山姫 里人

ワキ次第「ながめもつきぬ四つの時。/\。 山又山を尋ねん。詞「これは此あたりに住 居する者にて候。さても四季折々の眺に も。とりわき春の花盛。言葉も尽きぬ景 色にて候ふ程に。山めぐりせばやと存じ 候。道行「四方の山霞は春のしるしとて。 /\。のどかに通うふ風までもよぎて

吹くらん桜咲く。梢はそれとしら雲の。 花にめがれぬ心かな/\。急ぎ候ふ程に。 春の山辺に着きて候。暫く此花の蔭に 休まばやと存じ候。シテ、アシラヒ出「あかで見る心 を花の心とや。したへばなれも。したひ 顔なる。ワキ「不思議やなこれなる山の 木蔭より。女性の声のきこゆるは。い

かなる人にてましますぞ。シテ詞「今は何を か包むべき。此山姫の現れて。春夏かけ て一年の。梢の色に我も亦。暫し心を慰 むなり。さて旅人は何を御眺め候ぞ。 ワキ「さん候四季折々の眺といへども。取 りわき春の花盛。言葉も尽きぬ頃なれば。 しばし木蔭に休らひて。咲き添ふ花を眺 むるなり。シテ「実に心ある旅人の。四季の 眺の其中にも。春は霞に馴れきつゝ。声 ものどかに聞ゆなり。地「黄鳥の声なかり せばゆききえぬ/\。山里いかに。春を 知るらんと詠みしも。のどけき春の心な り。花に馴れぬる人心。神も納受の道な れや。しばし休みて此花を眺め給へや。 ワキ詞「とてものことに四季の眺の有様委 しく御物語り候へ。 シテクリ「夫れ四季折々の眺といつぱ。地「其 歌人の言の葉に。泄るゝ事なき例とかや。 シテサシ「然れば四季のをり/\にも。眺こ

となる例あり。地「春は霞のひまよりも。 遊ぶいとゆふ青柳の。いとうちはえて緑 添ふ。野辺の景色はのどかなる。シテ「秋 は草葉の虫の音も。 地「聞けば心の。友なりけり。クセ「春たつ や谷の戸出づる黄鳥の。声長閑なる山風 も。吹くか軒端の梅が香も。いつしか霞 む里までも。匂ふやにほやかに咲ける沢 辺の杜若。水の流を隔てゝも色むつまし やゆかりある。藤の浪よる池水の。岸に馴 れぬる蛙の鳴き交ふ声も心あれ。シテ「卯 の花の垣根にしのぶ時鳥。地「なく音そら なる五月山の。暗き夜半にも蛍飛ぶ影も

星とや見えぬらん。神山の岩根に生ふる 葵ぐさ。取る手を結ぶ泉川の。夏くれて 秋風の。身にしむ頃になりぬらん。秋風 の。中ノ舞「。シテ「秋風の。吹くや千草に乱れ てぞ。地「野辺の虫の音こゝに聞くらん。 こゝにきくらん/\。シテ「露の情ぞ牡鹿 鳴くなる。地「露の情ぞ牡鹿鳴くなる。常 磐の山の秋の夕暮。シテ「月もすめるや霜 夜の池に。地「浮寝しつらん鴛鴦の。上毛 の雪をうち払ふ。白波の。よるかと思へ ば東雲の空の。よるかと思へばしのゝめ の空の。明け行く春こそ久しけれ。