖昧な言葉や比喩はピンと来ないような気がします。
半魚 まあ、すべての若者がとはいいませんけどね。
樫原 もう、オジサンは今の若者ってヤツぁってレッテル貼りまくってます。
半魚 ははは。
樫原 でも、武器を描く楽しさ・・・って分かる気がします。ウチのオヤジがそうでした。彼の場合は戦闘機や巡洋艦を作るコトでしたけど・・・。子供ながら、ここまで「緻密」に作るなあって思ってました。好きだったんでしょうね。
半魚 へー、そうなんですか。おもしろいお父さんですね。僕は、幼少時より極端な反戦論者でしたが(笑)、現代の戦闘機だけは、よくプラモデルを作りました。
樫原 プラモデル・・・って僕はダメなんですよ。何であんなに上手に接着剤つけてミニチュア作れるのだろう?って尊敬しますよ。僕は10分もしないうちにイライラして、最後はたたき壊すタイプでした。
半魚 人間、辛抱ですよ(笑)。
樫原 シンボウしすぎて反動が怖い樫原です(笑)
ともかく・・・(笑) だから僕は「楳図」作品が好きなのかもしれません。楳図かずおは「現実」をありのままに描く。決して美化することなく。
半魚 異議なーし!
樫原 それでいて、人間の内部にある「底のない沼」のような欲望がみなぎっています。ある意味「毒」を撒き散らすことで「現実世界」への認識をまざまざと感じさせるのが手塚治虫とは異なった作家だと思います。
半魚 手塚にも、そういう作品は無くはないように思いますが、でも手塚はなんか手際良く幕内弁当みたいに安定しちゃってる感じが、チープでいやなんです。
樫原 ははは、何となく分かる。手塚治虫の場合は根底に「ヒューマニズム」があるでしょう?あれは、読む側には「?」と感じる人がいるかもしれない。楳図かずおの場合はそれがない。そんなものは安っぽい感情に過ぎんのだーって感じで「痛烈」なパンチを食わせる。
半魚 いやいや〜(笑)。ふつーは逆ですよ。手塚のは凡人も含めて納得させられる。僕は、そういう目先をごまかす
愚民思想的な手塚の雰囲気がキライ
なのですが、楳図の場合は、一般人には「?」の場合のほうが多いでしょう。いや、そうでもないか。楳図を「キモチワルイ」という人は多いけど、やっぱりなにかしら「本物だ」という印象だけはみな感じているように思いますね。手塚みたいに、ふつうの言葉には置き換えられないけど、なんかすごい、しかも真実だ、というような。樫原 特に僕はブラックジャックは好きなんですが、あくどいけどちゃんと人間の心をもってる主人公が、手塚治虫の理想とする感覚だったと思うのです。でもそれはあくまでも表面をなぞらえるだけのことで、楳図作品は無意識の下にある人間の心のもっと奥を描こうとしてる気がするんです。
半魚 『ブラックジャック』、僕はだいっきらいですね。作者の「ほーら、おもしろいだろう。」みたいな得意げな顔が感じられて、気分悪い。
樫原 今、読むとそうかもしれないですね。当時リアルタイムで読んでた僕は感動してました。ネコと庄三とかいう作品は今も泣ける。
半魚 そんなもんすかね。
樫原 中学生などにはちょうどいいのかも・・・。
半魚 はは。
樫原 ことに楳図は2面性というものを好んでいたような気がします。
優しさと残酷、美しいと醜い、狂気と正常、
というような。半魚 2面性もそうですが、根底には、視点が変われば意味も変る、ってことだと思います。恐怖も、裏から見ればギャグ、みたいな。
樫原 そうそう。視点の変化というのが大切ですね。これは人生においても、仕事においても重要なポイントですね。
半魚 しかし、話がつながらないな〜(笑)。
樫原 何とかしましょう(うーんうーん)。
次郎君のおにいさんの場合の視点は、「人」としての「常識」が崩れ始める「狂気」の境目にたたずんでいたのかもしれませんね。
それを分かっていたから・・・半魚 はいはい。
樫原 若いゆえに、そのストレスや抑圧からついつい抗ウツ剤とか、薬を飲んでいたのでしょう・・・。
半魚 それは、どうかなあ。兄さんの場合は、睡眠薬とか、薬のせいじゃないのではないですかね。
樫原 あ、そうか楳図センセイの当時を反映するのなら「睡眠薬」常用者かも。これを、敏感な人間の不安から肉体に変化を・・・と思うのも楽しいのですが。
半魚 睡眠薬なんて、飲んでませんよ、絶対(笑)。
樫原 そして、
未来に不安を漠然と感じていた・・・。
精神が肉体に及ぼす影響・・・。半魚 そうそう、漠然とした未来への不安。でもって、それらは後で、健ちゃんのおやじが説明しているけど、いまの時点では、たぶんここは、兄さんの変化の原因よりも、
理由はともかく(あるいは理由もなく)、兄さんが変化している!というスピード感だ
と思うんですよね。樫原 ふむふむ。たしかに4頁めでもう「歯」の変化が表れ、「食」の変化が表れ、手に水かき、肌にウロコ・・・。すごい早さで進化を遂げますね・・・。先ず、それは「歯」から始まった・・・・。
半魚 「歯」ですね!
この「歯」は、強烈ですね。楳図には、貸し本時代に「歯」っていう作品もあるんですね。ある朝目覚めると、歯がぎざぎざに伸びてる!で、いろいろあって、夢だと得心して、起きたら、やっぱり歯が伸びてる!てな作品。
樫原 うむ〜。でこの意味づけが博士の理論と合致するわけですね。
半魚 ところで、「式島」って苗字、楳図は好きですね。 「式島」は「敷島の」に通じて、「大和」に掛る枕詞ですよね。奈良県にうまれ育ったからかなあと思ってるんですが。
樫原 ほう、そういう思い入れがあったのですか・・・。納得。
半魚 「大和」は、『イアラ』の舞台でもあるし、翔ちゃんの小学校でもある、ってことで。
樫原 なーるほど!指摘されてはじめて納得する愚かな私・・・。
半魚 いやいや、僕のたんなる思い込みかも。
樫原 無意識の内に使っているということはままありますからねえ。まんざら、意識してたかもしれませんよね。
半魚 いやあ、
ネーミングは意識的だ
と思ったほうがいいと思いますよ。楳図先生、こだわりがあるみたいですから。樫原 僕もそう思えます。(僕もそうだから・・・)
半魚 あー、大事な事、思い出しました。式島って『鉄人28号』の少年じゃないですか。パクリかも。
樫原 ホントだ〜。(笑)ちなみに楳図かずおと横山光輝はほぼ同期ですか?
半魚 横山のほうが断然早いのでは?で、横山は活躍の舞台が『少年』ですし、ほぼ最初からメジャーですよ。
樫原 そうですか・・・。横山作品はちゃんと見たことないからなあ・・。
半魚 兄さん、生ざかなをバリバリ食ってますが、この食事の好みが変るというパターンは、楳図は多用してますね。
樫原 なぜか、「さかな」なんですよねえ(笑)「ねこ目の少女」もこういうシーンありましたね。
半魚 猫も魚も、サカナを食うんですね。
樫原 えーと、あと何かありましたっけ?(^o^)
半魚 ワンドアながら、冷蔵庫がありますね。この時代、冷蔵庫ってかなり高価でしたよね。
樫原 ああっ!ホントだ!かなり儲かっていた家だったんですね。もしくは遺産が相当あった・・・(なんて現実的なオイラ)
半魚 あはは。
魚屋さんみたいに、姿のままのサカナ
が、ごろごろしてますね。樫原 しかも、
目をつぶってる(^o^)かわいいですね。
半魚 あ、ほんと。でも、サカナって、まぶたがなかったんじゃなかったかな。
樫原 ディズニー的で愛嬌があってかわいいッス。兄さんに海で食われる魚も口に咥えられてびっくり仰天してますが、次のコマでは目をつぶって観念してますね。
半魚 あは。
話ちがうけど、「ばあや」って、今の子、わかりますかね?
樫原 うむー(笑)。今は家政婦さんですかねえ?僕らの小さい頃も「ばあや」なんてお坊ちゃまのウチにしか存在しないと思ってました・・・。「紅グモ」もばあや・・・出ましたよね(笑)。当時、楳図センセイも「ばあや」飼って、いえ、いらっしゃったのかも。
半魚 そんなこたあ、ないでしょう(笑)。実家でも、いないと思うなあ。
樫原 これってテレビとかの影響なのかなあ?
半魚 テレビには、よく居ましたね。
樫原 きっと、そのせいでしょうね・・・(???)
半魚 ともかく、「ばあや」や「ねえや」が居た家は、近所にはなかったなあ。
樫原 僕の近所にもそういう方の存在を見たことはありません。
◆ 健ちゃんの登場
半魚 「カラーン」「カラーン」と、学校のシーン。楳図の、学校の鐘は「リンゴーン」だとばっかり思ってたのですが、このパターンもあったか!
樫原 当時の少年マンガってかなり「手抜き」のラフな感じの背景に徹底していません?他もこんな感じだったのでしょうね。
半魚 背景を描くという手法は、あんまり徹底してなかったのかもしれませんね。描くにしても、かなりデフォルメされたり、とかで。
樫原 それでよかった時代なのでしょうね。今そんなことしたらやはりダメかしら?(笑)
半魚 ギャグマンガなら、いまでもそうかもしれませんけどねえ。
樫原 ドキッ!・・・さりげなくキツイ・・・。お言葉。えーい、僕もギャグに転身しようかなあ(^_^)
半魚 言ってらっしゃる意味が、よくわからない(笑)。樫原さんが背景を描いてないって意味ですか?
樫原 描いてない、ではなくて「描けない」かな?(*^_^*)テキトーにごまかす自分がいつもそこに居る・・・。
半魚 あはは。同じごまかすでも、上手にごまかせばいいじゃないですか?(とか、無責任に言う)。
樫原 それが出来れば苦労しないんですって!(笑)なーんかこれ、変・・・と思いこだわってるとぐちゃぐちゃになって最後は自己嫌悪に陥るのですよ〜。
半魚 わはは。まあ人生一生修行ってとこですか(笑)。
樫原 楳図かずお先生、お得意の「まつげ」パッチリの美少年ですね。この健ちゃんは、なかなか聡明そうで、理知的でイケてますね。何となく「漂流教室」の大友くんに似ている髪型ですが・・・。
半魚 はあはあ、分るわかる。
樫原 楳図先生の少年モノのキャラクターは「次郎」クンのようなのと、猿飛少年が多いのですが、この健ちゃんキャラは「半魚人」だけにしか登場しませんね。
半魚 あんまり居ないような気がしますねえ。片目が隠れてるのは、後の「花形満」系ですよね。
樫原 うははは。キザっぽい感じー。
半魚 貸し本時代のラブコメ系の作品、たとえば『きらいきらい』の友田くんなんかは、ちと似てませんかね?
樫原 あゝ、覚えてない!
半魚 デーコミの『ロマンスの薬』にはいってますよ。
樫原 ううう、コメディ系は、とんと覚えてないのですー。
◆ 兄さんの変化
樫原 ここで、この「兄さんの変化」の項目を付け加えてよろしいでしょうか?
半魚 いいんですがこれ「健ちゃんの登場」の前だと思います。
樫原 このあたりは前後してますよね?健ちゃんの出番をからめて兄さんは完璧に変身するプロセスと。
兄さんは徐々に「正気」を逸脱させていきます。肉体の変化による恐怖から・・・・。そして、暗中模索しながら1つの結論を出すのですね。
半魚 この「結論」って、どういうことですか。誰が出すのですか?
樫原 ここでは兄さんですね。おぼろげながら自分の変身と何故変身してしまったのか・・・理解できないながらも体はそれを分かってしまった・・・みたいな。兄さん本人が「オレはもう昔のオレじゃないんだ」と言って次郎くんに別れを告げます。
半魚 なるほど。この辺の、兄さんの心理描写は、ラフに描かれた少年マンガには普通ないほどの詳しさではありませんか。
樫原 この「半魚人」という作品は
ネームが少ないワリに微妙な言い回しがすごい効果的
ですよね。兄さんの場合、魚を生で食ったあと「にいさんには、どうすることもできないのだ」というとことか、ますます伸びてきた「歯」を鏡で見て「ば ばけものだっ!」と叫ぶとこ。半魚 そうですね、この兄さんの心理描写は、「半魚人」の特色の一つですね。僕が子供ころに読んだら、分からなかったともおもいますが。微妙な、
説明しきらない言い回し
ですね。セリフが多い、後の楳図作品に較べても。樫原 面白いのは、狂気の連鎖がとどこおりなく自然な感じで「健ちゃん」にも移行しているところですね。このあたりは「洗礼」と全く同じですね。
半魚 楳図のお得意のパターンというべきですかね。
樫原 定番ながらも、このプロセスの運びは上手い!と思います。
半魚 しかも、定番と言っても、楳図がやる場合は一味ちがいますしね。
樫原 そうそう、スパイスがかかってます。
半魚 ですねえ。
樫原 自分の意思とはうらはらにミュータント化(?)してゆくこのプロセスの怖さは、見ている者に「不安感」を植えつけてくれます。そして、自分が漠然とどうなっていくのかを悟った兄さんが次郎くんに別れを告げるときのセリフが
「おれはもう人間じゃないんだ体も心も」
自らを「狂人」と認めてしまったのか、それとも、変わらざるをえない兄さんの自分との決別のようにも受け取れます。半魚 なるほど。的確な批評ですねえ。
樫原 雨の日にどこかに出かけて帰ったとき、兄さんは完全に変化を遂げていたのですね。しかし・・・兄さん頭に「海草」はないだろうみたいな・・・(笑)
半魚 ははは。たぶんですねえ、今の時代のガキは、こういう絵を見て、笑うんですよ。
樫原 (笑)イヤですねえ・・・。オレもイヤな大人ですねえ。
半魚 でも、この目、樫原さん、好きでしょう?
樫原 眠そうな、何かに憑かれたような眠い目・・・。うーむ。あこがれますねえ・・・(笑)
半魚 なぜに、「あこがれる」んじゃ〜(笑)。
樫原 ははは、まあまあ。これも余談ながら、「ちぢれ毛」は当時やはり気持ち悪いイメージだったのでしょうね・・・。
半魚 「ちぢれ毛」っていうんですかね、こういうの。でも、額あたりの髪の毛は、たしかに「ちぢれ」てる感じではありますね。
樫原 海草みたいな・・・髪の毛(^_^)ヘビ少女もこんなのでしたね。
半魚 口からぴょろっとヘビだしている絵とか。
樫原 ふふふ・・・。最たるモノですね。あのうねうねがどうも不安感をそそるのかな?
半魚 はーん、なるほどねえ。
樫原 気持ちの悪いイメージって大切ですよね。
半魚 関谷の髪の毛も、ちぢれ系ですよね。
樫原 出ました!関谷!! 「ゲプッ」
半魚 今年は、関谷と同い年になってしまう私……。
樫原 一人で未来から帰ろうとしないでくださいね(笑)
半魚 あはは。僕は、一緒にがんばりますよ。でも、小学生相手は、疲れるだろうなあ(笑)。未来に行っちゃう事自体より、気が重い。
樫原 僕は・・・きっと西さんのように寝て暮らすかも・・・。テレパシーもないから、動くと疲れるから・・・なんて言い訳しながら(笑)
半魚 『漂流教室』占い、ですね。誰タイプか。
樫原 ちなみに半魚さんは?
半魚 モチロン、大友くんです。
樫原 人肉、喰えるタイプですね〜(笑)
半魚 ちゃうちゃう。好きだけど、言えないタイプ(笑)。
樫原 すべての事件の張本人というタイプでもある・・・・(笑)
半魚 んー、分が悪くなってきたなあ(笑)。
次郎は、海草を見ながら、「それと口についていた血は……」と言いますね。これは、兄さんが、通行人を襲った事を表わしてますね。
樫原 あっ、これ通行人を襲ったんですか?僕はてっきり魚を食った後の血だと・・・。
半魚 うん、そうかもしんない。
兄さん、包丁持ってますね!とうとう、狂って、次郎を殺すのか!
樫原 下の歯が飛び出てて不気味です・・・。兄さん。
半魚 子供の頃、絵を描いてて思ったのですが、上の歯が長いと吸血鬼、下の歯が長いと鬼、って思ってました。
樫原 なーるほど!
半魚 いやいや、感心されても(笑)。
◆ 半魚人登場
半魚 「その夜」……ですね!
樫原 「その夜」「翌朝」・・・僕もよく使わせてもらってます(笑)
半魚 この兄さん、マスクと手足の包帯だけじゃなくて、髪の毛も微妙にだんだん、伸びてるんですね。
登場毎にスタイルが変ってゆくってのは、なかなかすごい。
樫原 あ、そうそうこの当時のマンガって主人公とか登場人物の髪型とかやたらと変えないのが主流だったんですよね。髪型が変わることで、読者は別の登場人物だと思ってしまうから。
半魚 そうですよ。
樫原 でも、このプロセスを取り入れるってことは
よほどキャラがしっかり出来てないと描けないワザ
ですよね。半魚 ただ、年少の子供なんかには、すこし理解が難しいかもしれませんね。小学校高学年くらいになれば、無理なく理解でき、恐怖におののけると思うけど。
樫原 そうかもしれませんね・・・。僕はすんなり受け入れて見てたような気がしますが・・・。(マセてただけなのか?)
半魚 理解度、たかいですよ(笑)。
樫原 認識なかったのかもしんない・・・。
半魚 いやいや、御謙遜。
お兄さん、トラックに乗ってゆきますが、次郎くん、荷台につかまっていますね。スリル。ところで、
このトラックの絵1頁すこし分、タッチが他と違いますね。
樫原 後から書き足してませんか?このあたりの車の描写・・・。「影」とか・・・。
半魚 『漂流教室』の頃の絵柄みたいに見えます、ぼくには。『おろち』よりも後。しかしながら、楳図本人のタッチではありますね。
樫原 うーむ・・・補筆ではないのですかねえ・・・このあたり。
半魚 補筆だろうとは思いますが、初出をみないと何とも言えないところもあるのですがね。
樫原 そうですねえ。どこかにないものでしょうかねえ?(また古本屋サンを回ってみたい今日この頃)
半魚 あんまりないですね。あっても、ちとお高い。
樫原 しょうがないんでしょうねえ・・・。プレミアだからなあ・・・。
半魚 はい。それで、続きを(笑い)。
樫原 海に向かった若旦那を追って次郎君がそこで見たものは服を脱ぎ捨てて、海で戯れている「半魚人」と化したお兄ちゃんだった!!!
半魚 ギョエーッ!!
樫原 しかも、魚を加えてる・・・なぜ半魚人は魚を食べるの?という疑問も生まれますが・・・。(笑)
半魚 いやあ、魚って基本的に肉食が多いでしょ。
樫原 はは、そうなんですか・・・これがプランクトンとかなら楳図先生も描けませんよねえ。「タコ」なら思いきり笑えそうだし・・・。
半魚 タコだとねえ……(笑)、「アハハのハ」とか、『漂流教室』の八田くんとかになっちゃいますね。
樫原 いっきにギャグへ転落!「アハハの半魚人」なんてね。
半魚 アハハハ。
樫原 お兄ちゃん、もしかして「ふんどし」党だったのでしょうか?脱いだ服には包帯かな?と思いきや「ふんどし」?とおぼきものがあったりします(笑)
半魚 はい、ちょっとはばの広い布が、ありますね(笑)。
水音の擬音は、いつも通り、「ザパーン」ですね。
樫原 それにしても、当時の楳図先生は「海」のイメージをよく捉えて描いてますよねえ・・・。トーンバリバリの今のマンガ家先生は白と黒だけで海のイメージ描けるでしょうか???
半魚 ははは。さっき言ってた、「目をつむってるサカナ」ですけど、このサカナにキバが刺さってますね。
樫原 そうそう、やけにリアルなんですよね。この頃の線は単調なゆえにはっきりと分かりやすいので見やすいのかも知れませんね。
半魚 案外、悪くないですよ。この、マンガっぽい絵も。初めて読んだ頃は、なんか損した気分でしたが。
樫原 ははは・・・損ですか・・・?単調なゆえに変化するさまが分かりやすいってのは子供には受け入れられる要因だったのかもしれませんね。大人はもっとリアルなものを要求するのかなあ・・・。
半魚 そうですね。
兄さんは、もうどうなってしまったのか、次郎を襲いますね。この格闘シーン、どうですか?
樫原 そうそう。幼い頃はこの「海の中」での格闘というのが妙に怖くて・・・。ほら、海の中とか水の中では抵抗があって思うように体が動かないでしょ?闘うっても、力も入らないみたいで・・・このあたりのイメージから「ジョーズ」も怖くて見れなかったのでしょうねえ・・・。今思えば。
半魚 「魔の海」説は、そもそも樫原さんの実感から来てるのかな(笑)。
樫原 うむ〜、この作品が無意識な「トラウマ」を産んだのかもしれないです。それとは、別に小学生の頃、海で水中メガネつけて潜ってたら沖から、魚のデカイのがこっちに突進してくるような気がして、友達と慌てて逃げた記憶とかが、ごっちゃになってるのかもしれないですね。
半魚 水の中って、やっぱりコワイものですね。
樫原 思うように動けない、というトコが夢の中で何者かから逃げる時の感覚に近いような・・・。
半魚 そうそう、夢の中の逃亡の感じ。
樫原 ワタクシゴトながら、プールで泳ぐときはいつも後ろから「半魚人」が追ってくることを想定して泳いでます。
半魚 楽しい水泳ですね。
樫原 ハタから見ると、オバカですね(笑)。水の中で歌えるのかな?なんて挑戦したこともあります。
半魚 あはは。こどもらしい(笑)。
兄さん、朝にはまともに戻るのですかね。
樫原 かろうじて、別れを告げにくるときは「正気」ですかね?
半魚 ここの時期は、まだ「まだらボケ(狂気)」の段階なんでしょうね。
樫原 (笑)まだらボケっていいなあ・・・。
◆ 健ちゃんのおやじ
樫原 ここで、ひとつの社会現象を示唆しているのは「睡眠薬」の飲みすぎで生まれた奇形児ですね。
半魚 そうそう。
樫原 マッドサイエンティスト・・・ではないのでしょうが、やはり世間的には「変わった博士」なのでしょうね。独特の逆台形メガネのフレームは後に「みにくい悪魔」の死神博士へと受け継がれていきます。
半魚 なーるほど。そうですね、このメガネ。
ただまあ、この健ちゃんの「おやじ」自身は、変った博士ではあるけど、案外まともな博士なんでしょうね、たぶん。
樫原 そうですね。マッドではないですね。
半魚 ここ、初出は確認してないのですが、さきの所収でいうと、セリフがこんな感じで違うのですよ。
(手がひれになってると次郎がいうコマ)
- (未調査)
- すい眠薬ののみすぎにより生れた奇型児じゃ
- すい眠薬ののみすぎにより生れた異常児じゃ
- ある薬ののみすぎにより生れた子どもじゃ
- ある薬ののみすぎにより生れた子どもじゃ
- すい眠薬ののみすぎにより生れたんじゃ
- 薬の乱用や公害が原因かもしれん!
(その二頁あと、不眠症の説明)
- (未調査)
- すると眠れぬ人はすい眠薬をのむからさかなのようなあざらし状の人間が生まれるというわけじゃ
- すると眠れぬ人はすい眠薬をのむからさかなのようなあざらし状の人間が生まれるというわけじゃ
- すると眠れぬ人はある薬をのむからさかなのような人間が生まれるというわけじゃ
- すると眠れぬ人はある薬をのむからさかなのような人間が生まれるというわけじゃ
- すると眠れぬ人はすい眠薬をのむからさかなのようなあざらし状の人間が生まれるというわけだ
- すると眠れぬ人は水を恐れるあまりさかなのようなあざらし状の人間が生まれるというわけだ
半魚 やっぱりこの「あざらし状の人間」ってのが、差別的ということでひっかかったのかなあ、と思うのですが。
サリドマイド児
ってのが、ちょうどこの前後、大きな社会問題になりましたよね。樫原 ああ、さすがよく調べていらっしゃいますねえ。感心いたします。畸形を持ち出すのは当時、大したことがらではなかったのでしょうが今はちょっと軽軽しくいえない風潮ですからねえ・・・。
半魚 やっぱ、見世物趣味的な、差別意識は、いけませんからね。
樫原 サリドマイド児って、僕も記憶にはあるのですが、どんな病気なんでしたっけ?手足が短くなる病気でしたっけ?
半魚 樫原さんの世代ですよ。僕はちょっと後ですが、うちの母親も、生まれてくる子供が心配だったとか、後年言ってました。
樫原 ふうん・・・。
半魚 サリドマイドという薬だか物質だかがあって、それを使ったイソミンていう睡眠薬が売り出されるのですよね。
樫原 ああっ!テレビで見たことあるのを思い出しました!副作用なんですね?
半魚 そうそう。妊娠中の女性が飲むと、奇形児が生まれる。
スモンや薬害エイズと並ぶ、薬害訴訟問題
ですね。日本では1958年ころから1961年ころまで販売されてて、ドイツでは先に危険性が指摘されたけど、日本の対応は遅れて、1963〜65年くらいから薬害訴訟が始まったようです。1974年に国(厚生省)・大日本製薬と原告側とで和解が成立するようです。僕はたぶん、74年ころのニュースかなんかで、サリドマイド児(肢体不自由児)の映像を見て、ショックを受けたんだろうと思います。腕がなく、肩に直接手がついている感じで、母親もそれを「あざらしみたいな子どもたちが生れた、とあの頃言ってた」とか言っていたと思います。樫原 ぞっ・・・このことを表現していたのですか・・・いやあ、勉強になりました。
半魚 映画にもなった『典子は今』の典子さんもサリドマイド障害を負った方なんですよね。
樫原 そうなんですか・・・。
半魚 それから、この時の厚生省の薬務局長ってのが、松下廉蔵で、あのミドリ十字の社長ですよ。こいつは、七三一部隊の生き残りで、とんでもない極悪人です。
樫原 こんなところで731部隊が登場するとは・・・・。
半魚 七三一部隊の生き残りは、ミドリ十字の創業者だったかも知れない(不確かです)。
樫原 そういう噂もチラホラリ。帝銀事件の犯人も、その残党だといまだに噂されてますよね。
半魚 そうそう、青酸カリだかのね。七三一部隊、要領のいいヤツは社長や官僚におさまり、
おちこぼれは殺人強盗になった
ってわけです。樫原 ともかく、僕にしてみればかなり興味のある史実であります。いつか、僕もこの作品をベースに描いてみたいと思ってはいるのですが・・・。それにしても「半魚人」から色々な要素が抽出されてきますねえ。
半魚 七三一をベースになんて、やめたほうが良いですよ。あまりに、悪趣味ですよ。それに、どんな傑作描いても、「事実は小説より奇なり」を超えられませんよ。
樫原 確かに・・・せいぜいベースにした創作を作るしかできませんね。昔「寄生虫」という作品を描いたときにこの部隊が見え隠れしていたのですよ。
半魚 そうか、そうか。背景に見え隠れしている、というニュアンスでね。
樫原 そのものズバリを描いてしまったのではドキュメンタリーマンガですものね。独創の中に事実をちりばめるってのが、僕の理想であります。
半魚 なるほど。でも、ドキュメンタリー漫画にするのも、面白いかもよ、この場合。
樫原 中国映画で、ズバリこれを扱った作品が3作ほどあるのですが、俗悪な映画になってます。某ジャパニーズ残酷ビデオみたいな・・・。冷静に受けとめて描くには、よほどの技量がないと、またテーマをどこに絞るのか、難しいですねえ・・・。
半魚 技量があると、なんでもいい作品になるのかな。
樫原 とは、思いませんけど・・・。(笑)
僕は、単に「日本人」の悪をテーマにしたいと思うのですが・・・。
半魚 そうですね、いいですね。日本人の悪を描ききってくださいよ。
◆ 博士は半魚人
樫原 ここで、兄さんが博士と入れ替わってしまい次郎君が「青い血」(!?)を見て「もしや」と思いきやドアをバタンと閉めるシーンがありますよね?
半魚 はいはい。
樫原 ここで、連載中はおそらく「つづく」なのでしょうが次のコマで
次郎君が「な なにをするのです」という絵柄に注目
してください。半魚 はい。
樫原 これ、
楳図先生の「絵」ではないような気がする
のですが・・・。半魚 ふむう。
樫原 必ず「つづく」の絵と次の冒頭は同じ「絵」だったのですよねえ。連載中には、いったいどうなっていたのだろう?と思ってしまいます(^o^)
半魚 どの部分が、「次回につづく」なのか、初出も見てないし、推測したこともないのですが(やってみます?)、ともかく、「な なにをするのです」のコマ、たしかに微妙に違いますね。
同じ頃、「双頭の巨人」が、楳図と全然違うタッチで描かれてますね。でも、それともここは、タッチが違いますねえ。
樫原 別人・・・もしくはアシスタントの方か誰かがトレースしたとか・・・。「双頭の巨人」は、ちょっと絵柄忘れましたけど、あれ別人のような気がしないでもありません。あまりにもらしくないです。
半魚 ともかく、楳図のタッチじゃないですね。
樫原 真偽を確かめたいところですよねえ・・・。この作品に関しては・・・・。
半魚 ほんとですね。楳図がアシスタントを使い出したのは『紅ぐも』の頃からと言いますので、1965の秋も更けた頃ですから、ちょうどほぼ『半魚人』と同じ時期ですね。
樫原 やはり、そこかしこはアシスタントが手伝っていたのかなあ・・・。
半魚 ところで、「青い血」ってのは、たしかに変と言えばヘンですね。
樫原 ははは。魚=青い血というイメージがあったのかも知れませんね。タコやイカは確かに青い血らしいですけどね。
半魚 そうなんですか。
樫原 そのあたりのことを知っていたのかもしれないですね。楳図先生も。
半魚 ところで、この健ちゃんの家でのストーリー展開は、なかなか上手いと思いませんか。おやじ博士の話を途中まで聞いて、その後、博士は追加の説明のために別の部屋に資料を取りにゆく。と、事前に侵入していた半魚人に襲われる。半魚人は、おやじ博士と入替わる。ここまで来ると、たんに「都合よく、半魚人は家に侵入してたな」でお仕舞いなんですけど、で、その後、半魚人を追ってきた警察が尋問にくる、なんて、なかなか上手いですよ。
樫原 大発見しました。えばった警察官の後ろにイデ隊員発見(笑)
半魚 イデ隊員(その流れ)かなあ。イデ隊員のほうが、『半魚人』よりあとの作品なわけですから、そうなら、確かに大発見ですが。イデ隊員はチュー子の男バージョンですよねえ。ちょっとやっぱり、顔が違うような。なんて、手塚っぽくないですか。このクリクリお目々は。
樫原 言われてみて、そうですね(笑)目が違う・・・。
半魚 まあ、それで警察がくるのですが。
樫原 そうそう。読む側に「ははーん、こういうことがあったのかな?」って想像させてくれますよね。半魚人が誰かを襲って博士の家に逃げるのを警察が追ってきた。描かなくても僕らは想像しちゃうんですよね。
半魚 そうですね。 「地球が海になる……」と言っておののく半魚人の心には、どんな思いが去来しているのでしょうか。まさか、
「おれ、半魚人になるから、ラッキー」
とかは思ってませんよね。樫原 ぐうぜんにしろ、入った博士の家では、事実的データがあり、それを読んだ半魚人は何%かの正常と90%程度の異常が交錯した「アタマ」の中で
人間→半魚人になる!という進化論
が固定してくる・・・。ダカラオレ、こんなになっちゃったのか〜と、納得する。半魚 そうそう、「固定」ですね!ま、分かり易く言えば、「思い込み」ですが(笑)。すなわち、精神の変化。
樫原 確定された自我の意識。というのでしょうか?猪突猛進、周りが見えない分、自分はあくまでも正しいと信じる。
半魚 そうともいえますね。80年代にはいって、このタイプの登場人物って、かなり減ったように思いませんか。
樫原 「熱血」「根性」「努力」って言葉が消えちゃった時代ですね。「軟弱」「他力本願」「我関せず」「ことなかれ主義」台頭時代の幕開けでしょうか。「愛」がすべてよ!みたいな風潮。こうして、80年代生まれの子供は「愛」をカン違いしながら生かされてきたのでしょう。
半魚 あはは。そうそう、愛を勘違いしてますねえ。
樫原 全くもってイカンですよー。低俗なアニメやマンガの横行が間違った「愛」を作っちゃった。
半魚 正しい(?)愛が育たないのは、人がいろんな人とふれあう場が減ったからだと思いますねえ。もっと、そういう場を作るように、だれか(?)が努力すればいいと思うのですけどね。
樫原 うむ〜、そうですね。個人主義志向があまりにも強い時代でしたね。
半魚 自立するって意味での個人主義は必要だし、いいことですけどね。個人がしっかりしてないと、人との協力も出来ない。無関心の時代ですね、ここんとこずっと。
樫原 今の子には「自我の目覚め」が二十歳越えても訪れていない。と思うのです。無関心の時代の結果かもしれないですね。マニュアル見てもホントウに困ったときの対処法は書いてないのになあ。もっと自分の頭で考えれば?と思いますけどねえ・・・。
半魚 自分を顧みる視点が必要だと思う。「兄さん」じゃないけど。
「愛情の反対語は、憎悪ではない。無関心である」と、ドイツだかどこだかの偉い学者が言ったそうです。子供にかぎらず、大人も含めて、この無関心の日本は、ちと困ったもんですね。
樫原 なーるほど。これは大発見です。では「憎悪」の反対語は何なのでしょう?
半魚 マニュアルも、「お手本」ってことばが「マニュアル」になってから、なんだかおかしく成り始めた気がします。
樫原 やたらと横文字使っちゃいけませんね。
半魚 それで、続きをどうぞ。
樫原 それでも、半分以上は「狂ってる」状況だから(これは読者側の僕らの意見であり、実際は狂っていないのかもしれませんね)、自分がこの事実を知った「博士」だと混同してしまう、同一性障害が生きてしまう!あなおそろしや〜。
半魚 同一性障害か、なるほど。で、考えて見ると、兄さんの場合は「初めに変化ありき」ですよね。それが、データによって、「固定」される。肉体の変化が先で、精神の変化が後追い的に成立している。
樫原 読む側は、ミョーに納得させられる展開となっていますよね。
◆ 実験室
樫原 あー、もうここからは怖くて怖くて・・・。「たすけて」と書かれた健ちゃんからのハガキを受け取り次郎君は単身で健ちゃんの屋敷に忍び込むのですね・・・。
半魚 スリラーものの王道ですね。「きゃー、むちゃしないで〜」って。
樫原 少年ものでは「勇気」なんだろうなあ・・・きっと。
半魚 勇気ありすぎ(笑)。
樫原 ここで、伏線が生きているのが兄さんが侵入したときに破った窓ガラスですね。
半魚 芸が細かいですよね。
樫原 でも、なぜ
ハガキを出すヒマが健ちゃんにあったのだろう?
(などと突っ込んではいけないですね)半魚 年賀ハガキの余りがあったんじゃないですかね。
樫原 (爆笑)クジ当たっても懸賞もらえないって。
半魚 はは。ところで、健ちゃんって、同級生なんですね。机がとなり。やけに身長が違うけど。
樫原 ヌーとさとるの夏休み明けのような、もんですか?
半魚 それそれ。それが言いたかったのよん。
樫原 これは、ある意味それを示唆しているのかもしれませんね。半魚人になるということは、来るべき時代へのために変貌することを意味してるんですよね?すなわち、
「少年」から「青年」になる第二次成長期の通過儀礼への暗喩
なのかもしれませんよね。半魚 暗喩的ですね。未来人間になった美川さんと、ヌーとの中間にいるような。
樫原 そうですね。「ばけもの」という言葉、かなり活きてきますね。大人になるためには、こういう苦痛を伴わなければなれないのだぞ!という・・・。だったら見てる読者は「大人」になることをためらわずにはいられませんよねえ・・・。
半魚 美川さんになるのは、いやでしょうからね。
樫原 (笑)あれは、クモとヘビの融合したような感じでしたね。
半魚 なるほど、そうですね。
樫原 楳図かずおの「ピーターパン症候群」はこの作品の頃から如実に表れていたのかもしれないですねえ・・・。
半魚 楳図のピーターパン崇拝(笑)は、もっと早い時期からありますよ。作品に出てくるのは、この頃からかもしれませんね。
樫原 実験室では、恐るべき実験が行われていた!
半魚 ギョエーッ!!
樫原
でかい水槽に閉じ込められているパンツ一丁の健ちゃん!
来るべき世界に備えて「魚」にされてしまう健ちゃん。(ここでも1000年もあるのだから別にそんなことしなくても・・・なんて突っ込んではいけないですね)
半魚 ふむう。まあ、ニューヨークや東京だと、50年後だって言ってますね。まあ、2015年になったら、高いところに引越せばいいわけですよね。
(まあ、ぼくも一応、突っ込んでおきます。)
樫原 残酷な処刑の方法というのがあれば、こういう水攻めは効くでしょうね・・・。
半魚 僕は水は苦手だから、水責めはほんときらいです(笑)。
樫原 「猫面」が、このテの拷問のオンパレードでしたよね?ま、「半魚人」の健ちゃん改造シーンもこの「猫面」から来てるのは明白なのですが、少年誌にはちとキツイですね、ホント。
半魚 「猫面」は、残酷をかなり意識した作品と言われてますね。ともかく、少年誌には、ほんとキツイ。
樫原 後、いやーな水責めといえば僕は「影姫」でしたねえ。口に含んだ綿から水が勝手に入っちゃう・・・ゾーッ!でした。何で、こんなこと考えるの?って思っちゃいましたね。
あーいやだ。
半魚 やりたい、とか思ってませんか(笑)。
樫原 今日の半魚さんは「さとるのバケモノ」と化しちょる。
◆ 健ちゃんの改造
樫原 ここは、もう楳図恐怖のトラウマ製造責任者の本領発揮です。醜くなるのは美少年でなくてはならない!というコンセプトの元、(これが猿飛少年だったら、僕らはこんなにまでショックは受けないでしょう)
半魚 あはは。
樫原 健ちゃんは肉体改造手術を、さびたナイフでやられちゃうのですね。ああああ!今見てもゾッとする口を裂くシーン!!!!!
半魚 ああほんと。このナイフ、ギタギタになってますねえ!ああ、この妙なリアリティ!!
樫原 消毒もしないで・・・出血多量で死ぬぞ!って!
半魚 医学的な手術や改造ではなくて、猟奇的な犯罪であることが、巧みに表現されてますね。そのくせ、やってる本人は、お前のためだみたいな、まともそうな事を言う。半分正常であるゆえに一層高まる恐怖。
樫原 このあたりは何が正しくて、何が正しくないのか?という読者側に問題提起も含めているようですね。
「洗礼」のラストに近い問いかけがるような気がします。
半魚 ああ、そうですね。「装うということは、自分が変ることではなく、まわりが変ることである。」(『凍原』)ですね。
樫原 哲学だ。
半魚 そうですねえ。半魚人になった兄さんは、自分を、健ちゃんの父親だと思い込んでいますね。
樫原 博士のフリをして、資料を読んでいるウチに自分と博士を同一視してしまう同一性障害を起こしてしまったのでしょう・・・・。
半魚 そして、「さかなにならなければみんな死んでしまう。だから健一を半魚人にしてたすけるのじゃ」と言ってますね。半魚人にするために、水槽に閉じ込め、口をナイフで切ろうとする。それを見ている次郎くんは「くるっている」と言う。でも、半分か、三分の一くらいは、半魚人の言ってることは正しいように思えてきますよね。だって、地上に住めなくなるんだもん。
樫原 そう、このあたりの判断のつけ方によって「洗礼」の問いかけがなされているのだと思うのですよね。
次郎君の見方だと明らかに「狂ってる」けど、それも視点を半魚人に転ずれば「正常」な行為・・・。
これをどちらに考えるかで「狂気と正常」の均衡が崩れるのを示唆しているのだと思うのです。この作品に接する人への「問いかけ」ではないでしょうか?
半魚 ここはもう、はっきり「洗礼」的な文脈ですね。ところで、思うのですよ。たぶん、当時の読者は、この正常と異常の反転のような楳図的な発想を、どこまで読めたでしょうかね。当時は、ただ「狂ってる人はコワイ」くらいにしか読めなかったんじゃないかなあ。「へび少女」等で鍛えられていた読者も多かったのかもしれないから、そんな事もないか。でも、しかし、完全に「正常異常の反転」として楳図作品を理解できるようになるのは、読者が『イアラ』のシリーズに接してからではないですかねえ。
樫原 当時の中学生とか、高校生ははからずも深読みしてた方もいたかもしれませんねえ。僕自身がまだ3、4才だからそこまでは考えきれませんでしたが、改造手術や、変身の恐怖を味わう幼年期。狂ってる人は怖いようと思う、少年期。何が正論なのかを考える青年期。という風に年代を超えて考えさせられる作品・・・てのはちとオーバーですか?
半魚 いやいや、オーバーじゃないですよ。その通りですね。『わたしは真悟』だって、僕は昔と今とで、僕は読み方が変わりましたから。
樫原 こういう読まれ方をしてこそ作品の価値って生まれるのかもしれませんね。そして、どの年代の人にも「面白い」といわれる作品こそが芸術なのかも・・・。
半魚 そうですよ。「価値」なんてものは、読者の中にしかありませんから。
樫原 救いのあるお言葉です。(笑)
半魚 救われましたか(笑)。
樫原 はい。
今だからお話しましょう。当時5才くらいだった僕は、このマンガを母親の友人宅でずうっと見ていたのです。母親が世間話をしながら「もう帰る」と言われるまでずうっと・・・見入っていたのであります。
半魚 アブない五才児だなあ(笑)。おれなら、ぜったい見られないと思う。
樫原 自分でも不思議なくらい没頭していましたねえ。自分の殻にすっぽり入り込んだ自分をそのとき見ました。
半魚 カニだ〜(笑)。
樫原 うひひ。何度も何度もその恐ろしいシーンを凝視していたのであります。
このシーンを見ながらお腹の底の方がうずいていた
のを覚えています。完璧な「トラウマ」となったショッキングなシーンでした。いまだに、ああいう怖い感覚を覚えると底腹がずしぃーんと重くなります。
「海草」と違って、この絵はコワイぞ〜。
半魚 んー。まあ、これは、ほんとにやっちゃうヤツがごろごろしてる今の御時勢ではともかく、当時としては、ショッキングなシーンだったんじゃないですかねえ。メジャー誌としては、とくに。
樫原 怖い!というよりどうなるんだ?という先読みたい感が脳内のホルモンを活性化させたみたいですね。僕の場合。これと同じキモ悪さを感じたのは「錆びたハサミ」で切り刻まれる少年の顔・・・。ぅぅぅ。これは「半魚人」健ちゃん改造をグレードアップさせましたね。ただこの頃僕はもう30超えたオッサンなので怖い!という感覚はありませんでしたが・・・。
半魚 「錆びたハサミ」も、そうか錆びてるんですね。最初に、法子の頬をハサミがあたるシーン、「おいおい、どうなっちゃうの〜」と思いましたよ。
樫原 ますみー!!(笑)
半魚 ますみ、キモチワルイですね。
樫原 今思い出してもゾッとする・・・。
半魚 半魚人への改造で、「今日は目じゃ」って、考えると可笑しいですよね。やっぱ、半魚人はお目めがグリグリでなきゃいけないってことかな。
樫原 やはり、水の中では乾燥を防ぐためのまばたき用の「まぶた」が必要ないからまぶたを切り取ってしまうのかしら?それにしちゃ、魚が目をつぶるのは・・・?愛嬌?
半魚 『都新聞エミ子シリーズ(恐怖)』の「割れたつり鐘」で、エミ子の目を切裂こうとする医者が出てきますね。この医者、エミ子のためにやってやろうと思っている部分、お兄さんに少し似てますかね。
樫原 こっちはヨダレをたらしてる分、かなりイヤな怖さが・・・(笑)でも、そうですね。同じ韻を踏んでると思います。
半魚 韻か、うまい表現だ。あとまあ、改造シーンとしては『猫面』も韻を踏んでますね。
◆ 次郎の危機
樫原 健ちゃんをやっと鎖から解放したら、兄さんはトチ狂ってしまい今度は次郎くんを健ちゃんと間違えてまた手術をしようとするのですね。このあたりは、アメリカ映画を見るようにスピーディな展開で、見てる方はハラハラドキドキですね。
半魚 全般に、「半魚人」はスピーディですねえ。
樫原 「宙ぶらりんのままで3日たった!」はすごいです。博士にはハエがたかってるし・・・。
半魚 こういうコマの移り方は、反復描写を得意とする楳図には珍しいですね。『イアラ』なんかで使う、数百年とかが経つ場合でも、ナレーションで一本の道筋を付けていたりしますから。
樫原 ネームの段階で、ページ数が足りなくなったのかな?
半魚 さすがに、それは……、考えにくい(笑)。
樫原 ははは。 ともあれ、この時代はマンガ家のやりたいように連載にしても何回にしてもいいような、そんな雰囲気だと思うのですが・・・。そのかわり、1本には何ページという制限だけみたいな・・・。(今もそうですかね?)
半魚 毎号、何頁で、っていう制限はあったでしょう、やっぱり(笑)。でも、マンガ家のやりたいように、なんてことは無かったと思いますよ。楳図は、講談社のしめつけが、あまり好きじゃなかったというような事を言ってますし。
樫原 かなり制限されたワリにはあの残虐なシーンは許したのですね。もしかしたら楳図先生は、あのあたりもイタリア映画さながらに描いてみたかったのかなあ?もし、それを小さい僕が読んだときは「ひきつけ」起こすかもしれないですね。
半魚 健一の口が裂けた、樫原さんのおなかがうずいたコマ。これには、あまりに恐いので、編集部に描き直しされたというエピソードがあるようですよ。
樫原 うわー、こわいよう。もっともっとすごい絵だったのでしょうか?そいつを見てたらもう、僕なんか一生立ち直れなかったかも・・・。あれでも、充分に腹の底に鉛をブチこまれましたもん!
半魚 この描き直しのエピソードは、講談社P-KC版のインタビューにもあるし、『まことちゃん』の「口裂け女の巻」でも既に楳図自身が紹介してます。多分、不承不承直したんでしょうねえ。
樫原 その訂正する前の原画ってないのかなあ・・・見たいけど怖い!でもやっぱ見たい!
半魚 ホワイトで消したものだから、上手に削れば見れるかもしれませんね。前の絵はその下にある。
樫原 そういえば、左の髪の下あたりは消えてますね・・・。
半魚 前に書いたかも知れませんが、「ママがこわい」の冒頭で、カエルの絵を見て「ズズーッ」ってなる部分、いまの作品は口が露骨に描かれていますが、ここは描き直しの部分でしたよね。初出では口の部分にカエルの絵の紙があって、口が描かれない構図になってるらしいのですよ(そういう構図で、読者の似顔絵があった)。
樫原 そうでしたか・・・。初耳です。隠す方が想像をしてしまい、ますます怖く感じますね。でも楳図先生はモロに表現したかったでしょうねえ。時代を感じるなあ・・・。
(改めて見たら描きなおした形跡ありました。納得)
◆ 半魚人になる
樫原 健ちゃんは水の中で一度「ひひひ」と笑うのですね。怖いです。そして、楳図先生の本領発揮。「半魚人だと思う心が体まで変えてしまった!」
半魚 本領発揮!! 精神が肉体に影響を及ぼすという、楳図唯心論。
樫原 まさに狂気の連鎖!自己アイデンティティの崩壊による、新たな自我の構築!兄さんと同じ道を歩んでしまうわけですね。
半魚 そうそう。で、この健ちゃんの変化と、兄さんの変化とは、精神が主か肉体が主か、そのプロセスが逆っていうかネガ的になっていませんかね。
樫原 そうですね。確かに逆のパターンを辿ってますね。大人になるために「肉体」が先なのか「精神」が先なのか?君ならどっちがいい?てな問いかけにもとれませんか?
半魚 なるほどね。
◆ 健ちゃんと次郎
樫原 そして二人の別れが来るわけですが、健ちゃんは半魚人として「海」へ次郎くんは呼び戻そうと健ちゃんの好きだった「荒城の月」をハモニカで(どこに隠し持っていたんだ?そんなもん?)吹くのですが、個人的ながら
「荒城の月」は大分県竹田市出身の滝廉太郎の曲。
同県の僕としては、ちょっとうれしいかもしれない、なんて。半魚 滝廉太郎は大分出身ですか。竹田は、あの子守り歌の?
樫原 (笑)いやあ・・・違うと思います。あれは別の場所では?
半魚 あら、そうですか。九州の歌だとばっかり思ってた(笑)。赤い鳥。
樫原 ハイファイセット。一人、捕まったんですよね?
半魚 捕まった、つかまった(笑)。
半魚 ところで、今回読み直して初めて気づいたのですが。ハーモニカに合せて、音符が並んでて、フリーハンドだからいままで気にも止めなかったけど、
五線で楽譜になってますよ、ここ(笑)。
ミミラシ ドシラ ファファミレミ
樫原 おお!こんなところにデビュー作の名残が?
半魚 ちゃんと、「ハルコーローノハナノエンメグル」まで、ちゃんと音階通りなんですよ。
樫原 す、すごい!このこだわりは見習わなきゃいけませんね。うーむ・・・。自己嫌悪。
半魚 嫌悪するこた、ないでしょう。
樫原 いや、僕の作品は「ウソ八百」でいつも塗りかためられてるから・・・。
半魚 「ウソ八百」は大事ですよ。
樫原 いや、僕の場合自分でもよっくこんな「ウルトラQ」ばりのウソ描けるなあってイヤになりますもん・・・。
半魚 自分をホメてんのか、「ウルトラQ」をけなしてんのか(笑)。
樫原 両方・・・ははは。「ペギラを倒すには、ペギミンHという薬草が効くのじゃ!」どひーっ!!そうか!そうだったのかー!!信じ込んでた自分がかわいそう。
半魚 わははは。僕は信じなかったけど(笑)、ネーミングのかっこよさは大事でしたね。ペギミンは、そのまんまじゃないか、みたいな。楳図のウルトラマンだと、怪獣の名前をイデが知ってたりすると、ちゃんとツッコミがあったりしたりして。
樫原 (笑)楳図のイデ隊員は「すごい」ですよね。願わくば、「ジャミラ」の巻も描いてほしかった(^_^)
半魚 ジャミラは、恐かったですよ。で、子供心に(再放送だったけど)理不尽な事件だとおもいました。
樫原 悲しくなるテーマでしたね。でもこの作品で「ウルトラマン」が1993年を想定されていたことが判明しちゃうのですよね(笑)
半魚 へー、そうなんですか。
◆ エピローグ
樫原 そして、最後のしめくくりがあるのですが、 ここで、最後のラストページで海を1ページに渡って描いてあるのは補筆ですよね?幼いころ見た記憶では次郎君のモノローグで終わってたようです。
半魚 あー、ほんとほんと。「恐怖の首なし人間」での補筆箇所、最後、海のあたりのタッチと同じですね。
樫原 そして、
「だけど もし・・・地球がほんとうに海になるのなら半魚人になった健ちゃんはかえってしあわせかもしれない
でもぼくはたったひとりの親友をなくしてしまったのだ・・・・・・・・・」
樫原 くぅーっ!!泣かせます!!「わたしは真悟」と同じ感じではありませんか?
半魚 はいはい、泣かせます。ここをどう考えるかが、この「半魚人」という作品をどう考えるか、その大きな問題の一つだと思うんですよ。
樫原 うーん・・・ここにテーマの一貫性が問われるわけですね。
半魚 で、ここって、突っ込む事はいくらでも出来るんですよね。全般的に、
猛スピードで半魚人の恐怖を描いてきて、ここにきて、急に「親友を」って、そんな叙情性を出されても……って気もしなくはない(笑)。
だいいち、親友も大事だけど、たったひとりの肉親のほうはどうするんだ!って(笑)。樫原 兄さんがいなくなって次郎君はこれからどうやって生計を・・・?
半魚 そうそう。
樫原 ・・・ラストに突っ込みの暴挙をしてしまったのですね・・・。(^o^)
半魚 「半魚人」は、「怪獣ギョー」や「ねがい」みたいな雰囲気とは、全般的に決定的に違うでしょ。『少女フレンド』連載の、「へび少女」的な、とにかく怖がらせる作品なわけですよ。でも、他方、「へび少女」などには、こういう叙情性って、全く無いですよねえ。『人魚物語』のラストは、すこし似てるかも知れないけど。
樫原 少年向けと少女向けのテーマの違い、だと言えばそれまでなのでしょうが、とかく、男の子って「友情」とか大事に扱いますよね。女の子ももちろんですけど、それは生活に根ざした上での「友情」とか「愛情」。男の子の場合は、そういうものに関係なく「友情」で結ばれている「絆」が重要な位置を占めているのではないかと思います。
半魚 なるほど。そのご意見にインスパイアされましたが、で、反論めきますが(笑)、いや、男の子の場合の「友情」も、マンガに描かれる際には、約束を守るとか、同じスポーツをやってるとか、結局は生活に根差してますよ。その点、「半魚人」のこの唐突な叙情性は、逆に生活に根差さない、樫原さんの言う「絆」が描かれてるようにも思えるのです。
樫原 (笑)確かに・・・。少女漫画には「内面感情」なくしては成立しえない状況が多いですよね。それにひきかえ少年漫画には「表面感情?」とでもいうのか、 くっきりと投影されていなければ成立しないのですよね。
半魚 そうです、そうです。少女マンガの「内面」も、むかしは、多くは「悲しみ」といった単純なのが多かったわけですけどね。
樫原 昔の少女マンガは「親子の愛情」とか「少女と動物の愛情」「女の子同士の友情」が大きい主軸を占めてましたよねえ。 「恋愛」マンガはさほど見当たらなかったようです・・・が。
半魚さんの言いたいのは、
これまで少年マンガとして成立していたものをラストで「内面感情」にすげ変えている、この「落差」をおっしゃっているのですね?
半魚 そうです、そうです。仰しゃるとおり。
樫原 僕はこう書くと男女差別のように思われるかもしれませんが「女」の場合の感情は「アナログ」的で、「男」の場合は「デジタル」なのではないのかな?といつも思うんです。
半魚 マンガ(の様式、しかもかつての)と現実のありかたとは、すこしずれがありませんか。こう書くと、差別反対論者のように思われるかもしれませんが(笑)。
樫原 楳図作品は「男」の側から見据えるとか「女」側からとかいう歴然とした背景を持たせていないような気がするんです。主人公はいるにはいるけど、それも「コマ」にすぎないような。常にオブラート、またはフィルターを通して楳図かずおのマンガ世界を見てるような・・・。
半魚 ちとむつかしい。
樫原 要は映画を見てる感覚に近いような・・・。マンガではなく。(そうなるとナレーターががぜん効力を発揮するのですよね)
半魚 映画っていうんですかねえ?ああ、なるほど。たしかに、単純に登場人物のだれかに感情移入して読める、という作品が少ないようにおもいますね。感情移入できる作品であっても、読み手によって誰に感情移入するか、ぜんぜんちがったりする(葉子じゃなくて、タマミちゃんに感情移入してる読者もかなり多い、等)。勝利や正義を描いているような単純な少年マンガは、主人公に感情移入するように描かれますよね。で、感情移入が成立しなくなると、シリアスなマンガがギャグになってします(例『巨人の星』)。
楳図の場合は、「だれそれに感情移入して読め!」というようなスタンスが、基本的に無い
ですよね。それを称して、オブラートといえませんか。樫原 そう、まさにそれ!それを言いたかったのですよ〜。
主人公はいるにはいるけど、さほどの活躍ちゅうか周囲に踊らされてるだけのコマのひとつのような感じなんですよね。悪の方がむしろ、突出してる感じですよね。登場人物の全てが「主役級」に思えたりもするんですよね。
半魚 そうですよ、そう。
樫原 楳図かずおの作品は、やはり「草紙」的な波乱万丈の世界に個性あるそれぞれの人物から成立しているのですねえ。物語の面白さっていうのはこういうことなのでしょうねえ。
半魚 「草紙」的って?
樫原 うーん・・・いわゆる昔の草紙モノって色々な登場人物がそれぞれに関連しながら事件をひきおこすっていう、感じですよね?
半魚 清張や森村の「社会派」性とかも、ですかね。
樫原 横溝正史などはその作品の影響が色濃いようです。
半魚 「草紙」っていうか、「江戸読本」的ですね。曲亭馬琴とか。
樫原 そうそう(笑)。草紙っていうのはちと違いますね。黒岩涙香という人が怪奇小説で、この手法を多用していたとかで「江戸川乱歩」「横溝正史」などが踏襲した、と言われてるようです。とにかくハラハラドキドキさせながら次回をお楽しみに〜的な感じが楳図作品にはあるんですよねえ。
半魚 読本的ですね。その後は、明治の講談。その前は、中国の白話章回小説。
樫原 なるほど。大衆のツボをつかむのはやはり「面白さの醍醐味」と分かってる昔からのワザですね。
半魚 次回の構想も無いのに、「主人公危機一髪。次回をお楽しみ」ばっかりやってちゃイカンとは思いますけどね(笑)。
樫原 ガ〜モ〜ラ〜(笑)。でも、構想はあったんですよね、楳図先生。
半魚 そうでしょうね〜。貸本屋自体が行詰まったんですよ。たぶん、
楳図は『ガモラ』完結の暁には手塚と白土を超えるのだ、とおもってたはず
です。樫原 うむっ!納得。すごいサーガですもんね、この作品。不肖カシハラが続きを落書きで書いておりますがまだとまったまま・・・(・0・)
半魚 『ガモラ』オリジナル第4巻では、中間子鉱石をめぐって、しっぽの美少女がガモラに乗っかって、十一人会と闘うようです。
樫原 美少女は唯一、ガモラと心を通じ合える相手で、猿飛博士以下の面々はすべて過去にタイムスリップしちゃうんですよね。そこで、一郎太と会い、十一人会とも戦う。んでスネークと式島くんの一騎打ちで敷島君は非業の死を遂げる。スネークは死んだかどうか判明しない状態(笑)一郎太と猿飛博士 はからくもそれぞれの現代に戻れる。という感じでしょうか?
半魚 「感じでしょうか?」と言われても(爆笑)。そこまでは書いてありませんよ。しかし、『ガモラ』に対する樫原さんの思いは、なみなみならぬものがありますね。
樫原 楳図先生はこれ、何巻まで続けるつもりだったのだろう?
半魚 終るまで、かな(笑)。なんか発言なかったでしたっけ?
樫原 あったような、なかったような・・・(笑)
半魚 半魚人に戻しましょう。
◆ 破綻の醍醐味
樫原 誰かが言ってましたが「論理的に説明」せず「破綻」だらけの横溝ワールド。楳図かずおもたぶんにストーリー作りにはこの感覚があるように思えます。
半魚 僕は、ストーリーの破綻って、すごく大事だと思うんですよ。破綻するくらいのパワフルさが、すきなんですよね。
樫原 ふむふむ。
半魚 僕が、ストーリーやトリック重視の推理小説やミステリーを嫌悪するのは、連中のやってるつじつま合せのせせこましさからなんですよ。先日、ちくま文庫で『二階堂某の手塚治ミステリーなんとか』って選集がでてましたが、セレクションはさすが一級の手塚研究家らしいマニアックな選択なんだけど、それぞれの作品がことごとくつまらない、というか、くだらない。ストーリーのつじつまがさいごにきてぴったり合うとか、そういう快感だけで作品が読める人には、楽しいんだろうけど、僕には出来ない。また、手塚は、そういうつじつま合せが、これまた上手いんですよ。でも、上手ければ上手いほど、下らない作品に見えてしまう。
樫原 うむ〜、分かる分かる。それも才能なんだろうけど。この譬は、変なのかもしれませんが推理小説とかで途中から犯人が分かってしまうと、いっきに面白くなくなるような感覚に似てませんか?こういう説明するから犯人バレバレやんかー、みたいな。上手いヒトは巧みに伏線を張りながらそうでない書きかたをするぞっ!みたいな・・・。
半魚 うん、そもそも、犯人がだれか、だけの興味ってのは、作品がやせ細ってると思いますよ。
樫原 でも(笑)僕は横溝正史作品だけはみんな怪しくて、ホントに分からなかったのですよ。ストーリーテラーのテラーたるゆえんだなあ、とつくづく思いましたねえ。
半魚 手塚のその本でおもったのは、うまいんだけど、それ以上なにもない感じがいやでした。
樫原 あたりさわりのない・・・という感じですね?
半魚 ていうか、無関心なんですよ。トリックばっかりに関心があって。ミステリーとか推理小説とか、「あー、こいつこのトリックを、必死ンなってかんがえたんだろうーなー」みたいなかんじ。努力は買うけど、読んでてはずかしい(笑)。ぼくは、そこでは楽しめない。
樫原 まさに、今それに匹敵するのが「金田一○年の事件簿」じゃありませんか?あー、腹立つ。
半魚 あれって、お子様用クイズ番組でしょう?
樫原 とにかく、あんなのが流行ってしまったことが許せんのです。何が「じっちゃんの名にかけて」だ。
半魚 そっか、横溝ファンには許せんわけですね。
樫原 終わってくれてせいせいです(笑)
半魚 逆に、犯人を最初にばらして、話が始まる『刑事コロンボ』なんか、いいとおもいます。
樫原 あー、これいいって人いっぱいいますよね。逆に崩して行く過程が面白いのでしょうね。
半魚 とぼけたコロンボが面白いんですよね。あの手の動きとか、「うちのかみさんが……」とか。ワンパターンといえばそれまでですが、なんだかリズムっちゅうもんがある(笑)。笑ってるうちに、いつのまにか犯人はコロンボの術中にはまってゆく、気づいた時には、視聴者も含めて背中が一瞬凍りますよ。ああいうだまされ方をしたいですね。
樫原 信用詐欺みたいな・・・(笑)
半魚 しかしまあ、楳図のことを「破綻だらけ」などと評するのは、ケシカランのではないですかねえ。樫原さんが言ってるって意味じゃなくて。でまあ、僕も賛同してたみたいに見えますが。
樫原 僕は「破綻」なくしてのドラマはありえない!と思ってたりします。なければ小津安二郎描く淡々とした日常の反復と繰り返しで物語は成立してしまう。
破綻があってこそ、物語は面白くなるんだと思っています。横溝も、楳図も・・・ですね。
破綻の意味を履き違えてる批評家は、所詮盲目にすぎないのだ。と勝手に思い込むことにしています。
半魚 なるほど。「物語とは何か」という、ちと本質的な問題ですね。
樫原 熱くなってしまってもうしわけないです。
半魚 いえいえ。どこに「物語」を見出すか、ということですよね。事件やトリックがないと「物語」、「劇的」じゃないと思うのは、安易な発想ですよね。
樫原 そうそう。本質に迫らなければ単なる事物の形象化にすぎませんよ。そこに至るまでの人間の確執や葛藤を読者に納得させてこそ、真の芸術が生まれるのだ!と僕は思っています。
半魚 もっとも、たいした事件も出来事もおこなせない、純文学風な小説やマンガも、困ったものがありますがね。楳図の場合には、やっぱり、同じ物を見てても、凡人にはなんとも感じないようなところに、ドラマを見れる力があると思いますね。
樫原 視点、ですね。やはり。一介の作家とは異なった視点で常に世の中を見ている。だから「結婚」もしないで今まで生きてこれたのだ、とか思うのは僕だけ?(笑)そういった意味では「横溝正史」や「江戸川乱歩」は結婚こそしていますが、視点の妙という点ではすこぶる似通っているものがあると思います。
半魚 「結婚」は、この際、関係ないんじゃないの(笑)。
樫原 いやいやあ、重要な問題ですよ〜。僕にしてみれば(笑)。
半魚 まー僕にとっても重要な問題だが(笑)。
樫原 一般社会人のように所帯を持って生活するのと、常に一歩上(もしくは別の場所)から人間を見ながら生活するのとではおのずと視点が変わるはず・・・。(結婚できないオトコの逃げ口上かなあ?)(^_^)
半魚 うん、理屈は分る(笑)。
樫原 常に人間の表面だけを見るのではなく、内面を見据える力。それが作品を生み出す源なのかもしれませんね。
半魚 そうですね。
樫原 主人公一人だけの視点に留まらず、パラレルな見方で展開させてゆく。これが作家の才能といわれるゆえんかも。
半魚 そして、僕もそういう作家が好きなんですよ。
樫原 視点の定まらないマンガなのかもしれないですね。ゆえに、読者はあーでもないこーでもないと考えてしまうような。
半魚 なるほど。「視点の定まらない」は、わるい意味でなくて、ね。そうですよ、楳図作品は、「視点が全然別のところに移動してしまうなんて、なんてすごいんだ!! 同じ物体でもまるっきり別のものに見えてしまう…」(愛の方程式)ですよ。
樫原 あーそうそう!それが楳図式作品の読み方の第1歩なんですよね。僕は、視点を変えて見る、という方法で世界観かなり変わりましたものね。
半魚 はい。ラストのセリフに話をもどしますが……。
樫原 僕はこのラストの言葉を携えて「続編」は始まり得るのだと今、描いているのですよ。叙情的なのかもしれない。でも健ちゃんは一人海の中でこれから生きていかなければならない、仲間が欲しいだろう、「友情」を育む相手が欲しいだろう、というトコから悲劇の幕が切って落とされるのです・・・。
半魚 うーむ。深い!
樫原 はいはい。ははは。お互いに行き詰まった気が・・・。
◆ 絵柄
半魚 「半魚人」の絵柄はどうですか? 樫原流で分類すると?
樫原 (笑)これは当時の少年マンガにあるかわいいキャラクターで成立している、(まさにこうでなくてはいけない!)というお手本みたいな絵柄ですよねえ。アトムやソランがもてはやされていて、単調ですっきりして見やすい線。
半魚 『少年キング』等少年画報社の作品も同時期ですが、同じ少年誌であっても、ちと違いますよね。これは推測ですが、たぶん、講談社のしめつけというか希望があったのだろうと思いますよ。『少女フレンド』も、かなり子供っぽい絵柄ですし。
樫原 キングのカラーと、マガジンのカラーがあったのは否めないでしょうねえ。ただ「ウメカニズム」で両者を比較しましたが双方ともに面白い作品を描きまくっているような気がします。
半魚 少年誌でもちゃんとやってゆける、というアピールをきっちりすべく、それまでに『ガモラ』や『恐怖の地震男』なんかを描いてた才能を、出版社のカラーに相応させながらもありったけぶちまけた、というかんじですね。
樫原 そうですね。とにかく佳品が目白押しですね。
半魚 ですね。 でも、ともかく、メジャーデビューしたばっかりだから、出版社の意向に絵柄だけはだいぶ合せている、と僕は考えたほうがいいように思ってきました、最近。楳図本人も、「ちょっと子供っぽいな」と感じながら、描き分けていた、という風に。
樫原 何で描き分けができるの〜?(笑)僕にはそういう芸当できません・・・。やはり・・・ヘタ?
半魚 じゃあ、がんばってください(笑)。
樫原 うは〜。
◆ 少年キングはえらい
樫原 ただ、キングって「マイナー」で。マガジンは「メジャー」なイメージがあるってのは、当時のお子様だった僕らはそうとらえていましたねえ。
半魚 キングはマイナーでしたね。かっこわるかった。楳図はもう描いてない頃でしたが、イトコの家に遊びに行ったら、キングを買ってるんですね、そいつは。ミョーな趣味だなあ、と思いました。
樫原 分かる分かる。僕もキングはそんなに読んだ記憶がないもの。「マガジン」か「ジャンプ」でしたね。(今もそうかな)
半魚 ところが、中学生の終りくらいの頃(チャンピオン全盛時代)に「キング」を見たら、『ワイルド7』や『銀河鉄道999』、『まんが道』なんかをやってる、すごい雑誌だったんですよね。
樫原 ひえ〜、そうなんですか?おそるべし!「キング」!
半魚 『ワイルド7』も、『新ワイルド7』になったら、武器の蘊蓄なんかがメインになっちゃって、実に面白くなくなりました。
樫原 あはは、ワイルド7!「望月ミキヤ(漢字忘れました)」ですね?個人的のあのヒトのマンガは見づらいので読んだためしがなかった(笑)聖日出男・・・アシスタント?
半魚 ワイルド7は、高校時代にはまりましたよ。今、読んでも面白いです。「男の優しさ」(爆笑)みたいなのを描いてると思うんですが、これがなかなか共感できるんだなあ。本宮ひろしみたいな、バカで野卑なだけが男、みたいなのじゃないところが良いです。
樫原 ふうん。そうなんですか・・・。僕は内容とか全く覚えてないなあ。テレビでやってたのは覚えてますが・・・。
半魚 実写版はショボかったかなあ。おまえがやれぬことならば〜。
樫原 オノシンヤとか、出演してましたねえ。ナツキヨウスケも出てたんだっけ?
半魚 オノシンヤ、名前忘れてました。本田博太郎に似てる。