狂言詞「か様に候ふ者は。居鶴太夫季次にて 候。扨も某が婿の磯屋の十郎治親は。鎌倉 殿につきて謀叛朝敵の者にて候ふ間。召 捕りて参らせよとの御事にて候ふ程に。 某御前にて領掌仕りて候。兄弟の者を呼 び出し談合仕らばやと存じ候。いかに誰 かある。トモ狂「御前に候。狂言「太郎次郎に 参れと申し候へ。トモ狂「畏つて候。いかに 太郎殿次郎殿急いで御参あれと仰せられ 候。兄弟二人「扨我等をば何とて召され候ふぞ。 狂言「おことたち呼び出す事余の儀にあら ず。婿の治親を鎌倉殿より召捕つて参ら せよ。御感賞には上野下野両国を下され うずると仰せられ候ふ程に。早々生捕り て参らせ候へ。太郎「言語道断の事を仰せ られ候。侍が侍を頼むは斯様の事にてこ

そ候へ。我等は同心申し難く候。狂言「いや いや左様に申しては叶ひ候ふまじ。某御 前にて領掌申す上は。早々生捕りて参ら

せ候へ。太郎「某こそ斯様に存じ候へ。扨 次郎殿は何と思召し候ふぞ。次郎「さん候 親にて候ふ者。御前にて御領掌の上は。何 の子細の候ふべき。太郎「扨は同心にて候 ふか。次郎「中々の事。太郎「扨かの者をば何 と仕り生捕り候ふべきぞ。次郎「さん候御

前へ呼び出し生捕申さうずるにて候。 狂言「言語道断の事。かの治親と申す者は大剛 の者にて候。もし取り損じするならば。お こと達は目にもかけまじ。此尉が細頸ね ぢ切つて捨てうずるは物にても候はず。 五里も十里も余所にて捕り候へ。太郎「親 にて候ふ者の聊爾こそいよ/\あかつて 候へ。次郎「我等もさ様に存じ候。扨かの者 をば何と仕り生捕り候ふべき。太郎「さん 候親にて候ふ者の仰には。此所に永々逗 留候へども。何にても珍らしき事もなく 候ふ程に。親にて候ふ者の茶事を興行中。 かの者の宿所へ立越え呼出し生捕らうず るにて候。次郎「是は日本一の御たくみに て候。太郎「いかに此屋の内に治親の御入 り候ふか。シテ詞「か様に候ふ者は。磯屋の 十郎治親にて候。今日は親にて候ふ者の 命日にて候ふ程に。持仏堂に参り焼香せ ばやと存じ候。太郎「いかに治親の御入り候

ふか。シテ「居鶴が声にて某を呼び候ふよ。 太郎「いかに治親の御入り候ふか。シテ「治 親と召され候ふは誰にて渡り候ふぞ。 太郎「居鶴が参りて候。シテ「や。よく御出に て候。扨只今は何の為の御出にて候ふぞ。 太郎「さん候此所に御逗留候へども。いか 様なる興行も候はねば。親にて候ふ者茶 事を興行候ふ程に。御出あれと申され候 ふ間。御迎に参りて候。シテ「何と仰せ候ふ ぞ。我此所に逗留申し候へども。いか様な る慰も候はねば。茶事を御興行あり。某に 参れと候ふや。太郎「中々の事。シテ「参りた うは候へども。ちと隙入る子細候ふ程に。 重ねて参らうずるにて候。太郎「さ様に辞 退あるべきと存ぜられ。来頭を治親と御 指しにて候。シテ「何と某に来頭を御指し と候ふや。太郎「中々の事。シテ「御聊爾こそ 猶あかつて候へ。此度参り候はねば。来頭 を辞し申すにてこそ候へ参らうずるにて

候。太郎「日本一の事やがて御供申さうず るにて候。さあらば御出で候へ。シテ「まづ 御出で候へ。太郎「某参らうずるにて候。次 郎をばあとに召され候へ。シテ「さあらば 次郎殿御出で候へ。シテ「扨珍らしからぬ 事にて候へども。某謀叛朝敵の身と准ぜ られ。骸を塵芥に埋むといへども。方々の 御芳志たるによつて。心は樊於期が謀を 廻らす。太郎詞「何と謀叛と候ふや。シテ「あ あ音高う候。太郎次郎二人「御心安く思し召せ。 我等一類多ければ。よき同意ありと思し 召し。唯打ち解けよと諫むれば。シテ「扨は 同意か。太郎「中々に。シテ「今の我等が謀 を。上歌「人や聞くらん壁に耳。地「人や聞く らん壁に耳。よそ目あらましの。末さて いつかしらま弓。いはじかしかまし。人 目をつゝむ身なるに。太郎「やあ上意たる ぞ。シテ「抑これは何事ぞ。太郎「我等本意 にあらねども。上意の趣搦め取り。関東

へ具足し申すべし。シテ「上意の事はさる 事なれども。たばかりけるは無念なりと。 引立て行けば。二人「引きすゆる。シテ「を りあふ者は。二人「十余人。地「前後左右よ りをりあひて。やがて千筋の縄をかけ。 鎌倉へこそ上りけれ/\。三人次第「散りにし 花の名残ぞと。/\。風やこのみを誘ふ らん。サシ「扨も治親朝敵とて。鎌倉に籠 舎し給へば。これも敵と思ひ子の。いと けなき身に縄をかけ。籠輿にのせ奉れば。 唯籠中の鳥ぞうき。下歌「弓矢の家の名の 為に。上歌「命なほ軽き例に思ひ子の。 /\。いとけなやいたはしや慰め兼ねて 旅心。急がぬ道の日数経て。早鎌倉に着き にけり/\。居鶴太郎詞「急ぎ候ふ程に。鎌倉に 着きて候。某が宿にて休め申さうずるに て候。シテ「猛虎深山にある時は。悪竜お じをのゝくと云へども。暗洞の内に於て。 尾を振つて食を求むると云ふ。古人の心

も今身の上に知られたり。あらいぶせの 籠の内や。太郎詞「言語道断さしもに猛き治 親も。弱りたる声を出し籠の内にて。独 言を仰せ候。いかに籠中に案内申し候。 シテ「誰にて候ふぞ。太郎「居鶴が参りて候。 シテ「居鶴殿とや。籠守囲を取り候へ。 籠守「畏つて候。シテ「扨只今は何の為の御 出にて候ふぞ。太郎「只今参る事余の儀に あらず。重ねての上意により。御子の玉 若同じく乳母の沢田ともに生捕り。此所 へ参りて候。シテ「何と仰せ候ふぞ。重ね ての上意たるによつて。我が子の玉若。 同じく乳母の沢田ともに生捕つて。此所 へ御出と候ふか。太郎「中々の事。シテ「あ うまづゆゝしう候。なう居鶴殿。か様の 身に罷り成りて。申すは詮なき事なれど も。此事を某に露程も御知らせ候はゞ某 腹を切るべし。腹切りて候はゞ。首取つ て関東へ上せ。いかならん勲功にも与る

べき身のさはなくして。か様にたばかり 詰籠に入れ置き。世上に面を曝す事も。 偏に御分の仕業と思へば。草の蔭までも 忘れ難う候。又玉若が事は。正しく御身 の為に甥。甥は子にてあらずや。情なく も叔父の身にて子と云ひ親と云ひ。重ね ての勲功の賞に与るべきとや。あら愚や。 いやとよ弓取の。今日は人の上。明日は 我が身の上ぞかし。さのみ慾にな住しそ とよ。これはざれ事。偖玉若はいづく に候ふぞ。太郎「未だ某が宿に置きて候。 シテ「さあらば一目見たう候。太郎「心得申 して候。いかに沢田。玉若を同道申し籠 のほとりへ御出で候へ。ワキ沢田「心得申し候。 かう/\渡り候へ。シテ「いかに沢田。此 程の路次すがらの辛苦推量してあり。玉 若は泣き候ふか。実に/\我だにいぶせ き籠の内を見て。さこそ親と思ひ泣くよ な。実にや逢ひ見ても。幾程そふべき親

子の中。籠の格子の隙よりも。手を触れ 髪を撫でんとすれども。制の縄の身を責 めて。心に任せぬ悲しさよ。髪をあまた に結ひわけて。四方へつなげばさながら に。鉄城地獄の患たり。又高手小手のい ましめの縄に。涙をすべき便もなし。我 等が命も今は早。今宵ばかりの名残なれ ば。心のまゝに添はゞやと。地「猛き心も 弱々と。子を思ふ夜の鶴涙もしげき袂か な。クセ「あはれ父母が。思ひ育てし玉若 を。花に譬へ月によそへ。行末まつのみ どり子の。成人するを待ちつるに。何を か科と夕露の。玉の賜キく添ひもせで。夢 の夜の間の契こそ程なかりけれ。シテ「こ れをものに譬ふれば。地「御息所を恋心。 墨の衣の色深く。忍ぶ文字摺誰故ぞと思 ひなして恐ろしさに。御手ばかりをさし 出す。それにはかはる親と子の。涙も尽 きぬ名残なるに。武士あらけなく。親子

の中を引き分けて。帰れば我はすご/\ と。跡を見送りて籠の中にて泣き居たり。 シテ「いかに沢田。此暁は治親が最期にて 候。安心を心静かに仕り候ふべし。玉若に も心静かに安心をさせ候へ。沢田「心得申 して候。いかに玉若殿かう/\御入り候 へ。此暁が治親が最後最期にて候。御身も尋常 に御斬られ候へ。未練の御働あつて御家 の名をばしおとされ候ふな。子方「自が事 は思ひ定めて候へども。玉若故に沢田ま で斬られん事こそ悲しう候へ。沢田「何と 仰せ候ふぞ。御心底は思し召し定められ 候へども。玉若故に沢田まで斬られん事 が不便なると仰せ候ふか。あうやさしく も仰せ候ふものかな。口惜しや故郷を出 でし時は。玉若子の御事をさりとも/\ とこそ思ひしに。今は頼もなでしこに。離 れ申さん悲しさよ。実にや世の中はあだ に咲きなす花なれや。定なのうき世や。

よし/\誰か世の中に。住み果つべきか 歎かじ/\。沢田詞「いやきつと案じ出した る事の候。かう/\御出で候へ。鎌倉にと りても此所は筋違橋と申し候。此所にし つかとして御入り候へ。某罷り帰り。父治 親を御供申すべし。さあらん時は物音高 く人噪ぎ候ふとも。沢田が参らんまでは しつかとして御入り候へ。いかに籠中へ 案内申し候。シテ「誰にて候ふぞ。沢田「沢田 が参りて候。シテ「何沢田と申すか。沢田「音 高う候。シテ「さて何事ぞ。沢田「最前この 籠中を見申すに。かひ%\しき番の者も なく候。御力の程も覚えて候へば。此籠 一つ押し破り。おく陸奥の国に下り。津 軽合浦蝦夷が千島百島の勢を語らひ。関 東に切つて上り。此度の会稽の恥を御そ そぎあれかしと。この儀を申さん為に参 りて候。シテ「何と申すぞ。最前も籠中を 見てあれば。かひ%\しき番の者もなし。

又某が力の程も覚えてあれば。此籠一つ 押し破り。おく陸奥の国に下り。此度の 会稽の恥を雪げと申すか。沢田「さん候。 シテ「あうよく申してありさりながら。流石天 命が恐ろしきぞとよ。沢田「か様の御身に なり給ひては。何の天命の入り候ふべき。 シテ「何と天命は入らぬと申すか。沢田「中 中の事。シテ「さて夜は何時ぞ。沢田「早夜 半の頃にて候。シテ「玉若はいかに。沢田「早 筋違橋まで落し申して候。シテ「さらば破 つて見うずるにて候。いで/\籠を破ら んと。金剛力士の力を出し。四方に維げ るかうべの縄。一ふり振れば何ならず。皆 ちうより切れて落つる。沢田「さて高手小 手のいましめ縄。シテ「一度にふつつと引 つ切つたり。沢田「さて両足のほたしのか ね。シテ「三つづつ打つたる大鑓。皆抜き捨 てゝ立ち上り。もの/\しやと足ふんば り。五体に力をゆり合はせて。地「籠の柱

に手をかけて。えいや/\と押しければ。 ごろくもたまらずばらりと砕けて四方 へばつとぞのきにける。籠を守れる兵 は。あますまじとて追ひ駈くる。治親こゝ にありと。籠のくわんぬきおつ取つて。

走り廻れる其の勢。虚空をかける四天狗。 八金剛といふとも。面を向くべきやうぞ なき。今は治親これまでと。主従三騎し づ/\と主従三騎しづ/\と。陸奥さし てぞ下りける。