dialogue.umezu.半魚文庫

ウメズ・ダイアローグ(5)

ティーンルック・シリーズ


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樫原かずみと高橋半魚の楳図対談です。この対談は、メールによって行なわれました。

対談期間: 2001-04-16 〜 2001-06-26
2000(C)KASHIHARA Kazumi / TAKAHASHI hangyo


半魚 たんなる相の手でいいので、冒頭部分、なんかコメントください。

樫原 はいはい。おひさしぶりです。

楳図かずおの「目」の描き方には段階がありますよね。今回、昔から作成してました、楳図かずおの「目」の変遷史、というのと樫原が楳図作品に寄せる思いをウェブサイトに載せてみました。今回の対談は、楳図かずおの「目」の描き方が最高潮(?)だった作品ということで、張り切っています。

半魚 あーいや。そんなとっときのネタを最初から振られてもこまります(笑い)。アイノテのでいいんですよ。対談してる風な(笑い)。

樫原 はいはい、では。「半魚人」から3ヶ月ほど経ちましたね。お久しぶりです。

半魚 おひさしぶりです。第5弾は「ティーンルック・シリーズ」と題して、主婦と生活社の少女雑誌『ティーンルック』の創刊号(1968年)から1969年のほぼ1年間に渉って連載された5つの作品を扱います。

◆はじめに

半魚 初出の情報については、個人的には全然持ってないのですが、半魚文庫をご贔屓にしてくださってる「仙台のなおみさん」から、コピーを送っていただいたりしてるので、適宜、参考にさせていただきます。

 全体では、こんな感じの連載です。作品の所収も含めて、一覧表にしてみます。

映像(かげ) 1968年 創刊号〜12号 (全12回) 佐藤プロ こわい本
猫面 1968年 13,14,15号 (全 3回分載) 佐藤プロ コダマ
偶然を呼ぶ手紙 1968年 16〜24号 (全11回) 佐藤プロ こわい本
蛇娘と白髪魔 1968年 25〜27号 (全 3回) こわい本
蝶の墓 1968年 31号〜1969/15号 (全16回)現代コミ こわい本
灰色の待合室 1969年 16〜18号 (全3回) 恐怖
おそれ 1969年 19〜23号 (全5回) 現在コミ こわい本

半魚 このうち『猫面』は、貸本時代の作品の再掲載で、横置きで2頁分を1頁に掲載しています。とりあえず、今回は対象としません。

樫原 ティーンルックって、少女ものですよね?それに「猫面」ってすごいですが、内容とかに抗議とかなかったんでしょうかねえ。気になるトコロです。

半魚 仙台のなおみさんは、「こわくてよめません」と言ってました(笑い)。

樫原 あはは〜、分かる分かる。

半魚 所収の面から、みょうなグループ分けが可能だと思うのですが、大きくは、『恐怖』シリーズに入った「灰色の待合室」と『こわい本』シリーズに入ったほかの作品。細かく分けると、佐藤プロの貸本マンガに掲載された「映像」「偶然を呼ぶ手紙」のグループ、現代コミックに所収された「蝶の墓」「おそれ」のグループがあるんですね。「蛇娘と白髪魔」は、ちょっと継子的な扱いのような気もします。

樫原 大作ながらも、影に埋もれた作品集って感じがしますね。

半魚 その後、「おろち」が出ますからね。

樫原 でもって、「おろち」は少年誌でしょう。やはり何となくですが「違い」ますよねえ。

半魚 そうですね、「おろち」という山脈があるので、あんまり目立たないけど。「おろち」は、すごーく力強いですよね。比べて、こちらは華やかで軽やか。かなりディープなテーマを扱っているわりに。

樫原 そうそう、ノリがやたらといいですよね。特にわき役陣。それともこういう感じの雑誌だったのでしょうか。

半魚 やっぱり、GS全盛時代ですからね。

樫原 タイガースファンだったみたいですね。

半魚 使いまわしですが、前回作った1965〜1971年頃の楳図の連載を持ってた雑誌のグラフです。

 『ティーンルック』掲載作品は、講談社の『少女フレンド』『少年マガジン』の丸っこい絵柄から脱却しきっていて、その点では同時期の『平凡』の『恐怖』のシリーズよりも徹底していて、その後の『おろち』などへつながる「ザッツ楳図」的な絵柄がほぼ準備された作品群だと言えますよね。

樫原 そうですね、絵柄は、いちばん充実というか、プロ意識バリバリの構図、絵柄の構築が見受けられますねえ。最高の域に達した感がします。

半魚 また、ストーリー的には、以前の貸本作品時代のリメイク作品もありますが、絵柄の完成もともなって、あまり気にならないように思います。

樫原 僕は、この貸し本時代のはひとっつも読んだことないのです。だから、比較はできないのですが、内容そのものが「心理的」ホラーがメインですよね。昭和30年代でも、40年代でも、2000年の今でも遜色なく存在する作品群。という感じがして、ある意味「普遍的な作品」の幕開けではないかな?と思ったりしています。

半魚 じゃ、コピーして送りますよ。

樫原 うれち〜(^_^)半魚さんに足向けて寝られへんなあ。

 (というわけで堪能させていただきました)

半魚 でまあ、今ではふつうはもう描かない、差別的な表現もあって、そういうところは「時代だなあ」と思うところもあるけど、ヘビとかの即物的な恐怖より、人間関係や自己の存在などは、かなり普遍的な恐怖になりますね。

樫原 昭和30年代版の作品を見て思ったのですが、「絵」がこてこてのあの時代の少女マンガですが、テーマ性の確立はこの時代から固まっていますよねえ。もう少し、くだけた内容かな?と思いきや・・・寸分違わぬ物語の進行に驚き。特に「偶然という名のツミキ」の最終回の描き込み描写は、力、入ってますね。丹念な描写にこだわる特質が現れはじめてるようですね。

半魚 楳図の場合は、わかば書房や金園社など大阪での貸本作品のほうがシリアスじゃないですかね。上京してから、佐藤プロの貸本もやるけど、これは能天気な路線も多い。で、後、講談社の『少女フレンド』などは内容はシリアスな恐怖だが、絵柄は幼稚っぽくなっている。

樫原 そうなんですか。貸し本時代の作品を読破してみたいこの頃です。また、「まんだらけ」に行って物色したいなあ。

 時代を超えたテーマへの追求 といった感がしますねえ。

半魚 樫原さんは、どれが一番好きですか?

樫原 いやはや・・・全部お気に入りなのですが、「映像ーかげ」という作品は、楳図かずおが「漂流教室」で漫画賞を受賞した記念号(?)みたいな雑誌に、主な作品紹介で、この「映像」のカットがあったのですよ。

半魚 あー、はいはい。

樫原 まだ見てなかった僕は、どんなすごい作品だろうといつも見たいと思っていました。おぞましいシーンはないけど、とにかくその内容はシンメトリーにこだわる僕好みの作品です。いつも、思うのですが

同じものが二つある恐怖と神秘

ってありますよね。双生児とか、鏡とか、影とか・・・。

半魚 シンメトリーね。

 僕は、やっぱり『蝶の墓』ですね。タイトルがまず良い。

樫原 うむうむ。僕も好き。でもやっぱこの「ティーンルック」作品群はどれもいいものがそろってる気がしますねえ。

半魚 いちおう、順番に一作づつ年代順に論じてみましょう。

◆『映像(かげ)』

半魚 いちおう、細かいところから言っておくと、これは1958年にわかば書房『花』という短編誌に連載された「私ともう一人のわたし」という作品のリメイク作品なんですね。

 絵柄は、良く見ると中後期の『恐怖』シリーズと似てますかね。

樫原 とにかく、女の子がきれいかわいい美しい。当時のヘタな女流漫画家よりもはるかに美的センスあふれてますね。(^_^)

半魚 どうやら、こういうのも好ききらいがあるようで、洋館とか嫌いな人もいるみたいですけどね。でも、登場人物は一律に、美人ですよ。

樫原 僕、あらためてこの洋館の構図とかじッくり見たんですが 、しっかりと描いてますよね。複雑な構図をいとも簡単に(?)「赤んぼう少女」も最初は洋館からでしたよね。

半魚 そうっすね。

樫原 当時、この「洋館」って謎が多くて怖い場所の代名詞みたいな感じだったのしょうか?それとも高度経済成長時代の落とし子的存在?

半魚 やっぱり謎のほうじゃないですかね。洋館に住むような人って、経済成長期以前からの金持ちなんじゃないですかね。

樫原 うさんくさいような。羨望の的のような感じしますよね。洋館の住人って。

半魚 いやあ、うさんくさくはないんじゃないですかね、あの時代は。一億総中流意識が成立する以前の階級社会が残ってるような。

樫原 ああ、貴族の出とか?どうも僕は洋館=秘密の実験場所というイメージが・・・。(^_^)

半魚 絵美は、花野って名字なんですね。

樫原 花野絵美・・・。んー。んー。(笑)

 花の笑み・・・。

半魚 あー、そっか。花なんだ。

樫原 (^_^)いやいや・・・ゴロあわせなんですけど・・・。

半魚 えー、さいしょから唐突ですが、鏡をみてうっとりしてる女の子って、どう思います?

樫原 ヤバイぞ、おまえ!って(^_^)でも、これって女の子なら物心ついたときからこういう行動するのじゃないですかねえ。(オトコもそうかも)

半魚 (そーかー?)

樫原 (今は、そうですよー。怖いくらいにナルな子多いす)

半魚 (あー、ナルほどね)

樫原 自分の姿に見とれる。ナルシス的な要素、女の子は誰でも持っているような気がします。

半魚 誰でもあるんでしょうね。まあブスがやってる分には、「そのくらいの希望は持たせてやりたい」と応援しますが、ほんとの美人がそれがやってるから、多少始末が悪い。

樫原 ははは〜。楳図の作品には思い上がった女というのもけっこう多いですよね。その最たるものが「首」のシホ子さん。

半魚 あれはかなりヤな女ですね。

樫原 というより、あんな女いたら怖い。主人公の気持ちがよく分かる。

半魚 そうか、ナルシズムが度を越すと、ここまでくるわけですね。

樫原 単なるヤなヤツ・・・。(笑)

半魚 はは、まーそれはともかく。

樫原 最初からこういうシーンを見た女の子は、きっと「私と同じだわ!」なんて思いながらページをわくわくさせながらめくったのではないでしょうか(^_^)

半魚 あはは。40年代お嬢さんですね。

樫原 (^_^)

半魚 チュー子が出てますね。

樫原 んー、彼女のいない楳図作品なんてクリー○のない、コーヒーと同じですよ。

半魚 コマにもよるけど、顔はともかく、手足が長かったりして、みょーにスタイルがよかったりもするんですね。

樫原 ダイエットとかしてんのかしら?

半魚 絵美は美人なんでしょうけど、「でもあるきかたがちょっと」「それに服のセンスも」っての、どういう意味なんですかね。猫背でガニ股とかってわけじゃないですよね?

樫原 これは、きっと女の子の「やっかみ」を垣間見せる「セリフ」ですかね。とにかく「キレイで目立つ女の子」というのは誹謗中傷の的なのですかね。こういうとこも楳図かずおは女の子の心理をグッと突いてますよねえ。本当に女性のことを知り尽くしていらっしゃる(^_^)

半魚 あはは。やっぱり、たんなる誹謗中傷なのかな。そういう描き方って、でも他にはあんまり無いように思いませんか。

樫原 そういわれれば・・・。美人というのを引き立たせる役割ですね。また「みにくい人」の引用ですが、「美人とブス、どうして気が合うのか分かんないわ」で絵美ちゃんが「ほんとうに・・・」とダメ押しする部分がありますよね。何となく似てません?

半魚 (「また……引用」って、みにくい人を出してるのは、この後ですから(笑い)。ちょっと編集を考えてください(笑い)

樫原 (どーもしいません(汗))

半魚 (ははは……、失礼しました)

 傷付けるねえ、エミ子も(笑い)。でも、あそこまで乱れた顔じゃーねー。しょうがないか。

樫原 半魚さんもひどい・・・(^_^)。

半魚 樫原さんに言われるとは(笑い)。

 かげの出現にいたるまでの、絵美の不安や貢くんの異常な行動、家内での超常現象など、ちょっと唐突ではありませんか。

樫原 なははは。これはある程度「意味」のある出来事だと僕は思ったりしてるのですよ。少女が「女」になる瞬間の「心」の葛藤やおそれが形となって現われているのではないかな、と。

半魚 広く言えば、そういう事かな。つのだじろう的に、心霊とかで解釈してない部分、好きですが。

樫原 そうですね。(^_^) あの方はあれが「売り」だからなあ。

半魚 まー、期待もしてないし、比較に出すのも楳図先生にも申し訳ないけど。

樫原 別格ですからね、お互いに(^_^)

半魚 『空手バカ一代』はいい作品なんですけどね。

樫原 (^_^)

 貢くんも絵美に「欲情」を催してけしからんことをしたりしますが、

半魚 (ははは)

樫原 絵美も、実は自分でも気づかないうちに「女」としての目覚めがフツフツと現われていることをこの超常現象や出来事が語っているのではないでしょうか?

半魚 なるほどね。納得するね〜。

樫原 いやはや・・(恥)こじつけっぽくもありまするが・・・。

半魚 いや、そんなことないですね。

樫原 そういえば、女性は「生理」が始まると自分でも認識できない感覚に陥ることあるって話はよくありますよね。

半魚 どーかなー。ちょっと蔑視的な発想ではないかな。僕は生理はまだだし経験ないので、分からないけど。

樫原 (爆笑)僕もまだなんですけど、症状のひどい女友達によく聞いてたりしたものです。とにかくお腹がいたくてたまらないそうです、「血」って何かを呼び起こさせる力があるんでしょうかね。

半魚 ふー、どーかなー。

樫原 (僕の「三姉妹」でも生理が始まると変身なんてのありますが)横溝作品でも、生理になると「万引き」する事件の奥様がいて殺人事件に、なんてのありましたねえ。僕の作品はここからヒントを得たのでしょうが・・・。

半魚 すいません、横溝、全然詳しくなくて……。まあ、話としては、いいんでしょうけどね。でも、機械論的人間観だなあ。

樫原 読むと、楳図的イメージがどんどん脳裏にできちゃうんですよ。僕の場合。シンクロさせながら読んでますねえ。

半魚 ふーむ。

樫原 こうしてみると、子供が大人になる時期ってのは自分自身の中で超常現象が起きてるのかもしれないですねえ。

半魚 まあ、「奇蹟」でしょうからね〜。

樫原 あ、そうか「超常現象」って「奇跡」と同じなんだ。ありえないことが起こるのですもんね。(^_^)

半魚 『真悟』の言う「奇蹟」と、ふつーに言う「超常現象」とは、ぜんぜん違うと思うけど(笑い)。

樫原 そうすると、この「映像」という作品は「わたしは真悟」と通じるもの多々ありそうですね。

半魚 そうですね。でまあ、全面的に「子供」を問題にした『真悟』に対して、ティーンルック作品は、「女の子」を問題にしてますね。

樫原 対象に合わせて。でもこれほど一貫したテーマを何年も持ち合わせているってことは、「子供」という観念にものすごいこだわりを持ちつづけているのでしょうね。

半魚 そうですね(断言)。ただ、ティーンルック作品の場合は、「女の子」に限定されてる、その事が重要だと思いますね。

 「ほほほ」と笑うかげの点描の顔、すごいですね。

樫原 そうそう、じっくりと見たのですが、単なる点描ではないような気がしません?ところどころ布に墨をしみこませてたたいてるような・・・。技術を使ってるような個所があるのですが・・・。

半魚 マンガ家の実際の技術は知りません。が、純粋な点描じゃないですかね。

樫原 もーう、背筋がゾクッときましたよ〜。ウメカニズムの付録にこの絵葉書がありますよね。もうマイ宝物です。

半魚 ただし、点描で顔を描くと、ちょっとキタナイ感じしませんか?苦労程には、効果半減というような。

樫原 (^_^)いやあっ!そんな風に悲しいことを・・・。丁寧に何時間もかけて描いたかもしんないのに!

半魚 いやあ、時間かかってるのは、ほんとに分かりますよ。

樫原 昔、某少女漫画スクールで、「点描」は効果によってはすっごい「ソフト」な感じか、「不気味」になるおそれがあるので気をつけましょう、と(^_^)

半魚 んー、かなり、なってますね(笑い)。

樫原 でも、このテの「点描」はけっこうありませんでした?

半魚 この頃が、一番多いんじゃないですか。「イアラ」の短編シリーズでもあったかもしれないけど、「ティーンルック」みたいに、キメのシーンでこれを使う、ってのは少なかったような。

樫原 なにげないヒトコマとかにポツとか・・・。

半魚 そんなかんじ。

 鏡を介しての認識論は、樫原さん好みでしょ?

樫原 そうですねえ。鏡というモチーフ自体は僕は使ったことはないのですが(と、いうよりこの作品で使われてる以上はもう使えないな、と)精神分析の話か何かで「鏡」というのは自分とまったく同じ動きをしてるがよく見ると、右手を挙げると、鏡は左手だよ。これは自分であって自分でないモノなのだ。というようなオハナシがあって、鏡は虚像ゆえに実の自分の姿ではないのだ!というモノ。鏡を信じてはいけませんよ、と世の女性に問いたいですねえ(^_^)今、お化粧してる貴女の姿は真実のモノではないのだ!

半魚 ははは。精神分析で言うと、ジャック・ラカンってひとが、人間の成長の段階で、鏡像段階というのを設定したんですよね。フロイト風の、母子関係からエディプス三角形に至る間かな。鏡を見て、自己を認識するんだって。

樫原 ふむ〜。考えると複雑な感じがしますが・・・。自分の顔に両親との類似を見出してしまう、てなことなのかなあ。

半魚 いやあ、両親が介在する前なんじゃないかな。でもラカンてのは、キチガイ的に難解なので、よくわからん(笑い)。

樫原 ちょっと、興味が湧いてきました。今度本屋でその方の本を探して来よう。(^_^)

半魚 そうっすか(笑)。おすすめはしません、はは。

 自我がふたつに分裂するってのは、精神分析の基本的な対象のひとつですね。九〇年代のホラー映画は、みなサイコ物が席捲しましたが、この時代にもうやってた、とは言えますね。

樫原 少し・・・最近はこういう映画や作品がはびこりすぎましたね。オチがみんなこういうので片付いてしまうような駄作のオンパレードが。ヒネリが欲しいとこですよね。

半魚 『羊たちの沈黙』なんかが出たころは、サイコ物ってすごいなーと思いましたが、ここまでやられると飽きますね。

樫原 (^_^)僕はあれ、ダリオ・アルジェント的な雰囲気のみしか味わえなかったス。殺人の美学みたいな、ね。いかに美しく死体を飾るか に興味を奪われていました。「ハンニバル」もそうなんです、実はワタシ・・・。お話なんてどうでもいいのです(^_^)←失礼ですよねえ。

半魚 「ハンニバル」、キモチわるかった〜。あれ、反則ですよ。

樫原 まだ、見てないので詳細はご法度ですよ(^_^)

 サイコ的なもので「イヤ」だなあって思ったのは「ゆりかごを揺らす手」って作品。

半魚 へー、しりません^^;。

樫原 ヒスを起こす悪女の演技が真に迫ってた。「おこりがおしたくありません!」なんて悠長なのではなかった・・・。

半魚 鏡に映る薔薇の花のシーンは、なかなかこわいですね。

樫原 これは、丁寧に描いてますね。今ならCGとかで簡単に映像化できるのでしょうが、こういうとんでもない絵柄ってホントあこがれてしまいます。

半魚 ここは、ちょっともったいないところですね。こういう演出は、かげが鏡の中にいるから面白いわけで、かげはすぐに外に出てきますからね。

樫原 そうですね。最初は「手」だけとか徐々に少しずつ出て行くって方が怖さ倍増かなあ。

半魚 そうですね、そんな感じでもよかったかもね。

 「若殿さん」ってキャラクター、ぼく大好きなんですよ。

樫原 おねえ言葉なんですよね。(^_^)今ならすっごい人気でそうなキャラ(^_^)

半魚 『漂流教室』でも活躍するんですよ。

樫原 ええ?いましたっけ?そんなの?初耳。

半魚 いるんですよ。翔ちゃんのクラスの子で、泥沼と化した東京湾で翔を踏み越えて渉ることを躊躇して死んでしまう。

樫原 ちょっと確認しなきゃ。

半魚 それと、ドテ子っても、他でも出てきますよね?

樫原 「蝶の墓」でしたっけ?オネショするクセのある・・・。「気は大きくもとう!」って。

半魚 『アゲイン』にも出てきますよね。

樫原 あはは、いたるところに名バイプレイヤーなんですね。

半魚 商店街の絵のうち、右のほうにあるポスターはジュリーじゃないですかね。

樫原 ホントだ、それっぽい。

半魚 「あなたは自分が美しいと思っているけれど、一度でも自分の姿を見たことがあるの?あなたがみているのは鏡の中のわたしよ……!美しいのはわたしよ……!」このセリフは、なかなか鋭いですね。

樫原 先ほどの実像と虚像が、このとき見事に入れ替わるのですね。

半魚 そうですね。

樫原 もっとつきつめて考えるならば、あなたは自分の「心」そのものを見たことがあるのか?自分自身の本当の姿を知ってるのか?っていう問いかけみたいですね。後々にも出ますが「自分の本当の心」が顔かたちに現われるという「楳図論」(?)を見事に具象化させたセリフ!

半魚 なるほどね。

 「MAM(ママ)」という表記が、なんだかほほえましいですね。

樫原 これは、僕「おっしゃれー」だなあ、と思いましたねえ。当時にしてはハイセンスではないですか?

半魚 かなりハイセンスですよ。

樫原 あと、別の作品かもしれません車の音「BRoooo!」ての。僕はあれよく引用させてもらってます。(^_^)

半魚 そんなところ、ありましたか。

樫原 これは、別の作品「枯れ木」でした。

半魚 絵美は、家に帰っても、ねえやや母から信用されませんが、ぼろい服を来てて、たんなる「そっくりな女こじき」だと思われてるわけですね。

樫原 こ○き・・・。(^_^)この個所は僕「江戸川乱歩」の小説を思い出しましたねえ。富豪の令嬢が自分とそっくりのこ○きの少女を見つけて服を変えて別々になりすます。と、こ○きの少女が一変して、令嬢を「こ○きが入ってるわー!」とかいって追い出す。怖い怖い個所でした。

半魚 へー。『こじき王子』の一パターンですかね。

樫原 あ〜、そこから取っていたのかぁ、乱歩。気付かなかった。

半魚 いやあ、入替わるってだけの話ですが。『王子と乞食』だったっけ?あの名作は。

樫原 そういうのありましたよね。僕も記憶が曖昧。

半魚 こういう、自分とは別の自分がいて、アイデンティティ・クライシスに陥る、という話は、ほかの楳図作品や、あるいは楳図作品以外で、どんなのがありますかね?

樫原 んーんー、(記憶をまさぐる樫原・・・)似た話では「ほくろ」「内なる仮面」「谷間のユリ」も、ある意味で・・・。同じ顔が・・・というのでは「影姫」ですかね。

半魚 やっぱり、『影姫』(鬼姫)ですねー。『影姫』は、『猫面』も関係あるから、やっぱり『ティーンルック』に『猫面』が入ってるのは正しいのかな。

樫原 うむー。うむー。(何でこれが少女マンガに?と理解に苦しむ)

 ウルトラQの「悪魔っこ」という怖〜いのもそう。

半魚 あー、それわかんない。

樫原 お送りしましょう(^_^)シナプスが異常に発達するのぢゃ!

半魚 「Q」はみたいですね〜。

樫原 6月25日からDVDで販売されまする(^_^)待っててくらさいね。

半魚 もうすぐっすね。

樫原 SFでは最近のシュワちゃんの「シックスデイ」ですかね。

半魚 これ、みてないんだな。原作を確認してないけど(オリジナル脚本なのかな)、これ、実にP・K・ディックっぽいですよ。ディックは、楳図とすごーく近い問題を扱ってると思うのですね。「自分とは何か?」とかね。それを、奇想天外なストーリーの中で達成するのです。

樫原 なるほど。同じような作家なら納得ですね。今日、実はレンタルビデオ屋でまた見つけました。「趣味の問題」とかいうヨーロッパ(?)映画ですが自分とまったく同じヤツが存在して・・・って話。

半魚 へー。それは興味深い。

樫原 ん。「世にも怪奇な物語」の映画でも「ポー」の原題忘れましたがアラン・ドロンが自分の善である影に脅かされるオハナシありましたね。

半魚 無知で、ぜんぜんわからない。(笑い)

樫原 考えたら、自我がふたつあってそれがいつか具象化されて叛乱を起こすって作品、かなりありそうですね。これは、興味深い。

半魚 双頭のヘビとか、ワシとか、どうする気だろう。まあ「双頭の巨人」ってのも楳図にありますがね。

樫原 (笑)そのテの名作は萩尾望都の「半神」ですよ〜。(もう読まれたんでしたっけ?)同じ存在の二つを見事に描いてる。(しかもたった16頁で!)文句ナシに「負けた」って思いました。

半魚 まだ読んでません。なんだか見つかんないですね。

樫原 もう、古いのかなあ・・・。(^_^)

 後は思い出したら・・・その都度加えていっていいですか?(^_^)

半魚 (そうしてくらはい)

 ねえやに邪魔されて、かげの部屋へは入れなかったけど、結局、絵美は家の中の部屋で寝るんですね。これ、ストーリー的におかしい(笑い)。

樫原 客間みたいなトコをこっそり使ったような気がしません?

半魚 そうですね。御屋敷ですからね。

樫原 追い出さないトコを見ると、母親もねえやもどっちが本物なのか理解できない状態にあったのですかね。

半魚 というわけじゃ、ないような(笑い)。

樫原 (^_^)確認しておきましょう。どこかに忍び込む塀があったりして(ミイラ先生みたく・・・^_^)

 これ、ミイラ先生と同様にありましたねー。

半魚 朝起きて、鏡を見て、姿が映らない、という部分から若殿ちゃんが出てくるまで、絵美の顔を一度も見せない、描かないのですね。この部分、上手い演出ですね。

樫原 そうそう、読者をあざむく手法ですねえ。いったいどんな顔になってしまったんや?と否が応でも見たくなるもんなあ。心理をついた描き方ですねえ。

 花屋のショーウィンドウ(?)で自分の顔を確認する絵美。「紅グモ」と同じですね。こういうの見つけるとうれしくなっちゃう。

半魚 なるほどね。

 このテクニック、つぎの『偶然を呼ぶ手紙』でもつかってますね。

樫原 使ってますねえ。山田すずこの顔・・・見せないんだよなあ。それでもその顔を見て子供が泣き出すってトコですよね。

 子供の恐怖の表情が君の方が怖い!って言いたくなるほど。

半魚 ははは。

 若殿ちゃんとの絡みのシーンは、わかば書房『花』とほぼおんなじです。

樫原 ああ、そちらも見てみたいす。

半魚 (コピー送るので、見てからコメントください)

 若殿ちゃんの妹のみっちゃんは、かんな風ですね。

樫原 かんなよりも男らしい(^_^)ピョンコちゃんにも似てませんか?

半魚 ああ、そうですね。

樫原 若殿さんの「おんな言葉」に対応してみっちゃんは「おとこ言葉」ですね。これも、テーマと密接なつながりがあったりするのでしょうか?

半魚 んー、それはどーかなー。

樫原 単なる「お遊び」かな。

半魚 展望台から望遠鏡で外をのぞく、というシーンがありますね。

樫原 この時期、そういったもの流行してたのかなあ?映画なんかでもこういうシーンよくありませんでした?

半魚 『裏窓』かなあ。

樫原 あ〜いえ、スミマセン。当時の邦画デス。なんだか子供が出るシーンの遊園地とか屋上で必ずこの画面があったように思えます。

半魚 ボケですいません(笑い)。子供のころ、デパートの屋上とかで、あの望遠鏡で覗くの、ほんとやりたかったです、たしかに。

樫原 一種、流行みたいなもんだったんでしょうかね?僕は馬とかの電動モノに乗りたくてしょうがない頃だったけど。

半魚 ああいう子供ダマシの遊具にだまされる子供であることは、大事ですね。

樫原 ははは、銭使っちゃうムダなものなのになー。なんでああいうものに乗りたがったんだろう・・・。

半魚 猫目小僧のお面をかぶってる子どもが、ネジクギをもってくる。かげの老獪なワナにはまってゆく。

樫原 「僕、かわいい子」とかこの少年言ってませんでした?

半魚 そうそう。ぶさいくなんですがね。

樫原 (^_^)

半魚 貢さんの家にゆく。貢は、ネジクギの外された自動車に、知らずに乗り、事故を起し入院する。

樫原 「洗礼」の谷川先生の奥さんのお母さん・・・。ムカデはやだなあ・・・。

半魚 自動車事故も、当時の社会問題ですね。

樫原 免許持ってる楳図かずおだから、実際問題としても描きやすいのですかね。車ってある意味密室でしょ?閉所恐怖症の人とか怖いでしょうね。

半魚 あれー、楳図先生、車の免許持ってるんですか?

樫原 ??あれっ?思い過ごしかなあ?「蛇娘と白髪魔」映画版で、タクシーの運ちゃんで出演してて実際に運転していたみたいだったので、持ってるんだ〜と思い込んでいたのです。

半魚 ああ、運転してますね。でも、実際は持ってないでしょう。タクシーにも気持ち悪くて乗らない方ですから。

樫原 (^_^)突然ですが不思議な類似点を発見!かの横溝正史先生も乗り物がてんでダメだったそうです。飛行機なんてとんでもない!と怒り出すそうだったそうな・・・。天才は似てるものなのかな。

半魚 どーかなー(笑い)。

 病院にゆく部分、絵美が説明口調ですね。

樫原 そうですね。トーンもバリバリ使ってますね(^_^)

半魚 バリバリかなあ。ギザギザが交差してるのはトーンで、『漂流教室』の冒頭のほうでも使ってるやつみたいで、これちょっと目立ちすぎの柄ではありますが、その下のザクザクしたやつは手描きですよね。それよりか、かげと対面するときの廊下の壁の柄。これ、すごいっすね。いくら少女雑誌でも、ここまで花があると、ブキミすぎますよ。

樫原 映画「サスペリア」の女生徒の寮の壁がこんなんだった。

半魚 黒光りした床に、白い影ってのも、かっこいいセンスですが、少女には怖くないかな。

樫原 んー、あまり意識しないで先に進んで見てるような気がしますが・・・。少女って・・・。

半魚 かげが絵美に言う、「あなたはみにくい!」「わたしが本当の絵美で、あなたがかげよ」

樫原 この辺って「影姫」とも似てません?今まで弱い立場だったのが、急に強気になって采配をふるいだす。なんともいやあな感じがするけど、先が気になってしょうがなくなる(^_^)

半魚 そうですね、そうですね。(このヘン、ほりさげられますね)

樫原 楳図の作品の作り方へ突入できそうですね(^^)

半魚 強者と弱者との立場が逆転するってパターンは、ドラマづくりの基本みたいなところもありますが、楳図の場合だと、単純に外在的な要因や運なんかではなく、当事者たちの感情のあり方の問題に原因したりしてて、ドラマに一層深みがありますね。とは言え、『赤んぼ少女』なんかは、この逆転が案外単純だったりしますけどね。『まことちゃん』も、元気だったまことが、なにかの原因で急にグブー、とかしゅんとかなっちゃうが、これも外因的なイタズラとかだな。おろちや猫目くんは、基本的に傍観者ゆえに強者で、本質的な弱者になることはない。

樫原 「感情」の叛乱というトコがストーリー的にも肝心ですね。緻密に計算された状況を把握して、周囲を反応を考えながらいっきに逆転の立場となる。

 ある意味、「脅迫者」と「被脅迫者」の立場に似ていません?「被脅迫者」が「脅迫者」を殺害する、カタストロフィ。これが端的な現れですよね。脅迫者は常に被脅迫者の迫害を予測しておかなければ、いつか殺される、という横溝物語の中にこういうのがありました。

半魚 なーるほどねー。

樫原 ともあれ、楳図かずおのストーリーテラーたるトコロはそれが、人間の感情とあいまって、爆発するどんでん返しな部分の見せ場が最高に面白く描ける、ってトコですね。

半魚 そうですね。いささか普遍的という感じの部分をしっかりつかんでますね。

樫原 ツボを押さえた演出・・・という感じでしょうか。

半魚 かげが、寝たきりの貢さんにキスしますね。こういうあたりから、かげに積極的な感情が生れ初めてるんでしょうね。

樫原 ところで、少女漫画誌に「チュウ」が許されたのはいつごろからなのでしょうね?何かご存知のことありますか?

半魚 しらない(笑)。初期の手塚はやってませんでしたか?歌になったのは『キテレツ大百科』からですかね。

樫原 (爆笑)はじめての・・・。初期の手塚ですか・・・どうなんだろうか。

半魚 いや、わからん。映画とかだと、ガラス越しのキスシーンとかが古いんですかね。

樫原 岡田英二と久我・・・ふるいなあ、半魚さん。(^_^)

半魚 いやあ、そんな御誉めに預かるほどの者では有りません。

 鏡に映ると、左右が逆になる、つまり「まったく同じ」ではない、という事に気付きますね。トリック・ストーリー的には、ここが一番重要なぶぶんでしょうね。

樫原 これがないと「事件」は片付かないのですよね(^_^)でもって、ごくごくフツウの単純なことなのに、誰もがそのことに気づかない。これも江戸川乱歩の小説のモジリですが「単純に見えれば見えるほど手品ってのは誰もそのタネが分からないのだ」。やはり楳図はストーリーテラーですよ。再認識。

半魚 まあ、「鏡」というモチーフを用意したときに、さっと思い付いたんでしょうね。

樫原 冒頭のナレーターがこれをうまく表現してましたねえ。(再読しました)

半魚 ちょっと話違うんですが、冒頭のナレーションの部分で、元タレントの母が、娘絵美の芸能界入りに大反対だった……という設定、これ面白いですね。ティーンルックなんて、基本的にみな芸能界にほのかな憧れを持ってる読者が総てなわけで、そういうところへの教訓的な戒めにもなってる。大したことではないけど、読者にはちょっとして違和感というか、ひっかかりを与えてくれるはずですよ。

樫原 確かに。奥が深いですね。単純な少女マンガなら世襲的に娘も・・・って考えがちですよね。でもって、このあたり「洗礼」にすっごく似てません?「映像(かげ」って作品を描いてる頃に楳図かずお中には「洗礼」の構想があったのかもしれませんね。

半魚 『洗礼』の持つ、母と娘というテーマにまでは至っていませんね。しかしまあ、一卵性母子じゃないが、葛藤のテーマとしては共通かもしれませんね。母と娘に割り振るか、一人の内部の問題として描くか、というだけの違い。その違いは、大きいですが。

樫原 でもって、母親は娘という自分の分身を産んでいる・・・。なんだかアメーバみたいですね。

半魚 水の中からでてくるかげ、これこわいですね。ちょっと特撮というかSFXですね。

樫原 今ならCGで・・・(^_^)この人、出没自在なんですねえ。反射するものとか投影するものがあればそこに存在できるのかあ。いいなぁ。ん?描写でしたね。この描き方はほんとウルトラチックですね。BGMには「ウルトラQ」のテーマ曲が聞こえてきそうですよ。

半魚 うんうん、だから特撮ですよ。CGじゃ駄目だな。

樫原 モノクロ画面でおどろおどろしく、ね。

半魚 あはは。

 蝶と花、というたとえが面白いですね。

樫原 森進一のヒット曲からヒントを?(^_^)

半魚 (ぎゃ、しらん。ちあきなおみじゃなくて?)

 ともかく、女の子の二面性を蝶と花にたとえるのが、なかなかオツですね。森進一のは、男と女じゃないのですか?

樫原 そうだそうだ。(^_^)

半魚 そうですか。

樫原 ♪女が花で〜男が蝶か〜 )なんて詞じゃなかったでした?

半魚 いつごろのウタですかね?

樫原 昭和40年代。この作品の頃じゃないすかねえ?

半魚 そうですか。

樫原 でも、この表現はすごく個人的に好きなんですよ。半魚さんは、「蝶」と「花」どちらが好みですか?

半魚 蝶だな。

樫原 僕は「遊び」なら「蝶」。「本気」なら「花」かな。

半魚 僕は、蝶だな(んー、蛾ともいうかな)。

樫原 はっきりしてくらさい!蝶と蛾では違うのだ!夜の蝶=蛾ってこと?(^_^)

半魚 蛾と蝶って、違うの?サケとマスって、実は区別がない、それと同じだと思ってた。

樫原 全然違う!と僕は「本能的」に感じてるのだ。(この「本能」というのがミソですね。(^_^))まず触覚が違うでしょ?んでフツウの状態でも蛾は羽を広げてるけど蝶はきちんとたたんでます。蛾はきれいだけどやはり本能的に「怖い!」と思う。蝶には不思議とそういうイメージはないんですよね。

半魚 ああ、そっか。解剖学的にも違うか(笑い)。繭を作るのも蛾だけかな。しかし、イメージ的には、蝶も恐いでしょう(笑い)。

樫原 それは「蝶の墓」だけ。

半魚 はは。

樫原 ナメクジとカタツムリの違いみたいなもんですかね。

半魚 ああ、あれも近いのね。

樫原 あ、でも半魚さんはロ○コンだから「蛹」か「幼虫」ですか?

半魚 ちがうって(笑い)、まじで。

樫原 まあまあ(^_^)気は大きく持とう!

半魚 ははは。

 かげは、貢を好きになることによって、完全に自分の立場を見失いつつあるというか、弱みを持ち始めています。

樫原 「感情」というものが、芽生えたときから「崩壊」が始まるのですね。もしくは「頂上」を極めたものには後は「転落」しかないのか?という譬えでありましょうか?

半魚 『わたしは真悟』だね。

樫原 あ〜、ホントだ。昇りつめると、後は下るしかないのだ、という楳図理念ですかね。

半魚 何を「頂点」と見るか、そして、「下る」のも下るだけの意味を持たせてますね。たんなる零落とかではない。

樫原 ちゃんとした、意味があるからこそ僕らも思わず納得させられてしまうんですよねえ。

半魚 絵美が、ねえやにホクロのある位置を聞きますね。ねえやは、現金な受け答えですね。

樫原 「ことの重大さ」が分かっていないお気楽なねえや(^_^)好きです。こういうのも。

半魚 ははは。『蝶の墓』にも出てきますね。 ともかく、これ、ばあやじゃないんですね。

樫原 シャカリキねえや!って感じですね。ばあやだとメシ作るくらいだから色々と活躍させたいと思っていたんですかね。力仕事とか、ストーリーの合間のお遊びとか・・・。「蝶の墓」では気絶するときにわざわざスカートを下まで下げてから気絶したりしてましたね。笑えた。「あら〜」とか言いながら。

半魚 半魚人のばあやは、「帰らせてもらいます」の一言だけですからね。

樫原 (^_^)少しは活躍しろよーって(笑)

半魚 ラストのクライマックスの部分ですが、かげは額からヒビが入っていきますね。ここも、すごい表現のところですね。立体であるはずの人間のかたちに、鏡のような2次元の感じでヒビがはいっているわけです。

樫原 「洗礼」でもこのシーンが使われてますよね。

半魚 村上医師ですか。

樫原 ああっそうそう、吸血鬼ドラキュラのような感じの医師。昔ならきっとピーター・カッシングがこの役ですね。

半魚 ああ、そんな感じですね。でも、ちょっと怖すぎるかな(笑い)。個人的には、クリストファー・リー好みなのですが。

樫原 あああ、あれは怖すぎっ!

半魚 (そうですね、こういうA級ホラー(?)がみたいなー)

樫原 ((^_^)第1作「吸血鬼ドラキュラ」はLDがありまする。字幕ナシの海賊版で「凶人ドラキュラ」(僕がホラーマニヤとなった記念すべき作品。「吸血鬼ドラキュラ」の続編なのだ!「ヘビ女の脅怖」「吸血ゾンビ」があったりします・・・見ます?^o^)

(返答はいかに?)

半魚 (んー、まだいいです(笑い)

樫原 当時「洗礼」を見た僕はびっくりしたものです。最初にこの「映像ーかげ」を見てたら、開いた口がふさがらなかった、と思います。

 虚像の崩壊。ああほうかい。(^_^)すみません。

半魚 ほうよほうよ(はだしのゲン風に)。笑い。

樫原 笑わせてくれますねえ。お腹よじれました。

半魚 いやいや。

樫原 そうそう、かげが朽ち果ててゆくまでのセリフがかなり興味深いものがありますね。

 長いけど引用してみます。

半魚 クライマックスの長ゼリフですね。

もう鏡にはもどることはできないわ。わたしはかげだったの。鏡の中のただのかげだったの。でも鏡にはもどれない・・・そしてこの世に存在することもゆるされない。

だまっているとこわいわ死ぬのがこわい!だまっていると死を意識するわ。だからしゃべらせて!

生きているということはどういうことかしら。わたしは考えることをするようになった時生がめばえるのだと思うわ。

考えないものは生きていないのよ。

 ・・・・鏡の前に立つ絵美さんの美しさをふとどこかでしっとするようになった・・・。これが私に心が出来るはじまりだった。そうしてしっとするだけではなくこうげきする気持ちに発展していった。

・・・・・・愛がめばえると私は実体化していった。ただのかげからあなたたちと同じかたちのあるものに・・・

樫原 感情の流れがひしひしと分かりますねえ。「生」(命)と「心」(魂)に関する楳図的解釈のようにも思えます。

半魚 違うと言えば全然違うんだけど、生命観という点で『真悟』と近いですね。「わたしは考えることをするようになった時生がめばえるのだと思うわ」……、ここだけだと単に

「君らもモノを考えなさい」みたいな教訓

で終っちゃうけど、「考えることが生きることだ」という点では、『真悟』ですね。

本来、生を持たないはずのものに生を与えるという物語

ですね。もちろん生がめばえる原因と、そして芽生えた生において考えられた内容とが、「映像(かげ)」と「真悟」とでは、憎悪と愛情と、違うけど。でも、どちらも狂気を孕んでいる。んー、むしろ愛情のほうに「狂気」が宿ってるかな。

樫原 そうそう。意識のないものが意識を持つという辺りは「真悟」のそれとまったく同じですよね。

半魚 うん。

樫原 どこかで「女」としての視点で見るときには「対象物」へのねたみそねみひがみが、押し出されていくのでしょうね。それこそ、「ちょっと服のセンスが」「それに歩き方が・・・」といった具合に。澱んでしまった「感情」みたいな。分かりやすい嫉妬。

半魚 まあ、そういう描かれ方をしてますね。

樫原 これが「子供」の「親」(?っていうのかな)へ愛を投げかけるときには欲得ナシの純粋に近い感情だから、意味がない=狂気に見えるのかもしれませんね。

半魚 愛情のほうが狂気・凶器だっていうのが、例えばイアラでもそうだしね。まあ、キカイだってこともありますけどね。

樫原 意志のないものが意志を持つ。愛情を呼びかける。「闇のアルバム」24「終末」がそれですね。

 ラストシーンで、再び鏡を見つめる「絵美」がいますね。でも、このときは表面の自分ではなく「心」を見つめているように自分の姿を認識していますね。手に花を持って。

少女だった自分への決別なのでしょうか。

半魚 そうか、これ、心に花を持ってるの?

樫原 うーん。美しい心の象徴なのかなあ?そこまで分析してませんでした。(^_^)

半魚 いや、鋭いですよ。なんか、納得しちゃったもん。

 そうそう、これ「こわい本」シリーズに入るとき「鏡」と改題されたりもしてるんですよ。

樫原 うむ・・・。僕は「映像(かげ)」のほうがいいかなあ。「鏡」に副題つけて

ドッペルゲンガー絵美

なんてのはどうでしょう(^_^)

半魚 ドッペルゲンガーって、ずばり言っちゃおしまいですよ。ともかく、「鏡」なんてつまらんタイトルを許した楳図先生の意図が、ちと分かりませんね。まんまだろ、って。「影姫」→「鬼姫」もそうだけど。

樫原 流されたのでしょう(^_^)

 んで、楳図先生はこの後「蝶」の墓を描くという・・・。

◆偶然を呼ぶ手紙

半魚 これは、『虹』に連載された「偶然という名のツミキ」のリメイクです。「……ツミキ」のほうは全部は読んでませんが、これも「映像(かげ)」と同じように、かなり正確なリメイクみたいに見えます。

樫原 これも見ていないのですが・・・見たいっ。

半魚 洋子が主人公ですね。この両サイドにふんわりおさげにしてる髪型が、僕は好きなんですね、あはは。

樫原 これまた「洗礼」の・・・名まえ忘れた・・・あの子もですね。半魚さんのひいきのキャラは。

半魚 中島さんね。

樫原 あ〜そうそう。もうボけてきてるなあ。僕。忘れっぽい。

半魚 いえいえ、僕ほどではないでしょう。

 ただ、この作品は、特にそれほど好きってわけでもないのですよね、ぼくは。その点で、話題にする点は、僕はあんまり多くないです。

樫原 うむうむ。これは「恐怖」というよりは「コメディ」要素が多いですよね。違った意味から「毛色の違う」楳図作品みたいな気もしますね。

半魚 

すず子が、ちょっとあんまりにもあんまり

なんで、コメディ的になっちゃうんですね。まあ、実際の「ぶさいく」という面から見た女の執念の一大傑作だとも言えるのですが。

樫原 ひんえ〜。

楳図先生もよくもここまで「ブス」を取り上げたなあ

って感じ。

半魚 そうですね。

「ブス」ってなんなんだ!という最大の問題

が、この『偶然を呼ぶ手紙』で突きつけられていますねえ。

 ミス・スタイルという先生が、可笑しいですね。このあたりが微妙で、これ以前は、青山先生とかいい先生、これ以後は漂流教室的なわるい先生というかんじになってゆくような気がしますね。

樫原 再読して、笑ってしまいました〜。わたしはおこり顔はしたくありませんのでね!

半魚 たぶん、昔のマンガって、先生=善だったんじゃないかな〜。学園モノなどでも、教頭とかいやな先生も脇役ではいるけど、必ずいい先生は出てくる。ミス・スタイルは、所詮脇役だけど、この作品、いい先生が出てこない。

樫原 当時・・・こうなりつつある教育事情だったのでしょうかねえ?

半魚 世の中、戦後じゃなくなったんでしょうね。

樫原 後で女学生がそのことを言うシーン。これってすごいリアリティがあっていいですねえ。

半魚 そうそう。そういうミス・スタイルを生徒がおちょくってる。

樫原 今なら、さしずめ本人の目の前でおちょくるんだろうな。

半魚 まあまあ(笑い)。

樫原 ははは。先生の評価もだんだん時流に乗って・・・。

半魚 かなり新しいですよ。

樫原 先見の明。

半魚 学校の床の市松模様も沢田家風で派手ですが、洋子の勉強部屋の床も、すごいですね。江戸時代の格天井が床になってるみたいな。

樫原 凝った作りの家ですよね。(^_^) まさにサイケデリック!!

半魚 洋子は、絵美と違って庶民の子供だと思うのですが、この時期でちゃんとこうしたファッショナブルな個室の勉強部屋って、やっぱり読者の憧れですよね。

樫原 中流の上って感じですね。理想とされる家屋の図、みたいなもんでしょうね。当時の。

半魚 うん。まあ、「中流のはずなのに上」っていう、悪く言えば読者サービス、よく言えばアンバランスさ(意味不明)。まあ、でも、洋子が個室を持ってるストーリー的必然は、いまいち無いけど、でも、手紙を書く行為が誰の目にも触れない所でなされる必要があった、とは言えますね。

樫原 一緒だったらマリ子が絶対何かしでかしましたね(^_^)

半魚 そうそう。

 山田すず子の失踪について、テレビ報道がなされますね。これ、昔のこととは言え、あんまりだと思いませんか(笑)。

樫原 いやあ、笑えますねー。この頃からテレビってかなり普及率高かったんでしょうね。それこそ猫も杓子もテレビ見てた時代への突入って感じで、この風潮を描いてみたかったのかなあ・・・。

半魚 『漂流教室』でも、過激派の給料泥棒・馬内がテレビ放送されますよね。『真悟』でもさとるらが行方不明になったって、放送される(ふつうしないとおもう)。『14歳』では、情報操作、メディア戦略としてのテレビが描かれる。この辺は、暴走するマスメディアを描ききってるように思うんですね。

樫原 うむうむ。テレビってのはやはり「象徴的」に使われますよね。僕も必ずリビングにはテレビを描くのが必須条件ですねえ。そういえば・・・。

半魚 テレビはもはやリビングには無くなりつつあるんじゃないですかね。家庭崩壊に伴って。

樫原 うっ、そうなんですか・・・。先見の明を取り入れなくちゃ・・・。やっぱ壁掛けPCとかですかね。これからわ。

半魚 んー、壁掛けはもうふつうにあるじゃないですか。脳に直接、なんてのは未来っぽ過ぎてまだリアリティないでしょうが、薄型モバイルか、ウェアラブルな受像機か、プロジェクタか。まあこれも普通にもうあるけど。

樫原 ホントに未来予想図を想定して描かなきゃいけませんね、こりゃ。これからわ(^_^)

半魚 とりあえず、パーソナルでヴァーチャルな空間になってくんですかね(笑い)。

樫原 んん。次回からのSFっぽいのはそれを取り入れよう(^_^)

 でも、自分の娘が「ぶさいく」だって公共の場で言ってしまうおかあさんって一体・・・。

半魚 「そんなおまえの一言が、一番娘を傷付けてるんだ!」って、田島陽子なら言いそうです。

樫原 はははは!(爆笑)色男の婚約者も、然りですよね。

半魚 でも、こいつ、なーんか誠実なんだなー。笑える。

樫原 この作品のキャラクターはみんな絶妙なボケかましてくれてますね。全員に好感持てるなあ・・・僕は。

半魚 ティーンルック作品に限らないかもしれないけど、楳図の少女モノの多くは、みんな無害で、「強烈な男」って、あんまりいませんね。父親的に強いのも『洗礼』の谷川先生や『うろこの顔』のお父さんどまり。『洗礼』のルポライター波多あきみみたいな、強烈なキャラは少ないですね。

樫原 波多あきみにしても、どことなく「女性」ぽいのが、いいですね。これがごついヤツだったらオハナシは変わっていったでしょうね(^_^)所詮、少女時代に「むくつけきオトコ」というのは排除の対象だったのかもしれませんね。今もか?

半魚 そうっすね。現実にはむくつけきオノコはごまんといるんだから、虚構の中へまで出す必要ないでしょうね。ブスの場合もおんなじはずで、普通は、性格の悪いいじめっ子の女子とか(ドテ子やジャイ子や)チョイ役がおおいんでしょうが、しかし、ブスを直接主人公にした楳図は、やっぱりすごいですね。これ、樫原さんの言ってる

タブーを破った一例

かもしれませんよ。

樫原 うむ〜、破ってる。確かに。だからもうこれは使えない〜。

半魚 いや、描き方次第じゃないですか。

樫原 昔、相原コージかな?ブスのイメージって「デブ」で云々というのがあるけど、ホントのブスってのは「痩せてて」・・・っていうの一理あるなあなんて思ってたりするのですよ(^_^)似たようなのに楳図作品に「絶食」ってありましたっけ・・・。

半魚 楳図キャラのブスは、顔がコケてますよね。ドテ子みたいなデブ系は、かならずしもブスってより、多少愛敬もある。

樫原 何となく、浪花のオンナ的に見えません?藤山直美みたいな・・・(^_^)

 かえってそういう無害なキャラを立てることで、別の主役級の女性のキャラがますますひきたつような・・・そんな計算があったのかもしれないですね。

半魚 タイガースなどのGSが、大活躍ですね。

樫原 あの時代・・・。ノって描いてるって雰囲気しませんか?

半魚 楳図は、かなり昔から、芸能界好きだったと思います。

樫原 当時、ナウ(死語)かったのでしょうけど、ワリと今見ても色褪せて見えないのがいいですよね。こういうのも。

半魚 ジュリーやトッポが描かれてますね。

樫原 タイガース、大人気の時代ですねえ。

半魚 それから、橋幸夫みたいなのも。口、ねじれてますね。イタコのイタローと歌う時の口かな。

樫原 あ、これはどこら辺でしょう?見つけられなかった・・・。

半魚 すず子入院のニュースの出る前の頁。

樫原 ・・・これ、萩本「欽」ちゃんに似てません?

半魚 んー、なんとなくね(笑い)。いまの欽ちゃんて感じですが。

 楳図本人も出てきますね。

樫原 失神しちゃってたんですか・・・楳図先生。

半魚 連載、4〜5本かかえてますからね。

樫原 すごいス。寝るのも食うのも忘れて描いてるなんて・・・。

半魚 「うすらキャベツ!」って、すっごく可笑しいですね。

樫原 笑えますね。想像したらもっと笑ってしまった。

半魚 また、偶然の手紙によって、山田すず子を助けてもらおうとしますね。郵便局員が、手紙を適当に捨ててしまいますが、こういう表現は、郵政省から文句が来なかったのですかね。

樫原 (爆笑)確か故郷の奈良県まで行くんですよね。何か、郵政省に恨みでもあったんじゃないでしょうか?郵便為替の原稿料の振込みが遅れてたとか(^_^)

半魚 直接の恨みとは、関係ないでしょうが(笑い)。

 ストーリーとしては、まあ、見事なのですが、この作品には、「女の情念」みたいなのが、ほとんど描かれてませんよね。まあ、こういう軽さも、よくはあるのですが。

樫原 う〜ん、そうですねえ。確かに・・・。出色の作品ではありますよね。でも絵柄がビシッとしてるので読みやすいですよね。真のホラーファンにはガッカリかも知れませんが・・・。

半魚 すいません。これ、やっぱりすず子が異常なほど、良いですよ。前言撤回します。

樫原 逆の意味でってことですか?

半魚 ちょっと展開してみます。

 このすず子の自己認識はすごいですよ。阿寒湖に立つすず子です。同情や憐れみは拷問である、軽蔑のほうが安らぎを覚える……というすず子。そして、その拷問に疲れたすず子。そして、こんなブスの自分が、井上を愛するなどとは、冒涜さえである……。

樫原 僕が、笑ってしまった(失礼!)のは

「美しい阿寒に飛び込むなんてできない!わたしのようなぶさいくな女が!」というセリフ・・・。

半魚 ここは、笑っちゃいますよ、たしかに。

なかなか、すず子に感情移入が出来ない(笑い)。

樫原 おいおい、そこまで・・・って思うのが人情。度を越すと、「こいつ、変だ」ですもんね。(^_^)

 それから、気になった(^_^)のは井上さんが阿寒湖に行ったかもしれないというとこのセリフ。「そうだ そういえば あの人は阿寒湖を見下ろす崖がすきだった!二人でよくのぼったもんや!」

突然、関西弁になる北海道の井上さんっていったい・・・。

半魚 爆笑です。ちょっと、井上、ブチコワシです。

樫原 あらためて、感じたんですけど「や」と「だ」を編集の段階で取り違えたのではないだろうかと思うようになりました・・・。ほら、手書きですばやく書くと、「や」と「だ」って似てません?

半魚 いやあ、そういう理由ではないでしょう(笑い)。まあ、誤植の可能性は有りますが。でも、楳図先生は基本的に関西弁だし。

樫原 昔、これと似た誤植を「まことちゃん」に見たような気がしたものですから・・・。

半魚 へー、どこですかね?

樫原 おかあさんのセリフってのは覚えてるんですよ・・・。「まことちゃん」は持っていないもんで・・・。

半魚 初出は確認してないけど、最初に単行本になった佐藤プロ本とくらべても、こわい本シリーズでは、ネームをだいぶいじってるんですね。「おまえの足は不自由じゃないか」なんて、もとは「ビッコじゃないか」ですからね。そんなら、「もんや」も直してほしいもんや、って感じです。

樫原 ・・・でも笑いのツボをついてくれます・・・(^_^)

半魚 すず子は、こんな感じで、過剰なほどの自己反省に基く女性像として描かれていますが、あの顔の表情(情けない顔)はその性格の表われですよね。これを逆転させて、加害者として現れるたのが、たとえばタマミですよね。その攻撃性は、表情としてきっちり描かれている。

樫原 精神が形を作る!という

楳図式ビューティ論

ですね(^^)

半魚 「映像」とも連鎖的かつ逆転的に繋がってるというか、かげが嫉妬と過剰な自意識によって生を得たのにたいして、すず子は謙虚さと過剰な自己抑制によって死んだ状態になっていますね。

樫原 ああ、ほんとだ。両極端な感じです。でもってこのティーンルック作品集(?)では「美意識」がテーマとして全面的に現われてません? 要請でもあったのでしょうかね?

半魚 『14歳』以後の発言に多い、「美意識」というものではないとは思いますがね。で、僕はティーンルック作品って、楳図に目をつけた主婦と生活社が、忙しい楳図を拝み倒して、「いやあ、そんなに本数描けまへんで〜。ネタもおもいつきまへんで〜」、「スジは貸本時代に描いてたものの焼き直しでいいですから」などと、適当なことを言って描いてもらったんじゃないかな、っていうイメージがあるんですよ。『平凡』は、好きに描かせてくれた、みたいな発言もあったはずです。それと近い。だから、編集サイドからはなんにも要請なんてないんじゃないかなあ、と。

樫原 うむ。それでも読者の対象がミドルティーンってことで「美しさ」にこだわってみたのかもしれませんね。だってどの作品も「美」への執着がにじみでてますもんね・・・。

半魚 女(の子)の「美」への意識を「歪み」として捉えてますよね。

樫原 うん、そうですね。女性から見た女性論ではなく男性から見た女性論だけど、充分女性に通用してる・・・。

半魚 この時代(60年代後半)、女性運動はウーマンリブ段階で、まだ女性による女性論なんてのは初期も初期でしたでしょうしね。

樫原 他の先生方の作品もこんな風だったのかな・・・。ティーンルックって。明星とか平凡のような雑誌なのだろうか・・・。この雑誌は、ホンモノを見たことないのに、気づいた。

 でもって「洋子」さんは周囲をひっかきまわしてるトラブルメイカーですが、どことなく「おろち」や「ねこ目」のような第三者と化してませんか?「神」にも似た存在のワリにハラハラしながら見てるような(^_^)テレビを見てる僕らと同じか・・・。

半魚 そうなんですね。洋子は、どうでもいいんですね、この話においては。

樫原 このパターンが、「おろち」などに引き継がれてきたんでしょうかねえ。

半魚 ちょっと手の加え方で、おろちになるかもしれませんね。

樫原 「山田すずこ」に匹敵するのは「みにくい人」ですかねえ。石屋土子・・・。鏡を見てポツリと「・・・・みにくい」。

半魚 そう、あれもひどい話ですね(笑い)。可愛くなっちゃうんだな。

樫原 (^_^)当時、流行ってたんすよ。三面鏡のある家などでそこで「ギギギ」と開けて自分の顔を見ながら「・・・みにくい」って言うの。

半魚 そんなのが流行ったのは、樫原さんのとこだけですよ(爆笑)。楳図フリーク地帯に育ちましたねえ。すごい。

樫原 昔は学級文庫に必ずや誰かがデーコミの楳図作品を入れてたものです・・・(^_^)

半魚 ふつーじゃないですよ(笑い)。英才教育ともいうか。

樫原 はいはい。しかしこの作品は読めば読むほどギャラリーのセリフが可笑しくて爆笑してしまいますねえ)

半魚 山田すず子にしても、整形で美人になって嬉しいかっ!って言いたくなってしまう(笑い)。

樫原 あの変貌ぶりは、「ぶっ飛んで」しまいましたが・・・。まあ、ハッピイエンドもいいかってことで・・・。どことなく「愛の奇跡」のようですね。はぐらかされながらも良かった〜って感じ。

半魚 「愛の奇蹟」は、いい話ですよ。「奇蹟は信じる者に起きる」って、テーマもすっきりしてるし。問題は、すず子です。君の悲しみは、整形手術ひとつで治るものなのか!って(笑い)。

樫原 でたぁ〜!たかやさん口調!キレイになりすぎっ!って抗議あったのかなあ?当時。明らかに違いすぎるもんなあ。まあメデタシメデタシなので文句はないすけどねえ。

半魚 いやあ、そういう解決の仕方って、よくないんじゃないか!って(笑い)。

樫原 しいません。んでこの作品の「転」を受け持つシーンでナレーションが入りますね

その時 いったい洋子は何を考えたのでしょうか?だが われわれは 考えるということについて考える必要があるのではないでしょうか。なぜなら それが 必ずしも良い結果をまねくとは限らないからです。むしろ考えるという 理性が 感覚という本能的なものを無視する恐れがあるからです。

樫原 長いですが、こういう注釈にも似た楳図式ナレーションはテーマとつながる個所であり、非常に興味を引く文章でもありますね。

半魚 そうですね。

樫原 これと似た「翔」のセリフは「頭のいいヤツはいつでも自分の理解を超えたことが起きたら信じられない!って言うんだ」とかいうトコ。似てません?

半魚 基本的に、理性神話ってのは、思想史上では20世紀前半はら崩れ始めているのですが、本格化するのは六〇年代後半からじゃないのかな。楳図も敏感に感じ取っているかんじですね。

樫原 ほうほう。そうなんですか。必ずしも「唯物論」ばかりをかざしてても世の中には「目に」見えない現象もあるのだよ、というのは分かりますが今では「目に」見えないものを信じきってしまい却って危うい状態になりつつもありますよね・・・。「心霊体験」とか・・・。「愛」とか・・・。

半魚 ああ、そうっすね。まあ、目に見えないものも「現象」になってしまうと唯物論のバリエーションですからね。妙な科学万能主義と俗流形而上学があわさって、くだらん風潮が起るのですよ。

樫原 テレビだけでも、ああいうのやめればなぁ・・・。バカな子が惑わされなくていいのに、と思う。あ、またメディアが・・・。

半魚 それにしても、二度目の手紙については、ふつうここは「洋子の願いがかなった」という文脈で考えがちですよね。未知ナルモノへ願いを託す的な。楳図のすごいところは、これを「願い」にせずに、「偶然」に帰してしまうところですよ。

樫原 見事に回帰してますもんね。その経緯もまた知らない場所で勝手に神サマ(?)が操るかのように展開してますもんね。

半魚 神サマじゃないですね、「偶然」ですね、まさに。神の不在ですよ。

樫原 「偶然」という名の「神」(^_^)

半魚 ちがうと思う(おれもシツコイ?)

樫原 (^_^)僕も無神論者だから強いことはいえまへんが〜。

半魚 ははは。

樫原 この作品は11回の連載だと表にありましたので、それらしきところを考えて「ここで続き」ってとこ推理してみました。(^_^)

 ハロウィン少女コミック館より

  • 第1回目「5〜20ページ」
  • 第2回目「21〜34ページ」
  • 第3回目「35〜48ページ」
  • 第4回目「49〜62ページ」
  • 第5回目「63〜76ページ」
  • 第6回目「77〜90ページ」
  • 第7回目「91〜104ページ」
  • 第8回目「105〜118ページ」
  • 第9回目「119〜132ページ」
  • 第10回目「133〜146ページ」
  • 第11回目「147〜160ページ」

樫原 この作品、分かりやすいですね。(^_^)1回は大体16頁ですね。これに表紙がつくんですよねえ。見たいなあ。

半魚 なるほどね。一部前後の省略はあるのでしょうが、基本はたぶん扉も合せて18頁ですよ。

樫原 え?あとの2ページは何か広告とかで、後筆したのかな・・・。そうそう、ティーンルック作品のセリフはすべて細い明朝体なんですよね。これもまた斬新というか、違和感ありましたね。

半魚 いや、初出はふつうの教科書体とゴチック(漢字)ですね。佐藤プロのは漢字が明朝体です。それから、ページも15〜17頁くらいかもしれません。広告とかは、みたかぎりほとんど無いみたいです。

樫原 連載は16頁というのが分かってきましたね。かなり昔からこれは守られてきたのでしょうね。

半魚 16頁はまあ基本でしょうが、20頁とかもティーンルック作品にはあるかも。まあ、調べてみないと分かりません。

樫原 当時のページ事情とか、調べると面白いかもしれませんね。

半魚 いやあ。ヒマと金か、あるいは環境が有れば、国会図書館に日参して調べてますよ。ちゃんとやってますよ、必ず。

樫原 いつか、その日が来て、発表できる日を楽しみにしております。(^_^)

半魚 さっきも言いましたが、テレビなどのマスメディアのあり方などが、面白いなとは思うのですが。

樫原 そうそう。今でこそこういう扱いをする事件も多々ありますが、当時としては、こういう使い方もできるんだよ、というマスメディアへの要望(?)も込めてるみたいですね。当時はニュースが突然割り込むなんてなかったですよね?(自信ない)

半魚 いやあ、要望よりも、だってこれプライバシー侵害ですよ、基本的に。突撃レポーター的な「いまの御心境は?」って感じの。最近ちょっと思うのですが、メディアの進化によってコミュニケーションのあり方が変ると、「物語」ってのも必然的に変化せざるを得ない。または、それ以前のコミュニケーションの擦違い物語がリアリティを失ってゆく。「当時はそんな便利なものはなかったから」と言っても、あまり意味がなくなる。雨月物語に「菊花の約」って話がありますが、学生のレポートで「今みたいに携帯電話があれば、事情を連絡出来たのに」とか書いてたやつがけっこう居て、その頃はがっくりしてましたが、「いや、そうじゃないんだな」って思いました。特に言えるのが携帯電話とかだなあ、と思います。

樫原 うむむ・・・ちょっと難しい内容なのでじっくり考えないとうまい返答が出来ませんが、テレビの登場から日進月歩で日本というクニは栄えた、けれどそれは破滅(とまではいかないまでも)物質文明のなれの果てを演じるようになったという感じですか?

半魚 そんな、ストレートには、否定的には思わないですけどね。

樫原 僕は、すっごい否定的なんです。特に「維持費」を持つ文明の物質。

 携帯や、ネット、果てはいつでもどこでも便利に〜♪マイキャッシュローンってなもの。24時間コンビニも、レストランもそう。悪の温床ってイメージで捉えてます。

半魚 つんくの「ずるい女」みたい(失礼!)。

樫原 あ、そうなんですか?(知らないんです、その歌詞)

半魚 くだらん話題ですいません。

樫原 特に自活していない学生やプーのような若い子。彼らにはそういうものの必要性ないんじゃないかと。そういう子が維持費負担できないのは分かってるんだから最初から「×」にすべきだと。便利だからって親が支払うことないんじゃないかなあ。

 結局、物質文明のために全てが便利になりすぎちゃって今の若い(をやたらと強調するのはオジサンな証拠)もとい、生活能力のない方々には与えてはいけないものまでを社会が与えてる。矛盾ですよね。

半魚 まあ、個別に自活能力を持たせる社会が理想ではあるでしょうが、専用の消費者を多く有しているほうがもうかるように出来てる社会が資本主義ですからね〜。

樫原 現実問題として捉えたときはかなり問題大きいですよね。法がキチンと是正しないから、自己破産や借金地獄に追い詰められるようになるのだ。簡単に与えたり貸したりしちゃいけないんですよっ。猫に小判。

半魚 いや、法じゃないですよ。資本主義はかぎりない止めようの無い欲望の社会ですから。

樫原 売る側に対して、法律は厳しく制限つけてほしいんですよね。何歳以下にはお金を貸さない。携帯も売らない!みたいな。親の印鑑持ってきても親本人とその子供と一緒でなきゃ、ダメ!、みたいなね。キャッシュローンとか携帯契約、そういうの審査もせずに金を貸す。おかしいですよ。絶対。(実話体験より)

半魚 半分は共感しますが、僕が思うに法律じゃ解決しませんよ。法律を作ってる社会構造それ自体の問題なんですから。

樫原 そうですね。こないだ「サラ金」サイトを見て痛切に感じました。いたちごっこ。借りる側や買う側の姿勢ひとつなんですね。

 たとえば僕や半魚さんはテレビが世の中に出始めてからの高度経済成長時代の落とし子みたいなもんですよね。

半魚 まー、そうでしょうねー。

樫原 その前はテレビのない時代。ラジオがあって、コミュニケーションツールとしては手紙だけ。

 僕らの時代はかろうじてテレビはある生活だった。でもコミュニケーションツールの電話ってまだまだ浸透していない頃。手紙がメインでしたよね。

半魚 うん。

樫原 その後はテレビ、電話、があってフツウの世代。手紙の存在が消えかかろうとしてる。

半魚 だいぶ書かなくなりましたねー、手紙。

樫原 今は、それに加えてPCや携帯などのコミュニケーションツールがフツウの世代。テレビも一方通行ではなく、双方向になろうかとしてますもんね。

半魚 テレビの双方向ってのは、嘘っぽいですけどね(笑い)。

樫原 これは、今スカパーなど、デジタルTVもですけど電話回線つないでおけば、見たい映画など引き落としで見れますよね。これが始まりで、これからどんどん視聴者ニーズに併せて、サービスが展開されると思います。

半魚 ゆるせんな(笑い)。

樫原 レンタルビデオも危うくなるかも(^_^)

半魚 レンタルビデオ屋なんて、べつにどうなっても良いんですが。

樫原 いえいえ、ワタシは困る。(^_^)買う手間省けるし、あの雰囲気大好きなのです。

半魚 いや、なにがゆるせん(笑い)かと言うと、マスメディアなんてもんは、つねにすでに一方向性のものなんですよ。たかだか受信者の選択肢がすこし増えただけのことを、あたかも「双方向」などと幻想を振りまく姿勢がゆるせんのです。

樫原 あはは、そういう意味ですね。納得。まさに「偶然という名の・・・」テーマに即してますね。

半魚 んー、そーかなー(笑い)。

樫原 あまりにも技術が進歩しすぎたおかげで「便利」な時代=かえって物足りない時代という感覚が今を生きてる現代人には滲み出してるのではないのでしょうかねえ。

半魚 んー、まー、便利になることは大事なことですけど。

樫原 楳図いうところの「頂点」になったときからが怖いのかもしれませんね。実際に携帯殺人は既に起きてるし、これからどんどん、こういうことから時間が発展してゆく可能性はありますよね。

半魚 楳図の「頂点」説は、もうちょっと考えてみたい部分ではありますね。まあ世紀はもう超えちゃったけど、単純な、世紀末ハルマゲドン待望論みたいなのにすりかえられてしまう危険性を持っていますから。

樫原 そうですね。んでまあ「モルモン教」みたいなのですがハルマゲドンの前には千年統治って時代があるそうですよ。つまり1世紀は、「悪魔」どもが地球を支配できるそうです。それから最終戦争がおこるらしいス。そうして「神」は勝ち、それから今までに「死んだ」人間は「天国」か「地獄」かの最後の審判を受けるそうな・・・。

 いやあ、ドラマチックなオハナシで。

半魚 世界ってもんがそんなに単純なもんなら、誰も苦労なんかしませんて。

樫原 でも、信仰してる人はそれを信じているワケであって・・・。

半魚 そんなやつも含めて、苦労を増やしてるんだな(笑い)。

樫原 うむ。確かに。いずれ自分に全て帰ってくるのにねえ。

半魚 ははは。

樫原 だから今を生きる人はどうあがいても裁きを受けるのだから人間としてキチンと生きなくちゃ、という教訓ですね。

半魚 人間としてキチンと生きるのは大事なことだから、それだけいってりゃいいんですよ(笑い)。

樫原 まあ、説教なんでしょうね。これもひとつの・・・。

半魚 いや、根本的に違いますねえ。

樫原 そこには人間の底知れぬ「欲望」というのがあるのかもしれませんね。「フツウ」だと思ってることが実は全然「フツウ」ではないってことに気付く人が小泉首相であれば、世の中変わるかも知れませんけどね。

半魚 小泉、むかしはもっとカリカリしてたけど、今はこの世の春って感じで、いまんところ穏やかにいい味だしてますね。これが、いつまで持つのかね。

樫原 あはは〜。最近のNHKの国会討論、何となくイヤらしいんですよね。視聴率もいいそうですが・・・。昔はあんな風に内閣が取り上げられるってことなかったような気がする。わざとらしいあざとさが どうも 胡散臭いのですよ。裏がありそうで・・・。

半魚 僕は、田中真紀子の活躍(?)ぶりは、自民党のメディア戦略だと確信しています。さしずめ、美少年嵐ですよ。以前、阪神監督のヨメさんがワイドショーの中心だったときは、自由党の戦略でしたね。

樫原 なるほどねえ。マスコミって大きな社会的陰謀の渦みたい。だから信じられないのだ。みんなテレビで「洗脳」されてるのに気付いていないのだ。

半魚 でまあ、人間の欲望ってよりは、資本主義の欲望のように感じますね。コンピュータだって、サルでも使えるようにってことで、おれなんかにはどんどん使いにくくなってるもんな。

樫原 そうそう、本来「使いにくい」というイメージのコンピューターもGUIのおかげで、どんな「子供」でも触れるようになった。買えるようになった。メンテナンスも電話1本で解決。

 安請け合いのサービス過剰も問題なんですよね。電話する前に「考える」ってことをしなくなった。

半魚 本来、コンピュータなんて、そんな考えもしない連中が必要として使うような代物じゃないんですよ(笑い)。

樫原 僕は、仕事のためだけに使われるべきだと思いますね。もしくはちゃんと理性を持って扱える人のみにか・・・。

半魚 まあ、遊びで使っても感性で使ってもいいんですが、自分で道具の世話の出来ない人は使わないほうがいいですよ。ペットとおんなじ。

樫原 僕は世話というより、使い方(育て方?)間違うと凶器になるとつくづく思いますね。だったら最初から与えない方が賢明だと思う。

半魚 でも、それを最初から与えようとするのが資本主義ですからね。

樫原 ゆがんだ方向にもっていかせるのは日本人のクセですかね。

 「映像」からいわせれば「生きる」ってことをしてない訳ですよ。今の子供たち。困ったもんだ。

半魚 まー、総てとはいいませんけどね(あはは)。

 で、僕が言いたかったのは、そういう本質的文明論ではなくって(笑い)。ともかく、ストーリーのリアリティにとって、技術やメディアのあり方が多大な影響を与えちゃうな、ってことなんですよ。

樫原 あ〜はい。分かりました。僕が少し熱くなりすぎたようです(^_^)

半魚 いえいえ、おたがいさまで。

樫原 これは、どんな作品にも見受けられることだと思うのですが、先見の明でSF描いてても、微細なトコで時代性がフツフツと出るのは、いたしかたないことなのでしょうねえ。

半魚 はいはい。

樫原 たとえば萩尾望都の「ウは宇宙船のウ」(あの名作のマンガ化!)でビデオテープでお別れメッセージてのが出るんですが、そのビデオテープの形がプリンターのリボンみたいなの。

 これが1980年の頃ですもんね。文明の進歩ってのはすごい、と感じました。

半魚 後から見ると、そりゃもう古い、って感じで、がっくりしてしまうような、賞味期限の過ぎたアイディアや設定てのも必然的に出てくる。例えば、先日『ブレードランナー』を見直したんですが、ハリソン・フォードが酒場から電話掛けるわけです。テレビ電話なのですが、でもコイン式の公衆電話なんですね。2019年が舞台なんだから、モバイルな電話なんじゃないかな、とか思っちゃうのですよ。

樫原 ははは、分かります分かります。映画なんかではかなり、それ如実ですよね。先見の明で描くのは、僕らのような30代にはやはり、むりなのかも知れません。20代の脳みそが未来へ向かってる人が描くべきなのだろうなあ、と思いますね。

半魚 おや、若い人を誉めましたね(笑い)。僕は、歳は関係ないと思いますけどね。

樫原 いえいえ(^_^)若い方たちと話を交わしてるとやはり「年」ってのありますね。柔軟性がなくなってるのが分かる。本人は、若いつもりでも古い観念のとりこに従って言動を発してる自分を見た日には「オレは、もうオッサンだぁぁぁぁ」って自己嫌悪ですよ。ましてや、説教くさくなったりしてたら・・・・。

半魚 んー、まあ僕は職業柄もあるけど、もう説教するのも給料の内だと思ってますけどね。

樫原 今のマンガ世界は「ゲーム」になることを前提として描かないと受けないそうな。ファンタジー系が流行ってるみたいですが、僕はそういうモノ描けない。地に足がないとダメなんですよね。もうこれが観念の虜の証拠。ううう。

半魚 いやあ、別に、すべての凡人に受ける必要はないですよ。でも、楳図は地に足のついたSFを描いてまっせ。しかも、力量のあるプランナーならいいゲームが作れそうなものとも言える(笑い)。

樫原 それでも、色んな人に自分の作品を見てもらい、少しでも何かを感じてくれるなら、とはいつも思うんですよね。

半魚 はい、それでいいのではないでしょうか。

樫原 冒険も必要かな?とは思うのですが、どうもファンタジーって苦手・・・。ウソで固めた世界を描くのって抵抗あるなあ・・・。楳図先生みたく、下調べした上で作品を作るのならそれも可能かもしれませんけどねえ。

半魚 下調べくらいは、楳図でなくてもできますよ。ファンタジーとかゲームとか、そういうのは、好ききらいですから、やりたいかやりたくないか、だけでいいと思いますよ。

 で、楳図のメディア観は、すこし過剰にずれてる所もありますが、いまだに賞味期限が切れてないな、といような鋭さがあるなと。

樫原 物事の本質を的確に捉えてるような鋭さが見受けられますね。それが暴走したときに人間ってのは真に情けないけど何も出来ないのだよ、と・・・。

半魚 本質っていうか、一点集中型で見抜くようなところがありますね。だから、他が全部はずれてても、ぜんぜんヘンには感じない。

樫原 あ〜、当たってるなあ。切り口が鋭どすぎるから他の尾ひれが勝手にくっついちゃう。無理が通れば道理が引っ込む(変な譬え)みたいな・・・。

半魚 あはは。

樫原 本能の赴くままに行動・・・すれば破綻になるかもしれないけど、「偶然」が「偶然」を呼び、「必然」となるのかもしれないですね。

半魚 (すいません、これ意味解らない)

樫原 (あまり、深く追求しないでください〜。)二度目の手紙の後、偶然が偶然を呼びますよね。住所不定→捨てる→雨でインクがにじむ→散歩してる大木先生が見つける→服毒自殺のすずこがいる ってな偶然の集積。明らかに個としてみるとすべてが破綻してて、全ての個が本能に近い感じで行動してます。が、しかしひとつにまとめるとこれがオチを作る。つまり神様(巨視的な範囲)から見れば「必然」になる出来事。という意味を含めたのですが・・・。

半魚 んー、神様ってのがいるとしたら、すべての行動は運命ですよ。いなければ、すべて「偶然」。その違いじゃないですかね。

樫原 僕はどうも「真悟」とこの作品を比較しながら意見を進めてるみたいですね。

 楳図から見た「神の世界」ってのは「地球」そのものって感じがするんですよ。その地球上で生きてる人間が「行為」によってさまざまな事件を展開する(これを偶発的な「偶然」とも言うのかもしれません)そういう見方で進めてました。地球から見た事件。人間同士から見た事件。視点の差ですね。

半魚 仰しゃる通りなのですが、『真悟』以後の楳図神学のスゴイところは、人間を超えた不可知な領域というものを、空疎な唯一絶対神(キリスト教的)でもなければ、擬人化された天帝(中国風)でもなく、我々の大地である「物理的」存在である地球という部分に見ているところだと思います。『真悟』以前には、人間の心自体を不可知なものとして捉えていたわけですが、『真悟』以後にはそうなった。『真悟』以前の楳図神学は、純粋に無神論だったと思うのですが、それ以後は、有神論的に捉えられるように一見みえてしまう。しかし、

物理的実体を「神」的な呼び名を与える思想ってのは、本質的に無神論のバリエーション

なのです。

樫原 「わたしは真悟」以前はあえてそのことは描かないようにしていた・・・とも思えませんか?少年誌にはこのテーマは難しいし、「イアラ」は大人向けですがテーマは「時」でしたもんね。「神」なんて介在は許されないような・・・。で、「漂流教室」、今見直しているのですがこれも何となく「神」(?)の見えざる手によって翔ちゃんなどは未来へ・・・、という感じがしなくもないんですよねえ・・・。そして「わたしは真悟」でとうとうその悲願を達成した!ような気がしてなりません。

半魚 ごめん(笑い)、僕はちょっと違う(笑い)。

樫原 個人的には、洋子と妹のこぜりあいが面白かったですね。墓を作ったり、おませなセリフを吐いたりして。かわいいの。おとうさんとおかあさんもいい味出してますね。

半魚 「洋子のはか」が「洋子のばか」だってギャク、最初に考えたの楳図ですかね。小学四年くらいの時(1973年)、小学館の学年誌の『ドラえもん』で同じネタでしたが、すごく大笑い&感心しました。でも、楳図のほうが早かった。

樫原 はは、そうなんですか?ん?何か記憶あるなあ。そのドラえもんの話。

半魚 ほかんとこ、覚えてないのですけどね。きもだめしで、「ドラえもんのはか」って書いてあるところを、スネ夫が「ばか」にするんですけど。

樫原 その作品、見たことあるのかなあ・・・。

 テレビと、手紙。今ならば、ネットとe-メールでこの作品できそうですね。もっと殺伐として怖くなりそうっ。

半魚 そうそう、新しいメディアを使う際は、その3歩先くらいを見据えて描いたほうがいいと思うのですね。楳図が予測したように、テレビはプライバシーの侵害に当るようなメディアに発展してくわけです。

 ( 上の部分、もう語り尽くした話題ですね)

樫原 別作品で描いたことあるのですが、ネットで知り合った相手を自分の理想で作り上げてその仮想空間ではその理想的なのになりすまして大言壮語を吐く。

 んで、実際に会う約束しちゃって影でこっそり見てるんだけど、その理想的なのが登場しちゃって・・・というお話。

半魚 ( ん、どっちが理想なんだか、よくわかりましぇーん)

樫原 (下手な解説ですみません。今度描きなおしてみますね^_^)コテコテのラブストーリーなのです。)

半魚 ( はいはい。笑い)

樫原 あまり、かかわるとそのうち痛いしっぺ返しを食らうという(実際にそういう事件も起きてしまいましたが)教訓ですよね。

半魚 実際に、ヴァーチャルな空間てのは、そういう傾向ありますね。

樫原 実体が目の前にいない分だけ、やはり危険をはらんでるって思った方が賢いのかも・・・。

半魚 ラストで、「その後、ためしにもう一度手紙をかいたけど、二度と偶然を呼ぶことはなかったとききます」は、『わたしは真悟』風ではありますね。

樫原 あ、そういえば最後は第3者風なナレーターですね。なんとなくですが、第三者的だとさわやかな印象受けますね。読者の一部としてこの作品を見終わったんだなあって妙な共感。

[その2へつづく]


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