牛若丸 烏帽子屋の妻 烏帽子屋の亭主 三条の吉次 弟吉六 手下共(大勢) 熊坂長範

ワキ、ワキツレ次第「末も東の旅衣。/\日も遥々と 急ぐらん。ワキ詞「これは三条の吉次信高に て候。われ此程数の財を集め。弟にて候

ふ吉六を伴ひ。唯今東へ下り候。如何に 吉六。高荷どもを集め東へ下らうずるに て候。ワキツレ「委細心得申し候。やがて御立ち

あらうずるにて候。 子方呼掛「なう/\あれなる旅人。奥へ御下り 候はゞ御供申し候はん。ワキ「やすき間の 御事にて候へども。御姿を見申せば。師匠 の手を離れ給ひたる人と見え申して候ふ 程に。思ひも寄らぬ事にて候。子方「いや我 には父もなく母もなし。師匠の勘当蒙り たれば。たゞ伴ひて行き給へ。ワキ「此上 は辞退申すに及ばずして。此御笠を参ら すれば。子方「牛若此笠おつ取つて。今日 ぞ始めて憂き旅に。地下歌「粟田口松坂や。 四の宮河原逢坂の。関路の駒の後に立ち て。いつしか商人の主従となるぞ悲しき。 上歌「藁屋の床の古。/\。都の外の憂き 住まひ。さこそはと今思ひ粟津の原を打 ち過ぎて。駒もとゞろと踏みならし。勢田 の長橋うち渡り。野路の夕露守山の。下葉 色照る日の影もかたぶくに向ふ夕月夜。 鏡の宿に着きにけり/\。ワキ詞「急ぎ候ふ

程に。鏡の宿に着きて候。此処に御休あら うずるにて候。狂言シカ%\「。 子方「唯今の早打をよく/\聞き候へば。 我等が身の上にて候。此侭にては適ふま じ。急ぎ髪を切り烏帽子を着。東男に身 をやつして下らばやと思ひ候。詞「いかに 此内へ案内申し候。シテ「誰にて渡り候ふ ぞ。子方「烏帽子の所望に参りて候。シテ「何 と烏帽子の御所望と候ふや。夜中の事に て候ふ程に。明日折りて参らせうずるに て候。子方「急の旅にて候ふ程に。今宵折 りて賜り候へ。シテ「さらば折りて参らせ うずるにて候。まづ此方へ御入り候へ。さ て烏帽子は何番に折り候ふべき。子方「三 番の左折に折りて賜はり候へ。シテ「こ れは仰にて候へども。それは源家の時に こそ。今は平家一統の世にて候ふ程に。 左折は思ひもよらぬ事にて候。子方「仰は 尤にて候へども。思ふ子細の候ふ間。唯折

りて賜り候へ。シテ「幼き人の御事にて候 ふ程に。折りて参らせうずるにて候。此左 折の烏帽子について。嘉例目出度き物語 の候。語つて聞 かせ申さうずる にて候。子方「さ らば御物語り候 へ。シテ詞「さても 某が先祖にて 候ふ者は。もと は三条烏丸に候 ひしよな。いで 其頃は八幡太郎 義家。阿部の貞 任宗任を御追罰 あつて。程なく 都に御上洛あり。某が先祖にて候ふ者に。 この左折の烏帽子を折らせられ。君に御 出仕ありし時。帝なのめに思し召され。其

時の御恩賞に。奥陸奥の国を賜つて候。 われらもまた其如く。嘉例めでたき烏帽 子折にて候へば。此烏帽子を召されて程 なく御代に。地「出羽の国の守か。陸奥の 国の守にかならせ給はん御果報あつて。 世に出で給はん時。祝言申しゝ烏帽子折

と。召されでめでたう引出物たばせ給へ や。あはれ何事も。昔なりけり御烏帽子 の左折のその盛。源平両家の繁盛花なら ば梅と桜木。四季ならば春秋。月雪の眺 いづれぞと。争ひしにやいつの間に。保元 のその以後は。平家一統の。世となりぬ るぞ悲しき。よしそれとても報あらば。 世変り時来り。をり知る烏帽子桜の花。 咲かん頃を待ち給へ。シテ「かやうに祝ひ つゝ。地「程なく烏帽子折り立たてゝ。花 やかに三色組の。烏帽子懸緒取り出し。 気高く結ひすまし召されて御覧候へと て。お髪の上に打ち置き立ち退きて見れ ば。天晴御器量や。これぞ弓矢の大将と 申すとも不足よもあらじ。 シテ詞「日本一烏帽子が似合ひ申して候。 牛若「さらば此刀を参らせうずるにて候。 シテ「いや/\烏帽子の代は定まりて候ふ 程に。思ひもよらず候。子方「唯御取り候

へ。シテ「さらば賜らうずるにて候。さこ そ妻にて候ふ者の悦び候はん。いかに渡 り候ふか。ツレ「何事にて候ふぞ。シテ「幼き 人の烏帽子と御所望と仰せ候ふ程に。折 りて参らせ候へば。此刀を賜りて候。な んぼう見事なる代にてはなきか。よくよ く見候へ。あら不思議や。かやうの事を ば天の与ふる事とは思ひ給はで。さめざ めと落涙は何事にて候ふぞ。ツレ「恥かし や申さんとすれば言の葉より。まづ先だ つは涙なり。クドキ「今は何をか包むべき。 これは野間の内海にて果て給ひし。鎌田 兵衛正清の妹なり。常磐腹には三男。牛 若子生れさせ給ひし時。頭の殿より此御 腰の物を。御守刀にとて参らさせ給ひ し。その御使をば。わらは申してさぶらふ なり。痛はしや世が世にてましまさば。 かく憂き目をば見まじき物を。あらあさ ましや候。

シテ詞「何と鎌田兵衛正清の妹と仰せ候ふ か。ツレ「さん候。シテ「言語道断。この年 月添ひ参らすれども。今ならでは承らず 候。さてこの御腰の物をしかと見知り申 されて候ふか。ツレ「こんねんだうと申す 御腰の物にて候。シテ「げに/\承り及び たる御腰の物にて候。さては鞍馬の寺に 御座候ひし。牛若殿にて御座候ふな。さ あらば追つつき。この御腰の物を参らせ 候ふべし。おこともわたり候へ。や。未だ これに御座候ふよ。これに女の候ふが。此 御腰の物を見知りたる由申し候ふ程に。 召し上げられて給はり候へ。子方「不思議 やな行くへも知らぬ田舎人の。われに情 の深きぞや。シテツレ二人「人違へならば御許あ れ。鞍馬の少人牛若君と。見奉りて候ふ なり。子方「げに今思ひ出したり。もし正 清がゆかりの者か。ツレ「御目のほどのか しこさよ。妾は鎌田が妹に。子方「あこ

やの前か。ツレ「さん候。子方「げに知るは 理われこそは。地「身のなる果の牛若丸。 人がひもなき今の身を。語れば主従と。 知らるゝ事ぞ不思議なる。 ロンギ地「はやしのゝめも明け行けば。/\。 月も名残の影うつる鏡の宿を立ち出づ る。シテツレ二人「痛はしの御事や。さしも名高 き御身の。商人と伴ひて。旅を飾磨の徒歩 はだし。目もあてられぬ御風情。子方「時 代に変る習とて。世のため身をば捨衣。 怨と更に思はじ。シテ「東路のおはなむけ と思し召され候へとて。地「この御腰の物 を強ひて参らせ上げければ。力なしとて 請け取り我もしも世に出づならば。思ひ 知るべしさらばとて商人と伴ひ憂き旅 に。やつれはてたる美濃の国赤坂の宿に 着きにけり/\。中入「。 ワキ詞「急ぎ候ふ程に。赤坂の宿に着きて 候。いかに吉六。此処に宿を取り候へ。

吉六詞「畏つて候。狂言シカ%\「。ワキ「これは何 と仕り候ふべき。吉六「我等も是非を弁へ ず候。子方「面々は何事を仰せ候ふぞ。ワキ「さ ん候我等此処に泊り候ふを。此辺の 悪党ども聞き付け。今夜夜討に討たうず るよし申し候ふ程に。左様の談合仕り候。 子方「たとひ大勢ありとても。表にたゝん 兵を。五十騎ばかり斬り伏すならば。や はか退かぬ事は候ふまじ。ワキ「これは頼 もしき事を仰せ候ふ物かな。悉皆たのみ 候。子方「面々は武具して待ち給へ。我は大 手に向ふべしと。地「夕も過ぎて鞍馬山。 /\。年月習ひし兵法の術を今こそは。 現し衣の妻戸を。開きて沖つ白波の打ち 入るを遅しと待ち居たり/\。早鼓「。 後ツレ大勢「寄せかけて。打つ白波の音高く。 鬨を作つて騒ぎけり。後シテ詞「如何に若者ど も。後ツレ「御前に候。シテ「大手がくわつと 開けたるは。内の風ばし早いか。ツレ「さ

ん候内の風早くして。或は討たれ。又は重 手負ひたると申し候。シテ「不思議やな内 には吉次兄弟ならではあるまじきが。さ て何者かある。ツレ「投げ松明の影より見候 へば。年の程十二三ばかりなる幼き者。 小太刀にて切つて廻り候ふは。さながら 蝶鳥の如くなる由申し候。シテ「さて摺鉢 太郎兄弟は。ツレ「是は火振の親方として。 一番に斬つて入りしを。例の小男わたり 合ひ。兄弟の者の細首を。唯一討に打ち 落したるよし申し候。シテ「えい/\何と /\。かの者兄弟は余の者五十騎百騎に はまさうずるものを。あゝ斬つたり/\。 詞「彼奴は曲者よ。ツレ「高瀬の四郎はこれ を見て。今夜の夜討悪しかりなんとや思 ひけん。手勢七十騎にて退いて帰りて候。 シテ「彼奴は今に始めぬ臆病者。さて松明 の占手はいかに。ツレ「一の松明は斬つて 落し。二の松明は踏み消し。三は取つて

投げ返して候ふが。三つが三つながら消 えて候。シテ「それこそ大事よ。それ松明の 占手といつぱ。一の松明は軍神。二の松 明は時の運。三はわれらが命なるに。三 つが三つながら消ゆるならば。今夜の夜 討はさてよな。ツレ「御諚の如く。此まゝ にては鬼神にてもたまるまじく候。唯退 いて御帰り候へ。シテ「実に/\盗も命の ありてこそ。いざ退いて帰らう。ツレ「尤 もにて候。シテ「いや熊坂の長範が。今夜 の夜討を仕損じて。何くに面を向くべき ぞ。唯攻め入れや若者どもと。大音あげ て呼ばはりけり。地「鬨を作つて斬つて入 りけり。 地「あら。物々しや己等よ。/\。先に手 並は知りつらん。それにも懲りず打ち入 るか。八幡も御知見あれ一人も助けてや らじものをと小口に立つてぞ待ちかけた る。カケリ「。上「熊坂の長範六十三。/\。今宵

最後の夜討せんと。鉄屐を踏ん脱ぎ捨て。 五尺三寸の大太刀を。するりと抜いてう ちかたげ。をどり歩みにゆらり/\と歩 み出でたる有様は。いかなる天魔鬼神も 面を向くべきやうぞなき。上「あらはかば かしや盗人よ。/\。めだれ顔なる夜討は するともわれには適はじものをとて。隙 間あらせず斬つてかゝる。熊坂も大太刀 遣の曲者なれば。さそくをつかつて十方 切。八方払や腰車。破圦の返し。風まく り。剣降らしや獅子の歯がみ。紅葉重。

花重三つ頭より火を出して。しのぎを削 つて戦ひしが。秘術を尽す。大太刀も御 曹司の小太刀に斬り立てられ。請太刀と なつてぞ見えたりける。太鼓歌「。上地「打物業 にて適ふまじ。/\。組んで力の勝負せ んとて太刀投げ捨てゝ。大手を広げて飛 んでかゝるを。背けて諸膝薙ぎ給へば。 斬られてかつぱと転びけるが。起き上ら んとてつゝ立つ所を。真向よりも割りつ けられて。一人と見えつる熊坂の長範も 二つになつてぞ失せにける。