勅使 従者 海女 海女 気多明神 八尋玉殿の神

ワキ、ワキツレ次第「御影曇らで君守る。/\。神の 宮居に参らん。ワキ詞「そも/\これは当今 につかへ奉る臣下なり。さても能州気多 の明神は。霊験無双の神にて御座候。御 神事の数々多き中に。霜月初午の御祭礼 の儀式。君聞し召し及ばせ給ひ。急ぎ見 え参れとの宣旨を蒙り。唯今能州に下向 仕り候。道行三人「思ひ立つ其方の空も北時

雨。/\。降り来る嶺やあらち山雪の木 の芽の山越えて。越の長浜遥々と。行方 につゞく松原の。影見えそめて程もなく 一の宮にも着きにけり。一の宮にも着き にけり。ワキ詞「急ぎ候ふ程にこれははや。 能州一の宮に着きて候。あら笑止や俄に 雪の降り来りて候。これなる松原に立ち 寄り雪を晴らさばやと存じ候。

シテツレ三人一声「降る雪の。簑代衣袖さえて。春 待ちわぶる。心かな。シテ「冬立つ波の音 までも。四人「浦さびまさる。夕かな。 シテサシ「それ国々所々に。神所垂跡多けれど も。殊更御影を仰ぐなる。四人「此神垣の 松の葉の。千代万代の末かけて。運ぶ歩 もつもる雪の。ふかき恵を。頼むなり。 下歌「我は賎しき海士の子のよその見る 目も如何ならん。上歌「誰とても隔はあ らじ神慮。/\。交はる塵の浮世にも安 く楽む身の程を。思ひかへせば勇ある此 神祭急ぐなり此神祭急ぐなり。 ワキ詞「いかにこれなる人々に尋ね申すべ き事の候。シテ詞「此方の事にて候ふか何事 にて候ふぞ。ワキ「これ程深き雪の中に。 しかも女性の御身として。かやうに歩を 運び給ふ事不審にこそ候へ。シテ「さん候 これは此浦里に住む女にて候ふが。霜月 初午の御祭礼の儀式。殊更神秘多ければ。

取り分き歩を運び候。これは此あたりに ては見馴れ申さぬ御事なり。もし都より の御参詣にて白ふやらん。ワキ「実によく 見てあるものかな。是は当今に仕へ奉る 臣下にて候ふが。今月初午の御祭礼の儀 式。君聞し召し及ばせ給ひ。急ぎ見て参れ との宣旨を蒙り。勅使に下向申して候。 シテ「さては遥々の御志。返す%\も 有難うこそ候へ。ワキ「さらば御神事の謂 委しく御物語り候へ。シテ「これ猶秘する 事なれば。あからさまには申し難しさり ながら。当国ゆのがうと申す処より荒鵜 を取りて贄に供ふ。かの鵜みづから贄に 備はり。放せばやがて飛び去る事。これ 第一の奇特なり。ワキ「これは不思議の御 事かな。さては鳥類畜類までも。シテ「贄 に備はる神の誓。ワキ「雲井を翔る翅ま でも。心なしとはいひがたし。シテ「まし てやいはん人として。ワキ「頼をかけよ。

シテ「かけまくも。地「かたじけなしや神 の代の。尽きぬ御恵。ひとへの仰ぎ給へ や。 地クリ「そも/\当社の地形を見るに。西 は蒼海漫々たり。北には青山あり。亀鶴 蓬莱山と名づく。一つの巌窟あり。七星 常住の仙境なり。シテサシ「然るに此神は。垂 跡年久しといへども。利物の風あらたな り。地「日本第三の社壇。正一位勲一等 気多不思議智満大菩薩と号し。無仏世界 度衆生。今世後世能引導の。誓を顕しお はします。クセ「然るに其昔。神功皇后の 勅を受け。干満。両顆の名珠を海底に沈 め忽ちに。新羅百済の凶族を。皆悉く 亡ぼして。天下安全に国土も豊なりけ り。そのかみ。垂仁天皇の御宇かとよ。 大入杵の神王を祭主と定め此神を勧請 し奉りけり。シテ「然れば代々の帝までも 地「神徳を仰ぎ給ひ。社禄を贈り礼典。

隙なくあがめ給ふとか。されば一度も神 前に。歩を運ぶ輩は。息災延命の徳を 得二世の願も満つ月の。影あきらかに 曇なき。当宮の御恵仰ぎても余りある べし。 ワキ詞「不思議なりとよ方々は。そも誰な ればかほどまで。神秘を残さず語り給ふ。 其名は如何におぼつかな。シテ「今は何を か包むべき。我此所に年を経て。有縁の 衆生を守るなる。地「神とやいはん恥か しや。/\。御身は。勅の使なれば。 言葉をかはすぞと。夕の月の光とともに 朱の。玉垣に隠れけり玉垣の内に隠れけ り。中入間「。 ツレ一声出端「昔は大入杵の神王と号し。今は此 地に跡を垂れ。八尋玉殿の神とは。我が 事なり。地「則ち御影を現して。即御影 を現し給ひて勅使に参拝の膝を屈し。其 後御殿に上らせ給ひ。手づから扉を開き。

給へば。誠に妙なる相好荘厳赫奕として。 現れ給ふ。有難や。 シテ「如何に八尋玉殿の神。いざもろとも い舞楽を奏し。かの客人を慰めん。ツレ「実 に客人は勅の使。さらば舞楽をなすべし と。弦管の役をすゝむれば。シテ「誠に勅 の使ぞと。聞くにつけても思ひ出づる。 地「其古の神祭。/\。安倍の貞任勅 使として。万歳楽を舞ひし事。唯今の勅 の使に。思ひ出づるも面白や。楽シテ「更 け過ぐる夜神楽の。地「更け過ぐる夜神 楽の。月も傾く空なれや。丑三つも時至 れば。神前に供ふる生贄の。真鳥もこゝ に。現れたり。早笛「空飛ぶ鳥も地に落ち

て。/\。神慮に従ふその有様まのあた りなる奇特かな。 シテ「此鳥少しも驚かず。地「此鳥少しも 驚かず。諸人の中を静かに歩み出で。階 を上り。神前に羽を垂れ伏しけるが。又 立ち帰り庭上に下れば神体ともに。立ち 出給ひ。汝よく聞け此度贄に。供はる 結縁に鳥類の身を転じ。仏果に至れと。 宣命をふくめ給ひければ。八尋立ち寄り かの鳥を抱き。海上に向ひて放ち給へば 此鳥悦び羽風を立てゝ。雲井に翔り。飛 び廻り/\。遥の沖に飛び去りぬ。実に 有難き和光の神徳。実にありがたき神徳 を見せて。神は上らせ給ひけり。