女(夕顔の精)

ワキ詞「これは都紫野雲林院に住居する 僧にて候。さてもわれ一夏の間花を立て 候。はや安居も過方になり候へば。色よ き花を集め。花の供養を執り行はばやと 存じ候。敬つて白す立花供養の事。右非情 草木たりといへども。此花広林に開けた り。豈心なしといはんや。なかんづく泥を 出でし蓮。一乗妙典の題目たり。この結 縁に引かれ。草木国土悉皆成仏道。シテ「手 に取ればたぶさに穢る立てながら。三世 の仏に花奉る。ワキ詞「不思議やな今まで

は。草花りよようとして見えつる中に。 白き花のおのれ独り笑の眉を開けたる は。いかなる花を立てけるぞ。シテ「愚の 御僧の仰やな。たそがれ時のをりなるに。 などかはそれと御覧ぜざる。さりながら 名は人めきて賎しき垣ほにかゝりたれ ば。知しめさぬば理なり。これは夕顔 の花にて候。ワキ「げに/\さぞと夕顔 の。花の主はいかなる人ぞ。シテ「名のら ずと終には知しめさるべし。われはこの 花の蔭より参りたり。ワキ「さては此世に

亡き人の。花の供養に逢はんためか。それ につけても名のり給へ。シテ「名はありな がら亡き跡に。なりし昔の物語。ワキ「何 某の院にも。シテ「常はさむらふ真には。 地「五条あたりと夕顔の。/\。空目せし まに夢となり。面影ばかり亡き跡の立花 の蔭に隠れけり/\。中入。 ワキ「ありし教に従つて。五条あたりに 来て見れば。げにも昔の座所。さながら やどりも夕顔の。瓢箪しば/\空し。草 顔淵が巷に滋し。後シテ一声「藜〓深く鎖せり。 夕陽のざんせい新に窓を穿つて去る。 地「しうたんの泉の声。シテ「雨原憲が樞を 湿す。下歌地「さらでも袖を湿すは。廬山 の雪の曙。窓東に向ふ朗月は。/\。琴 榻にあたり。しう上の秋の山。物凄の気 色や。 ロンギ「げに物凄き風の音。簀戸の竹垣あ りし世の。夢の姿を見せ給へ。菩提をふ

かくとむらはん。シテ「山の端の。心も知 らで行く月は。上の空にて絶えし跡の。 又いつか逢ふべき。地「山賎の。垣は荒る ときをり/\は。シテ「哀をかけよ撫子の。 地「花の姿をまみえなば。シテ「跡訪ふべ きか。地「なか/\に。シテ「さらばと思ひ 夕顔の。地「草の半蔀おし上げて。立ち出 づる御姿見るに涙の留まらず。 クセ「其頃源氏の中将と聞えしは。此夕 顔の草枕。たゞ仮臥の夜もすがら。隣を 聞けば三吉野や。御嶽精進の御声にて。 南無当来導師。弥勒仏とぞ称へける。今 も尊き御供養に其時の思ひ出でられてそ ぞろに濡るゝ袂かな。猶それよりも忘れ ぬは。源氏この宿を。見初め給ひし夕つ 方。惟光を招きよせ。あの花折れと宣へ ば。白き扇のつまいたうこがしたりし に。此花を折りて参らする。シテ「源氏つ く%\と御覧じて。地「うち渡す遠方人に

問ふとても。それ某花と答へずば。終に 知らでもあるべきに。逢ひに扇を手に触 るゝ。契の程の嬉しさ。折々尋ねよるな らば。定めぬ海士の此宿の。主を誰と白 浪の。よるべの末を頼まんと。一首を詠 じおはします。折りてこそ。序ノ舞 シテワキ二人「折りてこそそれかとも見め。 地「たそがれに。地「ほの%\見えし。花

の夕顔。/\。/\。シテ「終の宿は知ら せ申しつ。地「常にはとむらひ。シテ「おは しませと。地「木綿付の鳥の音。シテ「鐘も 頻に。地「告げ渡る東雲。あさまにもな りぬべし。明けぬ先にと夕顔の宿明けぬ 先にと夕顔のやどりの。また半蔀の内に 入りて其まゝ夢とぞ。なりにける。