遊行上人 従僧 老人 柳の精

ワキ、ワキツレ二人次第「帰るさ知らぬ旅衣。/\。法 に心や急ぐらん。ワキ詞「これは諸国遊行の 聖にて候。我一遍上人の教を受け。遊行 の利益を六十余州に弘め。六十万人決定 往生の御札を。普く衆生にあたへ候。此 程は上総の国に候ひしが。これより奥へ と志し候。道行三人「秋津州の。国々めぐる法 の道。/\。まよはぬ月も光添ふ。心の 奥を白河の。関路と聞けば秋風も。立つ 夕霧の何くにか今宵は宿をかり衣。日も 夕暮に。なりにけり日も夕暮になりにけ り。ワキ詞「急ぎ候ふ程に。音にきゝし白河 の関をも過ぎぬ。又これに数多の道の見

えて候。広き方へゆかばやと思ひ候。 シテ詞呼掛「なう/\遊行上人の御供の人に申 すべき事の候。ワキ詞「遊行の聖とは札の御 所望にて候ふか。老足なりともいま少し 急ぎたまへ。シテ「有難や御札をも賜はり 候ふべし。まづ先年遊行の御下向の時も。 古道とて昔の街道を御通り候ひしなり。 されば昔の道を教へ申さんとて。はるば るこれまで参りたり。ワキ「不思議やさて は先の遊行も。此道ならぬ古道を。通り し事の有りしよなう。シテ「昔は此道なく して。あれに見えたる一村の。森のこな たの川岸を。御通りありし街道なり。其

上朽木の柳とて名木あり。かゝる尊き上 人の。御法の声は草木までも。成仏の縁 ある結縁たり。地「こなたへいらせたまへ とて。老いたる馬にはあらねども。道し るべ申すなり。いそがせたまへ旅人。 上歌「げにさぞな処から。/\。人跡たえ て荒れはつる。葎蓬生刈萱も。乱れあひ たる浅茅生や袖に朽ちにし秋の霜。露分 衣来て見れば。昔を残す古塚に。朽木の柳 枝さびて。影踏む道は末もなく風のみ渡 る。けしきかな風のみ渡るけしきかな。 シテ詞「これこそ昔の街道にて候へ。又こ れなる古塚の上なるこそ朽木の柳にて候 よく/\御覧候へ。ワキ詞「さては此塚の 上なるが名木の柳にて候ひけるぞや。げ に川岸も水絶えて。川そひ柳朽ち残る。 老木はそれとも見えわかず。蔦葛のみ這 ひかゝり。青苔梢を埋む有様。誠に星霜 年旧りたり。詞「さていつの世よりの名木

やらん。くはしく語り給ふべし。 シテ「昔の人の申しおきしは。鳥羽の院の 北面。佐藤兵衛憲清出家し。西行と聞え し歌人。此国に下り給ひしが。頃は水無 月半なるに。此川岸の木のもとに。暫し 立ちより給ひつゝ。一首を詠じ給ひしな り。ワキ「謂を聞けば面白や。さて/\西 行上人の。詠歌はいづれの言の葉やら ん。シテ詞「六時不断の御勤の。隙なき内 にも此集をば。御覧じけるか新古今に。 地歌「道のべに。清水流るゝ柳蔭。/\。 しばしとてこそ立ちどまり。涼みとる言 の葉の。末の世々までも。残る老木はな つかしや。かくて老人上人の。御十念を 賜はり御前を立つと見えつるが。朽木の 柳の古塚に寄るかと見えて失せにけり。 寄るかと見えて失せにけり。中入間「。 シテ詞「不思議やさては朽木の柳の。われ に詞をかはしけるよと。三人待謡「念の珠の数

数に。/\。御法をなして称名の声打 ち添ふる初夜の鐘。月も曇らぬ夜もすが ら。露をかたしく。袂かな露をかたしく 袂かな。 シテサシ出端「〓{ゲン 17186}水羅紋海燕かえる。柳条恨を ひいて荊台にいたる。徒らに。朽木の柳時 を得て。地「今ぞ御法に合竹の。シテ「直に みちびく。弥陀の教。地「衆生称念必得 往生の。功力にひかれて草木までも。仏 果に至る。老木の柳の。髪も乱るゝ白髪 の老人。忽然と現れ出でたる烏帽子も。 柳さびたる有様なり。 ワキ「不思議やなさも古塚の草深き。朽木 の柳の木の本より。其様怪したる老人 の。烏帽子狩衣を着しつゝ。現れ給ふは不 審なり。シテ詞「何をか不審し給ふらん。 はや我が姿は現し衣の。日も夕暮の道し るべせし。其老人にて候ふなり。ワキ「さ ては昔の道しるべせし。人は朽木の柳の

精。シテ「御法の教なかりせば。非情無心 の草木の。台に到る事あらじ。ワキ「中々 なりや一念十念。シテ「唯一声のうちに生 るゝ。ワキ「弥陀の教を。シテ「身に受け て。地「此界一人念仏名。西方便有一蓮生。 但使一生常不退。此花。帰つてこゝにむか ひ。上品上生に。到らん事ぞ嬉しき。 シテ「釈迦すでに滅し。弥勒いまだ生ぜ ず。弥陀の悲願を頼まずは。いかで仏果 にいたるべき。地クリ「南無や灑濁帰命頂 礼本願偽ましまさず。超世の悲願に身を 任せて。他力の舟にのりの道。シテサシ「すな わち彼岸に到らん事。一葉の舟の力なら ずや。地「彼の黄帝の貨狄が心。聞くや秋 吹く風の音に。散りくる柳の一葉の上に。 蜘蛛の乗りてさゝがにの。糸引き渡る姿 より。巧み出せる舟の道これも柳の 徳ならずや。シテ「其外玄宗華清宮にも。 地「宮前の楊柳寺前の花とて。眺絶えせ

ぬ名木たり。クセ「そのかみ洛陽や。清水 寺の古。五色に見えし滝浪を。尋ねの ぼりし水上に。金色の光さす。朽木の柳 忽ちに。楊柳観音とあらわれ。今に絶え せぬあと留めて。利生あらたなる。歩を はこぶ霊地なり。されば都の花盛。大宮 人の御遊にも。蹴鞠の庭の面。四本の木 蔭枝たれて。暮に数ある沓の音。シテ「柳 桜をこきまぜて。地「錦をかざる諸人の。 花やかなるや小簾の隙洩りくる風の匂よ り。手飼の虎の引綱も。ながき思になら の葉の。其柏木の及びなき。恋路もよし なしや。これは老いたる柳色の。狩衣も 風折も。風にたゞよふ足もとの。弱きも よしや老木の柳気力なうして弱々と。立 ち舞ふも夢人を。現と見るぞはかなき。 シテ「教嬉しき法の道。地「迷はぬ月に。つ れてゆかん。序ノ舞「。 シテ「青柳に。鴬伝ふ。羽風の舞。地「柳

花苑とぞ。思ほえにける。シテ「柳の曲も 歌舞の菩薩の。舞の袂をかへす%\も。 上人の御法を受け。よろこぶ報謝の舞も。 これまでなりと。名残の涙の。地「玉にも 貫ける。春の柳の。シテ「暇申さんと。木 綿附の鳥も鳴き。地「別の曲には。シテ「柳 条を綰ぬ。地「手折るは青柳の。シテ「姿も たをやかに。地「結ぶは老木の。シテ「枝も

すくなく。地「今年ばかりの。風や厭はん と。たゞよふ足もとも。よろ/\よわ/\ と。倒れ臥柳仮寝の床の。草の枕の一夜 の契も他生の縁ある上人の御法。西吹く 秋の風打ち払ひ。露も木の葉も。散り%\ に。露も木の葉も。散り%\になり果て て。残る朽木と。なりにけり。