慧遠禅師 陶淵明 陸修静

シテサシ「普の慧遠廬山のもとに居して。三十 余年隠山を出でず。白蓮社を結び並に十 八の賢あり。其外数百人世を捨て。栄を 忘れて共に西方を修し。六字を礼して此 草庵に遊止す。地 下歌「かくて流を枕とし。 岩にロをすゝぎて。上歌「行住坐臥の行 に。/\。座禅の床をもる月も西に傾く をりふしは。洞煙谷雲の内よりも。瀑布 の滝の白妙に。曙の山の姿。譬へん方ぞ なかりける。

ツレ二人一セイ「雲無心にして以て岫を出で。鳥飛 ぶが如くに倦んで。還ることをや。知ら すらん。上歌「頃もはや。霜降月の曙に。 /\。野山の草の色もはや散るもみぢ葉 に映ろひて。枯野になれど白菊の。花は さながら紅の。八汐に見ゆる気色か な八汐に見ゆる気色かな。 淵明詞「いかに此草庵に慧遠禅師の渡り候 ふか。陶淵明陸修静これまで参りて候。 シテ「その時禅師は白蓮社を出で。書を以

て淵明を招きければ。ツレ二人「二人は共に拝 をなし。地 上歌「廬山のさかしき石橋を。心 静かに渡りつゝ。巌に腰をかけ。瀑布を眺 め給ヘり。三千世界は眼に尽き。十二因 縁は。心のうちにきはもなし。淵明詞「いか に慧遠禅師に申すべき事の候。シテ詞「何事 にて候ふぞ。淵明「さて廬山に至らざらん 者はこれ僧にあらずと申し候ふよなう。 シテ「げに/\左様に申し候。淵明「扨々瀑 布と云ふ事は。いかなる謂のあるやらん。 シテ「いや/\異なる事はなし。万仭名を 得て瀑布といふ。修静「日香炉を照しで紫 煙をなす。シテ詞「遠く見れば織るが如くに して天台に掛く。淵明「宝尺を疑ふ事を休 めよ度りがたし。シテ「たゞちに金刀の剪 栽し易きを恐る。修静「傾き来つて石上に 春雷をなす。淵明「知らんと欲すこれ銀河 の水なる事を。シテ「人間に堕落して。 修静「合して。シテ「かへつて。淵明「廻る。

地「三国無双のこの滝を。今まで拝せぬ心 こそ愚なりけれ。本より琴詩酒の友なれ ば。心静かに昔をいざや語らん。 クセ「抑この淵明と申すは。彭沢の令と なる。官にある事。八十余日。印を解い て去るとかや。日夜に酒を愛し。松菊を 翫ぶ。菊を東籬の下に採つて。南山を 見る事も。君に忠ある故とかや。シテ「又 陸修静は。地「宋の明帝の御時に仙の法を 学んで。陸道士と申すとか。後には当山 の簡寂観に。隠居してましませり。 此人々は天下にも並ぶ方もなき事なれ ば。廬山の虎渓にも劣らぬ光なりけり。 シテ「菊の白露積り積つて。不老不死の薬

の泉。よも尽きじ。地「幾万代も限らじな。 さす盃の廻る夜も。/\明くれば暮るゝ も白菊の。花を肴に立ち舞ふ袂酒狂の舞 とや。人の見ん。シテ「万代を。地「万代を。 /\。松は久しき例なり。/\。シテ「年 をおい松も緑は若木の姫小松。地「四季に も同じ葉色の常磐木の。松菊を愛し。か なたこなたへ足もとは泥々々々と苔むす 橋を。よろめき給へば淵陸左右に。介錯 し給ひて。虎渓を遥に出で給へば。淵明 禅師にさて禁足は破らせ給ふかと。一度 にどつと手をうち笑つて。三笑の昔と。 なりにけり。