勅使 従者 男漁夫 漁翁 弁財天女 童子(諷ナシ) 五頭龍王

ワキ、ワキツレ二人、真ノ次第「治まるをりを江の島や。/\。 動かぬ国ぞ久しき。ワキ詞「そも/\これは 欽明天皇に仕へ奉る臣下なり。扨も相模 の国江野といふ浦に。去んぬる卯月十日 あまりに。不思議の奇瑞様々あつて。海 上に一つの島湧出す。則ち江野に名ぞら へて是を江の島と号す。島の雲上に天女 顕れ給ふ。これ弁財天影向の地にて。 福寿円満の霊地なれば。急ぎ見て参れと の勅に任せ。唯今東海道の下向仕り候。 道行三人「東路も。そなたの空に行く雲の。 /\。影も涼しき鳰の海。遥けき旅を駿 河なる。富士の高嶺の月影も。幾山々の うつりこし。相模の国に着きにけり。

/\。ワキ詞「日を重ねて急ぎ候ふ程に。こ れははや相模の国江の島に着きて候。こ の浦の者を相待ち事の由をも窺はゞやと 存じ候。 シテツレ二人、真ノ一声「島つ鳥。浮海松涼し波の上。有 明残るあさぼらけ。ツレ二ノ句「波もて立つや夏 衣。二人「うらぶれ渡る沖つ風。シテ「それ 江の島は崑崙の奇を移し。五丈の垣重な ほとけれども。二人「蓬莱海の勢を伝へたる。 三壺の形あらたなり。秦皇徐市を疑はゞ。 驪山塚の春の風。なほさりがてらに渡ら めや。漢帝斉少を用ひずは。覇陵原の秋の 月。心凄くは澄まざらまし。誠に人間の妙 奇仙境の秘跡なり。歌「一度も。歩を運

ぶともがらは。三千界の内にまづ。無量 福の宝を得。一期生の後に早く。不退転の 位に至る。かゝる誓の海山も。なほ万代 の末かけて。靡き従ふ此国の。尽きせぬ 御代は有難や尽きせぬ御代は有難や。 ワキ詞「我江の島にあがり。山海の致景を 眺め。事の由を窺ふ所に。海人あまた来 れり。いかに翁。おことはこの浦の者か。 シテ「さん候この浦の者にて候ふが。毎日 この島にあがり。山上山下岩窟社々を清 め申す者にて候。さて御身はいづくより の御参詣にて候ふぞ。ワキ「これは欽明天 皇に仕へ奉る臣下なるが。この島湧出の 由聞し召され。事の子細を悉く尋ね見て 参れとの宣旨にまかせ。是まで勅使を下 さるゝなり。委しく子細を申し候へ。 シテ「さてはかたじけなくも帝よりの勅 使にてましますぞや。そも/\この島は 欽明天皇十三年。卯月十二日戌の刻より

同じく二十三日辰の刻に至るまで。江野 南海湖水港の口に雲霞暗く蔽ひて。天水 氛〓{気の中に温のつくり:ふんうん}たり。大地震動する事十日にあまれ り。とばかりありて天女雲上に現れ。童 子左右に侍り。諸々の天衆龍神水火雷電。 山神鬼魅夜叉羅刹雲上より盤石を下し。 海底より塊砂を噴き出す。ツレ「〓{かい}々た る雷の光。せいくを万天の間に飛ばし。 シテ詞「霹靂帛を裂くが如し。波浪金を涌 かすに似たり。ツレ「宕巌多く浮べ出し。 夜叉鬼神島を作る。シテ詞「或は銅杵を 持つて打ち砕き。ツレ「或は鉄杖を持つ て裂き破る。シテ詞「又は二つの岩を押し 合はせ。ツレ「又は一つの石を峙てたり。 シテ詞「とり%\に島を造り給へば。梵天 帝釈四大天王。上界の天人下界の龍神。 ツレ「残らずこゝに現れ給ひ。二人「おのお のこれを衛護し給ふ。其後靄雲収まりて。 海上に一つの島を成せり。すなはち江野

になどらへて。江野原島とこれを申すなり。 ワキ「謂を聞けばありがたや。則ちこれは 明君の。すぐなる御代のしるしをみせ て。かゝる奇特を拝む事よと。いよ/\ 御影を仰ぐなり。詞「さてこの島は天部 の影向又は如何なる御神の。鎮守と現れ 給ふらん。シテ詞「中々の事この島に。おの おの諸神まします中にも。龍の口の明神 は。天部と夫婦の御神にて。衆生済度の 御方便。あがめてもなほ余りあり。ワキ「げ に有難やかくばかり。深き恵の海山も。 なほ万歳を呼ばふなる。シテ「声か松吹く 風の音の。ワキ「涼しき巌い寄る波も。 シテ「治まる国のしるしを見せて。ワキ「豊 に住める。シテ「この時を。地上歌「万代の。始 と今日を祈りおき。始と今日を祈りおき て。今行く末も此島の。誓は尽きぬ無量 億の。楽の数々を。受けつぐ国ぞ久し き。善神は一切の福を授け。悪神は万里

の禍を払ふ浦風も。天部の誓なるとか や。頼めなほ隔なき。真如の玉も雲ら じ。ワキ詞「猶々江の島に於てめでたき子 細様々あるべし。残さず申し候へ。 地クリ「そも/\江の島と云つぱ。そのめぐ れる事三十余町。その高き事数十余丈な り。シテサシ「水は山の影をふくみ。山は水の 心に任せたり。地「〓{せん}中の砂清浅たり。 白雲の破るゝ所に。洞門開けて翆屏あら はれたり。岩窓の奥遥かに入つて峨々た る巌の間より。落ちくる水は西天の。無 熱池の池水なるとかや。シテ「禅定無漏の 仙人は。地「この地を占めて栖とし。弥陀 有縁の教主は。この島に来つて生を導く。 シテ「二世安楽のこの島に。地「誰か頼を かけざるべき。クセ「こゝに又古。武蔵 相模の境に。鎌倉海月の間に深沢といふ 湖あり。かの湖に大蛇住めり。其身一つに して。その頭五つあり。隆準の鼻胡髯の

腮。眼に。白日をつなぬき身に黒雲をまつ へり。然れば神武天皇より。垂仁天皇の 御宇までは。十一代の帝祚を経。七百余 歳の年祀を経て国中に満ちて人を取る。 シテ「景行天皇の御宇に至り。地「龍悪いよ いよ盛んなれば。人皆石窟に隠れ住み涕 哭の声限なし。時に天部は龍に向ひ。汝 が悪心を翻し殺生をとゞめこの国の守護 神とならば夫婦の語をわれなすべしと。 堅く誓約し給へば龍王もこれに応じつ つ。今より殺害をとゞめて善心を思ひ龍 の口の明神となり給ひ。国土を守護し 給ふなり。 ロンギ「はや時移る夕雲の。/\。かゝる 神秘も大方の。浦人いかで木綿四手の。 神の告かや有難や。シテ「なか/\なれや 大君の。みことかしこみ勅に今ぞ。応ず るしるしを現さん。夜すがらこゝに待ち 給へ。地「勅に応ぜんしるしとは。そも老

人は誰やらん。シテ「誰とはさても愚な り。我は五頭龍。地「今は又。天部の夫婦 の神となりし龍の口の明神とは老人を 見るべし。今宵の月に天部の御姿我が姿 をも。現すべしと夕波に。立ちまぎれつゝ 失せ給ふこそあらたなれ。来序中入間「。 ワキ「岐伯が絶技をさきに揚げ。張儀が英 声を後に馳す。これ聡明勇進弁財天の。 地「無量無辺不可思議の功徳を。様々現 しおはします。ツレ天女、出端「月も照り添ふ如意 の宝珠の。光を誰か仰がざる。地「仰げな ほ。/\。意の如しと聞く時は。天女「今 この君のそれと御影にあひにあふ。地「卞 和が玉もなにならず。かの如意宝珠を君 に捧げんと光も輝く御殿の扉。左右に開 けて十五童子。天部の御姿現れたり。 地「衆生済度のその御方便。衆生済度のそ の御方便も。まづ福寿円満の願をかなへ。 現寿無比楽後生清浄土曇らぬ宝珠を君に

捧げんと勅使にこれを授け給ひ。舞楽を 奏し。拍子を揃へ。羽袖をかへして舞ひ 給ふ。天女楽、地「天人聖衆菩薩の舞も。/\。 かくやと思ひ白波の。立ち来る沖に雲く らがつて。疾風吹きたて逆巻く潮は。五 頭龍王の。出現かや。 後シテ早笛「われ昔は深沢の池に住んで。五頭 龍王と現れ。今は国土の守護神となる。 龍の口の明神なり。地「聞きしに変ら ぬ因位の形。/\。シテ「頭は五頭龍。 地「胡髯の腮。眼に白日をつなぬき。そ の身に黒雲をまつへり。苔むす松も野べ 伏す巌の。峨々たる上にぞあらはれた る。シテ働「。 シテ「神仏水波の隔てなり。地「神仏水波 の隔なれば。同一体の。利益もさま%\ の弁財天部は威光を現し。明神諸共に 百千劫の。齢を守らんと約諾堅き。岩間 を伝ひ。涼とるてふ緑の海に。飛行し給

へば磯うつ波も龍の口の。明神忽ち威を 振ひ雲を吹き嵐にかゞやく眼の光は天地 に満ち満てりその時天部は童子を伴ひ紫 雲の上に。現れ給へば明神立ち来る黒雲

に乗じ。光を放つて島根を廻り。めぐり めぐるや暫しが程は。とり%\姿を雲中に 現しとり%\姿を雲中に現すも実に有り 難き影向かな。