ワキ詞「やあ/\太子を討ちとめ申したる か。狂言「さん候。この木の本まではめが け申して候ふが。正しく御馬は天に上り。 太子はこの木の本にて見失ひ申して候。 ワキ「言語道断の事。扨は此木不審候ふ程 に。杣を召してこの木をなほさせうずる にて候。ツレ「然るべう候。急いで杣を召 されうずるにて候。このあたりに杣があ るか急いで召し候へ。狂言「畏つて候。い

かに杣があるか急いで参り候へ。シテ「杣 と仰せられ候ふは。何の御用にて候ふぞ。 狂言「いかに申し候。杣を連れて参りて候。 ワキ「いかに杣この木を急いで伐り候へ。 シテ「この木は何の御為に伐らせられ候ふ ぞ。ワキ「さん候太子を追つ駈け申して候 へば。御馬は天に上り。太子はこの木の 蔭にて失せ給ひたる間。この木のなか不 審に候へば。急いでこの木を伐り候へ。

シテ「暫く候。これは仰にて候へども。御 馬は天に上る程の太子の御神変ならば。 この木を伐る隙に天にも上り地にも入ら せ給ふべし。労して功なし。あたら木な伐 らせ給ひそとよ。その上春日の明神の神 託にも。人の参詣は嬉しけれども。詞「木 の葉の一葉ももすそに着きてや去りぬべ きと。惜ませ給ふかんたうの。伐ること 勿れ春風の。庭前の木を伐るも空にとい へば目に見えぬ。鬼神よりも恐ろしき。 太子の御謀。にぐる由にてその跡に。入 れかへ勢や候ふらん。秋の夜の長追して。 怪我せさせ給ふな。あけぐれは。かへさ の道も如何ならんと。諫めおどされ軍兵 ども。皆退散しぬ嬉しやな。扨こそ太子 の御命。いきの松原今までの。心尽も痛 はしや。早々御出で候へと。ほと/\と うつぼ木の。箱を開けたる如くにて。二 つに割るれば忝なや。太子は恙ましまさ

ず。扨こそこの木をば。神妙むくの奇特 とて。花紅葉ならねど名木の。名をば残 すなれ。クセ「太子この木に御向ありて。 三度礼し給ひて。我を孕める木なれば。 へいさん木と名づくべし。これぞ誠のは はその。もりやが責を助けたりや。誰か 云つし花物いはずとは。軽漾げきしんの 害を遁るゝ嬉しさよ。一仏成道。観見法 界。草も木も成仏と。唱へさせ給へば。 あれ三日月の割れたりき。このめ春草生 ひ合ひて。もとの大木となりたりや。こ の事聞き及び落ち散りたりし軍兵も。皆 皆参じけるにこそ。この老翁が志。神妙 むくのきどくとて。仰がぬ人ぞなかりけ る。/\。ツレ詞「かゝる有難き御事こそ候 はね。太子の御神変により。皆々御方に 御参りめでたく存じ候。ツレ「先々只今馳 せ集つたる。御勢はいか程あるぞ。急い で到着につけ候へ。狂言「畏つて候。到着

につけ申して候へば。四十八騎御座候。 ツレ「この御勢にては余りに無勢に候ふ程 に。あの生駒の嶽に篝をたかせ。国中の御 勢を集めて。御合戦あれかしと存じ候。翁 も古き者なれば。罷出でて意見を申し候 へ。ゼウ「畏つて候。先各々御申の分を。太 子へ尋ね申されうずるにて候。ツレ「げに げに太子の何と思召し候ふらん。まづ尋 ね申さうずるにて候。いかに申上げ候。只 今馳せ集つたる御勢。四十八騎ならでは 御座なく候ふ間。生駒が嶽に篝を焚せて。 国中の御勢を御待ちあれかしと存じ候。 但し何とか御座候ふべき。太子「扨も此度 の合戦身の為にあらず。只仏法興隆の為 なり。然れども衆生の悪業に引かれ打ち 負けぬれば力なし。此度は守屋が矢先に かゝり命を失ふべし。志あらん人々は。 我を貢いでたび給へと。直衣の袖を両 眼に当てさせ給へば。軍兵どもも鎧の袖

を濡らしけり。ツレ「さては太子の御心中 委しく承り候。尤にて御座候。いかに翁。 然るべきやうに意見申し候へ。ゼウ「仰承 りて候。面々は静かにかゝつてと承る。 太子は偏に御討死となり。されば君と臣 との御手立てはたとかはれり。かやうに 申す翁も。逆臣どもにせばめられて。あ の生駒が嶽に候ひしが。此度は太子の御 手に属し申すべし。爰に一つの奇瑞あり。 只今馳せ集まる御勢四十八騎なり。太子 の御本地救世観音。地「本地弥陀の御誓願 も。四十八騎の仏弟子にて。十万億の無 明を滅ぼし。極楽城に立籠つて。衆生を迎 ヘ給へり。かう申す翁も。三笠の山守。 我が神力をかすがの藤。かゝらせ給はゞ 佐保の川波。寄手の人数に加はるべし。 /\とて。かき消すやうに失せにけり。 /\。ワキ「邪正二つの御争。一如になれ とぞ。責めたりける。それ我が朝は神国

なり。/\。神は非礼を受けたまはず。 仏法好の悪太子。地「あますな泄らすな 討ち取れや浦浪の。ワキ「寄せつ返しつ秋 の田の。稲村がじやうしちやうげし。阿 鼻獄の。底も動けと。をめき叫んで戦う たり。地「かゝつし処に榎が城よりも。さ も花やかなる武者一騎進み出でて名宣る やう。これは守屋が弟に。勝海の連。か つうみと海に勝つといへば。名詮自称に えらみ出されて。日の大将とぞ。名宣 りける。ツレ「只今名宣りたる者は。守屋 が弟に。勝海の連と名宣つて候。又此方 よりも名宣つて聞かせうずるにて候。其 時太子の御方より。秦の河勝進み出でて 名宣る様。抑君をば海に譬へ。臣をば 川に譬ふると言ふ。その流を汲んで海内 にをさむ。かう申す河勝も。河に勝つと いへば。これも名詮自称なり。/\。い かなる宇治川淀川なりとも。海に勝つべ

きやうやあるとて。一度にどつとぞ笑ひ ける。その時守屋は腹を立て。/\。う はざし握むで忝くも。太子に向ひて申す やう。これは守屋が射る矢にあらず。物 部の明神の。遊ばす矢なりとよつぴきひ やうと。いのめをすかせる黄金のあぶみ の。鳩胸ふつと射ちぎりたり。あぶみが なくば。あぶなき御命。射はづしけるこ そ安からね。太子も当の矢遊ばしけるが。 /\。これ自が射る矢にあらず。四天 の遊ばすおでうづなりとて。放し給へば 不思議やな。この矢がすぐにも飛ばずし

て。天に上ると見えつるが。守屋が首を なりまはつて。口の内にぞ立つたりける。 シテ「さしもに猛き守屋が強力。さしもに 猛き守屋の強力。さも弱々と老木の柳の。 緑の梢も朽榎木の。諍識も尽き果て。我 慢も倒れて。櫓より落つるを。秦の河勝。 頸を打たんと太刀振り上ぐれば。守屋下 より如我昔諸願。今在満足と。法花経の一 の巻を。息の下にて誦しければ。気一切 衆生皆令入仏道と。次の句を唱へて。守 屋が頸を打落とす。難波の寺の古。残 るや秋の月影。