一遍上人 従僧 里の女 和泉式部の霊

ワキ、ワキツレ二人、次第「教の道も一声の。/\。御法 を四方に弘めん。ワキ詞「これは念仏の行者 一遍と申す聖にて候。我此度三熊野に参 り。一七日参籠申し。証誠殿に通夜申

  して候へば。あらたに霊夢を蒙りて候。 六十万人決定往生の御札を。普く国土 に弘めよとの霊夢にまかせ。まづ都へと 志して候。道行三人「弥陀頼む。願も三つの御

山を。/\。今日立ち出づる旅衣紀の関 守が手束弓。出で入る日数重なりて。時 もこそあれ春の頃。花の都に着きにけ り/\。 ワキ詞「急ぎ候ふ程に。これは早都誓願寺 に着きて候。告にまかせて札を弘めばや と思ひ候。有難や実に仏法の力とて。貴 賎群集の色々に。袖を連ね踵をついで。 知るも知らぬもおしなべて。念仏三昧の 道場に。出で入る人の有難さよ。 シテサシ「処は名におふ洛陽の。花の衣の今更 に。心は空にすみぞめの。ワキ「夕の鐘の 声々に。称名の御法。シテ「鳧鐘の響。 ワキ「聴衆の人音。シテ「軒の松風。ワキ「お のれ/\と。シテ「かはれども。地歌「弥陀 頼む。心は誰も一声の。/\。うちに生 るゝ蓮葉の。濁にしまぬ心もて何疑の 有るべき。有難や此教洩らさぬ誓目のあ たり。受け悦ぶや上人の御札をいざや保   たん御札をいざやたもたん。 シテ詞「如何に上人に申すべき事の候。 ワキ詞「何事にて候ふぞ。シテ「この御札を 見奉れば。六十万人決定往生とあり。 扨々六十万人より外は往生に漏れ候ふべ きやらん。返す%\も不審にこそ候へ。 ワキ「実によく御不審候ふものかな。これ は三熊野の御夢想に四句の文有り。其四 句の文の上の字を取りて。証文のために 書きつけたり。たゞ決定往生南無阿弥 陀仏と。此文ばかり御頼み候へ。シテ「さ て/\四句の文とやらんは。如何なる事 にて有るやらん。愚痴の我等に示し給へ。 ワキ詞「いで/\語つて聞かせ申さん。六 字名号一遍法。十界依正一遍体。万行離 念一遍証。人中上々妙好華。此四句の文 の上の字なれば。六十万人とは書きたる なり。シテ詞「今こそ不審春の夜の。闇をも 照らす弥陀の教。ワキ「光明遍照十方世

界に。漏るゝ方なき御法なるを。僅かに 六十万人と。人数をいかで定むべき。 シテ「さてはうれしや心得たり。此御札 の六十万人。その人数をばうち捨てゝ。 ワキ「決定往生南無阿弥陀仏と。シテ「唯 一筋に念ずならば。ワキ「それこそ即ち決 定する。シテワキ二人「往生なれや何事も。皆う ち捨てゝ南無阿弥陀仏と。地歌「称ふれば。 仏も我もなかりけり。/\。南無阿弥陀 仏の声ばかり。至誠心深心廻向。発願の 鉦の声耳に染みて有難や。誠に妙なる此 教。十声一声数分かで。悟をも迷をも 迎へ給ふぞ有難き。さる程に。夕陽雲に うつろひて。西にかげろふ夕月の寄るの念 仏を急がん夜念仏をいざや急がん。 口ンギ地「早更け行くや夜念仏の。聴衆の 眠覚まさんと。鉦うち鳴らし念仏す。 シテ「有難や五障の雲のかゝる身を。助け 給はゞ此世より。二世安楽の国に早生れ 行かんぞ嬉しき。地「実に安楽の国なれ や。安く生るゝ蓮葉の台の縁ぞ誠なる。 シテ「有難や。/\。さぞな始めて弥陀の 国。涼しき道ぞ頼もしき。地「頼ぞまこ と此教。或は利益無量罪。シテ「又は余経 の後の世も。地「弥陀一教と。シテ「聞くも のを。地「有難や/\。八万緒聖教。皆是 阿弥陀仏なるべし。この御本尊も上人も 唯同じ御誓願寺ぞと。仏と上人を一体に 拝み申すなり。 シテ詞「いかに申すべき事の候。ワキ「何事 にて候ふぞ。シテ「誓願寺と打ちたる額を 除け。上人の御手跡にて。六字の名号にな して賜はり候へ。ワキ「これは不思議なる 事を承り候ふものかな。昔より誓願寺と 打ちたる額をのけ。六字の名号になすべ き事。思ひもよらぬ事にて候。シテ「いや これも御本尊の御告と思し召せ。ワキ「そ も御本尊の御告とは。御身はいづくに住 む人ぞ。シテ「わらはが住家はあの石塔に て候。ワキ「不思議やなあの石塔は。和泉 式部の御墓とこそ聞きつるに。御住家と は不審なり。シテ詞「さのみな不審し給ひそ よ。我も昔は此寺に。値遇の有れば澄む 水の。春にも秋や通ふらし。地「結ぶ泉の 自が。名を流さんも恥かしや。よしそ れとても上人よ。我が偽は亡き跡に。 和泉式部は我ぞとて。石塔の石の火の。 光と共に失せにけり/\。中入間「。 ワキ詞「仏説に任せ誓願寺と打ちたる額を 除け。六字の名号を書きつけて。仏前に 移し奉れば。三人待謡「不思議や異香薫じつ つ。/\。花降り下り音楽の声する事の あらたさよ。これにつけても称名の。心 一つを頼みつゝ。鉦打ち鳴らし同音に。 ワキ「南無阿弥陀仏弥陀如来。 後シテサシ、出端「あら有難の額の名号やな。末世 の衆生済度のため。仏の御名を顕して。

仏前に移す有難さよ。我も仮なる夢の世 に。和泉式部といはれし身の。仏果を得 るや極楽の歌舞の菩薩となりたるなり。 二十五の。地「菩薩聖衆の御法には。紫雲 たなびく夕日影。シテ「常の灯。影清く。 地「さながらこゝぞ極楽世界に。生れけ るかと有難さよ。 地クリ「そも/\当寺誓願寺と申し奉る は。天智天皇の御願。御本尊は慈悲万行 の大菩薩。春日の明神の御作とかや。 シテサシ「神と云ひ仏と云ひ。唯これ水波の隔 なり。地「然るに和光の影広く。一体分 身現れて衆生済度の御本尊たり。シテ「さ れば毎日一度は。地「西方浄土に通ひ給ひ て。来迎引摂の。誓を現しおはします。 クセ「笙歌。遥に聞ゆ。孤雲の上なれ や。聖衆来迎す。落日の前とかや。昔在 霊山の御名は法華一仏。今西方の弥陀如 来。慈眼視衆生現れて。娑婆示現観世

音。三世利益同一体有難や我等がための 悲願なり。シテ「若我成仏の。光を受くる世 の人の。地「我が力には行き難き。御法の 御舟の水馴棹さゝでも渡る彼の岸に。至り 至りて楽を極むる国の道なれや。十悪 八邪の迷の雲も空晴れ。真如の月の西方 も。こゝを去ること遠からず。唯心の浄 土とは此誓願寺を拝むなり。シテ「歌舞の 菩薩も。さま%\の。地「仏事をなせる。 心かな。序ノ舞「。シテ「ひとりなほ。仏の 御名を。尋ね見ん。地「各帰る法の場人。 法の場人法の場人の。シテ「実にも妙なる 称名の数々。地「虚空に響くは。シテ「音 楽の声。地「異香薫じて。シテ「花降る雪の。 地「袖をかへすや返す%\も。貴き上人 の。利益かなと。菩薩聖衆は。面々に。 御堂に打てる。六字の額を。皆一同に。 礼し給ふは。あらたなりける。奇瑞かな。