旅僧 従僧 巫女 <後シテ>龍田姫

ワキ、ワキツレ二人、次第「教の道も秋津国。/\。数あ る法を納めん。ワキ詞「これは六十余州に御

経を納むる聖にて候。我此程は南都に候 ひて。霊仏霊社残なく拝み廻りて候。又こ

れより龍田越にかゝり。河内の国へと急 ぎ候。道行三人「ふるき名の。奈良の都を立ち 出でて。/\。有明残る雲間の西の大寺 をよそに見て。早暮れ過ぎし秋篠や。外 山の紅葉名に残る。龍田の川に。着きにけ り龍田の川に着きにけり。ワキ詞「急ぎ候ふ 程に。これは早龍田川に着きて候。此川 を渡り明神に参らばやと思ひ候。 シテ詞呼掛「なうその川な渡り給ひそ申すべき 事の候。ワキ詞「不思議やな。此川を渡り。龍 田の明神に参り候ふ所に。何とて其川な 渡りそとは承り候ふぞ。シテ「さればこそ 神に参り給ふも。神慮に合はんためなら ずや。心もなくて渡り給はゞ。神と人と の中や絶えなん。よく/\案じて渡り給 へ。ワキ詞「実に今思ひ出したり。龍田川 もみぢ乱れて流るめり。渡らば錦なかや 絶えなんとの。古歌の心をおもへとや。 シテ「なか/\の事この歌は。紅葉の水に

散り浮きて。錦を張れる如くなれば。渡ら ば錦中や絶えなんとなり。それにつきな ほ/\深き心もあり。紅葉と申すは当社 の神体。神の畏もあるべければと。いま しめ給ふ心もあり。ワキ「実に/\それは さる事なれども。紅葉の頃も時過ぎて。 川の面も薄氷にて。立つ波までも見えぬ なり。許させ給へ渡りて行かん。シテ詞「い や/\なほも御科あり。氷にもまた中絶 えんとの。その戒もあるものを。ワキ「不 思議や紅葉の錦ならで。氷にもまた中絶 えんとの。いはれは如何なる事やらん。 シテ「紅葉の歌は帝の御製。又その後家隆 の歌に。龍田川紅葉を閉づる薄氷。詞「わた らばそれも中や絶えなんと。重ねてかや うに詠みたれば。必ず紅葉に限るべから ず。地歌「氷にも。中絶ゆる名の龍田川。 /\。錦織りかく神無月の。冬川にな るまでも。紅葉をとづる薄氷を。情なや

中絶えて。渡らん人は心なや。さなきだ に危きは薄氷をふむ理のたとへも今に。 知られたりたとへも今に知られたり。 ワキ詞「御身はいかなる人にて渡り候ふ ぞ。シテ詞「これは巫にて候。明神へ御参り 候はゞ御道しるべ申し候ふべし。ワキ「あ ら嬉しや御共申し。宮めぐり申さうずる にて候。 シテ「これこそ龍田の明神にて御入り候 へ。よく/\御拝み候へ。ワキ「不思議や な頃は霜降月なれば。木々の梢も冬枯れ て。景色淋しき社頭の御垣に。盛なる紅 葉一本見えたり。これは御神木にて候ふ か。シテ「さん候当国三輪の明神の神木は 杉なり。当社は紅色を愛で給ふにより。紅 葉を神木と崇め参らせ候。ワキ「ありがた や我国々を廻り。今日は又この御神に参 る事の有難さよ。和光同塵は結縁の始。 八相成道は利物の終。地下歌「下紅葉。塵に

交はる神慮。和光の影の色添えて。我等 を守りたまへや。地上歌「殊更に此度は。 /\。幣取りあへぬをりなるに。心して 吹け嵐。紅葉を幣の神慮。神さび心も澄 み渡る。龍田の嶺はほのかにて。川音も なほ冴え増さる夕暮。いざ宮めぐり始め んとて。名におふ龍田山。同じかざしの榊 葉を。とり%\に乙女子が。裳裾をはへ て袖をかざし。運ぶ歩の数々に。度重な ると見る程に。不思議やな今まではたゞ 巫と見えつるが。我はまことはこの神 の。龍田姫は我なりと。名乗りもあへず 御身より。光を放ちて紅の袖を打ちかづ き。社壇の。扉を押し開き御殿に入らせ 給ひけり御殿に入らせ給ひけり。中入間「。 ワキ、ワキツレ二人、歌待謡「神の御前に通夜をして。/\。 ありつる告を待たんとて。袖をかたしき 臥しにけり。/\。 後シテ、出端「神は非礼を受け給はず。水上清し

や龍田の川。地「御殿しきりに鳴動して。 宜禰が鼓も声々に。シテ「有明の月。燈の 光。地「和光同塵おのづから。光も朱の。 玉垣かゝやきて。あらたに御神体あらは れたり。 シテ「我劫初よりこのかた。この秋津州に 地をしめて。御代を守りの御鉾を守護し。 紅葉の色も八葉の葉。即ち鉾の刃先なる べし。剣の験僧の法味引かれて。夜半 に神燈。明かなり。 地クリ「そも/\瀧祭の御神とは。即ち当 社の御事なり。シテ「昔天祖の詔。地「末 明かなる御国とかや。シテサシ「然れば当国宝 山に至り。地「天地治まる御代のためし。 民安全に豊なるも。偏に当社の御故なり。 シテ「梢の秋の。四方の色。地「千秋の御 影。目前たり。クセ「年毎に。もみぢ葉流 る龍田川。港や秋の泊なる。山も動せず。 海辺も波静かにて。たのしみのみの秋の

色。名こそ龍田の山風も静かなりけり。 然れば世々の歌人も。心を染めてもみぢ 葉の。龍田の山の麻霞。春は紅葉にあら ねども。たゞ好色にめで給へば。今朝よ りは。龍田の桜色ぞ濃き。夕日や花の。 時雨なるらんと。よみしも紅に心を。染 めし栄歌なり。シテ「神なびの御室の岸や くづるらん。地「龍田の川の。水は濁ると も和光の影は明けき。真如の月はなほ照 るや。龍田川紅葉乱れし跡なれや。古 は錦のみ。今は氷の下紅葉。あら美しや 色々の。紅葉重ねの薄氷。渡らば。紅葉 も氷も。重ねてなか絶ゆべしやいかで今は 渡らん。 シテ「さる程に夜神楽の。地「さる程に夜 神楽の。時移り事去りて。宜禰が鼓も数 至りて月も霜も白和幣。振り上げて声澄 むや。シテ「謹上。地「再拝。神楽「。 シテ「久堅の。月も落ち来る。瀧祭。地「波

の。龍田の。シテ「神の御前に。地「神の御 前に。散るはもみじ葉。シテ「即ち神の幣。 地「龍田の山風の。時雨降る音は。シテ「颯 颯の鈴の声。地「立つや川波は。シテ「それ ぞ白木綿。地「神風松風。吹き乱れ吹き乱

れ。もみぢ葉散り飛ぶ木綿附鳥の。御祓 も幣も。翻へる小忌衣。謹上再拝再拝再 拝と。山河草木。国土治まりて。神は上 らせ。給ひけり。