dialogue.umezu.半魚文庫
ウメズ・ダイアローグ(5)
ティーンルック・シリーズ
樫原かずみと高橋半魚の楳図対談です。この対談は、メールによって行なわれました。対談期間: 2001-07-06 〜 2001-09-12
2000(C)KASHIHARA Kazumi / TAKAHASHI hangyo
半魚 さて、後半は次の4作品を扱います。
- 蛇娘と白髪魔
- 蝶の墓
- 灰色の待合室
- おそれ
樫原 今回は僕は、作品の内容もですが絵の「タッチ」について重点的に語りたいとか思っています)
半魚 それはいいアイディアですね。
◆蛇娘と白髪魔
半魚 これは既に「ヘビシリーズ」の時やりましたね。先日(7月10日)に、別冊『ヤングジャンプ』に再掲載されてました。その関連記事でわかったのですが、映画の企画のほうが先にあって、それが『赤んぼ少女』と『ママがこわい』をミックスするというもので、その映画企画に沿って、再度描き直されたのが本作『蛇娘と白髪魔』なんだそうですね。決して本作は、『赤んぼ少女』の安易なリメイクでもなく、また、映画も「よりによってこんなリメイク作品を……」というわけでもなかったんですね。
樫原 そうだったのですか。すごい演出の下で作成された作品だったのですね。改めて脱帽。この後の企画にあったという実写版「ねこ目小僧」も実現してほしかったなあ。
半魚 そんなのあったんですか。
樫原 東映系の特撮映画特集の本にかような記述がありました。今度、その文面を調べておきます。
半魚 へー、そうですか。
樫原 竹書房から「ガメラ画報」という大映映画の特撮を扱った本ですが、ここに「蛇娘と白髪魔」の項目があるのです。
この作品は「妖怪大戦争」との併映作品だったようです。私もこの2本立てで見た記憶がありまする。
半魚 ほうほう。
樫原 その142ページの写真の下にチラと▲大映東京撮影所が「ガメラ」に次ぐシリーズ化を意図した楳図恐怖映画の第1弾で次の予定は「猫目小僧」だったという記述があります。
半魚 惜しかったですね。
樫原 考えてみれば、1960年代の楳図作品の集大成のひとつとして、この映画化があるのかもしれないですね。
半魚 なるほどね。あの子役も上手いですしね。
樫原 今は、相模原でプロボウラーとして活躍中だとか・・・(^_^)
半魚 以前、仰しゃってましたね。300とか出してるのかな。
樫原 ずいぶんとおデブちゃんになりもうした・・・・。
私は、この映画を5歳か6歳の頃に映画館で観たのですが、(姉と、姉の友達に連れられて)最初、あまりの怖さに号泣してしまい、最後の悲しい場面でも号泣してしまったという記憶があります(^_^)
半魚 ははは。でも、こわいですよ。白黒だし(笑い)。
樫原 雰囲気的にも、どろどろしてる感がありますよねえ。
半魚 ええ、ええ。
樫原 姉がその後「あんたとは、これから一緒に映画観にいかない!」といわれたのを記憶しております。
半魚 あはは。最初っから、つれてくのがムリよ。でも、お姉さん、よくそんな怖いのを見に行きますね。美香ねえちゃんとおぼっちゃんみたいですね。
樫原 まんま、あの姉弟みたいな・・・(^_^)
半魚 はは。
樫原 個人的に「白髪魔」というのが非常に謎で不気味な存在でした。
半魚 白髪魔は、タマミよりも、わるいヤツですね。
樫原 しげさん・・・。鬼頭しげ という名前らしいですね。(^_^)
この「蛇娘と白髪魔」に関しては以前のヘビ女の項目でも書いたのですが、「紅グモ」「赤んぼ少女」「ママがこわい」「ミイラ先生」といった楳図のこれまでの少女漫画のいいとこ取りみたいな作品でしたね。某有名監督いわく、「反復とくりかえし」の作品。これに尽きるのでしょうね。
考えれば、昔の絵柄ではなく、最高画質の絵柄で見られる読者にはこれとない贈り物かもしれませんね。しかも映画化作品ですから・・・。希少価値のある一篇かも。
◆蝶の墓
半魚 『ティーンルック』作品上での最高傑作がこれですかね。個人的にはそう思います。
樫原 さほど、恐怖シーンをあおる個所はないのに、かなりジワジワと真綿でノドをしめつけるような閉塞感のする作品ですね。今でいうなら極上のサイコホラーってトコでしょうか。
半魚 ですね。サイコものっぽい。
樫原 「おろち」と並行して描かれていた頃ですよね。「心理描写」というのが実に見事に伏線と共に描かれていますよね。
半魚 いや、平行じゃないでしょう。1年くらい前ですよ。でも、つまり「おろち」はすでにここらあたりで準備されてた感じですね。
冒頭は、楳図らしくナレーションで始まります。
くどいナレーションのようにも一見みえますが、よくよくかみしめると、「なぜそのような蝶を見るようになったのか」と「むしろあの人のために」と、もうここで2つの秘密がきっちり伏線として、読者の期待をあおるかたちで銘記されてるんですね。
樫原 そうそう。あの人ってのがミソですね。
私は、「恋をした」というナレーションが当時、すごく好きでした。
半魚 ほんと、ここいいですね。「恋をした」。うーん、いーなー(笑い)
樫原 それと誇らしげな笑みを浮かべるめぐみのお母さんの顔。
半魚 ふむふむ。
樫原 めぐみのお母さんが屋敷の中で驚くシーンに1ページ使ってますね。寸分もムダのない屋敷内の描写。うますぎます。
半魚 はいー。
で、斜めの線とかも多いし、単純な透視遠近法じゃなくて、楳図が描くとエッシャー風にも見えますね(笑い)。
樫原 ダリの有名な絵が表紙にもなっていましたよね。確か。
半魚 ああ、ほんとだ。卵もってるやつね。
で、壁の木目とか、模様とか、こわいっすよね。
樫原 背景描写でもキチンと怖がらせてくれる・・・うーん大切な要素ですね。こうしてみると、背景ってのは。
半魚 まー、そりゃそうでしょう(笑い)。木目は、大事ですよね。
樫原 あと、楳図独特の模様ありますよね。(添付資料1参照)
半魚 この添付資料という手法、いいですね。
樫原 加えて、めぐみの髪型がこれまでの楳図作品の髪型と微妙に違うのに注目して欲しいですね。(添付資料2参照)
半魚 なるほどね。楳図作品の女の子たちは、一様に、髪型や服装などファッションに工夫がありますよね。また、それでいて、髪型だけで描き分ける、とかいうやり方もしてないし。
樫原 そうそう。顔は同じなんですよね。微妙に目がつりあがってるとかその程度。美人系の顔は。
半魚 おんなじってのは、どーかなー(笑い)。
樫原 「美」はひとつ。(^_^)
半魚 んー。おたがいくいさがる。笑い。
主人公は、丘ノ上めぐみっていうのですね。麻丘めぐみのデビュー前ですよね。
樫原 (^_^)康夫さん、左利き?僕は左利き(^_^)
半魚 あはは。
最初に、室内で蝶に脅える部分、この蝶は描き直しされてますね。
樫原 本当だ。くりぬいたような跡が・・・。
半魚 まずは、蝶をこわがる少女。しかし原因は謎!という出だしです。
樫原 最後の最後までひきますよねえ、この謎。
半魚 この作品がストーリー的に優れているのは、ミステリーであるにも関わらず、ミステリー仕立てにしてない、それに寄掛かってない、というところだと思うんですよ。
樫原 ふむ。決して世に出回ってるミステリー系のマンガとは一線を画してますね、確かに。
半魚 めぐみの母が、ベランダから落ちて死ぬ。で、これは単なる事故でなく、原因があったんですね。ふつうミステリー「仕立て」だと、それを謎として最初に銘記し、その謎解きをストーリーの中心にすえるわけです。ところが、本作は、その事や、母が影に脅えることなど、母の思い込みかなにかのようにわざと見做して、たんなる事故のように見掛けるわけですよ。これが、単なるミステリー、事件モノではなくて、サイコ物になってゆく方法論でもあると思うんですね。しかし、「生れたばかりの赤ちゃんがその頃の出来事を覚えているはずがあるでしょうか」などと、きっちり伏線は張ってあるんですね。
樫原 練りに練られた作品だというのが、このあたりからでも伺えますよね。
半魚 はいー。子供の頃の記憶を、実はしっかり覚えていたんですね。こういう作品を読むと、トラウマなんて言葉を知らない年代でも、なんだか自分の幼少時の記憶とかに思いを廻らしてしまうような、そんな不思議な怖さがありますね。
樫原 ありますねえ。これは今でこそ「トラウマ」を連発して何でもかんでも「幼少時のトラウマが」とかしかつめらしくいうお子ちゃまが多いですけど、あれは完璧に精神的障害を併発したときに使う用語だってこと、知ってて使ってる方はいらっしゃるのかしらねえ?あんたのはトラウマでも何でもない、ただのヤな思い出なんだよって言いたくなるけど内なる仮面をかぶった樫原は言えない(^_^)
半魚 あははは。二重人格とかも、軽い使われ方してましたね。
樫原 今は多重人格とかいうのがあってもう好きにしてくれぃってな感じです。
半魚 はは。最近は多重の報道なども普及して、理解が深まってきましたが、すこし前までは、『5番目のサリー』の解説で中島梓が「私も小説も書けば日舞もやって……(中略)多重人格だ」とかあほなことを言ってました。
樫原 それはあんた、性格にしまりがないだけやんかーって。(^_^)
半魚 そうそう。
樫原 なにげない日記の詩のような内容がステキ。「私は冬が好き」なんて、ね。
半魚 「そこには蝶がいないから」なんて、かなり象徴詩ですよ。 あるいは、ベタベタですが(笑い)。
ふつう、壊れたベランダ、直すんじゃないかな。
樫原 ははは。あの日のまんまなんですよね。お父さんの考えなのかな?(だったら、再婚すんなって!)
半魚 まー、いやな思い出のはずだから、直すんじゃないかなーと思うんですけどね。
樫原 そこがブルジョワですかねえ(^_^)
半魚 いや、資産の問題ではなく(笑い)。
樫原 しかし!おしの多吉が、この場合はキーマンとなるのだな。
半魚 多吉の出現は、反則ですよ(笑い)。このパターン、『神の左手悪魔の右手』の蜘蛛女王の時でも使ってますよね。
樫原 あわわ、そっちのカエルみたいなじいさんも怖いけど・・・。
半魚 墓にいたずらをするから見張ってる、という設定もきっちり伏線になってるのですね。
樫原 あれは、新しいお母さんが何かをしていたのでしたっけ?
半魚 なんか、陰湿ないたずらをしてるんですね。
樫原 墓に穴をあけたりして・・・何のために???
半魚 そして、「まぼろしの蝶が見える」になりますね。
樫原 でかい人間並みの蝶が最初ですかね?めぐみのお母さんのお墓から出てくる。
半魚 あ、いや。お父さんの車のが最初。
樫原 ああ、そうそう。ねえやが助かったと思いきや、気絶する前にスカートを直すという快挙をやってのける。
半魚 快挙っていうか、ちょっと浮いてる感じのキャラではありました。
樫原 最後でもしっかり登場しておりますねえ。しっとりと・・・。
半魚 まともな役ですね。
樫原 今なら園佳代子にやらせたい役かな?
半魚 サッサのおばさんね。もう、昔じゃないの(笑い)。
樫原 ふ、古い・・・。野村昭子なんかもグーですね。
半魚 あら、その人、しらんです。
樫原 名バイプレイヤーおばさん。カネゴンにも出てました。(^_^)
半魚 そうですか。顔見ればわかると思いますが。それはともかく。
樫原 あんなでかいの出たら誰でも怖いなあ・・・。
半魚 あー、はい。墓からの蝶ね。
んー。まあまあでかい、というくらいだと思うけど、アップで描かれたりしてるからも物凄くでかく思えたりしますね。
樫原 食われそうですよ。「蝶の舌」でちうちうと体液を。
半魚 あはは。
「蝶々ってミヤコ蝶々のこと」「ばかねあんた」が笑えますよ。ボケも可笑しいが、ツッコミもなかなかストレートです。
樫原 女子学生の「おマヌケ」な会話はここでも生きてますね(^_^)
半魚 マヌケなんじゃなくて、かなり上等なマンザイですよ。
樫原 前回の「映像」も「偶然を呼ぶ手紙」でも、このかけあいがありましたよねえ。ティーンルック読者へのサービスみたいですね。
この後は「あなたの青い火が消える」と同様な超能力が出現して、さまざまな事件を巻き起こしてます。しかし、これも単なる伏線なのですね。ううむ。
半魚 そうなんですね。まだ全然、事件の全貌に迫るものではない。だけと、これだけでも結構もりあがります。
樫原 不気味なエピソードを連ねることで緊張感が盛り上がりますね。
半魚 逆に言うと、ここまで読者を驚かせて、逆に、この風呂敷どうやって仕舞うのかな、と期待もさせてくれます。
樫原 ほーんと。楳図の意外なドンデン返しにはいつもながら驚かされるのだけど、これは今テレビドラマでもすればみんな「ハーッ」と溜息をつきそうだけどなあ・・・。
クラスメートが、明らかにアシスタントが描いてる!というコマもありますね。
半魚 おやおや、それはどこですか?
樫原 101ページ(ハロウィン少女コミック館版)の生徒の面々。ここだけですね。後はご本人みたいです。
半魚 ほんと〜、これ、ひどいですね。
花井さん、いじわるですね。「ちくしょうにげた」は、いいセリフです。
樫原 お下品な、花井さん。本性が見えますわ。
半魚 で、花井さんの蝶は、胸元に見えるんですね。
樫原 あの、1ページを使ったコマは美しいですね。そのままステキなイラストみたいで・・・。
半魚 これは綺麗な絵ですね。
教室で見た蝶のストーリーは、「4年目の怪」に似てますね。
樫原 不幸ごとの逆パターンですね。「うばわれた心臓」もそうかな?
半魚 なるほどね。
ピンキーも、蝶に呪われました(笑い)。
樫原 これって、当時ピンキー本当に何かで大怪我してませんでしたっけ?そのパロディかな?と思ったりしたのですが・・・思い違いかな?
半魚 あー、そんな気もしてきました。ちょっと前にピンキー、『徹子の部屋』に出てました(見てるおれ)。
樫原 テレビ少年。
半魚 新しい母がきます。
樫原 美しい。私好みの和風美人。
半魚 あはは。
樫原 この作品の奥様は、まんま「横溝作品」のヒロインにピッタシと思うのは私だけ?
半魚 まー、そりゃよくわからんけど(笑い)。
この、祖母の存在は、ストーリーに深みを与えてますね。家族というか家柄というか、そういうのが加わることで、厚みをましている。
樫原 「ふん、あたしゃめぐみがきらいですよ」というセリフ。なかなかイけてます。おばあさんの性格をあらわしてる。
ところで、楳図作品に登場するおばあさんってたいていすごく「良い」おばあちゃんって感じですけど、この作品のおばあさまだけは「姑」そのものちゅう感じですね。他にはなかったような気がします・・・。
半魚 んー、確かに思い出せない。私の記憶の悪さも含めてですが。
新お母さんのベッドの蝶々は、こりゃ、ほんとにでかいですね。
樫原 フトンに燐粉が相当つきそうな・・・(^_^)
半魚 弁当箱の蝶は、『闇のアルバム』のパロディですよ。
樫原 あれって・・・よく分からないけどすごいイヤな発想。イヤがらせそのものですよね。めぐみさん、どうしてあれを証拠の品としてお父さんやおばあさまに見せなかったのかしら?
半魚 そりゃ、「あんたがいれたんでしょ」って言われりゃおしまいだもん(笑い)。
樫原 ああ、そうか。母親へのいやがらせと思われて終わりか。
半魚 でまあ、めぐみが新お母さんを嫌うのは、父や産みの母への愛情や独占欲のようなものかなー、と女のエゴイズムが狂気に変ってゆくようなストーリーかなー、と一見思わせますね。
樫原 そうそう。でもお父さんの目が見えなくなるなど、すごい伏線はキチンと蜘蛛の巣のようにはりめぐらせてますねえ。
半魚 まあ考えてみると、愛してるはずの新ママは、お父さんの目を失明させようというのだから、この曲がった愛はすざまじいですね。おお、『百本めの針』ってのもありましたね。
樫原 おお怖い。人を呪わば・・・。
半魚 まあ、楳図作品は、そこを因果応報的には作りませんけどね。
樫原 少女漫画の場合は「勧善懲悪」の図が成立してますが、少年漫画の場合はこれ、あえて避けていますよね。でもしっかりとした終わり方。
半魚 楳図の場合ですか?一般的な少年マンガ、少女マンガの場合?
樫原 楳図の場合ですね。「復讐鬼人」にしても「死者の行進」にしてもなんだか後味の悪いまま終わってます。当時皆、こういう感じだったのかな?
半魚 ああ、なるほど。少女マンガの場合も、楳図は勧善懲悪ではなくて、鎮魂ですよ。魔物は鎮めておかねばならない、一応、という。
樫原 そうそう、悪の存在というのはないんですよね。楳図の場合。どれも人間のエゴから来てるだけ、みたいな。
半魚 そうそう。
単純な因果応報や勧善懲悪は、古賀新一の「エコエコ」なんかですよ。悪いやつが、黒井ミサにやられる、という。単純な教訓調というか。
樫原 ははは。古賀新一の作品は(というか絵柄そのもの)楳図とは違い日野日出志(?)なんかと似た「汚さ」(?)があるように思えるんです。楳図は内容そのものはエグイけど、絵がキレイな分購入意欲をかきたてる、みたいな。
半魚 てより、並べて論じる意味がない、というか(笑い)。
樫原 私は幼い頃、楳図のフレンドと古賀のマーガレットが人気を2分してた時期があったように思えるのですよ。あの頃から楳図と違う、古賀の違和感をぬぐい去ることができないのです。
半魚 はい。
樫原 それでも、当時どちらも「怖い!」ということで読んでましたね。おそらく古賀の作品でしょうが、付録にあった「ヘビ」ものがあったんですね。4分割のコマで美しい女がヘビ女に変わってゆくシーンはすごいなあ、と思った。
半魚 ふむ。
樫原 古賀、日出志が日本的乱歩調なら楳図はイギリスのポー風みたいな・・・。(ちょっと違うかな・・・)
半魚 乱歩と楳図に失礼ではないですか。
樫原 失礼しました(^_^)
半魚 よく、楳図と水木を比較する人もいますが、それもあんまり意味ない、有効性が無いと思います。
樫原 あのお二人は作風というか、毛色というか別物の気がしますねえ。僕はさしずめ、昭和40年代の楳図と古賀の作品をじっくりと比較してみたい。
半魚 すいません。ぼくは、較べるまでもない、と思ってますけどね(笑)。水木と違うのと同程度で、古賀とも違う。
ともあれ、黒井ミサがドラマ(Vシネマ?)化され、おろちがされないという、日本の文化レベルの低さを思うに、少々怒れます。なぜだと思いますか。
所詮、現在のマンガ文化はキャラクターの消費
なんですよ。樫原 ふむ。確かに。でも、日本の文化レベルの低さは80年代から急激に沈み始めましたねえ。今20歳の若者と、80年代に20歳だった僕ら。見かけはそう違わないようだけど、意識化では違いが歴然としてますね。
半魚 僕らがまともだ、とは思いませんけどね。
樫原 そう。今の若い子らの方がまともなのかもしれないつうことです。ウェットとドライの差みたいな。
半魚 ふーむ。
樫原 だからというわけではないのですが、僕は日本で作るホラーものの映画というのは見たことがないのです。レベルの低さを証明してるようなものですからねえ。エロものとそう変わりないような気がしたりするのですよ。
半魚 エロものだっていいのはあるんじゃないですか。それに、外国のだって下らないのはくだらないでしょうし。
樫原 (^_^)裏ビデオ並の作り方ですよ。日本のホラーって。ただ「おぞましい」シーンを羅列するだけ。そのくりかえし。外国製のポルノの方がまだアングルとかまとも。醜の中にも「美」が見える。
半魚 日本のホラーも、ホラーとは言えないかもしれませんが、去年とか『うずまき』や『さくや妖怪伝』なんかは、非常によかったけどなあ。
樫原 そうですか。見てないのでなんともいえないのですけど・・・。ある意味、いい俳優さん(もしくは有名な)を起用するというのはいい作品につながるのかもしれませんね。
半魚 初音映莉子、かわいかったなあ。
樫原 すみません。それ誰ですか?(恥)
半魚 あ、いや、忘れてください(照)。どうぞ、お続けください。
樫原 それに、日本製のはどうしても生活背景が見えてくるから現実味がまったくないのです。
未知の国の作るホラーの方が面白いのはそういうことかもしれないですね。
半魚 まあそれは、ネイティブだってことで不利なのかもしれませんがね。そもそも、人によっては邦画は嫌い、洋画が好き、ってはっきりしてる人もいますからね。でも、日常に潜む恐怖を描くという点では、ネイティブな風景を描き出し、ネイティブにしか分からない恐怖ってのもあると思いますよ。
樫原 都会よりは、地方。地方でもかなりの辺境な土地。そういう舞台の方がゾクゾクしてきませんか?都会だとどうしてもサスペンスタッチになってしまいそうな・・・。土曜ワイド劇場〜!!みたいな。
半魚 都市にも都市の恐怖はあるんでしょうけどね。ストーカー物は田舎でやっても、ちょっと違う気がするし(笑い)。
樫原 でしょ?都会的なホラーってのは「通り魔」的な突然起こるみたいのがふさわしいですよね。(これはこれでかなり怖いでしょうけど)田舎=血族=怨念=憎悪 という 因習が今も日本では大分にあるのでしょうね。所詮日本人。されど日本人なのでしょうね。
半魚 うんうん。
樫原 あと、見ていて「ゾッ」とさせるのは古い日本家屋やひなびた家や街角。歴史が物語るというのは案外、本当かもしれないな、などと田舎に住んでいる私は思うのです。
半魚 まあ、日本ならではの風景ってのは、あるでしょうね。
たとえば、『プレアウィッチ・プロジェクト』なんか、あれは森の恐怖を描いた作品でもあるけど、青木が原の樹海は別としても、どうやっても3日も歩けば街や海に出てしまう島国日本では分からない恐怖ですよ。