帝王 蔵人 大臣

ワキ、ワキツレ一セイ「久方の。月の郡の明らけき。光 も君の。恵かな。ワキ、ツレ、サシ「それ明君の御代 のしるし。万機の政すなほにして。四季 をり/\の御遊までも。捨て給はざる叡 慮とかや。ツレ「まづ青陽の春にならば。 ワキツレ「処々の花のみゆき。ツレ「秋に時雨 の紅葉狩。ワキツレ「日数も積る雪見の行幸 ツレ「寒暑時を違へされば。ワキツレ「御遊のを りも。ツレ「時を得て。ワキワキツレ上歌「今は夏ぞ と夕涼。/\。松の此方の道芝を。誰踏 みならし通ふらんこれは妙なるみゆきと て。小車の。直なる道を廻らすも同じ雲居 や大内や。神泉苑に着きにけり/\。 ツレサシ「面白や孤島峙つて波悠々たるよそ ほひ。誠に湖水の浪の上。三千世界は

眼の前に盡きぬ。 十二因縁は心の裏 に空し。げに面白 き景色がな。地「鷺 の居る。池の汀は 松ふりて。/\。 都にも似ぬ。住居 はおのづからげに めづらかに面白 や。或は詩歌の舟 を浮め。又は糸竹 の。声あやをなす曲水の。手まづ遮る盃 も浮むなり。あら面白の池水やなあら面 白の池水やな。 ツレ「いかに誰かある。ワキツレ「御前に候。

ツレ「あの洲崎の鷺をりから面白う候。誰 にても取りて参れと申し候へ。ワキツレ「畏つ て候。いかに蔵人。あの洲崎の鷺をりから 面白うおぼしめされ候ふ間。取りて参ら せよとの宣旨にて候。ワキ「宣旨畏つて承 り候さりながら。かれは鳥類飛行の翅。 いかゞはせんと休らへば。ワキツレ「よしや いづくも普天の下。卒土のうちは王地ぞ

と。ワキ「思ふ心を便にて。ワキツレ「次第々々 に。ワキ「芦間の蔭に。地「狙ひより狙ひよ りて。岩間のかげより取らんとすれば。こ の鷺驚き羽風を立てゝ。ぱつとあがれば 力なく。手を空しうして。仰ぎつゝ走り 行きて。汝よ聞け勅諚ぞや。勅諚ぞと。 呼ばはりかくれば。此鷺立ち帰つて。本 の方に飛び下り。羽を垂れ地に伏せば。 抱きとり叡覧に入れ。げに忝き王威の恵。 ありがたや頼もしやとて。皆人感じけり。 げにや仏法王法の。かしこき時の例とて。 飛ぶ鳥までも地に落ちて。叡慮に適ふあ りがたや。/\。猶々君の御恵。仰ぐ心 もいやましに。御酒を勧めて諸人の。舞 楽を奏し面々に。きぎの蔵人。召し出され 様々の。御感のあまり爵を賜び。ともに なさるゝ五位の鷺。さも嬉しげに立ち舞 ふや。シテ「洲崎の鷺の。羽を垂れて。地「松 も磯馴るゝけしきかな。舞

シテ「畏き恵は君朝の。地「畏き恵は君朝 の。四海に翔る翅まで。靡かぬ方も。な かりければ。まして鳥類畜類も。王威の 恩徳逃れぬ身ぞとて。勅に従ふ此鷺は。 神妙々々放せや放せと重ねて宣旨を下さ

れければ。げにかたじけなき宣命を。ふく めて。放せばこの鷺。心嬉しく飛びあが り。心嬉しく飛びあがりて。行くへも知 らずぞなりにける。