瀬尾太郎 仏御前 祇王

ワキ詞「これは入道大相国に仕へ申す。瀬尾の 太郎何某にて候。さても浄海掌に天下

を治め給ひ。栄花の・央{なかば}にて御座候。こゝ に祇王御前と申す遊女。唯かりそめに浄

海の御目に懸かり給ひしが。御寵愛なら びなし。日夜朝暮の御酒宴申しはかりな く候。又加賀の国より仏御前と申して。 これも白拍子にて候ふが。浄海の御目に 懸かりたき由を申し出仕申され候へど も。浄海の御諚には。いかなる神なりと も仏なりとも。祇王があらん程は御対面 叶ふまじき由仰せ候ふ所に。祇王の御申 には。いづれも流を立つるは同じ事にて 候へば。御対面なくては叶ふまじき由た つて御申し候ひて。此四五日は出仕をと どめ給ひて候。さる間今日御対面あるべ き由仰せ出され候ふ間。この由祇王御前 に申さばやと存じ候。いかに案内申し候。 浄海の御諚にて。祇王御前も仏御前も御 まゐりあれとの御事にて。瀬尾の太郎が 参りて候。いかに祇王御前。何とて此間は 御出仕もなく候ふぞ。ツレ詞「唯今参り候ふ 事も。仏御前の訴訟故候ふよ。ワキ「あら

今めかしの御事や候。既に御申により。 仏御前の御参の上は候。いかに仏御前。 唯今の御出仕めでたう候。 シテ「申すにつけて憚おほく。御心の中も 恥かしやさりながら。申さで過ぎばいと どしく。願の糸の色見えぬ。闇の錦のた とへても。身のはて如何になりぬらん。 同じかざしの花鬘。かゝる恨は。身ひと りかや。下歌「さしも名高き御事の人をえ らばせ給ふかや。上歌「我が方の越の山風 吹くたびに。/\。高嶺に残る天雲の。 隠るゝ空も憂き旅の何に心の急がれん。 都人。いかにと問はゞ山高み。晴れぬ思 にかきくれて。唯言の葉も泣く露の。そ れならで故郷の人目にかゝる事あらじ。 ワキ詞「いかに仏御前。あらおもしろの御 述懐や候。又御諚には。御前にてそと 御舞あれとの御事にて候。シテ「仰に随ひ 立ち上り。まづ悦の和歌の声。いで祇王

御前同じくは。相曲舞に立ち給へ。ツレ「妾 はいつもの舞の袖。事ふりぬれば人々も。 目がれて興やなからまし。シテ「実に/\ さぞと夕顔の。花の狩衣烏帽子を着。袖 めづらかに出で立たん。ワキ「実におもし ろや舞人の。衣裳を飾らば今ひとしほ。 地「有明月の影ともに。/\。面つれなき 心とは我だに知れば恥かしや。思は朝ま だき。花の衣裳を飾らんと。二人伴ひ立 ち出づる/\。 ツレ「うれしやな今ぞ願は陸奥の。今日を 待ち得て舞人の。なまめき立てる女郎花。 後シテ「女姿に立烏帽子。ツレ「折から花の狩 衣に。シテ「袖を連ねて。ツレ「立ち出づる。 二人一セイ「よろづ代を。治めし君が例には。 地「巷にうたふ。和歌の声。中ノ舞「。二人クリ「そ れ金谷の春の花は。一衰の色を見せ。 地「姑蘇台の秋の月は涅槃の雲に隠れぬ。 二人サシ「一去不来の名残送離累別の袂。

地「いづれの日を経てか・乾{ほ}す事を得ん。誰 あつて終日をかたらはんや。あはれなり ける。クセ「世の中の夢現。昨日にかはり 今日にさめ幻の夢も幾度ぞ。我等賎しく も。遊女の道を踏みそめし。心はかなき 色好みの。家桜花しぼみ。たゞ埋木の人知 れぬ。世の交や芦垣の。まめなる所とて。 初花薄露重み。穂に出でがたき身なるべ し。こゝに平相国。清盛の朝臣とて。今 の世の武将たり。誰かは恐れざるべき。 金玉玉殿に。美女の数を集めては。漢宮 四台もこれにはいかで勝るべき。中に祇 王は好色の。その名にめでて参殿の。始 よりも色深く比翼連理の其契。天長く地 久し漆膠の約と聞えしに。二人「時に仏と 号しては。地「一人の遊女あり。名にしお ふ。仏神の御感応か人心うつれば。変る習 故か彼に心掛帯の。引きかへて舞の袖。 実におもしろく花やかに。見るこそやが

て思草。言の葉もなか/\。恥かしき余 なりけり。 ワキ詞「いかに申し候。いづれも御舞面白 く思し召され候。然れども祇王御前は御 休み候ひて。仏御前一人舞はせ申され候 へとの御事に候。ツレ「妾はこれにありて もよしなし。まづ/\家路に帰り候は ん。ワキ「いや/\さやうに仰せられ候ひ ては。御機嫌もいかゞにて候。暫くこれ に御座候へいかに仏御前。浄海の御諚に は。仏御前一人御まひあれとの御事にて 候。シテ「いや祇王御前の御舞なくは。 妾ひとりは舞ひ候ふまじ。ワキ「御意にて

候ふ程に。急いで御まひあらうずるにて 候。シテ「羅綺の重衣たる情なき事を機婦 に妬む。いつしか人の心も煩はし。さり とては。地「さりとては心に任せぬ此身の 習。仏はもとより舞の上手。和歌をあげ ては袂を返し。返してはうたふ。声もか すむや春風の。花を散らすや舞の袖返す %\も。おもしろや。破ノ舞「。シテ「人は何とも 花田の帯の。地「人は何とも花田の帯の。 引きかへ心は変るとも。祇王御前心に かけ給ふな。わが名は仏神かけて。深き 契の中ぞとはよしなや聞かじともろとも に空言なくこそ。契りけれ。