源義経 静御前 江田源三 熊井太郎 武蔵坊弁慶 土佐坊正尊 姉和光景 人数定マリナシ

ワキ詞「是は西塔の武蔵坊弁慶にて候。さて も我が君判官殿は。鎌倉殿より大名十人 付け申され候へども。内々御中不和にな り給ふにより。心を合はせて一人づつ皆

下りはてゝ候。さても去年の正月木曽義 仲追討せしよりこの方。度々平家を攻 め落し。此春亡ぼし果てゝ候。一天を静 め四海を澄ます勤賞行はるべき所に。渡

辺にて梶原が逆艪の意見を承引し給はざ りし遺恨により。我が君を讒奏申し。御 兄弟の御中不仲になり給ひて候。又鎌倉 より土佐正尊と申す者。昨日都へ上つて 候ふが。是は我が君を狙ひ申さんためと 聞しめされ。急ぎ召し連れて参れとの御 諚にて候ふ程に。只今土佐が旅宿へと急 ぎ候。いかに案内申し候。判官殿より御 使に武蔵が参じて候。正尊はこの屋の内 に御入り候か。シテ詞「武蔵殿かやあら珍し や。まづ此方へ御入り候へ。ワキ「承り候。 まづ以て御上めでたう候。これは君より の御使にて候。上洛のよし聞しめし及ば れ。何とて御伺候は候はぬぞ。鎌倉殿の 御意も聞しめされたく候ふ間。急いで御 参あれとの御事にて候。シテ「さん候宿 願の子細候ひて。熊野参詣のためにふと 罷り上りて候。昨日京着仕り候へども。 路次より違例仕り散々の事にて候ふ程

に。今まで遅なはり申して候。ワキ「委細 承り候。仰はさる事なれども。唯今御供 申せとの御事にて候。シテ「畏つては候へ ども。今少し養生を加へ。必ず伺候申し 候ふべし。ワキ「いや/\片時も早く国の 御事をば聞しめされたく思し召せば。た だ/\御供申さんと。シテ「是非をいはせ ぬ武蔵殿に。ワキ「さしも剛なる。シテ「土 佐坊も。地「否にはあらず稲舟の。/\。 上れば下る事もいさ。あらましごとも徒 に。なるともよしや露の身の。消えて名 のみを残さばや。/\。 ワキ詞「畏つて候。こなたへ参られ候へ。 判官「如何に土佐坊珍しや。さて何のため に上りてあるぞ。鎌倉殿より御文はなき か。シテ「さん候さしたる御事も御座な く候ふ間。御文は参らず候。詞に申せと候

ひしは。都に別の子細なく候ふ事。偏に 御渡り候ふ故と思しめし候。かまへてよ く守護させ給へとこそ御諚候ひつれ。 判官「よもさはあらじ。義経討ちに上りた る御使とこそ覚えたれ。ワキ「御諚の如 く。大名共をさし上せられ候はゞF治 瀬田の橋をも引き。都鄙の騒となつては あしかりなんと思しめし。土佐坊上つ て物詣するやうにて。たばかつて討ち申 せとこそ仰せ付けられ候ひつらめ。和僧 に於てはこの法師。手なみの程を見すべ きなり。シテ「あら勿体なや。たとひ人の 讒言により。君こそ仰せ出さるゝとも。 さすがに武略の武蔵殿。さはあるまじき と申されてこそ。御兄弟の御中に。もの いひさがなき事あるまじけれ。まづ静ま つて事のわけを。委しく聞き給へ武蔵坊。 これは御諚にて候へども。何によつて唯 今さる御事の候ふべき。聊宿願の事

の候ふ間。熊野参詣の為に罷り上りて候。 判官「梶原が讒奏により。義経を鎌倉へも 入れられず。道より追ひ帰されし事はい かに。シテ「その事はいかゞ御座候ふやら ん。身に於ては全く緩怠あらざる趣。 起請文に書き表し。唯今御目に懸くべし と。地上歌「当座の席を遁れんと。土佐は聞 ゆる文者にて。自筆に是を書き付け。弁 慶にこそは渡しけれ。 シテ起請文「敬つて申す起請文の事。上は梵天 帝釈。四大天王閻魔法王五道の冥官泰 山府君。下界の地には。伊勢天照大神を 始め奉り伊豆箱根。富士浅間。熊野三所 金嶺山。王城の鎮守稲荷祇園賀茂貴船。 八幡三所。松の尾平野。総じて日本国の 大小の神祇冥道講じ驚かし奉る。殊には 氏の神。全く正尊討手に罷り上る事なし。 この事偽これあらば。この誓言の御罰 を中り。来世は阿鼻に堕罪せられんもの

なり仍つて。起請文かくの如し文治元年 九月日。正尊と読み上げたるは。身の毛 もよだちて書いたりけり。地「もとより虚 言とは思へども。文を揮うて書いたる。 器用を感じ思しめし。御盃を下さるゝ。 折節御前に。磯の禅師が娘に。静と云へ る白拍子。今様を謡ひつゝ。お酌に立ち て花かづら。かゝる姿ぞたぐひなき。舞 の袖。中ノ舞三段「。 子方静「君が代は。千代に一度ゐるちりの。 地「白雲かゝる山となるまで。山となる まで/\。静「変らぬ契りを頼むなかの。 地「変らぬ契りを頼むなかの。隔てぬ心は 神ぞ知るらんよく/\申せと静に諫めら れ。土佐坊御前を罷り帰れば。君も御寝 所に入らせ給へば。おの/\退出申しけ り。中入、狂言シカ%\「。 ワキ詞「如何に申し上げ候。唯今土佐が宿所 を見せに遣はし候ふ所に。幕の内には矢

を負ひ弓を張り。兵ども皆武具をし。 唯今打つ立つ気色見えて。更に物詣の気 色は見えぬ由申し候。判官殿「固より覚悟の 前なれば。何程の事のあるべきぞと。 ワキ「そのまゝやがて御座を立ち。静「静は 着背長まゐらする。地「義経之を召されつ つ。/\。御佩刀を取つてしづ/\と。 中門の廊に出で給ひ。門を開かせ諸共に。 寄せ来る勢を待ち給ふ。/\。ツレ物着 シテ立衆一セイ「白浪と。よそにや聞かんわたづみ の。深き心はある物を。シテ詞「その時正尊 駒しづ/\と打ち寄せて。大音上げて名 乗るやる。そも/\これは鎌倉殿の御使。 土佐坊正尊とは我が事なり。九郎太夫判 官殿の。討手の大将たまはつたり。とう とう御腹めされよと。大音上げてぞ呼ば はりける。地「味方の勢は之を見て。/\。 あの土佐坊を打ち取らんと。われも/\ と進む中に。江田の源三熊井太郎。弁慶

を先として。門外に切つて出づれば。 寄手の兵渡り合ひ。をめき叫んで戦ふ たり。 ワキ詞「その時弁慶表に進み。いかに土佐 坊たしかに聞け。さても書きつる虚起請 の。罰を忽ち与ふべし。いざ一太刀と呼 ばはれば。ツレ姉和「大将討たせて叶はじと。 好む打物ひつさげて。弁慶を目懸けて懸 りければ。ワキ「天晴器量の仁体かな。さ て汝は誰そと尋ぬれば。姉和「ものその物 にあらねども。正尊が内に名を得たる。 陸奥の国の住人に。姉和の平次光景なり と。大音上げてぞ名乗りける。 ワキ詞「げにゆゝしくも名のるものかな。さ ては汝は土佐が郎等。われには不足の者 なれども。志をば報ぜんと。地「薙刀やが て取り直し。/\。無慙や汝。手にかけ んと。こむ薙刀を打ちはらひ。受け流せ ば又とり直し。ちやうと打てば。はつた

と合はせ。重ねて打つに。打ち込まれて。 何かはたまらん唐竹割に二つになつてぞ 失せにける。正尊これを見るよりも。 /\。むねとも郎等数輩討たせて。今は 適はじと馬よりおり立ち。乱れ入るを。 義経打物とり直し給ひ。すきまを有らせ

ず戦ひ給へば静も諸共に切り払ひ切り払 ふ正尊適はじと引き立ちけるを。弁慶追 つ詰め戦ひけるが。押しならべむずと組 みえいやと投げ伏せ大勢取り込め縄打ち 懸けて。悦び勇み囚人を引かせ。御門の 打ちにぞ入り給ふ。