梶原源太景季 景季の従者 曽我太郎祐信 祐信の従者 曽我兄弟の母 源頼朝 畠山重忠 一万 箱王

ワキ詞「是は鎌倉殿に仕へ申す。梶原源太景 季にて候。扨も曽我の太郎祐信は。我が君 御心安き者に思し召し候ふ所に。伊東入 道祐近が孫。一万箱王を養ひ置きたる由 聞し召され。成人の後は頼朝が敵ともな るべき者をと。奇代の事に思し召し。某に 召連れて参れとの御諚を蒙り。唯今曽我 へと急ぎ候。いかに誰かある。ワキツレ「御前 に候。ワキ「急ぎ案内を請ひ候へ。ワキツレ「畏 つて候。いかに此内へ案内申し候。トモ「誰

にて渡り候ふぞ。ワキツレ「梶原源太景季の参 られて候。此由御申しあつて給はり候へ。 トモ「心得申して候。いかに申し上げ候。梶 原源太景季殿の御出にて候。シテ「此方へ と申し候へ。トモ「畏つて候。其由申して候 へば。此方へ御出あれとの御事にて候。 ワキ「心得てある。シテ「思ひよらざる御出 珍しうこそ存じ候へ。先づかう/\御通り 候へ。扨唯今は何の為の御出にて候ふぞ。 ワキ「何と申すべきやらん。御為ゆゝしか

らぬ御使に参りて候。其故は。故伊東殿の 孫養育の由聞し召され。末の敵なれば。急 ぎ供して参るべしとの御使を蒙り参りて 候。シテ「仰畏つて承り候さりながら。妻 子に縁なきもの。祐信に過ぎたるはよも あらじ。玉くしげ蘭かれ。衰朽の夢を見 しよりも。せめては憂きをも慰む便ぞと 思ひ。兄弟を五つや三つの時よりも。母 諸共に迎へ取り実子の如く育てつゝ。事 仮初とはいひながら。早十一と九つ。年 頃よりもけなげにも見え候へば。折を得 て君へも申し上げ。御家人の数にも交 へ。父の名跡をも継がせばやとこそ。兼 ねては存じ候ひし。此頃斯る仰を蒙るべ しとは。思ひもよらず候ふと。地「涙をおさ へ悲しめば。母は余りの心にや唯茫然と 呆れけり。クセ「実にや生きとし生けるも の。子を悲しまぬものや有る梁の燕野の 雉子。子故に身を忘れ。哀猿腸をたつ悲

今目の前にあはれなり。シテ「よしや思へ ば何事も。地「報の罪のいまさらに。誰 をかさして恨むべき親子の契麻衣。袖 に余れる涙の。身も絶えなんと父母は。 歎に沈むばかりなり/\。ロンギ地「実に理 と思へども。今は時刻も移るなり早々出 し給へかし。ツレ「母は余りの悲しさに。日 頃頼みし観世音。誓の舟の梶原よ。君 に宜しく申し上げ兄弟を助けたび給へ。 ワキ「流石に我も親心。想ひやらるゝ袖の 露押へ兼ねたるばかりなり。シテ「祖父伊 東が悪逆を。思し召し給ふとも。未だ幼 き者なればなど御赦なかるべき。ワキ「げ に道理なり梶原が。何とぞ申し兄弟の。 地「命ばかりは助けんと。さも頼もし き言の葉の。露の情を便にて。泣きて とゞまる哀れさよ/\。シテ子方立衆一声「若草 の。上もたはゝに置く露の。きえを争ふ 気色かな。地「道芝の露も涙もわけかぬ

る。/\。羊の歩隙の駒。芦辺の田鶴も 音を添へて。哀催す波の音。由井の汀 に着きにけり/\。ワキ詞「いかに祐信に 申し候。某身に代へてもと存じ。色々詞 を尽し候へ共。君御憤深く。殊に工藤 祐経の申し条あるにより。誅し申せとの 御諚にて候。今は思し召しきられ候へ。 シテ「曽我を出でしより斯あるべきとは存 じ候へども。余りに母にて候ふものゝ歎 き候ふ程に。梶原殿を頼み申してこそ候 へ。此上は是非なき事。某も思ひ定めて 候。ワキ「いかに兄弟。急ぎ敷皮に直り候 へ。シテ「いかに申し候。迚もの御芳志に 某が手にかけて。せめての孝養に仕り度 く候。ワキ「いか様とも御心に任せ候へ。い かに太刀取。祐信へ太刀を参らせ候へ。 太刀取「畏つて候。シテ「いかに兄弟。迚も遁 れぬ道芝の露の命を惜まずして。最期 を清くたしなみ候へ。一万「愚の父の仰や

な。死せん命は露塵程も何かは惜み申す べきさりながら。年頃の御恩をも。聊 報ずる事もなく。空しく三途に帰らん 事。誠に無念に候。箱王「なう兄上。我等 兄弟が最期の体を見物とて。さしもの由 井の浜までも。所せきまで見えて候。潔 く父の御手に懸り。黄泉とやらんにと く参らうずるにて候。シテ詞「あう申したり /\。夫れ栴檀は二葉より芳しとは。御 事等の事にて候。成人の後さこそと思 へば。目もくれ心乱れつゝ。地「何処をそ こと弁へず。唯くれ/\と呆れしが。 時刻移してかなはじと。太刀取り直し立 ちけれど。足弱車よわ/\と。力もつき て叶はねば。太刀投げ捨てゝ伏しまろ び。害してたべと叫べども。太刀取も 斬り兼ねて唯さめ%\と泣き居たり。 ワキツレ詞「なう/\暫く御しづまり候へ。御赦 の状を賜はり。畠山殿の御使に参りて候。

これ/\御読み候へ。ワキ「あら目出度の 御事や。急ぎ拝見申さうずるにて候。何 何一万箱王が事。諸国の大名小名。殊に 畠山重忠さへぎり申さるゝに依つて。二 人の命を助け。重忠に預け置く所なり。か かる目出度き事こそ候はね。シテ「真に御 厚恩いつ忘るべきとも存ぜず候。畠山「い かに梶原殿。又祐信へ申し候。扨も諸国の 大名小名。我が君の御前にて。色々詞を尽 し申されしかども。中々御赦なかりける に。此畠山。物その数にはあらねども。

御前を立去らず首を打たせおはしませ。 ワキ「実に尤も道理なり。さらば目出度き をりからに。和歌を詠じて酒宴をなし。 急いで舞を舞ひ候へ。シテ「万代の。松に ぞ君を祝ひつる。地「千歳の影そふ若緑。 愁の眉も忽ちに。/\。開くる花の盃と りどりに慶賀の礼儀互に述べて。これま でなりと暇申し。兄弟引き連れ父もろと もに帰る心を何にたとへん唐衣。きつゝ なれにし故郷に帰ることこそ嬉しけれ。