韋駄天 足疾鬼(前ハ里人) 旅僧 寺僧

ワキ詞「これは出雲の国美保の関より出で たる僧にて候。われ未だ都を見ず候ふ程 に。此度思ひ立ち洛陽の仏閣一見せばや と思ひ候。道行「朝たつや。空行く雲の美保 の関。/\。心はとまる古里の。跡の名残

も重なりて。都に早く着きにけり/\。 詞「日を重ねて急ぎ候ふ間。程なく都に着 きて候。まづ承り及びたる東山泉涌寺へ 参り。大唐より渡されたる十六羅漢。又仏 舎利をも拝み申さばやと存じ候。これな

る寺を泉涌寺と申すげに候。寺中の人に 委しく案内をも尋ねばやと思ひ候。いか に誰かわたり候。狂言「何事を御尋ね候ふ ぞ。ワキ「これは遥の田舎より上りたる 僧にて候。当寺の御事を承り及び遥々参 りて候。大唐より渡りたる十六羅漢。又 仏舎利をも拝み申したく候。狂言「げにげ に聞しめし及ばれて御参り候ふか。聊爾 に拝み申す事適はず候。但し今日かの御 舎利の御出である日にて候。われら当番 にて唯今戸を明け申さんとて。鍵を持ち てまかり出で候。まづこの舎利を御拝あ つて。其後山門に登りて十六羅漢をも拝 ませ申し候ふべし。こなたへ御出で候へ。 がら/\さつと御戸を開き申して候。よ く/\御拝み候へ。ワキ「あらありがたや 候。さらば御供申し参り候ふべし。 サシワキ「げにや事として何か都の愚なるべき なれども。ことさら霊験あらたなる。仏

舎利を拝み申す事の貴さよ。これなん足 疾鬼が奪ひしを。韋駄天取り返し給ひし。 現住奇特の牙舎利の御相好。感涙肝に銘 ずるぞや。一心頂礼万徳円満釈迦如来。 上歌地「ありがたや。今も在世のこゝちし て。/\。まのあたりなる仏舎利を。拝 する事のあらたさを。何にたとへん墨染 の袖をもぬらす気色かな/\。 シテ「ありがたや仏在世の御時は。法の御 声を耳にふれ。聞法値遇の結縁に。一劫 をも浮ぶ此身ながら。二世安楽の心を得 るに。後五の時代の今更に。猶執心の見 仏の縁。嬉しかりける。時節かな。 ワキ「われ仏前に観念し。寥々とあるをり ふしに。御法を貴む声すなり。いかなる 人にてましますぞ。シテ「これは此寺のあ たりに住む者なるが。妙なる法の御声を 受けて。こゝに立ち寄るばかりなり。 ワキ「よし誰とてもその望。仏舎利を拝ま

ん為ならば。同じ心ぞ我も旅人。シテ「きた るもよそ人。ワキ「処も亦。シテワキ二人「都のほと り東山の。末に続ける峯なれや。上歌地「月 雪の。古き寺井は水澄みて。/\。庭の 松風さえかえり。更け行く鐘の声までも。 心耳に澄す夜もすがら。げに聞けや峰の 松。谷の水音澄み渡る嵐や法を称ふら ん/\。 クリ「それ仏法あれば世法あり。煩悩あれ ば菩提あり。仏あれば衆生もあり。善悪 又不二なるべし。シテサシ「然るに後五百歳の 仏法。既に末世のをりを得て。地「西天唐 土日域に。時至つて久方の。月の都の山 並に。仏法流布のしるしとて。仏骨を納 め奉り。シテ「げに目前の妙光の影。地「此 御舎利に如くはなし。クセ「然るに仏法東 漸とて。三如来四菩薩も。皆日域に地を 占めて。衆生を済度し給へり。常在霊山 の秋の空。わづかに二月に臨んで魂を

けし。泥〓{大漢和17421:をん}双樹の苔の庭遺跡を聞いて腸 を断つ。ありがたや仏舎利の。御寺ぞ在 世なりける。げにや鷲の御山も。在世の みぎんにこそ草木も法の色を見せ。皆仏 身を得たりしに。シテ「今はさみしく冷ま しき。地「月ばかりこそ昔なれ。こさんの 松の間には。よそ/\白毫の秋の月を礼 すとか。蒼海の波の上に。僅に四諦の。 暁の雲を引く空の。さみしささぞな鷲 の御山。それは上見ぬ方ぞかし。こゝは まさに目前の。仏舎利を拝する御寺ぞ。 貴かりける。 ワキ詞「不思議やな俄に晴れたる空かき曇 り。堂前に輝く電光。こはそもいかなる 事やらん。シテ「今は何をか包むべき。其 古の疾鬼が執心。猶この舎利に望あり。 許し給へや御僧達。ワキ「こはそも見れば 不思議やな。面色かはり鬼となりて。 シテ詞「舎利殿に臨み昔の如く。ワキ「金冠を

見せ。シテ「宝座をなして。地「栴檀沈水香。 栴檀沈水香の。上に立ち上る雲煙を立て て。電の光に飛び紛れて。もとより足疾 鬼とは。足早き鬼なれば。舎利殿に飛び 上りくる/\/\と。見る人の目をくら めて。其紛に牙舎利を取つて。天井を蹴 破り。虚空に飛んであがると見えしが行 くへも知らず失せにけり/\。中入「。 イロヱ(シテ出)早笛(ツレ出)ツレ「抑これは。此寺を守護し奉 る韋駄天とは我が事なり。詞「こゝに足疾 鬼といへる外道。在世の昔の執心残つて。 また此舎利を取つて行く。いづくまで かは遁すべき。その牙舎利置いて行け。 後シテ「いや適ふまじとよ此仏舎利は。誰も

望の。あるものを。地「欲界色界無色界。 /\。化天耶摩天他化自在天。三十三天 攀ぢ上りて。帝釈天まで追ひあぐれば。 梵王天より出であひ給ひて。もとの下界 に。追つ下す。シテ「左へ行くも。地「右へ 行くも。前後も天地も塞がりて。疾鬼は 虚空にくる/\/\と。渦巻い廻るを。韋 駄天立ち寄り宝棒にて。疾鬼を大地に打 ち伏せて。首を踏まへて牙舎利はいかに。 出せや出せと責められて。なく/\舎 利を指し上ぐれば。韋駄天舎利を取り給 へば。さばかり今までは。足早き鬼の。 いつしか今は。足弱車の力も尽き。心も 茫々と起き上りてこそ。失せにけれ。