dialogue.umezu.半魚文庫

ウメズ・ダイアローグ(5)

ティーンルック・シリーズ


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樫原かずみと高橋半魚の楳図対談です。この対談は、メールによって行なわれました。

対談期間: 2001-07-06 〜 2001-09-12
2000(C)KASHIHARA Kazumi / TAKAHASHI hangyo


半魚 さて、後半は次の4作品を扱います。

  1. 蛇娘と白髪魔
  2. 蝶の墓
  3. 灰色の待合室
  4. おそれ

樫原 今回は僕は、作品の内容もですが絵の「タッチ」について重点的に語りたいとか思っています)

半魚 それはいいアイディアですね。

◆蛇娘と白髪魔

半魚 これは既に「ヘビシリーズ」の時やりましたね。先日(7月10日)に、別冊『ヤングジャンプ』に再掲載されてました。その関連記事でわかったのですが、映画の企画のほうが先にあって、それが『赤んぼ少女』と『ママがこわい』をミックスするというもので、その映画企画に沿って、再度描き直されたのが本作『蛇娘と白髪魔』なんだそうですね。決して本作は、『赤んぼ少女』の安易なリメイクでもなく、また、映画も「よりによってこんなリメイク作品を……」というわけでもなかったんですね。

樫原 そうだったのですか。すごい演出の下で作成された作品だったのですね。改めて脱帽。この後の企画にあったという実写版「ねこ目小僧」も実現してほしかったなあ。

半魚 そんなのあったんですか。

樫原 東映系の特撮映画特集の本にかような記述がありました。今度、その文面を調べておきます。

半魚 へー、そうですか。

樫原 竹書房から「ガメラ画報」という大映映画の特撮を扱った本ですが、ここに「蛇娘と白髪魔」の項目があるのです。

 この作品は「妖怪大戦争」との併映作品だったようです。私もこの2本立てで見た記憶がありまする。

半魚 ほうほう。

樫原 その142ページの写真の下にチラと▲大映東京撮影所が「ガメラ」に次ぐシリーズ化を意図した楳図恐怖映画の第1弾で次の予定は「猫目小僧」だったという記述があります。

半魚 惜しかったですね。

樫原 考えてみれば、1960年代の楳図作品の集大成のひとつとして、この映画化があるのかもしれないですね。

半魚 なるほどね。あの子役も上手いですしね。

樫原 今は、相模原でプロボウラーとして活躍中だとか・・・(^_^)

半魚 以前、仰しゃってましたね。300とか出してるのかな。

樫原 ずいぶんとおデブちゃんになりもうした・・・・。

私は、この映画を5歳か6歳の頃に映画館で観たのですが、(姉と、姉の友達に連れられて)最初、あまりの怖さに号泣してしまい、最後の悲しい場面でも号泣してしまったという記憶があります(^_^)

半魚 ははは。でも、こわいですよ。白黒だし(笑い)。

樫原 雰囲気的にも、どろどろしてる感がありますよねえ。

半魚 ええ、ええ。

樫原 姉がその後「あんたとは、これから一緒に映画観にいかない!」といわれたのを記憶しております。

半魚 あはは。最初っから、つれてくのがムリよ。でも、お姉さん、よくそんな怖いのを見に行きますね。美香ねえちゃんとおぼっちゃんみたいですね。

樫原 まんま、あの姉弟みたいな・・・(^_^)

半魚 はは。

樫原 個人的に「白髪魔」というのが非常に謎で不気味な存在でした。

半魚 白髪魔は、タマミよりも、わるいヤツですね。

樫原 しげさん・・・。鬼頭しげ という名前らしいですね。(^_^)

 この「蛇娘と白髪魔」に関しては以前のヘビ女の項目でも書いたのですが、「紅グモ」「赤んぼ少女」「ママがこわい」「ミイラ先生」といった楳図のこれまでの少女漫画のいいとこ取りみたいな作品でしたね。某有名監督いわく、「反復とくりかえし」の作品。これに尽きるのでしょうね。

 考えれば、昔の絵柄ではなく、最高画質の絵柄で見られる読者にはこれとない贈り物かもしれませんね。しかも映画化作品ですから・・・。希少価値のある一篇かも。

◆蝶の墓

半魚 『ティーンルック』作品上での最高傑作がこれですかね。個人的にはそう思います。

樫原 さほど、恐怖シーンをあおる個所はないのに、かなりジワジワと真綿でノドをしめつけるような閉塞感のする作品ですね。今でいうなら極上のサイコホラーってトコでしょうか。

半魚 ですね。サイコものっぽい。

樫原 「おろち」と並行して描かれていた頃ですよね。「心理描写」というのが実に見事に伏線と共に描かれていますよね。

半魚 いや、平行じゃないでしょう。1年くらい前ですよ。でも、つまり「おろち」はすでにここらあたりで準備されてた感じですね。

 冒頭は、楳図らしくナレーションで始まります。

 くどいナレーションのようにも一見みえますが、よくよくかみしめると、「なぜそのような蝶を見るようになったのか」と「むしろあの人のために」と、もうここで2つの秘密がきっちり伏線として、読者の期待をあおるかたちで銘記されてるんですね。

樫原 そうそう。あの人ってのがミソですね。

 私は、「恋をした」というナレーションが当時、すごく好きでした。

半魚 ほんと、ここいいですね。「恋をした」。うーん、いーなー(笑い)

樫原 それと誇らしげな笑みを浮かべるめぐみのお母さんの顔。

半魚 ふむふむ。

樫原 めぐみのお母さんが屋敷の中で驚くシーンに1ページ使ってますね。寸分もムダのない屋敷内の描写。うますぎます。

半魚 はいー。

 で、斜めの線とかも多いし、単純な透視遠近法じゃなくて、楳図が描くとエッシャー風にも見えますね(笑い)。

樫原 ダリの有名な絵が表紙にもなっていましたよね。確か。

半魚 ああ、ほんとだ。卵もってるやつね。

 で、壁の木目とか、模様とか、こわいっすよね。

樫原 背景描写でもキチンと怖がらせてくれる・・・うーん大切な要素ですね。こうしてみると、背景ってのは。

半魚 まー、そりゃそうでしょう(笑い)。木目は、大事ですよね。

樫原 あと、楳図独特の模様ありますよね。(添付資料1参照)

半魚 この添付資料という手法、いいですね。

樫原 加えて、めぐみの髪型がこれまでの楳図作品の髪型と微妙に違うのに注目して欲しいですね。(添付資料2参照)

半魚 なるほどね。楳図作品の女の子たちは、一様に、髪型や服装などファッションに工夫がありますよね。また、それでいて、髪型だけで描き分ける、とかいうやり方もしてないし。

樫原 そうそう。顔は同じなんですよね。微妙に目がつりあがってるとかその程度。美人系の顔は。

半魚 おんなじってのは、どーかなー(笑い)。

樫原 「美」はひとつ。(^_^)

半魚 んー。おたがいくいさがる。笑い。

 主人公は、丘ノ上めぐみっていうのですね。麻丘めぐみのデビュー前ですよね。

樫原 (^_^)康夫さん、左利き?僕は左利き(^_^)

半魚 あはは。

 最初に、室内で蝶に脅える部分、この蝶は描き直しされてますね。

樫原 本当だ。くりぬいたような跡が・・・。

半魚 まずは、蝶をこわがる少女。しかし原因は謎!という出だしです。

樫原 最後の最後までひきますよねえ、この謎。

半魚 この作品がストーリー的に優れているのは、ミステリーであるにも関わらず、ミステリー仕立てにしてない、それに寄掛かってない、というところだと思うんですよ。

樫原 ふむ。決して世に出回ってるミステリー系のマンガとは一線を画してますね、確かに。

半魚 めぐみの母が、ベランダから落ちて死ぬ。で、これは単なる事故でなく、原因があったんですね。ふつうミステリー「仕立て」だと、それを謎として最初に銘記し、その謎解きをストーリーの中心にすえるわけです。ところが、本作は、その事や、母が影に脅えることなど、母の思い込みかなにかのようにわざと見做して、たんなる事故のように見掛けるわけですよ。これが、単なるミステリー、事件モノではなくて、サイコ物になってゆく方法論でもあると思うんですね。しかし、「生れたばかりの赤ちゃんがその頃の出来事を覚えているはずがあるでしょうか」などと、きっちり伏線は張ってあるんですね。

樫原 練りに練られた作品だというのが、このあたりからでも伺えますよね。

半魚 はいー。子供の頃の記憶を、実はしっかり覚えていたんですね。こういう作品を読むと、トラウマなんて言葉を知らない年代でも、なんだか自分の幼少時の記憶とかに思いを廻らしてしまうような、そんな不思議な怖さがありますね。

樫原 ありますねえ。これは今でこそ「トラウマ」を連発して何でもかんでも「幼少時のトラウマが」とかしかつめらしくいうお子ちゃまが多いですけど、あれは完璧に精神的障害を併発したときに使う用語だってこと、知ってて使ってる方はいらっしゃるのかしらねえ?あんたのはトラウマでも何でもない、ただのヤな思い出なんだよって言いたくなるけど内なる仮面をかぶった樫原は言えない(^_^)

半魚 あははは。二重人格とかも、軽い使われ方してましたね。

樫原 今は多重人格とかいうのがあってもう好きにしてくれぃってな感じです。

半魚 はは。最近は多重の報道なども普及して、理解が深まってきましたが、すこし前までは、『5番目のサリー』の解説で中島梓が「私も小説も書けば日舞もやって……(中略)多重人格だ」とかあほなことを言ってました。

樫原 それはあんた、性格にしまりがないだけやんかーって。(^_^)

半魚 そうそう。

樫原 なにげない日記の詩のような内容がステキ。「私は冬が好き」なんて、ね。

半魚 「そこには蝶がいないから」なんて、かなり象徴詩ですよ。 あるいは、ベタベタですが(笑い)。

 ふつう、壊れたベランダ、直すんじゃないかな。

樫原 ははは。あの日のまんまなんですよね。お父さんの考えなのかな?(だったら、再婚すんなって!)

半魚 まー、いやな思い出のはずだから、直すんじゃないかなーと思うんですけどね。

樫原 そこがブルジョワですかねえ(^_^)

半魚 いや、資産の問題ではなく(笑い)。

樫原 しかし!おしの多吉が、この場合はキーマンとなるのだな。

半魚 多吉の出現は、反則ですよ(笑い)。このパターン、『神の左手悪魔の右手』の蜘蛛女王の時でも使ってますよね。

樫原 あわわ、そっちのカエルみたいなじいさんも怖いけど・・・。

半魚 墓にいたずらをするから見張ってる、という設定もきっちり伏線になってるのですね。

樫原 あれは、新しいお母さんが何かをしていたのでしたっけ?

半魚 なんか、陰湿ないたずらをしてるんですね。

樫原 墓に穴をあけたりして・・・何のために???

半魚 そして、「まぼろしの蝶が見える」になりますね。

樫原 でかい人間並みの蝶が最初ですかね?めぐみのお母さんのお墓から出てくる。

半魚 あ、いや。お父さんの車のが最初。

樫原 ああ、そうそう。ねえやが助かったと思いきや、気絶する前にスカートを直すという快挙をやってのける。

半魚 快挙っていうか、ちょっと浮いてる感じのキャラではありました。

樫原 最後でもしっかり登場しておりますねえ。しっとりと・・・。

半魚 まともな役ですね。

樫原 今なら園佳代子にやらせたい役かな?

半魚 サッサのおばさんね。もう、昔じゃないの(笑い)。

樫原 ふ、古い・・・。野村昭子なんかもグーですね。

半魚 あら、その人、しらんです。

樫原 名バイプレイヤーおばさん。カネゴンにも出てました。(^_^)

半魚 そうですか。顔見ればわかると思いますが。それはともかく。

樫原 あんなでかいの出たら誰でも怖いなあ・・・。

半魚 あー、はい。墓からの蝶ね。

 んー。まあまあでかい、というくらいだと思うけど、アップで描かれたりしてるからも物凄くでかく思えたりしますね。

樫原 食われそうですよ。「蝶の舌」でちうちうと体液を。

半魚 あはは。

 「蝶々ってミヤコ蝶々のこと」「ばかねあんた」が笑えますよ。ボケも可笑しいが、ツッコミもなかなかストレートです。

樫原 女子学生の「おマヌケ」な会話はここでも生きてますね(^_^)

半魚 マヌケなんじゃなくて、かなり上等なマンザイですよ。

樫原 前回の「映像」も「偶然を呼ぶ手紙」でも、このかけあいがありましたよねえ。ティーンルック読者へのサービスみたいですね。

 この後は「あなたの青い火が消える」と同様な超能力が出現して、さまざまな事件を巻き起こしてます。しかし、これも単なる伏線なのですね。ううむ。

半魚 そうなんですね。まだ全然、事件の全貌に迫るものではない。だけと、これだけでも結構もりあがります。

樫原 不気味なエピソードを連ねることで緊張感が盛り上がりますね。

半魚 逆に言うと、ここまで読者を驚かせて、逆に、この風呂敷どうやって仕舞うのかな、と期待もさせてくれます。

樫原 ほーんと。楳図の意外なドンデン返しにはいつもながら驚かされるのだけど、これは今テレビドラマでもすればみんな「ハーッ」と溜息をつきそうだけどなあ・・・。

 クラスメートが、明らかにアシスタントが描いてる!というコマもありますね。

半魚 おやおや、それはどこですか?

樫原 101ページ(ハロウィン少女コミック館版)の生徒の面々。ここだけですね。後はご本人みたいです。

半魚 ほんと〜、これ、ひどいですね。

 花井さん、いじわるですね。「ちくしょうにげた」は、いいセリフです。

樫原 お下品な、花井さん。本性が見えますわ。

半魚 で、花井さんの蝶は、胸元に見えるんですね。

樫原 あの、1ページを使ったコマは美しいですね。そのままステキなイラストみたいで・・・。

半魚 これは綺麗な絵ですね。

 教室で見た蝶のストーリーは、「4年目の怪」に似てますね。

樫原 不幸ごとの逆パターンですね。「うばわれた心臓」もそうかな?

半魚 なるほどね。

 ピンキーも、蝶に呪われました(笑い)。

樫原 これって、当時ピンキー本当に何かで大怪我してませんでしたっけ?そのパロディかな?と思ったりしたのですが・・・思い違いかな?

半魚 あー、そんな気もしてきました。ちょっと前にピンキー、『徹子の部屋』に出てました(見てるおれ)。

樫原 テレビ少年。

半魚 新しい母がきます。

樫原 美しい。私好みの和風美人。

半魚 あはは。

樫原 この作品の奥様は、まんま「横溝作品」のヒロインにピッタシと思うのは私だけ?

半魚 まー、そりゃよくわからんけど(笑い)。

 この、祖母の存在は、ストーリーに深みを与えてますね。家族というか家柄というか、そういうのが加わることで、厚みをましている。

樫原 「ふん、あたしゃめぐみがきらいですよ」というセリフ。なかなかイけてます。おばあさんの性格をあらわしてる。

 ところで、楳図作品に登場するおばあさんってたいていすごく「良い」おばあちゃんって感じですけど、この作品のおばあさまだけは「姑」そのものちゅう感じですね。他にはなかったような気がします・・・。

半魚 んー、確かに思い出せない。私の記憶の悪さも含めてですが。

 新お母さんのベッドの蝶々は、こりゃ、ほんとにでかいですね。

樫原 フトンに燐粉が相当つきそうな・・・(^_^)

半魚 弁当箱の蝶は、『闇のアルバム』のパロディですよ。

樫原 あれって・・・よく分からないけどすごいイヤな発想。イヤがらせそのものですよね。めぐみさん、どうしてあれを証拠の品としてお父さんやおばあさまに見せなかったのかしら?

半魚 そりゃ、「あんたがいれたんでしょ」って言われりゃおしまいだもん(笑い)。

樫原 ああ、そうか。母親へのいやがらせと思われて終わりか。

半魚 でまあ、めぐみが新お母さんを嫌うのは、父や産みの母への愛情や独占欲のようなものかなー、と女のエゴイズムが狂気に変ってゆくようなストーリーかなー、と一見思わせますね。

樫原 そうそう。でもお父さんの目が見えなくなるなど、すごい伏線はキチンと蜘蛛の巣のようにはりめぐらせてますねえ。

半魚 まあ考えてみると、愛してるはずの新ママは、お父さんの目を失明させようというのだから、この曲がった愛はすざまじいですね。おお、『百本めの針』ってのもありましたね。

樫原 おお怖い。人を呪わば・・・。

半魚 まあ、楳図作品は、そこを因果応報的には作りませんけどね。

樫原 少女漫画の場合は「勧善懲悪」の図が成立してますが、少年漫画の場合はこれ、あえて避けていますよね。でもしっかりとした終わり方。

半魚 楳図の場合ですか?一般的な少年マンガ、少女マンガの場合?

樫原 楳図の場合ですね。「復讐鬼人」にしても「死者の行進」にしてもなんだか後味の悪いまま終わってます。当時皆、こういう感じだったのかな?

半魚 ああ、なるほど。少女マンガの場合も、楳図は勧善懲悪ではなくて、鎮魂ですよ。魔物は鎮めておかねばならない、一応、という。

樫原 そうそう、悪の存在というのはないんですよね。楳図の場合。どれも人間のエゴから来てるだけ、みたいな。

半魚 そうそう。

 単純な因果応報や勧善懲悪は、古賀新一の「エコエコ」なんかですよ。悪いやつが、黒井ミサにやられる、という。単純な教訓調というか。

樫原 ははは。古賀新一の作品は(というか絵柄そのもの)楳図とは違い日野日出志(?)なんかと似た「汚さ」(?)があるように思えるんです。楳図は内容そのものはエグイけど、絵がキレイな分購入意欲をかきたてる、みたいな。

半魚 てより、並べて論じる意味がない、というか(笑い)。

樫原 私は幼い頃、楳図のフレンドと古賀のマーガレットが人気を2分してた時期があったように思えるのですよ。あの頃から楳図と違う、古賀の違和感をぬぐい去ることができないのです。

半魚 はい。

樫原 それでも、当時どちらも「怖い!」ということで読んでましたね。おそらく古賀の作品でしょうが、付録にあった「ヘビ」ものがあったんですね。4分割のコマで美しい女がヘビ女に変わってゆくシーンはすごいなあ、と思った。

半魚 ふむ。

樫原 古賀、日出志が日本的乱歩調なら楳図はイギリスのポー風みたいな・・・。(ちょっと違うかな・・・)

半魚 乱歩と楳図に失礼ではないですか。

樫原 失礼しました(^_^)

半魚 よく、楳図と水木を比較する人もいますが、それもあんまり意味ない、有効性が無いと思います。

樫原 あのお二人は作風というか、毛色というか別物の気がしますねえ。僕はさしずめ、昭和40年代の楳図と古賀の作品をじっくりと比較してみたい。

半魚 すいません。ぼくは、較べるまでもない、と思ってますけどね(笑)。水木と違うのと同程度で、古賀とも違う。

 ともあれ、黒井ミサがドラマ(Vシネマ?)化され、おろちがされないという、日本の文化レベルの低さを思うに、少々怒れます。なぜだと思いますか。

所詮、現在のマンガ文化はキャラクターの消費

なんですよ。

樫原 ふむ。確かに。でも、日本の文化レベルの低さは80年代から急激に沈み始めましたねえ。今20歳の若者と、80年代に20歳だった僕ら。見かけはそう違わないようだけど、意識化では違いが歴然としてますね。

半魚 僕らがまともだ、とは思いませんけどね。

樫原 そう。今の若い子らの方がまともなのかもしれないつうことです。ウェットとドライの差みたいな。

半魚 ふーむ。

樫原 だからというわけではないのですが、僕は日本で作るホラーものの映画というのは見たことがないのです。レベルの低さを証明してるようなものですからねえ。エロものとそう変わりないような気がしたりするのですよ。

半魚 エロものだっていいのはあるんじゃないですか。それに、外国のだって下らないのはくだらないでしょうし。

樫原 (^_^)裏ビデオ並の作り方ですよ。日本のホラーって。ただ「おぞましい」シーンを羅列するだけ。そのくりかえし。外国製のポルノの方がまだアングルとかまとも。醜の中にも「美」が見える。

半魚 日本のホラーも、ホラーとは言えないかもしれませんが、去年とか『うずまき』や『さくや妖怪伝』なんかは、非常によかったけどなあ。

樫原 そうですか。見てないのでなんともいえないのですけど・・・。ある意味、いい俳優さん(もしくは有名な)を起用するというのはいい作品につながるのかもしれませんね。

半魚 初音映莉子、かわいかったなあ。

樫原 すみません。それ誰ですか?(恥)

半魚 あ、いや、忘れてください(照)。どうぞ、お続けください。

樫原 それに、日本製のはどうしても生活背景が見えてくるから現実味がまったくないのです。

 未知の国の作るホラーの方が面白いのはそういうことかもしれないですね。

半魚 まあそれは、ネイティブだってことで不利なのかもしれませんがね。そもそも、人によっては邦画は嫌い、洋画が好き、ってはっきりしてる人もいますからね。でも、日常に潜む恐怖を描くという点では、ネイティブな風景を描き出し、ネイティブにしか分からない恐怖ってのもあると思いますよ。

樫原 都会よりは、地方。地方でもかなりの辺境な土地。そういう舞台の方がゾクゾクしてきませんか?都会だとどうしてもサスペンスタッチになってしまいそうな・・・。土曜ワイド劇場〜!!みたいな。

半魚 都市にも都市の恐怖はあるんでしょうけどね。ストーカー物は田舎でやっても、ちょっと違う気がするし(笑い)。

樫原 でしょ?都会的なホラーってのは「通り魔」的な突然起こるみたいのがふさわしいですよね。(これはこれでかなり怖いでしょうけど)田舎=血族=怨念=憎悪 という 因習が今も日本では大分にあるのでしょうね。所詮日本人。されど日本人なのでしょうね。

半魚 うんうん。

樫原 あと、見ていて「ゾッ」とさせるのは古い日本家屋やひなびた家や街角。歴史が物語るというのは案外、本当かもしれないな、などと田舎に住んでいる私は思うのです。

半魚 まあ、日本ならではの風景ってのは、あるでしょうね。

 たとえば、『プレアウィッチ・プロジェクト』なんか、あれは森の恐怖を描いた作品でもあるけど、青木が原の樹海は別としても、どうやっても3日も歩けば街や海に出てしまう島国日本では分からない恐怖ですよ。

樫原 そうですね。若い日本の子はあの作品に対して「川べりに沿って歩いてたらそのうちどこかに出るはず」なんてのたまっていましたけど、非常に日本的だなあと思った。

半魚 まー、話をもどしますが。

 めぐみは、精神病院に強制入院させられる。

樫原 潜在意識、催眠療法、○○恐怖症・・・・ここで精神病用語(?)が説明されますが、非常に興味深いトコですね。

 まだ若かりし頃(?)はこのあたりの解説は難解でしたが、今読むと、うむむですよね。

半魚 精神病院で、蝶が吹き矢をふきますね。これも、新お母さんが犯人ということを、読者にまだ確実に見せないためのテクニックとして、それ以前からの伏線も含めて、絶妙ですね。

樫原 デカイ蝶の姿なんですよね。

 ここで、面白いのは、めぐみさんが、とっさに死んだふりをして動物の自己防衛だというト書きのくだり。

半魚 ふむ。

樫原 なにげに解説を加えてますが、当時はこういう説明がないと、分かってくれる読者層ではなかったのですかね?

半魚 しんだふりって、やっぱり何かしらの解説ほしいところですよ。

樫原 僕だったら、倒れた後でなにげに薄めを開くシーンをいれるかな。

半魚 ふーむ。

樫原 しかし、火まで放ってますね、怖い人です。徹底的な方ですね。

半魚 あぶないです。

樫原 推理小説をひもとくように、糸がほぐされていく個所は圧巻ですね。思いもよらぬ究極の結末!!!。真犯人はやはり死ぬしかないのかあ・・・。

半魚 あはは。多吉やばあやが殺されてるのは、これは結構ショッキングなはこび方ですね。

樫原 しかも、ばあやの口から書きかけの手紙がポロと落ちる。怖いですよ、このシーン。

半魚 ダイイングメッセージですね。

樫原 (笑)真悟の項目を思い出してしまった・・・。

 それにしても「おろち」の「骨」という作品の主人公の女と、この奥様、類似してるように思えますねえ・・・。

半魚 見た目も似てますね。髪の毛が逆立ってるますからね。千恵子(だったかな)と比べてみると面白いと思うんですが、こちらの新ママは「最初からアブナイ人」、「骨」の千恵子は「最後にアブナイ人」みたいに思いがちだけど、案外、ふたりとも、正常と異常とが共存してたのかもなあ、とか感じられます。

樫原 ところが、二人の共通点に気づきました。二人とも「しあわせがほしい」それだけのために大きな犠牲を払って生きているのです。それを考えると、あながち本質的には狂ってないな、と。女はたくましい、というか怖い。信じちゃいけない。(^_^)

半魚 楳図が言うところの、「大きいところと、小さいところが逆転してしまう」かな。学校が嫌いなら行かなきゃいいだけなのに、学校を破壊しようとしてしまう、みたいな。

樫原 ああ、そんな感じ。

半魚 それと、境遇も似てるのかな。

樫原 はは。めぐみの新ママは、なかなか資産家の娘ぽく描かれてません?

半魚 かなりいいとこって感じですね。姑さんも、反対はしてないのでしょうね。たぶん、お父さんが、そういう反対を押切って、めぐみの母と結婚したんでしょうね。

樫原 そうそう、そんな雰囲気が伺えますね。でも、おばあちゃんの性格だから誰がきても姑根性発揮しそう・・・。

半魚 そんなかんじですね。

樫原 女というのは悲しい生き物。でもたくましい。自分のためならどんな犠牲もいとわない・・・って感じですか?

半魚 あはは。まあ、女からみれば、男はノーテンキな生き物なのでしょうね。高也や谷川先生なんかのほうが、よっぽどダメーな生き物よ。

樫原 (^_^)出ました。久々に。高也&谷川責め!

半魚 久々じゃないですよ(笑い)。つねづね思ってますね、ぼくは。

樫原 オトコ、嫌いなんですね〜(^_^)

半魚 いや、

高也や谷川は、あれすこし変えると、『漂流教室』の若原先生ですよ。

樫原 ああ、浅はかなオトコの図。プレッシャーに負けて気が狂うのね。関谷はどーですか?(^_^)

半魚 プレッシャーに負けて、つうか、ともかく「私は正常だし、君のことも理解できる」と信じきってる傲慢さが、いやですね。関谷は偉いですよ。人を理解しようとしてないから。

樫原 ああ、分かった。半魚さんの嫌いなタイプ。ワタシは、常識人間だ。自分のことも分かるけど君らのこともよく分かってるんだゾ!という雰囲気を出す人ですね。でも、その実、自分自身のことすら分かっていなんじゃないの?みたいな人ね。

半魚 そういうことですよ。分かった風なやつ。で、もう凝固まってる。

樫原 ははは、じゃ、僕は嫌われるタイプかなあ。

半魚 えー、そうかい?(笑い)。

樫原 いっつも「君の醜い顔は醜い心のあらわれだっ!」と言ってますよ〜。女性に。(^_^)

半魚 言われたほうは、そりゃ、嫌うだろうなあ(笑い)。おまえに言われたくない、って(笑い)。

樫原 ははは。確かに。

 それはともかく、以前にも何かの対談で出たと思うのですがこの「蝶の墓」に関する「謎」の部分を述べてみたいと思います。

 ラストでめぐみが子供を抱いて回想するシーンで最後に手紙を書いています。結婚して子供が産まれてるってのは分かりますが、手紙の相手は「友達の康夫さんに」と書かれています。

半魚 それそれ。大事なことわすれてました。

樫原 すると、めぐみは康夫と結婚したのではなく、康夫の友達と結婚したということですね。ここで、またすごいドラマが展開したように思えるのですが・・・。

半魚 すごいドラマかどうかはともかく、まずは理屈っぽい解釈で言えば、めぐみは、蝶に対する不安を完全に克服して、その後の生を生き、自立した女性になったということですよね。一緒に危機を乗り越えた男と結ばれる、といった単線的な生き方をしていない。これを、ストーリーの解釈ではなく、楳図の作法という面で考えると、

楳図独特のリアリティ

というものだと思います。反―物語的と言ってもいい。「物語」が持つ収束的なラストの持って行き方ってのは、まさに物語だからこそであって、現実には、ハリウッド映画みたいに困難を乗切った男女がうまく結婚生活まで送れるかどうか、保証はどこにもない。でも、物語だからそれでハッピーエンドにしてしまう、物語ならではのお約束がある。

ところが、楳図の場合は、そういう物語が持つお約束みたいなものを、ことごとく崩してゆくようなところがあるのですよ。『漂流教室』の高松翔だって、その後大人になって結婚するでしょうが、相手は、咲っぺでもないし、西さんでもないかもしれない。その後、翔がどう生き、選択してゆくか、いまはまだ分からないのが現実(リアリティ)というものです。

物語は収束されるが、現実は拡散しているのです。

着ている服ひとつとったって、現実は拡散している。サリーちゃんやアッコちゃんは、女の子なのに毎回同じ服着てますよね。楳図には、そういうお約束がない。楳図の場合には、こうした現実の拡散性に対する洞察にさえも、一抹の恐怖を僕は感じます。

樫原 なるほど。この読みがないとうっかり見過ごしてしまいそうなヒトコマの「謎」でしたね。

半魚 因みにいうと、こういう現実性から一番遠い文芸形式が推理小説ですね。だから、幼稚だっていうんです。

樫原 あはは。理詰めのお話には辟易ですか?

半魚 「理詰め」とは違います。

樫原 おや?どんなものなのでしょう?

半魚 それから、冒頭からの回想ナレーションは、この「蝶の墓」の前で語られたものだということがラストではっきり明示され、その後は回想後の現在の時間が流れてゆきますね。手紙は、回想の内容は含みますが、執筆しているのはその後の時間。このナレーション構造は実にすっきりしていて、『わたしは真悟』の複雑さまでには至っていませんが、ともあれ、読者もながーい旅をしてた気分になります。

樫原 そうですね。冒頭とラストで同じ感覚にするのは常套手段ですが、見事にト書きが生かされていますね。

半魚 それと、ラストのコマの、窓から見える蝶々の大群は、とても素晴らしいエンディングです。パターンとしては、『漂流教室』も同じく、窓から見ている後ろ姿ですが、こちらもそれに劣りませんね。

樫原 うーん。余韻を残すラスト。「赤毛のアン」(アニメ版)を見た後の感動に近いものがありました。

半魚 見てないんで(笑い)。

樫原 漂流教室のラストは、私本誌でリアルタイムで見ながら本気で泣きましたよ。お母さんの気持ちに見事感情移入しちゃって。

半魚 小六か中一でしょ?いいお母さんになれる素質があります、かな。お母さんに感情移入してたんですかね。うまく表現できませんが、長旅の全体を振り返って、その圧倒さ加減に泣けてくるんじゃないのでしょうかね。ぼく自身は、今ならかなり、高松恵美子の持つ喪失感と充足感の渾然一体と化した感情を想像できますが、それでも同じものじゃないだろうなと思いますけどね。まあ、僕の気持ちではなく、樫原さんの気持ちなんだから、僕が訂正するわけには行きませんが(笑い)。

樫原 あの玄関のトコで何日も何日も「待つ」姿です。ノートを抱きしめながら泣いてる姿に感動したのでしょうね。何でだろう。泣けてしょうがなかったですね。

◆灰色の待合室

半魚 この作品だけ、単行本では秋田書店の『恐怖』とかに入っているんですね。どういう理由なんですかね。

樫原 絵美子でずっと通してきたのにここで違う主人公登場。ちょっと残念。あい子さんでしたっけ?

半魚 杏子さん、みたいですね。

樫原 楳図作品掲載バージョンの謎のひとつですかね。(^_^)「双頭の巨人」と同じく・・・。これは絵のタッチの謎か。

半魚 んー、まあ。ティーンルックの諸作品は、発表後すぐにはまとまっては単行本になってませんからねえ。秋田のデーコミで『恐怖』を作る際に、ページ合せのためか、ここから短編を持ってきたのですかね。

樫原 「恐怖」というタイトルロールにピッタシだと踏んだのかな。

半魚 たしかに、結果論かも知れませんが、ティーンルックでの、いわば初期心理ドラマに比べて、かなり物理的な恐怖の作品ではありますね。

樫原 そう言われれば、即物的な恐怖モノという点で、他の作品とは異質かも・・・。後のは「心理的」恐怖のウェイト高いですもんね。

半魚 これは、都市伝説風という感じですね。まあ、この時代には、都市伝説なんて言葉はなかったけど。

樫原 楳図には珍しく「幽霊」ものですよね。しかし病院と、雨と額の(顔)の外傷と、シチュエーションは「恐怖」そのものみたいな・・・。「灰色の・・・」っていうのがいかにも雨しょぼしょぼの陰鬱な雰囲気ですねえ。

半魚 幽霊ものは、基本的に珍しいですよ。まあ、「おみっちゃん」とか「ゆうれいがやってくる」とか、あるにはあるけど、基本的には珍しいですよ。

 一般人には、恐怖=幽霊(心霊)と思ってる人って多いですよね。ほとんどイコールとして考えてる。楳図は、心霊現象とかにまったく興味がないし、そういう図式は全くない。つのだじろうなんかに代表されるように、これはおいしいネタなんだと思うけど、楳図はあえてそれを採らない。西洋だと、恐怖=モンスター(異生物)という図式が一般的かな。楳図は、こちらに近いけど、それでも、そういう図式や既成概念で恐怖を捉えておらず、もっと自由な発想ですよ。

樫原 僕は楳図作品の根底にあるのは人間の「心」の欲望がそのまま形になってるんじゃないかな、ということです。それは、悪魔のような異形でもあり、天使のように美しいものでもあり、みたいな。

半魚 で、たぶん、その欲望が悪魔か天使かの違いは、それぞれの心に悪魔や天使のタネが内在しているのではなく、外側からの視点の違いにしか依存していないのではないか、ということですね。

樫原 そうそう。そうです。所詮は人間の心が作り出した「美」や「醜さ」「心」が形に表れるという楳図の理念そのまま。それを敏感に読み取った人間はその悲劇に巻き込まれる。

樫原 「洗礼」のラストそのものですかね。(^_^)

半魚 つながりますね。

樫原 その中にも「美」に対する執念を描いてるってのはやはり楳図ならではですねえ。フツーなら、むげに殺されたうらみやつらみで復讐をするのにな。

半魚 まあ、この場合は、「美」よりも、普通に顔の手術の失敗を恨んでるんでしょ。ここでは、杏子の美への潜在意識や醜へのおそれが、石屋さんの幽霊(幻想)を現した、とかいうプロットでもないですし。

樫原 純粋に「幽霊の復讐譚」ですね。杏子さんは活躍してませんもんね。でもこれってある意味、怖いですよね。意外性を追求してるみたいな。

半魚 まあ、厳しく言えば、中途半端とも言えるわけですが、ストーリーはともかく、見せ方は良いですよ。すこし無責任な作りだったりして。

樫原 この医者と患者のカラミは「われた釣り鐘」にも通じてません?

半魚 なんか、やるきあるんだかないんだか、無責任な先生ね。

樫原 この看護婦もおかしいですよね。先生をフォローしたりして。二人は恋仲か〜?

半魚 言われてみれば、ちょっと怪しい(笑い)。

樫原 医者と看護婦がすべからくデきてるような・・・。他にも何かあったような気がするなあ・・・。

半魚 猫目小僧かな〜(ちがうか)。楳図には、少年探偵岬一郎を除いて、探偵とか刑事とか医者とか学者とか教師とか、その手の専門家が問題を解決するってな話が極端に少ないでしょう。こういうところも、楳図を好きな理由でもあるんです。専門家による解決は、専門性のドラマであって、人間のドラマとしては印象が薄くなる。『14歳』だけは唯一的に総理大臣とか大統領とかが出てきて、はじめいやーな感じに思ってましたが、結局彼らも無力な存在として描かれ、納得できました。

樫原 岬一郎総理大臣。登場したときは感動しましたよ。

 いわれてみれば、確かにそうですね。ネコ目にしても、おろちにしても第三者の目で捉えた作品多いですね。絵美子の出る「恐怖」もそんな感じですね。んで、痛切に思えるのは主人公がヒーロー然としてないトコがいいのかもしれませんね。等身大の人間を描ききっていますよね。少なくとも楳図の描く主人公たちにはヒーロー(ヒロイン)要素のない人間が多い(^_^)

半魚 そうですね。まことちゃんあたりはかなりキャラクターで売ってますが、それ以外はほとんど、キャラクター消費型のマンガではないのですよ。普通、マンガ作法としては「キャラ立ちさせなさい」とか言うわけですが、これ、案外、間違っているのでは?とか思っちゃいます。

樫原 踏襲された出版社側の「決まり文句」なのでしょうね。私が昔、講談社に持ち込みに行ったときの最初の一声がこれでした。僕は今でのキャラが立つという言葉の意味、分からない。ただ単にしゃかりきに活躍してヒーローまがいのことやってればそれで成立するのかな?何にもしないできないヒーローがいてもおかしくはないんじゃないかな?とか、そのときは思っていましたね。

半魚 まあ、商品として売れるのは「ストーリー」でも「絵柄」でもなく、まさしくキャラクターですから、出版社はそう言うでしょうね。

 キャラ立ちの基本は、人物の背景でしょうね。これこれの過去が有るとか、親兄弟がだれだった、とか。あるいは、どういう武器を持っている、とか。どういう思想を持ってるとか、どういう活躍をしたとか、ではないでしょう。

樫原 ふーむ、よく分からない。

半魚 ウルトラマン・シリーズだって、セブンとタロウが従弟だったなんて聞くと、ワクワクしたじゃないですか(笑い)。完璧、乗せられたんですよ、われわれは(笑い)。

樫原 え?そうなんですか?僕の中ではウルトラマンはセブンで終わっているからなあ。あれ以降のは気にも止めてなかったりして・・・。

半魚 それは失礼しました。

樫原 漫画の世界っていうのは「夢」も与えるけれど同時に「現実」も与えなくては漫画としての「言葉」が生きないのではないのかなあ。そもそも「風刺」という言葉から日本の漫画は始まったのでしょう?

半魚 そもそものマンガと、戦後のマンガとは別物と考えているので、すこし意見は違いますが、垂れ流しのカタルシスのような夢や願望充足よりは、厳しい現実を描いてほしいとは思います。

樫原 今の漫画世界って、厳しい現実よりも感動して泣ける現実がもてはやされているのかもしれないですね。ハリウッド映画となんら変わることなく・・・。

半魚 まあ、厳しい現実をきっちり描ける作家は、マンガ家にかぎらず、小説・映画でも少ないでしょうね。

樫原 そういう人物の登場を心待ちにしております。

半魚 たぶん、厳しい現実ってのは、「貧乏でつらい」とか「戦争は悲惨だ」とか、そういう大きな問題だけでなく、先に描いたような、物語のようにオチがつかず、ただ拡散してゆく現実というものをきっちり見つめられるか、という事だとおもいます。

樫原 うーむ。きっちりと終わらせない先を予見させるような造り方か。今後の参考にさせていただきとうございます。

 話をもどしますが、「顔を元に戻してくださいーっ」て迫る幽霊。怖い。怖い。

半魚 思えば、これって、口裂け女の先を行ってましたね。

樫原 ははは。

 絵柄の方から責めてみれば、この杏子さんの「目」の描き方には少し工夫が見られると思いませんか?二重まぶたの線がくっきりと描かれてるような。今まではワリと薄く描いてたような感じがします。

半魚 ティーンルックあたりからの絵柄としては、かなりくっきり描かれていくのではないのですかね。

樫原 「おろち」にいたっては、少年漫画にこげな美少女ぐわっ!?ってな違和感とあいまって受けたのでしょうね。当時の少年漫画って「女の子」も少年マンガしてましたね。

 80年代になって少年漫画と少女漫画の境目がなくなってから楳図のような描き方がフツウになってきましたけど、先駆者だったのでしょうね。高校生の頃、私の作風も「少女まんが」のそれだったので、少年誌にはまず無理だろうな、とタカをくくっていたようなトコがありました。

半魚 ふーむ。

樫原 あの、萩尾望都でさえ、「百億の昼と千億の夜」を少年誌に描いたときは少年ものに変えていたもんな。タッチをひたすら太く。タチキリ、少女漫画独特のコマのないコマわりを一切排除して・・・。連載を終えてからも、しばらくはそのクセが抜けきらなかったみたいですね。「ゴールデンライラック」という作品は骨太な恋愛マンガになってしまった(^^)

半魚 すいません、よくわかりません(笑い)。

樫原 どーもしいません。ついつい萩尾ネタに走ってしまいました。

半魚 いえ、こちらこそ。

樫原 今度、だまされたと思って萩尾作品を読んでみてください。楳図との類似点に気づかれると思いますよ

半魚 うーん、すいません。頑固で。

樫原 見て見て(^_^)

半魚 まー、一応、「灰色の待合室」、まとめてください。

樫原 灰色の・・・というタイトル通り、全編に「底のない町」のような暗い雰囲気がにじみ出ています。

半魚 たしかにそうですね。

樫原 楳図が描く、珍しい「幽霊譚」。しかし楳図が描けばそれはおのずと楳図一色になるのです。昔、いた山口百恵という歌手が誰の作った歌を歌っても自分のものにしてしまうかのように。楳図の背後霊は百恵ちゃんと同じくらい強いパワーを持っているのかも・・・。

半魚 良く分からんたとえですが(笑い)、カッシーが百恵ちゃんファンだってことはよくわかります(笑い)。

樫原 あら!まあ!?私は「背猛霊」や「神の左手悪魔の右手」のアイドルちゃんは百恵ちゃんのことをさしてると信じてたんですよ。

半魚 僕はよくわかりません。まあ、『妄想の花園』の「チイ子さん」では、初出は松原智恵子だったのが、今回山口百恵に直ってますから、そうなのかもしれませんね。

樫原 原節子→美空ひばり(?)→山口百恵→松田聖子→中森明菜→ウタダヒカル

 てな具合に背猛霊が・・・。

半魚 現実の問題ですか。それとも、楳図の中での背猛霊の図式ですか?

樫原 両方です(^_^)芸能界も謎の多いトコですよね。

◆おそれ

半魚 これ、『おろち』の「血」の原型みたいな作品ですね。僕は、どちらかというと、この「おそれ」のほうが好きなんですよね。

樫原 確か、この作品の前に「おろち」の「姉妹」というのを描いてらして、その後で同じ系統のように描いたと記憶しています。「姉妹」「おそれ」「血」は骨肉の姉妹モノ3部作ですかね?他にあったかな?

半魚 ああ、「姉妹」でした、まちがい。で、「おそれ」が先で、「姉妹」「血」の順ですよ。

樫原 「血」はぐちゃぐちゃな顔の女性が出なかったのでそんなに恐怖はなかったかな。デーコミ版で「千草」さんが見せる失意の顔のアップはかなり恐怖。

半魚 あはは。

樫原 余談ですが、ほんとうに「血」に出るおろちは藤圭子にクリソツですね。

半魚 藤圭子って、むかし茶パツでしたよね?

樫原 あれ?そうでしたっけ?

半魚 なんかそんな印象がありましたが。

樫原 フランス人形みたいにかわいい演歌歌手だって家族でひそひそ噂しておりましたっけねえ。

 「おそれ」はフランス映画「顔のない目」の楳図版、という感じですが、内容的にはここまでやるのかーっ?女ってのわ!って感じです。純情な青年や少年が見たら「女恐怖症」に陥りそうな(^_^)

半魚 そんな映画があるんですか。

樫原 あそこまで、ドギツくはないんですが、愛娘の顔がぐちゃぐちゃになったので、その父親と母親が近隣の娘をさらっては皮膚移植を行うというホラーものです。フランスさながらの美しいモノクロ映像ですのでショッキングなシーンはないのですが・・・。

半魚 へー、今度探してみます。

 この姉妹、桃子、藍子っていうんですね。僕としては、妹のほうが好みなんだけどなー(笑)。

樫原 妹の藍子、最初登場したときはお姉さんとの兼ね合いでブスに描かれてますね。

半魚 そんなでもないでしょう。てより、ほんとはずいぶん平均以上なのに、姉のほうがもっと美人だから相対的に損している、という感じか?でなければ、実際は、妹だって全然姉に負けてないのに、実態とは別に、環境がそういう約束事を作りあげてしまった、ということではないですかねえ。

樫原 いやあ、一番最初に登場させる個所はかなり「サル顔」に描かれてません?

半魚 イアラ時代の「ブス」の顔ってありますよね。「耳」とか、本編の秀吉時代の女とか。あそこまでサル顔では無いでしょう。

樫原 「耳」のトヨ子さん(?)と谷間のユリの主人公は似ていませんか?それと、いわずとしれた岩屋土子(だっけ?)

半魚 岩屋土子は、ちょっとすごすぎます。トヨ子さんと谷間のユリは、同じキャラクターですね。微妙なブス、なのでしょうね。

樫原 すみません。上の二人を見るたびに僕は当時大好きだった「中野良子」を思い出すのです・・・。何となく似ていませんか?

半魚 中野良子は、美人じゃないですか!でも、たしかに微妙なところではありますね。ほんのどこかすこしでもバランスが崩れると、ふつうのブスになりそう。

樫原 高校生の頃、大ファンだったのですが、なんか悪い友達はあんな「濡れ場シーンだけの女優どこがいい?」とか「五輪真弓に似てない?」とか散々言われた・・・。

半魚 いや、まあ美人ですよ。

樫原 えへへ。でも、中野良子は好きだったなあ。その女性的なイメージとあの作品は似通ってるものがあるのですかねえ。

半魚 でも、美人だから「トヨ子」さんはできないのでは?

樫原 メイクで、ぶっさいくにして、徐々にきれいな女にしてみたい・・・。

半魚 『バックトューザフューチャー』のおかあさん。

樫原 最近、映画に出ませんね。彼女。

半魚 ね。ざんねん。

樫原 「ダリの男」の梨麻役をやらせてみたい・・・。

半魚 ちょっといっちゃってる感じは、中野良子、向いてるかも知れませんね(笑い)。

樫原 あらら・・・。

 顔の美醜はともかく、トヨ子さんとかは「ホンモノの女性」ってイメージが強いんですよねえ。

半魚 そうですね。フツーの女性、というか。

樫原 美人ばかりを描いてる楳図には、視点を変えるためのよい材料だったのかも知れませんね。

半魚 ふむ。これまでのブスは、チュー子やドテ子ふうなのばっかりだった、というのはありますね。

樫原 チュー子、「きいてください私の悩み」で活躍してましたね。

 あと、イアラにもコメディ調の「色」だっけ?そういうのありましたよね。口紅塗ると、醜いものが美しく見えるという・・・。単純ながらも面白い発想。

半魚 男のほうの、「ダレ目」のところに、欄外に「タレ目よりひどい」とか書いてあるのですよね。あれ、藤子Aっぽくて、面白いんだが、ちょっと楳図作品としては違和感もあります。

樫原 はは、そんな個所がありましたか?覚えてない(^_^)

半魚 まあ、戻しますが。

樫原 「美」に対する執念。そしてそれを知りつつもてあそぶ人間の恐ろしさ。「おろち」もそうだけど、これらの作品群は人間不信になりかねないですね(^_^)夏にはこういう「心理ホラー」っていいのかもなあ。

半魚 その後、妹がすべての黒幕(?)だったと分るわけですが、その前には、藍子はゆれる乙女心として描かれてますね。

樫原 このダマシのテクニック。うまいスよ〜。今描いてる「たたり」というラフスケッチはこれ使ってます(ああ、ネタバレしてしまう・・・)

半魚 あはは。桃子は、藍子の友達の顔の皮を剥ぎ、結局殺してしまいますが、これは実は藍子がそそのかしているのですね。

樫原 ああ、そうそう。楳図にしては珍しいコマがあることを忘れていました。ハロウィン版51ページの7コマめの花野さんの髪がベタでなく線画なのです。この手法は少女漫画などではよく使われていますけど、楳図本人が使ったのを見たのはこれが最初だったような気がします。

半魚 また、それに対して、男のほうは、いい加減な面がすこしづつながら、確実に描かれていると思います。

樫原 ははは。「僕は桃子さんが・・・」あのコマワリはなかなかよいですね。

半魚 ああ、そうでした。勘違い。こっちの高也(笑い)は、桃子さんを好きだって言ったんでした。ふーむ、そうか。たんなる、揺れる乙女心じゃないね。藍子は、高也の告白によって、恋がやぶれ、そして強い女として生きて行くのですね。

樫原 これ、高也さんが本当に「嫌い」って言ってたら藍子はお姉さんに何と答えていたのでしょうね。

半魚 完全に優越的な立場にたつわけですから、むしろ優しくできたでしょうね。もちろん、偽善的な優しさ。

樫原 あのまま高也と駆け落ちだったのかも。そして、桃子はその事実を知り、憤死する、ってのも面白くないですか?

半魚 全然おもしろくないです。第一、駆け落ち(逃げる)必要がないもの。桃子の顔を思えば、あとは適当に優しくしてても、自滅してゆきますよ。

樫原 (^_^)そうかぁ。あまりにも通俗的サスペンスで終わってしまうか。

半魚 まあ、そもそも『おろち』の「姉妹」が、優しくなることで果される復讐劇でしたよね。そうだからこそ、「これほどまでにいやらしい女のドロドロ」(だっけ?)になるわけですよ。

樫原 そうですね。楳図がなぜ女性の心理をあそこまで追求したのか?ではなく、人間の本音と本質を描いているからそれを女性の心理とすげかえているにすぎないのですよね。

 正確にいえば「人間の心が持つ、ドロドロとした部分」なのですね。

半魚 んー、まあ、それが女であり、また姉妹である、ということも重要な要素だとは思いますが。

樫原 「血」のつながりを重視するトコは日本人らしい機微ですね。因果の掟みたいな・・・。

半魚 日本人かどうかはともかく、絶対的に自由な可能性を持って生まれてきたはずの人間にとってしても、血縁の問題はあらかじめ刻印された不自由であるわけです。『洗礼』なども含めて、同様の問題でしょうね。

樫原 嫁と姑の関係ってこのドラマに出る姉妹の関係に近いと思いませんか?少なくとも嫁姑問題でこじれるのは日本だけなんだよなあ。きっと。欧米のこのテの姉妹を扱った作品に「何がジェーンに起こったか」というのがありますけど、これはあくまでも姉妹の「生き方」に関しての葛藤であって、ドロドロした関係は見受けられなかったですねえ。

半魚 まあ、嫁と姑ってのは、選べるけど、姉と妹は、選べない運命です。

樫原 しかし、「おそれ」と「血」は本当の姉妹らしいですが「姉妹」は違っていた。同じ境遇の下で育った違う人間同士というのは比較されることや、周囲の影響でかくも無残にドラマを作り上げてしまうという典型的な作品ですね。

半魚 はい。まあ、「おそれ」のうち、最初から崩れていたバランスは「血」に、保っていたはずのバランスが崩れるという点は「姉妹」に引き継がれ、それぞれ発展して描かれていますね。

樫原 奇しくも本日はWOWOWで藤山直美主演の「顔」を放映します。これも姉妹のお話でブスでおたくな姉が美人で意地悪の妹を殺したことにより逃亡をしてく内に人間世界を知るというお話ですが・・・。同パターンだと思いませんか?

半魚 すいません。その、知る人間世界ってのがどんなもんなのか分からないので、コメントできない(笑い)。

樫原 説明不足ですいません。引きこもり症候群の35の女(処女)が主人公なのです。逃げていくうちに他人と接することで自分らしくなってゆくというお話なのですが、逃げた先が大分県ということで、ついつい見てしまった。

半魚 うーん、やっぱり見てないので、なんとも。

樫原 「二人の女」の確執というのは少女漫画などにとりあげられがちですが、非常に興味のあるテーマだと思います。

半魚 まあ、男の嫉妬とかも、けっこうすごいんですけどね、ほんとは。でも、男はさっぱりしてるというお約束があるから、ドラマにならない(笑い)。

樫原 うはは。今度それ描いてみたくなったなあ。男同士の嫉妬・・・。どんなになっちゃうんでしょ。

半魚 まあ、樫原さんがお好みなのかな、「悪魔の24時間」がそれかも。「双頭の巨人」とか。

樫原 んー。「猫面」。

半魚 あと、大事なこと忘れてました。最後の2頁分、このコマ割りについては、サイト内で何度も僕も言及してきましたが、これすごいですよ。

樫原 大ドンデン返しの藍子さんのモノローグによるピリオド。

半魚 ともかく、窮屈そうなフキダシの中で、目と口だけで表現してますからね。楳図先生にしか許されないネームでしょう。

樫原 私もこういう作品を読んでいくうちに「人が生きるために必要なのは「愛」などではなく「憎悪」かもしれない」と思うようになりましたねえ。(ドゥワーフ参照)

半魚 そうかどうかは分かりませんが(笑い)。でも、あれ、いい作品でしたね。(ドゥワーフ参照)

樫原 (ありがとうございます)

半魚 夏が終らないうちに、この対談も完成させましょう。

樫原 はいはい。ははは。

◆おわりに

半魚 まあ、最後にこのティーンルックの諸作品について、まとめをおたがい述べましょう。まず、私から。

 ストーリーはリメイク的なものが多いぶん、その見せ方に格段の進歩(時代の進歩も含めて)がある、楳図のひとつの到達点だったと言えると思います。たぶん、制約もあまりなく気楽に描いた面もあるでしょうし、絵柄も、自由に描いたのか読者層に合わせたのかはいまいち分かりませんが、すくなくとも、『マガジン』や『フレンド』時代の制約から逃れて、またその制約をすこし残して過渡的な感じの『恐怖』(都新聞エミ子シリーズ)とも異なり、後々のザッツ楳図的絵柄に繋がる、こうした装飾的な絵柄が完成されたという達成点だったのでは、と思います。

樫原 私は楳図の描き方に、この時期の作品で最高潮だったように思えます。単にうまい! というのではなく、本格漫画家として大成した時期だとも思えるのです。ヒトコマヒトコマのイラストレイテッドな完成された絵。それでいてイラストではなく、あくまでも楳図独特の描き方は損なわれていない。これが「楳図色」だと定着してような作品群のような気がします。プロ中のプロになった漫画家「楳図」だとも思えるのです。

 この後に続く「サンデー」連載の「おろち」「漂流教室」で作家楳図としての評価がなされるのかもしれないですね。(^_^)

半魚 なるほど。

樫原 最後にもう一言。この作品群に登場する女の子はみんな、「きわめて美しい」。

 長い間、このティーンルック時代の作品群が単行本化されずにお蔵入りされてきたことは楳図ファンには真に惜しいことです。「こわい本」でようやく日の目を見たのですね。

半魚 『現代コミック』というシリーズで、「蝶の墓」と「おそれ」だけは、翌年くらいにすぐに単行本になってますけどね。

樫原 あれ、高価だったでしょ?子供の僕には買えなかったし、分厚いのでマンガだとは思っていなかったのです。(ボロボロになったそれ、家にありますが・・・)


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