宮人(前ハ翁) 西行法師

ワキ次第「心を誘ふ雲水の。/\。ゆくへやい づくなるらん。詞「これは嵯峨の奥に住ま ひする西行法師にて侯。われ宿願の子 細あるにより。唯今住吉の明紳に参詣仕 り候。道行「住み馴れし。嵯峨野の奥を立 出でて。/\。西より西の秋の空。月を

ゆくへのしるべにて。難波の・御津{みつ}の浦伝 ひ。入りぬる磯を過ぎゆけば。はや住の 江に着きにけり/\。 詞「急ぎ候ふ程に。これははや住吉に着き て候。われ此処に来りこゝかしこをさす らひありき候ふ程に。早日の暮れて侯。

又あれを見れば・釣殿{つりどの}の・辺{ほとり}と思しくて。火 の光の見えて候ふ程に。立ちより宿を借 らばやと思ひ侯。 シテ「・風{かぜ}・枯木{こぼく}を吹けば晴天の雨。月・平沙{へいさ}を 照らせば夏の夜の霜。それさへあるに秋 の空。余りに堪へぬ半の月。あら面白の をりからやな。 ワキ詞「いかにこの家の内へ案内申し候。 シテ詞「誰にて渡り侯ふぞ。ワキ「行き暮れた る修行者にて候。一夜の宿を御貸し候へ。 シテ「余りに見苦しき柴の庵にて候ふ程 に。御宿は適ひ候ふまじ。今少しさきへ御 通り侯へ。ツレ「なう/\これは世を・捨人{すてびと}。 痛はしければ入らせ給へ。シテツレ二人「さりな がら秋にもなれば夫婦のもの。月をも思 ひ雨をも待つ。心々に・葺{ふ}き葺かで。住め る軒端の草の庵。いづくによりて留まり 給ふベき。ワキ詞「偖は・雨月{うげつ}の二つを争ふ心 なるべし。月はいづれぞ雨はいかに。

ツレ「姥はもとより月に愛でて。板間も惜 しと軒を葺かず。シテ「おほぢは秋の村時 雨。木の葉を誘ふ嵐までも。音づれよと て軒端葺く。ツレ「かしこは月影。シテ「こ こは村雨。ツレ「定なき身の住居まで も。シテ「賎が軒端を葺きぞわづらふ。 /\。詞「面白やすなはち歌の下の句な り。此上の句をつがせ給はゞ。お宿は惜 み申すまじ。ワキ「もとよりわれも和歌の 心。其・理{ことはり}を思ひ出づる。月は洩れ雨は ・溜{たま}れととにかくに。シテ「賎が軒端を葺き ぞわづらふ。シテワキ二人「月は漏れ雨は溜れと とにかくに。賎が軒端を葺きぞわづらふ。 シテ「面白の・言{こと}の葉や。地「げに理も深き 夜の。月をも思ひ雨をさへ。厭はぬ人な らば。こなたへ入らせ給へや。上歌「をり しも秋なかば。/\。三五夜中の新月の。 二千里の外までも。心知らるゝ秋の空。 雨は又・瀟灑{せうしやう}の。夜の哀ぞ思はるゝ。

ツレ「なう村雨の聞え候。シテ詞「げに村雨 の聞ゆるぞや。・遠里{とをざと}小野の嵐やらん。 ツレ「よく/\聞けば時雨ならで。更け 行くまゝに秋風の。シテ「軒端の松に。 ツレ「吹き来るぞや。地「雨にてはなかりけ り。小夜の嵐の吹き落ちて。中々空は住 吉の。処からなる月をも見。雨をも聞け と吹く。・閨{ねや}の軒端の松の風。こゝは住吉 の。岸打つ浪も程近し。仮寝の夢もいか ならん。よしとても・旅枕{たびまくら}さらでも夢はよ もあらじ。いざ/\・砧{きぬた}・擣{う}たうよ。浮世の 業を賎の女は。風寒しとて衣打つ。身の 為はさもあらで秋の恨の小夜衣。月見が てらに擣たうよ。シテ「時雨せぬ夜も時雨 する。地「木の葉の雨の・音信{おとづれ}に。老の涙も いと深き心を染めて色々の。木の葉衣の 袖の上。露をも宿す月影に。重ねて落つ るもみぢ葉の。色にも交じるちりひぢ の。積る木の葉をかき集め雨の名残と思

はん。 シテ詞「はや夜も更けたり旅人も御休み候 へ。こゝはもとより処から。・年{とし}も・津守{つもり}の ・小尉{こじよう}なればわれも。地「老衰の眠深き夢に 帰るいにしへを。松が根枕して共にいざ やまどろまん。来序中入「。 後シテ出端「あら面白の詠吟やな。陰陽二つの道 を守る。其句を分つて五体とす。木火土 金水なり。上下は則ち天地人の三才はこ れ詠吟なるべし。われをば誰とか思ふ。 忝くも西の海。・檍{あをき}が原の波間より。 地「現れ出でし。住吉の。シテ「神託まさに。 疑はざれ。祝詞「抑この神の。因位を尋ね 奉るに。昔は兜率の内院にして。高貴徳 王菩薩と号し。今は又玉垣の。うちの国 に跡を垂れ。和歌を守りて住の江や。・松林{しようりん} の下に住んで。久しく風霜を送る。こ こに和歌の人稀なる所に。西行法師歩を 運び給ひ。心を述ぶる和歌の友とて。神

明納受垂れ給ふ。これによつて。神慮の 程を知らしめんと。きねが・頭{かうべ}に乗りうつ る。・謹上{きんじやう}。地「再拝。真ノ序ノ舞「。ありがたの 影向や。/\。返す心も住吉の。岸うつ 波も松風も。颯々の鈴の声。丁々の鼓の 音。和歌の詠吟舞の袂も同じく心詞にあ

らはるゝ。其風等しかりけり。これまで なりや今ははや。疑はで神託を。仰ぐべ しと・木綿{ゆふ}しでの神は。・上{あが}らせ拾ひければ。 もとの・宮人{みやびと}となりて。本宅に帰りけりや もとの方に帰りけり。