盧生 邯鄲の宿の主 夢中の勅使 同大臣 同舞人

狂言口開シテ次第「浮世の旅に迷ひきて。/\。夢路 をいつと定めん。サシ「これは蜀の国のか たはらに。盧生といへる者なり。詞「われ 人間にありながら仏道をも願はず。たゞ 茫然と明かし暮らすばかりなり。誠や楚 国の羊飛山に。貴き知識のまします由承 り及びて候ふ程に。身の一大事をも尋ね ばやと思ひ。唯今羊飛山へと急ぎ候。 道行「住み馴れし。国を雲路のあとに見て。

/\。山又山を越えゆけばそことしもな き旅衣。野暮れ山暮れ里くれて。名にの み聞きし邯鄲の。さとにもはやく着きにけ り/\。 シテ詞「急ぎ候ふ程に。これははや邯鄲の里 に着きて候。未だ日は高く候へども。此 処に旅宿せうずるにて候。いかに案内申 し候。狂言シカ%\、シテ「これは旅人にて候。 一夜の宿を御かし候へ。狂言シカ%\、シテ「こ

れは蜀の国のかたはらに。廬生といへる 者なり。われ人間にありながら仏道をも 願はず。たゞ茫然と明かし暮らすとこ ろに。楚国の羊飛山に。尊き知識のましま す由承り及びて候程に。身の一大事を も尋ねばやと。思ひ立ちて候。狂言シカ%\、 シテ「さて其枕はいづくに御座候ふぞ。 狂言シカ%\、シテ「さらば立ち越え一睡見うず るにて候。狂言シカ%\、シテ「さてはこれな るが聞き及びし邯鄲の枕なるかや。こ れは身を知る門出の。世の試に夢の告。 天の与ふる事なるべし。歌「一村雨の雨や どり。地「一村雨の雨やどり。日はまだ残 る中宿に。仮寝の夢を見るやと邯鄲の枕 に臥しにけり邯鄲の枕に臥しにけり。 ワキ詞「如何に廬生に申すべき事の候。 シテ詞「そもいかなる者ぞ。ワキ「楚国の帝 の御位を。廬生に譲り申さんとの。勅使 これまで参りたり。シテ「思ひよらず王位

には。そも何故にそなはるべき。ワキ「是 非をばいかではかるべき。御身代をもち 給ふべき。其瑞相こそましますらめ。は や/\輿にめさるべし。シテ「こはそも何 とゆふ露の。光 りかゞやく玉の 輿。乗りも習は ぬ身のゆくへ。 ワキ「かゝるべき とは思はずして。 シテ「天にもあが る。ワキ「こゝち して。地「玉の御 輿にのりの道。 /\。栄花の花 も一時の。夢とはしら雲の上人となるぞ 不思議なる。真ノ来序「有難の気色やな。 /\。もとより高き雲の上。月も光はあ きらけき。雲龍閣や阿房殿。光も満ち/\

てげにも妙なる有様の。庭には金銀の砂 を敷き。四方の門辺の玉の戸を。出で入 る人までも。光を飾るよそほひは。誠や 名に聞きし寂光の都喜見城の。たのし みもかくやと思ふばかりの気色かな。 下歌「千顆万顆の御宝の数をつらねて捧 物。千戸万戸の旗のあし。天に色めき地 にひゞく。らいの声も。夥しらいの声

も夥し。シテ「東に三十余丈に。地「白金の 山を築かせては。黄金の日輪を出され たり。シテ「西に三十余丈に。地「こがねの 山を築かせては。しろかねの月輪を出 されたり。たとへばこれは。長生殿の内 には。春秋をとゞめたり不老門の前には。 日月遅しと言ふ心をまなばれたり。 ワキツレ詞「如何に奉聞申すべき事の候。御位 に即き給ひては早五十年なり。然らば此 仙薬をきこしめさば。御年一千歳まで保 ち給ふべし。さる程に天の漿や〓〓{コウガイ}の盃。 これまで持ちて参りたり。シテ「そも天の 漿とは。ワキツレ「これ仙家の酒の名なり。 シテ「かうがいの盃と申す事は。ワキツレ詞「同じ く仙家の盃なり。シテ「寿命は千代ぞとき くの酒。ワキツレ「栄花の春も万年。シテ「君も 豊に。ワキツレ「民栄え。地「国土安全長久の。 /\。栄花もいやましになほ喜は増り 草の。菊の盃とり%\にいざや飲まうよ。

シテ「めぐれや盃の。地「めぐれや盃の。流 は菊水の流に引かれて疾く過ぐれば。 手まづ遮る菊衣の。花の袂を翻して指す も引くも光なれや。盃の影の。めぐる空 ぞ久しき。子方「わが宿の。地「わが宿の。 菊の白露今日ごとに。幾代つもりて淵と なるらん。よも尽きじよも尽きじ薬の水 も泉なれば。汲めども/\いやましに出 づる菊水を。飲めば甘露もかくやらんと。 心も晴れやかに。飛び立つばかり有明の 夜昼となき楽の。栄花にも栄耀にもげ に此上やあるべき。楽。 シテ「いつまでぞ。栄花の春も。常磐にて。 地「なほ幾久し有明の月。シテ「月人男の舞 なれば。雲の羽袖を。重ねつゝ。喜の歌 を。謡ふ夜もすがら。地「うたふ夜もすが ら日はまた出でて。明らけくなりて。夜 かと思へば。シテ「昼になり。地「昼かと思 へば。シテ「月又さやけし。地「春の花さけ

ば。シテ「紅葉も色こく。地「夏かと思へば。 シテ「雪もふりて。地「四季をり/\は目の 前にて。春夏秋冬万木千草も。一日に花 咲けり。面白や。不思議やな。歌「かくて 時過ぎ頃されば。/\。五十年の栄花も 尽きて。誠は夢の中なれば。皆消え/\ と失せ果てゝ。有りつる邯鄲の枕の上に。 眠の夢は。さめにけり。狂言シカ%\。 シテ「廬生は夢さめて。地「「廬生は夢さめ て。五十の春秋の。栄花も忽ちにたゞ茫然 と起きあがりて。シテ「さばかり多かり し。地「女御更衣の声と聞きしは。シテ「松 風の音となり。地「宮殿楼閣は。シテ「たゞ 邯鄲の仮の宿。地「栄花のほどは。シテ「五 十年。地「さて夢の間は粟飯の。シテ「一炊 の間なり。地「不思議なりや測りがたし や。シテ「つら/\人間の。有様を。案ず るに。地「百年の歓楽も。命終れば夢ぞか し。五十年の栄花こそ。身の為にはこれ

までなり。栄花の望も齢の長さも。五十 年の歓楽も。王位になれば。これまで なりげに。何事も一炊の夢。シテ「南無三 宝南無三宝。地「よく/\思へば出離を求

むる。知識はこの枕なり。げに有難や。 邯鄲のげに有難や邯鄲の。夢の世ぞと悟 り得て。望かなへて帰りけり。