ワキ「抑これは天智天皇の臣下。紀友雄と は我が事なり。爰に藤原の千方といへる 逆臣あり。風鬼火鬼水鬼隠形鬼とて。四色 の悪鬼を従へつゝ。王位を掠め国を乱す。 万民の煩なるに依つて。急ぎ追伐仕れ と。某宣旨を蒙りて候。いかに誰かあ る。トモ「御前に候。ワキ「逆臣千方が有様 を委しく聞きてあるか。トモ「さん候か の千方と申すは無量無辺の通力を得。殊 に四性の鬼神を従へ。天地を掠め国を侵 す。凡人の身を以ては。安々と従へ申さん 事。覚束なく存じ候。ワキ「汝が申すもさる 事なれども。もとより我が朝は神国と云 ひ君の宣旨を帯しぬれば。是非に勝負を 遂ぐべきなり。扨かの四性の鬼神の事。 トモ「風鬼は風を起しつゝ。黒塵人の目 を晦ます。ワキ「水鬼は水を自在にし。雨 を降らせ浪を立て。トモ「天地を返す術を 得たり。ワキ「火鬼は火の雨猛煙を立て。

地「隠形鬼はもとよりも。/\。隠るゝ術 を身に享けて。霧や霞に変じて。人の心 をたぶらかす。四道の通力自在にて。神 変はいさ知らず。人間の身として。討ち 得ん事は不定なり。されども我が国は。 神代の昔より。淳なるみことのり。大和 の国と名づけては。大きに和らぐと訓ま せつゝ。人の心も直ければ。悪鬼いづく に住むべきや。唯疑ふは人心。ワキ「土も 木も皆我が君の国なれば。地「鬼神やたけ に思ふとも。神の誓は有明の。月の光の 潔く。影暗からぬ日の本の直なる法に 引く弓の。やがて逆臣は亡び失せ。民 安全に栄ゆべし。狂言シカ%\「。ワキ詞「さらば この歌を持ちて。千方が方へ行き四性 の悪鬼に見せ候へ。トモ「畏つて候。あ つぱれこれは大事の御使を承り候ふもの かな。まづかう急ぎ候ふべし。狂言シカ%\「。 シテ立衆次第「光普く照る影の。/\。月日も奪

ふ威勢かな。シテ詞「これは藤原の千方な り。いかに四性の鬼神はなきか。鬼「御前 に候。シテ「さても某此度の逆心。天理を 背くといひながら。運命強き験にや。攻 むるに背く者もなく。招くに靡かぬ味方 もなし。爰に一つの物語あり。汝等に語つ て聞かすべし。近う参り候へ。狂言シカ%\「。 詞「それ日本開闢の初は。伊弉諾尊伊弉 冊尊。天が下に降り下りて。一女三男 の神を生み給ふに。一女と申すは天照 太神宮の御事なり。然るに太神宮。勢州 度会の郡。かみが瀬下津岩根に跡を垂れ 給ひて。万代不易の利益を現し。国土を 治めみそなはしめ。神国となりし処に。 爰に第六天の魔王。眷属無数の天魔を引 具し。応化利生妨げしかば。天照太神神 勅あり。二度障礙をなさゞりせば。我が三 宝に近づかじと。誓を立てゝ神勅ある。さ るに依つて魔ども怒を抑へ天上せり。こ

れ我が朝へ天魔鬼神の障礙をなしゝ始と かや。其後神武の帝の御時。紀伊の国に土 蜘蛛住む。その手の長さ二丈余の。千筋の 糸の乱れあふ。網を張ること十重廿重。 改むるに力も尽きぬとかや。是等をこそ 世の人の。由々しき天下の患と。思ひし 事は何ならず。我はもとより通力に。 地「殊には無類の鬼神夜叉。/\。忽然と 従へば。その威勢みち汐の。さしも貴き 神の国。半に過ぎて従へば。程なく日の 本の。主とならん嬉しさよ。主とならん嬉 しさよ。トモ詞「いかに陣中へ案内申し候。 シテ「案内とはいかなる者ぞ。トモ「これは 右大将紀友雄が方より申すべき子細あり て。何某の士官が参りて候。狂言シカ%\「。 シテ「やあ面々はこの歌の心を存じ寄り てあるか。鬼「何々見れば。土も木も。 シテ「我が大君の国なれば。二人「いづくか 鬼の栖なるらん。地「いづくか鬼の栖ぞ

や。実に理なり土も木も。我が君の国な れば。障礙をなさじとや。天七地五のみ ことのり。天つ日嗣の絶えせずも。伝は り靡く日の本の。疎なり我々が。望をか けし事よとて。一首の和歌の徳により。 四色の鬼神座を立ちて。千方を見捨て雲 を踏み。虚空に翔り失せにけり。実に目 に見えぬ鬼神。猛き心も和ぎて国淳なる 功は。大和歌の力なれ。/\。中入「。後ワキ立衆「よ せかけて。吹くや嵐の音高く。梢も噪ぐけ しきかな。ワキ「抑これは。天智天皇の勅を 受け。友雄唯今向ひたり。逆臣とく/\退 散せよ。シテ「千方これを聞くよりも。地「千 方はこれを聞くよりも。あらもの/\し や何程の事あらん。いで物見せんとて。 鉾ひつさげ。傍を払つて出でたる形。陽 疫神も。面を向くべき様はなし。太鼓あり「。 寄手の兵是を見て/\。我討ち取らん。 討ち取らんと。切先を並べ寄せくる浪の。

打ち合ふ刃の光は秋の野の。尾花が末の。 乱るゝ有様と覚えたり。シテ「さしもに勇 む寄手の勢も。地「千方が威勢にかけ立て られて。暫く後陣へ引きにけり。働あり「。 ワキ「友雄はこれを見るよりも。地「友雄は これを見るよりも。いで/\某千方と組 むで。勝負をつけんと。夕日に輝く剣を かざし。走りかゝつて。二打三打は合ふ よと見えしが。無手と組むで。大地にか つぱと倒れふし柳。よれつもつれつ二こ ろび三転。鎧の袖を打ち重ね。/\。多 くの軍兵落ち重なつて。千方を生捕り悦 の鬨を揚げ。さゞめき帰るやさゞ浪の。 志賀の都へ帰洛をなすこそめでたけれ。