直井の左衛門 直井の後妻 直井の子月若 直井の従者 直井の前妻 月若の姉

ワキ詞「これは越後の国の住人。直井の左 衛門何某にて候。さても某妻を持ちて候 ふを。かりそめながら離別して。あたり 近き長松と申す所に置きて候。かの者二 人の子を持つ。姉をば長松の母に添へ置 き。弟月若をば某一跡相続のために。 此屋の内に置きて候。かやうに候ふ所に。 又新しき妻をかたらひて候。某此間

宿願の事候ひて。あたり近き所に参籠 仕り候ふ間。月若が事を委しく申し置 かばやと存じ候。如何に渡り候ふか。 狂言女「何事にて候ふぞ。ワキ「さん候唯今 呼び出し申すこと余の儀にあらず。某は さる宿願の子細候ひて。二三日の間物詣 仕り候。其留守の内月若をよく/\いた はりて賜はり候へ。又此国は雪深き所に

て候。降り積り候へば四壁の竹の損じ候。 殊に此程は何とやらん雪気になりて候ふ 間。自然雪降り候はば。召し使ひ候ふ者 どもに仰せ付けられ候ひて。あたりの竹 の雪を払はせられ候へ。狂言「何と御物詣 と候ふや。めでたうやがて御下向候へ。 又竹の雪の事は心得申し候。又月若殿の 事よく/\労はれ仰せられ候。あら今 めかしや候。何方への御留守にてもよ く労はらぬ事の候ふか。ワキ「いや幼き者 の事にて候ふ程にかやうに申し候。さら ばやがて下向申さうずるにて候。 狂言女「如何に月若。父御は物詣とて御出 で候。御留守の間に月若をよく/\労は れと仰せ置かれて候。是は今めかしき事 を仰せ候。いかさまおことは殿へ妾が悪 くあたるなどと告口をしてあるな。あら にくや/\腹立や。 子方「実に世の中に月若程。果報なき者よ

もあらじ。あけくれ思を信濃なる秩父 の山。秋はてぬれば柞の森の。頼む方な くなり果てぬ。たゞ長松におはします。 母と姉御に暇を乞ひ。何方へも行かばや と思ひ候。 シテサシ「此程は松吹く風も淋しくて。伴なふ 物は月の影。人も訪ひこぬ隠れがの。柴 の〓{新字源2799:とぼそ}の明暮は。いつまで誰を長松の。緑 子故の住居かな。 子方詞「如何に申し候。月若が参りて候。 シテ「何月若と申すか。あらうれしと来り たるや。人数多連れて来りたるか。子「い やひとり参りて候。シテ「あら心もとな や。早日の暮れてあるに。何とてひとりは 来りたるぞ。子方「さん候唯今参る事は 継母御の。シテ詞「あゝ暫く。名のらずはい かゞそれとも夕暮の。面影変る。月若か な。あはれや実に我が添ひたりし時は。 さこそもてなしかしづきしに梓弓。やが

ていつしか引きかへて。身に着る衣は唯 鶉の。所々もつゞかねば。何とも更にゆ ふしでの肩にもかゝるべくもなし。花こ そ綻びたるをば愛すれ。芭蕉葉こそ破れ たるは風情なれ。地下歌「いづくに風のたま りつゝ。寒さを防ぎけるらん。上歌「短夜 の夢かや見れば驚くは。/\。山田の鹿 の如くなる臥所荒れ立つ草むらに。尋ね て来る志。親子ならでは。かくあらじ 親子ならではかくあらじ。 狂言女「あら不思議や。月若が見え候はぬ ぞや。如何に誰かある。狂言男「御前に候。 狂言女「月若は何処へ行きてあるぞ。 狂言男「更に存ぜず候。狂言女「いや/\推量 して候。先にちと言ひごとをしてあれば 心にかけて。例の長松の母の方へ告口し に行きてあるな。あら憎や。只今父御の 御帰あつて召すと申して連れて来り候 へ。男「畏つて候。如何に申し候。殿の御

帰あつて月若殿を召され候。急いで御 帰り候へ。シテ詞「何父御の召され候ふと や。あら悲しやたま/\来りたるものを。 さりながら召にて候はばとく参りて。又 此程に来りて母を慰め候へ。 男「如何に申し候。月若殿を御供申して 参りて候。狂言女「如何に月若。さればこそ 又長松に行きて告口してあるな。父の仰 せ置かれて候。雪降らば四壁の竹の雪を 払はせよと仰せ候ふが。事の外雪降りて 候ふ程に。急いで竹の雪を払ひ候へ。物を 脱ぎ小袖一つにて払ひ候へ。子方「さりと ては払はでかくてあるならば。地「払はで かくてあるならば。我のみならず。母上 も姉御前も思は。長松の風。身にしむば かり更くる夜の。雪寒うして払ひかね。 帰らんとすれば門をさす。明けよとたゝ けど音もせず。あら寒や堪へがたや。月 若たすけよ。実にや無常のあらき風。憂

き身ばかりつらきかなと。思ふかひなき 月若は終に空しくなりにけり終にむなし くなりにけり。 狂言男「何と申すぞ。月若殿雪に埋もれて 空しくなり給ひたると申すか。あら痛は しの御事や候。さこそ長松に御座候ふ母 御の御歎き候はんずらん。やがて此由を 長松に申し候ふべし。いかに申し候。月 若殿竹の雪に埋もれて空しく御なり候。 シテヒメ二人「実に/\生を受くる類。誰か別 を悲まざる。されば大聖釈尊も。羅〓{大漢和:23523。ご} 為長子と説き。また西方極楽の教主法蔵 比丘は。御子の太子を悲み。鹿野苑に迷 はせ給ふとこそ承りて候へとよ。況んや 人間に於てをや。誰かは子を思はざる。 シテ、ヒメ二人次第「ふるに思の積る雪/\消えし我 が子を尋ねん。シテ一声「子を思ふ。身を白雪 の振舞は。地「ふるにかへらぬ。心かな。 シテ「花は根に。鳥は古巣にかへれども。

ヒメ「我は再び此道に。シテヒメ二人「帰らん事も 片糸の。一筋にたゞ思ひきり。忘れて年 を降る雪の。積の恨深ければ。行く水 に数ならぬ。身は有明の月若が。たゞか きくれて五障の雲の隙よりも。あくがれ 出づるはかなさよ。シテ「上なき思は富士 の嶺の。シテヒメ二人「かくれぬ雪ともあらはれ なば。地「恥かしや何処へやり身は小車の 我が姿。地「習はぬ業を菅蓑は。/\。寒風 もたまらず。いつを呉山にあらねども。 笠の雪の重さよ老の白髪となりやせん 戴く雪を払はん先づ笠の雪を払はん。 シテサシ「暁梁王の園に入らざれども。雪 群山に満ち。ヒメ「夜〓{大漢和:9398。いう}公が樓に登らねど も。月千里に明らかなり。シテヒメ二人「悲しや 見渡せば。こゝは湘浦の浦かとよ。斑に見 ゆる雪の竹。涙や色に染むべき。ヒメ「彼 の唐土の孟宗は。親のため雪中に入り笋 を設く。シテ「今我は引きかへて。地「子の

別路を悲みて。竹の雪をかきのくる。我 が子の死骸あらば孟宗にはかはりたり。 うれしからずの雪の中や。思の多き年月 も。はや呉竹の窓の雪夜学の人の燈も。 はらはゞやがて消えやせん。谷を隔つる 山鳥の。尾を履む峯の竹には虎や住むら ん恐ろしや。世を鴬の声立て煙は竹を 白雪のあかしといへば須磨の浦の。海士 の焼くなる塩やらん。 ロンギ地「空に知られて木の下に。吹きたて て降る雪は狼藉か。落花か。シテ「花は泣く /\雪をかけば。ヒメ「姉は父御を恨みて 人しれぬ涙せきあへず。地「すはや死骸の 見えたるは。シテ「如何に月若母上よ。 ヒメ「姉こそ我と。地「呼べども叫べども。 答ふる声のなどなきぞ。消えよと思ふ。 雪は積りて月若が別を何にたとへなん別 を何にたとへなん。 ワキ詞「此間諸願成就して。唯今下向仕

り候。あら不思議や。某が四壁の内に。 人の泣声の聞え候ふはいかに。あら心も となや候。や。さればこそいかに姫。こ れは何と申したる事ぞ。ヒメ「さん候月 若長松へ来り給ひしを。父御の召とて帰 りて候へば。もとより衣は一重なり。 寒風に責められて空しくなりて候ふを。 情ある人の長松へ此由かくと申し候ふ程 に。母上これまで御出でにて候。いづれ も親にてましませども。母御はこれほど 悲み給ふに。父御前は子をば思ひ給はぬ ぞや。継母御をば恨むまじ。唯父御こそ 恨めしう候へ。 ワキ詞「いや某は月若に竹の雪を払へと 申したる事はゆめ/\なき事にて候ふぞ とよ。定めて人の教戒にてぞ候ふらん。 これと申すもとにかくに。唯某が科に てこそ候へ。あら面目なや候。シテ「身を

梁の燕のならひ。すみねたき事を聞き ながら。さまをも今までかへざるは。彼 を思ふ故なるに。そも継母はいかなれば。 此月若をば殺しけん。よその歎は一旦 の思。唯憂き身ひとりの歎ぞかし。命 惜しとも思はれず。ワキ「身は白雪と消え ばやなん。地「理や面目なや思はぬ外の 歎かな。地「二人の親の悲の。/\。不 思議なるあはれみにや。虚空に声ありて。 竹林の七賢竹ゆゑ消ゆるみどり子を。又 二度かへすなりと。告げ給ふ御声より。 月若いきかへり喜は日々に添ふ。 キリ地「かくて親子にあひ竹の。/\。世 を故郷をあらためて。仏法流布の寺とな し。仏種の縁となりにけり。二世安楽の 縁深き。親子の道ぞ有難き/\。