dialogue.umezu.半魚文庫

ウメズ・ダイアローグ(2)

楳図/ヘビ・シリーズ


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樫原かずみと高橋半魚の楳図対談です。この対談は、メールによって行なわれました。

今回は、たのしく脱線気味(笑)。

対談期間: 2000-02-15〜03-15
TEXT 2000(C)KASHIHARA Kazumi / TAKAHASHI hangyo
IMAGE (C)UMEZU kazuo 1971/ (C)KOGA Shinichi 1977


◆ はじめに

半魚 今回第二弾は、「へびモノ」と称して、楳図作品のうちのヘビ作品全体を捉えてみたいとおもいます。

樫原 これなら、大抵のヒトなら「ああ、ヘビ少女ね!」と興味を持って読んでくれそうですねー。

半魚 しっかし、おおきなテーマ設定をしてしまったなあ、と少々後悔もしていますよ(笑)。資料的にも、まだまだ全然揃ってないところなので、僕自身は、すっごく不安なんです、あはは。

樫原 でも、数えるとそれほど多く描いてないような気もしますよね。

半魚 そうなんですよねえ。「楳図=ヘビ」みたいな図式があるわりには、ねぇ。

樫原 それだけ、強烈な印象を読者に与えているんでしょうねえ。

半魚 そういうことですね(笑)。

楳図のヘビ全般について考え始めると、たぶん物凄い根気が要ると思うのですけど、で、それじゃあ、大変すぎますから、ともかく気楽に、おいしいとこ採りでやろうかなーっと、思うことにしました。あとは、樫原さんまかせです。

◆ 楳図の自注

半魚 秋田漫画文庫『怪』(1978年刊)第3巻の楳図の「あとがき」で、「へび少女の怪」に触れて、次のような自注があります。

――ヘビ少女の怪――
多分、多くの方々に知っていただくことになった"へび少女"です。
「怪」に収録することになり、広く男性女性を問わず読んで頂きたいと願い、"ヘビ少女の怪"とし、いくぶん少女っぽい雰囲気をおさえることにしました。
蛇に関する作品は、つなぎ合せると一本のシリーズになるくらい本数があり、しかもうまくつなぎ合わさっています。
昔、単行本に描いていたもので、皆さんの目にあまりふれてないものを全部合せて順にかいていくと……

  1. 、"口が耳までさける時"
  2. 、"へびおばさん"
  3. 、"ママがこわい"
  4. 、"まだらの少女"
  5. 、"へび少女"
  6. 、"うろこの顔"
  7. 、"蛇娘と白髪魔"
  8. 、"蛇"

……とこれだけ続きます。単行本に収録されてないものも、いずれまとめてみたいと思っております。
とまあ、

とりあえずこういう作品群が、今回の対象です。

あらすじなんかは、最初に紹介する必要は……、ないですよね(笑)。ほんとは、作品毎に、登場人物名とか役割とかストーリー展開とか結末とかを一覧表とかを作るんですけどね、いわゆるふるい国文学者(笑)だと。

樫原 大変な作業になってしまいますよねー、そうすると・・・。でも、見比べて見たい気も・・・。(笑)

半魚 ブタもおだてていただくと、春休みにでも作るかも(笑)。

樫原 いやー、半魚さんなら何があっても作ってくださいますよ(笑)。「人食い不動」の鬼丸さまのような方ですもの!

半魚 ひょえー、カッチョいいーッ。では、樫原さんはさしずめ、「わび助」ですか。

樫原 それ、どんなヤツでしたっけ?(笑)

半魚 イアイア、イアラの。やたら意志の強い土麿や土達より、僕は一番好きですよ。

樫原 いかん、忘れとるばい!やっぱ買おうかなあ・・・。

半魚 ふつうなら、「買ってくださいよ〜」とか言うべきところですけど、基本的な部分は樫原さんの脳裏に焼き付いてらっしゃるようですからねえ。

樫原 いえいえ、やはり買う方向に走ってマス・・・。ネット通販で買うだろうなあ。

半魚 案外、売ってますね。

樫原 地方探せば・・・格安でないかな?

◆ 初出と所収

半魚 最初に、これらの作品について、初出や所収をまとめておきます。所収は、貸本系単行本などまだ完璧ではないですが、詳しくは「作品目録」をみて頂くこととして、簡単に書くことにします。

なお、対談にあたっては、それぞれが依拠したテキストを明確にすべきなのですが、ほんとに、楳図作品は、佐藤プロ本、朝日ソノラマ、秋田書店、小学館と、かなり広く所収されているので、ここはまあ、僕等がそれぞれに持ってる本で、テキトーに、つうことにしましょう(笑)。

それから、初出に関しては、ほとんど資料はありません、とほほ。

作品 初出 所収
佐藤プロ 講談社 集英社 秋田書店 朝日ソノラマ 小学館
口が耳までさける時 1960 虹 29 AC『鬼姫』 「こわい本」
へびおばさん 1964 花 1〜7 単行本 AC『黒い猫面』 「こわい本」
ママがこわい 1965 フレンド
32〜36
? ? 『まだらの少女』 デーコミ『まだらの恐怖』 『恐怖劇場』
まだらの少女 1965 フレンド
37〜45
単行本 『なかよし』附録 『まだらの少女』 デーコミ『まだらの恐怖』 『恐怖劇場』
へび少女 1966 フレンド
11〜25
単行本 『なかよし』附録 デーコミ『怪』 『恐怖劇場』
うろこの顔 1968 フレンド
9〜23
サンコミ、ハロ少女
蛇娘と白髪魔 1968 ティーンルック AC『恐怖』 「こわい本」
1975 サンデー AC『恐怖』 『洗礼』『恐怖劇場』

半魚 さっきの楳図の自注は1978年時のものですが、その後、基本的にへびモノは、これら以外に描かれていませんよね。それと、最後の「蛇」を除いて、みな1960年代に集中的に発表してますね。

樫原 いやー、しかしここまでよく調べられましたねー。感心します(笑)。

半魚 とんでもない(笑)。このテードで、ホメ合っていてはいけません(笑)。

樫原 ところで

「闇のアルバム」の「蛇」

はこれには含まれない・・・んですよね(笑)。

半魚 あー、あったあった(笑)。じゃあ、含みましょう。

『猫目小僧』の「約束」

とかも。

樫原 あ、すみません・・・「約束」ってヘビものなんでしたっけ?内容忘れちゃった〜(笑)。

半魚 これはまさに「パパがこわい」ですよね(笑)。「ママがこわい」は、継母とかとっかえ母だけど、「約束」はパパ自体がヘビだった……というような、設定的には窮極ですよ。

樫原 これは、もう一度見てみます。忘れてる・・・オレ・・・。というか、これ見たことないです(笑)。いっくら考えても内容が思い出せないはずです。

半魚 初出所収誌、コピーして送りましょうか。去年買いましたが、結構、ラクに見つかりました。

樫原 うわ!そうしていただけるのならぜひ見てみたいです。僕も何かお返ししなきゃあなあ・・・。

半魚 いえいえ、ぜんぜん(笑)。対談していただいてるだけで嬉しいです。って、だったら返事遅れるなって(ペコ)。

樫原 

拙作「ロッカー室」

を送りたいと思っています。(あまり欲しくもないでしょうけど・・・苦笑)

半魚 いえいえ、ぜひお願いします。「イジメ」問題なんかも、まさに現代的な心理恐怖の一つですし。

樫原 ああ、ウソでもうれしいです。ありがとうございます。

半魚 ひとをウソツキよばわりするなー(笑)。

樫原 すみません(笑)。

◆ 猫目小僧『約束』

半魚 (ここで、郵送した)

樫原 「約束」・・・魅入ってしまいましたー(笑)。初めて見ましたよー、これ。感動です。

あのヘビ男の「目」まん丸ですげーかわいー

と思いました。

半魚 (ふつ〜、思いません。(心の声、笑))

樫原 やたらと表情がないワリには、妙な存在感のあるヘビ男!ああ、好き!!猫目が包丁で眉間を叩くときなど、あの固さが伝わってきます。

半魚 そうですね、固いですね、あれ。

樫原 あの頃の楳図かずおの「線」ってやたら細くありませんか?

半魚 かなり細くなってますよね。かなり、現代風な感じがします。

樫原 もしかしたら、楳図キャラでいちばん好きかもしれなくなりました。あの丸い目で舌を「シャー」と出す顔がすごくいいです!しかも、この作品は解釈の仕方がすごくありそうで興味ある内容です。

半魚 では、これもおいおい。

樫原 しかし、あれはパラドックスを描いてみたかったのでしょうかねえ?実はかわいいあまりに食べてしまいたいという、愛情から・・・

半魚 んー。まあ、気軽に口約束をしてしまってヘビが本気にする……という、「ヘビ婿」説話の基本バリエーションではありますね。

樫原 猫目小僧はあんまり活躍しませんでしたね。ナタ(?)でパックリと頭を殴るくらいしか・・・。

◆ やっぱり『うろこの顔』か?

半魚 樫原さんは、ヘビものの中では、どれが一番好きですか。

樫原 僕は個人的には「サンコミックス」版の「うろこの顔」ですかねえ。

半魚 あっ、そうですか。なーんだ、僕もです。ハナっから一致してしまいましたね(笑)。

樫原 半魚さんも、ですか?あの頃の絵柄がやっぱイチバンですよねー。

半魚 ほんとは、立場的には「ノスタルジックにならないように」というつもりですから、「80年以降や90年代以降のほうがいい」と言いたいんですけど、内心は、やっぱこの時期が……(笑)。

樫原 楳図本人もいちばん好きなトキではなかったでしょうか?ノって描いてるような風がありますからねえ。

半魚 30代前半ですよね、だいたい。

樫原 ああ、そうなんですよねー。アブラが乗り切った状態だったんだなー。

エマニエル夫人然としていすに座ってる

うろこの顔と、楳図魔子と陽子(?)ちゃんの表情!サイコーですね。

半魚 なるほど、エマニエル夫人か(笑)。納得なっとく、です。で、ぼくも楳図魔子のファンですよ。手塚嫌いの楳図先生は、御自分でベレー帽をかぶらない分、魔子ちゃんにかぶらせてますからね。その点でも、意味深なキャラクターですよ。

樫原 ああ、あれはそういう意味があったんですか?

半魚 いやあ、そーとしか、考えらんないでしょう(笑)。

樫原 なるほど・・・。しかし楳図先生ご本人も登場してるわりには、後ろ姿で残念ですよねえ。

半魚 いやあ、魔子ちゃんが前面に出て、兄が後ろ姿だけで、しかも怪談なんか実は全然信じてない、なんてあたりが心憎いっすよ(笑)。

樫原 そうそう、いやにクールなんですよねー。「地球最後の日」では正面切ってハチマキまでして登場してんのに・・・。

半魚 あ、ほんとだ。結構昔から、楳図は出演するのですよね。佐藤プロの貸本のものにも出てるのがありました。後になれば、そっか、『まことちゃん』では、でずっぱりですね。

樫原 あの頃から、壊れ始めたのかも・・。

半魚 あははは。でも、壊れた感じを大切にするギャグのセンスは、結構昔から顕在してたのでは?などとも最近思うようになってきました。

樫原 楳図かずおはツボをうまく押さえますよね(笑)。

半魚 マッチョメ体操で、肩こり無し。冗談はともかく、話をもどしますと。

樫原 僕は子供心(っつても中坊)に「魔子」なんてかわいそうな名前だなー、と同情しておりました(笑)。

半魚 いい名前じゃないですか。緑魔子みたいだな、とは思いましたが。ただ、僕は、ハタチ過ぎで読んだんですけど。

樫原 あれは、やっぱ意識してますかねえ?似てるといえば似てるんですよねえ、「緑魔子」・・・。

半魚 いえいえ、こちらが勝ってに「似てるかなあ」と思っただけで。貧困な連想です。「緑魔子」ほどには、気色悪くはないですし(笑)。

樫原 あはは!「緑魔子」かわいそう!

半魚 ともかく、楳図かずおには魔子という妹がいた、という設定。

樫原 半分事実なのかと思ってたのかも・・・。

半魚 そういう、美しき誤解が楳図伝説を産み出してゆくのですね(笑)。「ローソクの火でマンガ描いてる」とか。

樫原 ははは!棺桶に入って描いてるなんてのもありましたよねー。

半魚 あ、そうですか。それ知らんかった。

樫原 僕も知りません(笑)。

半魚 おーい、じゃあどっちなんすか(笑)。カンオケ、入ってたの?入ってないの?(笑)

樫原 すみません・・・そういう話があった記憶だけで・・・。詳しくは・・・(しどろもどろ)

半魚 あははは。

◆ 楳図のタイプB

半魚 それはともかく、戻りましょう。アブラの乗切った時代、でしたね。

樫原 あ、内容的には似た雰囲気のいわゆるリメイク的作品もあり、その判断とかで面白さが判別されるとは思うんですが、「ヘビおばさん」はそのまま「紅グモ」にいってるし、

半魚 ふむふむ。

樫原 「口が耳までさけるとき」は「へび少女」の原型版みたいなもので

半魚 うんうん。

樫原 「蛇娘と白髪魔」にいたっては、「赤んぼう少女」ベースの「ママがこわい」「紅グモ」、ラストは「ミイラ先生」、というごった煮状態の作品ですよね。

半魚 なーるほどねえ。

樫原 「絵」的には「うろこの顔」の頃が最盛期の「絵」でその緻密な描写は目を見張るものがありますよねー。

半魚 そうなんですよね。この時期と『恐怖』シリーズや『ティーンルック』あたりが、なんか最盛期っていうか、ブレイク前の一番美味しい時期っていうか、そういう気がしますよ。

樫原 そうそう、[あかんぼう少女」「影姫」「映像(かげ)」「うろこの顔」といったタイプBの「目」ですよね。(タイプB?)

半魚 んん?では、タイプAは、「ヘビ少女」など?

樫原 はい!「紅グモ」「ヘビ少女」「ねこ目の少女」「黒い猫面」などの下マツゲなしのお人形さんのような顔!

半魚 なるほど、マツゲで見るんですね。

樫原 そうですね。主人公の描き方ですね。変化してるといえば、「目」と「背景」くらいだと思うのですが・・・。

AとBの間に「ミイラ先生」「ロマンスの薬あげます」などのなんかセンスないというのが入り、

半魚 「なんかセンスない」……(笑)。

樫原 んー、ないワケではないんですが、「あかんぼう少女」の頃からロマンスもうまい具合に取り入れたりしてるものだから・・・。

半魚 ふむ。

樫原 Bタイプがイチバン際だった頃の作品群ですね。

それからCタイプで「イアラ」「おろち」「洗礼」といった今に近い描き方に僕は分類しているのです。

半魚 なるほど。ぼくは、「ティーンルック」作品は、Cともちょっと違う印象を受けるのですけど、どうですか。Bダッシュというか。

樫原 そうですねー、細かい分類だとそうなりますねー(笑)。

半魚 細かい分類の基準や方法を期待してますよ。

で、『うろこの顔』の話でしたっけ。

樫原 単に怖いというだけではなく、その裏にある女の子の妬みや美に対する執着心があらわに描き出されてて、好きな作品です。

半魚 そうですね。『うろこの顔』については、もうちょっと後で、またくわーしく掘り下げましょう。たのしみ(笑)。

樫原 はは、はい。

◆ 『ママがこわい』/『まだらの少女』

半魚 さて、一作品づつ年代順に……というのが、一番オーソドックスなんですが、能も無いし、結構それも大変そうだし、(もうだいぶあちこち行ってますし)、突然「まだらの恐怖」(「ママがこわい/まだらの少女」)から、行かしてもらいます。

樫原 ははは、まあ無難なトコでしょうねえ。

半魚 秋田書店サンデーコミックス(『まだらの恐怖』)だと、カバーの袖に作者の言葉が有るのですよね。このデーコミなんかは何時でも(今でも)手に入るから、あまり有り難がられないだろうけど、でもこの「作者の言葉」よくよく読むと、凄いですよ。

多くの中には、恐怖・怪奇ストーリーを、まったくわからないパターンを持つ人がいる。
だが、怪談に属するこれらは、すべて自然界に対する人々の謙きょな恐れから出発すると説明すれば、少なくとも今、何に対して恐れをいだかなければならないかを知ることができるのではないだろうか?
まだらの恐怖は、わたしの最大に好きなドラマです。
もう、

悪文の典型的見本みたいな文章

ですけど(笑)、推敲もせずにそのまま載っけてしまう秋田書店て、えらいなあ。

それはともかく、要旨は「恐怖とは、自然に対する恐れであり、かつ人間は自然への恐れを持たねばならない」てな事ですよね(なんか要旨も悪文)。まさに、

樫原流の「山の魔」説ですね。

樫原 いやあ(照)。ここでいう「自然」とは生まれながらに「ヘビ」として生まれたあのおばさんをさしているのでしょうか?なんか、すごい論説ですね。

半魚 まあ誰かを指してる、というよりは、思いの丈をぶつけたまま、みたいな荒っぽさがありますけどね。でもまあ、たしかに、スゴイ論説なことだけは確かです(笑)。

樫原 この作品は「ママがこわい」とその続編「まだらの少女」を合併して「まだらの恐怖」として刊行しているのですよねえ。

半魚 そうですね。

樫原 この「ママがこわい」では楳図かずおは珍しいコマなしのいわゆる「少女マンガ」にありがちなコマを何箇所か描いてますねえ。

半魚 ワク線無しってことですね。ほんとですね、気付かなかった。少女雑誌ってことを意識してですかね。

樫原 この辺の謎はぜひご本人に確かめたいトコなんですよねー。「恐怖劇場」版ではコマに納めてましたねえ。

小学館・恐怖劇場 | 秋田書店デーコミ

半魚 あ、ほんとだ。そうですねえ。それに最初のほうの「北の病棟だといったわ」ってセリフのあるコマ、「精神科」って札が不自然に消されてますね(笑)。

樫原 「き○○い」という言葉は見事に削除してますよねえ。「紅グモ」でも昔のは「おとうさんがクモき○○いだからよ」が「おとうさんがクモマニアだからよ」はイけてる!と思いました。

半魚 イケてます。おとうさん、みょうにオタクな感じになりました(笑)。

樫原 この話は「紅グモ」がテーマとして挙げられたらば、心ゆくまでお話しいたしましょう(笑)(言いたいことすんごくあるんですが、また脱線しそうなので・・・)

半魚 じゃあ、3回目は『紅グモ』ですかね(笑)。

樫原 (笑)。半魚さんにおまかせします。

半魚 うーむ(笑)。対談は片道キップだから……。

樫原 ははは!

それから、「デーコミ」では弓子さんがヘビ女の想像図を描いているのですが、「恐怖劇場」では消されてるんですよねー。僕はあの何気ないユーモア好きだったんだけどなあ・・・。

半魚 そうそう。これ、なんで削除したんですかねえ。ほんとユーモラスでいいんですけどねえ。

樫原 もったいないですよねー(笑)。猿飛少年も、運送屋のおにいちゃんも顔、描きかえてるし・・・。

半魚 ああ、そうですね。

樫原 いい味出してる、ギャグ系のモノを全て排除してますよねえ。

半魚 楳図先生御本人の意図なんですかね。そもそも『恐怖劇場』なんてネーミングも安易だし、「もっと怖く描き直してくださいよお」などと編集サイドで言ったような感じだなあ、と僕なんか勝手に思ってしまいます。

樫原 あっ、そうかもしれませんね。コミカルなのは修正してください!なんて言われてしぶしぶ描き変えたのかも・・・。うーん、それも不本意な感じだなー!

半魚 作家楳図先生は、小学館の不本意の生産物ですよ(笑)。もう、許せん(笑)。

樫原 あそこまでして、描きかえる必要は絶対ないですよね。どうせなら、新しく描けばいいのに、と思いません?読者もそれを期待すると思いますけどねー。

あ、「ママがこわい」の話題に戻ります。そして、冒頭の個所の書き込み方は、すごい熱の入れようで、この作品に対する熱意が伝わってきます。

1頁の半分を使い「ヘビ女」のアップを挿入するシーン!

カエルの絵を見て「グググッ」というトコ

ですねー(笑)いやあ、美しいおばさんがあんなになるんだから当時の女の子が失神するはずですよねー。

半魚 この絵はデーコミも恐怖劇場も同じですけど、口の裂け具合いの描き方は、ちょっとエロいっすよ(笑)。

樫原 そう、見たか・・・。僕は「半魚人」同様トラウマになりそうなほどイヤなシーンです・・・。

半魚 このコマも、今良く見ると、デーコミの段階で、切貼りの補筆みたいですねえ。気付かなかった。まあ、あんまり言いたくないけど(笑)、この辺の少女モノは、リアルタイムで読んではいなくて、とほほ。

樫原 え?そうですか?気づかなかった・・・。

(たしか、公園あたりで弓子を追いかけるおかあさん)裂けまくった口と、あの「目」、そして陰影のすばらしさ。

半魚 あの追いかけシーンは、スリルありますね。公園での陰影は、デーコミと恐怖劇場とで、違いますね。恐怖劇場でちょっと補筆してますね。

樫原 あ、そうそうかなり影をつけてダークにしてますね。

半魚 たしかに、どっちが良いかと言われれば、補筆してあるから必ずしもよくなってるとは言い難い気もしてきます。

樫原 かえって「あざとさ」が目立ってるって言うか・・・。やらなくても立派に美しい絵だと、僕は思うんですけどねえ。

半魚 そういう点は、言えますね。前のままで、ナニが不満なのかいまいち分かりませんよね。補筆して、キャラクターと背景のギャップも目についてしまうし。

樫原 そうそう(笑)。見る人が見たら「おみっちゃんが今夜もやってくる」のような錯覚を受けかねませんよねえ。

半魚 「おみちゃん……」、私らの中では、なんか最悪のパターンみたいな評価になりつつありますね(笑)。おみつ、可哀相(笑)。

樫原 決して悪い作品ではないんですがねえ(笑)。

半魚 ほんと、すごい作品ですよ。

樫原 (笑)。ここまで話題に乗るってことは名作ですね!

半魚 ともかく名作です。

◆ ヘビ少女ごっこをしてた……

樫原 これで、かなり教育委員会からは、とやかく言われたのではないでしょうか?

半魚 あはは。とか笑いながらも、僕は楳図の弾劾史にはあんまり詳しくないのですけど。

樫原 僕も、そういえば現役のはずなのにあまり詳しくないなあ・・・。それほど情報的には氾濫してなかったんでしょうかねえ。

半魚 ただまあ、みんなキャーキャー言いながら読んでたわけですね。

樫原 僕は、いつもネタにして「ヘビ少女」ごっことか、「あかんぼう少女」ごっこしてました(笑)。今日はおまえがさつきとカンナでおまえが洋子だっ!みたいな(笑)。

半魚 かなり危険な子供たち(笑)。教育委員会も、それじゃあ黙ってませんね。

樫原 (爆笑)。全国の子供で同じようなコトやってたのがいるかも・・・。

半魚 そのまま成長してれば、日本はもっといい国になってたでしょうにね。

樫原 はははは!なってない!なってない!

半魚 さて、では、それはともかく。

樫原 確かに当時の女の子が見たら発狂(?)しそうなほど怖い絵ですよねー。

半魚 こわいこわい。オーソドックスな展開なのでしょうけど、ともかく弓子じたいが、「へび女の化けの皮をはがしてやる」、などと挑戦的な女の子だから、始末に追えませんよ。「おいおい、もっとおとなしくしてろって」って、言いたくなる。読者は、「きゃー、弓子さん、やめて!」って感じだと思いますよ。

樫原 (爆)。当時はこの「怖い少女マンガ」を読むために男の子も読んでいたんですよね(かくいう私もそうでした)とにかく、ビンボーだった僕は、姉が友達から借りてくるんです。んで、姉の目を盗んで「楳図かずお」のとこだけ何回も読んでは恐怖におののいていました。もう続きになると来週が気になって気になってどうしょうもなかったですねー。(思い出にひたる樫原)

半魚 僕も姉がほしかった(笑)。でも、小さい頃は極度のこわがりだったからなあ。

樫原 僕も、そうだったんですよー、でも「怖いもの見たさ」の心理ってのは確かにありますねー。だから見てたんだと思います(笑)。

半魚 いや、そういうのは僕にすれば、それじゃぜんぜん怖がりじゃない人ですよ(笑)。僕なんか、『少年サンデー』だったかなあ、それらなんかも後のほうは開かないようにしてました。秋田の『怪』の宣伝が入ってて、人面瘡のカットがあったから。「うわー、おっかねえ」なんて言いながら見てる弟の気が知れませんでしたよ。

樫原 ははは、ホントに「怖がり」だったんですねえ?

ところで、口内炎ってありますでしょ?あれ、自分の舌でたまーに触ってみたりしません?「あ、少し治ってきたかなー」なんて。僕、怖いもの見たさってこれに似てるトコあるって思うんですよねー。

半魚 いやー。そういう、直ってるかどうか気になってしまって、傷口を開いたり見たり触ったり(して傷が悪化)するのは平気なんですよ。子供の頃は、単純に幽霊とか暗闇とか異形の者とかが恐かったです。僕は、小学4年の時、なんで赤ちゃんは生まれるのかってことを近所の上級生に無理矢理聞かされて以来、人間のほうが恐いと思い、心理的恐怖に移って行ったのです。

樫原 おお!トラウマですね。しかも「性」に関する・・・。

半魚 あはは、トラウマは大袈裟です。もう完全に直ってますから(笑)。

樫原 僕は今だに怖い・・・(笑)。

半魚 あはは。

樫原 僕はといえば、テレビで怖いものをやるといえば、怖いシーンのトコは目をつぶってるくせに薄目をあけて見てるような、まさに怖いものみたさだけの子供でした(笑)。

半魚 ぼくはどっちだったかなあ。どちらかというと、へーきな顔して見ている強がりなのですが、後で思い出してとてつもなく怖くなる、という……。夢でうなされたりとか。

樫原 好奇心丸出しの樫原に平然と見ている半魚さんかー(笑)。

半魚 ははは。そんな平然とでもないです。

樫原 ヘビ男のように・・・。(すみません)

半魚 わはは、無機質に(笑)。そっか、平然というよりは、単に止ってるだけかも知れませんね。話もどしますか(笑)。

◆ 大器の弓子さん

樫原 かわいそうな弓子は助かったと思いきや、「へび女」の逆恨みを一心に受け新たなる恐怖へと展開するのですねー。

半魚 そうそう、おかあさんに化けていたへび女は、多鱗症という「超堂体質(ちょうどうたいしつ)」によって、自分がヘビだと思い込む病気だったのですね。

この「超堂体質」って、なーんだろうなあ、

とずっと思ってましたが、恐怖劇場では「超常体質(ちょうじょうたいしつ)」とありました(笑)。

樫原 あ、そうなんですか?僕その辺全然気にしないで読んでました(笑)。ああいうところも、大人の男がそれらしく解説してますよねえ、「洗礼」と一緒!少女まんが版楳図作品の定例的なものですね。

半魚 あの、したり顔に講釈する大人には、ちと違和感も、なくもないです。と、谷川先生嫌いの弁でした(笑)。

樫原 まあまあ!半魚さんにはこの話題フると、怒りが出そうだから・・・あんまり刺激するのはやめましょう・・・。

半魚 あははは。ああいう、立派な兄的存在ってのが、嫌いなんだなあ(笑)。

樫原 まあまあ・・・どうどう・・・(笑)。

半魚 ひひーん。まあ、それは兎も角。

樫原 それを、さらりと

「こわかったけど、もういいの。おかあさんが帰ってきたんですもの」とかわす弓子さん。大物の器ですね。

半魚 あはは、大物か。まあ、その弓子のおおらかさは、少女マンガていうか、当時のマンガのおおらかさでもあるでしょうけど、普遍的に「女のずぶとさ」を描いている、とも言えますねえ。

樫原 (爆)言いえて妙!

半魚 これが一番、心理的恐怖かもしれませんね。(なんか楳図作品、コケにしてる?)。

樫原 いやいや、これがひいては「美しさにこだわったためのなれの果て」に続く「洗礼」などに踏襲されているのかも・・・。

半魚 こういう形で捉えてゆくのは、重要な指摘かも知れませんねえ。

樫原 なんだか、楳図かずおのテーマがひとつに固まってゆくような・・・。

半魚 ふむふむ、それがこの対談のいいとこですね(笑)。それはともかく……。

樫原 「ママがこわい」は序盤にすぎなかった!ということでしょうか?

半魚 「ママがこわい」で、一旦は「解決!」って感じになってるんですよね。ところが、そうでない。こういう、「一件落着と思わせて」という手法は、楳図先生は大好きですね。

で、「弓子……今に見ておいで……」という逆恨み(笑)。

樫原 第2部ってカンジですよね(笑)。

そして、「まだらの少女」に続くわけですが、おそらく他の類似作品を当時描かれてるマンガ家の先生方もこれの亜流として作られてる方が多いのではないでしょうか?

半魚 ふむふむ。

◆ 『まだらの少女』のエッセンス

樫原 それほどまでにこの「まだらの少女」は基本を作った作品だと思えます。

まず

1.「田舎」が舞台。

都会にはめったにヘビなんていませんからね。

半魚 なるほど。そういや、精神病院とかから始っている物語なのに、結局、田舎に舞台が移ってますね。

「美土路(みどろ)村」、字面は奇麗なのに、いやーなネーミングです(笑)。

樫原 長野県なんですよねえ・・・ホントにあるんですか?

半魚 あーいや、「奈良県吉野郡」って書いてありますよ。楳図の地元ですか。

楳図かずおの奈良趣味(補説 : 2002-04-15 )

地図はマピオンのものに手を加えた
位置 地名
A3 高野山 1936年9月3日、高野山に生まれる。
C2 曽爾村 生後、しばらく曽爾村で暮らした。
B2 五条市(岡口) 七歳の時、五条市に引越しする。JR和歌山線五条駅のすぐ北側の岡口に楳図の実家がある。上京する1963年26歳までここに住む。
B2 吉野町 「吉野のあらし」
『偶然を呼ぶ手紙』
六田の砦や村上義光の墓などがある。吉野(南奈良)の人は、とうぜん南朝びいき。楠正行の辞世歌「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」は、『吉野のあらし』の裏テーマだし、『偶然を呼ぶ手紙』にも架空の「美空郡山中町」として、この歌と正行討死の如意輪寺が見える。
A3 野迫川村 「まだらの少女」 「野追川」は誤字。
奥吉野 やまびこ姉妹さつきとかんなの住所
C3 川上村
C3 大峰山 『猫目小僧』 「妖怪水まねき」で描かれる、猫目小僧が生れた場所。大峰連山は、北部を金峯山(きんぶせん)といい、南部を大峰山というが、その大峰山の中心が山上ヶ岳。役行者開山の修験道根本道場。また、母多由をみつけた吉野義一は吉野郡高市町に住む。高市町ってのがよくわからないが、下市町(B2)のことじゃないのかな。あと、「妖怪肉玉」では五条市が舞台で、桜木家の先祖が肉玉を見たのが金剛山(A2)。それと、「大台の一本足」は「大台ヶ原」(C3)
B2 桜井市 「吉野のあらし」
「母よぶこえ」
倭迹々日百襲姫(やまとととひももそひめ)の墓といわれる箸墓がある。この百襲姫が卑弥呼のことだと言われたりするが、これらの初期作品で卑弥呼が何度か出てくる。奈良県人は、とうぜん邪馬臺国は大和説。
B1 奈良市 「イアラ」
『漂流教室』
東大寺の大仏がある。また、大和小学校の大和は、日本ってよりは、奈良の大和じゃないかなー、って気がしてきた。これら、楳図の奈良趣味が基調になっているだろう。
ほかにもあるでしょうが、とりあえず。また追加します。




樫原 あ、あれ?おやまあ、「恐怖劇場」では「美土路村は長野の山奥にある小さな村です」となってます。「デーコミ」は奈良県吉野郡なんですねー。

半魚 あらら。そうですねえ、「長野」ですね。この変更、意味不明ですね。「精神病院」が山梨に在る、ってことで近隣県にしたんですかねえ。でも、トランクに入って旅するだけですから、どこでもよさそうですけどねえ。

樫原 ああ、そうか!「山梨県」というのがあったんですねえ。納得!

半魚 いやいや、僕は納得しませんよ。

樫原 ははは、そうですか?「ミドロ」と「マダラ」は同じ韻を踏んでますねえ。わざとかな?

半魚 ははーん、なるほど。子音が同じだ(笑)。これは重要な指摘ですよ。

樫原 そうですか?(笑)大発見かな?

半魚 はい、大発見。

樫原 次に、

2.徐々に変貌してゆく美少女の顔

(この過程が基本中の基本ですね)

半魚 ほんとほんと。

樫原 それから、僕が感心するのは

弓子と京子の「目」の描き分け

なんですよ。ちょっと意地の悪そうな京子の目。すばらしい画力だと思います。「へび少女」でも洋子さんの目は少し黒めを大きめに描いて見事に描き分けてますよねえ・・・。いや基本中の基本ですけどねえ、やっぱうまい!と思います。

半魚 なるほど。こういう、ふつう(?)の、可愛らしい女の子を描くための典型的な少女マンガの作画法の中で、恐い顔を造型してくってのも、なかなか難しいのでしょうね。

樫原 当時は黒目がちを、少し白目がちにすれば、「ははーん、こいつは何かが憑いたな!」と判断できたんですよねえ。「変身一歩手前だよ」みたいな分かりやすさがあったんですがねえ・・・。今は分かりません(笑)。

半魚 今って、その後の楳図作品ですか。あんまり憑依すること自体がなくなってますかねえ。

樫原 「ヘビ少女」の頃はまだ線が単調だったのでその変化を見て取れるのですが、そう描き込みが複雑になった「あかんぼう少女」や「うろこの顔」ではそういう変化というものが描いても目立たなくなっているような気がします。

まんがまんがしてなく、人物描写がリアルになったというべきか・・・。むしろ、いっきに変身してしまっているような?まんま「うろこの顔」やん!みたいな・・・。

半魚 まんま「うろこの顔」(笑)。なんとなく、仰しゃること、分かってきました。後でも述べますが、『うろこの顔』の場合は、表情の変化とかでなくて、

ずばり、べりべりっと剥げてくる、

ってところがミソなんですかね。

樫原 あれは、

すごいカタルシスを感じるシーン

ですねえ。新しい恐怖の形を生み出したのではないでしょうか?他に「ヘビ」ものであんなすごいものを描いた人知ってます?

半魚 んー、とりあえず、知りませんねえ。しかし(笑)、カタルシスって言いますかねえ、ふつー(笑)。

樫原 いやー、よくぞここまで読者の希望に答えるようなすさまじいマンガを描いてくだすった〜!って僕的にはあれは、最高に恐怖の集大成を見る感覚での「カタルシス」でしたねえ。

半魚 えー、まー、そういう意味なんだろうなー、とは思いましたけど(笑)。

樫原 まぎらわしい表現ですみません・・・(笑)。

半魚 あはは。

樫原 とにかく、

脱皮にしろ、ばあやがイッキに胴体が伸びてヘビになるシーンなど、カタルシスの連続で、

僕は「うひょー」もので喜んだものです(笑)。

半魚 なるほど、なるほど。

樫原 かなり大きくなってから「うろこの顔」は読んだのですが、あのシーンだけは怖い以上に新しい形の恐怖まんが!というイメージでしたねえ・・・。

ところで、あのシーンがそのまま映像化されたアメリカのTV映画「V」を見て僕は「うろこの顔」だーっと叫んだのは言うまでもありません。

今だったら、簡単に映像化されちゃうけど、あの作品はそういう技術もなかった昭和40年代ですからねえ、スゴイ!としか言いようがないです。

半魚 「V」は、ヘビ宇宙人みたいなのが出てくるんですよね。ちらっとしか見たこと無いんですよ。

樫原 ・・・「トカゲ型宇宙人」だそうです・・・。(笑)。

半魚 ひえー。

樫原 それから、

3.この「ヘビ」が連鎖して移ってゆくという恐怖!!

いわゆるボディスナッチャー的な心理的恐怖ですね。

半魚 そうそう、ボディスナッチャーですね。単純に、外からやってくるとか自分が食われてしまうとかいう恐怖ではなくて、自分がそれになってしまう恐怖ですね。

樫原 乗り移るってんなら、話は簡単なんだけど、連鎖して別モノに変貌してゆく恐怖ってのはじわじわときますねえ。誰も信じられなくなってしまう!怖いことですよねえ・・・。

半魚 ああ、そっか。乗り移るとか、病気が伝染するとか、そういうイメージともまた違いますね。

樫原 そうそう、そして究極的には「うろこの顔」の主人公「陽子」でしたっけ?

自分自身すら信じられなくなるというカタストロフィ!

これが恐怖の源だーっみたいなカンジがしてなりません・・・。

半魚 「自分とは、何者だーっ」みたいな(笑)。

樫原 そうそう(笑)。これは「ヘビ少女」にも踏襲されており、かの古賀新一先生も「週刊少女マーガレット」で対抗馬として亜流作品を描いておられました。

(記憶は定かではないのですが、こういうヘビものも描いてましたよねえ)

半魚 ですよね。『少女フレンド』の1966年15号の「へび少女」では、アオリに「<おことわり>さいきん、べつの少女週刊誌にのっているへびのまんがは、楳図かずお先生が名まえをかえてかいている作品ではありません。」という編集部からの告知がありますよ。


古賀新一「白へび館」

樫原 そうそう、絵柄もそっくりで僕もよく見ないとダマされそうになりましたもん!

半魚 でまあ、古賀新一なんてサイテーですよ(笑)。黒井ミサは好きだったけど、私の不徳の致すところです。

樫原 ははは!まあまあ。「黒井ミサ」は何となく「おろち」っぽくありません?僕はそう見てたんですが・・・。

半魚 古賀新一版「おろち」だったのか!納得(笑)。古賀先生に掛ると、あんな感じに翻訳されてしまうのだろうなあ。

樫原 ホンヤク・・・(笑)。パロディ?

そういえば、私忘れましたが「ガロ」か何かでどなたかが、見事な「おろち」の「姉妹」のパロディを描いていらっしゃったのを記憶しています。コマ割りからキャラクターまであのまんま・・・でムチャパロディなんですよ。思わず引き込まれて大笑いした記憶があります。

半魚 そんなのがあるのですか。楳図ファンクラブの会報という『ウメズムvol.1』に出てる、パロディ・マンガがそれですかねえ。

樫原 あ、それは知りません。読めば思い出すかも・・・。

◆ 田舎が舞台・再説

樫原 また、「田舎」というと「因習」や「家の造り」がそのままシチュエーションに活かされるという利点もありますよねえ。今はないでしょうが天井裏から覗く目。

半魚 そうそう。

樫原 このマンガのせいで僕は天井の木目のスキマが怖くて見られなかった(笑)。

半魚 あはは。

樫原 家の軒下の狭い狭い隙間・・・。あるんですよねえこういう家今でも・・・。

半魚 そうですよ。現代の子供たちは、こういう恐怖を味わえなくて、可哀相ですよね。いまでも子供たちは、木目やシミが恐い顔に見えたりしてるんですかねえ。

樫原 僕はいまだに・・・(笑)。

そして、占いやたたりを信じる村人・・・これと似た映画もありましたねえ「八つ墓村」かぁ・・・。

半魚 土着的な因習性なんてのがドラマにならなくなってしまって、日本も不幸な時代に入ってきてますよ(笑)。

樫原 今はどちらかといえば「理論派」型ドラマですよね。いかに読者を納得せしめるかと、いう。

半魚 京極夏彦なんかは、妖怪とかの復権を目指していますけど、妖怪をストレートにリアリティが持てた時代ではもちろんもう無くて、今ではメディア内でのヴァーチャルな実在ですね。

樫原 そう、もう形式化されたというか、美化された存在なんですよねえ。魑魅魍魎なんて、今の子供には通用しないでしょうねえ。「暗闇」というもの自体が今の日本には少ないですから・・・。

半魚 そうですね……といいたい所ですが、よくよく思い出せば、金沢には結構真っ暗なところが多いです。けっこう、こわい(笑)。

樫原 ウチも大分のド田舎ですが、けっこう暗いトコはあります。探せば、日本のどこかにはまだ、昔ながらの因習や雰囲気を伝えてる場所ってありそうですよね。

半魚 いまは、六本木や新宿を歩いてる人達を怖がらせる必要がありますからねえ。

樫原 あいつらは、「妖怪百人会」の仲間かー?みたいな?

半魚 あはは。話、逆ぎゃく(爆笑)。

◆ 『恐怖劇場』でのリライトをどう評価するか

樫原 さて、「まだらの恐怖」は後に「へび少女」とまとめて冒頭の自注にあるようにひとつにまとめられて、「楳図かずおの恐怖劇場」なんてのにリニューアルされていましたねえ。惜しむらくはこの作品は各コマを拡大縮小しながら貼り合わせ、後筆も加えられており、(イチファンながら)できれば、オリジナルのままの方がよかった・・・と思う作品でした。確かにつながりはしますけどねえ。何もそこまでしなくても・・・と思った樫原でした。

半魚 はいはい。それについては、すこし詳しく検討しましょうよ。とは言っても、初出の『フレンド』自体をきちんと見てないので、ちゃんとした検討にはなりませんけど(とほほ)。一応、この対談の読者のために(笑)、概略だけ紹介しておくと、

初出 『少女フレンド』
トレースか 『少女フレンド』附録
すこし補筆か 秋田・サンデーコミックス
けっこう改変 小学館・恐怖劇場

こういう感じで、たぶんデーコミでもそれなりに補筆はしてるはずなんですよ。でも、一番の大きな違いは、小学館の恐怖劇場になった際の補筆、リニューアルで、樫原さんの仰しゃりたいのもそういうことですよね。

樫原 そうです(笑)。

半魚 でまあ、絵の継ぎ接ぎは、たしかに無惨な面がありますね。ただ、僕自身は、ストーリーを円環的に繋げているあの処理じたいは、案外いいなあとおもうんですけど(笑)。やっぱ、ヘビだから、輪っかで繋がる……って(笑)。

樫原 コマ運びなんかは確かに見やすくなっていますね。スラスラと読めましたし、うまい具合につなげてるとは思います。ヘビ女の生まれた家でへび女が登場するシーンで1頁まるまる使ってましたよねえ、あれは久々に「楳図まんが」ってカンジがしました。

半魚 ああ、ほんと。ここは、「これでもかっ!」って感じでの、ベタなクロースアップを使ってますねえ。絵柄的には、タイプDかEくらいですか。

樫原 みーんなひっくるめてCタイプです(笑)。

半魚 いやあ、もうちょっとブンルイの基準を作ってくださいよ(笑)。

樫原 これ、「わたしは真悟」の頃ですかねえ?だとしたら、FかGかな?


補筆の一例『へび少女』

半魚 時期的には、そんなもんですかね。でも、なんか、僕には「真悟」のタッチとも結び付かないんですけど。

樫原 そうですねえ・・・でもあの時期がいちばん楳図かずおの集大成の時期だったのではないでしょうか?

半魚 ヘビとか、外部的な恐怖の集大成の時期とは言えますね。

樫原 その後に続く「神の左手悪魔の右手」への序盤というか・・・?

◆ 樫原マンガのヘビはエロ(!?)

樫原 ここで半魚さんもまだ見ていないと思いますが、樫原かずみの過去履歴作品表をご紹介します(笑)。

半魚 おおっ!これも、いい話題ですね。

樫原 http://ww.freepage.total.co.jp/mamoruei/history.htm

半魚 でも、開かないですよ(笑)。

樫原 すみません!「w」がいっこ足りませんでした(笑)。

樫原 こじつけ臭くなりますけど、「ヘビ」=「男性器の象徴」みたいな捕え方があり、

少女は無意識的に男性への畏怖の念から、恐れと、甘美な題材として

この作品にハまったのではないでしょうか?

半魚 少女がどうしてハまったか……に至っては、そりゃこじつけ臭いけど(笑)、ヘビが男性器の象徴ってのは、有りですかね。西洋的ですかね。ヘルメスとか?日本的だと、ヘビ女房とか、やっぱり女っぽい気もしますね。

樫原 ヘビが執念深いってのはどこからきてるんですかねえ?そのイメージで行くと、ヘビは女の象徴でもあるような気もします。

まさに子供(ここでは少女)が女として男を意識し始める通過儀礼のような・・・。

それを懸念したPTAは弾劾をしたのではないだろうか、と考える樫原です。

半魚 PTAがどうして弾劾したのか……は、それもコジツケ臭いですが(って、いちおうやっぱりツッコミ入れておいたほうがいいでしょう?)、女の子の通過儀礼ってのは、どのようなものなんですかね。案外いけそうなセンという気もしますね。僕自身は、女の子の通過儀礼については、全然ピンと来ないのですけど、やっぱり初潮とか初体験とか、肉体的な変化そのものが通過儀礼でしょう、なーんて言ったら、すごい女性差別でしょうね^^;。すぐ撤回します。

樫原 僕的には半魚さんの仰る肉体的な変化を言ってるつもりなんですが、まあ、それに伴う「心」の女性としての目覚めみたいな・・?男性を意識しはじめるときは、同時に男性を「怖い」または「汚らわしく」見える時期でもあるらしいです。「蛹」の時期なんですかねえ。それを過ぎると、もう平気みたいな・・・。男の場合は通過儀礼なんて無く、性的な方向へと一直線ですから(笑)。「蛹」の時期なんてないのではないのでしょうか・・・。(これも差別的かなあ?)

半魚 あはは。通過儀礼は、男の場合だと、近代になってからは、肉体的な体験・変化よりも、かなり精神化されていて、『漂流教室』や『わたしは真悟』なんかも典型だと思いますけど、ああいう体験自体が「子供を棄てる」ってな意味になってゆくのではないですかね。

樫原 うーん、この辺は「漂流教室」とか「私は真悟」あたりで詳しく掘り下げてみたいテーマでありますねえ。

半魚 あと、細かい事を言っておくと、『ママがこわい』では、猿飛少年が一回だけ出てきますね。どーでもいいことですけど。

樫原 カエルを取る少年ですね(笑)。

◆ 『へび少女』

半魚 「へび少女」、いきますか。

冒頭の「利平どん」の話は、これは「へび女房」説話だとかにも典型な、「ヘビ=鉄砲=池」っていう説話のパターンを使ってるのですね。楳図は、子供のころ、おとうさんから地元に伝わる昔話ってのを多く聞かされたと言ってますが、それらの話も、日本的な広がりをもつ典型的な土着的説話なんですね。

樫原 ああ、これは楳図先生本人からも聞いたことがありますねえ。このあたりは「へビおばさん」も同じ展開ですよねえ。原型は「ヘビおばさん」だと考えたほうが無難なのかなー。グレードアップしたのが「ヘビ少女」ですかね。

半魚 パワーアップつうか。しかし、さつきとカンナ姉妹は、ヘビに逢ったりキツネにあったり、忙しいですね。「楳図を読んでトラウマになった」というけど、

彼女ら姉妹のトラウマのほうが心配です。

樫原 ははは!じゃあ高校生記者「絵美子」と「夏彦」もですね?

半魚 ははは。

◆ 楳図先生、がんばって!

半魚 『まだらの少女』だと、ワク線なしのコマがありましたね。こっちは、デーコミ等でみる限りは、コマわりは重なってたりはしてませんけど、初出ではどうだったのでしょうかね。やっぱり直してる可能性が高そうですねえ。

樫原 ・・・ですねえ・・・。オリジナル版を見てみたいものですねえ・・・。

半魚 国立国会図書館にゆけば、見られましょうけどねえ。

樫原 え?マンガも保管してあるんですか?知らなかったー(笑)。

半魚 ありますよ〜。僕は閲覧したことなかったですけど。いま、在京してれば、日参して、雑誌初出情報なんかは完璧に仕上げるんですけどねえ。

樫原 今度行ったらゆっくりと探してみよう(笑)。

昔、「現代古本(貸し本)図書館?」とかいうトコロで探したんですけど、目ぼしいのがなかった記憶があるんですよねー。早稲田の近くかな?

半魚 内記氏がやってるところですかね。

樫原 かな?僕も詳しくは知らないんですよー。

半魚 僕も東京に居たころは真面目で貧乏な学生だったんで、貸本マンガなんを見たり買った余裕もなかったっすよ(なはは、言い訳)。

樫原 貸し本全盛時代の頃にタイムスリップして、心ゆくまでウメズカズオと書かれた背表紙を探して読んでみたいですねえ・・・。

半魚 かなわぬ夢ですねえ。それ以前に、子供のころ買った『少年サンデー』を取っておくだけも、やってりゃよかった(笑)。

樫原 僕は、今でも「古本屋」さんで探してる「夢」を見ます。ひたすら探してるんですよねえ。「楳図かずお」と書かれた背表紙を・・・。

半魚 夢でも現実でも、楳図の本は最近、少なくなりましたねえ(笑)。

樫原 確かに!悲しいほど「過去」のヒトになりつつありますねえ。

半魚 んー、過去の人かあ。イアラの頃のような短編パワーも、また長編を描く体力も、いまはないのかも知れないけど、僕は絶対に復活すると信じることにしました(笑)。

樫原 僕はいつ「訃報」がニュースに出るのかと・・・それだけが心配です。

半魚 あはは。そういう縁起でもないことを言ってはいけません。

◆ ヘビに変化してゆく洋子のスリル

半魚 サツキとカンナのおばあさん、ウメって名前なんですね。楳図のウメかな。

樫原 ははは!

半魚 ああ、うめ組のウメだよなあ(笑)。

樫原 はははは!

半魚 あーいや、梅干しババアのウメですね。

この、ウメばあちゃんや、カンナまでもにヘビが化けたり連鎖したりしてゆくのが、ちょっと危機的な恐怖感がありますよね。「おいおい、ストーリーの収拾がつくの?」って心配になりそうなくらい(笑)。

樫原 いやー、あの破綻が読者を恐怖の世界で引きずり込むのでは?ハラハラドキドキしながら読んでましたよー、僕・・・。

半魚 破綻しそうで、けっして投げやりな破綻はないですよね。それが、古賀先生を始めとするひばり・立風系の二流作家先生がたと大きく違うところですね(笑)。

樫原 うん、それは言えますね。骨子が整ってるっていうか・・・。ストーリーの展開上に成り立ってますねえ。

半魚 洋子さんがヘビに取り憑かれるところ、フスマをやぶって出てくるコマ、口からぴょろっとヘビが出てますよね。このシーン、デーコミだとヘビが消して有りますね。やっぱり、ショッキングなコマなので、当時は検閲されたんですかね。

樫原 (大爆笑)。すみません!久々に爆笑しました!!「ぴょろっと」に大笑いしてしまいましたー。確かにそういうカンジですよねー。

かわいいヘビだー(笑)。

半魚 ああ、ウケましたか。言われてみると、ほんとぴょろっと可愛いヘビですね。

樫原 もう、今度からこのコマを見るたびに「あっ、ぴょろっとくんだー」と言ってしまいそうですよー(笑)。

半魚 あはは。

樫原 いやー、どうなんでしょう?でも部分的に残ってませんでしたっけ?もしかしたら、ホワイトで修正しようとして失敗したのかも・・・なーんて思ったりもしたんですが・・・。

半魚 そうそう、ホワイト掛け損ない、みたいな。

樫原 何かやろうとしてたんですかね?(笑)

半魚 忘れたまま、だったんですかね?

樫原 うーん、この謎も解き明かしてみたいですよねえ・・・。

しかし、あの洋子をヘビへと変えてゆくシークエンスは「半魚人」と通じる残酷さがありますねえ。見ていてこれでもか、これでもか、ってカンジですよねー。因果とはいえここまで残酷な仕打ちを受けるなんて・・・と思いません?

半魚 そりゃそうですよ。洋子にしたって、「顔も知らない祖父さんの恨みを、なんで私にはらす!」って。でも、

因果とは言え、本人にはあずかりしらぬ、つまり不条理の因果

だからこそ恐いわけですよね。

樫原 うむむ。これいいですねえ・・・。今後も使えそうなネタですね(笑)。

半魚 『うろこの顔』のラストはちょうと逆とも言えますが、ヘビが口の中にはいる、あるいはヘビを食っちゃうってのは、なかなかシチュエーションとしては強烈ですよね。

樫原 確かに。

究極の反撃

みたいな・・。

半魚 「究極の反撃」かあ。なるほど、その通りですね。的確ですね。まさに、食うか食われるか。

◆ 楳図の好きなナレーション

半魚 別の話題ですが、さつきとカンナのやまびこ姉妹はまだ主要な脇役ですけど、楳図魔子なんかはもう、進行役というか、狂言廻しというか、おろちや猫目小僧やに代表される傍観者的存在ですよね。手塚なんかの大河ドラマは、「例えば、シュマリや手塚良庵なんかは、主人公じゃなくて、時代を描くための狂言廻しなんだ」なんぞと、高尚な事を言うわけですが、楳図の場合は、そういうわけでもなくて、ほんと「ただいるだけ」って部分も多いですよね。このあたり、何を具体的に質問しようとしてるのか、自分でもよくわからないのですけど(笑)、また一方で

楳図は、物語的な作りというか、ナレーションを被せるのがすごく好きなわけです。

ともかく、なんか、こういうの気になるんですけどね。

樫原 ふむふむ。これは市川崑版の金田一耕助なんですが、まさにそういう存在の下で製作してるらしいです。これは、いわゆる手法のひとつで、読者的な立場で見ていることで実際の読者はそれにオーバーラップされて

そこに行ったらダメだぞーとか危ないぞーとかハラハラさせられる、感情移入の表現のひとつ

ではないでしょうかねえ?(表現が上手くできなくてスミマセン)

半魚 なーるほど。探偵小説の探偵ってのは、そもそもそういう役ですね。横溝なんかは特に、傍観者的立場の典型なのかもしれませんね。

樫原 某マンガスクールで、

ナレーションというのは極力避けるべきものです!なんて教えられましたが、

かの大島弓子(おお、弓子の字が「ママがこわい」「まだらの少女」と同じ!)先生はべらぼうなナレーションでかましてくれてました。読むのに一苦労!プロになったら表現の自由というか、何でもありなんだなーと思っていたんですが・・・。

半魚さんの言いたいのはそういうことではないんですよねえ(笑)。

半魚 いやいや、ナレーションはマンガの禁じ手だったという事をはっきりおうかがいしただけでも充分に有難いです。なるほど、そうでしょうねえ。普通の演劇なんかでも、浄瑠璃(語り物)よりも、会話で成立する歌舞伎のほうが進化論的に(笑い)進んでる、という人が居たはずです。

樫原 確かに、「マンガ」であることの前提は「小説」っぽくだらだらと文字ばかりだと、読む方も疲れる、というのはありますからねえ。そもそも簡略化した風刺画が「マンガ」ですから・・・


実に楳図っぽい。『うろこの顔』より

半魚 ナレーションもそうですが、楳図作品にはふきだしのセリフ自体もやたら長かったりして、絵は目しか描いてない、とかありますからねえ。

樫原 これは、僕もけっこうやっております(笑)。

半魚 なーんだ(笑)。

樫原 説明しなければならない個所などはどうしても「言葉」の簡略化では通じない部分というのがあるもので・・・。実はこういうコマがわりと重要だったりします。

半魚 たしかに、そういうことはありますね。

樫原 うーん、でもここ何年かでマンガの世界は小説の世界を席巻している風でもあるから、ナレーションのくだくだと説明をするっていうのはむしろ、活字離れの現代っ子にはいいのかもしれないですねえ・・・。

半魚 活字離れは楳図を読め! って?

樫原 んで、トラウマになれって?(笑)。

◆ 『うろこの顔』ですね

樫原 そろそろ、二人のお気に入り「うろこの顔」に行きますか?

半魚 おお、そうですね。

冒頭の「豊島区堀之内六一」という住所は、実際に楳図が住んでた住所ですね。ただ、「林荘」ではなくて「みどり荘」のはずですけど。

ともかく、タイトルの「うろこ」ってのがいいですね。僕なんか、ヘビも嫌いだし、そんなきちんと観察もしなかったので、ヘビに鱗があるなんていまいちピンときませんでしたよ。「うろこは魚だろっ」って。

でも、そうじゃないんですね。ヘビの性質と恐怖を、うろこなどの物的モチーフによってほんとうまく表現してますよね。たんに、「長くて、にょろにょろ。執念深い」ってだけなら、これほどの作品にならなかったのではないかと思いますよ。

樫原 うーん、なるほど。

「うろこ」っていう響きも何となく気色悪いってイメージ

与えますよね。

半魚 まあウロコ自体は、以前から使ってる訳ですが、『うろこの顔』に関しては、脱皮というのも大きなモチーフになってますよね。自分の体の変化への恐怖という点は楳図も何度も強調していると思いますが、この

「一皮剥けば、自分もヘビかも」

という発想はすごいですよね。

樫原 特に美少女であるが故に、うろこの顔が露出したときの恐ろしさは格段に際立ってますよねえ・・・。

半魚 そうですね、やっぱり。山田すず子(偶然を呼ぶ手紙)からウロコが見えても、ねえ(笑)。

樫原 それも、ある意味怖いかも・・・(笑)。

半魚 あはは。でも、お気の毒なのが先に立って、怖がれない(笑)。

半魚 「ギャー」等のオノマトペは、比較的おとなしめではありませんか。特に、洋子が無事な前半は、おとなしいですよね。

樫原 すみません・・・この「オノマトペ」という語源はどっから来ているんですか?ここ2,3日頭の中を「オノマトペ」という言葉が渦を巻いて困っています・・・(笑)。

半魚 オノマトペは、フランス語ですかね。語源は分かりませんけど、日本語だと、擬音語、擬声語、擬態語、等とより細かい区別が合って、日本語のほうが進化してます。(笑い)んーでも、日本語も外来の翻訳語かもしんないけど。

樫原 謎は解けました(笑)。この頃オノマトペを描くたびに「オノマトペだ」「オノマトペだ」と頭の中で誰かが言うんです(笑)。

半魚 電波系ですよ(笑)。

樫原 やっとこの悪夢も消えつつあります。

半魚 でまあ、そのオノマトペですけど。後半では、だんだん毛付き刺付きになりますね。

樫原 じわりじわりと、核心に触れてゆくんですよねえ。

半魚 なるほど、そうですね。

樫原 「動けなくなったお姉さん」の陽子に対する嫉妬からヘビを殺してしまった「たたり」かと陽子は申し訳なく思いながらも、

実は女の子特有の「悪魔気質」をはらみ

死んだお姉さんに罪をなすりつけようと、悪企みをしたりする。このあたりの描き方は「おろち」の「姉妹」や「おそれ」にも匹敵する「美しさへの執念」を醸し出していますねえ。

半魚 「悪魔気質」か! ああ、ほんとにそうですね。ストーリー的には「双頭のヘビの祟り」が原因ですから、心理的な問題よりも、山村の伝説的な色合いがまだ濃いなんて思ってましたが、これは浅はかな考えでしたね(笑)。

樫原 あれは、

最後のこじつけ

だと思っておりました(笑)。

半魚 姉妹モノとして考えてみると、やまびこ姉妹は、まあ、基本的に仲好し姉妹ですね。「おそれ」や「姉妹」は、はっきりしたというか前面に押出したというか、ともかく憎しみ姉妹ですよね。「赤んぼう少女」のたまみと葉子とは、まだ妹(葉子)が姉を憐れみ、いじめられるという段階で、姉に対する憎しみや嫉妬はほとんど無いように描かれてますよねえ。

で、『うろこの顔』では、一見『赤んぼう少女』みたいな被害者の妹、みたいに見えますけど、決してそうじゃないですね。

樫原 そうそう、実は美しさを競いあってるみたいな?

半魚 おぞましいモノが渦巻いてますよ。

樫原 楳図かずおはこの作品以降こういうものがテーマになりましたよねえ。人間の心に渦巻く「悪い」心「ねたみ」「そねみ」「ひがみ」(まことちゃんにこの名前で3姉妹が出てませたよねー?)が常に最後にドーッと排出する作品。

半魚 三姉妹……(爆笑)。

樫原 あ、いやいや決してひっかけたワケではないんです(笑)。

半魚 ひっかけてください。ともかく、美人姉妹は恐怖の源泉ですかね。

樫原 楳図まんがは「美」と「醜」が最たる見せ場ですからねー。

半魚 そうですね。

樫原 あたかも

人間の原罪

を見るような身につまされる作品が多くなったような気がします。

半魚 人間であることそれ自体がもつ破綻、とでもいうか。美を求めること、醜を恐れること、こういう気持ちはプリミティブでありながらも、人間の限界でもありますよね。

樫原 ここまで、人間の原罪を追求した作品は他にあったでしょうか?僕には「手塚治虫」くらいしか思いつかないのですが・・・。

半魚 いやあ、手塚治虫はオモテのひと、楳図はウラの人(と、本人が言ってました)。

樫原 あ、それなんだか記憶にあります。いやー手塚先生が楳図先生を引き合いに出すんだーなんて思った記憶が蘇ってきました。

半魚 対抗意識、強いですよね。でも、息子の真(手塚)なんかは、楳図さんとも仲がよい様なんですよね。

樫原 ああ、そうなんですか?「マンガを描く」という共通項がないからかなあ?

◆ へびのメタファー

樫原 「なりたくない!ヘビになりたくない!」まさにメタファーなのではないでしょうか?

半魚 メタファー……とは?

樫原 ヘビとは執念深い生き物である・・・と同時に女性も然りだという観点からこの「うろこの顔」は生まれたのでは、と思うのです。

半魚 なるほど。女の持つ美等への執念の具現化として、ヘビがある、と。

樫原 誰もが忌み嫌う存在としての「ヘビ」を使ったのは最高に効果ありますよね。これほど人間に嫌われる生き物もないですから・・・。

半魚 手塚の『新・聊齋志異/女郎蜘蛛』に、「人間には、ヘビ嫌いとクモ嫌いと、2種類ある」とか書いてありました。楳図の場合は、ヘビを扱ってても、そういう単純でプリミティブな恐怖から、もうちょい進んだ怖がらせ方をさせてますね。

樫原 ああ、それは知りませんでした・・・。毛虫は、ヘビ嫌いの部類なのかな?(樫原は毛虫が(見るのさえ)ダメなんです)

半魚 毛虫はどっちですかね。僕は、芋虫のほうがこわいなあ。

楳図先生は、蜘蛛嫌い

ですよね。

樫原 つとに、有名ですね(笑)。僕は「毛」さえ生えてなきゃOKですけどね(笑)。

よく、

楳図かずおは「死ぬとその人のホントウの姿が見える」とか、そういうシチュエーションの作品を描いていますよね。

「その目が憎い」「消えた消しゴム(神の左手悪魔の右手)」「14歳」などなど・・・。

半魚 はいはい、あります、あります。そういう発想自体は、いままで「ちょっと単純だなあ」なんて思ってました(笑)。

樫原 人の心の奥底(深層心理や潜在意識)っていうのは自分では分からないでしょう?

それを何とかして

「形」や「目にみえるもの」として存在させるための手段として、楳図はこのモチーフを好んで使っている

としか思えないのですよね。「心」の底にある「真実の姿」の自分。

半魚 ああ、なるほど。

真実の姿のメタファーとして、ヘビであったり、死んだ姿であったり、

と。

樫原 はい、実はこれは人間ならばとても興味あることではないでしょうか?自分のホントウの姿が見えたとしたら・・・どんなモノだろう・・・。

半魚 んー、まあ実は、僕は「単純だなあ」と思った、つうのは、「いまのダメな俺はほんとの自分じゃない」とか思って自分を慰める構造が嫌いなんで、僕としては「今の姿以外にほんとうの姿はない」という思想的立場だからなんですよ。ただ、こうして見てくると、楳図の場合は、そういう意味での「真実の姿(理想化された)」ではなくて、

自己アイデンティティの崩壊というような、かなり恐ろしい「真実さ」

ですよね。

樫原 自分自身の存在すらも危うくなりそうな、そんな限界を好んでいますよね。つきつめればこれって「存在理由」を問うているようなものですよね。邪悪な自分の存在を認めざるおえなくなるように徹底的に追い込もうとしてますよね。

陽子もある意味では、

ホントウの心はあの脱皮した「うろこの顔」が真実の姿を現していたのでは、

と考える樫原なのであります。

それを、ひきだしていたのが、あのばあやであり、復讐をしている双頭の蛇。ドス黒い女の心の裏側を復讐という形を借りて、本性をさらけ出すまで徹底的に描写したかったのでは?と思うのです。

半魚 ふーむ、陽子は単純な被害者ではなく、そもそも「悪魔気質」である、という御意見でしたよね。そうすると、「死ぬと見える真実の姿」としての「うろこの顔」だとすると、これは今まで思ってような単純な構造でもないですね。

だって、

ヘビは執念のメタファーでありながら、同時に(美に対して)執念をもやす時の、その極致にある存在

でもありますものね。

「なりたくない」ヘビ、それ自体が自分自身のメタファーですもんね。「Aを求めてBを嫌う」という執念的なあり方こそが、じつはBだった……みたいな、パラドックスですよ。

樫原 そうですね、いくらAを装ってもBは決してAにはなれない!というしごく単純な答ですよね。「姉妹」や「おそれ」などでは、形としてその醜い部分がないけれど、(これはこれでかなり怖いけど)形として見える分、読者には分かり易い作品だとも思います。

半魚 いやあ、逆にカタチとしてヘビとかが見えてるから、それだけで怖がってきた、というような分かりにくさもありますよ(笑)。亜流作品と似た程度のものとして。

樫原 あはは、確かに楳図かずお本人は「ヘビ」ものをこの時期に描けば、ああいう感じで描くだけだったのかもしれないですね。ただ、この時期には楳図かずおのセンスがかなり際立っていたからこそ、僕も半魚さんもいちばん好きな作品になりえたのではないだろうか、と思えるのです。

半魚 そうですよ。物理的(外在的)な恐怖と心理的(内部的)な恐怖、という風に楳図の作風の変遷を分けてしまうけど、この時期の作品の多くや、あるいは『神の左手悪魔の右手』なんかも、複雑に入り組んでいますよね。

樫原 そうですね。「神の左手悪魔の右手」もストーリーよりも残酷描写が際だっていたせいで、そのお話そのものの奥深さを見誤っていたかもしれないですね。もう一度よく読んでみなきゃ(笑)。

そう考えると、この作品はかなり奥深い作品に位置づけられるかもしれませんねえ・・・。

半魚 ええ、深まってきましたよ。このまま一気に『洗礼』までやっちゃえそうですねえ(笑)。

樫原 おお、つながってきますよねー。

とにかく楳図かずおはこのCタイプの目の頃から「少女まんが」に美に対する執念と、それを失う恐れを前面的に描いてきたと思うのですよ。

半魚 なるほどねえ。

ああ、それから、これに触れておかないと(笑)。『ガモラ』のスネイクが、「おれの姿は死なないと見えない」と言ってた事。

樫原 あの頃から「死」=「真実の姿」という命題を考えていたのですね。

◆ おねえさんの死体の目

半魚 急に脱線しますけど、「姉妹」や「おそれ」もそうですけど、必ず妹のほうが一枚上手ですね(笑)。

樫原 あはは、そうですねー。これはどこの家庭でもそうだと思うんですけど、下の子供の方がかなりしたたかに育っていると思います。周囲の状況とか把握して、実にうまく立ち回るんですよ(実感)

半魚 僕は、長男ですけど、弟よりも立ち回りがうまかったのでは?と自責の念にかられてますけど(笑)。

樫原 ・・・。いえいえ僕の知る限り一番最初の子供というのはいちばん大切に育てられていますから、ワリとのんびり屋さんが多くて、2番目3番目は放任主義で育てられてるようです。従って、損をして得をする術をキチンと身につけているようですよ(笑)。半魚さんの知らないトコロで弟さんは「にやり」と笑っているかも・・・。

半魚 なら、安心しました(笑)。

樫原 で、個人的にこの作品で気に入ってる「絵」はお姉さんの死んだ顔の「目」なんです。

半魚 あー、はいはい、水槽のやつですね〜(力、出ない)。ぞっとしますね。


アップにしても、このクオリティ。原寸は3.5×4.8cm(サンコミ)

樫原 どんよりと濁って生気の全く無いあの描写は、僕は非常に難しいと思っているのですが、楳図先生はいとも簡単に(?)描いています・・・。これだけで僕のマイベスト1に入るかもしれない作品です。

半魚 ほんと、この目は、いま見ても、寒気がしますね。あー、きもちわるいです。

水槽のコマは全部で5つありますか。それぞれ、焦点はすこしづつ違うみたいですけど、アップになっている2つめのものなんかは、ほんとにこわいですね。この目は、焦点は合ってますよね。すこし上のほうの無限遠点を見てる、という感じですかね。白目にも影を付けている部分などが、特に「生気のなさ」をかもし出しているのですかねえ。ちょっと解説してください。

樫原 死体の目というのは、描くのは困難だと思います。映画などでもよく死体が出ますが、みんな目がキラキラしてて生きてるってこと、一目瞭然なんですよね。

半魚 目をピクピクさせちゃう役者もいますね(笑)。

樫原 この死人の目を演じる役者がいれば、その人は名優ですね(笑)。

半魚 なるほど。

樫原 マンガでも、カラーならば「色」を使い表現はできるでしょうが、モノクロの世界でこれだけ、

「濁った魚の目」を描くなんてのはこのマンガくらい

ではないでしょうか?誰が見ても「死体の目」なんですよね。

半魚 おみつの目もこれに近いですかね。「死体の目」で歩き回られるのは、いやですね。

それはともかく、描き手として説明してください。

樫原 まず。マンガ目の特徴は必ず光を受けてる白い丸があるんですけど、これを描かずに黒丸だけだと、

単に驚いてる目なんですよねえ。

あえて斜をいれて「濁り」を作るトコロに「死体らしさ」ができる

のですが、これはなかなか描けるというものでもありません。僕自身「死体」の生彩のない眼というのは未だに満足したものは描いておりません・・・。

だからこの死体の目の描写はお手本でもあり、ジェラシーを感じる部分でもあるのですよ(笑)。

半魚 最後のほうで、陽子が服のまま全身脱皮(笑)しますよね。で、うろこの顔になった陽子ちゃんが、シュミーズ姿でニョロニョロするあたり、妙に色っぽいのですけど、やっぱり恐いですね。

樫原 ははは!

◆ 楳図魔子は、やっぱカワイイよなあ

半魚 それから、何度も言いますが、魔子ちゃん、可愛いですよね(笑)。

樫原 かなり、気に入ってる様子ですねえ・・・。(笑)

半魚 特に、縦ライン入りのハイソックスがいいですね。「魔子の恐怖ノート」なんて書いてあるのは、これはスケッチブックですよねえ。ふつうならメモ帳だと思うんですが、小脇に抱えて、ちょっと邪魔そうにも見えるけど、

動きやすさよりファッション性重視

なんでしょうねえ。

樫原 1970年代のファッションそのものですか?ミニスカートでしたよねえ?

半魚 ともかく、楳図作品の女の子は、顔もカワイイけど、なんてったってファッションセンスですよね。

樫原 男性マンガ家であそこまで描けるというのは驚きですよ。今は、みなさん違わずお上手ですが・・・。

半魚 あはは、手厳しいですね。でまあ、僕はともかく楳図魔子ファンだと言いたいわけですけど。

樫原 半魚さんの好みのタイプがよーく分かりました(笑)。

半魚 最後には、無責任(?)にも、怖くて東京に逃げかえるわけですけど、こういうのも許せちゃいますねえ。

樫原 あれは・・・(笑)。おいおい!

それはあんまりだべー

と笑ってしまった僕ですが・・・。

半魚 そりゃまあ、ツッコミようはありますけどねえ。「おまえー!単に興味本位じゃねえかーっ」って。

樫原 

高也なら、「見損なったよ!」とか言いそうですよね(笑)。

あっ、またヤバいこと言っちゃった!

半魚 あはは。かわいい魔子ちゃんを、ちょっと高也にイジめさせてみたくもなるなあ。

樫原 ああ、よかった(笑)。また怒りが来るのかと思った(笑)。

半魚 屈折したロリコン……ではありません。

それと、

電車の窓に写るばあやさん。

これ、恐いですよ。初めて読んだ時、たぶん、ここが一番恐かったんじゃないかなあ。

樫原 ああ、ヘビを持って笑ってるんですよね・・・。

半魚 そうそう。

樫原 僕は、おとうさんが神の化身である双頭のヘビをぐちゃぐちゃに噛み砕いたシーンかなあ・・・。

楳図のいわゆる理性的かつ理論派の男性像があれで吹き飛んでしまったような

気がしています。

半魚 いやあ、あそこは意外な展開ですよね。むしろ、「強い男性像」そのままのような気もして、そこだけはちょっと気に入らない。谷川先生みたいな(笑)。

樫原 確かに、女性があれをやるとなると、かなりグロいですねえ。今なら、平気なんでしょうけど・・・。復讐のまた復讐の図みたいな・・・?(影亡者みたいですね)

半魚 そうか、そう解釈すれば、納得するなあ。

えーと、だいぶ話も出尽くしてきてますかね。やってなかった、他の作品についても触れてゆきませんか。お願いします。

◆ 『口が耳までさけるとき』

樫原 これは、当時(昭和30年代)少女マンガの定番である、「極貧」少女が「デラックス」な家の養子になって・・・という御伽噺的なお話から展開する作品ですが、とにかくこの作品は基本中の基本である楳図ヘビものの「エッセンス」をつくりあげています。(絵はともかく)

半魚 絵は、時期的に言っても、しょうがないですね。まあ、当時なら充分ショッキングではあったでしょうけどね。で、エッセンスとは、どんな感じですか。

樫原 えーと、

  • 「少女」を食べる(ママがこわい)、
  • 脱皮するお母さん(うろこの顔)、
  • 養女にする(決して自分の子供ではない。この逆もあり)(へび少女)、
  • ばあやに連鎖する狂気(これは、その他の作品にも多々ありますね)、
  • 寒さに弱いことを利用して退治(?)する(ママがこわい)
という風に。

半魚 なるほど。特に、「ばあや」ってのは、今の庶民には分かりませんね。あれ、実祖母じゃ、面白くないですもんね。他人のばあやだからいいんですよね。それで、「紅グモ」だと、ねえさんのたか子がばあやになってしまう(笑)。

樫原 確かに(笑)。ばあやって今は「家政婦」さんかなあ?

半魚 うんうん、「家政婦」じゃあ、こわさ半減ですね。

樫原 ちなみにとぐろを巻いた帽子をかぶってるおかあさん、キュートです(笑)。


『口が耳までさける時』

半魚 これ、変わってますよね(笑)。ちょっと笑えますね。

樫原 とにかく「ヘビ」だと強調したかったんでしょうねえ・・・。

◆ 『へびおばさん』

樫原 「へび少女」の原型版がこれでしょうねえ。どう見ても(笑)。変形版が「紅グモ」ですね。

しかし、これはホンモノの「へび女」ではない!というところがミソでしょうねえ。

半魚 そうなんですよね。本質的には「へび女」ではないのですよねえ。

樫原 継子いじめの材料として「へび」を使うなんて、

まー才長けたおかあさん

です。

ところが、フリをする内に、ウロコや顔がヘビそっくりになっていくなんてのは「内なる仮面」の走りですね。

「心」が「体」を作るのだ!

と言わんばかりの楳図かずおの主張が見え隠れする作品です。

半魚 これ、ほんとそう思います。「内なる仮面」であり、「キツネ目の少女」だとか、フリをする内に……ってのは、まさに楳図的心身問題ですよね。

樫原 しかし、これではさすがにマズイと思ったのか(どうかは分かりませんが)「ヘビ少女」では本物のヘビを使いましたねえ。

半魚 僕は、恐怖・ホラー関係の作品でひとつ許せないのは、「怪異現象は存在しません。すべて、なにかしらの人為です」という趣旨のものなんです。ここ10年は減ったように思いますが、以前は多かったですよね。

樫原 そうなんですか?

うーん、僕が怖いなと思うのはこの頃の若い人(?)の心霊現象とか、幽霊の存在とかを(信じる信じないは別として)本気で受け止めている姿勢の方が・・・。

半魚 ふーむ、それも確かに恐いなあ。ていうか困ったなあ。フィクションをフィクションとして楽しむ能力を持ってほしいもんです。

◆ 『蛇娘と白髪魔』

樫原 これは、前にも書いてますが、すごい寄せ集めの作品ですねえ。しかし、これは映画化されるから、こういう集大成的な作品を描いたのか?それとも何か他に意味があって描いたのか?一ファンとしては気になる作品です。

半魚 『赤んぼ少女』のリメイクですよね。初出の「ティーンルック」ってのは、リメイク作品ばっかり載っけていますよね。多分、編集者が楳図先生を口説き落したんでしょうね。「ストーリーはリメイクで良いですから、先生ならスゴイ作品になりますよ」とか言っちゃって。「蛇娘と白髪魔」自体は僕はあんまり評価しない作品ですけど、「映像<かげ>」やら「蝶の墓」やらの名作を生んだ「ティーンルック」の編集担当者はエライです。

樫原 そうですね。確かに考えればリメイクですよねー。


姉・タマミ| 妹・小百合
ふたりとも美しいなあ

半魚 そんでもって、この「蛇娘」にも、ちょっくら「白髪魔」は「人為です」風がありますが、楳図の場合は、その処理の仕方は上手いとおもいます。

樫原 「紅グモ」に出てたおかあさんの演出した「クモのお化け」が「白髪魔」になり変わっていますよねえ。僕は映画では、「蛇娘」よりもこの「白髪魔」がとても怖かったという印象があります(笑)。

半魚 ああ、その映画、僕にも見せてくださーい(笑)。

◆ おしまい

あっ、最後に。そういえば、

『おろち』もヘビ

でしたね。

樫原 そうでしたねー(ここは震えるオノマトペでお願いします)。

半魚 あはは。トゲも付けますか。

樫原 いやー、これを忘れるなんてファン失格ですねー。(笑)

[おわり]


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対談期間: 2000-02-15〜03-15
Text 2000(C)KASHIHARA Kazumi / TAKAHASHI hangyo

http://www.freepage.total.co.jp/mamoruei/history.htm

これが、そうです。

半魚 おお、たくさん御作がありますね。これはすごい。

樫原 がんばって清書しなければ・・・(笑)。

半魚 お願いしますよ……(笑)。

樫原 そうそう、「三姉妹」は着々と進んでおりますよ。65ページの樫原にしては大作長編なので、下絵にがんばっております(笑)。

半魚 おおっ!それは楽しみです。

樫原 当然のごとく楳図といえば「ヘビ」ということで樫原かずみも「ヘビ」ものを何作か描いております。超短編もあり、中編もありますが今、「ヘビ」ものを描くとしたら「性的」なものとしてしか、描けない題材であるとしか思えないほど、樫原かずみは「エロ」的なヘビものを描いてます。

半魚 そうきましたか!

樫原 はい、しかもハンパじゃなくヘビ=エロの象徴そのものみたいな(笑)。

「蛇達の宴」「蛇女」「WARM」(この3つだけだ〜。(笑))

半魚 「猫」、よみましたよ(笑)。いいですね。赤裸裸に描いてあって(笑)。こういう、ほのぼの系もいいです。

樫原 あはは〜。ありがとうございます(照)。実はこういうものの方が知人には受けるんですよねえ・・・。

半魚 猫好きにも受けますね。

◆ 通過儀礼としてのヘビ