ワキ次第「紅葉を分くる竜田ごえ。/\。高安の 里を尋ねん。詞「これは都方より出でたる 者にて候。我未だ春日立田に参らず候ふ 程に。此度思ひ立ち春日立田に参り。そ れより河内路を経て都に上らばやと存じ 候。道行「立田路の末の山越え雲霧の。 /\。嶺立ちならし鳴く鹿の。声遥々と

行く程に。麓に見えし高安の。里にも早 く着きにけり。/\。シテ詞「なう/\あれ なる旅人はいづくより来り給ひて候ぞ。 ワキ「これは都の者にて候ふが。春日立田 に参り。只今此所に来りて候。扨爰をばい づくと申し候ふぞ。シテ「さん候此所をば 高安の里と申し候。ワキ「此所に於て。笛

吹の松とは何れを申し候ふぞ。シテ「あれ なるこそ笛吹の松にて候。ワキ「扨何の謂 にて。笛吹の松とは申し候ふぞ。シテ「往 昔在原の業平。忍び通ひの立田越に。あ る松蔭にて。笛を吹き給ひしによつて。笛 吹の松とは申しならはして候。ワキ「扨は 古業平の。笛吹き給ひたる木の本なるぞ や。業平は石上より立田越に。この所に 通ひしよなう。シテ「さればこそ忍び/\ の道なれども。有常が娘の歌故に。余所 にも人や白波の。ワキ「盗人の居る山路な れば。覚束なさに詠みし歌の。シテ「沖つ 白浪立田山。ワキ「夜半にや君が独り行く らんと。シテ「其言の葉の。ワキ「隠なけれ ば。地「高安の女も名にやたつた山。/\。 夜半にまぎれて盗人の。襲ひやせんと思 ふ故。それを名に立てゝ。沖津波と詠み しなり。凡そ白波と申すは海賊の事とい へども。海賊も山賊も。只同じ名ぞと白

浪の心を寄せて詠みしなり。/\。ワキ「扨 は誠に業平は。あの松蔭にて笛を吹き給 ひて候よなう。シテ「中々の事今宵はこの 松の下臥して。若し笛の音の聞ゆる折か らを待ちて御覧候へ。ワキ「是は不思議な る事を御申し候さりながら。今宵は爰に 松がねの。シテ「枕の夢を待ち給はゞ。其 時妾も現れて。昔を語り参らせん。ワキ「そ もや昔を語らんとは。扨々御身はいかな る人ぞ。シテ「あら恥かしや誰ぞとは。 地「夕影草のかりの世に。/\。昔も今も 変らじな。高安の女とは。昔も云はれ今 とても此里に住む身なれば。高安の女ぞ かし。疑はせ給ふなとて人にまぎれ失せ にけり。人影にまぎれ失せにけり。ワキ待謡「高 安の此松蔭に仮寝して。/\。昔の跡を 白露の。苔の莚をかたしきて又ねの夢を 待つとかや。/\。後シテ「あら有難の御弔 や。その名ばかりは。高安の。浅からざ

りし妄執の。憂名も立つや恋衣の。うら みの身にて明暮らし。その夜は今にかへ る夢の。幻に現れ出でたるなり。ワキ「不 思議やな松の響も冴え渡る。そなたを見 れば人影の有るかなきかに見え給ふは。 いかなる人にてましますぞ。シテ「御弔の 有難さに。高安の女と名に古りし。其幽霊 にて候ふなり。ワキ「不思議や扨は往昔の。 其高安の女姿。なほ執心は爰に来て。 シテ「閻浮の昔の故郷に。ワキ「帰り来にけ り。シテ「君があたり。地「見つゝをゝらん 生駒山。/\。雲な隠しそ。雨は降ると も秋の夜の。嵐も鐘も松の声も。高安の 里なるに。夢ばし覚し給ふな。実にや稀 にして。逢ふこと難き松蔭や。これも 一樹の縁ならん。/\。地クリ「実にや命に は遠き昔もなかりけり。見ぬ世語の言の 葉の。露のかごとに人や知る。シテ「名に だにも昔男の跡とめて。この高安の里

人の。宿の軒端の花薄。ほの見え初めし面 影の。シテ「其名をとめて今迄も。地「なき 世語は恥かしや。地「凡そかゝる身に。有明 月のよにふるゝ。譬もさぞな在原の。業 平のいもとせに。紀の有常が娘の。妬む 気色もなかりしを。男怪しめ思ひ寝の。胸 の烟の立つや立たずや不知火の。ひさげ の水の湧きかへり。思ぞくゆる埋火の。こ がれける夜の恨をば誰か知るべき。さる 程に志。深き情の色見えて。よその二道一 方に。移ろふ色もなかりしを。稀々通ひ て高安の。有りし住家を今見れば。女はい つしか賎くも飯貝取つて様々の。世の業 を賎の女が縫ふてふ糸の麻衣の。面にも 似ぬ人心。憂しとて思ひ捨てし身の。妬む 心の例なり。よしなや思ひ忘れん。さる 程に夜更け人静まつて。松風澄める折か らに。すは笛の音の聞ゆるぞや。夜半楽 にやなりぬらん。地「笛竹の。夜声も澄め

る月影に。雲の袖をや返すらん。折から 松も名に負ふ高安の。地「花岡山の。シテ「雪 を廻らす袖の粧。地「手の舞ひ足の。シテ「踏 む所。実にも妙なりや。/\。夜遊の折か

ら松風は颯々村雨はほろ/\と。程経る 夜遊の曙の鳥も鳴き。鐘も聞え嵐も靡 く松が根枕の夢覚めて。高安の山風ばか りや残るらん。