帥阿闍梨 梅若 日野資朝 本間三郎 本間の従者 不動明王 船頭 追手

本間詞「これは佐渡島の御家人。本間の三 郎にて候。扨も此度元弘の合戦に公家う ち負け給ひて候。中にも壬生の大納言資 朝卿は。囚人となり此島へ流され給ひて 候ふを。某預り申して候。色々痛はり申す 所に。昨日鎌倉より飛脚立て。資朝卿は大 事の囚人にて候ふ間。急ぎ誅し申せとの

御事にて候ふ程に。痛はしながら明日浜 の上野にて誅し申し候。此由を資朝卿へ 申さばやと存じ候。 本間狂言セリフアリ「。 ワキ子方次第「親の行方を尋ね行く。/\。越路の 旅ぞはるけき。ワキ詞「かやうに候ふ者は。 都今熊野梛の木の坊に。帥の阿闍梨と申 す山伏にて候。又これに御座候ふ御方は。

壬生の大納言資朝の卿の御子息。梅若子 と申し候ふが。さる子細あつて我等が坊 に御座候。資朝の卿は流人の身となり給 ひ。佐渡の島に流され給ひて候。梅若子 いまだ父のこの世に御座候ふ由を聞し召 し。今一度御対面ありたき由仰せられ候 ふ間。余りに御心中いたはしく存じ。我 等御供申し。唯今佐渡の島へと急ぎ候。 道行二人「名残ある都の空は遠ざかり。/\。末 は遥の越の海。今ぞ始めて白真弓敦賀の 津より舟出して。波路遥の旅衣。浦々泊 重なりて行けば沖にも里見ゆる。佐渡の 島にも着きにけり/\。 ワキ本間狂言セリフアリ「。 本間詞「都よりの客僧は何処に渡り候ふ ぞ。ワキ「これに候。唯今申し入れ候ふ如 く。これは都今熊野梛の木の坊に。帥の 阿闍梨と申す山伏にて候。又これに渡り 候ふ幼き人は。資朝の卿の御子息。御名 をば梅若子と申し候。資朝の卿は流人と

なり。此島に御座候ふ由聞しめし及ばれ。 今一度御対面ありたき由仰せ候ふ程に。 遥々これまで御供申して候。然るべきや うに御申し候ひて。引き合はせ申されて 賜はり候へ。本間「委細承り候。総じて囚 人のゆかりなどに対面は堅く禁制にて候 へども。幼き人のはる%\これまで御下 向にて候ふ程に。其由資朝の卿へ申し候 ふべし。暫くそれに御待ち候へ。ワキ「さ らばこれに待ち申し候ふべし。 ツレサシ「籠鳥は雲を恋ひ。帰雁は友をしのぶ 心。それは鳥類にこそ聞きしに。人間に 於て我ほど物思ふ者はよもあらじ。詞「実 にや科なうして配所の月を見る事。古人 の望む所なれども。住みはつまじき世の 中に。明暮物を思はんより。天晴とう斬 らればやと思ひ候。 本間詞「あら痛はしや何事やらん独言を仰 せ候ふよ。いかに申し候。本間が参りて

候。ツレ「本間殿と仰せ候ふか此方へ御出 で候へ。本間「唯今参る事余の儀に非ず。 昨日鎌倉より飛脚立つて。急ぎ誅し申せ との御事にて候ふ程に。明日浜の上野に 御供申し。御痛はしながら誅し申し候ふ べし。御最後の御用意あらうずるにて候。 ツレ「唯今も独言に申し候ふ如く。かくて ながらへ人に面をさらさんより。天晴と う斬らればやと望みし事。さては叶ひて 候ふよ。本間「又御悦のあるべき事の候。 都今熊野梛の木の坊に。帥の阿闍梨と申 す山伏の。御子息を伴ひ遥々御下向候。 そと御対面候へ。ツレ「これは思ひもよら ぬ事を承り候ふものかな。以前も事の序 に申す如く。某は総じて子を持たぬ者に て候。定めて門たがひにて候ふべし。急 いで追つ帰され候へ。本間「何と御子は持 たれぬと仰せ候ふか。ツレ「なか/\の事。 本間「さては聊爾なる事を申す者にて候。

やがて追つ帰し候ふべし。ツレ「暫く。都 の者と聞けばなつかしく候ふ間。そと見 申したく候。本間「さらば物越より御覧 候へ。あれなる人の事にて候。あら不思 議や。御子息にてはなき由仰せられ候 ふが。何とて御落涙候ふぞ。ツレ「御不審 尤にて候。かの者の親も我等如きの流人 にて候はんが。配所を聞きちがへ来りた るかと。かの者の心中不便に存じ。さて 落涙仕りて候。本間「さあらば追帰し申し 候ふべし。ツレ「急いで御帰し候へ。本間「心 得申して候。最前の客僧は何処に渡り候 ふぞ。ワキ詞「これに候。本間「仰の通りを資 朝の卿へ申して候へば。総じて資朝の卿 に御子は御座なきよし仰せられ候。何と て聊爾なる事をば承り候ふぞ。ワキ「あら 不思議や。某が申しつる通おほせ候は ば。やはか左様には仰せられ候ふまじ。 本間「言語道断。かゝる口惜しきことを承

り候ふものかな。弓矢八幡氏の神も御照 覧あれ。懇に申して候。その上資朝の卿 に御子は御座なき上は候。近頃聊爾なる 事を承り候ふものかな。此上は某は一向 に存ずまじく候。 ワキ「なう/\暫く。あら笑止や。いかに梅 若殿。唯今本間が申しつる事を聞し召さ れて候ふか。思もよらぬ御事にて候。 子方「悲しやな遥々尋ね下りたる。かひも 渚のかたし貝。あはぬ思を如何にせん。 ツレ「我も恋しく思子を。最期に見たくは 思へども。我が子と名のらば敵とて。もし や命を失はれんと。思へば他人と言ひつ るこそ。中々思ふ心なれ。子方「一世と兼ね たるこの世にだに。添ひもはてざる親子 の中。ツレ「況してやいはん後の世の。ツレ子方二人「契 もさぞな逢ふ事も。泣くや涙にかき曇 り。地「姿みゝえぬ親と子の。隔の雲霞。立 ち添ひながらも実に逢はぬ事ぞ悲しき。

ロンギ地「今日御最期に定まれば。痛はしな がら力なく。武士輿に乗せ申し浜の上野 に急ぐなり。ツレ「かねて期したる事なれ ば。惜しき命にあらざれど。さすが最期の 道なれば心すごきけしきかな。子方「梅若 父の御最期と。聞くより目くれ肝消え。起 きつまろびつ泣く/\御輿の跡につきて 行く。地「御輿を早め行く程に。浜の上野 も近くなる。ツレ「波路たゞよふ磯千鳥。 ワキ「沖の鴎も音をそへてあはれさや増さ るらん。地「御首の座敷これなりと。輿よ りおろし申せば資朝敷皮の。上に直らせ 給へば。武士立ち寄り。御後ろに立ちまはり 御十念と勧めけり御十念と勧めけり。 子方詞「なうみづからこそこれまで参りて 候へ。ツレ「何とて是までは下りたるぞ。 最期は今にてはなきぞかたはらへ忍び候 へ。いかに客僧まづ其方へ召され候へ。 いかに本間殿へ申し候。近頃面目もなき

申し事にて候へども。まことは某が子に て候。この上は本間殿を頼み申し候。い まだ幼き者の事にて候ふ程に。あはれ御 心得を以て。かの者を助け給ひ。都へ送 り給ひ候へかし。本間「かゝる痛はしき事 こそ候はね。我等も始よりさやうに見申 して候へども。深く御隠し候ふほどに申 さず候。梅若殿の御事は。明けなば早船 を拵へ。都へ送り付け申し候ふべし。御 心安く思し召され候へ。ツレ「これは真に て候ふか。本間「なか/\の事。弓矢八幡 も御知見あれ。都へ送り付け申さうずる にて候。ツレ「さては此上に思ひ置く事も なく候。はや/\首を打ち給へと。地「西 に向ひて手を合はせ。/\。南無阿弥陀 仏と高らかに。称へ給へばあへなく御首 は前に。落ちにけりおん首は前に落ちに けり。 本間詞「如何に客僧へ申し候。資朝の卿の

御事は。囚人にて御座候ふ間力なき事に て候。梅若子の御事は御遺言の如く。明 日御船を申し付け。都へ送り申し候ふべ し。御心安く御休み候へ。ワキ「懇に承り 有難う候。明日都へ御送り頼み申し候。又 御死骸を賜り孝養申したく候。本間「な か/\の事御心静に御孝養候へ。我等は 私宅に帰り候ふべし。梅若子を御供あつ て。やがて御出あらうずるにて候。ワキ「心 得申し候。本間「いかに面々聞き候へ。此 間の番にさぞくたびれ候ふらん。今夜は 皆々私宅に帰り休み候へ。某も臥所に入 つて心静に夜を明かさうずるにてある ぞ。其分心得候へ。 ワキ「いかに梅若子へ申し候。これは本間 殿の館にて候。今夜は御心静に御休み候 へ。明けなば舟を仕立て送り申すべき由 申され候。御心安く思し召され候へ。 子方「いかに申すべき事の候。ワキ「何事に

て候ふぞ。子方「本間を討つて賜はり候へ。 ワキ「あゝ暫く候。まづ御心をしづめて聞 し召され候へ。本間は一旦囚人を預りた るまでにてこそ候へ。真の親の敵は。相模 の守高時こそ敵にて御座候へ。それは都 へ御上り候ひて。自然の時節を御待ち候 へ。子方「いや目の前にて討ちたるこそ親 の敵にて候へ。ワキ「実に/\仰は尤にて 候へども。この島国にて人を討つては。 さて御命をば何と召され候ふべき。唯思 し召し御止まり候へ。子方「たとひ命は失 ふとも。討たでは叶ひ候ふまじ。ワキ「仮 令命は捨つるとも討たでは叶ふまじきと 仰せ候ふか。かゝるけなげなる事を仰せ 候ふものかな。此上は討つて参らせ候ふ べし。しかもかの者申し候ふは。内の者共 も。此程の番にくたびれてぞあるらん。 先々私宅に帰れ。其身も臥所に入つて夜 を明かさうずる由申し候ひし程に。討つ

べき夜には日本一の夜にて候。御本望に て候ふ程に。一の刀をば梅若子あそばさ れ候へ。二の刀をば此客僧仕るべし。も し又かの者起き合はせ。討ち損ずる物な らば。人手にはかゝるまじ。梅若子と刺 しちがへ申し候ふべし。こなたへ御入り 候へ。あら笑止や。いまだ火が消えず候 ふはいかに。何のためにか夏虫の。身を 焦がすべき火を取らんと。子方「明り障子 に飛び付きたり。ワキ詞「これこそ消すべ き便なれと。障子を細目に明けゝれば。 子方「虫は喜び内に入り。ワキ「すは火はば つと消えたるは。地「灯ともに敵の命今こ そ消えて失すべけれ。ひそかにねらひよ り。/\。守刀を抜き持つて。本間の三 郎が。胸のあたりに乗りかゝり。三刀ま で刺し通し。縁を飛びおり逃げければ。 追手は声々に。留めよ/\と追つかく る。狂言「やるまいぞ/\。さればこそ京

より下りたる山伏の。帥の阿闍梨とやら ん。粗忽を仕出さうずると存じ候。まづ 浦々へ追手を懸け候へ。 船頭詞「此程風を待ち候ふ所に。日本一の 追手が吹き候ふ程に。舟を出さばやと存 じ候。 ワキ「はや抜群にのび来りて候。又あれに 出船の候。あの船にのせ申さうずるにて 候。なう/\その船に便船申さうなう。 船頭「御覧候へこれは柱を立て。帆を引き たる船にて候ふ程に。未だ出でぬ舟に仰 せ候へ。ワキ「これは親の敵を討つて。跡 より追手のかゝる者にて候へば。ひらに 乗せて賜はり候へ。船頭「殊更さやうの科 人ならば。なほ此舟には叶ひ候ふまじ。 ワキ「よし科人は此客僧。よし客僧をば乗 せずとも。此児ひとり乗せて給べ。船頭「児 も法師も知らぬとて。なほ此舟を押して 行く。ワキ詞「あゝ其船よせずは悔しき事の

あるべきぞ。船頭「何の悔しくあるべきぞ。 舟棹だにも忘るゝは。風に出舟の習なり。 ワキ「さてこの風は。船頭「東風の風。 ワキ「向うて西に為さうぞえい。船頭「あら 忌はしや聞かじとて。なほ此舟を押して 行く。ワキ「暫しと言へど。船頭「留めもせ ず。ワキ「暫しと言へど。船頭「音もせず。 地「舟は波間に遠ざかれば追手は後に近 づきたり。 ワキ詞「あら笑止や。頼みたる舟は遠ざか る。追手は後に近づく。さて御命をば何 と仕り候ふべき。某急度案じ出したる事 の候。我この年月三熊野の権現へ歩をは こびしも。かやうの為にてこそ候へ。海 上に三所権現を勧請申し。ならびに不動 明王の索にかけて。あの舟をふゝたび祈 り戻さうずるにて候。やあ/\其舟戻せ とこそ。よせずは祈り戻さうずるぞ。 船頭「何此舟を祈り戻さうとや。ワキ「なか

なかの事。船頭「山伏は物の怪などをこそ 祈れ。舟祈つたる山伏は未だ聞かぬよ。 ワキ「いやいかに云ふとも悔まうぞ。悔む な男。地「台嶺の雲を凌ぎ。/\。年行の。 功を積む事一千余箇日しば/\身命を捨 て熊野。権現に頼を掛けば。などか験の なかるべき。一矜羯羅二制多伽。三に倶 利迦藍七大八大金剛童子。東方。早笛「。 ロンギ地「不思議や東の風変り。西吹く風と なる事は如何なる謂なるらん。シテ「本宮 証誠殿。阿弥陀如来の誓にて。西吹く風と

なし給ひて舟をとゞめ給へり。地「さて又 西の風も止み。こち吹く風となる事は。 シテ「新宮薬師如来の。浄瑠璃浄土は東に て。東風吹く風となし給ふ。地「さて又飛 龍権現は。シテ「波路に飛んで影向す。地「滝 本の千手観音は。シテ「二十八部衆の。風変 舟を早めたり。地「さて飛行夜叉は。不動 明王の。索の縄を船につけて。万里の蒼 波を片時が程に。若狭の浦に引きつけて。 それより都に帰し給ふ。実に有難き三熊 野の。/\。誓の末こそ久しけれ。