宣言文.umezu.半魚文庫
宣言文

僕のやりたい研究


 ずばり、楳図かずおの研究である。僕は楳図かずおの作品がどういうわけか好きで、そしてたまたま文学研究もしているので、やはり、好きな作品の研究がやりたい、と思うのである。念のため記しておくと、楳図かずおは漫画家である。

 研究というからには、まず基礎研究が必須である。作品の全貌を知る必要がある。マンガ研究にどういう書誌学が必要か、近世板本なんかと違ってよく分らないが、初出の雑誌に直接あたった上で、作品名・初出雑誌・初出年月日などを押え、全作品リストを作らなくてならないな。特に初期作品の調査は重要だし大変だろう。

 勿論、初出の調査だけではだめだ。単行本化されるにあたって、コミックス版だけでなく文庫版や豪華版・改装版も出ることが多い。それらに異版はないか逐一調査したほうがいい。実際異版はある。サンコミックスの『へびおばさん』などひどいもので、貸本雑誌『花(フラワー)』所収の初出と比較すると、コマをいくつか抜取るかたちで、二頁分が一頁になったりしている。或いは、初期の伝統的少女漫画風の絵柄の作品のコミックス版で、突如『おろち』ライクな「ザ楳図」的絵柄のページが混ざっていたりもする。『青い火の怪』『おみっちゃんが今夜もやってくる』(秋田書店サンデーコミックス『怪』所収)や『恐怖の首なし人間』(ハロウィンコミック館『半魚人(はんぎょにん)』所収)など、他にも多い。恐らく後補だろうが、調べてみないと分らない。また、異版がないにせよ、幾版まで出たか、享受史の問題としてもチェックしておきたい。


 




 さて、研究の醍醐味は、しかしなんといっても作品論だろう。

 まず、全作品を腑分けしたほうがいい。だからと言って、年代順に分類して、作家的成長の軌跡をたどったりはサスガにしません。やはりここは、ずばっとテーマで斬りたいものだ。

 そもそも楳図作品のキーワードは、まずもって、子供である。離ればなれになったまりんは叫ぶ。「早く悟に会わなければ。私の子供が終る前に」。『わたしは真悟』の主題は、子供でなければ出来ないこと、という一点に絞られると言っていいだろう。『漂流教室』の高松翔、『まことちゃん』の沢田まこと、『アゲイン』の沢田元太郎、『ロマンスの薬』の花小路春名、『神の左手悪魔の右手』の山の辺想、『14歳』のチラノザウルス号の幼児達。『怪獣ギョー』の青木靖男。彼らは、SF、ギャグマンガ、少女漫画、ホラー、パニックドラマ、成長ドラマ等の趣向において、不気味な黒っぽい絵柄を背景に負いながら(たとえそれがギャグマンガであろうとも!)、その様々な変奏曲だ。

 愛もキーワードだ。楳図作品に描かれる愛は、およそ暴力的で凄惨だ。それは、コミュニケーションは万事残酷で暴力的なものであって、そのコミュニケーション・ヒエラルキーの頂点にあるのが他ならぬ愛だから。未来へタイムスリップした高松翔へ対する狂気じみた母親も、父母に再び会うために地球の全コンピュータへアクセスした果てに核兵器まで飛ばす産業ロボット・真悟も、育ての親小助少年を求めて四百年後の現代に現れ東京を破壊する大怪獣ドラゴンも、高取城主鬼姫の影として冷酷な生を要求される百姓娘志乃も、東大寺大仏建立の人柱となった小菜女の最後の言葉「イアラ」の意味を時を超えて生きつづけ探し求め、地球滅亡の日にようやく分った土麻呂も、みな、破綻よりも成就する時にこそ愛は残酷だ。

 そして、コミュニケーションの裾野には恐怖と妄執が渦巻く。頻出する、ヘビ・クモ・猫・蝶・霊魂・人形・機械・傷・瘡痕・鱗・鏡・仮面、等々の異類モチーフは、常に他者(自己内部のものも含む)との緊張にあるコミュニケーションのメタファーである。


 




 などと、いろいろ考えるのは至福の瞬間だが、いつもこのへんで、楽しい夢想の半分が瓦解する。基礎研究は楽しそうだが、作品論のほうが、その設定方法と言い、あまりに情けないからだ。

 だいたい、作品を統(す)べるキーワードや主題を探しているだけじゃないか。それも、実際は単純に語り尽せず、結局どんどんキーワードが増えていくばかり。解釈素(それ以上解釈出来ない)を無差別に作品に与えているに過ぎない。こんなことならだれでも出来る。

 そもそも楳図かずおという作者名によって、『イアラ』と『まことちゃん』とに共通点があると考える態度が情けない。主題論という形而上学は作者名と共犯する。おまえは神の死を父とし作者の死を母として生れた息子ではなかったのか?(カッコいい!)。そうだ、最初は取り敢えず主題論でも、などとナメてはいけない。

 だけど、沢田まことのビチグソ嘲笑と鮮烈な指似ネタが、ノマド的行動のように見えて実は肛門期の快楽からファロクラシー神話へ移行しつつあるエディプスの申し子に過ぎない、などと脱構築してみても、しょうがないだろうなあ。

 醜態をさらすことを過剰に恐れ引退した元大女優が、美しい娘を私生児として産み将来その肉体に自分の脳を移植することを計画する。実際には脳移植は無かったにも関わらず母親になりきってしまう小学生の上原さくらは、担任教師の愛を得るためクラスメイトやその妻を老獪な手口で次々に陥れる。だけどもここに、獲得以前に破壊されたジェンダーなんてドラマを読んだら、掛値無しの愚か者。思春期の恐れ、とかのほうがまだ気が利いてるよ。

 作品の中心的意味を捉えるなんてのも嫌だが、中心的意味をひっくり返すなどというのも同じくらい魅力が無くなる。結局、テクスト論やデコンストリュクシオンなんてものは、形而上学のコンストラクションに寄生する補助学じゃないか、などと。

 結局、ああでもないこうでもないと、夢想は完全に瓦解する。結局は、マンガを文学として読もうとしているからだろう。それは、白紙還元どころではなく、陳腐な意味付けと薄汚い解釈の領域にそれを引きずりこもうとする欲望の装置である。


 




 まあ、最後に結論めいたことを書いておくとすれば、文学という観念を崇拝するか唾棄するかといったような決然たる立場の選択や両者の相互理解に僕は興味が無く(そもそもそんな対立は僕には無効だ)、僕のやりたい研究は、作品から感動を受けたり共感したりといういわゆる文学的享受がどうして成立するのか、その力学(心理学でなく)の一般的記述であり、僕はなぜそれが好きで、方法が分らないにも関わらずそれを論理化したいと考えるのか、自己への重力の個別的な記述だということなんだろう。

 今年は楳図かずお作家生活四十周年である。


初出 : 1995年11月号『日本文学』 子午線「ぼくのやりたい研究」


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楳図まんがのテーマ性についての考察

恐怖と笑い、そしてロマン


 




「楳図かずお」という現象を、総体として捉えたい――この欲求は、『イアラ』も『まことちゃん』もどちらも好きで、かつ、少し理屈っぽい楳図ファンなら、皆持つ気持ちではないか。

ところが、楳図かずおはいろんな作品を描いてきた人である。それゆえに、楳図かずおを総体として捉える、すなわち諸作品の中から統一的な楳図かずおの作家像を見出そうとする、その理論型モデルは、案外に難しそうである。「手塚治虫=ヒューマニズム」なんて具合いには、分かり易くない。

すべからく芸術研究というのは、作品論として存在すべきである。だから、そもそも、「総体として捉えたい」という欲求はほんとうは捨てるべきなのである。作家論というのは、幻想(=芸術)の上に幻想(=研究)を重ねる行為である。『イアラ』と『まことちゃん』とに、なんらかの共通性なんて無くても、ほんとは全然構わない。でも、しかしである。人間にとって幻想というものは不可欠なものではある(なお、作品さえあれば評論は不要、という発想はズルイ。読者も作者と同じように幻想したいんだから)。

それからついでに言えば、複数の現象の中から一つの理論型モデルを見出そうなどという欲求も、ほんとうは幻想だし罪悪なのかも知れない。ニーチェも、抽象化してはいけないと言ってたはずだ。でも、芸術研究に限らず、学問というものはそういう欲求から成り立っているものだし、人間の思考っての自体がほとんどそれである。

というわけで、

作品の中に作者像を見出したいという欲求1

と、

複数の現象の中から一つの統一的なモデルを見つけたいという欲求2

の誘惑は、やっぱり押さえ難いのです。

また、私の欲求の問題に限らず、そもそも楳図のまんがは、テーマ性が高い。ゆえにこそ、楳図のインタビューのほとんどが、こうしたテーマに関わる話題であり、本人も好んでそれを語る。こういうテーマ性は、良くも悪くも上述の欲求の格好の題材になりがちでもある。

なんだか言い訳から始まったように見えるかも知れないが、そうではないのです。私は、作家論がほんとはキライなのです。でも、楳図かずおについては、なにか言ってみたいのです。だって、『イアラ』と『まことちゃん』をどちらも描いてしまう人なんですよ。これ、すごいですよ。

そういったところで、本エッセイのお膳立てが揃った。すなわち、

楳図かずおを総体として捉えるモデルを考える、

ということである。

 




楳図まんがのテーマ性について、最も深く考えている人間は、たぶん楳図かずお本人だろう。

まず、恐怖まんがの「変遷のテーゼ」とでも呼ぶべき、モデルがある。楳図の描く恐怖は、本能的恐怖・心理的恐怖・社会的恐怖・自己内面的恐怖・自己恐怖へと順に変遷していった、という捉え方である。

そうですねー、自分が描いてきた恐怖の流れでいくと、最初は説明出来ない本能的な恐さ、暗闇とか蛇とかですね。そして、次に心理的な恐さ、そして社会性を持った『漂流教室』とかに移行していったと思うんですけど、恐怖というモノは外からやってきて自分に襲いかかってくるという怖さだったんだけれども、そのうちに恐怖というのは恐怖を感じる者の中に内在するということに移っていって『神の左手悪魔の右手』の頃はそういう恐怖を描くようになっていたんですね。体の中からハサミが出てきたりとかですよね。それが進んでいって今一番怖いのは「私は誰なのか」という事だと思います。だから、人が怖いというのではなく自分が怖いというのは間違いないと思います。この自分は何処から来たのだろう、何をするか分からないという、今までは、確たる自分があって、信じられないのは外部の方だったはずなんだけども、自分自身が恐怖の対象であるって事が最近の自分の作品の特徴であることは確かですね。」

(「愛という名のイデオロギーに抗して」『ユリイカ』1997年4月号、聞き手・西野雄一)

これは、楳図自身も自作を語る際に好んで用いるものであり、実に分析的である。80年代以降のあらゆるインタビューで、楳図はだいたいこのように答えているように思う。

さて、しかし。この「変遷のテーゼ」は、楳図のギャグまんがへまでもそのまま利用でき、そして、これが「楳図総体」を捉えるだけの射程を持ったモデルではない。というより、これは恐怖まんがだけにしか通用しないモデルである。

何度も言うように、『まことちゃん』を代表作として楳図には営々たるギャグまんがの積み重ねがある。これを無視することはできない。なお、ついでに言うと、僕は、楳図を単純に恐怖まんがの作家としか考えない立場は、あんまし好きじゃないのです。楳図の魅力は、恐怖まんがもそうだが、しかし、同じ人があんなギャグまで描いている、という所だと思うから。そして僕は、恐怖作品もギャグ作品も、どちらもほんとに好きなのです(ずるい?)。

 




次に、より「総体」に近づいたモデルがある。

「恐怖とギャグの作家」という捉え方

である。恐怖まんがとギャグまんがと両方描いているまんが家として楳図かずおを捉えるモデルは、かなり根強い。

この「恐怖とギャグ」という二極図式も、やはり、楳図かずお本人の中で熟成されていったものである。インタビューや談話から、その熟成過程を見ておこう。

いつも『まことちゃん』を応援してくれてありがとう!!「先生、恐怖まんがも書いて!!」というお便りもいっぱいいただきます。
だから、『まことちゃん』の中で、時どき恐怖シリーズをやったりするんですよね。
ギャグと恐怖なんて異質なものをどうして書けるのですか」なんて言われるけど、両方やっちゃうところがあつかましいんですよね。
これからも、いろんな作品を書いちゃうつもり。応援してくださーい!! 楳図かずお

(『少年サンデー』1977年38号(サンデーファン)読者のページ)

次は、二年たったから考えがまとまって理論的になっているのか、それともたんな る気分で、ちょっと書き方が違うだけなのか分からないが、もう少し分析的である。

こんぬずわ、みなしゃん! たらいまボクしゃんはまことちゃんギャグの真最中れすが、今回本誌に掲載された『憑かれた主役』を見ていると、恐怖ドラマも描いていたんだなあ、とハッと改めて認識しなおすぐらいに転身してしまった自分の立場に気付く今日この頃なのです。

 (中略)

恐怖とギャグの両極端のパターンについての質問も多いのですが、恐怖もギャグもつきつめればつながっていますから、と答えることになっていまして、確かにそのとおりなのですが、ただ理屈の上ではそうだけど具体的に原稿用紙にギャグを描き始めると、その違いはやはり両極端であることが解るのです。怖がるのと笑うのとではやはり大きい開きがあるのものです。

(「楳図かずお 自作を語る/恐怖もギャグも…」1979年4月・東京三世社『少女マンガ・ミステリー競作大全集』漫画スーパーギャンブル4月増刊号)

「恐怖とギャグはつきつめれば同じ」と言いながらも、「答えることになっていて」というのは、なんだかたよりなくて直感的で、人柄も彷彿されて嬉しくなってしまう。

しかし、これはたんなる気分で言ってるだけで、実際は、かなり論理的な成熟がすでにあるようである。というのも、この1年前、『少年サンデー』78年48号の「楳図かずお直撃レポート1」という松任谷由美との対談で、ユーミンの「私ね先生のマンガは昔の"ママがこわい"みたいな恐怖シリーズばっかり読んでたけど、どうして"まことちゃん"みたいなギャグ・マンガも描けるんですか?」という質問に対して、楳図は、「恐怖だって極限まで達すると、他人眼には面白く見えることがあるでしょ、だから、まんざら無関係じゃないみたい。」とさらりと言っているからである。しかし、「まんざら無関係じゃない」とは、無関係を前提としているし、まだ思想として完成はしてないのだろうと思う。

念のため確認しておくが、楳図にとってのギャグ作品は、『アゲイン』(1971年)や『まことちゃん』(1976年連載開始)以降に始まったものではない。貸本時代にすでに『チイ子さん』のようなギャグ調のキャラクターが存在し、4コマのギャグ作品を多作している。『ロマンスの薬』なども、学園ギャグ・コメディ的なトーンで描かれている。感じとしては、『まことちゃん』で完成したようにも思えるが、実際は、笑い好きの楳図の性格も含めて、初期段階から笑い・ギャグものもずっと描いてきているのです。

さて、話を戻そう。『まことちゃん』執筆時には、楳図の中では、恐怖とギャグとを結び付けるような論理は完全には用意されておらず、楳図はその天才的・生得的な持ち味により、ただ感覚的に描き分けていたのではないかと思う。いうまでも無いが、感覚的に描き分けてきたということ自体は悪い事ではない。が、理論化されることがまた悪いわけでも無い。楳図本人が、この「恐怖とギャグ」とをその後、完全に理論的に結び付けてゆくからである。

 




一般に、

笑いと恐怖は紙一重

などと言う。が、これをきっちり説明しきった例を、僕はあんまり知らない。というより、楳図によって初めて知った。

哲学的にも、「笑い」を考察したベルグソンも足立浩一(『笑いのレクチュール』青土社)も、恐怖との関係で笑いを捉えていない。そのために「こわばり」とか「規範からの逸脱」とか、対象に笑いの要素が内在しているという発想でしか、「笑い」を見ていない。

別の例。唐沢俊一が、こんなことを書いていた。三鷹の名画座でトビー・フーパー『悪魔のいけにえ』を見たとき、満員の観客が「ヒーホヒーホ」言っている。最初これを恐怖の悲鳴だと思っていた。

だが、逆なのだった。
そのヒーホヒーホは、実は笑い声だったのである。あまりの怖さに、観客たち全員、思考が停止してしまい、あとはもう、笑うしかない、そんな状況に陥ってしまっていたのである。自分は今、怖さのあまり笑っている。そう気がついたとき、そのこと自体のおかしさに、編者のヒーホヒーホは、さらに度を増したのであった。
このことからも、恐怖と笑いは、裏表の存在であることがわかるだろう。そう言えば、怪奇マンガの第一人者、楳図かずお先生には、『まことちゃん』というギャグマンガの大傑作もあるではないか。

(唐沢俊一編『カルトホラー漫画秘宝館』かえるの巻「はじめに」ネスコ・1996年)

恐怖が笑いに反転してしまう、そのことを「思考停止」として了解している。唐沢には「笑った顔と恐怖で引きつった顔とは似ている」とか言う発言もあったはずだが、記憶が不確かで出典を確認できない。「笑いと恐怖は紙一重」の、この思想をこのように説明するのはよく有る手だと思うが、これは紙一重のメカニズムの説明には全然なってない。

佐野史郎がこんな事を書いている。『アゲイン』に出会って違和感を覚えた、と書いたあとである。

しばらくすると今度は『まことちゃん』だ。が、この時読者は誰ももう違和感を訴えなかった。そこにはかつて楳図さんが描きたいから恐怖漫画を描いていたような、描きたいから描いたギャグの姿が自由にきちんとあったからである。
この時気がついた。本来楳図さんにとって、恐怖と笑いは同じことなのだ、と。
難しい言葉で言えば、「実存のリアリティを感じるのに一番てっとり早いもの」が恐怖と笑いだった。恐怖と笑いには、身体とのズレが一番はっきりと出てくる。その表現形態において、もっとも力量を発揮できる人が楳図かずおなのだ。そう見ていけば、怪奇モノにもギャグにも、共通しているのは、一つ一つの事柄に対するリアクションの、ものすごい繊細さとその増幅度だ。恐怖と笑いのイメージを瞬間でとらえて正直に描ける漫画家。そのイメージを画家としての偉大な力量で表現し、なおかつその絵のうまさを読者に感じさせない凄さが、この人にはある。

(佐野史郎「恐怖も笑いも」・小学館文庫『まことちゃん』11巻の解説)。

さすがファーイースト・リサーチ社のチーフだけはあるが(いつも「なんだって!」って言ってるだけが)、「実存のリアリティ」か、ちとムツカシイな(笑)。唐沢とも同様、「恐怖」と「笑い」と、おのおのについての自明性に疑いを持っていない。つまり、恐いモノは怖く可笑しいものは可笑しい、というモノに性質が内在するという頑固な発想である。

楳図は違う。次のように説明した。

世の中の出来事は、それを見る立場で、怖いと感じるか、おかしいと感じるか、それだけのことだと思う。
恐怖の場合、追いかける者と、追われる者の、二通りがある。追われる側は、自分を傷つけるものに追われて、怖いと思うけど、追いかける方には、切迫した理由で追いかけてない限り、すごく楽しいんじゃないか。だから逃げてる人を見て、すべったりころんだりする様を笑うことができる。逃げながらぶつかったり、ころんだりするのを、おかしいと思うことができる。
だから、ギャグか恐怖かは、そこだけの違いだと思う。
昔の中国の残虐な王様なんて、拷問や刑罰で、苦しんでいる人を見て、こっけいだなと思ったと考えるわけ。
罪人とか、罪人でない善良な人たちが苦しい目にあったりするのを見て、こっけいさを感じる王様の立場でものを見ると、世の中はたいていギャグになってしまう。それを刑罰を受ける側から見ると、指一本切り取られたり、髪の毛をぬかれたりしても、恐怖になってしまうのではないか。
その痛みがわかるやさしい王様は、あまり残虐なことはできないんだ。

『恐怖への招待』河出書房「恐怖と笑い」1988年)

僕は、楳図のこういう聡明な論理性にしびれてしまうのだなあ。ともかく、これを読んで初めて僕は、「恐怖と笑いが紙一重」という事の意味が解った。

一般に人は、怖いモノとか可笑しいモノとかがまず存在していると思い込んでいる。怖い体験とは、怖いモノに出会うからであり、笑える体験とは可笑しいモノに出会うからだ、と。しかし、楳図は、そうは説明しないのである。

アプリオリに怖いモノや可笑しいモノが存在しているのではなく、それは見る立場の問題である、

と考える。

この発想は、たんなる理屈ではなくて、楳図作品では、かなり使われているものである。「愛の方程式」には、「視点が全然別のところに移動してしまうなんて、なんてすごいんだ!! 同じ物体でもまるっきり別のものに見えてしまう…」というセリフが出てくる。「凍原<ツンドラ>」には、単行本になるとき削除されているのだが、初出誌には冒頭一コマ目に「装うということは、自分が変ることではなく、まわりが変ることである。」というナレーションがはいる。また、「聞いてください私の悩み」という作品がある。隣同士で建っている男子校と女子校とで、同じ現象を全く違うものとして見てしまう男子連中と女子連中とが描かれる。等々、この例は枚挙にいとまがない。単行本『イアラ』所収の諸短編も、ほぼこの、視点の変化という発想から成り立っているのではないか。

おろちや猫目小僧といった、傍観者キャラも、彼女等は作品の中で追っかけたり追っかけられたりという読者の精神活動を上手にコントロールする役割だと言ってもよいだろう。

この

「追っかければギャグ、追っかけられれば恐怖」という認識論的転回ともいうべきテーゼ

は、1〜2年前のテレビインタビューでも言っていたから、楳図は今でも有効な理論として考えているだろうと思う。 実際、内在論から関係論へという進化は20世紀の思想史の進化そのままであり、現在、人類史上もっとも進化した思考パターンでもある。

 




さて、

この「恐怖とギャグ」の二極図式で楳図かずおを完全に捉えることが可能か。

この「追っかければ……」のテーゼを支点として成立した「恐怖とギャグ」という二極図式は、楳図総体を捉えるに充分なものか。

わたし自身、この二極図式でずっと考えてきた。しかし、恐怖作品とギャグ作品に大分類し、中間的なものはややギャグ、やや恐怖みたいに考えてみても、実はしっくり来ないのである。というか、これらの分類軸上に配置しかねる作品の数は、実は多すぎるのではないか。

『漂流教室』は、たしかに極度に怖いまんがだった。だから、これは恐怖で良いか? 『おろち』も『洗礼』も、たしかに怖さがある。『イアラ』等一連の「ビッグコミック」掲載の「楳図かずお劇場」類も、読むとたしかに怖い。そして、その怖さは、「心理的恐怖」として恐怖に分類されてきたのかも知れない。

でも、あれはほんとに「恐怖」なのか? あるいは、恐怖を最大の目的として描かれた作品なのか? 『おろち』のうち、たとえば、「秀才」や「ステージ」は、あれは恐怖まんがと言えるのか? 言ってしまって、恐怖まんがのカテゴリーを広げるのも、一興ではあるが、でも、なんか違うのではないか。

『わたしは真悟』、これは恐怖まんがか? 怖い面はたくさんある。たとえば、下水道を通ってさとるが住んでいた団地に行こうとするシンゴ。「下水道にアリゲーターが巨大化して住んでいる」というのはアメリカの都市伝説だそうが、ちょっと似てるか(でも、もっとすごいが)。これも、考えてみれば実に恐い。しかし逆に考えると、なんとなく滑稽でもある。そう、追っかけられれば恐怖だが、追っかければギャグなのである。下水道のシンゴを、そんな感じで捉えてしまうと、実に可哀相ではないか。恐怖まんがというわけではないと思う。

二極図式によって楳図諸作品を分別しようとするのは、結局のところ、「ギャグでなければ、みな恐怖」式な扱いしかできない。こういう暴力的な分類はよくない。

いままで一口に恐怖と言ってきた楳図まんがの特性の一つを、もうすこし吟味して、別の言葉を探したほうがいいのではないか、というのがこのエッセイの趣旨なのである。やっと本題だ。

 




さて、その別の言葉とは何か?

「SF」なんてのは、どうか? 『漂流教室』『真悟』『14歳』は、文句無くSF作品であろう。貸本作家時代には『ガモラ』や『恐怖の地震男』『雪の花』といった、タイムパラドックス物がある―― SFそのままじゃないか! 『半魚人』等、60年代の『マガジン』や「キング」に連載された諸作品も、怪奇色が強いが、SFの範疇でもある。

「ねがい」は初出誌で「SFロマン」と銘打たれている作品である。ひぇーっ、モクメはSFの産物だったのだ。

まあ、しかし「SF」は、その特性にかなり広がりを見せて(「まんが」と同じくらい)、既に漠然とした形式をいう語に過ぎず、たぶん何の説明にもならない。

「ホラー」ってのは、どうか。まあ広く、恐怖と同義と考えておいていいだろう。実際は、楳図でホラーと呼べるのは、『神の左手悪魔の右手』前後の作品くらいかも知れないが。

「ミステリー」ってのは、どうか。まあ、「ミステリー」は「恐怖」とも、ちょっと違うだろうから、差異化は図れる。でも、なんか違うわな。

「幻想」ってのはどうか。僕も大好きな言葉だし悪くないが、ちょっとだけ違うかなあ。幻想ってのは、英語に訳せばファンタジーである。ブラッドベリでもないし、ドラクエでもないから、ちと違うかなあ。

まあ、「幻想」も悪くないが、より楳図的な言葉がある。

 




私が提案したいのは「ロマン」である

(まあ、幻想と書いてロマンと読ませても良いが)。「恐怖」と「ギャグ」とに加えて、「ロマン」という要素を以って、この三極の平面上で楳図諸作品を配置してはどうか、ということである。

ここまでせっかく読んでくれた人の中には、「なあんだ、がっくり……」とか思ってる人もいるかも知れないが、もう少し読んでください。

ロマンとは、元来、ロマンス語(ラテン語の俗語)で書かれた物語を言った。これが、中世ヨーロッパの騎士道物語などに代表されるような、空想的、伝奇的な通俗小説を指すようになり、また、世界的にも長篇小説をロマンスというようになる。つまり、これらをひっくるめて、先ず第1にロマンとは、文学の一ジャンルを指した言葉であった。すなわち、伝奇・幻想的な雰囲気を持った長編作品をロマンというのである。

そして、ロマンはこの過程で、思想を表す言葉になった。主情的(感情を第一とする)、理想的であること、あるもの、それらをロマンと呼ぶわけである。

また、この1(形式)と2(内容)とを合せた上で派生した、単純に恋愛をロマンスという場合もある。が、これは「ロマンス」と、「ス」が着く場合に限られよう。

ロマンという「日本語」は、1(形式)の意味より、2(内容)の主情主義的な色合いの言葉として、広く、夢や空想などとマッチして、ロマンチシズム、ロマンチスト的な意味合いで使われているだろう。ここに加えて、残像的に作品形式としての「ロマン」が投影されている。

さて、

楳図作品に対して「ロマン」という評価は、どのようになされてきたか? 

具体的に例をあげておこう。

ビッグコミックに連載された『イアラ』は、連載当時は、これを「恐怖まんが」だなどと考える読者は皆無だったと思う。『イアラ』や一連の「楳図かずお劇場」シリーズに感じられる恐怖は、読者が作品の中で「追っかけられている」からにほかならない。なお、愛蔵版『イアラ』の帯には「悠久たる時の流れを貫く"愛" 楳図浪漫のこの一冊!!」と書いてもある。

『おろち』も、副題的なキャッチコピーとしては「異色ロマン」であった。『漂流教室』だって、連載初回の『少年サンデー』の表紙に、やっぱり「異色ロマン巨編」と銘打たれている。

貸本時代、ひばり書房から刊行された作品のほとんどが「楳図かずお幻想ロマン」というシリーズ名を付けられている。

楳図作品に言われるロマンは、単純に「長編だからロマン」という、形式上の意味ではないのである。恐怖であろうが、内容的にも「ロマン」なのである。また、ひばり書房の「楳図かずお幻想ロマン」シリーズでは、『雪の花』や『あなたの青い火が消える』のような、いわゆる幻想モノめいた作品の他に、「ロマンスの神様」や「城跡にひそかに集まれ」のような、ユーモラスな作品も含まれているのである(まあ、ひばり書房だから、いいいい加減な編集なだけかも知れないけど)。

 




さて、

この「恐怖」「笑い」「ロマン」という三極図式(つまり三角形)

を用意すれば、楳図かずおの全作品が、その三角形の内側のどこかにきちんと位置付けできるのではないか。

ともかく、みなさん。お手元の紙の上にでも、三角形を描いてみてください。そして、それぞれの頂点は、左が恐怖、右に笑い、上にロマンと書く。

単独デビュー作『別世界』は、まさにロマンの頂点近くに位置する作品である。『イアラ』もこれであろう。

貸本雑誌『17才』などでの連載諸作品、そして『ロマンスの薬』や『女の子集まれ!!』に結実するラブコメ諸作品など、単にギャグ作品と言ってしまえない作品群である。これらは、ロマンとギャグとの中間地帯に位置している。

また、『赤い蝶の少女』や『まぼろしの花』などの貸本時代の少女まんがのうち、ラブコメでもなく、また恐怖まんがというほどのものでもない作品群がある。少女の気持ちをリリカルに描いたもので、これらはロマンというじゃないかなあ。『好きな人(きらいきらいきらい)』などは、もうすこしラブコメに近いか。

『まことちゃん』は、短編読切り型なので、形式的にはロマンとは言わないが、『アゲイン』は長編の結構を有していて、ロマン的な要素も持っている。だいたい、若返るなんてのはロマン以外の何物でもない(あんまり説明になってないか)。

他方、「図明氏」のシリーズや「お菊ろの」、『COM』に掲載された「チイ子さん」4コマまんがなどは、純然たるナンセンスギャグであり、ギャグの頂点に位置している。これらと較べれば、『まことちゃん』だって、ギャグでありながら、ロマンや恐怖のほうに少し傾いている。

『神の左手悪魔の右手』や『楳図かずおの呪い』のシリーズなど80年代後半のホラー系作品は、まさに「恐怖」の極北に位置している。「へび少女」等『少女フレンド』に連載した作品の多くも、もちろん「恐怖」である。

しかし、『漂流教室』や『わたしは真悟』、『洗礼』などは、たんなる恐怖まんがではない。ここにおける「恐怖」は、あくまで認識論的な方法論である。読者を追っかけられさせるための。恐怖的な味わいを持つロマンとして考えてはどうか。

「怪獣ギョー」や「ねがい」などは短編作品である。短編だから形式として普通はロマンとは言わない。しかし、ここには内容としてロマンとしか言いようがないような叙情性にあふれている。

短編でありながらロマン、という形容矛盾は、楳図自身のストーリーテラーとしての資質を逆に鮮明にしている。

楳図は、どんな短編の中にもドラマを作り上げるのである。楳図自身は、それを次のように語る。
 従来は、劇画であれ小説であれ、短編では、人間の一生を決定づける一断面を切り取って描き、長編では人間の全人生を描いているようだ。
 私は、どちらも人間を描くことに変わりはないと考えているので、創作にあたって、特に短長編の意識はしない。
 ただ私は、次の一点にだけは必ず留意している。
 短編で断片を描くには描くが、その一方で、長編の味わい、つまり短編でありながらも全体を俯瞰できるような配慮を、いつもとってきたつもりである。
 それだけに、短編だから早くできた、という作品は一つもなかった。
 このテーマは、優に二百枚くらい必要だなとわかっていても、どんどん仮借なく切り捨てて20―24ページにした。
 制作にはいっても、あるくやしさと、もったいなさがあった。
 しかし、そのもったいなさに、精神のぜいたくがあるような気がした。
 その捨てられた部分が多ければ多いほど、テーマは明瞭になり、深い霧が流れ、峻烈な岩肌にじかに触れたような感じだった。
 したがって、読者には作品の芯を突きつけたような格好になった。
 それはまさに、なんのお世辞や飾りのない、読者との対峙であった。
 私は、読者の賛辞という無形の財産に支えられて、これからも、心にくいこむ短編群を描いてゆくつもりである。

(楳図かずお「私の短編作法」『ビッグコミックオリジナル』1974年12月5日号「静かなブーム 楳図ロマン!」というコーナー)

楳図にとってのロマンとは、長編という形式を超えて、ストーリーの方法と考えていいのではないかと思う。 まあ、最後に結論めいたことで閉めるとすれば、恐怖も笑い(ギャグ)も楳図作品に於いては、認識の方法であり、その二極的な視点をロマンという大きな方法論とテーマが貫いているという感じかな。

もう一言、言い訳めいたことを思いっきり書いておけば、このようにテーマ性からのみ楳図を語るのは、ほんとは嫌いなんだ! やっぱり、絵や構図、コマ割りの特徴から楳図を捉えてゆきたいのである。だが、本エッセイは来るべき私の楳図かずお論(たぶん)の序章なのである。

 




    
初出:『まこと通信』第3号
2000年12月30日(冬コミ)初版発行
発行:まこと堂
編集:しんちんさん
表紙:なかぢさん
書型:B5判 44頁
謝辞:『まこと通信』は、しんちんさんが主宰されている同人誌です。掲載の機会を与えてくださったしんちんさん、連絡の労をとってくださったプリンセス・繭さんにこの場を借りて感謝申し上げます。
なお、HP掲載に当って、すこし手直ししてます。執筆:2000-11-13。久びさ締め切りを守った原稿(笑い)。


楳図かずお ヒストリー
楳図かずおとその作品





楳図かずおは、1936年(昭和11)9月3日、和歌山県高野山に生まれた。戸籍上は9月25日生れ。本名は楳図一雄。血液型はO型である。その後、教員をしていた父公雄の転勤にともない奈良県曽爾村などを経て、7歳の時奈良県五条市に居を定める。子供のころから絵が得意で、小学4年で初めて描いたストーリーマンガは「まほうのつぼ」という作品。マンガばかり描いていて、10時間も部屋から出てこないので、母市恵が「死んだのか?」と思ったほどだったという。性格はおっとりしていた。中学2年の頃には「改漫クラブ」などすでに複数のマンガサークルに入り習作を発表していた。サークル仲間の関係で楳図を知った手塚治虫も、その画力を「天才が現れた」と評したという。中学から高校時代、一時期音楽に凝ったほかはほぼマンガ漬けで、当時、田川紀久雄などが中学生でプロデビューしたことは、楳図の憧れでもあった。

1 奈良県五条市の実家時代

楳図18歳の1955年6月に刊行されたデビュー作『森の兄妹』は、実は中学2年の時の作。サークル仲間の水谷たけ子との合作だが、前書きなどから楳図が全体を構成したのは明らかである。ヘンゼルとグレーテルでおなじみのグリム童話の翻案作品で、武井武雄や初山滋などに勧化された絵柄は、当時のマンガ風なそれと全く異なり、いま見ても新鮮である。

同年9月の『別世界』は楳図の単独デビュー作品。これも実は高校1年の時の作だという。やはりすでに手塚の影響を脱して、独自の極めて装飾的な絵柄を確立していた。設定も、未開社会の部族間の争いを舞台として、人間のあり方を終末SFの形式で描いた。タイムパラドクスとノスタルジーの鍵となる「ガイコツ岩」は後の作品へも引きつがれる。

デビュー2作品の執筆時期と刊行時期が大きく違うのは、楳図が自分の原稿をサークル仲間に預け、その仲間があれこれと出版社を探していてくれたためでもあった。楳図にとっては忘れた頃のプロデビューといった感であったようだが、これで俄然やる気が復活、五条高校を卒業後、プロマンガ家としての道を歩み出すのである。

楳図の最初の仕事は地方日刊紙での連載で、1956年3月から9月までの半年間『大和タイムス』(現在の『奈良新聞』)に「吉野のあらし」を描きつづった。同紙にはこのころ児童用に絵物語のコーナーがあったが、楳図がこれに抜擢されたのである。楳図らしい優しい語り口の物語に2点ほどの印象的なカットが付いた「まんが物語」(絵物語でなく)である。吉野南朝を舞台として村上義隆をはじめ護良{もりなが}親王、後醍醐帝、楠木正行{まさつら}などの人物を配し、吉野の自然児「あらし丸」の活躍を描くもので、異界への扉「口ほこら」を通じてかつて日本を支配していた卑弥呼、土蜘蛛などに出会うという幻想的な歴史活劇であった。全170回という大作であり、また日刊ペースの大連載であったから、近所のお兄さんお姉さんらにベタ塗りなども手伝ってもらってワイワイ描いていたそうである。

この後、楳図はダイヤ書房、三島書房といった大阪の貸本マンガ出版社から作品を発表してゆくことになる。

なお、貸本マンガについてすこし触れておきたい。貸本マンガは、それを刊行する専門の弱小出版社があり、専用の流通に乗って、最大で3万軒あったと言われる全国の貸本屋に供給された。1950年代がその最盛期で、10代の少年少女はこれをむさぼり読んだのである。小学館・講談社などの大手出版社は連載マンガや絵物語を載せた月刊誌を一般書店で販売していたが、それを単行本にもして売り出すという発想がまだ無かった時代だったから、月刊・週刊雑誌として(短編または次回をお楽しみ式)の享受とは別に、単行本として(1冊百数頁の長編として)マンガを享受する文化を支えたのが貸本マンガだったとも言える。また形態的には、一人一作の書き下ろし作品である「単行本」と、二〜五人くらいでそれぞれが短編や連載を執筆するアンソロジー形式の「短編誌」とがあった。内容的にも、マーケティング意識のもとで男子向けと女子向けとがはっきり区別されていたし、「劇画」というムーブメントが起きたのも貸本マンガからである。テレビが一般的でなかった時代の消費文化だし、およそ「作品」と呼べないような代物も多いが、今日でも十分に読める名作も数多い。そして、いい加減な作者はその何十倍といたにせよ、ともかく若い才能が情熱をもって集っていたのである。楳図かずおももちろんその一人であった。

さて、楳図はまず、1956年には、時代物の『鬼面屋敷』、少年探偵・岬一郎シリーズの『底のない町』『姿なき招待』(正・続)などの単行本を発表した。特に岬一郎シリーズは、探偵物とは言え、怪奇色が強く、1959年まで断続的に「第四の棺桶」「毒蛾館」『呪われた蝋人形』「ほくろの怪」『狂人部落』「死相」などの連作が描かれる。

1957年からは単行本のほかに短編誌も手掛けはじめ、三島書房(わかば書房)の『鍵』と『花』、金龍出版社の『虹』などがおもな活躍の場となった。『鍵』は少年誌で、岬一郎シリーズの短編類を描いた。『花』や『虹』などの少女誌には「私ともう一人の私」「まぼろし少女」などの作品をコンスタントに発表してゆく。いずれにせよ、想定される読者層を意識してプロらしく作品を描き分けている。また、すでにこの時期から恐怖・怪奇・幻想趣味といった楳図的なテイストが見られるのも特徴的である。

貸本マンガには刊記が付かない本が多く刊行年月を特定しにくいし、特にこの時期の作品は閲覧困難ゆえに私も正確には数えられないのだが、長短編とりまぜて、およそ1958年には8作品、1959年は12作品、1960年は15作品といったぐあいに順調に作品を積み重ねてゆく。特に、1960年から翌年に掛けては描きまくっており、それが原因で楳図は不眠症になってしまう。自然食などに目覚めるのもこの療養のためで、不眠症はその後4年間ほど続いたが、その間は逆にマンガのアイディアを増やすことの役にたったとも言う。また、この時期すでに楳図は、永遠の少年として「ピーター」と自称している。後にはピーターパン症候群などが流行ったりすることになるが、60年代にこれを人間のひとつの理想として捉えた者は皆無だったのではないかと思うが、どうだろう。

楳図は、大手出版社でも断続的に仕事をしていた。集英社の月刊誌『少女ブック』の

「母よぶこえ」は1958年の連載作品。ただし、楳図は「吉野のあらし」ばりに卑弥呼の亡霊の話を描きたかったのに、編集者の規制が強くて悲しいバレリーナ少女・歌子さんの話にさせられてしまった。他方「お百度少女」は読み切り短編ゆえまとまりが有る。都会から田舎に遊びにきた少女は、奥座敷にかくまわれた病気の美少女が夜々お百度を踏むのを目撃する。スリラー仕立てながら幻想的で美しい。また、1959年には『人形少女』を講談社『たのしい五年生』から『たのしい六年生』に持ち上がりで連載した。

以上、デビュー以来の5年間を楳図自身の言葉でまとめておこう。

高校を卒業してから、マンガをはじめました。最初は地方新聞に「吉野のあらし」という歴史をおりこんだマンガ物語をかきました。それから単行本をかきはじめました。はじめはスリラーものばかり、「底のない町」「姿なき招待」等。やがて少女ものも、やりはじめました。今までかいた作品で、すきなのは「底のない町」「第四の棺桶」です。最近のでは「俺の右手」があります。

少女ものも、おもに幻想的なものばかりをかいてきました。少女ものでは、「しらぎく」「雪おんな」「お百度少女」などがすきです。「まぼろし少女」も思い出の作品の一つとなることでしょう。まぼろし少女は以前かいた「幽霊を呼ぶ少女」の姉妹編のようなものです。かなしい物語では「ロンよ泣かないで」をかいてみました。「お百度少女」を、おりがあればかき直してみたいと思います。 (『虹』10号、1960年)

この「お百度少女」が、赤んぼう少女こと南条タマミを主人公とする異形の残酷ホラーとなって復活するのは、まだもうすこし先のことである。

大阪の貸本業界の退転に伴って、1961年頃からは金園社(金龍出版社の本社)、三洋社など東京の貸本マンガ出版社の仕事がメインになってゆく。『虹』に掲載された「口が耳までさける時」は、ヘビである継母を描いた記念碑的作品で、楳図が自分の作品を「恐怖まんが」と名づけた最初の作品である。というか、それまでこの種の作品は怪奇マンガ・スリラーマンガなどと呼ばれていて、「恐怖マンガ」という言葉を作ったのが楳図なのである。もちろん、呼び名{シニフィアン}が違えば中味{シニフィエ}も違ってくる道理である。「狐つき少女」(改題『キツネ目の少女』)は、奥吉野に住むサツキとカンナの「やまびこ姉妹」の一作目。『赤い蝶の少女』はサスペンス仕立ての学園ドラマ。脇役には草間愛子、浪花チイ子、青山先生など、おなじみの登場人物たちが出演する。

三洋社の短編誌『花詩集』には、清々しくもセンチメンタルな学園ドラマが多い。「まぼろしの花」は、女の子が持つ大人への不安と憧れの気持ち、ほのかな孤独感、そして嫉妬からくる浅はかな行動を、しかし愛情をもって叙情的に美しく描いた傑作。主人公の女の子、そのライバルで明るく屈託のない草間愛子、話題の中心となる美少年水上君、その三者の配し方など、巧みな構成である。「好きな人」(改題「きらいきらいきらい」)は、好きな人には反発してしまう乙女心を快活でちょっと生意気な女の子の物語として描くが、初出時のネームは「やっぱり友田くんのほうが頭がええんやわ」「すかん!たこ!」などとみな関西弁だったところはユーモラスであろう。「南海の少女」は、漂流した日本人の若者と島の娘との恋愛をロマンチックに描いた作品で、けっこう刺戟的でもある。

一般にこの時期の少女向け貸本マンガの多くは、不遇や貧乏、家族の不幸などの困難に打ち己つケナゲなものが多く、それはそれで今日読んでも「むかし日本は貧しかったなあ」としみじみできるが、楳図はそういう貧乏くささをウリにすることはなく、少女の内面的な叙情性や喪失感を描ききる作品が多かったのである。

2 上京、人気貸本マンガ家時代

1963年8月末、故郷の吉野川で泳ぎ納めをして、楳図は上京する。貸本マンガ界は全国的にもすでに斜陽の傾向にあり、大阪の出版社もみな倒産していた。

上京した楳図の活動の場は、おもに佐藤プロとひばり書房(つばめ出版)であった。

佐藤プロからの単行本一作目『猫面』は、当時流行した平田弘史の残酷モノなどの向こうを張った作品と言えるが、そのすさまじい拷問シーンや理不尽なシチュエイションには淫靡な魅力さえ感じられる。のみならず後の『影姫』に繋がる心理的な葛藤なども見るべき点である。「恐怖人間」(残虐の一夜)はフランケンシュタイン物。フランケンが暴れまわる恐怖の一夜とのどかな翌朝との落差は、並みのマンガ家には真似の出来ないだろう。「くも妄想狂」では遺産をめぐる兄弟の争いを描き、幻覚と現実との間の異常心理を描ききっている。また、少女向け短編誌『花』(佐藤プロ)では、望月あきら、池川伸治、川崎三枝子、花村えい子、新城さちこ、さがみゆきなどがそれなりにしゃれた(または貧乏くさい、または支離滅裂な)女の子の物語を描いている中、「へびおばさん」「狐がくれた木のはっぱ」などで、少女たちを震え上がらせていた。

ひばり書房では「楳図かずお幻想ロマン・シリーズ」と題して、『宿り花』『幻の火が消える』『雪の花』などの幻想的な単行本作品を描く。『雪の花』は「タイムパラドックスをあつかったSFロマン」(あとがき)だが、山奥にすみ古風な人形を作りたいと願う彫刻師が時空を超えて過去の女性に出会うという純日本風な話であって、見た目はいわゆるSFではない。未来カーや戦闘ロボ、宇宙ロケットなどの安直なガジェットに頼らずSFをやろうとする姿勢は、『別世界』でもそうだったし、「ねがい」から『わたしは真悟』『14歳』にまで通底した楳図の信念と見るべきだろう(ロボットは木造とか産業用、宇宙船は恐竜型ですからね)。

終末系SFは手塚以来戦後マンガの本流であるが、楳図の場合『恐怖の地震男』と『ガモラ』がこの時期の代表作である。関東大震災によって主人公の男性に前世の記憶が蘇る。それは大地震で沈んだアトランティス帝国の王子としての記憶であった。『恐怖の地震男』は、こうした壮大なスケールのうえに、ラストに叙情的な喪失感が加味され、それは楳図の繊細さの表われである。『ガモラ』は未完で終ってしまったが、私などはこれを読んで「本作発表によって、白土と手塚を超えようとしたんだな」と思って嬉しくなるのだが、それはともかく、やはり壮大さと繊細さの融合から成り、近年1998年になって14頁分だけ描かれた「ガモラ―エピローグ」の叙情感はそれを確信させてくれるものである。

ほかの幻想的な諸作品についても触れておく。「地蔵の顔が赤くなる時」は『宇治拾遺物語』などに見られる説話を一種の予知能力の物語として解釈しなおした作品。「目なし地蔵」「深山ざくら」も、純日本風な山の伝説といった趣きである。「ばけもの」は犬の生体実験を行う大和医大を舞台とし、人間の想像の限界は人間の世界の限界であるという発想に基いて描かれた。

学園ロマンス・ラブコメものも楳図が得意とした分野であった。というより「ラブコメ」は80年代のムーブメントではなく、すでに楳図がこの時期にやっていたのである。佐藤プロの短編誌『17才』の「ロマンス療法」「太郎さん羽奈子{はなこ}さん」「ロマンス病院B号室」「福白髪」(改題「好き好き好き」)「キューピット」などの諸作品では、恋に悩めるハイティーンたちの学生生活を、明るいコメディタッチで描ききった。この系統には、ひばり書房でも『城跡にひそかに集まれ!』や『ロマンスの神様』などの単行本がある。

一般に、60年代中盤の青春・恋愛モノは『青春』『オッス』などの貸本短編誌に代表されるように、中流で裕福でカッコいい男子や女子が活躍する作品が主流になりつつあったが、単にノーテンキなだけでご都合主義的、今読めば噴飯物の作品が多い中、楳図はかつて60年代前半に描いたリリカルでささやかな悲劇としての恋心から転回し、恋愛をコメディあるいはかけひきゲームとして明確に描き出したのである。楳図にとって、笑いと恐怖が同じものの裏表であるように(後述)、恋愛も視点を変えれば悲劇にも喜劇にもなるのである。

1965年ころのひばり書房による人気マンガ家のアンケート統計がある。これに拠れば、当時のマンガ家を人気の順に並べると、小島剛夕、江波譲二、楳図かずお、さいとうさかを、山本まさはる、池川伸治、南波健二、白土三平、いばら美喜、巴里夫、川崎のぼる、などがベスト10のメンバーである。手塚は10番代中盤、横山光輝や石森章太郎など大手月刊誌のマンガ家が20番〜30番代だったりするのと較べても、ひばり書房とその読者というバイアスが掛かっているにせよ、3位というのは楳図がトップ作家であったということを意味していよう。余談だが、今日ではシュールさやブッとびさ加減ばかりがツッコまれる池川などが案外に人気マンガ家だったのを考えると、当時の読者のレベルは高かったのかも知れない。

3 大手進出、超多作時代

楳図が大手の出版社で本格的に描き出すのは1965年以後である。すでに東京も含めて貸本業界はほぼ壊滅し、9割がたとも言われる貸本マンガ家が廃業していった。しかし、60年代後半に大手出版社が主力を月刊誌から週刊誌へ移すのに伴い再びマンガ家の需要が高まる。この移行期に筆を折らず、貸本から大手へ進出した少数の実力作家の一人が楳図であった。

楳図はまず講談社の週刊誌『少女フレンド』で爆発的なブームを起す。1965年夏の「ねこ目の少女」以後、『百本めの針』『ママがこわい』『まだらの少女』『紅グモ』『木の肌花よめ』『へび少女』『黒いねこ面』『ミイラ先生』『ふりそで小町捕物帳』『赤んぼ少女』『影姫』(『鬼姫』)『うろこの顔』(1968年)などまで、楳図ファンにはおなじみの作品を描いた。

ここでの作風は一貫している。それは、ヘビ、クモ、猫、等の生物的・即物的な恐怖モチーフを用いる手法である。ある日突然、前触れも理由もなく恐怖は外から視覚的にやってくるのだ。オールド・ファンにとっては、この時期の作品を最も楳図らしいと感じるのではないか。

楳図ブームの影響力は、ライバル誌『マーガレット』などにも亜流作品を生み、『フレンド』のアオリには「<おことわり>さいきん、べつの少女週刊誌にのっているへびのまんがは、楳図かずお先生が名まえをかえてかいている作品ではありません。」などという「おことわり」が出たりするのである。

なお、『少女フレンド』諸作品は、絵柄的には微妙な変化があり、規制も厳しかった初期はごくごく少女マンガ風であるが(ただし、今日読める単行本では、マンガっぽさを払拭すべく口元などに補筆がある)、『赤んぼ少女』などでよりオリジナルな絵柄に近づいていった。

講談社の月刊誌『なかよし』には『ロマンスの薬あげます』『女の子あつまれ!』などのロマンス系を発表。また、貸本時代の作品をトレースして『なかよし』の別冊附録になる作品も多かった。楳図作品はひっぱりだこだったのである。

『少女フレンド』の人気を負うかたちで同社少年誌にも進出する。1965年『別冊少年マガジン』の『悪魔の手を持つ男』以後、『半魚人』『ひびわれ人間』『ウルトラマン』『復讐鬼人』『人喰い不動』『死者の行進』などを『少年マガジン』で連載する。

『半魚人』は終末SF系の作品だが、現行の単行本諸本ではネームが変更され気付きにくいものの、サリドマイド薬害を批判的に暗示してもいる。『ウルトラマン』は、円谷プロとのタイアップで放映前から連載が始まった。実写のマンと微妙に似てなかったりするのだが、それは写真資料などもほとんど無く、パイロット版だけを見せられて記憶で描いたためだからで、それなら逆にすごい。

少年画報社の月刊誌『少年画報』では、1966年の「首なし男」以後、「楳図かずおの恐怖劇場」と題して、「地球さいごの日」「原子怪獣ドラゴン」「双頭の巨人」などの短中編を描き、1967年1月からは『笑い仮面』を、同12月からは『ねこ目小僧』を連載した。

 『ねこ目小僧』は、楳図作品には稀なキャラクター中心(似顔絵が描きやすい)の作品であったが、特技や武器を持ち仲間が大勢いる鬼太郎のような活躍の仕方はせず、傍観的な存在であるのは楳図的な作風だと言える。しかし、人気は上々で、同社の週刊誌『少年キング』に場を移して、1968年の春から1年間の連載をした。

その他、平凡出版の芸能月刊誌『平凡』での連載作品『恐怖』シリーズは、『ミイラ先生』以来のスターシステムで、エミ子が主人公。内容的には深刻さや叙情性は影をひそめ、短編ゆえのスピーディさもあいまって、ストーリーテラーとしての楳図の才能のありったけが注がれた感がある。『恐怖』シリーズは1966年9月号から1970年3月号まで、足掛け5年も続いたが、初期と終期とでは絵柄が全くことなる。

なお、この時期の楳図は上述のごとき連載に追われ、一日の休日も無くマンガを描き続ける日々を送った結果、1968年12月には肝臓障害で倒れ、実家に帰って休養せざるをえなくなったりもした。

*楳図かずおの認識論

主婦と生活社『ティーンルック』にも、1968年から1年間、『映像〈かげ〉』『蝶の墓』『偶然を呼ぶ手紙』『おそれ』などの諸作品を連載した。絵柄もそれまでの他の雑誌連載作品とは一変し、洋館の美少女たちがくりひろげるストーリーも、動物的な恐怖から心理劇へと変化しつつあった。

こうした心理劇の完成体である『イアラ』とその短編群は、創刊したての青年誌『ビッグコミック』で「楳図かずお劇場」と題され、1968年9月の「ほくろ」を嚆矢として毎号掲載されてゆくことになったものである。これらは今日読んでも全く色褪せることの無い傑作揃いだが、特に「洞」や「きずな」などは秀逸で、人間にとって現実と空想との境目は実は曖昧で、その境界線は人の執念や情念によって引かれるというテーゼがある。言いかえれば、物事の意味はその対象に内在せず、見る側の視点によって変化するということである。「さいはての訪問者」はまさに「同じものを見ているはずなのに、人によって意味(見え方)が違う」という問題を我々に突きつけたままで、それを解決することなく物語を終える。ストーリーこそ単純な作品だが、解決させないことで問題点をよりくっきりと浮かび上がらせている。なぜなら、わたしたちが生きているこの現実の世界は、それぞれ個別の視点のぶつかり合いから成立しており、それら個別の視点を統一してくれるような超越者などどこにも存在しないからである。

60年代後半、楳図の到達点の二極は『少女フレンド』諸作品と『イアラ』を含む一連の短編群だったと言えよう。この間の変化は劇的である。それは何に拠るのか。楳図自身に内的な変化があったのか、編集サイドからの規制に変化があったのか。しかしともかく、われわれ読者が『ティーンルック』諸作品から『イアラ』『おろち』を経て『アゲイン』『漂流教室』などに受ける眩暈{めまい}のような不安と衝撃は、読者の認識・視点をつかんでゆさぶるような、その視点の魔術によるものだと言えるのではないかと思う。

そもそも楳図の恐怖作品は、そのテーマが変遷していったと言われ、楳図本人もそう語ることが多い。すなわち、『少女フレンド』諸作品での本能的恐怖、『イアラ』『おろち』での心理的恐怖、『漂流教室』などでの社会的恐怖、『洗礼』や『わたしは真悟』などでの自己内面的恐怖、『神の左手悪魔の右手』での自己自身の恐怖、云々と。しかしそれは、恐怖の対象そのものが変遷したのではなく、対象への視点が変遷したと考えられるだろう。ゆえに、それらの恐怖は、読む側の視点によって受け取られ方も異なるのである。

話題を『イアラ』短編群に戻すが、「私の短編作法」と題して、これら作品群について後に述懐した楳図の文章が有る。

 従来は、劇画であれ小説であれ、短編では、人間の一生を決定づける一断面を切り取って描き、長編では人間の全人生を描いているようだ。

私は、どちらも人間を描くことに変わりはないと考えているので、創作にあたって、特に短長編の意識はしない。ただ私は、次の一点にだけは必ず留意している。

短編で断片を描くには描くが、その一方で、長編の味わい、つまり短編でありながらも全体を俯瞰できるような配慮を、いつもとってきたつもりである。

それだけに、短編だから早くできた、という作品は一つもなかった。このテーマは、優に二百枚くらい必要だなとわかっていても、どんどん仮借なく切り捨てて20―24ページにした。制作にはいっても、あるくやしさと、もったいなさがあった。しかし、そのもったいなさに、精神のぜいたくがあるような気がした。その捨てられた部分が多ければ多いほど、テーマは明瞭になり、深い霧が流れ、峻烈な岩肌にじかに触れたような感じだった。

したがって、読者には作品の芯を突きつけたような格好になった。それはまさに、なんのお世辞や飾りのない、読者との対峙であった。私は、読者の賛辞という無形の財産に支えられて、これからも、心にくいこむ短編群を描いてゆくつもりである。(『ビッグコミック・オリジナル』1974年12月5日号)

短編でありながら全体を俯瞰できるような長編的な味わい。その意味で、統一的な視点を有する超越者がもし存在するとしたら、それは全体を俯瞰している楳図自身なのかもしれない。が、楳図は決してストレートに解答を与えてはくれない。安っぽいカタルシスとは無縁である。楳図がそうした超越者・絶対者をモチーフとして描き始めるのは、もうすこし後になってからのことである。

4 小学館で連載一本の時代

『おろち』連載中の1970年から、出版社は小学館をメインとし、たまに短編も執筆するが連載は常に一本にしぼるという創作体制にはいる。これは1995年に完結した『14歳』まで踏襲された。

それまで恐怖マンガ家として知られた楳図がギャク作品を描いたということで、『アゲイン』は衝撃的であったようである。社会派的視点での老人問題を根底に据えつつも、沢田元太郎と孫のまことらが大群をなして家となく町となく走りまくるというドタバタ劇であるが、楳図のギャグ・笑い好きは、もともとからであって、本作は決して突然変異ではない。

本作から派生したのが『まことちゃん』で、『少年サンデー』1976年16号から連載になるまで、先に8作品の短編を描いている。連載になって、日本中に爆発的な人気を博したのは、30歳以上の楳図ファンにはリアルタイムで知るところであろう。

笑いと恐怖という一見まったく異質なものに対しても、楳図の論理は認識論的である。楳図は「追っかければギャグ、追っかけられれば恐怖」と言う。

世の中の出来事は、それを見る立場で、怖いと感じるか、おかしいと感じるか、それだけのことだと思う。 恐怖の場合、追いかける者と、追われる者の、二通りがある。追われる側は、自分を傷つけるものに追われて、怖いと思うけど、追いかける方には、切迫した理由で追いかけてない限り、すごく楽しいんじゃないか。だから逃げてる人を見て、すべったりころんだりする様を笑うことができる。逃げながらぶつかったり、ころんだりするのを、おかしいと思うことができる。 だから、ギャグか恐怖かは、そこだけの違いだと思う。(『恐怖への招待』1988年)

立場・視点の変化によって物事の意味は変る。だからこそ、たとえば、クライマックスで元太郎が「これでもう若がえりのクスリはカラッケツじゃーい!!えいっ」と言って薬瓶を豪快に投げ割るのだが、本来元太郎と一緒になって高笑いすべきこのシーンも、生きることの一回性とでもいうか、読む者の心持ち一つで思わず涙がこぼれそうになったりもするのである。

『漂流教室』(1972〜74年)は、近未来を舞台に人類の危機を描いたSF超大作となった。しかし、SF的なシチュエイションのみに溺れるのではなく、子への母の(狂気と紙一重の)愛情、集団と個人、決して直接には届かない(簡単にカタルシスを得られない)思い、苛酷な現実、それらを常にぎりぎりの希望を持って乗り越えてゆこうとする子供たちを描いた作品として、少年マンガ史上の最高傑作の一つである(いや、「一つ」は削除)。

保護者たる親も先生もいない子供達が、ランドセルを背負ったまま互いに殺し合うその姿に、同年代の少年少女(私もだった)は戦慄したものである。しかし大人になって再読すると、荒廃した未来で再び生きてゆこうとするその姿勢に、最後の最後に残った明るい希望と健全で心優しいメッセージとを読みとることが出来る。高松翔たちは、たぶん今でも苛酷な現実の中に生きて、自分たちの未来を切り開いていっていることだろう。

なお、本作および『イアラ』等一連の作品により楳図は第20回小学館漫画賞を授賞する。

『漂流教室』が終って『まことちゃん』を描くまでの間、楳図は青年誌『ビッグコミック・オリジナル』でかなり高度な不条理マンガ『闇のアルバム』を描いた。1頁1コマ、扉も入れて8頁の8コママンガ。1年間の連載で全24話、各話完結。いや、完結しないのである。問題だけを突きつけて去ってゆく非情{クール}さ。しかも、ストーリーが不条理なだけではない。いつもの緻密なタッチで描きつつ、いつもより極度にデフォルメされた遠近感を持つ圧倒的なその絵は、読者にえぐるような不安をもたらす。これを見て笑ってられるやつは平和な幸せ者なのだが、しかし、認識論的に展開された楳図作品というものは読者によってどのようにでも読めてしまうのだから、まあ仕方が無いだろう。

*楳図かずおの存在論

多感な少女期の内的不安をサイコ・ホラーとして爆発させたのが『洗礼』(1974〜76年)である。物語後半で、母と同じように顔にアザが広がりはじめた上原さくらが、偏愛する谷川に言うセリフが有る。「わけなんてないのよ。だれだって子どもは親に似るしかないのよ。ただ、それだけよ」。親と言う刻印が自分の中に存在すること、『洗礼』はそれを恐怖として捉えた作品である。本作の冒頭に掲げられた「母親とは娘にとって何か?娘とは母親にとって何か?そして……母親は娘に何を与えたか?」という詩は、エピローグにおいて次のように変る。「神にとって人とは何か?人にとって神とは何か?そして……神は人に何を与えたか?」。神は自らに似せて人間を造ったが結局は調和しない他人同士だという楳図神学が、ここにある。これ以後の作品には、こうした「神」というモチーフが楳図作品の主要テーマになってゆく。それは時代と未来を見つめる目でもあった。

なお、サイコ・ホラーなどという言葉は当時はもちろん無い。楳図はこのジャンルでもパイオニアだったと思う。それで、実際に脳移植が行なわれていれば単なるホラーだが、行なわれなかったからこそサイコ・ホラーなのである。

1982年、『まことちゃん』の連載を打ち切り、創刊したての『ビッグコミック・スピリッツ』に楳図を迎え入れたのは『おろち』以来のウメズ番で、フクスケのモデルで、『サル漫』でブレイクした白井編集長である。呉智英が「80年代のあらゆるジャンルで最高傑作」とも激賞する、あの作品については別のコーナーで詳しく言及されるだろうから、ここでは二点に留める。一つ、「恋愛は罪である。その罰は大人になること」。視点の魔術師・楳図かずおは、物事を一面的には描かない。光には影が有る。「さとるとまりんは純粋で美しい」とか、ストレートに読まないほうが『わたしは真悟』はより豊饒である。シンゴの姿はある意味ケナゲではあるが、それは「怪獣ギョー」(1971年)のそれと同質なのである。二つ目、とにかく未読の人は読んだほうがよい!

『神の左手悪魔の右手』(1986〜1988年)は、当時流行ったスプラッター・ムービーへのカウンター・パンチだろうが、そのスプラッター性については今さら言うまでもない。ともかく本作は、「神か悪魔かは視点の問題」と考える認識論的立場から転回し、神と悪魔の同位体として存在論的に具現化した悪夢くんこと山の辺想の物語である。最終話「影亡者」は、楳図にはめずらしく霊魂モノを扱った作品だが、「あの世がこの世を支えている」式の心霊マンガや妖怪マンガではなかった。影亡者の向こうにまた影亡者がいる、というラストのどんでん返しは、超越的存在とは、単に唯一絶対ではなくつねに遡及的で終りが無いということを意味している(超越者を希求する発想それ自体が、遡及的に無限なものなのである)。

『14歳』(1990〜1995年)は、現在のところ直近の大作である。人間と動植物、大人と子供、それらの対立をのみこんで成立している生命体としての地球。それに対する地球外生物。地球の滅亡とそこからの脱出。しかし、外側の宇宙は、人間が支配していたつもりの動物と植物とによって作られていたものであったというラスト。

シンゴが作った毒のオモチャが吐き出す虹は、物語ラストでは地球全体にかかる虹になり、モンロー・シンゴのナレーションは地球の声だったことが最後にわかる。地球とは何か。全体とは、要素の総和ではなく、それを超えた次元にある。「全体が生み出した偶然」とは「バランス」の謂いであり、『真悟』における地球は、ある種の神的な存在と考えてもいいだろう。しかし、それは唯一絶対的な超越者ではなく、『左手右手』の無限遡及的で相対的な存在でしかなく、そして『14歳』の宇宙観のような、クラインの壺の如き、同じものの永遠なるくり返しと言っても良いかもしれない。

私は、楳図が最初に描いたという「まほうのつぼ」という作品がどんなものかは分からないが、その時にすでにこの天才は『14歳』の宇宙観を持っていたのではないか、と案外本気で思うのである。『別世界』や「吉野のあらし」で描いて以来の自然観は、こうした形へ発展してきたのである。そして、90年代の日本社会にはハルマゲドン待望論とかメサイア信仰が吹き荒れたが、この時期にあって楳図は、それらと異なる世界観を提示し時代と未来を冷静に見つめたのである。

5 自己作品化時代

1995年以後、楳図は新作を描いていない。長年の執筆による腱鞘炎で腕の具合いがお悪いことも理由の一つであろうが、最近のインタビューなどを読むに、楳図はたぶん、商業主義的で、消費されるだけのマンガ文化のあり方に批判的であり、作者の意向を無視して作品が消費されるのであるならば、むしろ作品は描かず、作者自身が「作品」として生産的に生きてゆきたい、という気持ちでいるようである。

現在のマンガ文化は一言でいうとキャラクター中心主義である(共犯者はメディアミックス的商業主義)。

*楳図かずおのキャラクター論

ストーリー作法としてのキャラクター主義(人物造型がしっかりしていれば、作者を離れ、自然にその人物は動き出す)は人間中心主義{ヒューマニズム}とも言えようが、他方、消費文化としてのキャラクター主義の場合、ストーリーは、キャラの立ったそいつの個別のシチュエイションにすぎず、読者にとっては傍観すべき対象であり、感情移入(自己化)されにくい。作品は、ストーリーの普遍性や思想として享受されず、ましてや絵の美しさや迫力、コマ割りの独自な方法論などとしては決して享受されない。作品全体はマスコットとしてのキャラクターに集約され、そのキャラクターが個人の所有物して消費されていくのである。複雑なものを複雑なまま受け入れるのではなく、キャラクターというモデル化によって単純化して享受・理解されると言ってもいい。

そもそも楳図は、キャラクター主義的方法論で作品を作って来なかった。そういう発想から無縁のところに常に楳図はいた。楳図にとって登場人物とは、人物が先に存在して彼らが世界やストーリーを作ってゆくのではなく、対立する複数の価値観などの網の目として世界がまずあり、その結節点に立ち現れてくる存在なのである。

だから、「猫目小僧もおろちもキャラが立ってるじゃん」とか思うのは楳図ファンの欲目だろう。ふつーのマンガ家なら、我慢できずにもっと直接に活躍させちまう。楳図は、わざとしないのである。

楳図なりのキャラクターのスターシステムは、あるにはある。チュー子が科特隊のイデ隊員だったり、かつての少年探偵が岬一郎総理大臣になったり、猿飛博士が「ママがこわい」でカエルを捕まえていたり、高松翔を踏み越えそこねて泥沼の東京湾に名も無く沈んでゆく同級生が『映像〈かげ〉』の若殿ちゃんだったり、貸本マンガ時代の4コマキャラのモン太君が聖秀幼稚園でもうめ組の園児だったり。しかし、彼らは脇役だったし、家族的・世界観的に展開(これも少年マンガのお約束)も、楳図はしなかった。

いや、一度だけした。『まことちゃん』である。楳図がその手法を使えば、商業的な大ヒットなんてほんの朝飯前なのだ。もし、タマミちゃんでこれをやれば、やっぱり大ヒットするだろう(ちょっと読んでみたい気も)。しかし、キャラクター中心主義的な手法をつかったとしても、それを垂れ流しになどせず、その一歩手前で踏みとどまる冷徹さが、楳図にはある。

私はタマミの似顔絵が『少女フレンド』のお便りコーナーにどれだけ載ったかまだ確かめたことはないが、少なくとも『少年サンデー』に毎回のように載っていた沢田まことの似顔絵で完璧に似てるものなどは見たためしがなかった。一般に楳図のキャラは、真似て描くのが難しいのである。そして、シチュエイションに応じて描き分けられるその表情の描写は、それなりにデフォルメこそされるが、いわゆるマンガ的・記号的なものではないと来てるから、沢田まことの模写などは読者はもとよりプロのマンガ家でさえ、つまり楳図以外にはほとんど困難である。全然似てなくてもそれとしか見えないニャロメやゴルゴやピカチューと較べて、楳図キャラのなんと孤高{クール}なことよ。

加えて、人物造型的にも沢田まことは、案外よくワカラナイ人間である。良い子なのか悪い子なのか、かわいいのかきたないのか。無邪気なだけか、世界の孤独を知ってしまったのか。私はまことちゃんが単純にすごく好きだが、たとえ携帯ストラップのマスコットとして持ち歩いていたとしても、私の所有物として消費しきれるような存在ではないのである。

一言で無理矢理まとめれば、純粋で面白い永遠の子供(恋をしない)という感じか。でも、これでは何も言ったことにはならないな。

今、グワシハンドをもって登場される楳図先生のお姿をテレビで見るたびに、楳図ファンとして嬉しくてもうニッコニコ状態にはなるが、それでもいつも、一緒に出演している人たちに対して言いたくなるのである。「おいおい、楳図先生は、あんたが思ってるような、そんな人ではないのだよ」と。だからと言って、私が楳図のなにかをワカッテイルというわけでもない。そこにあるのは、沢田まことが私の腕からすり抜けてゆく感覚である。楳図かずおは、決して消費しつくされることはないからである。

(2002-10-25)


 




別冊宝島『楳図かずお大研究』(宝島社・2002)
定価:本体1324円+税
ISBN:4-7966-2830-4
2002年7月25日発売
2002年10月25日公開
(発売からけっこう経ったので、公開します。画像は省きました)



(c)高橋明彦


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