上京の男

ワキ次第「昨日入りにし三吉野の/\北の山路 に帰らん。詞「これは上京邊に住居する者 にて候。これに渡り候ふ幼き人は。母御 を行方なく失ひ給ひ御歎き候ふほどに。 我等御供申し御祈の為。昨日三吉野に参 詣申し。只今都へ上り候。道行「一夜寝て また立ち帰る旅衣。/\。昨日過ぎにし 道芝の露も草葉も五月雨の。山水そへて 行く末の。岸田の早苗みどりにて。波も淵

瀬の名にしおふ。飛鳥川にも着きにけり /\。詞「急ぎ候ふ程に。これは早飛鳥川 に着きて候。向を見れば笛鼓を鳴らし田 歌を謡ひ候。暫く御眺め候へ。シテツレ二人一声「飛 鳥川。岸田の早苗とり%\の。袖も緑の。 景色かな。ツレ二人「山郭公声添へて。三人「謡 ふ田歌も。なほ繁し。シテサシ「種蒔きし其神 の代ぞ久方の。天のむら早稲種継ぎて。 三人「今人の代の末までも。恵の国は治り

て。我等ごときの民までも。地儀のかま へは豊なり。然れば神と君が代の。廣き 御影の。有難さよ。下歌「天の川苗代水に せき下せ。上歌「天くだります事ならば。 /\。神ぞ知るらん世の例。雨も豊に木 の音も。長閑き空の飛鳥風。都もこゝに 遠けれどあまさがる鄙の国までも。もれ ぬ誓は有難や/\。シテ詞「暫く休らひて 田を植ゑうずるにて候。ワキ「面白や頃は 五月の初つかた。四方の梢も深みどり。景 色をそへて小田の早苗。取り持つ人の裳 を浸し。袖をぬらせる有様は。げにをりを りの目前なり。詞「又これなる河の水出で て。もとの渡瀬も定かならねど。昨日渡り しそのまゝに。川瀬を尋ね渡り行けば。 シテ「なう旅人こゝは渡瀬に候はず。今少 し上を渡り給へ。ワキ「何上を渡れと候ふ や。シテ「なか/\の事幾程もなし。あれ に見えたるみをじるしを。しるべに渡り

給ふべし。ワキ「ふしぎや昨日三吉野へ。 参りし時は此渡瀬。扨は渡瀬のけふ變り。 上をば渡り候ふやらん。シテ「此川のPの 昨日けふ。變りたるとの御不番は。名を ば何とかしろしめすらん。ワキ「いやこの 川は飛鳥川にては候はぬか。ツレ「飛鳥 川ぞしろしめして。きのふの淵は今日 のPに。變ると豫て知し召さぬは。御心 なき仰かな。シテ「夜の間の雨に水まさ り。殊更けふは流洲の。渡瀬は定めなきも のを。ワキ「實に隠なき此川の。分きて 淵瀬の定まらぬ。謂は如何なる事やらん。 シテ詞「いやそれは唯山川の。末の流 の石多く。淵瀬の常に変る事を。言ひ習は せる心なり。ツレ「されば歌にも。シテ「世 の中は。地「何か常なる飛鳥川。/\。昨 日の淵は今日の瀬に。なるや夜の間の 五月雨に。みかさまさりて濁りたる。水 の心も知らずして。左右なう渡り給ふな

よ/\。地クリ「それ春過ぎ夏たけて。秋も 又暮れぬべし。冬にならんも。幾程ぞ。 シテサシ「五月雨に物思ひをれば郭公。地「夜深 く鳴きていづち行くらんと。詠みし心も 今更に。身に白糸のよるとなく。昼とも わかで仇し世のいつまでとてか存へん。 シテ「思へばあはれ胡蝶の夢に。地「遊ぶぞ けふの。現なる。クセ「御田やもり今日は 五月になりにけり。急げや早苗。老いもこ そすれ。實にや五月雨の。晴れぬ日数も ふり行くに。あすとないひそ飛鳥川の。水 田のあさみどり立ち連れいざや植ゑうよ。 抑幾何の田を作ればか郭公。四手の田 長を。朝な/\よぶと。詠ぜしも誠なり。 四手の山田の時過ぎて。此土に来り声立 てゝ。程時過ぐる世の中の。数をしる故 に時の鳥とは申すなり。シテ「五月山梢を 高み時鳥。鳴く音空なる恋やする。我も 恋しきみどり子の行方も知らで足引の山

路に迷ひ里に出でて。国々浦々めぐる日 の。つもる三年の春過ぎて。夏もはや五 月雨の。ふり分髪の玉葛。かゝる業はい つか身に。馴衣袖ひちていざ/\早苗と らうよ。面白や。中ノ舞「。シテ「面白や。雁寒 み。くれし田を。地「又時鳥早苗とる。 /\。五月の玉の波を散らすは。シテ「手 玉もゆらの湊田の早苗。地「さすや潮をも まじる早苗は。シテ「住吉の岸田。地「入江 に任せしは。シテ「難波田のふし水。地「都 邊に植ゑしは。シテ「伏見田鳥羽田の。地「こ れは都に近きたをやめの袖吹き返す飛鳥 風。心も乱るゝ青柳のみどり子恋しや。 なつかしや。今迄は行方も知らぬ賎の女 の。/\。不思議や見れば母上か友若こ こに夾りたり。シテ「我が子ぞと聞けば夢 かと夕暮の。それかあらぬか夢ならばさ めての後はいかならん。地「よく/\見れ ばみづからが。尋ぬる母や。シテ「友若に。

地「あふの松原の。/\。尽きぬあふ瀬や 飛鳥川。深き契の親と子に。二度逢ふぞ

嬉しき/\。