その想い出へ |
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公開日:2001-8-12
◆ リベラーの終末
今日、2001年8月12日、家の隣のタバコ屋(本業は酒屋)で聞いたのだが、九月くらいで
リベラ・マイルドが製造中止になる
のだと言う。目の前が真っ暗になった。私はとことんこの世に祝福されない存在なのだろうか。私を愛してくれたものは、いつも私の元から去ってゆく。……なんて、叙情にひたることは無かった。単純に怒りが込み上げてきた。そして出てきた言葉は、もうっ!禁煙しちゃうぞ!!
「出来ますか?」と、タバコ屋のおばさんは言ったが。◆ 喫煙の経済学
私が喫煙するのは、別にタバコが好きだからではないのである。勿論、意志が弱いからでも有り得ない。私は、
地方税と国鉄時代の赤字解消の税金を払うために、タバコを一日二箱も吸っている
のである。というのは冗談だが、しかし、私はタバコに掛る税金に対しては、全く頓着してない。むしろ、いいことをしているという自覚がある。こんな立派な国民の立場をどうしてくれるのか。
JTは、ゴールデンバットは勿論、SHINSEI、echo など、
かなりマニアックな販売機
でなければ売ってないタバコも、ずっと絶やさずに製造販売してきた。もともと国営企業だった時代からの、国民への責任というものである。これは立派な態度だろう。不景気と、そして世界中の嫌煙ブームとで、JTも経営が大変なのだろうか。たぶんリベラは、そんなに売れていまい。専売公社から日本たばこに、つまり私企業になって、こうした効率優先になってしまうのは、本当に良いことなのか。
◆ 出合いの頃
僕は、ほんとうは体質的に喫煙向きではないのだろうと思う。父親も全く喫煙はしないし、祖父も喫煙しなかったようだ。僕自身、18歳4ヶ月まで一本も吸ったことなかった。高校などになると、友達の家に遊びに行ったりすると、連中が自室でスパスパ吸ったりしているのを見て驚いたほどだ。初めて吸ったのは大学に入学してからで、一口吸って気分が悪くなって、飲み屋でゲロってしまった(笑い)。その後、すこしづつ慣れてきて、マイルド・セブン、ハイライトを吸っていたが、20歳で禁煙した。これは学部を卒業する22歳まで続いた。禁煙中は、
喫煙者はバカだ
と思っていた。記憶もあやふやだし資料もないので不正確かも知れないが、リベラは発売されたのは83年くらいじゃないかと思う。20歳の禁煙の前だと思う。いや、禁煙解禁後の1987年あたりだったか? 専売公社は大々的なテレビ宣伝をしていて、
試しに吸ってみたが、マズかった。
なぜまたタバコを吸うようになったのかはそれなりに理由があるが、ここには書けない。ともかく、22歳にしてまたタバコを吸い始めた。マルボロなんかを吸っていたが、当時マルボロは高かった(一般のタバコが220円時代に、280円もしてた。一時期安くなったが今はまた280円になっている)。が、健康にも懐にも良くないし、
止めるべく、マズかったはずのリベラに乗り換えた。
マズイから、いつかやめるだろうと思ってのことで……。そしてそのまま、現在に至る。
◆ 孤児 リベラ・マイルド
リベラ・マイルドは孤児(みなしご)である。
リベラを吸ってる人を、みたことがありますか?いや、リベラの現物を見たことありますか?リベラの有る販売機は、案外少ないのです。echo やわかばがあるのにリベラがない、なんて販売機も多い。
東京に住んでいたころは、アパートの隣のタバコ屋さんの自販機に有った。品川区百反通りの某タバコ屋(名前忘れた)である。まあ、だからリベラを吸うようになったのである。ただ、品川区内ではけっこう見掛けたのである。いわば、
品川ナンバーのタバコ
などと吹聴してました。95年、金沢へ引越す際に、金沢に行ったら、タバコも変えなきゃなあ
と思っていた。ところが、引越してみて、となりの竹脇酒店の販売機に、ちゃんとリベラがあるではないか。また、学校の近くのすずやにもリベラがあった。石川ナンバーだったのかも。こんなにリベラ密度の高い土地も珍しい。ともあれ、そんな運命的な好運により、現在に至るまでリベラだったのである。
いまでも、旅先にリベラの販売機はまず見つけられないから、出張時には1カートン持ってゆく。
◆ リベラ・マイルドの機能主義
ここに、リベラ・マイルドのスペックを記しておきたい。
- 発売 1987年10月
- タール 10mg
- ニコチン 0.8mg
いまや、なかなかのもんである。
タテヨコ高さなどは、普通サイズである。20本入りキングサイズ。パッケージは、3色使用。白地に薄いグレーのストライプ。赤と金色のすきっとしたレターレイアウト。黒で CHARCOAL FILTER ほかが書いてある。外側のセロファンは透明で、金色1本のセロファンはがしのリードが附く。
タバコ本体は、フィルター部分は白。金の1本ラインに、赤でLIBERA、金でMAILDS。個人的には、茶色のフィルターは好きではない。茶色いやつは、くわえるとヌルッとするのである。
内包みは銀色。赤と金字の上蓋がついている。内包みの銀紙を明けるさい、これを切取ってしまう人がいるが、私は切取らない派。 これを切り明けるさい、折れてない部分が短いと切りにくいのだが、関東で売ってるリベラはここが長い。金沢で売ってるものは短い。
これは、1カートンのパッケージ。
ついでだから、パッケージの展開様も載せておく。ぐるっと回りを巻く展開でのりしろは片サイドにしかないが、これは昔は、両サイドに切れ目が有ったような気がする。 ◆ リベラ・マイルドのエディプス・トライアングル
リベラ・マイルドは孤児であった。これは、たんに自販機にラインナップされてない、というからだけではない。
二つの理由を追加したい。
パッケージから既に明らかなように、リベラ・マイルドは
ラーク・マイルドのパクリ
である。私は実は、リベラー(リベラ愛煙者)の初期のころ、リベラは洋モクだとばっかり思っていたのだ!
単に、私がアホだっただけだが、専売公社のもくろみは成功していたのである。CMも洋モクっぽかった。いずれにしても、ラーク・マイルドのパクリだというわけである。
ふたつめ。リベラ・マイルドには、ヌルの「リベラ」という兄は居ない。
最初に生れたのに弟
なのである。妾腹ゆえに家督の権利が無い、というような出生の秘密をかかえている。また、リベラ・マイルド・ライトも開発されなかった(笑)。
たとえるならば、名門ラーク家のとなりの捨てられた孤児なのである。
◆ 味覚としてのリベラ・マイルド
タバコは嗜好品である。それは味わうものである。
リベラ・マイルドは旨い!
最初こそマズかったが、半年くらい吸ったあと、ほんとうまくなった。今では、これでないとダメである。だから私はもらいタバコが出来ない。もらいタバコをする人にも、リベラでは嫌がられるが。リベラ・マイルドは、ドライである。
ハイライトなどのようなねっとりした感じがない。吸うとカサカサする。しかし、マイルド・セブンみたいなカサカサさとは異なる。キャスターみたいな妙な甘さも、ピースなんかのきざみたばこ風なうそくさい上品さもない。口の中にきっちり残る。きっちり熱がある。そして、最後にすこしだけ、ネットリするのである。そして、妙な力強さがある。それは、マンガにたとえるなら、平松伸二である。見掛けだけは大袈裟で情念の塊みたいだが、その実は薄っぺらなほどに乾いている。
それは、歌姫にたとえるなら、中島みゆきである。歌詞はともかく、声は、リベラ・マイルドである。
それは、SFにたとえるなら、A・E・ヴァン・ヴォークトである。リベラ・マイルドは、「いわゆる一流」ではない。通好みなのだ。
哲学なら、もちろん後期ウィトゲンシュタインである。中味の情熱的な過激さに反して、見た目はおとなしく、真面目、そして非人間的に見えるのである。
サッカーなら、緻密で攻撃的なくせに、おおらかなさも残すオランダ・サッカーである。リベラはアクティブなタバコである。
楳図作品なら、闇のアルバムである。これは好きだ。
◆ 意味作用としてのリベラ・マイルド
タバコはファッションである。あるいは記号作用。どの銘柄を吸うかとは、そういうことだ。
私は、単純にマイナー好みのところがある。私しかその価値を知らない、というタイプにしびれてしまう、そういう単純さ。
洋モクは身分不相応である。私は妙なところがナショナリストで映画もタバコも日本のものが好き。しかし、セブン系は大衆すぎる。ハイライトは身体に悪い(しょせん、おんなじか)。弟はショートホープだが、ホープやピース系は私はムリ。一度、ピースを吸ったが一箱で手がしびれた(ははは)。今は知らないが、YMO時代のサカモトがチェリーだった。だっせー。
ともかく、リベラはかっこいいのである。まあ、
私がリベラーだからリベラ・マイルドがかっこいい
のかも知れない、とか思っていた。私は自分のこういうところが好きである。今まで、二人、リベラを吸ってる人を見たことが有る。一人は忘れたが、もう一人は最初に見た人で、品川駅で浮浪者風の人が吸っていた。ショックだった。
◆ 文学にあらはれたるリベラ・マイルド
現代小説は全く読まないので、知らない。ここはマンガの例である。
『ゴリラーマン』第1巻 (C)ハロルド作石,講談社 1989年んー、あんまりかっこよくなかったかも。
ゴリラーマンがリベラーなのは、金美の卒業生(あ、中退生かな)の森田くんに教えてもらった。
◆ リベラのグッズ
- リベラ・マイルドの販売促進用シール
発売当時、百反通りのそのタバコ屋さんの販売機に貼ってあったものを、いただきました。もっとも、頂いた当時はリベラーではなかったが。禁煙後リベラーになったので。ともかく、たんに、こうしたアメリカのおねえちゃんたちのCMに、うずいてしまったのである、あはは。
これは、中学の頃から使っている鉛筆立てに貼ってある。女性の顔のあたりが、すこしはげかかっています。
リベラ・マイルドは、発売当初、こういう女性達が隊列を組んで「リベ〜ラァ〜」と歌うCMを多量に流していたのである。吸ったことは無くても、このCMを覚えている人は多い。後から出たヴァージョンでは、
「自由という名のタバコを一つ!」
というキャッチコピーがついていた。かっこいい。- 新潟県タバコ協会の紙袋
小千谷の横山さんのお世話で毎年調査に行っている。「魚処いこい」という魚も酒もがともかく旨い店が有って、これもいつもお世話になっているのですが、そこでもらいました。 ◆ リベラ・マイルドを遠く離れて
ともかく、困ったことになったと思う。もうリベラ・マイルドは吸えないらしい。
だが、私は、カートンで買いだめをしたり等、せせこまいしいことはしたくない。紙パッケージを取っておいたり、また、一箱だけ永久保存したり、なんかも絶対にすまい。私は、過去は振り返らず、常に切り捨てて生きてきたのだから。
他のタバコとは、ほとんど趣味があわない。一番近い味は、マルボロ・ライトなのだが、あれはすこし軽すぎる。というか、味が薄い。それに、ボックスタイプは嫌いなのだ。
とりあえず今は、もはや決まってしまった終末を見つめつつ、自分を振り返りながら、一本づつリベラ・マイルドを味わうしかないだろう。その後は?
本気で、タバコをやめて仕舞おうか、とさえ思っている。さて、どうなるのかな。
(2001-08-12)
◆追記 (2001-11-12)
こんな頁でも、見つけてくれる人がいるんですね。嬉しいなあ。御本人の了解を得て、往復のメールを公開します。
From: "***********" <********@*******.com> Subject: リベラーです Date: Wed, 17 Oct 2001 09:41:20 +0900 -------- 私は福島市に住むものです。福島市内でリベラマイルドを買おうとすると、タバコ専 門店2件に行くか、近所の私が利用している自販機に行くかでした。つい最近自販機 に行くと、リベラの席にはマイセンライトが・・・・悲しくてネットで検索しました らこのページにたどり着きました。製造中止とは十分考えられたことですが、彼女に 振られる気分と同じですね。私の持っているリベラグッズは、自販機に貼ってあった B4版くらいのプラスティックの広告と、今はガスが無くなってしまったロゴ入りの 使い捨てライターです。リベラは今でこそ10ミリの0.8ミリですが、以前は12 ミリの1.0ミリでしたよね。けっこうきつめというか、今の軽いタバコブームの中 ではかなりきつめだったのではないでしょうか。約10年間付き合ったリベラとさよ ならするのは辛いのですが、ここでリベラーに会えた事はとても嬉しかったです。い まだかつてポケットからリベラを取り出す姿を自分以外見たことがありませんでした から、もっと早く出会えれば良かったとも思います。まあ仕方ありません。今後乗り 換えるとしたらどの銘柄にしたらよろしいでしょうか。ご指導頂ければ幸いです。 (プライバシーに関するので、中略) このアドレスは職場の自分用ものですが、他に 2つあるプライベートのアドレスにはどちらにもliberaが入っています。これ は今後も変えません。とつぜんのメール申し訳ありませんでした。 ◆
From: TAKAHASHI Akihiko ◆
To: "***********" <********@*******.com> Subject: こんにちは、リベラーです -------- メール、ありがとうございました! あんなページを御 覧いただけとは、光栄というか嬉しいというか、驚きとい うか。ともかく仲間がいたことに喜んでおります。 あのページをアップロードしたあと、JTのサイトかなに かでその後確かめたのですが、発売は1987年頃のようです ね。僕はなんかすこし勘違いをしていたようです。それで、 最初はタール12mgでしたか!あんまり気づいていませんで した(最初のころは、タールやニコチンの表示もなかった ですよね) 福島は、会津ですが数回行ったことが有ります。会津若 松駅の自販機にはリベラがありました。 >製造中止とは十分考えられたことですが、彼女に >振られる気分と同じですね。 まったくそういう感じです。もう決定済みの突然の別れ話ですよ。 >私の持っているリベラグッズは、自販機に貼ってあった >B4版くらいのプラスティックの広告と、今はガスが無くなってしまったロゴ入りの >使い捨てライターです。 その広告ってのは、すごいですね!! 僕は、自販機の中にある見本を狙っています(笑い)。 隣のタバコ屋さんにゆずってもらおうと思っているのです。 あたらしく、タバコはラークのスーパーライトにしよう かと思ってます。4mg、0.3mg と軟弱です。どうせなら、煙 草の量も減らしたいと考えています。味は、なんとなく似 ています。 ほか、ケントマイルドなども試してみましたが、ちょっ といまいちでした。 今後とも、宜しくお願いいたします。 ところで、ページでメールを頂いた旨を紹介させていた だきたいのですが、宜しいですか。メールアドレス等のプ ライバシー情報もありますから、本文は載せない積りです が。 From: "***********" <********@*******.com> To: "TAKAHASHI Akihiko" ◆
Subject: ありがとうございます Date: Mon, 22 Oct 2001 09:31:05 +0900 -------- 返事頂けるとは思いませんでした。ありがとうございます。私は「リベラー」と言い ますか「リベラリスト」と自称していました。意味は「自由主義者」ですが、なんか かっこつけてますね。リベラは本当は英語ではありませんよね。エスペラント語(世 界共通語)だかなんかでした。メールはアドレス以外でしたら本文を掲載して頂いて も結構です。どこかに潜んでおられる「リベラー」が目に止めてくれたら幸いです。 私のタバコライフはリベラが無くなって以来めちゃくちゃになっていますが、リベラ 以外の煙草を吸っていると、箱の中身が残り数本になっても「きっと近くに自販機が ある」とか「どこでも買える」と言う気持ちが働き、全くタバコに関するありがたみ が無くなってきますね。リベラの時は買い置きしておかないとものすごく不安でし た。旅行に行くときは何箱か携帯して行きました。本日から仕事で海外に出かけるの ですが、準備したタバコはポケットのケントライト1箱のみ。以前はスーツケースに 10箱が常識でした。なんだか習慣が変わります。今後もしリベラ情報などありまし たらお知らせ下さい。よろしくお願い致します。 ◆
「本日から仕事で海外」ってあたりが、かっこいいなー。
さすが、リベラリスト!
(2001-11-30)
このページ、けっこう見てくれている人がいます。大学の後輩、卯月くんが、たたみかけるようなリベラのパッケージの画像に笑えたと言ってくれました。仕事上でお付合いのある隣県の美しき女性研究者がやはり、パッケージの図像、あれはなんですか!とあきれてくださいました。
なにがそんなに可笑しかったのか、私にはわかりませんでしたが。そんなにへんですか?別に、ウケはねらってないのです。
追加報告。ラークのスーパーライトにしました。これ、軽いし、ノドにも良い。けっこういいですね(笑い)。250円だし。味も、リベラにかなり近い。ラーク・マイルドほどにはどこにも売ってないが、だいたいどこにでもある(コンビニにはあるがキヨスクは採用してない)。これもラクでいい。最初っから、これにすれば良かったか……などと、忘れること、変わり身の早いやつ。
しかし、隣の竹脇酒店の販売機には、入ってないのがすこし残念。リベラの席にラークSLを入れてくれればいいのに、と思うのだが、お店の奥さんに聞くと、「日本たばこからのレンタルの自販機には、外国たばこは5銘柄までしか入れられない」のだそうです。なお、自販機の見本、取っといてとお願いしたのだが、とんと忘れて居られたようで、ゲットできませんでした。ちょっぴり残念。
(2002-09-17)
こんなメールもいただきました。ありがとうございました。御本人の許可を得ております。
思えば、リベラが無くなって、もう一年。しかし、届かぬ愛ながら、それは確実に存在していたのね。
しかし、先の福島氏と同じように、リベラーは国際派が多いなあ。
それはそうと、禁煙ブームは世界中ではなく、アメリカの一部のものだったんですね。
From: "Yasumitsu Ogra" <******@***.*****.com> To:Subject: こんにちわ、千葉のリベラーです。 Date: Sat, 14 Sep 2002 13:54:42 +0200 --------------- 半魚様 はじめまして。 リベラマイルドに関するページを拝見させていただいて、涙が出る思いです。 私事で恐縮ですが、大学1年のとき(1987年)以来ずっとリベラーを通してきま した(喫煙歴は高1からで、当初はマイルドセブンセレクトを愛煙しておりまし た)。きっかけは、新物好きの先輩が持っていたものを1本もらい吸ってみたと ころ、それまで吸っていたマイルドセブンセレクトと似たような味わいで、なお かつデザインが良かったことと、マイルドセブンセレクトよりも20円安かったこ となどから、思い切って乗り換えてみました。以来14年間にわたり、私の伴侶と して苦楽を供にしてまいりました。あるときはゴリラーマンと呼ばれ、後輩にタ バコを買ってきてもらうという経験もなく、引っ越すたびにあるいは勤務先が変 わるたびに苦労して売っているタバコ屋さんを見つけるのに苦労いたしました。 今となってはいい思い出です。 昨年の秋の終わりごろだったでしょうか、突然いつも我らがリベラ・マイルド が鎮座しているところに、得体の知れない洋モクが座っておりました。思わず驚 きのあまり、かばんからメモ用紙を取り出し販売機に「リベラ・マイルドを戻し てください」と張り紙をしてしまいました。翌日、販売機を見てみるときれいな 細字で(小料理屋さんの管理している販売機ですから、おそらく女将さんからの 返信)、「申し訳ございません。リベラマイルドは廃品になりました。」と張り 紙されておりました。以来、一時的に他の銘柄を試してみたものの、納得のいく 味が得られず、これを機会に禁煙してしまいました。 結果的にリベラ・マイルドの消失とともに私の喫煙歴も終わりを迎えました。 もう2度と喫煙することはないと思いますが、私の人生のある一時期を供に過ご したよき友の思い出が、ホームページを拝見して、蘇ってまいりました。ありが とうございました。 ただいま仕事の関係(私も大学教員)でフランスの田舎町に滞在しています。 あらためてヨーロッパの喫煙率の高さ(特に女性)、喫煙に関する寛容さを実感 しています。日本で見聞きする禁煙のプロパガンダは、圧倒的に北米の影響下に あることを感じました。 くだらない思い出話を書いてしまい申し訳ありませんでした。私たちのよき思 い出が永遠であることと、貴ホームページの益々のご発展をお祈り申し上げま す。 小椋康光 in Pau, FRANCE
2010-09-21 (Tue)
禁煙したのではない。禁煙という言葉は喫煙を前提としている。私は、喫煙それ自体を辞めたのだ。もう二度と煙草を吸うことはないだろう。
2010年10月からの値上げに屈したのではない。およそ一〇〇円の値上げという中途半端な大金の影響は皆無ではないが、すくなくとも、煙草がいくらに値上がりしても困らないくらいの給料はもらっているつもりだ。
私は、これまで煙草を辞めるつもりなど全くなかったし、辞めた自分も想像できなかった。しかし、辞めてみるとほとんど良いことだらけであることに気づく。第一に場所。いまや自宅と研究室(吸えたのだ)以外で、自由に吸える場所は全く無い。外では、屋根も無い炎天下に(あるいは寒い吹きさらしに)追いやられて、犯罪者の如くにあつかわれてきた。喫煙者同士の連帯感もない。列車でも全面禁煙になって一年ちょっとか。かなり困っていた。が、辞めたのでもう困らない。
第二に時間。「これから三時間は吸えない」「今、吸っておかないと」。禁煙者にとって、こうした未来からの拘束はいつも極度のプレッシャーだった。辞めたのでそれからも解放された。現在の拘束という煙草の時間性もある。煙草一本吸うのにおよそ3〜4分くらいかかる。仕事しながら吸う場合もあるが、ぼんやり吸うことも多い。日に四〇本吸うとして、半分の二〇本をぼんやり吸ったとすれば24時間のうち1時間半はぼんやりしていることになる。ムダであった。過去からの拘束もある。「煙草の火をちゃんと消したか」「消えたことをちゃんと確かめたか」。消えてなかったことなど今まで一度もないのだが、ずっとこれがプレッシャーであった。
第三に健康など。煙草が健康に悪いのかどうかは、私はよく分からない。ただ、痰は少なくなったな。歯も白くなりつつあると思う。第四には経済。給料はたくさんもらっていると言ってみたものの、ひと月二万円はあまりにでかい。
ともあれ、私は、続けて益のない、勝ち目のないゲームからすんなりと足を洗ったのだ。
辞めた遠因はさまざまある。直前に、奥さんと「禁煙外来」の話をしてたこともきっかけになった。禁煙外来では、TVで館ひろしがCMしているように、意志で煙草をやめるのではないらしい。また、ヘビースモーカーだった高田先生がぷっつりおやめになられたのも、ひとつのきっかけである。高田先生に出来る事だから私も出来る、という論理にはまったくならない。だが、「もう、一生分、吸ったよ」とおっしゃった先生の一言は、先生に抱きつづけてきた憧れを写しだした一つの鏡でもあったろう。いや、憧れとは違うな。高田先生の大いなる決意・諦念・天命を知る、そういった先生のあり方に対する私が抱いた畏怖の念といったほうがいいだろう。その鏡である。ともかく、高田先生はやはりすごいな、という私の思い。
こんなふうに、先生のことを思いつつ「禁煙外来」の話をしてから、一服せずに眠り、そのまま翌朝から吸わなくなったのである。
煙草を辞めたのは、煙草よりも大事なものがあったからである。子どもが生まれました?。ははは、残念でした、違います。
私の母は、いま、私にしてほしい事などほとんどないだろう。もちろん、以前はたくさんあったはずだ。「健康で元気に育ってほしい」「勉強が出来るようになってほしい」「立派な息子であってほしい」等々。それらは、もはや実現されてしまっている。母が母自身の生を受け入れるという意味において、実現されている。つまり、この程度の息子で納得する、という意味においてである。母は私に「これは天命だと思っている」と言った。母が私にしてほしいこととして、よく口にしていたのが煙草を辞めることであった。今、煙草を辞めましたと言いい、母はとても喜んでくれている。
禁煙は良いことだらけだ。禁煙できて良かった、と普通は言うのだろう。しかし、そんな良い事なんてなくてもいいから、そんな良い事などいくらでも犠牲にするから、私は母に長生きしてほしいと思う。
禁煙は喫煙を前提としたその否定にすぎない。 私の言う煙草を辞めることは、喫煙や禁煙の否定ではない。それらを肯定も否定もせず、もう一度生き直すという意味だ。しかも、絶対に出来ないと思っていたことをやることだ。それは奇跡への願いである。
生は単なる死の否定ではなく、死も生の否定ではない。「もしかしたら明日、死ぬかもしれない。でも、そんな事に気づかずにいるから、人は生きていけるだけなんだ」。ハイデガーの言葉ではない。母が私に言った言葉だ。では、それに気づいた時、人はどのように生き直すことが可能になるのか。あまりに平凡な哲学的問いにすぎない。しかし、一般的な問いであっても、生という回答はいつも一回きりである。生きることは、最初から奇跡の連続だった。人はそれが奇跡であったことに気づかないだけである。
高橋明彦