法師武者 源義経 佐藤忠信 伊勢三郎 従者

ワキ詞「これは判官殿の御内に。伊勢の三 郎義盛にて候。さても我が君判官殿は。 此吉野を頼み御座候ふ所に。衆徒の詮議 変り。今夜夜討すべき事一定の様に申し 候ふ間。此事申し上げばやと存じ候。如何 に申し上げ候。義盛が参りて候。ツレ「此 方へ来り候へ。ワキ「畏つて候。判官「さて

唯今は何の為に来りてあるぞ。ワキ「さん 候唯今参る事余の儀にあらず。当山の 者ども心変し。今夜夜討すべき事一定の やうに申し候ふ間。此事申し上ぐべき為 に参りて候。ツレ「これは真にてあるか。 ワキ「さん候。判官「口惜しや我幾ばくの難 を遁れ。命を重んずる事も。朝敵の虚名

を晴さん其為なり。それに当山の衆徒夜 討すべきを告げ知らする条。これひとへ に天の御加護なり。とにかくわれは夜に 入り此処を開くべし。誰か一人留まり防 矢を射。其後命を全うして。路次にて追 つ付くべき者やある。義盛計らひ候へ。 ワキ「御諚畏つて承り候さりながら。某を 始め皆いづくまでも御供とこそ存じ候ふ べけれ。恐れながら誰にても召し出され て。直に仰せ付けられよかしと存じ候。 ツレ「それこそ我等が思ふ所なれ。さらば 佐藤忠信を此方へと申し候。ワキ「畏つ て候。いかに此家の内に忠信の渡り候ふ か。シテ「誰にてわたり候ふぞ。ワキ「君より の御使に義盛が参じ候。少し御用の事候 へば。御参あれとの御事にて候。シテ「畏つ て候。ワキ「忠信参りて候。ツレ「いかに忠 信。当山の者ども心変し。今夜夜討すべ き事一定のやうに申し候。とにかく我は

夜に入り此処を開くべし。汝一人留まり 防ぎ矢を射。其後命を全うして。路次に てやがて追つ付き候へ。シテ「御諚畏つて 承り候さりながら。某が事は何処までも 御供に召し具せられ候ひて。余人に仰せ 付けられ候へ。若し辞し申す者あらば。 其時御意をば背き申すまじく候。ツレ「い や汝を頼む上は。とかくの事はあるまじ く候。シテ「御意をばいかで背くべき。し かも一人選まれ申し。防矢仕れとの御諚。 弓矢取つての面目なれば。忝うこそ候 へとよさりながら。我が君を始め奉り。 皆人々に御名残こそ惜しう候へ。地「不覚 の涙をおさへて。御前を立つ。皆哀にぞ 覚ゆる。 上「かくては時刻移るとて。/\。我が君 を始め奉り。門前を出でて間道より。密 にしのび出で給へば。シテ「忠信暫しは御 供し。地「御暇申し留まれば。かまへて命

を全うして。御供に参らずは。不忠なる べしと心得よと。涙を流させ給へば。か たじけなしと忠信は唯ひとり留まる心の 便も涙なるらん/\。物着又ハ中入「。 立衆一声「吉野川。水のまに/\騒ぎ来て。波 うち寄する嵐かな。立衆詞「いかに此坊中へ 案内申し候。シテ「今は夜更け人静まるに。 案内申さんとはいかなる者ぞ。立衆「わ りなく頼朝よりの仰に従ひ。当山の者ど も判官殿の御迎に参りたり。疾う/\出 でさせ給ふべし。シテ「あらはか%\し や忝くも。我が君に思ひかゝらんとや。 よしまづ戦の試に。此矢一条受けて見よ と。地「高櫓に走りあがり。/\。中差取 つてうちつがひ。よつ引いて放つ矢に。 真先かけたる武者あまた。一矢にどうど 転べば。目を驚かし肝をけして。一度に どつとぞ褒めたりける。地「刀を抜き持ち て。/\。弓手の脇より馬手の脇へ。一文

字に切るとぞ見えしが虚腹切つて。櫓よ り後の谷にぞころび落つ。敵の兵是を 見て。寄れや者共首を取れと。一度はばつ と寄り。打ち破り乱れ入り。喚き叫んで 震動すれば。シテ「其隙に忠信は。地「其隙 に忠信は。かねて用意の小太刀おつ取り。 密かに忍び出で。茨からたち。分けつくゞ りつ慕ひゆくを。怪しむる者ありて。あ れはいかにと呼ばはりかへれば。地に伏 し隠れ。闇きを便に忍ばんとするを。遁 すまじと。走りかゝつて払ふと見えし が。真向わられて二つになれば。続く兵 大太刀かざし。打つ太刀を受け流し諸膝 かけて。切り放し通つて。今はかうよと 遥の谷を。蝶鳥の如くに飛び翔り。蝶鳥 の如くに飛び翔つて。都をさしてぞ急ぎ ける。